3月の告発者はまだ死なない

 今年の3月に、その月末で退職予定の兵庫県の西播磨県民局長が内部告発文書を配布した。県民局長は兵庫県という組織では幹部になる。渡瀬康英さんと言われる。

 内容は①五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯 ②知事選挙に際しての違法行為 ③選挙投票依頼行脚 ④贈答品の山 「斎藤知事のおねだり体質は県庁内でも有名。」とある。 ⑤政治資金パーティ関係 ⑥優勝パレードの陰で ⑦パワーハラスメント と列挙されていた。https://news-hunter.org/?p=21743 にその文書あり。

 しかし、斎藤知事はそれを認めず、最初は「職員の信用失墜、名誉棄損、法的課題がある。被害届、告訴も考えている。内容はウソ八百だ。ありもしない内容だ。」と激怒し、県民局長から降格させる処分を決定、退職を認めなかった。その後、停職3か月の処分とされた。

 当初マスコミなどの動きが鈍く、このまま握りつぶされるかと危惧されたが、丸尾県議と自発的に立ち上がった市民によって職員へのアンケートも行われ、その後おおむね事実であることが確認されつつあった。県庁内部の調査では真実にたどり着くのが困難であるため、県議会によって調査権限が強い百条委員会が設置された。ところが彼は7月7日に死去されたらしい。いたましいことだ。

 兵庫県のような大きな組織で知事の行動を真正面から批判することは部下はしないものだ、と思われている。ところが今回渡瀬氏は、知事の言行が自分の常識からみて到底許せないものであったため、告発に踏み切った。3月末で退職すれば、その時点で県との一切の権力関係は切れる。自分に大きなダメージはないだろう、と判断したのだろう。また4月になってから告発したならそれはあくまで元職員からの告発に過ぎず衝撃力が弱いと判断したのだろう。つまり3月の告発というのはベストのタイミングである。

 私がこのことを強調するのは、私自身それを実行したからだ。

「NOを言うこと」は必要だ 、という私のサイトがある。http://666999.info/AYGX/

2016年2月5日に、私(当時再任用中)は兵庫県を訴えた。

「NOを言うことができる最後のチャンス(例えば64歳のとき)にNOを言うべきだ。」と私は書いている。訴えの概要は、こちらにもあるが、再任用=週3日だった制度が、週4日しか認めないと制度変更されたことに異議申し立てしたものだ。http://666999.info/AYGX/sitai.pdf

 内容よりも私が反逆したかったのは、「(知事or)兵庫県としての決定を真正面から批判することは部下はしないものだ」という常識である。もちろん自分の主張に自信があれば、3月までとか64歳までとか待たずに、そのときに直ちに行動すべきであろう。しかし実際には職場で何十年も村八分に耐え続けるだろう行為に踏み出すだけの勇気は私にはなかった。結果的にはこの裁判は勝利的和解を勝ち取ったので、別に待つ必要はなかったわけだが。ただ私は、1970年に神戸大学から懲戒免職になった松下昇の思想的影響を受けていたので、自分の行動が世間に受け入れられる可能性を信じていなかった。敗北だろうがそれでも反乱するという選択肢として〈3月の反乱(告発)〉というスタイルを編み出したのだ。

 渡瀬氏は2015年に人事課長だったらしい。私の訴状を彼が受け取った可能性は強い。しかも彼は京大法学部卒で私と同じらしい。ごく少数の人しか読まなかった訴状とHPを彼は読んだ可能性が高い。彼の行動に私が影響を与えた可能性はゼロではない。ということは私は彼の死にも責任があるわけだ。

  私は3月から渡瀬氏のニュースを知りながら、自分のこととしては捉えず、スタンティングなどに誘われても行かなかった。しかし、彼が死んだ今後悔している。自分ができることはなるべくやっていきたい。 (西宮市 野原燐 noharra@666999.info:メール)

全てが討論に参加しそして決議し行動する

   「X団」顛末記 を読んで

(1)

 『ゲバルトの杜』という映画を見た。この映画がよい映画だったのかどうか、良くわからない。なのでこの感想は書かない。当事者(登場人物)の一人、野崎泰志さんが書いた長い回想が、インターネットにある。「「X団」顛末記―樋田毅著『彼は早稲田で死んだ』に寄せてー 「正しく公正で確かな力(村上春樹)」は私達の言葉にあったかー」https://ynozaki2024.hatenablog.com/entry/2024/05/09/231009 。
https://ynozaki2024.hatenablog.com には他の記事も精力的に追加されている。)

 広義の全共闘の時代の青春と正義を描いたドキュメントとして(かならずしも読みやすくはないが)稀有のものだと思う。以下に感想を書いてみたい。

「1972年11月8日の夜、早稲田大学文学部キャンパスの学生自治会室で、当時二年生の川口大三郎君(20歳)が学生自治会の革マル派によってリンチ殺害された。」
 それに怒った早稲田数万の学生は立ち上がった。学生たちの目的を二つに整理することができる。革マルによる暴力支配を終わらせることと「自治会再建運動」である。
 川口くんの属した「第一文学部の学生は先頭を切って学生大会を開催し、その自治会(革マル系)をリコールして臨時執行部を樹立した。その委員長が『彼は早稲田で死んだ』を上梓した樋田毅氏、副委員長が私(野崎)だった。」

 学生たちは、革マル派の暴力支配に抗しつつ運動を続けて行こうとする。ただし、学生たちのあいだにも思想傾向の違いがあった。当時の膨大な資料を再構成することにより野崎氏は、自分たちの思想(行動と不可分な)を、他の二つの潮流から区別していく。

「行動委員会とは、個々人の主体的な決意を基本とし“自立・創意・連合”の原則で進んでいく」そうしたもののようだ。わたしはその心意気に、50年前に出会っていたら同感しただろう。

 そのとき、野崎氏たちの前にあった課題は明白だった。友人だった川口くんが殺された。それをなんとかしないといけない。復讐の情念に似ている。しかし革マル派への憎悪だけに収束してはいけない。また革マルを否定する党派(例えば中核)を志向してもいけない。(セクトを志向することは、自分だけで考えるという態度を捨てること、思想をセクト中央に委ねることを意味する。)自分が自分として生きることを模索するという青臭さを引き受けること、そのように野崎氏たちは出発した。

 ただ〈行動委員会〉的なものは、野崎氏たちにとって次第に違和として現れる。この野崎氏たち(後にグレーヘルメットのx団として表れたもの)と〈行動委員会〉的なものとの差異は微妙なので、抽象的なものである言葉で捉えるのは難しい。1971年に大学に入学した、同世代である私には分かる気もするが。

 ある種の大人たちからはそこに思想の根拠を置いてはいけないと嘲笑される即自的なものに、野崎氏たちは依拠する。クラスがそれだ。
「私は徹夜でクラス決議案を書いた。
 11月10日金曜日は大学が休講措置をとった。それを知らず級友がいつも通り20数人集まった。クラス決議案を討議し一字一句修正した。私は後に引かない覚悟で、賛同の者の氏名を列挙すると言った。」
 正確には、〈クラス討論〉という開かれた討論空間であるが、それは友情(なかま)という即自性の強い共同性でもあった。開かれた討論空間であるとは、世界を包括しうるということである。この楽しみと喜びにとらわれた野崎氏たちは、稀有なことだろうが膨大な暴力がうずまく大学のなかで、それらとは別の次元の〈クラス討論〉空間をかなり長いあいだ維持することができた。クラスとは大学の制度内の集団という平板な意味ではない。ひとつの世界に開かれた共同性であるのだ。そのとき交わされた討論が意味あるものであれば、それは数十年後にもためらうことなく再開することができる。出版〜映画化〜いくつかのブログ〜SNSと討論は再開されつつある!

『行動委員会とは、個々人の主体的な決意を基*とし“自立・創意・連合”の原則によって各人の、各クラスの闘いとエネルギーを能動的に機動的に結合してゆく連動体である。全てのクラス・サークルで行動委員会を創出し臨執を守り、臨執の闘いを実体的に保*し、共に闘いを進めてゆかねばならない。
何度でも云う。我々の闘いは生み出されたばかりである』x2-2

 ここで定義された〈行動委員会〉は“自立・創意・連合”の原則(つまり開かれた討論空間)であり、またクラス・サークルというたまたまであった友人たちの即自性に依拠するという点で、野崎氏たちと同じである。

 しかし、野崎氏は第1章すべてを費やして〈行動委員会〉的なものと自分たちの差異を確認しようとする。
〈行動委員会〉の原理は、「やりたい者がやりたい事をやる」という全共闘方式で、学生自治会の基盤としての民主的クラス活動とは異なる。」と野崎氏はいう。自分たちは自治会再建運動をやっているのだであり、全共闘方式とは違うというのである。

 第一文学部学生自治会の9原則(野崎氏が書いた)というものがある。

  1. セクトの存在は認めるが、セクト主義的ひき回しは一切認めない
  2. 革マル派のセクト主義に対して、我々は大衆的な運動・団結をもって彼らの論理と組織を糾弾していくのであり又、そうでしかあり得ない
  3. 我々はセクトに所属している人間というだけで、その人の主張を無視してはならない。我々は具体的な事実、主張の下に初めて批判を行なっていくべきである
  4. 意見の違いは大衆的な討論の場で克服していく努力をする
  5. 我々の運動の質・形態・思想は常に運動の中から生み出され大衆的に確認していかねばならない(以下略)  

