(2)ある市民運動を、過激派として排除しようとする某氏

(1)
前稿「ある市民運動を、過激派として排除しようとする某氏」で、
ある市民活動家HTさんに対して、「(あたかも中核派であるかに印象操作した後)極左」とよび、排除を呼びかけだ菅野氏の発言はありえないものだ、と批判した。

そのような排除の呼びかけ、暴言は、私が思っていたより長く、何度も大声で繰り返されたようだ。困ったものである。

(2)
そもそも、市民運動とは異質な思想をもった他者が共同行動することである。例えば、スローガン一つとっても強い思いを込めた表現行為であり、他人のそれとは食い違う。紛糾つきものであり、妥協なしには共同行為なしえない。そのような「紛糾と妥協」がない組織の方が、もちろん一定の目的を整然と行うためにはふさわしいだろう。千人を超える聴衆を集めた講演会を整然と行うためには、統制のとれた命令系統をもったきちんとした組織が必要である。そのように彼ら(「正常会」https://hyogo-seijoukai.jp/)は2.24集会を成功させた。
それは反斎藤派運動を市民に広く認知させる大きな成果だったと評価しうる。
ただし、それは市民運動の本質ではない、と私は考える。
市民運動であっても統制のとれた命令系統をもったきちんとした組織によってやりたい、という思想はあって良い。正常会が一定の成果を上げたことは認める。
ただそうじゃない運動を悪しざまにいう権利はない。市民運動の本質は、社会正義を求めるとか抗議という公共に関わる意志と、ただの市民の自由(表現意識)との緊張関係にある。ごろごろしていてもいいのになぜあえてデモに行くのか。そこに社会のなかでどう生きるのかというその人の考え方が問われる。政党活動はこうした根底的自由とのふれあいがないので、あまり面白くないというのが私の感覚。まして、命令と統制が好きな人の組織はあまり好きにならない。
ドンマッツ氏は「スパイ入れて乗っ取る」と言った発言を平気でしてしまう思想の持ち主であり、自分たちのグループ以外のものを排除してしまう。
(3)
しかしAという党派に属している人が一人居るからと言って、Bというグループの全部を「過激派」として排除すべきだとするのはオカシイ。つまり自分の感覚に合わないものはすべてダメだと決めているわけであり、それでは他者と連帯できない。運動などできない。最初から市民運動のなかで議論をする前提を欠いた思想だということになる。

「極左暴力集団である中核派関西派に最大限の侮蔑であたって何が悪いんだろう。
君ら、なんか勘違いしてない?その黄色のおっさん、極左やで?」という菅野氏のtwitter発言に対して、
「ヒューマンチェーン第4派の主催者および参加者は、
「極左暴力集団である中核派関西派」ではありません。
個人的な偏見に基づき、神戸の最大の市民運動の一つに敵対し妨害することは、影響力のあるアクティビストとして恥ずべきことです。」と言い返しておいた。
(参照 https://666999.info/noharra/2025/09/19/1992/ )

(3)
諍いはとにかく避けるべきだ、という考えがある。
そういう思想には賛成できない。
「中核派を含む極左暴力集団です」と何度も叫びあげるという一方的中傷を彼らが公然と行ったのは、彼らが市民デモhyogoを斎藤知事反対派内部とは見なしていないということになる。
彼らは自らのグループ(正常会)の内部でも、彼らに疑問を呈する人を吊し上げ排除するということを繰り返してきた。自分たちの狭い常識の範囲を超える人々をすべて敵視し、攻撃する傾向がある。しかも、自分たちの思想の範囲を墨守するというより、ファッションやセンス、どんくささ、高齢であること、トキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)など、自分の感覚に反するものを害悪であるかのように排除しようとする。

動画16分02秒には、「小田実のベ平連は統制をしないことをモットーとしている市民運動である。」と西信夫さんが述べたことろがある。

市民運動・政治運動とは自分の思想を基に勢力を拡大しようとするものであり、他のグループとはいさかいが生まれがち。対立をどう処理・対応するか?において、その運動の値打ちが決まっていく。多くの運動はリーダー層(2,3人)の思想・常識を参加者が共有することで成り立っており、思想的には一致点があるがなんらかの点で異質な他者というものを排除してしまいがちである。しかし、グループ内部における異論の許容は絶対に必要なことだ。(ただ訳わからない議論というものはありそれはなんとかすべきだらろう:ただ、野原〜松下がそれに該当しない保証もうないが)
まして、理論的に大差ない他グループに対して、それが他であるというだけの理由で排外的に振る舞い、ケチつけポイントを見つけ出し、最後には大衆の門前で暴言を吐くなど見下げはてた行為である。セクトである極左である、とはレッテル貼りに過ぎない。

市民デモhyogoは多くの団体のゆるやかな結合という形を取り、多くの市民の結集軸たり得ていた。グループ内民主主義や生産的な議論というというものは時間ばかりかかり大変である。しかし大事だと思う。

(4)
このドンマッツ氏のyoutube、これは1時間19分以上あるので、見ようと思われた方もたいてい途中で中断したのではと思う。

4.10兵庫県庁弾圧救援会に関わる部分が(42分00秒ごろ)から約3分ほど。
https://www.youtube.com/watch?v=TUQW6-A5YSQ&t=2525s (頭出し)
確認のための抜書をしておく:
大学生の庁舎内に入ってトラメガを使ったという事件。
「あんなもんね、建物の中に入ってトラメガ使う方がアホなんじゃ。
捕まって当たり前じゃ、ボケ」とのこと。
「・・・(そんな)キチガイどこにおんねん」

