大西つねき氏は生命選別論でもない

大西つねき氏の「生命選別しないと駄目だと思いますよ」という発言が取り上げられ、かなり強く批判されている。
批判対象になった、大西発言文字起こし

しかし、彼の本意は「とにかく長生き、死なせちゃいけない」という思想・制度が正しいのか、幸せを生んでいるのか?、というところにあっのだと思う。

例えば、twitterでは、thisgamewas さんという方が、
“高齢者をとにかく死なせちゃいけない、長生きさせなきゃいけないって言う政策を取っていると”、という一文を引用して次のように続けている。(この文章は実際非常に重要である。)

「大事なのはここでしょ。
実際にいまの日本でお年寄りが倒れて病院まで運ばれたら自然死は選べないよ。
医師の判断で管を外す事はできない。

自分の身内を含めて、たくさんのそういう高齢者を俺は見たよ」https://twitter.com/thisgamewas/status/1281436982749454336

「いのち」というものが、殺してはいけない聖なるものとされることによりタブー化され、ほとんどの自由意志と身体の自由を奪われるままに、病院のベッドに横たわり続けることが「健康上の正義」だとされる。そのような制度を日本全体で作っていることに対して、根本的に考え直すべきだ、と大西は言っているのではないか。

むりやり多くの「管」をつないで、多量の薬を入れて、むりやり生きさせられる(スパゲティー状態)。その数ヶ月。
回復すればよいが、そのまま死んだ場合、その数ヶ月の「生」とは何なのか?病院でむりやり生きさせるのは、かならずしも正しくない。そう考える人は多いはずだ。
しかし、ではどうすればいいのか。人はどのように死を迎えるべきなのか? 難しいがもう少し考えてみよう。

生きること/死なせること、の二項の間に 危険をおかす/安全のために閉じ込める(介護者の意見を聞く) というもう一つの 選択を考えことができる。
介護者(医療者)の健康のためにあるいは安全のためにという言説により、当事者の自由・行動が抑圧される。これが〈健康による抑圧〉である。

現代社会は膨大な病院群をかかえている。人々を病気であると名指し入院状態から離脱させない効果を持つ言説の方が、病院の経営のために有利であればその方がもてはやされるということが起こりうる。これがはっきり観察できるのが、精神病院についてである。諸外国では入院はどんどん減っているのに対して(イタリアでは40年前に原則ゼロにした)日本でだけ入院者数が減らない。その最大の要因は、入院者が多い方が私立病院の経営が安定するからだ、と言われている。患者の健康という口実の下に、患者の自由が奪われているわけである。

超高齢化社会においては、自分の身体の(あるいは親しい人の)不具合、病気、死といった時間とどうつきあっていくのかという問いに、私たちは向き合わざるをえない。具合が悪くなれば入院し1,2週間で退院していくといったサイクルはもはや期待できないのだ。いわば「with病気」であるところの生を、生きざるをえない。このような時代になってしまったからには、生きることの主導権を医療者の側から奪還し、痛みと危険と共に生きる権利を、そのための勇気を獲得していくことであるだろう。そういう答えが正しいのかどうかは分からない。ただそうした困難な問いに一人一人が向き合う覚悟は必要になる。

死をタブー化し、ひたすら遠ざけようとするのはもう止めよう。
「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」という西行の有名な短歌がある。「出家遁世」(しゅっけとんせい)というものが当たり前だった時代の感覚は我々には分からない。しかし世俗の価値観をいったんまったく捨て、美を希求するというただその一心において生き、その情景のなかで死を迎える。20世紀は金銭と欲望と消費というモデル、つまり明らかに若者向けの時代だった。21世紀の超高齢化社会は、それとはまったく違ったモデル、年寄りがどう生きるのが美しいのかのモデルが必要なのだが、まだ形成されていないようだ。

今日は体調が悪いと思っても、愛犬のために散歩に行く、とかもささいなことではあるが、そうした一例になりうるだろう。その犬を愛するという具体的な関係、具体的な行為、具体的な危機を生きることを終わりまで辿らないと、死はやってこない。死を自分のものにするためには、大きな愛が必要なのだ。単純にボケていくといった生き方もある。その場合も自己を肯定し気弱にならないためには、やはりそこまで積み重ねてきた自信が必要ではないかとも思う。

わたしたちの社会は、金銭や仕事についてだけ価値を認める社会である。それは言い換えれば、金を持っていない失業者は自由になれ!すなわち死に至る自由を行使せよ!といった圧力が普段に働いくということだ。それが実際に実行され貧しい高齢者が「殺されて」いく危険性は高い。今回、大西氏の「生命選別しないと駄目だと思いますよ」「社会的選択を していくしかない」という発言は、広くヒステリックな批判を招いた。それは、そのように「高齢者」「障害者」を「殺していく」イデオロギーとほぼ同じものがそこにあると、解釈されたからだろう。
それはもっともなことだし、したがって、「生命選別しないと駄目だと思いますよ」「社会的選択を していくしかない」という言葉自体は謝罪し撤回すべきだろう(たぶんしているようだ)。
だが、大西つねきの投げかけた問題、1,2で書いた問題はそれとは別に、大きな問題として残っている。

