トマサ・サリノグ、日本兵に幽閉されて。

〔ビデオ証言(英語によるナレーションつき)〕

トマサ・サリノグ証人

 私はトマサ・サリノグです。一九二八年一二月八日アンティケ州パンダンに生まれました。一九四二年、日本軍が上陸したとき、父と私は、サンレミギオ山に避難しました。当時の知事、アルベルト・ヴィラヴェルトは避難した人々に家に戻るよう呼びかけました。夜になって、日本の偵察隊がキャンプに戻ってきました。キャンプはイシハラ〔石原産業倉庫〕にあり、そこへ四人の日本兵がやってきました。父と私はもう眠っていました。日本兵が呼びますと、父はこういいました。「気にするな、返事をしてはならない。静かにしているのだ。もう遅いから、彼らはしばらく立ち去らないだろう」。私たちはまた寝ようとしましたが、眠らずに耳を澄ませていました。日本兵は怒って扉をたたきました。扉は破られ、父は立ち上がって戸口へ行きました。私も立っていました。一人の日本兵が入ってきて私の腕をつかみ、言いました。「子供か、いっしょにこい。おまえはわれわれとくるんだ」。父は、「一緒に行ってはならない、もう夜も遅い、行ってどうするのだ」、といいました。日本兵は父の言葉を耳にすると、走ってきて刀で父を打ちました。父は倒れ、私はかけよって父を抱きおこしました。父がまだ生きていると思ったのです。他の兵士たちもやって来ました。私を蹴りました。私は立ち上がりました。彼らは私を連れだし階段のほうへ行きました。私は引きずられながら父のほうを見ていました。その時父の頭が体から切り碓*1されているのを見たのです。私は父から目を離すことができませんでした。私は泣きじやくりました。

 彼らは私を大きな家に連れて行きました。「子供、泣くんじやないよ」と日本兵は言いました。私は小柄でしたが、ぽっちやりしていました。その時一三歳でした。父は私に良くしてくれたのです。兵士は私の体を持ち上げて床に落としました。起きあがろうとしましたができませんでした。まるでピンで留められたようでした。抵抗しようとしましたが、彼は固いもので頭を殴りました。ここが殴られたところです。そうして彼らは部屋から出て行きました。

 彼らはまたやってくると、水を持ってきて、私の体を洗いました。その晩私はレイプされました。その兵士はまた戻ってきて、私にこういいました。「私はおまえの父を知っている。私とおまえの父親は友達なのだ」。「友達なら、なぜ殺したのか」と私は尋ねました。すると、「おまえをよこすように言ったとき、おまえの父は言うことをきかなかった。それで頭にきた」。だから男は腹を立てたのだというのです。

 私はそこに一年いました。ときには二人、あるいは三人の男にレイプされました。四人のことさえありました。彼らはかわるがわる私をレイプしました。いったいどうしてこんなふうにレイプされるのに耐えられるでしょう。ただ泣くだけでした。

 しかし私は彼らから逃げることができたのです。日本兵たちは山で活動して帰ってくると、酒をたくさん飲みました。酒を飲んで遅くまで起きていました。そのため翌朝大慌てで、鍵を置いて行きました。私はその鍵でドアを開け、調理場に衛兵がいないかどうか急いで確かめました。逃げるなら今だと決心しました。毎晩兵隊たちが部屋にやってきて、つらい目にあわされたことを思いました。鍵をつかみ、衣類の入った箱を持って下へ降りました。家の外に見張りはおらず、私は塀の外に出ました。精一杯走りました。とても怖かった。私はある老夫婦に助けを求めました。「おじいさん、私をここにおいてください、水も運びますし、薪も集めますから」と。

泣きながら頼みました。その老夫婦は行くところのない私を哀れに思い、受け入れてくれました。

 三日後、オクムラがイロイロからから車で来ました。私を見ると、車をとめ、老夫婦に、水汲みをしている若い女をよこすように求めました。「女はどこだ、かくまうと、おまえたち二人とも首を切るぞ」、といいました。彼らは怖くなって、私を引き渡しました。