動画の最後の方で私にからんできた女が、(Hさん)最後弁護士みたいな奴に泣きついとんですよ。その弁護士がその学生の裁判を扱っている弁護士です。

「仲間でもなんでもない、gotohellだ。」
Aさんは、その弁護士が手を差し伸べただけで「gotohell」と言われてしまう。敵の友達はみんな敵、というなんかすごい関係妄想の世界である。

「ほっておけ。」「会長として言いますけど、傍聴には行くな、」ですって。

以上、長くなってすみません。
野原燐

ある市民運動を、過激派として排除しようとする某氏

自分のこと賢いと言っている菅野氏の発言ぶりを聞いてそれに同意する人も少なかろうが、そんなことはどうでもよい。「その黄色いおっさん」(HTさん)を極左であると決めつけていることが問題。

しかも、「極左暴力集団である中核派関西派に最大限の侮蔑であたる」ことは当然だと言い放った直後なので、HT≒中核派であるかのように位置づけた上で侮蔑したということである。仮にHT氏が中核派構成員であろうが、それだけで侮蔑すべきではない。しかもそれは個人的言動ではない。反斎藤のデモの最中に、ある市民を、極左と呼び排除しようとする。その菅野氏の政治思想が問われるべきである。

https://twitter.com/noiehoie/status/1968649203346735204

これが、ドンマッツ氏の発言のうちでも最悪のものの一つ。
この女性の言い分については、できれば後に補充したい。

菅野氏は、ヒューマンチェーン第4派の主催者および参加者全体を「中核派関西派」と言っているようだ。
少なくとも、上記ツイートによれば、ヒューマンチェーン第4派の参加者全体を、現場で「極左暴力集団」であると決めつけていることになる。

その根拠というのは、このツイートにある「M氏が中核派関西の一員であり、市民デモHYOGOの中で幹部組織である「世話人」の役についている。」というだけである。

市民デモHYOGOは、約40の市民活動団体のゆるやかなつながりにすぎない。ML(メーリングリスト)の他に、月何度かのビラ撒き、集会企画などをするだけの団体である。
来るものは拒まない方針のため、元または現新左翼組織の構成員が会合に参加することもあるだろう。「中核派」というものにアレルギーを持つ人は多く、それには理由がある。しかし、M氏を拒絶しなかったことによって、市民デモHYOGOおよびその企画に参加した市民を「中核派」「極左」と呼び、排除すべきと呼びかけることは明らかに間違っている。

市民デモHYOGOは、あくまで連合体に過ぎず、組織方針を決める幹部組織などというものは存在しない。組織としてありえない、と菅野とドンマッツからは見えたようだが、緩やかすぎる組織だからこそ持続しえた(とも言える)。資本主義社会で通用する組織の常識を絶対視する彼らの方がオカシイのだ。

「長く運動してきたからと言って
市民デモHYOGOのやり方には一切賛同しない。

一時は敬意を持って接したが、蹂躙に蹂躙を重ねられ、今の状態になっている。」とドンマッツ氏は言っているが、「蹂躙に蹂躙を重ねられ」などという事実はなかろう。
去年の集会で、ドンマッツ氏に失礼な行為があったようだが、謝罪はなされている。
なんで「一切賛同しない」と力む必要があるのか?(もちろん賛同してないのだからそのままで良いが、激しい嫌悪のエネルギーを持続する根拠がよくわからない。)

おはようございます。

「新たな、本当に民主的な、県民による兵庫県の民主主義を下支えする運動が必要やから、こないだの県民集会みたいなロートルクソリベラルのやってる自己満足の運動やったからあかんから、みんなで集まってみんなで活動してるんでしょ?」(11577行) 正常会のログから菅野氏発言。

これについて共感できる点もある。 こないだの県民集会の主催者はきちんとした組織ではないので不明確。市民デモ兵庫というMLの中心的活動家がその集会のために集まったもの。

「ロートルクソリベラル」というよりとりあえず「ロートル左翼」と呼んでおく。 1.「ロートル左翼」の欠点。ある目的を達成するために時間がかかる。 また、議論で決めるといいながら、時としてその経過があいまいであり、公開されていないこともあり、あいまいorパワハラ的なこともある。中心メンバーの感覚でものごとが決まっていく。

2.「ロートル左翼」の長所。メンバーの発言や行動について最大限の自由が認められる。意見がちがう人々も活動にさえ同意すれば、一緒に行動することができる。例えば、ある集会をする時、その目的、趣旨などを厳密に定めず、(今回の場合なら、反斎藤の運動を作る、といった)大雑把な目的のために一緒に行動できる。

集会にしろチラシにしろ、お客さんに楽しんでもらえるようなプロの水準というものは想定可能です。正常会ではそうした水準のものを作らなければならないという意識が強いようです。

市民運動(など)において、一番大事なことは、誰に頼まれたわけでもない自分自身の意志で、ある行為を行うことだと思います。twitterで2.3行の文章を書くときも、まじめに考えればけっこう考える時間が必要です。また友人と話あってもいろいろ話をしていくうちに、いろいろなところで驚くほど考え方が違うことに気づくはずです。 そのような悩みにいちいち付き合いながら、行動、発言を深めていくことが、市民活動としての「成熟」ではないでしょうか。 ここでいう「成熟」がないと、例えば各政党などの影響力に振り回され、不満ばかり貯まることになります。

☆「裏側での個人間LINEのやり取り」の禁止など、メンバー同士の二人または数人の直接の意見交換を禁止したいという、思想をはやくからこのグループは持っていたようです。日本共産党的にいう「分派活動の危険性」を警戒してのものでしょう。 とにかく、指導部あるいは討議による結論が先にあり、目標のために異論を唱えず効率的に行動する組織、普通の会社のような組織、をこの会は目的としているようです。 これは私の考える、民主主義的社会運動とは違います。100人居れば100人の考え方があり、相違と議論はいつまでも残るはずです。不和や矛盾をかかえながら、目標において一致すれば良いだけでしょう。

