困難女性支援法コメント

https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495220328&Mode=0 こちらで、困難な問題を抱える女性への支援のための施策に関する基本的な方針、についてパブリック・コメントを求めていたので、書いてみました。

次のとおり、意見を書きます。

1・「時代が下るにつれ、社会経済状況の急激な変化とともに、女性の高学歴化が進み、就業率が上昇した。p1」
「にもかかわらず、女性の低賃金、雇用の不安定といった傾向は改善されず、パワハラ・セクハラ・解雇などの被害にあいやすい傾向が続いている。」ということを強調しておきたい。
なぜなら、
女性に対する支援だけのための法律を作るのは男性差別だという趣旨のパブコメが、大量に来ることが予想される。したがって、現状が顕著に女性差別的であるので対策が必要なのだ、という因果関係を明示する必要がある。

2・社会の変化に見合った婦人保護事業の見直しについて(p2)
ここで言う「社会の変化」とは何なのか?「女性の低賃金、雇用の不安定」の事実に変化がないという認識の上に、行政を行うべきだろう。

3・婦人補導院の廃止には賛成する。p3
「女性を婦人補導院に強制的に収容して矯正する補導処分」という思想が、「売春婦差別」の色合いが濃い。

4・「婦人保護事業は困難な問題を抱える女性への支援が重要な課題となっているにもかかわらず十分に活用されてこなかった状況」これが問題である。
「困難な問題を抱える女性」は特に、「本人が支援を求めない傾向が強い」。これは本人の自己肯定力が弱く、また行政による「上から」の支援に対する不信感が原因である。これを解きほぐしていくためには、相談員などによる持続的・粘り強い相談が必要である。

5・約84%は非常勤職員である(p7)。
婦人相談員手当等の増額は図られているようである。さらに、単年度雇用では相談の継続性も保証されない。会計年度任用職員制度の抜本改正が必要である。
常勤・正規化するのも一つの方法である。ただ、週4日など短時間職員のままで常勤化(雇用保障)する途を確立すべきである。

6・「市の女性相談支援員(旧婦人相談員)の相談実人数は1.3倍、延べ件数から見ると1.6倍となっている」p8
市役所・区役所の方が相談しやすいので、このような相談所を増加させる方が良いだろう。

7・「民間団体が独自にソーシャルネットワーキングサービス等も活用しつつアウトリーチや相談支援、居場所やシェルター、ステップハウスの提供や医療機関・行政機関等への同行支援等、生活再建に向けた支援の様々な支援策を展開している」p9
4に書いた理由によりこうした支援は、行政がやるより有効である場合がある。
ところで、現在暇空と名乗る人物がインタ―ネットで活躍し、良くわからない理由で、この種の活動の細部にケチを付ける活動が非常な盛り上がりを見せている。これは合理的理由がない理解しがたいものである。したがって、市民の意見ではあるがこれに類する意見については、厚労省は見識を持って無視していただきたい。

8・「性自認が女性であるトランスジェンダーの者」p9 についても、生きる上で大きな困難に出会う場合が多いので、この法の範囲で支援するようにしてほしい。

9・「とりわけ、性売買等の性的搾取・性的虐待・性暴力の被害により、尊厳を著しく傷つけられた女性には、これらの搾取等の構造から離れ、安心できる安定的な生活を確立し、心身の回復を時間をかけて図っていくことが必要である。」賛成する。

10・「また、性的搾取による被害が「性非行」として捉えられやすい若年女性(児童である場合や妊産婦を含む)については、その背後にある虐待、暴力、貧困、家族問題、孤立、障害などの問
題を十分に踏まえつつ」対応をお願いしたい。
また性的搾取でなくても、性交渉、妊娠などの場合学校当局が退学など苛酷な処分をする場合がある。性交渉や妊娠は罪ではないという基本認識を徹底し、本人(と場合によっては胎児)の立場に立った処遇を指導すべきである。

11・「相談に至っていないが支援が必要な女性に対し、民間団体等による気軽に立ち寄れる場や一時滞在場所において支援対象者に寄り添い、つながり続ける支援を行うことは、女性たちとの信頼関係の構築にとって重要であり、公的支援を必要とする女性への支援の提供に向けても有効であると考えられる。なお、相談に至っていないが支援が必要な女性には、女性自身が困難に気付いているが他者に言えない場合や、女性自身が気付いていない又は気付きを避けている場合、厳しい精神状態にある場合など様々な状態があり、女性自身の状態に配慮しつつ適切に対応していくことが重要である。」賛成。
(以上)

私は相談業務の仕事をしたこともないし、勉強不足で、内容は自信がない。
できれば批判してください。

図書館にネトウヨ本が多すぎ、申し入れした

□□市教育委員会 様
□□図書館長 様

いつも図書館を利用させていただいております。
優れた本をたくさん購入してくださってありがとうございます。

ただ、先日□□市図書館○○分館の開架図書をずっとみていたところ、一群の本が気になりました。
歴史修正主義的な本です。
これらの本は、主にアジア太平洋戦争に触れています。終戦(敗戦)までは「大東亜戦争」と言っていました。

日本と中国の対立と、それによる満洲をめぐる国境紛争により発生した日中戦争(支那事変)は予想外の総力戦となり泥沼化しました。そのため日本は南進を行い、中国国民党への物資の補給路を断ち、石油などの戦略物資を入手することで日中戦争の解決を図ることになる。そしてそれを認めない英米と戦争するに至ったわけです。それを欧米に植民地化されたアジアを開放する戦争だとして美化し、東南アジア、インドなどの人びとに支持してもらおうとしたプロパガンダが「大東亜共栄圏」建設です。

歴史の見方は歴史家によって異なりますが、自民族(日本)だけを正しいとして、日本に不利な証言などはできるだけ採用しないようにして本を書けば、かなり偏向した「歴史」本が生まれます。しかしこの20年ほど特にそのような戦争中の歴史観に先祖返りしたような観念に基づく本や雑誌が多く書かれ、それを支持する政治家や市民なども増えてきていました。書店ではそのような本を買う人も少なくないようです。図書館に希望する人も多いのでしょうか。かなりの冊数の本があります。すべてリクエストに応じて購入したものでしょうか?