 私は泣きながらこの将校に連れられていきました。すると彼は、「怖がるな、私はいい男だ。私のために働いてくれれば、お金を払おう。床を掃き、私のものを洗濯し、干すのだ、いいな」、こういいました。私は承諾しました。オクムラとの暮らしは楽でした。というのも彼は一週間に一度、ときには二週間に一度戻るだけだったからです。ほとんど彼はイロイロにいました。戻ってくると、私をレイプし、彼の友達も私をレイプしました。

 一九四四年から四五年にかけて、私はオクムラのもとにおり、一九四五年にアメリカが上陸しました。オクムラと一緒だったのは、半年ほどでした。その後、私は家に帰りましたが、私の家は壊されていたので、テイタ・アタロを訪ね、彼女のもとにいました。受けた傷は深く、とても耐えられないと思いましたが、私は生き抜くために、耐えなければなりませんでした。結婚は一度もしませんでした。あらゆる求婚を断ってきました。結婚したくありません。もし結婚すればあらゆることが再び起きるような気がするのです。もし夫が私を傷つけたら、私はどうしたらよいのでしょう。誰が守ってくれるでしょう。誰のものへ行けばよいのでしょう。誰が面倒を見てくれるでしょう。私は、日本兵の使い古し、といわれるのです。

 わたしは正義を求めます。私は正義を求めます。

p132-134『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』isbn:4846102068 より

*1:noharraがテキスト化したときに誤字を作っているようだ。いま本が手元にないので確認できません。

中道右派 『それでは、まず、永井和論文の構成を示し、次に、それに対してどのように反論していくかと言う構成を示し、最後に、その構成の各項目をなす具体的反論を行います。

最後の段階はまだ途中ですが、それ以前まではできる限り示しましょう。

ただし、あなたの上記回答及び最後のコメントには、間違いや印象操作が多数含まれているため、承服できない点が多々あります。この件にカタがついたら、その点について私が指摘し、あなたのコメントを求めます。

まず、永井論文の構成中、批判検討に必要な部分を抜粋要約し、順次検討を加えます。各項目は、永井論文の構成を前提に、議論の整理のため、私がつけたものです。

第一、はじめに

一、永井論文の背景および視点

1996 年の末に新たに発見された内務省の警察資料が『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』1、1997年)』に収録されているのを知り、慰安婦論争において、その史料解釈が論議の的となった陸軍のある文書の背景を説明してくれると思われた、一連の資料に出くわしたため、史料実証主義的検討を試みた。

二、軍慰安所の施設としての性格

慰安所は軍の施設であるにもかかわらず、軍隊制度についての知識を欠いたまま議論しており、軍隊の基礎的な知識があれば、公娼施設論は成り立たない。

三、永井論文の原型となる2000年発表論文の視点

政治的な言説にのっかった史料の恣意的解釈が横行するいっぽうで、言語論的展開を持ち出して史料実証主義の終焉を宣言する言説1)が出されたあと、史料実証主義の立場からささやかな抵抗。

第二、問題の所在

一、永井論文の骨子

本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以下、『陸支副官通牒』という。)の意味を再検討する。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス2)

二、陸支副官通牒が議論の対象となった背景

この文書は吉見義明の発見にかかるもので、軍が女性の募集も含めて慰安所の統制・監督にあたったことを示す動かぬ証拠として、1992年に朝日新聞紙上で大きく報道された。

中道右派の注:秦氏によると、慰安婦問題研究者の間では、当時既に広く知られていた資料であり、この文書から国家責任を基礎付け得ると考える人はいなかったため、誰も問題としなかったのを、後発の研究者である吉見氏が朝日新聞と協調して、あたかも国家責任の根拠となる文書であるかのような恣意的解釈を広めてしまったため、問題が大きくなったとのことである。

三、陸支副官通達についての解釈論の整理

(略)あなたには釈迦に説法でしょう。私も大筋で異論はありません。

四、軍慰安所の施設としての性格からの検討(永井の新視点?以下『慰安所兵站施設論』という。)

慰安所と軍の関係については、慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったと理解するため、これを民間業者の経営する一般の公娼施設と同じかそれに準ずるものとして、軍および政府の関与と責任を否定する自由主義史観派には与しない。もっぱら「強制連行」の有無をもって慰安所問題に対する軍および政府の責任を否定せんとする彼らの言説は、それ以外の形態であれば、軍と政府の関与は何ら問題にならないし、問題とすべきではないとの主張を暗黙のうちに含んでいるのであり、慰安所と軍および政府の関係を隠蔽し、慰安所の存在を正当化するもので、妥当でない。