以上、おおむね以前に書いたことの繰り返しになりましたが、私が言いたいことを書かしていただきました。

それと、私が行っている県庁前スタンディングのように、一人でもできる行為をみなさんひとりひとりもっと行われたらよいのにと思います。

いま、どんどん人が抜けてますね。 組織に対して無条件の忠誠を持たない人は黙ってやめてほしい、とメッセージされているような感じだ。 やめるなら、今の気持ちを聞かせてくれ、斎藤を辞めさせたいという当初の気持ちは一緒だったのに、どこで食い違ったのか私たちも考えたいから、という柔軟さを、この組織は持たないようだ。 除名に関するルールと○○委員会をまずきちんと整備すべきでしたね。 野原燐 (正常会 https://hyogo-seijoukai.jp/ を止めるときに書いた文章)

5月に(正常会 https://hyogo-seijoukai.jp/ を止めるときに書いた文章)が出てきたので、参考までに、掲載しておく。
正常会というグループは、異論あるひとを排除するという不健全なグループだったので、もっと早くめんどうでもきちんと批判し、辞めるべきだったね。
だいたい、菅野氏が最初、トキシック・マスキュリニティを口にした時点で、ひっくり返って、戻るべきだった。

近況

 みなさん 暑かった夏もようやく終わろうとしています。ごぶさたしています。野原燐です。

 2023.10.7からのイスラエルのガザ侵攻はジェノサイドの域に達し、ガザ全市を更地にするばかりの破壊、飢餓が進行中です。兵庫県をはじめ、大きな組織の空気はよどみ、歪み、中のひとは苦しんでいるのかもしれません。

 去年3月退職を数日後に控えた兵庫県西播磨県民局長に対する処分が発表されました。斎藤元彦知事のパワハラ・おねだり体質、また、2023年阪神・オリックス優勝パレードについて、県費を支出しないなら、民間で実行させればよいのに、実際は「信用金庫への県補助金を増額し、それを募金としてキックバックさせることで」寄付金を補ったのではないかなど、多くの疑惑を告発した元局局長に対して逆に処分したもの。これは公益通報に該当するものと、後に認められた(主管官庁消費者庁によって)。

公益通報の場合、告発者探しをしてはいけない。しかし斎藤氏はそれに反し告発者を探し(公平校正とはいえない)処分をした。

 その後、二つの委員会報告によって文書の公益通報性は明らかになった。にもかかわらず、斎藤氏はそれを認めず、自己の認識の無びゅう性を主張し続けている。知事発言はトンチンカンなのだが、それを指摘しても知事は論理的能力がないふりをして、応答しない。民主主義の基盤は議論であり、議論の能力を欠いたものが知事である場合はマスコミなど万人に叩かれ辞任すべきだが、そうなっていない。

 このような状況の中で4月10日に、3人の男性(うち二人は二十歳の学生)が知事室を訪問し、辞任を求めた。知事室への入室は拒まれ、2人は知事室前で2分ほど抗議したが、その後そのまま退去した。しかしその後約1時間後元町駅付近で現行犯逮捕された。結局、3人とも逮捕され、二人は22日間の勾留で略式起訴、Aさんは起訴され72日後にやっと保釈されました。

  そもそも刑法に問うべき大きな違法性はまったく存在しておらず、不当な起訴です。そして、起訴さえすればいくらでも長期勾留できるという日本の制度のオカシサは糾弾されるべきです。現在、刑事裁判が神戸地裁で継続中なので、是非関心を持ってください。

(詳細は →4.10兵庫県庁弾圧救援会)

(関連記事 →3月の告発者はまだ死なない)     

                    

閔妃殺害事件(1895年10月)について

閔妃殺害事件(1895年10月)は、前に書いた「1894年7月23日の朝鮮王宮占拠
https://666999.info/noharra/2019/10/22/miya/」の約1年後の事件である。

閔妃(明成皇后)は韓国で124話もあるドラマになっているので、韓国では人気があるのであろう。(https://www.lisbo.jp/detail/7184)しかし日本の戦前には、ひどく悪く言われていた。当時朝鮮には3つの政治勢力があった。興宣大院君(1821-1898)と閔妃(1851-1895)と「東学党」であった。「東学党」は匪賊扱いであるが、閔妃もまた古く否定されるべき勢道政治(親族を政府の要職に登用する)の代表者として低く評価された。その場合、近代化が絶対善でありそれに反対するのは悪とされる。それにしても日本が殺したのだとすれば、自分で殺しておいてその後貶しつけるというのは、自己合理化にしても説得力がなく醜いと思う。

以下に閔妃殺害事件の概要を簡単にまとめて見る。

1, 1895.10.8の早朝、朝鮮の王宮景福宮(キョンボックン)の奥深く、王の家族の居室となっていた場所で、侵入してきた日本人たちに王妃閔(ミン)氏が殺害された。
つまり、日本が明成皇后を殺した。

でそれ以外に知る必要があることは何だろうか?