 革マル派糾弾を掲げつつ、(そこに属していたとしても)その人の主張を無視してはならない、と主張しており、討論空間の権威を誇っていると読める。


 このように討論を大きく重視する場合、現在考えてみると問題点を指摘することもできるだろう。

発言できないもの、障害者、幼児、病者などなどサバルタンの存在をどう見るかという問題。

また、運動、大衆的という言葉の圏域に立つなら、村上春樹や文学、孤立、死といった問題を包括できないのではという問いもある。

現実的問題としては、全共闘体験者(66〜70年入学者?)がすでに直面していた卒業/就職問題にまったく触れることができていないという問題がある。(松下昇の祝福としての0点は、たしかに一つの回答ではあった。東アジア反日武装戦線の反日も。)(なお、反日といってもテロとは限らない、単に肉体労働者としてその日ぐらしをする、桐島聡のように、もりっぱな反日だろう。)

 〈行動委員会〉的なものと野崎氏たちの分岐は、具体的には、一文行動委連合(準)略称LACなどと臨時執行委員会との分岐である。つまり「行動委員会とは第二次早大闘争の生き残りの世代の3・4年生中心に立ち上がった活動家の集合であり、同時に革マル派と敵対していた政治党派の活動家(手書きビラの書体と語彙で当時は分かった)の寄り合い世帯で」あり、臨時執行委員会とは1,2年生だった。
「3・4年生で行動委に結集した学生はクラス活動の基盤をほぼ持っていないという背景があった。語学クラス単位で行動した1・2年生はクラス討論を基礎に自治会再建に取り組み自治委員をほとんど選出した。この自治委員選出率、一年73%、二年75%、三年39%、四年0%と云う数字にも、行動委員会が自治会再建に淡白で直接行動に傾き、1・2年生が自治会再建運動に重点を置いていた当初からの関係のねじれが見て取れる。」
 自治委員選出率の極端な落差は、大学というもの(それをどう捉えるにしろ)への親和感を3,4年生はほとんど失っていたという問題があったのではないか?1,2年生はクラスの即自性に夢を託する余地があった。
 実際、3年U氏と4年K氏はクラス自治委員として選出されなかったので、執行部からはずされた。

 規約改正委員会(野崎氏たち?)の次のことばは美しい。
「各個人の自発性に根拠を置き、自由で豊富な人間関係を確かに、また持続的に組み上げていく努力を通じて、問題意識が(それは心のなかに不安として、痛みとしてある。)交流し、真実の共同的努力のうちに、自立的な人間へと相互に高めあっていくことが、自治の内実ではないだろうか。

〈行動委員会〉的なものと野崎氏たちの分岐を、表現された文言のうちに伺うことは困難だ、とも言える。それはむしろ彼らの存在様式(1,2年生はモラトリアムを許されていた)から来ていた。

 民青系の学生が立候補してもよいか?という問題があった。9原則の「3. 我々はセクトに所属している人間というだけで、その人の主張を無視してはならない。」からは、許容するという考えになる。自治会再建という目的のためには、民青も受け入れるとする。
この50年の経過を見ると、9原則派の方が正しかっただろうと感じる。血みどろで対立してしまえば、人間的にはその後の和解は難しい。しかし、ある具体的局面で敵に対峙するとき第三勢力として日本共産党や中核が居れば、共闘の可能性に開かれているべきだろう。自分の思想を守るためにそこで孤立を選ぶというのは間違いだろう。大事なことは自分の思想ではない。開かれてあることである。巻き込まれて自分をなくしてしまうなら、それはその思想が弱かったのでありしかたがない。(しかし、逆に相手にも同化を求めるなという態度は必要。)

「団交実行委員会は行動委員会系の学生が次に形成した運動体で、各学部にも作られ最後に全学団交実行委員会となる。これが後の1973年5月8日の総長拉致・団交を実行し」た。

行動委員会派は「自己否定・自己変革を通した主体性の確立を闘争の主眼とする」ということのようだ。

「地道なクラス討論を積み上げて、自治会の在り方や試験への対応や新規約など、ゼロから大衆的論議を尽くして自治会を創設していく」というクラスのニーズに、自治会再建派は立脚する。しかしそれは学費の支払いによるブルジョア的権利のなかでの友情(関係性)に、それを越えようとする不可能な夢をむりやり乗せようとしたものに過ぎないともいえる。そういう意味で、論理的・倫理的には「自己否定・自己変革」という立場の方が正しいようにも思える。

 しかし考えてみればたった2年間とはいえ、1年2年制は「クラス」という実存を生きることができるのであり、そうした学生による自治組織を希求するのは当然である。そして大学側との度重なる交渉の結果「各学部の自治会承認はその一歩手前まで行っていたのである。」

 したがって、5月8日の総長拉致・団交、つまり「旧世代の全共闘の好きなことを勝手にやると云う惰性」による運動(団交実行委=行動委員会派)が、「自治会再建と云う地道な作業を積み上げていた圧倒的多数の学生の望みを断ち切る事になる」。
これこそが、行動委員会派と野崎氏たち自治会再建派との決定的分岐となってしまった。

(2)

 次の分岐は、「武装」をめぐってのものだ。
この映画の原作とも言える本を書いた樋田毅氏は一貫して非武装派である。それに対し、野崎氏たちx団派は、最終的に鉄パイプによる武装を選択し、武闘訓練まで行った。

 これについて、野崎氏は次のように書く。73.6.17日。
「 個体としての己の生を誰も代行的に他人に生きてもらうことがありえないように、個体としての己の意思・思想・感性の表現を己のこととして貫き、決して疎外させ代行させることなく、自らの言葉を以って語っていく、——これが最低限の原則ではないのか。とすれば、己の表現を物理力をもって奪われている時に、己のゲヴァルト空間を確保し抵抗すること以外にどんな道があろうか。

 己のことばを表現を己から疎外させ誰かに代行させてはならない。同じ意味で、己の自衛権をゲヴァルトを己の肉体から疎外させ誰かに代行させてはならない。セクト主義的引き廻しを許さないと言う観点から言っても、種々のセクトやWACなどのゲヴァルト代行は、運動の自立をさまたげるだけに留まらず、思想的にも運動の敗北を決定的にするであろう。」

 この文章は魅力的である。自分で考えて言葉を発するのではなくセクトの思想・表現を(疑うことがなくなるまでに)自分のものとして語ってしまうこと、そのようなあり方を批判することこそがセクト批判であろう。であるとすれば、己の自衛権についてもそれを他人(他のセクトやWACなど)に任せてお願いするのではなく、自己のゲヴァルト行使として自己の行為とするべきだ、という主張。
革マルによる暴力的妨害をはねのけないと大学構内に入ることすらできないという事態において、防衛を他のセクトやWACにお願いするということがいままで成されていた。それを代行主義として批判し、自ら防衛すると言っている。
 ただ、ヘルメット・竹竿までは身につけることができても、鉄パイプという凶器を持つことについては覚悟がいったであろう。

「川口君の虐殺事件を機に、『反暴力』を掲げてこれまで一緒に闘ってきた同じ二年生の仲間たちが、防衛のためとはいえ、『武装』することを決めたのだ。療養中だった私は、その経緯を後になって知り、激しいショックを受けた。」(樋田毅『彼は早稲田で死んだ』、p148、166)(療養の原因は革マルの暴行。)

 革マルの暴力に対抗するために、対抗暴力としての武装は許されるか?「テロ・リンチはせず大衆の目前での公然たる暴力であること、目的が確認された暴力であること等」議論がなされた。大学に入り、学内で集会するために、防衛のための武装が必要となったのだ。

 わたしたちが非暴力で生きていますとのほほんと信じているとすれば、それは自らを覆っている国家権力の暴力を無自覚に肯定しそれに気づいていないということであろう。それが通用しない例外的状況(この早稲田の状況がそうだが)においては新しい基準が必要になるだろう。
 非暴力を貫くという樋田氏の思想は正しいだろうか。「人権として正当な抵抗権としての自衛行為」を認めることができない思想だ、と野崎氏は批判する。
 口先だけの非暴力主義が日本では蔓延している。そのような非暴力主義の蔓延はバリケードやストライキにも反対する空気を作っていって、社会運動の衰弱につながると言えるだろう。
 刑法的にも正当防衛の可能性はある。(ただし事前に鉄パイプを用意していた場合は、とっさにそこにあった何かを手にした場合より認められる可能性は低い)。防衛の意志をもって鉄パイプを持つことはあってもよいと私は考える。

 武装に反対する理由としてよく言われるのは、暴力は必ず相互エスカレートするということだ。早稲田の72年11.8から、73年9月までの経過はまさに暴力のエスカレーションであった。但し、革マルやそれに対抗した中核、青解などセクト(政治党派)の暴力と、個人の身体を基盤にしたx団の暴力はやはり違うものだろう。x団の暴力は防衛というレベルを逸脱しなかった。

 もうひとつ別の暴力については、引用だけしておく。
「ただし、X団の別動女性部隊「ウンコ軍団」はスロープを突撃して上がってくる革マル精鋭部隊約50名に対して、用意していたビニール袋のウンコ爆弾を2階の窓から雨霰と投げつけた。命中したのであろう、彼女らは女子トイレまで追われてそのドアーを鉄パイプでボロボロにされる恐怖を味わった。」