五、陸支副官通達の関連文書からの背景事情の考察

最近になって警察関係の公文書が発掘され、問題の副官通牒と密接に関連する1938年2月23日付の内務省警保局長通牒(内務省発警第5号)「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(以下、『内務省警保局長通牒』という。)の起案・決裁文書とそれに付随するいくつかの県警察部長からの内務省宛報告書(以下、『各種県警部長内務省宛報告書』という。)が見つかった。

この警察資料の分析から、この二つの通牒が出されるにいたった経緯と背景を考察し、従来の解釈論争が想定していたものと異なる背景事情を考察する。

婦女誘拐容疑事件が一件報告されてはいるが、それ以外には「強制連行」「強制徴集」を思わせる事件の報告は発見していない。

発見された警察資料は、山県、宮城、群馬、茨城、和歌山、高知の各県警察部報告と神戸や大阪での慰安婦募集についての内偵報告にすぎず、その他の内地・朝鮮・台湾など募集がおこなわれた全地域を網羅するものではなく、それらの地域で「強制連行」や「強制徴集」がおこなわれた可能性を全面的に否定するものではない。

陸支副官通牒で言及されている「募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」という事件は、和歌山県警察部から一件報告されており、そのような事件が現におこっていたことが、この警察報告により証明され、警察報告と副官通牒との間には強い関連性が存在する。

そこで、今後さらに新しい警察資料が発見され、それによって必要な変更を施す必要が生じるまでは、もっぱら以下に述べる作業仮説(以下、『永井作業仮説』という。)を採用し、その上で考察を進める。

六、永井作業仮説

『内務省は主として現在知られている警察資料に含まれている諸報告をもとに、前記内務省警保局長通牒を作成・発令し、さらにそれを受けて問題の陸支副官通牒が陸軍省から出先軍司令部へ出されたのである』

七、永井考察(ロジック)

1、永井作業仮説を前提におき、和歌山の婦女誘拐容疑事件一件を除き、警察は「強制連行」や「強制徴集」の事例を一件もつかんでいなかったと結論づける。

2、すると、陸支副官通牒から「強制連行」や「強制徴集」の事実があったと断定ないし推測する解釈は成り立たない。

3、また、これをもって「強制連行を業者がすることを禁じた文書」とする自由主義史観派の主張も誤り。なぜなら、存在しないものを取締ったりはできないからである。

4、では、陸支副官通牒や内務省警保局長通牒は何を取締まろうとしたのか、これらの通達はいったい何を目的として出されたのかを新たな視点から分析検討すべきである。以下は、その点について永井が分析した結果の解釈(以下、『2通牒の永井解釈』という。)

① 内務省警保局長通牒は、軍の依頼を受けた業者による慰安婦の募集活動に疑念を発した地方警察に対して、慰安所開設は国家の方針であるとの内務省の意向を徹底し、警察の意思統一をはかることを目的として出されたものであり、慰安婦の募集と渡航を合法化すると同時に、軍と慰安所の関係を隠蔽化するべく、募集行為を規制するよう指示した文書にほかならぬ。

②陸支副官通牒は、そのような警察の措置に応じるべく、内務省の規制方針にそうよう慰安婦の募集にあたる業者の選定に注意をはらい、地元警察・憲兵隊との連絡を密にとるように命じた、出先軍司令部向けの指示文書であり、そもそもが「強制連行を業者がすることを禁じた」取締文書などではない。

(続く)』

「再入国禁止法案」反対

勉強不足なんですけど、

http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200401/20040121.htm

例えば上記「救う会ニュース」には、3つの法案が連記されていた。

1)外国為替及び外国貿易法の一部を改正する法律案要綱

2)我が国の平和及び安全の維持等のための入港制限措置に関する法律案

3)日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案

1)は1月29日に衆院本会議を通過した。とのこと。

で、3)については 

http://www.asiavoice.net/nkorea/bbs/wforum.cgi?no=360&reno=358&oya=351&mode=msgview&page=0 で、Mさんが強調しておられるように、排外主義的なものであり、絶対許してはならない、と思います。