図書館ではどのような本を所蔵すべきなのでしょうか。
社会教育法では「実際生活に即する文化的教養を高め」るといった言葉があります。
また総務省は「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」を推進する「多文化共生」を進めようとしています。
そのような観点から見た場合、下記の本たちはかなり問題があるのではないかと考えます。

去年京都市宇治市のウトロというところで放火事件が起こりました。
犯人は当時22歳の男性で、特定の出自(朝鮮)を持つ人々への偏見や嫌悪感といった動機をもって、放火を犯してしまったのは民主主義社会では許容されないと、判決に記されました。
またその後、「日本を滅亡に追い込む組織」であるとしてと立憲民主党の辻元氏事務所やコリア国際学園、創価学会を連続襲撃した事件も起こっています。
上に書いたように、日本が朝鮮を植民地化し中国・アジアを侵略したことは事実です。ところがそれを日本の1945年までの歴史と努力を全否定するものととらえて、反発する思想によって書かれた低劣な本は多いです。これらの犯人はおそらく、そのような本やネット記事を読み、日本人は朝鮮人などより優れているなどの誤った思想をもってしまい、そのことが犯行の原因のひとつにもなったのではないでしょうか。

そうだとすると、そのような思想を展開している本を一般市民に対し積極的に公開していくことは良くないのではないか、と考えられます。

わたしが貴市の図書館から抜き出した下記の本は、おおむね上に書いた大東亜戦争肯定論的な構えに立ち、日本軍の残虐行為をできるだけ小さく描写し、朝鮮・中国人の欠点をことさらに強調するといった特徴を持っています。しかも学者の書いた本に比べ、扇情的で読みやすい文体で書いてあります。

以上書いたことについて、次のとおり質問します。

1,これらの本についてレイシズム的思想を拡散する本だと評価できるのではないでしょうか?
多数の本の中から限られた本を購入するに当たっての「選書基準」はどのようなものなのでしょうか?

2,そうである場合、これらの本をとりあえず、開架から閉架に移すことはできますか?
3,廃棄する場合は、市民への無料配布ではなく、直接廃棄する方が良いと思われますが、いかがでしょうか?

以上のとおり質問します。


歴史修正主義的な本の一覧
別添のとおり   2022.12.18


☆ 私がいいかげんにセレクトしただけで、124冊にもなったことに驚きました。いままでずっとそれが当たり前だったのなら、わたしの主張が通ることはないかもしれない。

私の書いた理屈は左翼・リベラルなら普通のものだと思われるのに、いままでこういう活動をした人がいない(みたいな)のはなぜだろうか? 検閲禁止みたいに思う人がいるのかもだが、そもそも図書館は無数の本の中で特定のその本を選んで買っているのであり、なんらかの価値があると判断しているわけだ。歴史修正主義的(民族差別的なものを含む)かつ扇情的な本をこんなにたくさん所蔵する必要はない。

☆ また、むしろ左派的な本が今後追放されていくきっかけを作るのではないか?という危惧を言う人も多いと思います。世の中の右傾化は止んでいないので、そうした可能性も全否定はできないかな、とも思います。でも正しさを素直にいろいろなところでふつうに主張していくのが大事なのではないか。

ご意見いただければありがたいです。

歴史修正主義的な本の一覧

河野談話など

○○さま
先日、2015年の安倍氏の謝罪について、知っているひとが少ないという話がでました。ここで最初からの経緯を簡単に説明します
慰安婦問題について
1993年8.4に日本政府が出した河野談話は
「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
(略)
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
(略)
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 (略)」
というそれなりに格調高いものでした。

この文章の問題点(1)は、慰安婦問題の責任主体が、日本軍だったのか、慰安業者だったのかという問題をあいまいにしていることだ、と言われます。

https://fightforjustice.info/?page_id=2475 に他の問題点もあげられています。
とにかく、(4)の約束に反し、教科書から慰安婦の記述をなくしていったのは、ありえないことであり復活させるべきだ、ということになります。

ところで、先日、話になったのは、2015年に安倍首相(当時)が謝罪したのに、誰もそれを知らないということについてです。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html
2015.12.28に、岸田氏が代理で、記者発表したものです
「 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。

(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。

(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。」

「安倍内閣総理大臣は,(略)心からおわびと反省の気持ちを表明する。」と言ってますね。
安倍氏は嫌韓的言説などでネトウヨに人気を得ていたため、謝罪しながら謝罪はしていないようなイメージ作りを必死に行いました。

この時に、日本政府はソウルの日本大使館近くの〈少女像〉の撤去を要求しました。(内藤さんと一緒に見に行きました)
ただ、韓国は撤去に努力するといっただけなので、別に約束やぶりではありません。

ただし、2015年に安倍内閣総理大臣が「心からおわびと反省の気持ちを表明」したという事実を、どうしても隠蔽したいひとがいるようで、なんだか理屈はわからないが、少女像がくると怒りまわるひとたちもそれを隠蔽したいには違いないでしょう。

以上、1993年と2015年の二つの宣言についての簡単な説明でした。

香川照之〜水木しげる〜従軍慰安婦のこと

 https://nhkbook-hiraku.com/n/n2e8e11f7d8fd
柚木麻子さんという方のこの文章はとてもすばらしい!

香川照之=「「彼」自身がどうして自分が加害に至ったか、どんな心情だったか、そして今、何を考えているのか、自分の言葉で語るべきなんじゃないのか。」を強く支持したい!
 
ところで、「NHKスペシャル 鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」を見た。

国民的漫画家として顕彰される水木しげるを香川照之が演じている。冒頭で水木が料亭で女性と遊んでおりそれが女房にばれて怒られるシーンがある。ここで水木はそれは私ではなく別の「水木さん」がやったことだと下手な嘘をつく。そしてこの嘘をずっと展開していく。
水木はラバウルに旅行し戦後28年経ってから、何かに突き動かされるように「総員玉砕せよ!」を書く。つまり総員玉砕命令を受け自分だけ生き残った水木に対し、戦友たちはかなえられない欲望、食欲(バナナを食べたい)と性欲(慰安婦を抱きたい)を抱いたまま無残な死をとげた。熱帯の蝶の幻とともにその〈欲望〉が水木に取り付き、「もうひとりの水木さん」としてバナナを注文したり女遊びをしたりするというのだ!そして水木を動かし自分たちをむりやり「玉砕」させた旧軍を糾弾するマンガを書かせる。
香川照之の酒場の女への乱暴なセクハラが糾弾されている時期にぴったりなドラマでびっくりしたが、これは2007年放送のドラマ(脚本:西岡琢也)。

〈というようなことでピー屋の前に行ったがなんとゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピー屋の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。
これを一人の女性で処理するのだ。略
とてもこの世の事とは思えなかった。 引用元
 