「一文学生自治会憲章「九原則」では、一言で言えば自律しか書いてない。非暴力とは書いてない。自律が侵されそうな局面で自衛的実力行使を一文学生は幾度も行った。更に必要に迫られれば自衛武装的実力行使に及ぶのは自然であろう。自分の人権は自分で守るしかない。一人一人がそう思えば大きな力になる。」が野崎氏の結論である。

「しかし、新自治会の防衛を自衛武装で試みたX団と二連協の”ICHIBUN 80”も、確かに無知で無力であったが、確かな敗北の痛みだけは手元に残った。」と最後に誇らしげに書きつける。
52年前に何があったか以上に、仲間との関係を回復し歴史を復活させるHPを作り上げるなどを仲間とともに行ってきた最近の営為によってもこの誇りは支えられているであろう。(19721108の頁

 暴力学生として唾棄されるだけの存在だという評価に、抗しうる自己史を書き留めることができた人は少ない。反革マルの闘いには真実があったし、それは表現されるべきだった。
野崎さんたちの苦闘と勇気にこころからの敬意を表したい。

(なお、早稲田大学と何の関わりもない私がなぜこの文章を自分に引きつけて読めたか。私は川口くん、野崎くんと同時である1971年4月に京大法学部に入学した。入学当初のクラス討論の空気を久しぶりに思い出してみると、そこには早稲田と同質のものがあったように思えたからだ。わたしたちは平和的に4年間を過ごすことができ卒業していった。「ブント系(赤ヘル)の全学支配のなか」と言えるだろう。悲惨な事件も時折あったようだが、あまりよく知らないままとおり過ぎていった。(民青とは勢力拮抗していた。)当時、竹本処分粉砕闘争や三里塚闘争などあったが参加せず、もっぱら本を読んでいただけだった。ただこの社会を否定・変革しなければならないという気分だけは100%持っており、従って卒業後どう生きればよいか分からなかった。)

参考:膨大な資料をまとめたサイトが二つある。わたしはまだ見れていません。
☆ (19721108の頁
川口大三郎リンチ殺害事件の全貌 というサイト。野崎さんや旧クラスメートなどが作った時系列重視の詳細なもの。

☆ https://www.asahi-net.or.jp/~ir8h-st/kawaguchitsuitou.htm
川口大三郎君追悼資料室 瀬戸宏作成・管理

追記:
 野崎さんのブログは最近旺盛に更新されているが、そのなかでどうしても引用したい部分が下記だ。
「https://ynozaki2024.hatenablog.com/entry/2024/05/17/214016
パレスチナに連帯して5月1日に本部キャンパス・大隈銅像前で約200人を集めてスタンディングデモ・集会をやった現役学生に言及し、激励し、過去の歴史に学んで欲しいと締め括ったのは、私だけだった。多分、それをやった諸君の中の20人ほどが見に来ていたと思ったので。歴史はバトンタッチされた。

 その「スイカ同盟」の集会は、早稲田大学において、おそらく私達が1973年7月に最後の学生集会をやって以来の51年ぶりの、党派によらない、学生による自発的な政治集会だと思う。見事な演説であった。」
 私たちが必死で形成してきたはずの平和のための国際秩序(国際法)のなかでその最も有力な暴力である米軍の支援の下で、ジェノサイドが行われている。私たちは抗議の声を上げることができるが、大きな不可能性の下にいる。

ケアの倫理、とは

岡野八代氏の『ケアの倫理』を読みました。
岩波新書なのに、専門書なみにむずかしい。
ケアというありふれたものは、この社会ではなぜか(というか他の国でもだが)価値がないものとされている。(介護ヘルパーなどは有償ではあるが、他の業種より低賃金である。)
岡野はケアをケア自身としてとらえようとする。つまり「自己へのケア、自己理解、自他の関係、そしてあるディレンマに立たされた文脈への注視や社会構造に対する関心や批判」といった多様な関係性のなかにあるものとして、ケアをとらえようとする。これはなかなか難しい。

この問題をどう考えたらよいのか、それは学者やフェミニストだけの問題ではない(だからみんなに読んで欲しい)、という岡野さんの熱意は伝わってくる。

ごく一部、メモを取ったので公開してみます。

ケアワークの重要性が広く認識されたきっかけは、コロナ禍だった。
内閣府男女共同参画局では、2021.4.28に詳細な報告書を出している。

コロナ下ではなぜか、女性の被害の増大が報告された。(P311)
・DV相談件数の増大
・女性・非正規雇用労働者の大量失業
女性労働者は非正規が多い、宿泊・飲食業などパンデミックの影響が強い業種が多い
・自殺者増大
A・小中校の一斉休校→ 小学校の子を持つ女性の失業率大幅増大!

なぜそうなるか?
女性の育児時間は極めて長い。小学生が在校することは女性に自由時間を与えていたが、休校になるとケアに費やさないといけない。
「経済活動とケア活動が連動しており、とくに女性にとっては、ケアの社会的分担なしには経済活動がままならないといった事実」が明らかになった。p312

・経済学者ナンシー・フォーブレ:ケア労働は、狭い市場経済をむしろ支える、広範囲で多くの人びとによって担われている経済活動である。p313
経済が潤滑に働く基盤として、保育や介護などのケアを社会的、政治的に支える必要がある。
つまり、保育や介護等も、電力などの社会インフラと同等に整備されるべき。

・経済学が外部性と呼んできた、家族やコミュニティその他の経済活動こそが、多くの財やサービスを生み出している。
人間が生きるうえで他者と相互依存したり、自分たちの心身が必要とする欲求充足のために相互行為すること、金銭を媒介しないとしても、そうした総体を経済活動とみなすべきであり、市場経済はそのごく一部。p315

・トロント:ケア責任の配分について、すべての者に平等な発言権が与えられ、自由に意見が表明でき、搾取や抑圧さらには暴力にさらされないようなつまり正義にかなったケアが行われるよう、整備していかなければならない。315
思うに、子育てを考えるなら一日労働時間8時間は長すぎ、6〜7時間にすべきではないか。

・本田由紀:仕事・家族・教育という3つの異なる領域が、市場労働の中心と成る正規労働者を生み出すために、つながり、ひとや資源を回している。
それぞれの領域:根腐れ:教育のための家庭→就活のための教育→家庭維持のための仕事
:なぜ働くのか?なぜ愛し合うひとが生活を共にするのか?何故学ぶのか?の根本が見失われてる p317

困窮は資源の枯渇から来るのか? そうではなく、社会的不正義の問題と捉えるべきでは?
ふつうに幸せに生きること、つまりケアに満ちた生活、それをできる限り目的とする政治:現状を検証し、新しい政治を展望することはできる。318

マーガレット・ウォーカー:表出的協働モデルの道徳:誰かのニーズに気づく→コミュニケーションを通じてようやく→誰が、何をいかになすか(試行錯誤):ケア実践がわたしたちを構成 
→その先に、政治的共同体が存在している(はず)p321

・(第5局面)共にケアすること:ケアのニーズがしっかり応えられているかの検証(正義、平等、自由などの理念にてらして)→新しいケアのニーズの発見→ケア実践の再編(呼応の関係)p321

・日本:男性の有償労働時間とても長い、女性の育児時間際立って長い。男女とも、有償+無償労働時間長い。コミュニティ・社会活動の時間なし。
・ケアには時間がかかる。ケアする相手への注視やニーズへの対応をめぐる思索や気遣いなど、ある意味での余裕が必要。p323(訪問介護は1時間、30分単位なのは残酷)

・日本の現状は、ケアがあまりに偏って配分されており、不正義。
・ギリガン:声と関係性に基礎を持つケアの倫理を、不正義と自分の沈黙の双方に対する抵抗の倫理と考えることができる。つまり、家父長制から民主主義を解き放つ歴史的闘争を導く倫理である。p324

以上、メモだけ。

台湾と沖縄、反戦平和とは何か?

https://www.youtube.com/watch?v=SsCUoEH1sR8
 自主講座「認識台湾」第2回:シンポジウム 台湾と沖縄 黒潮により連結される島々の自己決定権―東アジア地域世界の「平和」を準備するために、という長い題のシンポジウムをzoomで聞きました。京大の駒込武先生が中心になって行われているシンポジウム(自主講座「認識台湾」立ち上げ企画とされている)で、台湾人の呉叡人という学者(ひまわり運動にも関わった人)がメインのスピーカーなようだ。

 私は台湾のことはよく知らない。ただ2019年の香港民主化運動が弾圧されその参加者が亡命のように移住している国といったイメージがあるだけだ。最近、石垣島、与那国島に旅行した。与那国では特に台湾まで111kmと台湾への近さが強調されていた。近いとは、日常に必要な物資などもそちらから輸入する方が早いということだ。しかし入管、検疫などいろいろな問題があり、交流を急拡大するのは難しいとのことだった。そして与那国では島論を二分する住民投票で反自衛隊派が敗北し、自衛隊基地が建設されていた。私は大阪の近くの住民なので沖縄のことも台湾のことも身近には感じていない。ただ与那国の最西端に立って台湾が見えるかもしれないと目を凝らしたが見えなかった(雲は見えた)体験をしたので、このようなテーマにも興味を持った。