<動物化>と創造的反抗

「歴史の終焉」というコジェーヴの議論についてバタイユが解説してる文章を読んだので、ちょっとまとめてみよう。

 前提としては、「人間とは否定を行う存在である」ということ(ヘーゲルのテーゼ)がある。であれば「もしも創造的反抗がなく所与がそのまま受け入れられるなら」そういった存在は果たして「人間」と言いうるのか?人間の姿をしているが動物の特徴をもってると言えるのじゃないか。*1

 わたしたちがみな同質的である社会の到来が、歴史の終焉の条件である。つまり「人々が相互に対立し、様々な人間的な様態を次々に実現していた活動が停止する」ということ。*2

 ヘーゲル、マルクスにおいては人間たちは承認のために互いに闘争し(階級闘争)、また労働を通して<自然>と闘争する。しかしいまや<自然>は決定的に制御されてしまっている、人間と調和してしまっている、闘争は必要ない。……戦争と流血の革命の消滅。<人間>はもはや自分自身を本質的には変化させない。認識の根底にある原則も変わらない。芸術、恋愛、遊び等々、要するに<人間>を幸福にするものはすべて、そのままに保たれる。*3

 <動物化>についてははてなキーワードにあったはずと思って見るとしっかり、百行以上あった。ただ当然ながら、バタイユとはニュアンスは違う。「絶対的引き裂きのなかに自分自身を見出す*4」という契機抜きには人間は人間たり得ない、というのがバタイユの人間観。

「…動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要とする。」と東氏はいってるらしいが、あらかじめ同質化されてる他者から承認されても、バタイユ的には否定を体験したことにはならない。

また、「人間は死を賭けることができるからこそ人間であり、戦争はそのための最高の試練であるが、」と浅田氏の本のなかにあるらしい。軍隊という制度において目的のために駆り立てられる人間も、死つまり「否定的なものを真っ向から凝視し、その傍らに留まり続けるとき」(ヘーゲル)という体験からははなはだ遠い。

「人間は死を賭けることができるからこそ人間であり、戦争はそのための最高の試練である」といったセリフは近い将来薄められて大量散布される危険性がある。バタイユの言うことは、神秘的でヒロイックすぎてついていけないと思う人もあろう。ヘーゲルやバタイユがどうあろうと、「戦争のために死を賭ける」というのは普遍的に馬鹿げたことだ。でもそう言いきれるのか。植民地解放戦争などの場合は「馬鹿げた」とは言えないかもしれない。日本人が、先の支那事変の悪を承認したくないという(ひそかな)思いを持ちながらやる戦争に1ミリの正しさもないのは自明だ。

 話が逸れた。現在の日本に対する「動物化」という診断は、わたしを含めた多くの人にとって切実に響く。わたしたちはすでに欲望からさえ見放されつつあるのだ。というか、欲望から自由になるのは良いことではないか。ひとは衣食住さえ満たされればよい。若い労働者の救済と男女平等のためには、労働時間半減ぐらいのワークシェアリングが必要だ。より少なく働きより少なく食べより少なく遊ぶ。人間は自己の深淵を見つめる時間を限りなく持てるようになる。医療費も半減すれば死も身近になる。

