台湾/香港/国家観念

『思想』2021年10月号の「帝国の非物質的遺留――台湾と香港の被占領経験の相違について………鄭鴻生(丸川哲史訳)」を読んだ。
それなりに面白いことを書いているのだが、なんだ結局、親中派、反香港騒動(2019年-2020年香港民主化デモ)にもっていきたいのね!という感じ。#丸川嫌い
思想の言葉で、倉沢愛子氏は、日本人が現地人、アジア系外国人を使う時に、「微妙に隠され、表立って問題視されない発言の背後に、「上から目線」に起因する蔑視や潜在的差別意識が忍んでいる。実は私だって、偉そうなことを言っているが、気づいていないだけで、無意識のうちにそのようなことをしているケースはたくさんあるのだと思う。」と述べている。これは現代日本人として考えなければならない点だ。https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/5290

香港は1842年に、台湾は1895年に植民地になり、住民は近代化に巻き込まれていく。1945年光復と1997年返還時、台湾香港の中上層市民たちは近代の帝国が与えた植民地近代をたっぷり味わっていた。それから見ると母国は遅れて見えた。この意識を端的に表すのは、国民党軍を嘲笑する「蛇口の物語」である。植民地モダニティを持った台湾香港の市民は植民地モダニティを与えられ、母国の遅れに対する差別的心理を持つことになった。(『無意識の優越感は日本人のような「先進国人」だけが持つものではないのだ。)
まあそういうことはあるかもしれないが、巨大な香港民主化デモをそうした差別意識で説明することはできないだろう。民主主義、あるいは「自分たちのネーション」に対するどこまでも熱い思いがそこにあったはずだ。
しかし、鄭鴻生はそのような理解はしない。中国人の民族と国家を獲得するための戦いは抗日戦争でピークを迎える。左派あるいは右派という形で「国家観念を持つ」ことになった。この「国家観念」に基づき鄭鴻生は「民主派」を国家観念の欠如と決めつける。
五四運動以来の新中国を模索する革命的運動を警戒した英領香港政府がかえって漢文書院系の教養を重視したという経過によって、香港の政治文化の土台たる広東語の豊かさが形成される。それ以後も戦後75年さまざまな経過を消化しつつ香港の政治文化は営まれてきたことを自身は的確に語っている。中国共産党(あるいは国民党)に求心するべき「国家観念」だけを基準に裁断することができるものではないことは、この論文を読むだけでも分かるのだ。

香港民主化デモの巨大なうねりは、中国共産党勢力の厳しい弾圧によって現在見えなくなっている。中国や日本といった大きな主語(国家観念)によってだけ歴史を語ろうとすることは、歴史と民衆のダイナミズムを取り逃がしてしまうのではないだろうか。