慰安婦問題についてはこれ以後も膨大な表現が生まれたが、右派のそれはすべてこの一節で粉砕されていると言いうる。

このドラマは、二度目の玉砕命令をうけた水木と戦友たちが命令した参謀の前で、「私はなんでこのような つらいつとめをせにゃならぬ」と「女郎の唄」を歌うシーンの直後に終わる。
これは慰安婦問題論争のなかで取り上げられることが少ないテーマなので、ここに書いておきたい。つまりここでは上官の(ある意味できまぐれな)命令によって死に追いやられる兵士たちが自らを、(兵士たちによって身体をなぶりものにされる)慰安婦たちに完全に同化させているわけである。
死に近い者同士の純愛を謳い上げるような小説は他にもあるが、この場面ではそのような愛や美の要素は一切なく、ただ死に追いやられる無残さだけが強調されている。
いわゆる慰安婦問題とは、「従軍慰安婦」の被害に対して旧日本軍の加害責任がどの程度あったのかをめぐっての論争である。この場合、水木のような下級兵士は加害者の側に置かれる。
しかしこのドラマはどこまでも下級兵士の被害を明らかにさせたいという被害者(死者)の側に立ちきることにより、むしろ旧日本軍幹部を加害者とよび、自分たちは慰安婦たちと同じだ、と語っている。
「従軍慰安婦」をググると「日本政府はアジア女性基金と協力し、慰安婦問題に関連して各国毎の実情に応じた施策を行ってきた。」という日本の外務省の文章が一行目に現れる。
日本政府が責任を果たしたのかという問いは、外交的な問いであるかのようであり、そこから出発すると「慰安婦たちの現実はそれほどひどくなかった」のではという疑問を追求することが真実に近づくことだという錯覚も生まれる。
慰安婦問題の本質は、そうした女性たちが膨大に存在した事実を謙虚に認めることが第一歩である。
多様な慰安婦女性たちがおり、もっともひどかった事例、異国についてその晩に自殺してしまったとかの場合は、説得力のある証言は残し得ないことに留意すべきである。兵士の側も水木や武漢兵站の山田清吉氏のような例外的にかなり良心・善意を持っていた人が記録を残していることに注意しなければいけない。

日本の下級兵士たちは被害者だったからといって、慰安婦たちにとって加害者でなかったかといえば、そうも言い切れないだろう。
敵兵だけでなく上官からもつねに脅かされ加害されていた、自分たちに(偽りの)愛情と生身の肌を提供してくれる菩薩のような存在だった、生き残った水木たちにとって、彼女たちはむしろそういう存在でなければならなかった。

それを大きく裏切ったのが1991年の金学順らによる日本軍への告発だった。そうであるにしても、下級兵士は日本軍幹部の側ではなく下級慰安婦の側に感情移入する存在だったという真実は変わらない。
慰安婦問題を、韓国国家が日本に文句を付けてくる問題だと捉えるネトウヨたちは、地獄へ行くべきだ。

戦後朝鮮という悔恨!

麗羅という在日作家(1924-2001)の『体験的朝鮮戦争』という小説を読んだ。1992年の作品。
1945.8.15に日本が降伏し(光復節)てからの3年、1948.9.9に朝鮮民主主義人民共和国が発足し分断体制ができあがるまでの朝鮮半島は、混乱の時代だった。南半分では独立・革命への強い欲求を米軍がむりやり押し止めていたとも言える。

朝鮮の独立については1945.12月米英ソ三国外相によるモスクワ協定で、朝鮮米ソ合同委員会および臨時朝鮮政府の設立が決まっていた。そして米ソ共同委員会が開かれ、過渡政府樹立のためのプランも発表された(46.3.20)。しかし米ソの意見の違いは大きく共同委員会は休会となる。

1947.10.30国連総会は朝鮮への国連の委員団を派遣することを決定した。(ソ連はこの上呈自体をモスクワ協定違反として反対。)p116
委員団はソウル到着後、3/31までに南北同時に総選挙を実施する、それにより朝鮮国民政府を樹立するための議会をつくる、などと発表した。しかし、ソ連及び左派はこれに賛同せず南北同時選挙は実行できなかった。
75年後(分断されたまま)の今日から振り返る場合、仮に実行していたらどうだっただろうかと考えてみることは、できる。

当時の朝鮮全体の人口は約3000万人、北1000万、南2000万と考えてよい。
ソ連と北の指導者は、勝利する自信がなかったから、総選挙に反対したと麗羅は書いている。p121
しかし南では左翼に対する支持の方がかなり圧倒する可能性があった。であれば合計でも勝てる可能性があった。
しかしその場合も、南での左翼支持勢力が北での左翼支持勢力を上回った場合、左翼(共産主義陣営)の指導権は南の指導者に握られる。また北での左翼を支持しない勢力がかなり多かった場合も面目を失う。ソ連および金日成にとってはいずれにしても避けなければならない、と判断された。
朝鮮民族全員の民意を素直に問えば左派が勝利していた可能性がかなりあったのに、金日成は自己権力の維持を第一目標とする考えであったため、それをやろうとしなかった(と言えるだろうか)
今にして思えば、全国同時選挙をやっておきさえすれば、分断をさけることができたのでは、といった思いを抱く人があるだろう。その場合、金日成体制をさらに覆していくことも必要になる。(日本人でしかない私がとやかく言うことではないが)
歴史に対してこのような感想を付け加えるのは、まあ愚かなことである。しかし朝鮮戦争休戦後69年も経つのに、停戦すらできず、統一の目処も立っていないのは不条理すぎる。自分に引きつけて考えようとすると愚痴にならざるをえない。

なぜこんなことになってしまったのか。そしてそれがこんなにも長く続いているのか。その嘆きは麗羅のものでもあった。
朝鮮共産党の指導者朴憲永たちの振る舞いも、こう振る舞っていれば歴史はこうはならなかったはずだ、といいたくなるところが二つある。
「開放直後は、朴の率いる南の朝鮮共産党(ソウルに本部)が主流で、北(平壌)に本部の党は分局に過ぎなかった。それが北労党と南労党になってからは双方の立場が対等になり、モスクワの指令で南北が合党して朝鮮労働党になってからは、北派が主で南派は従といった力関係になってしまった。
朴憲永は、年齢、学識、理論、共産党員としての組織生活や闘争経歴などすべての点で金日成をはるかに凌駕する。」であるのに、党でも政府でも、金が主で、朴は副というポジションに甘んじさせられた。もちろん、金日成はソ連軍の傀儡としてそのポジションを占めていただけだが後にそのポジションを利用して他の指導者を順次粛清していき独裁を完成していく。

麗羅が朴憲永の第一の間違いとして記すのは、下記だ。
「1946年の大邱人民抗争以来散発的な抵抗運動を展開しながらも、1947年の夏において、全面的な革命戦争の開始を躊躇したことである。その時点では、南における南労党の組織率は60パーセントを越えていた。朴憲永が蜂起を命じたら、アメリカ軍が駐留する二、三の都市を除いて南の大部分は数日のうちに制圧できたことは間違いない。」(P195)
そして、
「第二の間違いは、朴憲永は絶対に北に行くべきではなかったことだ。
彼が北へ行ったのは1947年の春で、左翼陣営にたいするアメリカ軍政庁の弾圧がきびしくなったために一身の安全をはかってのことだといわれているが(略)。
彼の北行きは、軍人でいえば戦線離脱であり、危険水域にさしかかった船の船長が、船と船員を見捨てて逃げ出したに等しい。(略)
彼は南を離れていたから、その夏の一斉蜂起の絶好の機会を逸したのだ。
そして、朴が越北したのちの南労党は司令官を失った軍隊にひとしく、地方幹部たちは局部的に果敢に闘争を展開したが、全体的には頽勢の一途をたどった。
一時は成人男子の6割以上を獲得した南労党(左翼陣営)の地上組織は、1947年8月から翌48年の3月までにほとんど壊滅して地下組織のみが細々と存続する状態に追いこまれ、頼みとするゲリラ闘争も相次ぐ討伐と隊員の脱落によって日を追って弱体化するばかりだった。」
それでも「南北を統一するには南に人民革命を起こして共産党が権力を把握したのちに、北の共産政府と合併する」という発想を捨てなかった、朴憲永は。
それに対して金日成は「北の人民軍を投入して南進統一する」発想を捨てず、朝鮮戦争を起こす。全面武力対立は金日成の目論見に反し米軍の全面反攻をもたらし、結局戦争は勝てなかった。金日成は戦争の責任を取ることもなく、権力を維持し続けた。
(ここからは野原の感想だが)ソ連監視下の平壌という狭い場所での権力闘争というゲームにおいて、朴憲永は金日成よりずっと下手だった。そして70年後も金日成の孫が自己権力を維持し続けていることを私たちは深く気づくべきである。
つまり、朴憲永の共産主義、ソ連、そうした理想への期待が、リアリストであるべき政治家の目を狂わせ敗北に至った。そしてその問題は私たちにおいてもまだ終わっていないのだ。