*1:p220バタイユ『純然たる幸福』isbn:4409030388

*2:p224同上

*3:p221同上

*4:cfp21『精神現象学』長谷川訳

『新潟』ノート3

 金時鐘の長編詩『新潟』の真ん中部分を読む試みです。

 3章  http://www.eonet.ne.jp/~noharra/ikesu2.htm

「風は海の深い溜息から洩れる。」「朝は冷静に老漁夫の視界へ現実を押しひろげてくる。」前章の少年に変わり老漁夫に焦点が当たる。「済州海峡はすでにひとつの生簀(いけす)でありその生簀のなかの生簀に父が沈み少年がただよい祖父がうずくまっている。」少年が海へ下りたとは入水したということだったのか。それとも、「爆発」「横ったおしの船腹」「少年の冷たい死」という言葉がこの章の終わりぐらいにあるから、(船底にひそんで)海を渡ろうとしたが(1章の浮島丸のように)時限爆弾で爆破されて死に至ったのか。2章の主題だった海に沈んだ屍体たちはこの章ではもはや屍体でさえなく、無数の魚たちの小さな口によって食いちぎられる餌となっている。「もはや老眼はありあまる人肉の餌づけに慣れた魚と人との区別をもたない。」それでも漁師は魚を捕る。「海の密教が山と野を伝いしきられた暮らしを奥ふかく結んで彼らのみだらな食卓へ日夜屍体に肥えた殺意を盛り上げる。」太古から定められた食物連鎖という掟は循環し、貧しかった食卓は急に豊かになる。「四十年のくびきを解いたという彼らの手に早くも南朝鮮は食用兎(ベルジアン)の胴体でしかないのだ。」食べることは食べられることだ、みたいな錯乱した感覚に導かれ、「朝鮮半島=食用兎」という喩が現れる。「ただひとつの国がなま身のまま等分される日。」1948.5.10南朝鮮単独選挙。「人はこぞって死の白票を投じた。町で谷で死者は五月をトマトのように熟れただれた。」投票場で白票を投じたのだろうか。済州島の2州でだけ選挙が無効になりそれが苛酷な鎮圧作戦の原因になる。*1トマトのようにどこにも血が流れ死者が発生し、ただれた。「血はうつ伏せて地脈へそそぎ休火山のハンラをゆりうごかして沖天を焦がした。」「鉄の柩へ垂直にささった五十尋の触手をたぎる景観のなかで老漁夫がたぐり上げる。触感だけに生きた漁師の掌に解放にせかれ沈んだ盲目の日は軽石ほどの手ごたえもない。もぬけの自由だ!」解放への性急な思いは死へ、そして死はもはや軽石ほどの手ごたえもない。「仕組まれた解放が機関の騒音にきざまれる時限爆弾の秒針ではかられていたときやみくもにふくれあがった風船のなかで自己の祖国は爆発を遂げた。」「横ったおしの船腹をひっかき無知の柩に緩慢なひびきをおしこんだいかり石が今しずかに祖父の手元へ手繰り込まれる。」

 

4章

4章は読みにくい。3章の終わりに「船底」*2「区切られた」「柩」という言葉があり、4章の始めには「鉄窓」「ヘルメット」「エアポケット」といった言葉がある。ここから受け取れるのは潜水艦のようなものに閉じこめられたイメージだ。(済州島事件の後)日本へ密航してきた人たちのことを“潜水艦組”と言ったそうだが、そうした(長く秘されてきた)体験がここの背後にはある。*3「朝を見た。」*4「大気の飛沫を」「自己の生成がようやく肺魚のうきぶくろとなってふくらむのを知った。」*5潜水艦の閉鎖から開放されていくイメージだ。日本への密航が解放であったわけではない。ただ熟れたトマトのように屍体が折り重なる空間から脱出することは喜びだった。「飢餓を自在に青みどろの海面へ振り切り」「くも糸に吊された蛹さながら蘇生を賭けた執念が身もだえる。」*6「暮らしにへたった指に水かきをつけ息をつめとおした日日の習癖を鰓に変えて彼はただ変幻自在な遊泳を夢見るのだ。」「海そのものの領有こそ俺の願いだ!」*7開放感は全能感に移っていく。「縦横無尽なイルカの流動感こそいい!」「エネルギッシュなアシカの欲望だ!」「いやセイウチだ!選り放題の女どもを囲い気の向くままに稼ぎ産み遊び民族も種族もへったくれもない。」「おお神さまこの世はなんとすばらしいんでしょうか。」次ぎに転換が起こる。「それが丸ごとかっさらえるのです。もう数ではなく固まりのままが喰えるのです。戦争とはいっても海のずっと向こうのこと。胃袋を通ったものが何に化けようと勝手です。腹の足しにもならずじまいの鋳型を追われた蛇口ですら削り取られて爆弾になったんだ!」*8過剰な全能感は不安や(屍体の島済州島に父母や仲間を置き去りにし逃げてきたという)罪責感を隠していた。そこで1年後朝鮮戦争に出会うや、「蛇口」や「ネジ」が爆弾に成ることにより日本経済が復興するという戦後日本の原罪を、誰よりも深く背負うことになる。*9(こういうのも郵便局的誤配というのかな。)「はっぱがかかるぞお--深くつらぬく光と闇をくゆらせて重い藻にからまっているのは横むいたままの落ち込んだ家路だ。」帰国直前に爆沈された<浮島丸>がまた回帰する。「骨の先端ではじけている盲目の燐光よ。あばくことでしか出会えぬわれらの邂逅とはいったいどのような容貌の血縁にひずんだ申し子なのか?」*10「海の厚みのなかをこり固まった沈黙がきき耳をたてる。」「うっ積した塵を噴き上げ覗きこんだ奴の首をもかっさらった骨の疾走が囲いを抜ける!」沈黙の持続があり時が満ちる一挙に爆発が起こる。「海の臓腑に呑まれた潜水夫の目に朝は遠のいた夜のほてりのように赤い。」潜水夫が見るのはなきがらだ。「澱んだ網膜にぶらさがってくるのは生と死のおりなす一つのなきがらだ。えぐられた胸郭の奥をまさぐり当てた自己の形相が口をあいたまま散乱している。」なきがらは逆光に高高と巻き上げられる。「逆戻るはしけを待っているのは宙吊りの正体のない家路だ。」とここで、第二部「海鳴りのなかを」は終わる。