 この企画は今はyoutubeにもあるので誰でも視聴可能です。
https://www.youtube.com/watch?v=SsCUoEH1sR8&t=9s
54ページもある充実したブックレットなど資料のダウンロードも可能です。 https://drive.google.com/drive/folders/1MPvzjGzDJw-VCl195zd8VxS67cShgQtB

 ブックレットを見ながら、簡単に感想を書いてみます。
 台湾人にとって、戦前はもちろん日本人が支配者であり自分たちは被支配者だった。しかし戦後は国民党がやってきて彼らが支配者になった。従属的人民であり続けることへの拒否を示した人々が1947年228事件を起こしたがそれは苛烈な弾圧にあい、1987年まで独裁体制が続いた。その後ようやく台湾人も参加できる国家(ネーション)形成が開始された。呉叡人は『想像の共同体』の翻訳者として知られている人のようだが、彼のこの本の読み方は日本人のそれと違って、市民が主体的にネーションを作っていくとポジティブな方向で読むようだ(おそらく)。
 台湾は戦後ずっと大陸の中国共産党によって軍事的な圧迫、威圧を受けてきた。最近では去年8月の、台湾を取り囲む六つの海域での大規模な演習があった。このような軍事的圧力に対抗できるものはやはり米国の軍事力しかない、と呉叡人は考える。

 私たち日本人の戦後は、米軍の占領下で始まり、朝鮮戦争開始、自衛隊創出と続き、日米安保条約は現在まで維持され続けている。米軍の勢力範囲内であり続けたわけで、中国の軍事的脅威は直接的なものではなかった。米国軍の存在による、レイプや犯罪の危険といった(本来あってはならない)脅威があり、そういった問題に対して日本政府は住民の側に立たず、米国援護的であるという矛盾があった。日本は民主主義国であるはずなのに、米軍基地問題については住民がいくら意志を示そうが拒否されることが続いた。特に沖縄は辺境の島であり、植民地主義的抑圧とさえ言えるものを受けている。それが米軍の圧力を甘受しつづけなければならないことに結果している。
 
 一方、台湾は冷戦構造のなかで、中国が2つに分断され、より小さな部分が1972以降、中国を代表する権利すら失い、国家としての権利を国際社会から認められないまま、何十年も生き延びてきた。そのとき、中国からの軍事的、政治的、経済的な圧迫は大きくその力はますます大きくなっている。米軍の強大な力は彼らにとって、中国に対抗するために必要な頼もしいものである。
 このように、米軍の存在に対する評価が沖縄と台湾では正反対になる。

 しかし、それは反基地闘争する沖縄県民と中国の侵略に怯えている台湾市民が、対立関係になるということだろうか?そうでもない、と考えることはできないか?このような問いを抱いてこのシンポジウムを視聴することができる。
 
 
(2) 
 「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平主席は断じて見誤るべきではない。」2021年の暮に安倍晋三はこう言った。(cfブックレットp40)
 台湾市民はこの発言を歓迎しただろう。台湾を国家承認している国はとても少ない、日本もしていない。だのに突然安倍元首相がこう言ったわけだ。(香港市民は香港には何も言わなかったのに、と思ったかもしれないが。)中国が軍事的に侵攻する時に台湾市民の側に立つという表明として受け取るなら、同意してもよいかもしれない。(どうだろう)
 
 中国政府は平和的手段による「台湾統一」を望んでいるのであり、台湾を標的とした軍事演習も米国による挑発へのやむをえぬ対応である、と理解する人が日本の左翼・リベラルには多い。中国と米国と日本の三者で台湾問題を平和的に解決すべきだ、という考え方すらある。大国の首脳の利害、得失の判断で世界に線を引く合意をすれば、弱小勢力はそれに逆らえない。それを維持することが平和だ、という考え方だ。それはほとんどウクライナ人が戦わず降伏しておれば平和だった論と同じで、平和という言葉を誤解していると思われる。(ただそういう人は多い。)国家単位でしかものごとを考えないならそういう結論になる場合もあろう。
 
 2019年、沖縄での県民投票(辺野古新基地をめぐる)と香港での民主化運動(大デモ)が同時に起こった。反米/反中という冷戦的二項に還元して理解するのではなく、自己決定を求める闘いとして捉えるならば、共通の地平で理解することができるかもしれない。
 政治というものを、冷戦構造的二項対立や国家や政党間のつなひき、勝敗と捉える浅薄な味方をまず退けなければならない。「台湾は、強権によってもてあそばれる客体から、自己決定・自治を担う政治主体に転化しました。(ブックレットp25)」と呉叡人は力強く書く。のいちご学生運動(2008)からひまわり学生運動を、成熟した市民社会が危機を効果的に阻止した体験、と評価しているのだ。国家(ネーション)というものは制度や国会での議決結果だけで計るべきものではない。ダイナミックな市民社会との交流の結果成立、変動するものである。活動家でもある呉叡人がそう言う。日本ではマスコミの報道が抑制的すぎるせいもありそうした認識は根付いていない。投票結果だけが民主主義であるかのようなプロパガンダが浸透している。しかし実際には日本でも市民運動、いろいろな位相に存在する世論、などと国会などは交流し、その結果として政治は生み出されているのだ。
 
 ところで、日本は中華民国に対しても、中華人民協和国に対しても結果的に賠償責任を一切果たしていない。(請求させなかった)日本は台湾に対して加害の歴史がある。加害者は破壊したものを修復しなければならない。中華民国政府と取引することでそれを免れようとしてはならない。

 日本は民主的で平和な東アジアをつくる責務を、世界に対して負っている、と呉叡人は言っている。これは別の文脈でも是認できる。
 敗戦後再度国際社会に承認して貰うにあたり、憲法が諸国家ではなく、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べたことを思い出す必要がある。このように考えれば、どのような視野で台湾/中国を見るべきかは明らかであるはずだ。自国の利益あるいは日米同盟の世界戦略からみての問題点だけを優先することはできない。

 抽象的理想主義の文脈でこう書いているのではない。二項対立的価値の争いのはるか手前に、現実の市民の努力と絶望に近い希望があるのだ。

(3)
 最後に、張彩薇(ちょうあやみ)のコメントも興味深いので、簡単に触れたい。

 「軍事的(防衛の整備)にも、政治的(自主の維持)にも、価値観(民主の堅持)という点でも、台湾が中国による侵略に有効に対処するには、米国主導の中国包囲網に加盟するほかはありません。」(呉叡人 ブックレットp20)

 呉は明確に述べているが、日本の左翼にとっては認めたくない文章だろう。どう考えればよいだろうか?
 まだ今は台湾は、ウクライナのように軍事侵攻されていない。「米国主導の中国包囲網に加盟する」かどうか?
 ウクライナ戦争を考えるとき、被害者であるウクライナ市民とその戦う意志にまず焦点をあて考えるべきだろう。同じように台湾市民とその戦う意志のことをまず考えるべきであり、「米国主導の中国包囲網」の問題は次の課題だ。しかし、香港のように自由を奪われることはどうしても嫌だとするならば、「米国主導の中国包囲網」についてもとりあえずYESいうことはありうる(日本人は口を挟むべきではないだろうが)

 ある国家は、Aと敵対するためBと同盟することができる。その場合Bが気に入らなければAに再度接近することができる。このように国家は小国であっても一定の自立性を保持し続けることができる。ただ台湾は中国から自立した十全の国家であるとは認められていない。それが辛いところだ。(ところで日本は、立派な国家なのに、中国を始めとするアジア諸国との友好関係を全否定することで、米国一国への従属体制が続いている。それは愚かなやり方だ。)

 香港も台湾も十全な国家ではなかった。しかしそこには民主主義的と言いうる多様な言説と行動があった。独立主権国家になろうとするのは分かるが、そうでなければダメというわけでもない。
 台湾が十全な国家になること、独立を中国が認めることは当分できそうもない。しかしそれを求めるべきだというのが呉叡人であり、まあそうかなと。
 ただ、主権国家を前提とする国際社会のあり方を絶対視することはするべきではない、張さんが言うとおり。
日本国憲法前文もそのように読める可能性がある、。

 台湾人は沖縄の基地強化を望んでいるか?という問いがある。自分を守るためには本音ではそうだ、と呉叡人はいうかもしれない。それは自他の間に利害の対立があることを、認めているということだ。自分に不利な現実を無視して、自分の思想にほころびを生じさせないないようにするよりマシであろう。

 沖縄人は米軍基地に反対する。米軍基地が台湾国家に対してどういう意味を持つかをそのとき第一義的に考える必要はない。ただし、軍隊というのはどんな場合でも反人民的存在だというドグマは正しくない可能性があると考えるべきだろう。
 つまり、「反戦平和」が、自立を求めるひとを沈黙させるための言葉になる可能性もあるのだ。「反戦平和」は第一義的には既成国家(武力)間の勢力均衡を破らず現状を尊重するという意味だろう。そうであるとすれば、必ず正義と一致するわけではない。
 