『淫教のメシア 文鮮明』による統一教会の教義

萩原遼の『淫教のメシア 文鮮明』晩聲社、この本は1980年に出された本でだいぶ古い。
世界基督教統一神霊協会。(2015年世界平和統一家庭連合への改名が文化庁に認められた)「協会側は統一協会とされることを好まず、統一教会とせよとマスコミなど報道機関にねじこんでいる」p8とある。

この教団は「混淫・血分け」系の教義を持つとされる。

統一教会の特徴は集団結婚式である。この式次第の秘密の部分を含む詳細は
鄭鎮弘「宗教祭儀の象徴機能  統一教の祭儀を中心に」(同書p152-154)に書かれている。重要なので、ここに引用する。

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このなかで、神学的に最も重要なのは
②聖酒式の
・文先生(文鮮明)がすべての新婦たちの手に一回ずつ手を重ねて通り過ぎる。
・つぎに聖酒を文先生が先に飲み、それを新婦全員に分け与える。新婦たちは礼をしてそれをもらい飲む。 のところである。
手を重ねる、「それを通じ、先生の身を受けてから相対者と霊的肉的に一体となる。結婚式といいながら、文鮮明と新婦が一体になることが決定的に重要なわけである。それによって「原罪を負った汚れた血統は転換された」とする。p22
これは神学的には宇宙創造的な儀礼的性交である。
1961年5月15日 – 33組聖婚式(ソウル市前本部教会)までは、おそらく実際にセックスが行われただろうとする。p24

聖書ではエデンの園でエバは蛇によって誘惑され堕落することになる。統一教会では蛇とはサタンでありそれとセックスすることによりエバは悪の血統となり、それとセックスしたアダムも悪となる。
普通のキリスト教でも人は堕落状態にあり、十字架のイエスへの信仰をとおしてのみ救済に到れるとする。しかし統一教会では、再臨したメシアである文鮮明とセックスすることにより、人は救済に至りうるとする。これはまあ奇妙ではあるが神学的には筋が通っている(?)

1930-40年代の朝鮮には混淫・血分け派といわれるさまざまな教団が活動していた(また弾圧されていた)。
1930年代の平壌では李龍道や黄国柱という教祖が居た。彼らは神との霊的合一を新郎に対する新婦の性愛に例える。

・文鮮明はすでに10代でソウルの李龍道の「イエス教会」に参加したとの説もある。
同書p57-59に統一教会内部の秘密文書「主の路程」が紹介されている。
「ある時、礼拝で代表祈祷されている時、その祈りの深さに全員が驚き、ある婦人はおもわず泣いて抱きしめ、自分の家に下宿することを勧めた」でまあ文少年はこの婦人とセックスしたわけですね。彼らにとっては「聖血を分け与えることは堕落の血をうけついだあまたの女性救済の聖なる行為であったのだ」p60。彼が教祖になる前からそういう神学があったわけです。
・文鮮明がだれから血分けされたかについては諸説あるが、鄭得恩かもしれない。p64 鄭得恩は黄国柱の弟子らしい。文鮮明が鄭得恩に伝えたという説もある。

・とても「いやらしい」話ではあるが、まずはあくまで神学的な教説であると理解しなければならない。
・なお、1980年に出されたこの本の段階では、「日本はエバ国家」とか「日本の植民地化の贖罪」といった理論はあまり強調されていなかったのではないか。

いかにも下世話な興味を引きそうな極秘文書「主の路程」、参考までに引用してみる。
戦中、戦争直後の文鮮明については資料もすくないなかを萩原遼がまとめたものです。ニュアンスを確認し読み解くために彼の本『淫教のメシア 文鮮明』を読んでください。(図書館にはあるだろうが)
http://666999.info/liu/bunsenmei0.pdf

以上書いたのは主に、40〜50年代の統一教会確立期の教会の教義である。統一教会は、KCIAの介入以後政治的団体としての側面も持つ。そして多くの関連組織を持ち、教義などすらカメレオンと言われるほど変えていっている。しかも徹底的に嘘つきである。
以上書いたことは根本教義なので意外と変わってないのではないかという気がする。

老人は堂々と年金を受け取り遊ぼう!

・ある人Aは日本政府が、老人に対して年金など百兆円もの支出をしているのがけしからん!老人に対する支出は抑制しろ、みたいなことを言った。
・また、老人に金が支出されているがために、中高年が働いても報われない。老人によって中高年が搾取されているのだ、という人もいた。

・ある人Bは、いきなり私(69歳)を老害と呼んだ。そして「65歳すぎれば年金だけでのんきに生きてけるのが当然だ」という私の感覚に対して、そういう常識を持っていることが許せないと考え、主張し続けた。

・わたしはまだ20年以上生きて勉強し、遊び続けたい。したがってこのような老人差別をなくしていかなければいけないと考える。
・ある人Bは、いきなり私に「働け!(年金を頼るな)」と言った。これに私は腹を立てた。
https://twitter.com/nyohhiroki/status/1538511444265734144 nyohhiroki氏 「働けるのに働かず、社会保障の受給を優先する。/年齢を理由にするならそれは老害だよね。/儒教を勉強する前に働けよ。」

この人に、働けとか言われる必要はない。そもそもこの人は自分で自分に「働け」と強く命令しているのか?それはただの愚か者ではないか。人間は遊んだり、怠けたりしながら、しかたないから生きるため(収入のために)に働くものだろう。それが正しいと言うつもりもないが、「働け」だけが正しいというのは経営者あるいは上司あるいは先生だけの思想である。たまたまこの人がそういう思想しか知らないのは可愛そうなだけである。