ところで、「大西つねき氏の動画内での発言は、れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない。」

7月7日付け
で、れいわ新選組は言っています。

しかし、大西発言の一部「生命選別しないと駄目だと思いますよ」「社会的選択を していくしかない」などには、上記3で検討したように大きな問題点があると思う。
したがってそれに対して組織的対応がなされるのはおかしくないのだろう。
しかし、私が強調したいのは、「命の尊重」を表向きは掲げる現在の医療の全体がかなりおかしな歪みをもった現状になっているということを、まず認識すべきだということです。しかしこれは難しい問題であり、各人によっても認識は異なるものでしょう。そしてそれに対してどうしていくべきかについても、すぐには一致できないだろう。であるとしても、これが問題になった以上、各自がより深くこの問題について考え議論していくことは必要になるだろうと思う。
また、普遍的な問題についての理解において相違がある各自がなお、現状において具体的問題_回答において一致しうるという形で、政治的に共闘していくということは可能であると思う。れいわにはそれを追求していってほしい。

黄晳暎『パリデギ』、火の海・血の海・砂の海を越えて


『パリデギ』
は黄晳暎(ファン・ソギョン 1943-)という韓国の作家の書いた小説。
副題が「脱北少女の物語」という。2008年に刊行されたこの本は前に図書館で見たのだが、脱北女性の物語は『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』斉藤博子著
映画マダムBなどいくつか知っているので、すぐに読まなくてもいいかと思ったのだ。

飢餓に至る困窮に対して、道端のクズを拾って売るなど血みどろの労苦の末に生き延びるリアリズムを、そうした本は表現している。それとそのような境遇を強いた国家(金一族)への呪詛と。

一方、この本はそうした本とはかなり違っている。
主人公は夢見る少女である。ただその夢は甘くふわふわしたものではない。困窮のうちに数千年生き延びてきたアジアの低層民が語り伝えてきた奇妙なおとぎ話。
ある春の日。門を開けると、私(5歳)より少し大きな女の子が立っていた。その子は白い木綿のつんつるてんのチマ・チョゴリを着ていた。主人公のパリは霊感の強い少女だった。それはおばあちゃんから受け継いだものだ。「あれはね、伝染病の鬼神なのさ」とおばあちゃんはいう。柳田國男的な話。

パリ一家は豆満江沿いの国境の町に引っ越す。
「前に美姉さんと豆満江に行った時、水に浮かんでゆっくり流れてくる人の姿が見えた。幼な児をおぶったままの母親の死体だった。きっと、母親と子どもが一緒に死んだのだ。美姉さんと私は、以前ならびっくりして悲鳴をあげ、誰かを呼びに走っただろうが、その時は息をこらして見つめていた。死体の後ろには、解けて長く伸びたねんねこの帯が揺らぎながら流れていた。」
数百万人が餓死したとも言われる90年代中期の北朝鮮。その悲劇を黄晳暎はこのように静かに描き出す。死体が流れてくる、それに対して悲鳴も上げずにじっとながめているまだ幼い少女たち。そこには、無残な死が幾分かは自分自身の未来にもあるかもしれないといった予感さえ孕まれていたかもしれない。

飢餓が激しくなるころ事件が起こり、一家は離散する。パリは賢(ヒョン)姉さんとおばあさんとともに川を越え、中国に入る。中国人の家に一時厄介になるが、そこも出なければならなくなり、裏山に穴を掘り住むことにする。
ここで、おばあさんがパリ王女のお話をしてくれる。その話はパリ王女が、両親とみんなを助けるために、生命水を取りに西天の果にまで行く話。ひとりの悲惨な脱北少女の悲惨な話に、このおとぎ話を二重に重ねていくといった構造をこの小説は取っている。死者や死者の世界との媒介をしてくれる愛犬と幻のなかで交流できるという神秘的能力をパリはもっていた。

物語は本の半ばで大きく回転する。パリは運命のいたずらにより、人身売買の犠牲になり、はるかロンドンに運ばれる。そこで彼女はまたゼロから難民としての生を生き直す。
私が冒頭で上げた2つの脱北女性、斉藤さんは日本へ、マダムBは韓国に帰る。詳しい話は省略するが話は東アジア3国で完結している。
しかしパリデギの場合は遠く、ロンドンに行きそこで終わっているのだ。パリはそこでパキスタン系の青年と出会い結婚する。しかしその相手はなんと911後のイスラム青年たちの熱狂に巻き込まれ行方不明になってしまう。

話が錯綜しすぎのような気がするが、そうではない。この小説はダンテの神曲のように、究極的な問いに答えようとしているのだ。問いとは、なぜ彼らは、300万人を越すとも言われる膨大な北朝鮮人は無残にも、死んでいかなければならなかったのか。その惨禍は数年続き、隣国であり繁栄を謳歌していた韓国と日本は、それを知ろうとすれば十分知り得たはずだ。しかし私たちのしたことは徹底的な無視だった。
飢えて死に、病気で死に、苦しんで死に、痛ましく死んだその膨大な人たちは、何も言えずに死んでいった。「すぐ答えておくれ。どんな理由で、わたしたちは苦痛を受けたのか?」
パリは問いを受け止め、試練の旅を続けざるをえない。パリは魔王と戦い、生命水を飲み帰ってくる。「わしらの死の意味を言ってみろ!」この問いに答えるために。
この問いには答えが与えられるが、その答えはあまり成功しているようには私には思えない。

ただ、「脱北」という巨大な悲惨を、どのような問いとして再構成したのか?
東アジアに閉ざされた国家内部の悲劇として描いてしまってはそれは違う、と彼は思った。
古くさいようなおとぎ話(火の海、血の海、砂の海を越えていく話)と二重重ねすることにより、かえって普遍的な膨大な悲惨の只中の生を浮かびあがらせることができると、黄晳暎は考えたのだろう。