 彼女の「台湾は中国ばかりではなく、アメリカと日本をも批判しなくてはならない」という発言は印象的だ。
 ただ、批判に関していえば、日本人でも台湾人でも、イスラエル人やミャンマー人(ミンアウンフライン)やウイグル人を弾圧する中国人、人権派弁護士を弾圧する中国政府など、気がついたらどんどん批判すれば良いと思う。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を基準にすることは日本人には許されている。どう認識するか、と実際に何ができるか、は分けて考えてもよいと私は思っている。
(文中、敬称略)

兵士になること(ヴォランティア)

「ロシアには屈しない ウクライナ 市民ボランティアの戦い」
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/3644Q6GXL3/
というNHKの番組を見た(元はBBC)。

 ヘルソンの隣町ムィコラーイウ で闘う市民ボランティアたち(今まで従軍したことがないし、訓練もほとんど受けていない)。ヴォランティアといっても実際に戦闘行為をしている。主にインターネットやドローンで敵の位置確認をしている人たちが居る。ドローンで敵めがけてまっすぐに爆弾投下すれば人が死ぬ(かなりの確実で)。もっと大きな爆弾を撃っている人たちはどこから見ても軍事行動だ。

 敵の数人もいっぺんに吹っ飛ぶような爆弾を上手く落として、敵が死ぬことを喜ぶのは、普段の倫理感からは大きく離れている。しかし、戦争とは敵の死を喜ぶことであろう。
 ウクライナは格別悪いことはしていない。だのにある日自分の住んでいる町が占領され自由が奪われる。その町に住んでいる人にとって悪いのは、一方的に相手(プーチン)側である。そのとき敵を倒し、敵を殺すことは善となる。

日本人はこの価値転換を是認しない人が多い。戦争は悪だ、という思想である。しかし、現実に侵略されたウクライナ人やかって侵略された中国人にとって、祖国(郷土)を守るために戦うのは、大きな決意をもってある〈善〉に投企することだ。
 日本人はこのような侵略に対する抵抗としての善なる市民戦争を体験したことがない。元寇は確かに侵略に対する抵抗ではあったが、戦ったのは武士であり市民ではない。
 臆病な普通の市民が銃を取るとき、そこにはパトリオティズムが微小だけれども立ち上がると考えうる。太古の昔から日本という国家が存在し、自分はそれに内包された存在だという日本人的存在感覚がわたしたちの間には深く根付いているが、それは信仰であり、普遍性はない。大きな敵がやってくることはあり、自分が去就を問われることもあるだろう。

私は一切の暴力を否定する、一切の戦争を否定する、戦争が起これば逃げる、あるいは降伏する、それはそれで一つの思想だろう。それに自分を賭けられるだけの深みが、あるのであれば。
 しかし日本人は戦後ずっと、兵火にさらされることなく生きてこれた。戦争中も本土の人は一方的に空襲とか受けるばかりで、自分が銃を取るか取らないかという決断をした人はほとんどいない。
 強大な軍隊に守られているとされる立場でぬくぬくと半生を過ごしながら、自分が厳しく問い詰められる可能性がないからそう言いうるだけである可能性もあるのに、倫理的に立派な平和主義を得意そうに口にするのは、(たいていの場合)非常に罪深い行為であるのではないか、と私は思ってしまう。

あなたが自分自身の命を掛けて、すべてを賭けて戦ったとしても、それは「戦争」である。つまり市民が行うゲームなのではなく、プーチンという巨大な帝国とゼレンスキーとそれを支援する欧米諸国という国際政治学的なゲームなのだ。
 参加しているひとりの市民の思い、憎しみや悲しみ、郷土への愛情は直接はカウントされない。あなたたち数人の必死の行動はどちらにしても「微細な戦果」に結果するだけだ。戦果の積み重ねが勝敗(この場合はプーチンの撤退)に影響するかどうかは分からない。それは無駄な抵抗であり、結果的に人名の損傷を増やしただけだと評価されるかもしれない。しかし他人の評価とは別に、自分の評価を信じるしかない。自分の命を掛けているのだから。

 ボランティアと兵士というのは日本では全く逆の意味と捉えられるが、ヨーロッパではそうではない。自分が自分の命を賭けることの、その決意という目に見えないものの集積が、共和国であり、ネーションであるのだ。

 ネーションというものは成立した途端に、私たちを抑圧するものという姿を見せる。であるとしても、敵を倒すために殺すことをさえ選んだヴォランティアたちを私は尊敬する。思想の差異があるかもしれないとしても。

もし私がウクライナに居て若くて元気だったとしても、銃を持つかどうかは分からない。実践的にはともかく、思想的に「持たないこと」が正しいのか。正しいと今の私は言い切れない。
 ただ正しくないと言う人が、「安全圏から偉そうに言っている」だけではないか、と思ったのでそう書いてみた。

「宮廷女官チャングムの誓い」について

 宮廷女官チャングムの誓い、54話もある長いドラマ。見ました。2003年の作品、脚本:キム・ヨンヒョン 演出:イ・ビョンフン。

 中宗(チュンジョン 1506年 – 1544年)時代ごろの朝鮮の王宮を舞台にしている。
 この時代に限らず朝鮮王朝時代は、支配階級のあいだに儒教が浸透し、女性のさまざまな活動が非常に制限されていた時代である。
 そのなかで、唯一王の主治医となり「大長今(偉大なるチャングム)」として歴史書に名前が残っている女性がチャングムなのだ。https://kankoku-drama.com/historia_topic/id=12001

 といっても、名前以外ほとんど資料がない。ありえたかもしれない一人の女性の闘いの一生を、作家は美しく描き出す事に成功した。(もっとのびのびと活躍したかったという500年間の女性の夢を、この一人の人物に集約させるように作られたキャラクターだとも言える。)

王宮には多くの女性たちがいた。王宮に入る女性は賤民や早くに両親を亡くしたものが多かったとされる。
https://zero-kihiroblog.com/trivia/nyokan/#index_id3
 重要な仕事をさせられることもある一方、都合が悪くなればいつでも殺すことができるそうした存在だったのだろう。男と違い最初から権利を持たない存在だと位置づけておけば、とても使いやすい。
 彼女たちは、幼くして王宮に連れてこられて以来、王宮の外に出ることも許されず、男性と付き合うことも許されず、子を持つこともできず寂しく死くしかない。王宮という人工的な世界でしか生きられない、死ぬとき以外王宮を出ることができない女性たち。

 ただ、ドラマでは女性たちが色鮮やかな料理を作っている日常が続き、基調はおだやかなので安心して見続けることができる。

このドラマのテーマは、ハン尚宮とチャングムとの世代を越えたシスターフッドだろう。その背後には、パク・ミョンイ(チャングムの母)とハン尚宮との友情が、ミョンイの水剌間(スラッカン、宮中の台所)からの追放、毒殺(未遂)により壊されるという関係がある。ミョンイを追放したのはチェ尚宮の一族。彼らがこの長いドラマで権力側としてずっと悪役をつとめる。チャングムを育て見守ってくれたハン尚宮も途中で追放され、その途上で死んでいく。

ドラマの最後では、チェ尚宮一派の罪は暴かれ裁かれることになる。ところが、チェ尚宮一人だけは逃げ出し、宮中の外にまで出ていく。どこに行くのかと思えば、なんと(自分が殺した)ミョンイの墓である。チェ尚宮とミョンイは、幼い頃から水剌間の見習いとして育った親友だったのだ。チェ尚宮は家と権力を守るために手を汚すことを厭わず生きてきた自分を、否定し反省するだけの力も持てず、幼年期に退行する。そして松の木の枝にかかったリボンを取ろうとして(あるいはそういう幻影を見て)崖から落ちて死んでしまう。

 クミョンはチェ尚宮の姪であり、水剌間の最高尚宮としての地位を引き継いだ。しかし幼いころはやはりチャングムとの友情があったのだ。
 女官たちは幼少期から世間から隔絶した閉鎖空間、理不尽な権力関係に振り回される奇妙な空間に生き続けなければならず、しかも出口はない。このような長く続く世界で営まれた、回帰するシスターフッドというものが、このドラマのテーマである。

チャングムは最初后と、次に王からも信頼を得ることが出来、それによって復讐を遂げることができた。后も王も最高権力という立場にありながら、誰にもこころを許すことができずひどく孤独である。それがチャングムを急に評価するようになった原因でもある。后はチャングムにこころを許すあまり、対立する王子(中宮)の命を縮めることを命じる。后との関係を断たない限り、悪に手を染めるしかない立場に置かれる。(宮中の権力関係というのは苛酷であり、ほとんど殺さなければ殺されるといった関係なのだ。)この直後、チャングムは一時的に水剌間の最高尚宮にもなる。この二つのエピソードが示しているのは、母を殺したチェ尚宮、このドラマの敵役とチャングムとの同一性である。存在様式としての同一性と言いたい。最高尚宮としてのチャングムの姿はそのことをビジュアル的にも明らかにしている。

 王宮という閉ざされた空間で繰り返されるのは、自己が生き延びるために他者を排除する悪に加担せざるをえないというつまらない反復である。
 それに対して、チャングムが貫いているのは、どんな場合にもその人を害することになる食事(あるいは医療)は出さないという倫理である。罪なくして死に追いやられた母とハン尚宮の復讐をするためにチャングムは王宮に帰ってきた、そして自ら悪行をすることなくして復讐を果たすという、不可能だと思われていたことをやり遂げた。