・ただし、Aさんの提示した図表の百兆円もの支出は確かに多いことは多い。
こちらにあるが、2021年 福祉その他:30兆、医療:40兆、年金:60兆弱、計130兆円となっている。
https://www.mhlw.go.jp/content/000826257.pdf
参考: https://twitter.com/watarinigou/status/1538345307997892609
・これをどう考えるか?私は医者に行くのが嫌いだ。しかし世の中の老人はそうでもなく、暇なので(あるいは不安を抑えるため)医者にかかるのが好きな人も多い。ただそれは各個人の問題なのですぐには抑えられない。
・私には義母と義父が居て数年前になくなったが、彼らの最後は対照的だった。義母はたまたまあまり良くない病院に入院してしまい、寝たきりになってしまい、経管栄養補給でそのままベッドから出られず3年ほどしてから亡くなった。義父は入院もしたが、すぐにでてきて、ある介護施設に入所していねいに介護してもらっていたが2年経たずになくなった。義母の方が明らかに質の低い医療・介護しか受けられていなかった。にもかかわらず、というよりそれゆえに義父より長生きした。強制的に栄養補給されベッドの上で生きていくことは刺激もすくなく、その代わり危険もなく命を永らえることだけはできる。
・老人の入院者:75歳以上で、約70万。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/17/dl/01.pdf
ただし、このうち生命の危険があるは7.1%、残りは「生命の危険は少ないが入院治療を要する」などである。「受け入れ条件が整えば退院可能」が14%ある。
・・日本人の平均寿命は80-87歳、健康寿命は72-74歳とされる。
日本の平均入院日数は約33日で欧米より3倍ほど長い。
https://zuuonline.com/archives/207608
・特に、日本の精神医療病床数、入院期間とも先進国で突出して多い。
このたび、厚生労働省の有識者検討会が精神医療の報告書をまとめた。
「日本の精神医療は偏見や過去の隔離収容政策の影響で、国際的な遅れや人権侵害が指摘されて久しい。病床数、入院期間とも先進国で突出し、身体拘束や施錠部屋での隔離は各1万人を超える。
主因の一つが、医療保護入院である。精神保健指定医1人が必要と判断し、家族らのうち誰かが同意すれば強制的に患者を入院させられる。精神科の入院患者約27万人の半数近くを占めている。
諸外国では、施設ではなく地域で暮らしながら治療するのが主流になっている。強制入院が広く行われている日本の現状は異常で、廃止に向けた検討は欠かせない。」とされている。
誰のための長期入院か。患者のためではない。膨大に存在している精神病院を維持運営していく、病院経営をまもるためだ、という側面が強い。
https://twitter.com/noharra/status/1538434674187714566

・日本には優れた医療制度がある、その制度にのっとり患者(対象者)のためのサービスはできるだけ手を抜いて、長期入院(収容)させればまるもうけ、ということになる。これは医療だけでなく老人福祉・介護などのために制度を作った場合も同じである。さらに、「業界」が成立すれば厚労省や他の業界との癒着的関係も成立していく。
医療:40兆、福祉その他:30兆、と書かれているなかにはそのような、質が良いとはいえない金儲け主義によるものも含まれている。そしてそういう勢力は「生かさず殺さず」身体をベッドの上に寝かし続けておくことによって、日々お金が自動的に入ってくるのである。

・百兆円もの支出、つまり老人が一方的に利益を得ているのがけしからん、とある人Aは老人攻撃を煽っている。しかし、百兆円もの支出のうち大きな部分は業者が利益を得ているのであり、その質を高めることによってその支出を削減していくことはできるはずだ。
やみくもな老人攻撃は役に立たない。
・さて、それにしても体力、気力が弱っていくなかあと20年も生きていくのは大変である。一番大事な問題は社会的孤立であろう。特に男性の場合、妻がなくなれば地域に友人もおらずひとりぼっちになってしまうことが少なくない。
・Bさんは私に「働け!(年金を頼るな)」と言ったわけだが、その根拠は人は自立した存在であるべきだという思想がある。身体の健康の面でも、経済的な自立という面でも。Bさんはまじめなので自分で働いて生きるという思想を譲ることができない、そこで年金という制度が理解できないのだ。

・わたしだけでなく人口の2,3割が長い長い老年期を生きなければならなくなったのに、思想的にその用意ができていない。
たぶん、わたしたちはもっと気軽に助け合って、買い物の手伝いをしたり、電灯が切れたら付けてあげたり、一緒に食事したり、子供にかえって一緒に遊んだりすることができるようにならなければならない。なにしろまだ死ぬまで、20年も30年もあるのだ。恥ずかしいが今から変わっていきたい。

最初のきっかけになったのはこのツイート:おきなわの渡さん(Aさん)。
・貴方にとっては80歳の老人と20歳の若者の命の価値が同じなんですか。 https://twitter.com/watarinigou/status/1537277524543414272

イスラム映画祭2022感想

イスラム映画祭、終わっちゃったが、今年は特に女性映画の傑作が多かったと思う。本当に感動した!
『ヌーラは光を追う』ヒンド・サブリー主演。『ある歌い女の思い出』でやせっぽちの少女だったサブリーが、たくましく美しくなっている。すごく魅惑されてしまった。
テンポの良いストーリー展開。一般公開してほしい。

『ソフィアの願い』モロッコでは婚前交渉を行った者は1年以内の懲役。未婚の女性が突然破水、どうなるのかなと思ったら、これはちょっとびっくりする映画!
(映画には関係ないが日本では婚前交渉は当たり前だが、妊娠すればほぼ自動的に堕胎される。それも実はおかしいと思う。)

辻上奈美江さんによれば、この映画はルッキズムへの異議申し立てを見事に表現しているという。主人公ソフィアは「絶望的な表情を貫き、服装、立ち居振る舞いなど多くの人が美しいとは思えないだろう所作を意識的に演出しています。」そういわれるとなるほどと納得してしまう。完璧なフランス語を話す美貌の姉(しかも完璧に優しい)との対比が常に強調されている。
ルッキズム批判とかさかしらに口にしている人もいるみたいだがあまりピンとこなかった。このマーナーな映画は大きな達成を成し遂げていると評価できるのではないか。
ビンムバーラタ監督になぜそれが可能だったか。欧州とアフリカの境界の街では、美と不美人との落差はあからさまである。フランス的なものは美しくアフリカ的なものはそうではない。この構造を最初から突き付けられるのがモロッコの映画作家だからこそ、このような映画が作れたのだ。