 以上、“故郷へ”というベクトルとその挫折を、松代大本営、浮島丸事件、済州島人民蜂起後の虐殺などなど朝鮮半島と日本の歴史の曲がり角の動乱を横糸に織り上げた叙事詩だといえるでしょう。これだけのエネルギーがなお挫折以外に出口を持たないことには言葉がない。これだけ構成の整った大叙事詩を書き上げながら、(左翼詩人なのに)故郷への思いというものを形而上学的高みへの単線的ベクトルへと疎外することなく、わがからだの卑近さ挫折の近くに保ち続けたことは大変なことだと思う。

*1http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/introduction.htmによれば 「しかし同年五月一〇日に実施された、南朝鮮単独政府樹立のための代議員選挙が、済州島の二選挙区では民衆の抵抗によって、投票率が五〇パーセントに満たず無効となると、米軍政は国防警備隊(のちの韓国軍)を本格的に動員し、苛酷な鎮圧作戦に乗り出した。」とある。ちなみに『原野の詩』p420の自註では投票日が5月9日となっているが間違いなのだろう。

*2:p405『原野の詩』

*3:時鐘が日本に密航してきたのは、1949年6月。参照p287『なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか』isbn4-582-45426-7 1991年刊行の『原野の詩』は60頁に及ぶ詳細な年譜が添付されている(野口豊子作成)が肝心の密航については固く口を閉ざしている。1年後の6月朝鮮戦争始まる。

*4:p407

*5:p408同書。 ここで52年後にようやく語られた、実際の密航体験の一断面を引用しておこう。「 その密航船には、ぼくら入る余地がないくらい人が乗ってたから、たかだか半畳ぐらいのところにね、五、六人入っている。魚を入れる、蓋什きの升目の仕切りが二つある古びた小さな漁船だった。たぶん四、五トンくらいやったろうね。とにかく立錐の余地なく人が詰ってるのよ、だから僕ら後からの五人は入るところがなくて、煙突にバンドで胴をくくって波かぶって……、お金も払ってない手前、闇船のおやじは、つっけんどんや。みな甲板の上に体くくって、入るところがないねん!……それで五人乗ったうち、一人は波かぶって流されてもうた。五島列島の灯リが見えてほっとしたときに、だぁーと波かぶったら、四人連れのうちの一人はいなかった。……まっ暗闇で助けようがない。つらかったけどそれでもこれで日本の警察に捕まっても処刑はないと、惨殺されることはないと。 」p121『なぜ沈黙してきたか』

*6:p408

*7:p410

*8:p413  

*9:ネジと朝鮮戦争については当日記3月31日参照

*10:p419の註には、浮島丸事件の犠牲者遺骨285体が、目黒区の祐天寺に遺失物のように保管されている、とある。そうしたことをイメージしているのか?