2,当時の状況は、金文子の本で簡単にまとめられている。
「1895年4月、清国が日本に降伏して日清戦争は終結し、講和条約が締結された。ところが、講和条約で決められた遼東半島の日本への割譲に対し、露・独・仏の三国が異議を唱え、日本政府に遼東半島半島の返還を求めた。」日本はそれを受け入れる。日本政府が最も恐れていたのは、三国の要求が朝鮮問題に及ぶこと。「日本政府は朝鮮に対しては干渉しないということを何度も公言した。」p357
電話線の朝鮮返還論を唱える井上馨が更迭され、三浦梧楼が1895.9.1に着任。三浦は朝鮮に駐屯する日本軍の指揮権を要求し、10.5付けで承認された。
その三日後に閔妃殺害が行われた。

3,三浦悟桜がなぜ王妃を殺したのか?
「筆者は三浦悟桜は大本営から与えられた使命を遂行しようとしたものと考える。その使命とは、釜山から義州まで朝鮮半島を縦断する電信線を日本軍の管理下に置き続けるために、それを守備している後備兵を現役兵と交代させることである。」p350
当時の大本営の意思決定の中心にいたのは川上操六。「三浦梧楼のソウル着任後、外務省を無視して川上と三浦が通信を始め、後備兵の撤収と常備軍の派遣について電信が往来したこと、その電信中で川上が義州までの電信線確保を明確に表明している(第Ⅱ章4節)」p350 当時は、無線通信が可能になった日露戦争時と違い電信線は必須のもの。

朝鮮半島に対する日本の影響力を確保しておくため「三浦梧楼が、その障害になる王妃ーーロシアと結んで日本に対抗する姿勢を見せていた王妃ーーを除去し、親日政権の確立をめざして、京城守備隊という日本の軍隊を使って引き起こした謀略事件である。」p359
「訓練隊という日本人士官が訓練する朝鮮軍が大院君を擁して起こしたクーデター」を装った。遼東半島半島の返還に関する交渉が露独仏との間で妥結し、95.10.7に通知があった。事件の前日である。
(川上操六は日清戦争後まもなく死去したらしい。そのせいもあって、その役割の大きさがあまり認識されていない、と金文子は言う。p362)

4,「宮内大臣李耕植を狙撃し、王妃に最初の一刀を振るって致命傷を与えたのは、京城守備隊長馬屋原少佐に付き添って、直接命令を受けて行動していた宮本竹太郎少尉であったことは、関係者の間では周知の事実であったのではなかろうか。」p257

5,「三浦が企てた謀略は、王妃殺害の目的は達したものの、日本人の関与を隠す点において大きく破綻した。」p359 国際的非難は高まり三浦らは帰国させ裁判を受けることに。反日感情は高まり、親日派政権(金弘集)は短命に終わる。

一国の王妃を日本人がなぶり殺しにしたというのは絶対にあってはならないことであり、事件の企画段階から秘められていた。事件の後は真相を隠すためのフェイクを含む史料が大量に作られた。公文書である電報など一次史料でさえ。
「大院君が三浦梧楼と共謀したという証拠は何ひとつない。従来証拠とされてきたものは、すべて捏造されたものである。
本事件を「歴史上古今未曾有の凶悪」事件であると外務省に報告した京城領事内田定槌でさえも、「日本の名誉」を守るため、日本の官吏と軍人の関与を隠蔽しようと、関係者の口裏合わせに積極的に関与していき、原敬への私信には書かなかった三浦と大院君の共謀説を交信報告書に残した。」

以上は金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』2009年の内容を(主に357-360)を中心に簡単にまとめたものだ、つまりさして、価値のあるものではない。。(学会ではこの本の内容に別に異論は出ていないのではないか)
金文子氏の本は良い本なので読んでみてください。

ただnetでは、歴史学的には確定しているところの以上の事実を、ことさらに疑がってみる勢力がある。それに反対するために、標準的見方のサンプルとして掲載してみた。

参考:グレートハウス作成報告書(内田定槌送付)を読む。

日本人の書いた文書はすべてこの世紀のスキャンダルをなんとか軽いものにしようとするバイアスに貫かれています。
それに対して、この報告書は、皇后を殺され丸裸になった高宗が、なんとか宮殿を抜け出し(露館播遷1896年2月11日)た後、王后の死にに関し完全にして且つ公平なる調査をなすべしと命令を下し作成されたもの。信頼性は高いと考えるうる。

殺戮は壮士が行い日本兵は関係ないという人もいますが、赤線部を読むとそうではない。

「サバチン氏の言う所によれば、日本の士官は現に庭園内に在りて壮士らの暴行は一々これを承知しおりたるのみならず、」云々と書いています。
士官は仮に直接手を下していないとしても、間近にこれを監視監督する中で殺戮が行われたわけです。

アメリカ公使の認識

・(1895.10.8の昼までに)、露国代理公使ウェーバー氏および米国臨時代理公使アレン氏は参内し国王に(拒否をはねのけて)会った。
今後このようなことがないよう「卿らにおいて尽せさられたし」と国王から依頼された。p20-21
・10.12、王后閔氏は「朕の聡明を擁蔽し人民を剥奪し」…、王后閔氏を廃して庶人となす旨の詔勅が出た。p32
・合衆国代表者アレン氏は左の簡単なる語りを持って之に答えたり「本官はこの詔勅が陛下の叡慮(えいりょ)に出てたるものと認定すること能わずと」
而して他の諸国公使も亦一名を除く外皆外部大臣に向ってこれと同様なる回答を送れり。p35
・その後十日を経て、日本政府は三浦、杉村、数多くの陸軍士官その他を日本に召喚し逮捕した。p35
・11.26 各国公使など外国人を宮城に迎え、王后を貶する詔勅を取り消し最初から無効なるものなりとし、王后陛下の崩御を公然発表せり。p36

朝鮮王朝にとって、王后を虐殺するなど絶対にあってはならないことです。そこでまず王后を庶人に落とし、殺害を隠蔽するという二つの嘘をつこうとしました。しかしアレンなどの身近で起こった事件なので、それは通用せず、「王后を貶する詔勅を取り消し最初から無効なるものなりとする」というみっともないことになりました。歴史修正はこの時点でまず失敗したのです。ところが成吉思汗氏が性懲りもなく、130年後も繰り返している!!