『天国と大地の間で』ナジュワー・ナッジール監督。
若い男ターメルはパレスチナ難民だが1993年のオスロ合意で西岸ラーマッラーの高級住宅地に住んでいる。妻サルマはイスラエルのパレスチナ人でイスラエル市民権を持っている。二人は5年間の新婚生活に倦み、離婚を決意する。ただ映画では二人はそれほど仲悪そうにも見えず違和感がある。この夫婦はオスロ合意あるいはパレスチナ自治政府の暗喩なのだ。「譲歩して譲歩して疲れてしまった」みたいなセリフがあった。
離婚届を出しに夫婦はイスラエル領内に入る。パレスチナ問題というとユダヤ/パレスチナの問題だけかと思うがそうではなく、かってユダヤ人でも反体制派(共産主義者)が存在し、ナクバにおいて新支配者たちに必死の抵抗をしていた。サルマの父もそうでありターメルの父はその中で殺されていた。ターメルの父ガッサンに戸籍の空白があると指摘され二人は調査の旅に出る。彼は若い頃ハジャルというユダヤ人女性と暮らしていたらしいが。云々。パレスチナ人と並ぶユダヤ国家の犠牲者である「ミズラヒーム(=東方系ユダヤ人)」については省略。https://www.motoei.com/eventreport/islam7_0503event/
岡真理さんの解説を読むと、世界から多様性を消し去り、「ユダヤ」対「アラブ」という二項対立的価値観に押し込めること、そのことなしにはシオニズム国家イスラエルは成立しない、というふうなことなのかと思った。
夫婦は離婚したのか?たぶんしなかったのかも。パレスチナ自治政府は存在し、パレスチナ国もたぶん存在するから。絶望とともに。

去年のイスラム映画祭でやった『シェヘラザードの日記』はレバノンの女子刑務所におけるドラマセラピーを扱った映画だった。https://twitter.com/noharra/status/1389948467649286150
ボスニア・ヘルツェゴビナでは1992-1995、セルビア人、ムスリム人、クロアチア人が混住している地域だったが、独立の機運が高まり、3年半に渡り全土で紛争が続いた。
今年の『泣けない男たち』はその戦争で心に深い傷を負った(被害者として加害者として)、男たちにドラマセラピーを施そうとする話である。男たちはどうしても触れることができない心の傷を20年以上も隠し続けている。それを語り演じてみようとすること。それによって初めて凍結させていたタブーを溶くことができるはずだが。男たちは次第にふざけあったりもできるようになる。プールで水を掛け合う場面は印象的。しかし解放は難しく、激しい自傷や加害が起こってしまう。20年前の傷を癒やすために歩まなければならない具体的道行きは長い。
戦争は多くの人に長い長い苦しみを与えるものなのだ。いままであまり語られて来なかったが。

http://islamicff.com/movies.html イスラーム映画祭2022

815と朝鮮独立

 朝鮮人にとっての八一五(1945.8.15)について、書き留めて置きたいと思う。
 ある本は、ある女性(劉)が夜が白む頃、部屋の高い場所にある小さな窓が明るくなってくるのに気付くシーンから始まる。(今気付いたが)このシーンがすでに十分暗示的である。民族の未来がかすかに明るくなり始めることを暗喩している。

「たった一つきりしかない明かりとりの窓を(略)見つめて、今日まで暮らしてきたのだった。(略)この国の何千、何万というものが、そうして耐えて来たことであったのだ。」p7
劉は仕事に行こうとするが母屋の中学生(今の高校生くらいかも)に呼び止められる。「(略)重大ニュースがあるんだ。正午に、日本の天皇が放送をするんです。(略)いよいよ、戦争は終わりです。」
「やがて正午、はげしい雑音に包まれたなかから、その声が聞こえはじめた。(略)
「……万世のために泰平を開かん……」(略)
「どうしたえ。戦争、どうなったというのだい?」
「いえ、たったいま、戦争が終わったのです。わたしたちの朝鮮は、これから独立するのです」p9

 この中学生はなぜ放送前から放送内容を知っていたのか。彼は日本人ではなく朝鮮人だったから、植民地支配への抵抗の意識を持ち、日本支配の終わりを切望していただろう。当時の中学生は知的エリートである。で西欧近代の文学や思想を学ぶことは直ちに、日本支配への抵抗意識の萌芽を持つことになる。中・高等教育自体、日本が与えたものであり、皇国主義的教育がなされていたにも関わらず、反発する生徒の方が多かった。

 もちろんこれは小説ではある。1964年から68年までに日本で日本語で在日朝鮮人作家金達寿によって書かれた『太白山脈』という小説である。ただ私は、815以後の動乱及びその時の市民の一部の気持ちを報告しているかのように読んでしまった。

 815の放送を聞いて多くの日本人は呆然とするばかりで、新日本建設と勇み立った人は居なかった(2,3ヶ月後には出てくるが)。三木清が獄中死するのは9月26日と敗戦42日後であるが、その時まで彼を獄から奪還しようと押しかけた人はいなかったのだ。日本の統治機構の正当性が少しでも揺らいだことは本土ではなかったということだろうか。

朝鮮人の場合は、「わたしたちの朝鮮は、これから独立するのです」という明確な意志を持った人が(絶対数はそれほど多くなかったかもしれないが)居た。大日本帝国の支配が米軍中心の支配に横滑りすることを日本人のすべては受け入れたが、それは韓国人には受け入れ難いことだった。日朝一体という美名の下の日本支配が破れた以上、次の支配者は朝鮮(韓国)でなければならないことは自明だった。 

 もう一冊の本を読もう。『太白山脈』(趙廷來・チョウジョンネ)全10巻の最初の巻から。1983年から1989年まで、韓国で韓国語で書かれた作品で、作品名が同じなのは偶然。

「その日、八月十五日は右往左往しているうちに過ぎ去った。十六日もさまざまな噂が乱れ飛び、人々が不安気な顔で目を見合わせているうちに日が暮れた。ところが腸(はらわた)にしみいるような農楽隊が演奏する銅鑼(どら)や太鼓、ゲンガリ(鉦)の音が鳴り響き、思わず踊りたくなるような軽やかなリズムが湧き起こったのは、十七日の朝からだった。村の神木の下で農楽隊を幾重にも取り囲み、ぐるぐる回り、ひと塊になって踊っていた人々は、遂に町へ町へと繰り出した。

 町の通りという通りは村々から集まってきた農楽隊と人々でごった返し、町の人々までもがその渦の中に巻き込まれ、興に乗って踊り狂い、歓喜に満ちた叫び声を上げた。ケンガリが早い調子で音頭を取り、それに負けじと銅鑼や長鼓(チャンゴ)、さらに太鼓や小太鼓も必死になって後に続いた。農楽隊のその息もつかさぬ早い調子に合わせ、多くの人々は一つになり、何かに憑かれたように踊りまくった。そんな彼らの顔は笑ったと思ったら泣き、泣いたと思ったら笑いながら汗だくになっていた。くたびれた木綿の服もじっとりと汗で濡れていた。

何かに憑かれたような、人々のそんな姿を眺めながら、安昌民はぐっとこみ上げてくる、胸がはりさけんばかりの喜びをともに分かち合っていた。
(略)
(略)人々は解放を一日中農楽の拍子に合わせて踊ったり、涙ぐむことで終わらせはしなかった。村々の長の首をすげ替えることから始めて、その影響力を町にまで広げてきた。警察署はもちろんのこと、すべての官公署から親日派や民族反逆者たちを追い出し、手の汚れていない者を新たにその任に就けよと言って示威運動を繰り広げた。そして、あちらこちらの村で親日行為をした者や悪質な地主たちが報復を受け始めた。p399」

