『地図と拳』と教育勅語

小川哲の『地図と拳』という本は1899年から1945年までの満洲のある町の盛衰をテーマにした小説だが、600頁以上ある。分厚い。
本来満洲には何の関わりもない日本人が、その町だけでなく満州国という広大な国家を作ってしまった。そのために必要な地図と計画、そのための強い意志そうしたものがどのように形成されたのかを描く。多くの強い意志を持った日本人がそれに関わるが、それぞれのひとの思惑・思想はそれぞれ違う。でも奇跡的に大国家は形成され、またそれを西側に拡大する戦争も起こしてしまう。そのとき(盧溝橋事件)にはおそらく〈計画〉と〈武力〉のバランスは崩れ、矛盾は拡大するしかない形になっていたのだろう。数年後日本は敗北する。そのような経過を数人の日本人の強いビジョン(理想)の挫折の重層として描いた小説だ、といえようか。
これはエンターテイメント的体裁は取っているが、むしろ各人が描いた理想とその挫折を描こうとしているものだ。ただ人間というよりも地図といったものを作る才能を与えられたがゆえにそれから自由になることができず、必然的に破滅していく何人もの人々といった風に描かれる。

さて、最近もtwitterでは、教育勅語が話題になったりしています。教育勅語は、「父母に孝に兄弟(けいてい)に友(ゆう)に夫婦相和(あいわ)し」みたいな無難な徳目が並んでいるだけに見えます。しかしそのポイントは「一旦緩急あれば義勇公(こう)に奉(ほう)じ もって、天壤無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし」にある。

この義勇について、和辻哲郎はこう言う。「倫理学・中(1942刊)」で。
「国家は個人にとっては絶対の力であり、その防衛のためには個人の無条件を要求する。個人は国家への献身において己が究極の全体性に還ることができるのである。従って国家への献身の義務は己が一切を捧げて国家の主権に奉仕する義務、すなわち忠義であるといわれる。そうしてこの義を遂行する勇気が義勇なのである。」
ひとりの人間はその一切を国家の前に捧げなければならない。その義務を遂行する勇気が義勇なのだ、と。
「命令への絶対服従、全然の没我、それが人間業とは思えぬような溌溂たる行動となって現前する。それが義勇である。人はこの義勇においておのれを空じ、全体性に生きるという人間存在の真理を最高度に体験することができる。」とさらにダイナミックに和辻は描写してみせる。
1931年満州事変に始まり、37年支那事変、41年太平洋戦争と戦争は拡大を続け、42年に、〈おのれ〉を100%国家(天壤無窮の皇運)に投企することが、溌溂たる生き方になるのだ、と和辻は高らかに宣言して見せたのです。

それはただの哲学者の空言ではありませんでした。実際にそういう哲学によって我が身を律していた軍人は沢山いた。

小川哲の小説『地図と拳』には安井という軍人が出てくる。
彼は次のように考える。
「満洲の経営に必要なのは、この地に住む大和民族の数を増やすことである。この国に大和民族が少なければ、我々の唯一無二の崇高な精神が浸透していかない、そのために、莫大な数の移住者を募る必要があった。p456」

「大和民族が満洲にやってきたのはなぜか。大義名分があるからだ。大義名分とは、世界でも固有で特別な存在である大和民族に、蛮国を統治する義務があるということだ。大和民族が特別であるのは、天皇陛下を神と慕い、己を空にして奉仕することができるからだ。
しかし、今回の盗難事件における司令部の対応は、大和民族の性質からかけ離れたものだった。本来、正しく導いてやるはずの支那人に罪をなすりつけ、満州帝国の繁栄という大義を見失っている。これでは他民族となんら変わりはない。崇高な犠牲的精神はどこにも存在せず、司令部は目先の欲ばかり追っている。そんな者には、満洲を、そして支那を統治する資格などない。」p459より

大和民族は唯一無二の崇高な精神を持つ。天皇陛下を神と慕い、己を空にして奉仕することができることが、その理由だ。(しかし実際の日本軍はその崇高な犠牲的精神を見失いデタラメなことをしている)といった論理構成になっている。
「天壤無窮の皇運」という概念によってとても激しい超越性が導入されそれによって、泥まみれ血まみれの軍務に「おのれを空じ全体性に生きる」という超越を意味づけ人間業とは思えぬような忍耐で戦争を遂行することができた。

こうしたことが、「大東亜戦争」において「教育勅語」が果たした役割であった。
教育勅語本文と明治時代の注釈書だけを読んでも、ここまでは言い切れない。しかし戦中の実体はこういうものであった。従って、教育勅語は戦後いち早く禁止された。それの復活を願う勢力もあるが、天壤無窮の魅力とその悪魔性をまったく隠蔽するものなので、話にならない。