1/27の百条委員会行きました

今日は(1/27)兵庫県議会で最後の百条委員会がありました。

これまで抽選にだけ参加し外れることを3回したかな。今日もそうかなと思っていると、参加者が少なく入れた。
正式名称は文書問題特別委員会。資料の文書ファイルを配ってくれる、終わったら回収だが。
「聞き取り調査報告」がいくつかある。8つあった内3つが公開可と言ってくれたそうで、議員以外は一人。県職員1025-Bさんだが、この方の意見は公務員らしく法律と常識を踏まえた正論。反論の余地を塞ぐように周到に書かれている。ひょっとすると一般論としてならこのように書くのは能力さえあれば難しくないのかもしれない。しかしこの証言は斎藤が当選した後であり、斎藤の性格を考えると左遷などの圧迫を加えてくる可能性は充分ある。彼の勇気と見識を讃えたい。応援しているとここに書いて置きたい。

もう一つは迎山志保議員。4/19の16.30分ごろ、会派控室に総務部長(井ノ本)がたずねてきた。紙片を分厚いファイルに閉じたものを持ってきて、一部を見せてくれる。元県民局長のプライバシーに関するものらしい。一面にびっしり文字ばかりで小説のようなものかもしれないと思った。といった証言。
これが立花が後に大騒ぎする元県民局長のプライバシー情報(不倫・不同意性交といった何の根拠もないデマの元といえば元)である。この時点で、人事課は元県民局長の処分理由を必死に探していた。しかし人事課は、この情報は処分理由にならないのでプライバシーとして封印することにし、百条委員会もそれを追認したわけだ。
ところがそうした経過すら正確には把握していない立花氏が、断片的噂話から不同意性交などといったデマを、政見放送などで大拡散していくことになる。(公職選挙法違反になるだろう。)
そのとき語られたのは、「これが事件の真相なのに、奥谷委員長はそれを隠蔽するため必死で片山氏の発言を止めた」云々というもの。しかし、それは奥谷云々ではなく、プライバシーとして封印する、非公開情報とするとと百条委員会で公式に決まっていたものだ。その決定に反する行為が片山氏と増山議員によってなされた。そしてそれをネタにデマを大拡散する勢力が蔓延した。(増山議員には強く注意する旨、奥谷氏は今日も言っていた。今日言っていたのは、増山氏の1/18のSNS発言が情報漏えいだということ。)

いずれにしても、井ノ本氏が迎山氏に見せた内容は、元県民局長のパソコン(orUSBメモリ)にあった内容だろう。人事課から外部に流出することはあってはならない。つまりこの井ノ本氏の行為はあきらかに、公務員法で禁じられている秘密の漏洩に該当する。

委員会は30分ほど遅れて始まった。こちらに全57分の動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=CEdswjV6ScU

私は終わってから、県庁広報広聴課を訪ね、抗議を試みた。
上に迎山氏の発言で明らかになったように、そして実は早くに週刊誌報道でも報道されていたように、人事課において秘密にすると定められていた秘密が漏洩した。したがって、情報漏洩の事実があったと人事課において確認し、該当職員を処分すべきである。なんで10ヶ月近く放置しているのか、という抗議である。
広報課担当者はお気持ちは分かりますと受け止めてくれた。

細かい事実関係を、質問し教えてもらった。
総務部長は去年3月までは小橋浩一氏であり、4月から井ノ本 知明氏になった。ただし、井ノ本氏は2024年7月30日には体調を崩し休んでおり「総務部付」となった。(小橋氏も休職、7/31付け「総務部付」。現在の総務部長は有田一成氏。)

県職員の懲戒処分などは人事課で行う。人事課長の上司としては、職員局長、総務部次長、総務部長、副知事、知事がいる。
上司の非行を人事課長が裁けるかというと、難しくはあるだろうね。でもしなければならない。公務員が憲法に誓約するとはそういう意味だと思う。

第三者委員会については3つあると教ええくれた。
1.文書問題に関する第三者調査委員会 監査委員事務局 監査第1課所管 2024.6.12 弁護士に委託。
名簿 https://web.pref.hyogo.lg.jp/ka01/documents/meibo0918.pdf 委員長が藤本久俊弁護士、ほか委員2人、調査員3人。(全員の弁護士)
百条委とダブルので不必要ではないか。

2.私的情報漏えい調査の第三者委員会設置(井ノ本氏についての)
人事課

3.「11月の知事選後に立花孝志氏らがSNSで公開した県保有情報の漏洩疑惑」
法務文書課
2025.1.7 弁護士の推薦を兵庫県の弁護士会にお願いし、弁護士会の方から委員の推薦がきたので、7日付で委託契約を締結した
https://web.pref.hyogo.lg.jp/governor/g_kaiken20250108.html

第三者委員会(2,3)については、netで調べてもあまり情報がない。
特に2,人事課所管分については、分からない。
今後、補充したい。

立花孝志を逮捕しろ(2)

立花孝志を逮捕しろ  という思いを、ハッシュタグで共有したいという方が(日本中で)増えている。

それに関連した行動を、先日(1/20)少しだけしたので、報告したい。

 1/20月曜日朝から、竹内県議死去のニュースがショックで、なんとかしたいと思い、県警前スタンディングを思いつく。12時からの昼休みが人通りが多いだろうと考えたが、ぐずぐずしていて出発が遅れ、実際に立ったのは午後1時からになった。
 去年から、A4の紙を薄いクリアケースに入れ胸の前と背中に垂らすことを考え、今まで数回に実行した。A4だと印象は薄いが、楽でよい。
 県警前の人通り、少しはある。1時間立ち、共感してくださる方が一人居てはった。その方の友人も、県庁周辺ぐるぐるデモというのを一人で(不定期に)やっているとのこと。陽が当たるところに立ったので、暖かかった。
 スタンディングを終えてその後、県警に行き、広報課の人と話した。