 815から一日半、不安とためらいの時間を過ごした後、十七日の朝から人々は踊り始める。村の神木の下での農楽隊の踊りは大きくなり、そのまま町へ町へと繰り出していく。町ではケンガリ、銅鑼や長鼓(チャンゴ)、と言ったリズムがさらに早くなり、踊りは憑かれたように続く。それは長い間、日本帝国主義とその手先になった親日派の軛の下でひたすら耐えてきたエネルギーが一挙に爆発したのだ。そしてそのエネルギーは遅滞なく、地域の支配者たちに向かう。村々の長の首をすげ替え、警察署、すべての官公署から親日派や民族反逆者たちを追い出す。

「人々は自然に一つになり解放の喜びを分かち合った力を、新しい社会と新しい国作りに向けていった。安昌民は、その正確な判断と統一された自発性と迅速な実践力に驚かずにはいられなかった。
(略)
人々のそのような自発性によって建国準備委員会と治安隊が組織され、建国準備委員会の支部は直ちに、人民委員会と名称を変えた。人民委員会のさまざまな機構に、親日派や民族反逆者たちが近寄ることすらできなかったのは言うまでもない。五万はいるであろう筏橋の人口の九割が農民であり、その農民の八割以上が小作人である彼らが、人民委員会に望むものが何であるかは明々白々だった。それは土地問題の迅速な解決だった。その要求と共産主義革命とは寸分違わず合致していた。開放された国土の雰囲気はどこも一緒で、それはまさに、革命に通じる道だった。人民は、革命イデオロギーの巨大な燃料タンクとして、点火されるのをひたすら待ち焦がれていたのである。」

 人民委員会によるほんものの革命が始まる。革命の原理は簡明だ。人口の第多数は貧しい小作農民である。自らが耕している土地を無料でまたは安価で自分のものにさせる、それが土地革命だ。これにより共産党は農民たちの強い支持を獲得することができた。毛沢東の共産党軍も同じだが。
 趙廷來・チョウジョンネは、この人民委員会の革命に肯定的な立場を取っているようだ。全斗煥政権下に書かれたときには、危険を犯していたということだろうか。

 金達寿氏の本に戻る。(p206)
「あの(八月)十六日の大デモンストレーションにしてからそうだが、民衆はまず、われわれの閉じ込められていた監獄の門を開かせるとともに、それまで屈することなくたたかいつづけて来た自分たちの指導者をさがしもとめた。(略)ソ連軍とともに金日成将軍がソウル駅に凱旋するといううわさがつたわり(略)このときから、八.一五以後のわが朝鮮の進路ははっきりときまったといっていい。つまり、共産主義者と社会主義者が先頭に立って、独立と革命を同時に、しかも即時に遂行するということだった。」


「はっきりきまった」と言っているのは共産主義シンパの作中人物である。

「全国いっせい蜂起するかたちで、いたるところに各級の人民委員会がつくられ、労働組合が結成され、農民組合が生まれ、青年学生が組織され、婦人が同盟をつくり、国軍準備隊という軍隊までがつくられた。(略)九月六日には、このソウルで中央人民委員会が結成され、朝鮮人民共和国が宣言された(略)。」


 しかし、翌日九月七日に米軍司令部が朝鮮における軍政実施を宣言する。その時点で、朝鮮人民共和国ないしそれに準ずる左派ないし民族主義的勢力はすでに各種組織なども整備しつつあり、米軍司令部の支配に強い抵抗をする力を持っていたわけだ。
 金達寿氏の本は翌年十月くらいまでを扱う。かなり無理があった米軍司令部による支配がいかに勝利していくかを描いているとも言える。

 一方、趙廷來「太白山脈」は。光復から3年後、1948年10月からの、全羅南道宝城郡の小さな町・筏橋(ポルギョ)での、左派活動家・パルチザンたちの活動を描く大河小説である。1948.4.3済州島民の蜂起、5.10南部単独総選挙、8.15大韓民国成立、9.9朝鮮民主主義人民共和国建国という大きな動乱。人民による国家を志向する巨大な運動、10月はその落日が見え始めた時期とも言える。
 さきほど引用したのは、その小説の1巻の終わりの部分で、登場人物が光復直後を回想するシーンである。(私は1巻しか読んでない。)

民主主義とは民衆による支配であるわけだが、実際の民衆、生きて苦しみ喜ぶそのような直接的レベルの民衆が、踊り狂い、その熱狂のままにいわば一般意志というべきものを形成し支配する。実際にあったこととどの程度近いのかは、分からない。しかしそのようなユートピア的支配を十全に描き美しいと思う。

しかし、「これから独立するのです」という断言を実現することができたそのようなことがあったとしても、それは長く続かず、米軍のような外部の暴力に圧迫され、また朝鮮人内部の対立、裏切りなどで、悲惨な流血がこれから積み重なっていくことになる。
趙廷來・チョウジョンネの描いたユートピアはユートピアに終わることが確定している以上、わざわざその70年前の夢を引きずり出して確認することは意味のないことではないか?という気もする。しかし、絶えざる民主化闘争とそれに対する苛烈な弾圧という数十年を耐え抜き、民主主義の現在を形成することができたに至った韓国の歩みは、やはり尊敬に値するものだろう。趙廷來が描いたヴィジョンといったものの変奏が、民主化闘争の困難な歩みを支え続けたということがあっただろう。1980年ごろから、左翼的思想を社会から追放しそれでやっていけると信じた日本社会が、進歩に逆行し信じられないほどつまらない社会になってしまったことを考えるとなおさらだ。

 革命の夢は必然的に挫折する。しかし私たちの現在が教えることは自由な民主主義も、時として低レベルの国家主義やシニシズムと合体し、救いがたい行き詰まりに陥るということだ。
 私たちがふたたび革命の夢を見ようとすることは、かならずしも愚かしいことではない気がする。(何をもって革命と言うのかを、空白にしたまま言うなら)

参考:在日朝鮮人作家列伝 01 金達寿(キム・ダルス)  林浩治氏 による「太白山脈」の紹介
https://note.com/torabuta/n/nd4bdeeba288c#yH8vY

私はむしろこの時代の歴史の事実経過を知りたいという動機が強かった。したがって、上記ブログからこの部分を引用しておきたい。
「小説では、金達寿がこの時点では金日成を強く支持し信奉していたため、朴憲永ら南朝鮮に於ける共産党指導者の名はほとんど出てこないが、46年9月のゼネストや、大邱を中心に農民を加えた十月人民抗争の指導者として朴憲永はアメリカ軍政当局に追われ越北して逃れる。」

待ってくれているお母さんからオープンレターまで

荒木優太氏の 文学+WEB版の文芸時評(第九回)
https://note.com/bungakuplus/n/n92fe85d1f32f を読んで、twitterに
オープンレター署名者が「オープンレター騒動で〈呉座勇一は悪い奴で解職されるのも当然だ〉とする立場」だとするのはいかがなものか。https://twitter.com/noharra/status/1494961188186505228