イラク人への米英兵による虐待(訂正後)(5/2 19時43分)

(朝日新聞 5月1日 01:41)からの記事を貼れば、

http://www.asahi.com/international/update/0501/002.html

バグダッドの米拘置施設でイラク人虐待、写真放映で波紋

カイロの街頭で1日、米兵に虐待を受けるイラク人容疑者の写真が1面に掲載された地元紙を読むエジプトの人たち。アラビア語で「スキャンダル」との見出しが掲げられた=AP

 イラクの米軍兵士がバグダッド郊外の監獄に拘置しているイラク人を虐待する写真がテレビで報道され、大きな波紋を広げている。米軍は今年に入って虐待問題で米兵6人の起訴を発表したが、4月28日に米CBSテレビが証拠写真を放映。同じ写真が30日、英国BBCやアラビア語衛星テレビのアルジャジーラ、アルアラビアでも流れた。アラブ連盟は同日、「人権侵害の野蛮な行為」と非難した。

 放映された写真は数種類。数人のイラク人男性が裸で重なり合って性的なポーズを取らされているものや、イラク人男性が手に針金を結ばれて箱の上に直立不動で立たされ、箱から落ちたら針金に電流が走ると脅されているものなどがある。

 駐留米軍のキミット准将は30日の記者会見で、「(虐待に)我々は失望しているが、かかわっているのはごく少数で20人以下の兵士に過ぎない」と語り、犯罪捜査に加えて行政的な調査も行い、再発防止策をとることを明らかにした。AFP通信によると、ブッシュ米大統領は「強い嫌悪感」を持ったと述べたという。

 AFP通信によると、カイロに本部を置くアラブ連盟の広報担当は「人権を侵害し占領下で守られるべき国際法に違反するイラクでの虐待と侮辱行為を強く非難する」として、虐待にかかわった人間全員の処罰を求めた。

(05/01 01:41)

画像はここにもある。

米 CNN 

http://www.cnn.com/2004/WORLD/meast/04/30/iraq.photos/index.html

Daly Millor

http://www.mirror.co.uk/news/allnews/tm_objectid=14199634%26method=full%26siteid=50143%26headline=shame%2dof%2dabuse%2dby%2dbrit%2dtroops-name_page.html

バクダット郊外アブグレイブ監獄での虐待について、JNNニュースでも見られるそうです。と書いたが表示できないです。すみません。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20040501/20040501-00000032-jnn-int.html

減税を喜んではいけない

 今日自動車税の通知を開けると、なんと去年までの約半額だった。2月に新車を買ったので、「低燃費車」かつ低排出ガス認定車、に該当し約半分になるという。まけてもらえるのは嬉しい。排出ガスを低くしたいという公益のために誘導するという税制なのだろう。だからといって、50%も軽減するというこの制度が正しいのかどうか議論の余地はあろう。

だがそれより一般的に考えると、減税というのは喜んではいけないのではないか。確かに今日1万円まけてもらえば嬉しいのだが、その結果全国では0.001%ほど税収が減り、来年以降にまた別の形で増税になるのだ、とも考えられる。自分が適用を受ける制度は認識するが、日本には自分以外の人が受益者である減税制度が無数にある。したがってそうした制度も一切止めれば、実は将来の本当の減税につながるかもしれない。税金を払わないために努力を惜しまないのは当然の態度だが、それと同時に分かりにくい税制をシンプルで公平なものにしていくべく監視する、そのための勉強もしていくべきだ。(私が止めていくべきではと思う控除制度は、所得税では定率減税、住宅ローン減税、配偶者控除などだ。)もちろん廃止するだけでは損するからどこかで取り返さないといけない。

 軽減の対象に当たったことを喜んではいけない。対象者とそれ以外の格差が本当に必要なものなのかどうか考えて見よう。

平等な教育 で良い

小学6年生の親としては中学校では英数国それぞれ、週5~6時間はやってほしいなどと凡庸なことを思ったりもする今日この頃・・・『教育』広田照幸 岩波フロンティアisbn:4000270079 を図書館で見たので借りてみました。良い本でした。

 朱子学のように普遍的に善である立場に教師が立ちそれを生徒に教えるという構図は崩れてしまった。「青少年を丸ごと帰属させ彼らに生き方を指示する各種の制度が、青少年の個々人の存在に先立って存在している、という感覚が失われた」*1のだと広田氏は捉える。そのとおりだろう。大人にとっての会社や労働組合、地域や家族すらそうであろう。一方で青少年は「自己の価値を自前で探そうとする強い欲求を」消費市場において試行錯誤する。そのとき学校は端的に魅力を失う。