 上に書いたように、12/25に県警に告発状を出そうとしましたが、受け取ってもらえなかった。
 今日は2回目の県警なので、前と同じことをしてもしかたないため、広報課の方と会いたいと言った。
 「立花逮捕せよ」が希望と言った。担当者が要望は何ですか、と聞いたので。しかし彼は、「そういう要望があったと聞いておきます」とのこと。これは斎藤氏の定番のフレーズである「しっかりと受け止める」という同じであり、内容は受け止める意志はなく、その場逃れの応答をしているだけだ、という印象。
 捜査・逮捕などが進んでいるのかを聞いても、捜査の状況についてはお答えできない、の一点張り。
 
 立花が政見放送において、渡瀬氏への誹謗中傷を含めた発言をして、選挙の公正性を歪めた。それは常識はずれのことなので選挙機関中に中止させるべきだったと主張。私も、選挙の公正性を歪められた被害者だと言った。県警は立花氏の活動を放置し続けたが、選挙の公正性を歪める活動を抑制すべきだという問題意識はなかったのですね?というのが私の質問。しかし回答はなかった。
 また、竹内氏などへの執拗な攻撃を立花たちが行ったこと、それを県警が抑制していれば、竹内氏が死ななかったかもしれないと言っておいた。担当者は、県民広報課警察相談係 古味さん。
「捜査にかんすることは一切答えられない」を強調し、立花が取調べを受けた事実がある、とも言いません。ある時ここらへん(県警1階)に居てたことは事実だが、とのこと。

具体的事実が法律のこの条文に該当する、と法的に明確化された訴えでなければ、それに応じることはできなのだという態度でした。
しかし思うに、市民は法的知識はあまりないのだから、こういうことを訴えたいとだけ言えばよいのだと思う。警察はそれを受け止め、例えば条文のどれにも当てはまりませんから残念ですね、という回答になる場合もある。条文との整合性は警察の側が判断することだと、私は思う。

刑事訴訟法を確認してみると、「第239条第1項:何人でも、犯罪があると疑う場合は告発を行うことができる」とある。
私の告発状を再確認すると、根拠をあげて犯罪があると疑っており、告発できる場合に該当するように思われる。
(https://x.com/Adepteater029/status/1882005972903952473
で教えてもらったが、「犯罪捜査規範第63条により、司法警察職員は告訴/告発があった場合には受理する義務を負う」とのことである。)
「犯罪があると疑う場合は告発を行うことができる」のであり、その後実際には、犯罪が発生していないと捜査機関が判断すれば、捜査に至らないことができる。つまり、書類の受付後、受理/不受理の回答がなされなければならない。書類を突っ返すというのはあってはならないことである。

しかし、実際には、私は2度のチャレンジで、兵庫県警という巨大な建物の入口から10mほど離れたロビーのソファまでしか侵入できず、敗退した。県警は自分たちは法的ルールに則って行動しているだけだと主張するが、現実には市民の大きな怒りなどにも応答する場合がある。
後で分かったが、この日の午前中、兵庫県警村井本部長は20日、政治団体「NHKから国民を守る党」党首、立花孝志氏が、死亡した竹内英明・元兵庫県議(50)が県警の捜査対象だった-などとSNS上で発信している内容について、「全くの事実無根」と否定した。彼が「通常では行わない」このような発表をしたのは、市民の大きな怒りが原因だろう。

他者への人権侵害にあたる場合、表現の自由は制限されるべきです。誹謗中傷に該当する場合などです。その家族などに対して中傷を加え、恐怖を与えることにより、議員を辞職させ、さらには自殺に追い込むことは犯罪であり、直ちにそのような活動の継続は中止させるべきです。
実際には、強制力を持っているのは警察・検察しかありません。彼らが動かないとどうしようもないわけです。法の精神に基づき公正な取締、逮捕等がなされているわけではなく、警察のきまぐれ(に見えるもの)をコントロールする方法はありません。私が行った行為は影響力をほぼ及ぼさないものではあるが、市民の直接の意志を警察に対して表現した点で意味があるものだと思う。
(2025.1.20-23)

立花孝志を逮捕しろ(1)

立花氏に対する告発状、受け取ってもらえず

とりあえず、事実だけ書いておきます。

12/25に100条委員会があり、傍聴30人のところ百人以上が詰めかけた。抽選。私は当然のように外れた。

私は前日用意していた、告発状を県警本部に提出しようとした。

ロビーで待たされると女性事務員(警察官?)が応答し、丁寧に文章を読んでくれた。個人では判断出来ないため、上に持って上がって、返事するとのことで、上に上がる。
帰ってきて、これは記載した条文に該当しないので、文書を受け取れないといって、文書返される。押し問答するが受け取らず。諦めて帰る。
帰りに「お見送り」とか言うので、そんなものは必要ない。そもそも公務員がそんなことのために時間を使うのが不適切だ。
さらに、ロジという言葉を知っているか、と少し発言した。終わり


告発状
2024年12月25日
兵庫県警本部 御中

告発人
住所 兵庫県○○
氏名 ○○

被告発人
氏名 立花孝志
住所 (貴警察において取調べ中)
職業 NHKから国民を守る党党首

告発の趣旨
立花孝志氏は下記(1)(2)(3)のとおり、公職選挙法違反を犯している。
「その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われること」(公職選挙法第一条)を立花氏は阻害した。本来選挙管理委員会は選挙期間中に立花氏の発言を抑制すべきだったのに、それはなされなかった。
早急に処罰していただきたく、告発する。

