田坂さま
お手紙、ありがとうございます。
「科学・技術」と「社会的なものごと」の分離という注目点は興味深いですね。
理科系と文化系に社会・人材が分けられていて、領域横断的判断ができないので、問題が起こっていることは多い(気もします)(日本では特に)。原発問題、気候危機問題、などなど。
20世紀文明の印象的場面としては、でかい工場で流れ作業で自動車を作ったりするシーンがある。その裏側には、「こびと・ボール」にある過酷な労働がある場合も多い。
p206「作業をしているときの自動旋盤はまたとなく美しい。僕が見た旋盤はそのとき、タイヤのエアバルブのねじを削っていた。工具台が主軸の回転をリードスクリューに伝え、バイトが工作面にらせんを描いて小さい可愛いねじを削り出す。」
「バイト」という言葉が分からなかったですが、ググるとありました。
https://sakusakuec.com/shop/pg/1sbite01/
魔法のように感動を与え、美しいだけでなく、世の中の役にたっている。素晴らしいですね。
科学技術は本来、ひとに感動を与えるはずのものなのに、そうなっていないのはなぜか?
科学技術は本来誰でも触ることができるはずのものなのに、逆になっている。進歩が進むほど少数の人しか接近できないようになる。それはまちがっているので、そうじゃない社会を作っていくべきだ。
「自動旋盤、工具旋盤、ねじ切削旋盤、ねじ研磨機、ドリルマシン、フライス盤、そして小さな溶解炉が設備のすべてだ。」という表現の背後には、そういう思いがあるのかもしれません。
コンピューターの発展のおかげで、だれでも無料でプログラミング言語にアクセスできるようになった。また、SNS、youtubeなどでの自己発信も容易にできるようになった。
ただ、みながうまく使っている社会にはなっていません。
科学・技術というテーマを、この本を読んで見つけ出す人も少ないでしょう。
とても刺激を受けました。ありがとうございます。
メールでの返信で、申し訳ないが許してください。
野原燐