 まず多様な個人が存在する。それを均質化、統制化してひとつの集団にまとめ上げようとする学校に対し、不満が高まる。それはもっともなことなのだ。だがしかしと、広田氏は言う。「学校批判の一連の運動が総体としてみると「強い市民」による「強い子供」像を前提とした学校変革論ではないのか」と。*2つまりぶっちゃけていうと、現在教育について多様な言説を繰り広げている主体はすべてインテリである。インテリの子弟は「強い子供」である可能性も高い。だが自分で情報を集めて判断する力のない親や子供だって世の中には沢山いるのだ。非エリートだっても楽しく過ごせる学校を作っていこうという主張は甘いひびきを持つ。だがそれで良いのか?

 「市場の自由」をもとにした教育システムは,ひょっとすると今よりも快適な学校生活を,ほとんどすべての子供たちにもたらすことになるかもしれない.自分が行きたいと思えるような学校を選び,学びたいものを選んで学ぶ.また,マイノリティの子供は,自分の家庭の文化がそのまま学校の場でも重視されるような,そういった教育を受けることができる.学校に行かなくても,もっと気楽に過ごせる場が用意されている…….しかしながら,その結果は冷酷である.教育の成果はいずれ労働市場で厳しい判定を受ける.ごく一部分のエリート向けの学校へ行った者を除いて,多くの子供たちは,大人になったときに自分に開かれている職業の選択肢が,さほどよくないものばかりであることを思い知らされることになる.もっと魅力的な選択肢は,別の学校や別のカリキュラムを選んだ誰かにすでに占有されてしまっているからである.慌てて「生涯学習」に取り組んでみても,キャリアアップに励むエリートたちとの差は開く一方,ということも生じる.つまり,「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」というシステムになりかねないわけである.

 第二に,もっと根本的な問題は,資源・環境の有限性を考えると,新自由主義的な経済システムは,不公正で持続不可能なシステムだということである.エネルギーや資源消費量の観点からみて,今の日本の人々の生活水準は,世界中の人々が長期的な未来に向けて享受しうる水準よりもおそらく高いレベルにある.貧しい国々の人々が今よりも豊かになる権利をもしわれわれが尊重するのであれば,また,遠い将来の子孫(今の子供たちではない)がある程度の豊かさを持った生活をしてゆく権利を,われわれが「ご先祖」として保障してやる必要があるとするならば,新自由主義的な原理による経済発展には,重大な問題があることになる(代替エネルギーなど新技術がすべての資源・環境問題を解決してくれるという楽観論があるが,決して根拠のあるものではない).環境的公正の問題は,もっと持続可能な経済システムの必要性を提起しているのである.それゆえ,グローバルな経済競争でトップを走り続けるための教育,というものとは別のものがデザインできないのかを,考えてみる必要があるだろう.

ほとんどすべての学校改革論や教育論は,長期的にみてわれわれが直面している,最も深刻で重大なこの問題から目を背けている.*3

前半だけ引用するつもりだったが、後半も大事なのでついでに引用しました。

“エコロジーに反する経済成長のためのエリート作りのための新自由主義的教育改革”が現在もっとも有力な潮流だと広田氏は認識する。そしてそれに対抗するためには、教育学の枠を越えどのような未来社会を作っていくのかというビジョンを語ることが必要になる。大量消費大量廃棄の資本主義はいけないというのはエコロジーであり、教育学とは関係ないという常識を越え、広田氏がこれを書いたのには、こういうわけがある。

*1:同書p25

*2:同書p37

*3:同書p80-81

現在のイスラエル国家に敵対することに遠慮はいらない、

なぜならそれは反ユダヤ主義ではないから。

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20040924#p3

はてなダイアリー – 【ねこまたぎ通信】からそのままコピペします。感謝。

バグダッド住民の第1の敵はイスラエル 世論調査

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200409212034242

【東京21日=齊藤力二朗】バグダッドの住民が第一の敵と考えるのは、イスラエルであることが世論調査の結果判明したと19日付のネット紙、イスラム・オンラインが報じた。イラク調査センターが1万人のバグダッドの住民を対象にしたアンケート調査の結果、第1の敵はイスラエルとする回答が32%で第1位であった。…