告発事実 および罰条
(1)
立花孝志氏は10月25日に下記の発言をしている。

https://x.com/tachibanat/status/1849607559046627523
自分が嫌いな知事を、虐めるために、ウソの事実を内部告発という方法で拡散した人間は、たとえ自殺しても私は許さない!」

しかし、元西播磨県民局長渡瀬康英の「告発」は、
1,知事を虐めるためのものではない。
2,渡瀬氏3月12日付け7項目の文章のほとんどは、事実または真実相当性がある。ごく一部の勘違いがあるだけである。ウソの事実ではない。
3,この文章は、内部告発に必要な小部数のみ配布されたものであり、拡散されていない。

以上により、この文章は虚偽(又は事実をゆがめて公にする行為)である。

「公職選挙法235条2 当選を得させない目的をもつて公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者に関し虚偽の事項を公にし、又は事実をゆがめて公にした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮こ又は百万円以下の罰金に処する。」に該当する。

((1)は、10/27にsenkyo_tsuho@police.pref.hyogo.lg.jp宛メールしました。)

(2)選挙公報には  
「ウワサ話を集めてウソ話を拡散した元県民局長はなぜ自殺を選んだのでしょうか?」という文章があります。
元県民局長がウワサ話を集めてウソ話を拡散した、は虚偽です。

上と同じく、公職選挙法235条2違反に該当する。

(3)公職選挙法は「その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保」するためのものです。
第一条において、被選挙人ではなく選挙人の自由意思、公明且つ適正を特に強調していることは注目すべきです。つまり、選挙人が「虚偽」や「ゆがめられた事実」によって、適正でない判断をしてしまってはならないということは非常に重要です。

第百四十二条の七にいう「表現の自由を濫用して選挙の公正を害する」行為は許してはいけません。

立花氏は立候補者として、選挙公報によって自己の表現を自治体によって拡散してもらっています。その表現が、選挙の行方に影響を及ぼすような「虚偽」に満ちていることは、あってはならないことです。

((2)(3)は、11/5にsenkyo_tsuho@police.pref.hyogo.lg.jp宛メールしました。)

追記:
不十分点については、追って補充します。

(以上)

兵庫県職員のみなさん

11/17の選挙によって斎藤氏が、再度知事になりました。
彼は「これまで説明しているとおり、県としての対応は適切かつ法的にも問題なかったというのが私の見解」と言いました。
https://news.ntv.co.jp/n/ytv/category/society/yt3bf8cc29c7494b6aaddbea3e43da6fcf
しかし、W氏文書に対する県の対応は公益通報者保護法に反したものというのが、事実であり、それを覆すことはできなはずです。それだけでなく、斎藤氏の言動についてはすでに百条委で膨大な質疑が繰り返されており、彼の主張は否定されています。

しかし彼は「民意を得たので、職員の皆さんは知事部局として一緒にやっていくのが地方公務員の責務」と話した、というのことのようです。
一緒にやっていくのは当然である。しかし、知事のパワハラは存在したのだし、それと同じことを今後もされても困る。
どうすればよいだろうか?

臥薪嘗胆である。この7ヶ月の間、斎藤氏は周囲の皆から何を言われようとも「県としての対応は適切かつ法的にも問題なかったというのが私の見解だ」という姿勢を守り抜きました。W氏はすべて正しかったが(不倫があったかどうかなど彼の告発の成否とは何の関係もない)、死を選んだのはマチガイだと思う。わたしたちは斎藤氏の厚顔無恥さに学ばなければいけない。
彼は何度も謝罪の言葉は口にしている。しかしそれは口先だけの謝罪だった。彼にはどんなことをしても守らなければならない「真実」があり、それ以外のことではすべて譲歩・謝罪しても良いと考えたのです。弁護士と相談しどこまでは謝罪しそれ以上は1mmもはみ出さないように慎重に言動をコントロールしました。


あなたは、何を守るか?
「県としての対応は適切でなく公益通報個人情報保護法違反だ」については守り切れはずだ。そして、それ以外の点についてはへらへらしておればよい。
四年間の臥薪嘗胆である。斎藤氏にできたことはあなたにもできるのだ。くじける必要はまったくないので、元気に出勤してほしい。
あなたは仕事をする。仕事とは県民(市民)のための仕事だ。法律に目的が書いてある、その目的に資するものだ。それ以外の県庁内部的な仕事と称するものはできるだけサボっても、まあなんとかなる。(無責任で申し訳ないが)
へらへらして、4年間をやり過ごすこと。斎藤氏の厚顔無恥さに学ぶこと。
生き延びるためではない。斎藤氏を心の底から馬鹿にしている「私」がそこに存在することは、すでに勝利だ。
元気でにこにこ、生きていってください!
(1975年入庁 野原)

関連:3月の告発者はまだ死なない

玄基栄『順伊(スニ)おばさん』について

2000年に「済州四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」が出来るまで、口にすることもできないほどの強いタブーの下に置かれていた済州島四・三事件。
1978年という早い段階で書かれたこの本は画期的なものであったが、光州事件を起こした全斗煥政権に許されるはずもなく発禁となった。

あまりにも残虐・悲惨だったその事件の全体像を垣間見るためには、この200頁足らずの本はとても有益である。四・三事件に関心を持ったすべての人に勧めたい。
と同時にこれら4つの短編は文学としてもとても優れている(また読みやすい)。

甚だしい残虐行為は被害者にも加害者にも、PTSDなどその存在に大きな傷を与える。(済州島の人々はその後も生活苦が数年続いたが)平穏な生活が何十年続こうがその見えない傷は癒えず、晩年に健康が衰えるとその過去は思わぬ力を振るいはじめる。このような問題は普遍的テーマとして何度も語られているが、順伊(スニ)おばさんはその最も成功した例だろう。

