水俣病関西訴訟から18年

原一男の『水俣曼荼羅』という長い映画を見た。思ったことを2点だけ書きます。

2004年10月、水俣病関西訴訟に対して、国と熊本県の責任を認める判決を最高裁判所が出した。
この判決の意味についてこの映画は、冒頭一時間以上を掛けてていねいに解説する。主役をつとめるのは、浴野成生(えきのしげお)と二宮正。(長い映画全体の主役とは言えないが)
http://aileenarchive.or.jp/minamata_jp/documents/060425ekino.html で次のように書いている。
「水俣病患者と慢性メチル水銀中毒患者は、いずれも口周囲と四肢末端に感覚異常を訴えた。日本では、末梢神経が傷害されて引き起こされたと信じられてきた。しかしこの感覚障害は、末梢神経でなく、大脳皮質の神経細胞の瀰漫性脱落によって生じていた(Neurotoxicology and Teratology 27 (2005) 643-653))。この誤診によって多くの典型的水俣病患者が認定申請を棄却されてきた。」

ものを感じるのはA「手足の先の神経」が損傷してもB「大脳皮質の神経細胞」が損傷してもうまくいかない。Aが損傷せずBが損傷している場合も駄目である。ところがこの場合は1977年(昭和52年)に環境庁が定めた「52年判断基準」によれば水俣病とは認定されない。
そうではなく、Bの損傷の方に水俣病の本質があるとするのが浴野学説。最高裁がこれを取り入れた時点で、「52年判断基準」は覆され、膨大な未認定患者が救済されるはずだった。
ところが、そうならなかなった。
不思議な国、日本。

慰安婦問題のキーワードは「賠償と謝罪」である。水俣病についても同じである。この映画でも、国や県の偉い人が謝罪せよと責められて深々と頭を下げるシーンが何度も出てくる。そのシーンだけを見ると、何度も頭を下げさせられてかわいそうだ、という逆の感想を持つ人もでてくる可能性がある。
謝罪せよ、と迫ることの意味がズレていることが原因ではないかと私は思う。
問題は「事実」の存在である。
水俣病患者(申請者)は有機水銀の影響を受けている。大脳皮質の神経細胞に損傷を受け、感覚障害がある場合、水俣病である。浴野学説を最高裁が採用しそれを覆す論文が存在しないかぎり、そう考えるべきだ。
当局が被害者に金を渡す場合、この金で被害者を黙らせることを目的とする。「事実」(加害という事実があったこと)をできる限りごまかすことが目的なのだ。「謝罪」はそれを求める側にとっては、「加害の事実を承認し申し訳なかった」ということだと理解される。これがマチガイである。当局者はその時、相手の前に立ち、相手の気持ちをなだめ、問題の明確化を避けるためのパフォーマンスとして「謝罪」を遂行する。
被害者は「謝罪と賠償」を要求するのは、どうなのか?まず「加害という事実」を認めるかどうかを先に確定すべきであり「謝罪と賠償」を要求するのはその後でよい。
(私が書いたようなことは何十年も闘い続けている先輩たちが気づいていないはずはないが)