しかし、振り返ってみれば、幼い頃宮中に来てから死に至るまでチェ尚宮の生はミョンイの生の反復であり、同じようにチャングムの生を反復しているのがクミョンである。女官として同じような外見と人生から外れることができない彼女たちには、差異よりは反復が大きく感じられる。
 朝鮮王朝で何の積極性も主体性もなく抑圧されたばかりで数百年過ごした女性たち。そんなことはないと証したのがチャングムであり、そしてすべての女たちも、また少しづつはチャングムであったのだ。

 なお、「シスターフッドとは、男性優位の社会を変えるため、階級や人種、性的嗜好を超えて女性同士が連帯すること」とされる。https://www.tjapan.jp/entertainment/17528215 
 しかし、全く同じ空間、権力関係のなかで何十年もすごした女どうしの友情/憎悪、に対してもシスターフッドという言葉を使うことも許されるのではないか。

 朝鮮王朝期には男性優位の社会を変えるといった問題意識はまったくなかった。王宮という閉じられた世界では、どのように新しいことをやろうとしてもそれは挫折し出発点に戻るしかない。王宮の女性たちはすべて同じ立場に置かれており、そのことを良く知っている。その必然性を裏切る〈一瞬の夢〉としてチャングムは現れた。チャングムを見つめる女官たちの視線には、反復するシスターフッドが、逆説的に表れている。

存在革命の可能性について

図書館で、岩波書店の雑誌『思想』2023年2月号を手に取った。大黒弘慈「「あいだ」のフェティシズム」という奇妙な題の論文、ふと読み始めると、難しいがとても大切なことを言おうとしているようだと分かった。

フェティシズムという言葉は難しい。ギニア人が価値のなさそうなビーズに価値を見言い出したり、粗末な神像を拝んだり、というのがフェティシズム。ととりあえず理解する。
A  :そのもの。例:木や紙で無造作に作った人形
〈A〉:フェティッシュ。おおきな神の予感。(信じてない人=近代的理性によって虚偽とされる)、という図式である。
フェティッシュ(物神)を否定しなければならないという常識をグレーバーは批判する。対象Aと主体Bとの安定した限定的関係がいつでも可能だしそれにたどり着けるという考え方に対する批判である。

われわれが創造的に生きようとするとき 物神は必ずしも悪いものではない。ただ危険な場合もある。p90 というふうに言っている。つまり、対象Aの本質、性質、質量などを私たちは客観的に捉え理解できるという前提に立つ時、それに対する例外としてフェティッシュがあるわけだ。
しかし私たちが生きているとき、ものAは慣れ親しんだものとか彼女が口にしていたものとか、そういうふうになんらかの情緒とともに存在している。であればそれは決して悪いものではないだろう。逆に、「ある種のフェティシズムをよすがにしてよりよい社会を築いていく」ことも可能なのではないか?それは「われわれがフェティシズムを作り出す行程について、理解しえない余地をあえて残すことによって可能になる」とグレーバーは言っている。p91
まあ、より正しい主体を求めていくことで、未来を獲得できるという考えを彼が取らないことは分かる。超越性への匂い(誘い)、ベクトルといったものを見出していくということだろうか。

でこの論文は、価値と権力の基礎とは何かを問い、その中で、新しい社会的現実を創造するためにフェティッシュが果たしうる可能性を探ろうとするものだ。

(第1章は「廣松渉、真木悠介、宇野弘蔵が、それぞれマルクスの「物神性論」を原理的なレベルでどのように読み替えていったのか」を追う章。ここではこの章に一切触れずに、残りの部分だけでの理解を書きます。)

第2章は「物神の消失/主体の埋没」となっている。

資本主義の現在は、対象Aの確実性が揺らいでいる時代である。例えば、サービス労働のような非物質的労働が優勢となっている。また、フェティッシュ崇拝は盛んになっている。「推し」消費の増大などに見られるように。
今日経済は非物質化している。貨幣の非物質化、ネットワーク上のbit列化が著しくすすんでいる。そしてまた、負債経済の下では、金融権力がわれわれに負債感情を植え付け、返済のために行動を画一化し、「正しい」生活規範へ順応させ、評価に縛られた空虚な活動に駆り立てられる。p108 

疎外とは「人間の本質をモノに外化し、それによって逆に支配される事態」のことだった。であれば、ひとと人が対等に関わり感情を含めて交流する介護、保育などの仕事は「疎外されていない労働」という面も持つ。実際そこにやりがいを感じると語る人も多い。しかし実際にはそこには困窮(moneyの欠如)がある。
またひととひととの関係においては、〈対等性〉が重要である。サービスの受益者と供給者という格差の一方で、人対人としての〈対等性〉をどのように確保するか?その問いに開かれた関係を作っていくべきだろう。

ここで紹介されている今井里恵氏の論文は、今日の労働疎外の核心をこう語る。
「物を製作することにより他者との新たな関係を築き自己の物語を紡ぐような仕事の機会」が奪われていることだと。p108
彼女は仕事を「演技ゲーム」として、「他者とともに共同社会を能動的に構築していく作業は本来、根源的喜びである」と定義する。p109 個々人が自分の判断で不確実性への跳躍をして、自分の物語をつむぐことが「自由」である。
しかし、1970年代以降は、管理強化され、自由の感覚が奪われた「演技労働」に堕落した、と彼女は考えた。現在、わたしたちの労働は、不確実性への跳躍が一切奪われてしまっている。

マルクスは生産物があふれる豊かな社会になれば(さらに革命後)、人間の主体性や人と人との直接的関係が回復されるはずだと考えた。それは実現できていない。
ここで、「むしろフェティシズムを回復することによって、自由な主体は可能になり対称的な人間関係が可能になるのではないか?」と考えた人がいる。ラゥトールである。p110
物神を一掃し、事実の集積だけの世界を真実だと批判家は考える。しかしそれは結局同じことなのだとして、ラトゥールは「物神事実」 ということばを使う。

第3章は「理論と実践」と題されている。

実際はギニア人とポルトガル人のいずれも「超越性の像を作る」。そこには、構成された実在と内在的な超越、中途半端な物神事実どうしの対立があるだけであり、階層差はなく、いずれも物神崇拝者であるといえる。p112
物神が行為者を支配しているようにみえるが、実際は行為者が自分の力をその物に投影しているだけだ、と批判する。
そして、そのさらに背後には、多数の作用者、社会的群衆、諸関係、伝統というものがあり、力をあたえている。

批判的思想は、物神を一掃し、事実(A=Aである対象の群れ)だけが現実だとみなそうとする。
それに対し、ラゥトールの見方はもっとダイナミックであり、「自らの行為によって幾分か超過される」行為者を考えてみようと言う。
関係を、主体と客体、本質と本質としてスタティックに捉えるのではなく、行為と行為の関係として動的に捉えるべきだと言う。まあ、生きている上では客体自体をそのまま捉えることは困難であり、行為の中にしか現れないのはむしろありふれた体験になる。

ここで、パリ郊外の民族精神医学の治療現場という現場が出てくる。
精神医学なのに、個人の内面に注意を払い分析の中心にするということがない。そうではなく、彼らの崇拝物、祖国の祖父母、叔父、(サッカー)、そうしたものが複数の言語で語られる。患者は心理学的主体ではなく行為体になる。患者だけでなくその他多くの参加者たちがその過程で少しずつ変貌する。そのようにして、患者は治っていく。その人は患者としてではなく参加者のひとりとして、崇拝物を回復し主体となる。物神から解放された主体ではなく、「崇拝物をもつ準主体」である。p113

自由とは、完全な自由ではない。いくぶんか支配されることはむしろ不可欠なのだ。絶対的な自由などないといって諦めるのではなく、悪いつながりを良いつながりへと置き換える不断の営みが肝要だろう。p114

ラトゥールは客体としての客体というものを否定する。
例えばパストゥールは「しかるべき実験室を自分の手で注意深く設定したからこそ乳酸酵母は実在する」。パストゥールは超越性を作った、と言う。
考えてみれば、超越を製作することは、それほどめずらしいことではない。「自分の書いた文章を読むことで自分の考えていることが初めて分かる書き手」というものはよく居る。p115

人と物との注意深い共同作業によって構築された「物神事実」こそが実在である。
自由とは物神事実のかたわらで生きるということである。それは物神に支配されることではない。制御不可能な領域(撹乱的要素)を残すことである。〈 〉に注ぎ込まれるべき力の可能性を信じることである。

絶対王権を革命したとしても、「良い支配者」「固定された主体」による支配という構図が変わらないが、それでは意味がないのだ。p116
自由とは、他者の影響を遮断することではない。恐怖を騙して魅力に変え、風通しをよくしていく。諸々の繋がりを剥奪されないようにする。魅力によって人々を繋いでいけるのだ。p117

フェティッシュは排除されなければならないという思い込みは強い。真理や客観性や聖性に到達するには媒介物を完全に駆除するのが不可欠だと考えられているのだ。
しかし、我々が神自体に触ることができない以上、像的媒介物には超越へ達する手段を超えた聖性がすでにあると考えるべきではないか。

物神事実という認識から始める必要がある。「物神と事実、疎外と解放、非合理と合理などの階層的二元性に基づいて、双方の差異を絶対化するのではなく、モノもコトもヒトも諸々の結びつきによって相対的に異なるにすぎないのだとまずは認識すべきである。」とラトゥールは言う。(この文章は日本では危険である、と指摘しておいた方がよいだろう。日本では味噌もクソも一緒くたにして、結局権力側つまり日本的包括者が勝利するシステムが強く働くから)