順伊おばさんは済州島からソウルに来た56歳の女性だ。お手伝いさんとして。
「近所の人たちが、わたしの陰口を叩いているだよ。こんど来たミンギとこの食母(女中)は大飯食いの済州島婆だと噂が出てるだよ」
「そりゃあ、ふるさとで畑仕事をしながら、麦飯を鉢に山盛りで食べていた癖があるもんだから、(略)茶碗でご飯をいただいているおまえさんたちよりたくさん食べているのはほんとだよ」つまり、大飯食いというのは「事実に反する中傷」ではない、しかし差別というものはそれが事実であればあるほど効果的である。
都会人は農民に比べると驚くほどちょっとしか米(この小説では麦、粟、芋どころかそれ以下のものを食べて生き延びたことが記されているが)を食べない。しかも都会人はそのことをまったく忘れている。そのような私たち自身の無意識というものが、大災厄をたまたま免れた幸福や、大災厄を通り過ぎそれをむりやり忘れようとしてきた自分に作られたものに過ぎないということ。ふつうの人間が持っている存在の「罪深さ」とまで言うと、違ってしまう。そのような問題を正確に描き出しているのだ。

この小説は、済州市の近くの田舎町の女子供の視点から書かれている。つまり被害者である。政治的情況が襲いかかってきたときよくわからないながら、「山暴徒」の側に参加していくことを選んだ青年たちの意志といったものは書かれていない。しかし、被害者というものがその混乱のなかで、いくつもの決断を強いられること、それは当然被害者だから無罪といった説明で納得できるものではないこと、被害者はアクティブな契機をいくつも持つがゆえにどこまでも自分を責めざるをえないものだということ、それを執拗に書きとめている。
ひとつの事件を最も深く描いているがゆえに、時代を超えた傑作になったのだ。

訳者である金石範氏による解説より、この事件の背景情報を参考までに補充しておきます。

スニおばさん 背景情報
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3月の告発者はまだ死なない

 今年の3月に、その月末で退職予定の兵庫県の西播磨県民局長が内部告発文書を配布した。県民局長は兵庫県という組織では幹部になる。渡瀬康英さんと言われる。

 内容は①五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯 ②知事選挙に際しての違法行為 ③選挙投票依頼行脚 ④贈答品の山 「斎藤知事のおねだり体質は県庁内でも有名。」とある。 ⑤政治資金パーティ関係 ⑥優勝パレードの陰で ⑦パワーハラスメント と列挙されていた。https://news-hunter.org/?p=21743 にその文書あり。

 しかし、斎藤知事はそれを認めず、最初は「職員の信用失墜、名誉棄損、法的課題がある。被害届、告訴も考えている。内容はウソ八百だ。ありもしない内容だ。」と激怒し、県民局長から降格させる処分を決定、退職を認めなかった。その後、停職3か月の処分とされた。

 当初マスコミなどの動きが鈍く、このまま握りつぶされるかと危惧されたが、丸尾県議と自発的に立ち上がった市民によって職員へのアンケートも行われ、その後おおむね事実であることが確認されつつあった。県庁内部の調査では真実にたどり着くのが困難であるため、県議会によって調査権限が強い百条委員会が設置された。ところが彼は7月7日に死去されたらしい。いたましいことだ。

 兵庫県のような大きな組織で知事の行動を真正面から批判することは部下はしないものだ、と思われている。ところが今回渡瀬氏は、知事の言行が自分の常識からみて到底許せないものであったため、告発に踏み切った。3月末で退職すれば、その時点で県との一切の権力関係は切れる。自分に大きなダメージはないだろう、と判断したのだろう。また4月になってから告発したならそれはあくまで元職員からの告発に過ぎず衝撃力が弱いと判断したのだろう。つまり3月の告発というのはベストのタイミングである。

 私がこのことを強調するのは、私自身それを実行したからだ。

「NOを言うこと」は必要だ 、という私のサイトがある。http://666999.info/AYGX/

2016年2月5日に、私(当時再任用中)は兵庫県を訴えた。

「NOを言うことができる最後のチャンス(例えば64歳のとき)にNOを言うべきだ。」と私は書いている。訴えの概要は、こちらにもあるが、再任用=週3日だった制度が、週4日しか認めないと制度変更されたことに異議申し立てしたものだ。http://666999.info/AYGX/sitai.pdf

 内容よりも私が反逆したかったのは、「(知事or)兵庫県としての決定を真正面から批判することは部下はしないものだ」という常識である。もちろん自分の主張に自信があれば、3月までとか64歳までとか待たずに、そのときに直ちに行動すべきであろう。しかし実際には職場で何十年も村八分に耐え続けるだろう行為に踏み出すだけの勇気は私にはなかった。結果的にはこの裁判は勝利的和解を勝ち取ったので、別に待つ必要はなかったわけだが。ただ私は、1970年に神戸大学から懲戒免職になった松下昇の思想的影響を受けていたので、自分の行動が世間に受け入れられる可能性を信じていなかった。敗北だろうがそれでも反乱するという選択肢として〈3月の反乱(告発)〉というスタイルを編み出したのだ。

 渡瀬氏は2015年に人事課長だったらしい。私の訴状を彼が受け取った可能性は強い。しかも彼は京大法学部卒で私と同じらしい。ごく少数の人しか読まなかった訴状とHPを彼は読んだ可能性が高い。彼の行動に私が影響を与えた可能性はゼロではない。ということは私は彼の死にも責任があるわけだ。

  私は3月から渡瀬氏のニュースを知りながら、自分のこととしては捉えず、スタンティングなどに誘われても行かなかった。しかし、彼が死んだ今後悔している。自分ができることはなるべくやっていきたい。 (西宮市 野原燐 noharra@666999.info:メール)