裁判提訴してみたい!

「ひるね通信(紙版・7号)」        2016.1.16
 裁判提訴してみたい!

 私は現在62歳です。60歳で定年退職し、年金の受給権と退職金をすでに貰いました(60歳の次の年度からすぐ年金貰えた最後の年)。さらにその上に38年間勤めた会社(兵庫県)で「再任用」してもらっています。世間一般から言うと恵まれた身分のようで、この上雇用者(兵庫県)に文句を言うなんて、非常識だということになるかもしれません。確かに役所及び今まで私を支えてくれた同僚に対して感謝の気持ちもあります。しかし、40年以上兵庫県で働くなかで、組織の上の人の常識に従い仕事をしていくことが本当は市民のためになっていない、むしろ組織のなかで組織のオカシイところを追求し声を上げていくことの方が正しいのではないかと、私は気付きました。
 しかし兵庫県のなかでそれ(例えば人事課)と闘うのは、不利益が予想されるため難しいことです。本当に具体的な不利益が予想されるというよりも、やはり「いわば非国民に」なっていくことへの恐れがあった、と思います。しかし現在私は「再任用・3年目」です。おとなしくしていても月15万円の仕事があと2年間得られるだけなのです。失うものが少なければ臆病者にも、「たたかう」ことは可能なはずです。このように考え私は「たたかう」ことを決めました。

 定年退職後、2013年4月から同じ兵庫県で週3日勤務の「再任用」雇用に入る予定でした。ただちょうど、2013年度から「被災地支援任期付職員」というものを兵庫県が初めていて、兵庫県が雇用者になり東北大震災被災地(宮城県)のそれぞれの市役所に1年間の任期付職員として勤務する制度(ただし継続雇用あり5年まで)が作られたので、それに応募・採用され1年間宮城県塩竈市の市役所で勤務しました。1年後には「再任用」として戻って来ることに内諾を得た形で1年間だけ行っていたのです。2013年の暮れ、来年度の希望調書提出の時に、私にとって衝撃的な事実を知らされました。
 それまで「再任用」は週3日勤務でした。これは私が知る限りずっと(20年ほど前から)です。ところがそのような一日7時間45分×3日という勤務形態は2013年度からなくなった、来年度からは一日6時間×4日という勤務形態しか認めなくなったと言われました。苦情を言おうとしましたが譲歩の余地なしと言われたので、仕方がないので、一日6時間×4日を承認し2014年度は雇用して貰いました。2014年の暮れも同じことを繰り返し、一旦一日7時間45分×3日という希望を出したが撤回し一日6時間×4日に訂正して2015年度は雇用して貰いました。
 週3日ではなく週4日勤めろ、しかも(一日あたりの)勤務時間は減らして、(週合計で)概ね同じ時間だから良いだろう、とする提案は、私には「納得してはいけない」ものを感じました。
 多くの人は60歳まで週5日間勤務を当然のこととして何十年も過ごします。(私の場合は61歳までそうだったわけですが。)辛くても辛くなくてもとにかくそれが当たり前であったわけです。だから、62歳から週4日と言われても受け入れられないわけではなく、週3日より逆に受け入れやすい可能性もあります。しかしそのような発想、週5日フルタイムで働くのが当たり前であり、そうでなくても出来る限りそれに近づける方が良いという発想は、あまりにも労働中心主義的ではないでしょうか?
 それにいずれにしても、「再任用」が認められるのは最大で65歳までであり、終わりがあるわけですね。仕事や収入だけが人生の目的と中身であるのなら、それが終わった時点で人は人生の抜け殻の時間に向き合わないといけなくなる。そうならないように完全退職までの5年間の準備期間において人は、仕事以外の人生を開発していかなければいけない。これまで週3日勤務、4日休みであったので、趣味であれ勉強であれボランティアであれ地域活動であれそれぞれ自分を発揮していく分野を発見できていた、と思います。しかし今回週4日制の強制というのは、当局と職場に都合が良い働き方しか認めないことであり、それを納得するのは当局と職場に合わせて生きるという今までと同じ生き方を肯定することです。
 これはどうしても納得できないことでした、私には。

 もともと仕事はお金と引き換えに時間を売るだけの行為のはずです。しかし何十年も雇用関係が続くと、しごと自体が人生であるかのような勘違いが、働いている側ににも雇っている側にも生じてしまいます。定年後短時間勤務において、それは半分は解除されるべきであるのに、そうならず、逆に労働者として弱くなった分だけ、雇用者のいうがままの条件を受け入れないと雇ってもらえないことになる。
 人事課の若い職員の態度には、自分がこちらに押し付けている価値観に対し私が反発してくる可能性とか、そういう発想がありうる事自体を一切考えたことがないといった「素直な傲慢さ」といったものがありました。それが私にはガマンできないことでした。

 裁判提訴する事自体はそれほど難しいことではありません。(裁判を継続的に展開してくのは難しい)損害賠償の民事訴訟の形を取れば裁判として成立させることはできるはずです。(弁護士なしで訴訟したいと思っています) ただ、私の境遇と問題意識がすこし特殊なため、みなさんの理解と支援を得られにくいのではないかと思ってそれが心配で、ビラ作成などできずにいました。
 こんな私ですが、いくばくかの関心を持っていただければ幸いです。

弯曲していく日常

弯曲していく日常の、第2期を始めよう。

読者が誰もいない。今後増やせないと意味がないが。
でもまず、自己との対話、作品化への努力が必要かもしれない。
まずは、(旧)はてな からのインポートをしてしまおう。