「価値の階層化から注意深く距離を取りながら、価値の恣意性のなかから、いかにして新しい同一性をつくり直し、良い結びつきを通じて新たな社会関係を創造していくか」、「理論」をヒントにすることによってそれができるとラトゥールは言う。(マンガ、アニメなどで、女子どものたあいのない思いからかなり高度なドラマを作り続けてきた、日本人の膨大な諸作品は参考になるかもしれない。)

「いまここで新しい社会的現実を創造しようと思うのなら、そこには必ず「詐欺」の要素がなくてはならないということだ。」
「詐欺」というと誤解されるであろうが、なんらかのフェティッシュ「人知が及び難い領域があると思わせること」なしには、「一定の理念を巨大な現実に変えることができる集団的力を引き出すよすがにはなりえない」のだ。
未開社会の藁人形、アナキストの巨大人形、そしてホッブスのリバイアサンというのがその例だ。

「新しい社会形態や制度を創造するためには聖なるものが必要です。」「しかし、聖なるものの力と神秘は、同時に危険なものもあります」そして実践的にこの矛盾を解く方法はある、とグレーバーは言う。

わたしたちの社会で最も力をふるっているのは商品フェティシズムである。それは金融権力に識らず知らず服従するといったかたちでも、ひそかにどんどん進行している。
しかし、そのようなフェティシズムのなかで、それを拒否するのではなく、それを魅力ある結び目に変えていくということはできるのだ、と大黒氏は最後に言う。

近代の〈物神事実〉崇拝について ―ならびに「聖像衝突」 –2017
ブリュノ・ラトゥール (Bruno Latour 著), 荒金直人 (翻訳)

資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座) – 2009
デヴィッド グレーバー (著), 高祖 岩三郎 (翻訳)

(私はまだ読んでない)

反スターリニズムとは何か?

さて、吉本隆明『重層的な非決定へ』という1985年の本を手に取ってみた。

「貴方は世界にさきがけて、戦争の責任とまったく同等の重さと規模でレーニン-スターリン主義責任というものがありうること、そしてその責任を問う場所がありうることを身をもって示したのでした」、と吉本は埴谷を評する。p24 そこから20ページほど、吉本のレーニン批判が展開される。マルクス・レーニン主義というものが存在することを前提にしてその周辺でそれを批判しているにすぎないと、埴谷も批判される。

いわゆる新左翼は1960年ごろ以降、反スターリン主義を標榜していたが、それを思想的にきちんと展開できていたか、よく分からない。全共闘運動が反スターリン主義的な情動、思想とともにあったことは確かだろうが。

91年ソ連は崩壊し、マルクス主義自体が検討に値しないものみたいな風潮のなかで、このような問題も忘れられていったのだろうか。
北朝鮮と中国は存在し続け、それらの国家の自由の欠如、人権弾圧(あるいは飢餓など)という問題、そうした権力を支えるスターリン主義としての中国共産党や金日成主義をどう考えるか、という問題は大きな問題として残り続けた。しかし市民の連帯運動としても、思想的にも、それとまともに格闘しようとした動きは少なかった。

東欧・ソ連の崩壊の数年前、ソルジェニーツィンの告発やポルポトの惨劇がありまたポーランドの連帯の運動が盛り上がっていた。一連の現在の社会主義「国」が抱懐する理念と現実の挙動の根柢的な欠陥、を真正面から受け止めて「苦しげな理念批判と自己批判」を展開したのは酒巻さんという無名人だけだったと、吉本は言う。p25

埴谷は「クロンシュタットの労働者や兵士のソヴィエトと、国家権力を掌握したレーニンの党派とのあいだの対立と、レーニンの党派が加えた無態な弾圧の経緯について、詳しく述べ」ている(と吉本は言っている)。p26
それは大事な問題だ。ロシア革命は、レーニンが指導するボルシェヴィキだけが成し遂げたものではなく、「クロンシュタットにおける労働者・兵士ソヴィエトの、権力はあくまでもコンミューンにあるべきだとする非中央集権的な理念」と行動が成し遂げた部分がかなり大きいことは、事実であるし大きな示唆をあたえてくれる。(これについては、『忘れられた革命 ーー1917年』という本を参照して欲しい。)

しかし吉本は、それはちょっと違った問題だと把握すべきだと言う。
クロンシュタットの問題は「一地域的な政治体験での、中央集権派と非中央集権派の抗争」の問題と考えられる。
しかしそれとは違い、スターリニズムは、過渡期における資本制的な過剰国家管理体制の一変態、国家社会主義のヴァリエーションとして理解すべきだ、というのです。p27

「レーニンらの党派の中央集権的な理念と、クロンシュタットの労働者・兵士のソヴィエト・コンミューンの非中央集権的な理念との対立・抗争。弾圧」この対立がロシア革命最大の問題であることを誰も疑わない。しかし、吉本は「対立にすぎない」と軽く扱う。人類の社会制度史が革命されて「広範な物言わぬ大衆と市民の貌」がせりあがってきた、と言いうるために、欠けているものがある、と判断する。

どういうことか。
消費としての賃労働者(階級)の大衆的理念が、いかにして生産労働としての自己階級と自己階級の理念を超えていくか、という課題に革命の問題があるのだ、と吉本は言うのだ。生産者としての存在様式の団結により階級形成、理念形成、革命闘争をおこなっていくプロレタリア革命の理論とはまったく違うものを、作りださないといけないと吉本は言うのだが、暗示的な形でしか表現できていない。

「国家と革命」の国家観について吉本は全否定はしない。「精いっぱいの理想主義」と評価できるところもあるとする。しかし、大事なことは下記だろう。この文章は1985年つまりソ連崩壊前のもの。つまり左翼の間ではレーニンの権威がまだ残ってた時代だ。この頃、レーニンのテキストに遡り、否定すべきところは否定するという作業を果たそうとした人が世界中にいたはずだ。しかし、今ではただ読まなれなくなった。それではただの流行にしたがっているだけになる。

「監獄その他を自由にすることができる武装した人間の特殊な部隊」を国家とよぶという部分もたしかにエンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』の文中にあることはある。しかしそれは極小のものに過ぎず、現実の「国家」や「権力」の精緻な動きの記述には耐えられないものだ。p34
「すべての市民が、武装した労働者である国家にやとわれる勤務員に転化する。」とかいうのは、レーニンによって短絡と狭窄を受けた「権力」の規定がうみだした歪んだ国家像だ。それは「どうかんがえても強制収容所群島にゆきつくほかないものです」と、吉本は断言する。p37

「「国家」とか「権力」とか「法」とかいう共同の幻想が、どんな実体と具体的な現実機関と、表裏となって存在するのか」といった問題を把握していかなければならないのだ。現時点で言えば、プーチンの大ロシア主義や愛国主義というものが復活してくる危険性を吉本は予見したわけではない。ただ、「共同の幻想」が大事だという点では当たっていたとも言える。

さらに吉本は、レーニン『哲学ノート』を読み、ヘーゲルに言及する
「ヘーゲルの論理学の美点は、(力運動)・移行・分極・対立・同一性・差異などの概念を論理学に登場させて、動く世界の内在的な必然的な連関を導いているところにありましょう。だがその論理学の欠陥は、世界を閉じられた枠組(輪郭)をもったまま規定可能だとみた点にあると思います。」
この吉本の批判は見事なものだと思う。そしてそれは、直接レーニン批判につながるものだ。
ヘーゲルの概念のうち「絶対者、神、天、純粋理念」などをレーニンは否定する。だが吉本は「人間が自然を喪失してしまった後の、自然と等身大の真理概念で、すべての概念の「終焉」として意義深いものだ」と書く。
西欧近代哲学とは「神」概念の解体の歴史だったのだから、21世紀近くなって吉本が「神」を捨てるなと説くのは奇妙に思える。
「世界を閉じられた枠組(輪郭)をもったまま規定可能だとみる」こと、それは世界を一つのシステムとしてみることに近いと思うが、それをなんといっても避けなければならないと、吉本は考えたわけだ。
これは、現在価値を見出すべき思想だと思う。

ゴーダ綱領批判を読んでみた

マルクスのゴーダ綱領批判は、ちょっと意外な文章から始まる。
「労働はすべての富の源泉ではない。」価値は労働力から生まれると資本論には書いてあるのではないのか。(ちょっとよく分からない)
自然もまた労働と同じ程度に、使用価値の源泉である。とマルクスは言う。なるほど。
「そして、労働そのものも一つの自然力すなわち人間労働力の発現にすぎない。」
労働がそれに必要な対象と手段をもって行われる、とするならば「労働は富の源泉だ」は正しい。土地とクワがないときに耕す労働をする人はいないので、たいていの場合それは正しいことになる。
しかし「土地とクワがないとき」どうしたらよいか、つまり失業したらという困惑とすれすれのところに労働者は生きているのであり、その言葉を意味あるものとする条件を、当たり前のこととして語らないブルジョア的言い方を許してはいけない。