と書き込んだところ、荒木氏からそうは書いてないと反論があった。

(なお、「このオープンレターは、この問題(呉座氏女性差別発言問題)について背景にある仕組みをより深く考え、同様の問題が繰り返されぬよう行動することを、広く研究・教育・言論・メディアにかかわる人びとに呼びかけるものです。」が、このレターの趣旨である。2.22追記)
そこで、荒木氏の文章を改めて読んでみた。

荒木氏はコンビニの「お母さん食堂」に対する批判を取り上げているのだが、オープンレターの中心人物である北村氏が、2015年に行った「ご飯をつくるおかあさん」批判は取り上げていない。これがきになったので探すと、北村氏の批判とその対象の本文が両方ともでてきた。そこにさかのぼって、ゆっくり考えてみよう。

北村発言。:「https://saebou.hatenablog.com/entry/20150725/p1
 私が一番「これは全然ダメだ…」と思ったのは、「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」がいることを平和な世界の象徴として訴えていたところである。これは自分の経験に基づいているのだろうが、全体的にものすごく家庭を守る母(「両親」ではない)とその子どもというイメージに依拠しており、はっきり言ってこのスピーチで提示されている「平和な家族像」というのはむしろ首相とその一派が推し進めているものに近い、母親が家にいて子どもを育て、家事や炊事をするという保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジーだと思った。」

これにはちょっと難しい問題があるかもしれない。

「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生えない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。
 https://iwj.co.jp/wj/open/archives/254835」
 その女性は芝田さんという方で全文は公開されている。

小さな公園で幼児がよちよち歩いているのを見ると微笑ましい気分になる。数年前シリア情勢のニュースよく見ていた頃に、そのような情景を通りすぎると、公園全体が爆弾で破壊された情景を幻視することがあったほどだ。最近も午前10時ごろ公園で10分ほど過ごし、そうした幼児とお母さんの情景を十分に堪能した。ただウィークデイの日中でありかっての私の子どものような子は、ずっと保育所に居るはずだ。「幼児とお母さんの情景」自体をまつりあげると、確かに北村氏の言うような危惧は生まれる。
保育士は一度に多くの子どもを見なければいけない条件があるだけで、よちよち歩きの幼児の可愛らしさ自体を感じる情景を切り取ることはできるだろう。ただ私が見た公園では保育園児は見なかっただけだ。

思ったより整った文章だね。ただコピーライター風の達者さがあるので、北村氏の批判に根拠をあたえてしまった。言葉を超えた自分の常識である平和を描写したかったのだと思うが、CM映像のような情景を重ねてしまった。「母親が家にいて子どもを育て、家事や炊事をするという保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジー」とは直ちには思わないのだが。雄弁であろうとした時に、自分の実感をポピューラーなイメージに引きつけて表現したのだろう。

「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」をうたい上げることが、「保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデル」の強化という政治的効果を持つ、と北村氏は言っているだろうか。
そう言っていないわけではないが、彼女の力点は、そこにはなく、「安倍を倒せ」をスローガンとする運動において「保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデル」にのっとったプロパガンダをすることは矛盾している、そのような問題意識を持って欲しいということだろう。

荒木氏は「おかあさん食堂」「ナチっぽい衣装」「ブラック企業」の例を上げ、「文言やイメージの流通それ自体が、差別的結果に結ばれる可能性がある――と見做される」論理のあり方を問題にしている。
これは行為の動機ではなく結果に照準するべきだとする責任観(北田暁大の言う「「強い」責任理論」)に立っていることだ、というのだ。
ナチとブラックについては、反ナチやBLMがその思想を広げる為に、それを許容している社会常識に挑戦しているのだ。おかあさん食堂も同様だろう。
つまり「この社会にはユダヤ人差別が、黒人差別が、家父長制的家族観がしみついている」という前提に立ち、それを強化するような、あるいは確信的にそう唱える言説に反発しているわけだ。そのときその言説が求めている結果とは何だろう。もちろん、ユダヤ人差別、黒人差別、家父長制の終焉である。しかしそれはあまりに巨大な目標でありすぐに達成できるといったものではない。私が詳細に検討した2015年の北村氏の批判も同じである。

荒木氏の文章は私にとって分かりくい。その原因は、この「結果」というものについて荒木氏が私とはまったく違うものをイメージしているみたいだ、という点にある。

志賀直哉『城の崎にて』での、川向うで休んでいたイモリをちょっと驚かせたいがために石を投げた行為が取り上げられる。この行為に対して、主人公の投石行為が(その前段にある鼠に石を投げる行為への)遅れてきた模倣欲の発露なのではないか、という解釈が書かれる。
「「マイクロアグレッション」でもいいし、最近の新語だと「トーンポリシング」でもいいのだが、人が用いているのを見ると自分もまた使ってみたくなるものだ。」そして最近のフェミニズム界隈の事例に戻る。

「結果」は何かと言うと、『城の崎にて』ではそのつもりではなかったのにイモリを殺してしまったこと。そしてここでは取り上げなかったが、「オープンター騒動」では、「呉座氏が解職されたこと」である。
オープンレターは解職を後押しするため書かれたものではない。したがって、オープンレター署名者が何らかの責任を感じる必要は一切ないのは自明だ。しかし荒木氏のこの文章は、非常に巧妙にそれを暗示しようとして、かなりの成功を収めている。ちょっと問題が在ると感じる。

「おかあさん食堂」「ナチっぽい衣装」「ブラック企業」そして荒木がなぜか取り上げなかった「ご飯をつくるお母さん」批判が、獲得しようとした「結果」はすべて、そのような(それぞれ違った差別の)不公正の是正である。それはオープンレターの文面にも繰り返し書かれていることだ。
ところが、荒木氏は何の関係もない志賀直哉『城の崎にて』を突然取り上げ、獲得しようとした「結果」が普遍的なものではなく、「解職」であったかのように文章を書いている。
文章はいつも普遍的な思想や美をテーマにするが、俗人はそれをなにかの具体的事件と結びつけて邪推する。文章の効果(結果)についてこのような詭弁を書いていると、いつかは文章家である自分自身がつまらない因縁を付けられる危険性がある。そういう可能性は十分あると思うけどね。

追記:
「オープンレター」でgoogle検索すると、一番上に、古谷経衡氏の文章が来て、2、「アゴラ編集部」の記事、3、78件のtogetterのまとめ 4、小山晃弘(狂)氏の文章、5、「オープンレター差出人・賛同人から離脱・撤回した人らまとめ」 6、でようやく「女性差別的な文化を脱するために」という「オープンレター」の本文がある。
卑小な論争(ケチつけ)の地平に足をとられたくないので、私は1から5までは読んでいない。とにかく、現在「オープンレター」はバックラッシュの大波に飲み込まれたかのような状況である。わたしはオープンレターそのものよりも、オープンレター批判を否定することに興味がある。従軍慰問題そのものよりも、従軍慰問題を避妊しようとする言説を否定することに興味があることの連続性で。
新進の批評家としての荒木さんには今までも学ばせていただいたし、嫌われたくはないのだが。(2.22追記)