人間が自然に対して、それに働きかける権利を有する者として、それに働きかけるとき、富が生まれる。使用価値(価値)が生まれる。p15
労働者は「労働に必要な対象と手段(対象的労働条件)」を普通持っていない。だから、それを持っているブルジョアの奴隷にならないといけない。
「労働はすべての富の源泉だ」とポジティブに言い切ってしまうと、労働者の従属関係とともにしか労働は成立しえない、という事情が見えなくなってしまう。と、なるほどと思う。
「労働はすべての富の源泉だ。労働者がこの社会を作り上げている」というのは元気が出るスローガンだし、まったく間違っているわけでもないが、厳密に考え発言していく方がよいのだ。

「有益な労働は、ただ社会のなかで、また社会をつうじてはじめて可能である」
マルクスが「労働に必要な対象と手段とをもって行われる場合」と明確に語っている」ところを、「社会のなかで、また社会をつうじて」とあいまいに表現している。

でそれによって、「労働の全収益は、平等な権利にしたがって、社会の全員に帰属する。」
現在の社会では格差が問題になっている。社長が労働者の100倍の報酬を貰ったりしている。それに対して、例えば「Twitterの全収益は、平等な権利にしたがって、Twitterの全員に帰属する。」と考えてみることは、思考実験としては行うべきことのように思われる。

全収益を分けるとすれば、まず「社会を維持するために必要なもの」を控除しなければならない。
ただし「社会を維持するために必要なもの」はマスクスによれば、直ちにかぎりなく拡張解釈されてしまうものだ。政府とその付属物の要求、およびブルジョアたちの私有物が円滑に働くことができるための要求、として。
空虚な文句は、口当たり良く見えるけれども、どんなふうにもこじつけられる。つまり支配者(ブルジョア)の解釈がまず適用されるとかんがえておかなければいけない。

「労働はただ社会的労働としてはじめて、富と文化の源泉となる。」この命題は正しいとマルクスは言う。しかし、
「労働が社会的に発展し、またそのことによって富と文化の源泉となるにつれて、働く側の貧困と見捨てられた状態、働かない者の側の富と文化が発展する。」こちらの正しさも忘れてはいけない。
そして、現在の労働者に、このような災禍を打破せざるをえないような物質的その他の諸条件を現在の資本主義社会はつくりだした、論じきるべきだった。

「公正な分配」をゴーダ綱領は求める。
しかし「公正な分配」とはなにか?現在の生産様式の基礎の上では今行われている分配が公正なものだと主張されるだろう。

労働の全収益を社会の全員に配分する!と語ると、皆の人気をえることができるかもしれない。しかし実際に分配できるのは、各種控除すべきものを控除した後の額である。また「社会の全員の平等な権利」をことばのあや以上のものとして確定するのはひどく難しいだろう。

以上のように、マルクスは、ポピュリズム的語り口が労働運動のスローガンに入ってくることを厳しく排除しようとした。資本主義がその冷徹な法則を貫徹させ、合理的であるがゆえに、労働者を苦しめるのだ、ということが、マルクスが資本論で発見したことだった。

以上が、「ゴーダ綱領批判」の(わかり易く歪めた)概要である。

労働というものが、それに必要な手段をもって自然(あるいは人工的な自然)に働きかけすべての富を作っていくのだ、という基本思想は貫かれている。21世紀の現在、労働という言葉はかって持っていた力強い価値を失っているように感じられる。インターネットで伝達される情報や巧みに組み合わされ人を惑わすイメージの乱舞といったものが、大きな価値を生んでいるかに見える。
ただ、現在も一日8時間労働のサラリーマンといった雇用形態は大きな比重を失っていない。むしろそうでない雇用形態が限りない搾取に陥り易いことが問題になっている。
労働というテーマを私たちが処理できていない限り、マルクス・エンゲルス全集の一部を読んで見るということも、意味のあることである。

「現代中国のリベラリズム思潮」を読んで

現代中国のリベラリズム思潮」という本を読み始めた。

最初の論文が徐友漁という人の「90年代の社会思潮」というもの。
これが思いのほか面白かったので、紹介したい。徐友漁(1947年-、四川成都人)

70年代の終わりに文革が終わり、80年代インテリたちは開放的空気に包まれた。
改革開放、いままで禁じられていた西欧的、資本主義的なもの、サルトル、フロイト、ニーチェなどまで入ってきた。近代的、合理的、普遍的なものが目指された。
89年に六四天安門事件が起こり(そう書いてないのだが明らかに分かる)、時代の空気が変わる。
一つは「国学」ブームなどの文化ナショナリズムである。全般的西欧化が否定され、愛国主義、伝統文化が称揚される。
現在の西側文明は抜け出すことができない危機に陥っており、東洋的文化だけがそれを救うことができる。西欧文明は自然を一方的に収奪してきたが、道教の無為自然思想にもあるように、東洋には人間だけを高いとするのではなく自然と共存していく思想と知恵がある。集団主義、無制限な自由・権利を認めないこと、官僚制度、競争の抑制、などはアジア的近代化を支える価値とされる。
徐氏はこれを文化ナショナリズムとよび、インドや日本の思想家がアジア的文化が世界を救うといった時と同じ言葉使いだが、中身はそれぞれ違うと指摘する。ドイツやロシアの知識人もしばしばそのような「精神文化の優位」といった言説を雄弁に語ったと指摘する。
まさに、日本では30-40年代に、〈近代の超克〉として語られたことであり、それ以後もたびたび繰り返されたものだ。しかし思想はある社会のなかで有機的に切り離しえないものとして切実に存在しており、そう簡単には客観的評価できない。中国である切実さにおいて文化ナショナリズムが存在していたことを知るのは、日本のそれを理解するためにも参考になる。
日本と中国のどちらが東アジアの文化を代表しうるのかといった問いは、異一見愚かに見えるがそうでもなく、言説を支える土俵に影響している。

次に、ポストモダニズム。ポストモダニズムは近代という価値基準を放棄する。
科学、民主、理性といった価値を真正面から取り組むべき価値として追及してきた知識人たちの営為は全否定される。それらは資本主義的概念として否定される。
しかし、と徐は言う。五四新文化運動は確かに西欧啓蒙思想の借用ではあるが、そのままの輸入ではない。五四運動は儒家の礼教、三綱五常という悪しき慣習と闘ったのだ。伝統を切り捨てたのではなく、顧炎武から章炳麟に至る「破壊と継承の闘い」がその根にはある。同じように八十年代の新啓蒙運動も当時の中国の状況、矛盾(文革の暴虐など)に向き合い解決しようとしたものだ。

次に、「新左派」理論というものがある。
冷戦終了後、先進国での資本主義批判はポストモダン思想とも交流しつつ、活発化した。フランクフルト学派などの批判者たち。彼らは、前に進むようなふりをしつつ、古いものを懐かしみ、精神を崇め立て、物質を否定し、大衆を蔑みつつ、大衆の導師として振る舞い、エリート的である、と徐は批判する。(まあ、フランクフルト学派が古いものを懐かしんでるだけと言われると違う気はするが。)
リベラリズムは結局は巨大な集権的国家建設を支持するものだといったマルクーゼの言葉を、かなり強引に引用し、さらに胡適の例を引き、リベラリズムは専制を支持するものだと結論つける(王彬彬氏)。

90年代、市場経済を発展させていくという目的のために人々は経済的リベラリズムを学んだ。
中国ではずっと、個人主義は極端なけなし言葉だった。しかし、多くの西欧の思想家たちを、上記のような様々な論争のなかで受け入れることで、中国人もリベラリズムへの理解を深めていく。
1997年から中国でも法治国家という原則が確立される。「法は人よりも大きく、法はその他のいかなる権力よりも大きい」ということを中国人も徐々に理解していく。それは党が国家に変わって直接権力を行使するという形を変えていくことである。
人が自由に生きていくためにもリベラリズムは必要であろう。
「こうした一つの連合体においては、各人の自由の発展が万人の自由の自由な発展の条件となる。」というマルクスの言葉でこの文章は締められる。

日本の思想史の百年近くを中国では20年で過ごしたみたいな感じもあって、忙しい。しかし中国の方が、ストレートに深く思想を問うているところがある。日本を考える上でも中国を知ろうとするのは必須であろう。

さて、1980年代は文革の反省としての西欧に学べとリベラリズムの時代だったが、その空気は89年六四天安門事件で終わった。90年代は、文化ナショナリズム/ポストモダニズム/「新左派」/リベラリズムと論争ははなやかだった。
2008年、〇八憲章。劉暁波拘束。2010年、劉暁波にノーベル賞。2012年、反日デモ。(2014年、台湾ひまわり運動、香港雨傘運動)。
2017年、劉暁波死去。2022年、習近平3期目総書記、独裁強化。
この間は、言論の自由は逆に狭まっている。

「現代中国のリベラリズム思潮」は2015年に出た本である。その後8年間中国の言論の状況はどう変わったのか。先日、この本の著者の一人秦暉氏の講演が神戸大学であったので聞きに行った。現在の政治などについての意見を言う自由がほとんどないことが彼の雰囲気から分かった。8年前に比べても中国の言論の自由は大幅に狭まっているようだ。
ただし、五四運動以降、あるいはもっと長く三千年前からの思想の流れを考えても、リベラリズムは中国思想と無縁の外来思想ではないので、いつか復活するしかないだろう、とこの分厚い本を読んで思った。