3月の告発者はまだ死なない

 今年の3月に、その月末で退職予定の兵庫県の西播磨県民局長が内部告発文書を配布した。県民局長は兵庫県という組織では幹部になる。渡瀬康英さんと言われる。

 内容は①五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯 ②知事選挙に際しての違法行為 ③選挙投票依頼行脚 ④贈答品の山 「斎藤知事のおねだり体質は県庁内でも有名。」とある。 ⑤政治資金パーティ関係 ⑥優勝パレードの陰で ⑦パワーハラスメント と列挙されていた。https://news-hunter.org/?p=21743 にその文書あり。

 しかし、斎藤知事はそれを認めず、最初は「職員の信用失墜、名誉棄損、法的課題がある。被害届、告訴も考えている。内容はウソ八百だ。ありもしない内容だ。」と激怒し、県民局長から降格させる処分を決定、退職を認めなかった。その後、停職3か月の処分とされた。

 当初マスコミなどの動きが鈍く、このまま握りつぶされるかと危惧されたが、丸尾県議と自発的に立ち上がった市民によって職員へのアンケートも行われ、その後おおむね事実であることが確認されつつあった。県庁内部の調査では真実にたどり着くのが困難であるため、県議会によって調査権限が強い百条委員会が設置された。ところが彼は7月7日に死去されたらしい。いたましいことだ。

 兵庫県のような大きな組織で知事の行動を真正面から批判することは部下はしないものだ、と思われている。ところが今回渡瀬氏は、知事の言行が自分の常識からみて到底許せないものであったため、告発に踏み切った。3月末で退職すれば、その時点で県との一切の権力関係は切れる。自分に大きなダメージはないだろう、と判断したのだろう。また4月になってから告発したならそれはあくまで元職員からの告発に過ぎず衝撃力が弱いと判断したのだろう。つまり3月の告発というのはベストのタイミングである。

 私がこのことを強調するのは、私自身それを実行したからだ。

「NOを言うこと」は必要だ 、という私のサイトがある。http://666999.info/AYGX/

2016年2月5日に、私(当時再任用中)は兵庫県を訴えた。

「NOを言うことができる最後のチャンス(例えば64歳のとき)にNOを言うべきだ。」と私は書いている。訴えの概要は、こちらにもあるが、再任用=週3日だった制度が、週4日しか認めないと制度変更されたことに異議申し立てしたものだ。http://666999.info/AYGX/sitai.pdf

 内容よりも私が反逆したかったのは、「(知事or)兵庫県としての決定を真正面から批判することは部下はしないものだ」という常識である。もちろん自分の主張に自信があれば、3月までとか64歳までとか待たずに、そのときに直ちに行動すべきであろう。しかし実際には職場で何十年も村八分に耐え続けるだろう行為に踏み出すだけの勇気は私にはなかった。結果的にはこの裁判は勝利的和解を勝ち取ったので、別に待つ必要はなかったわけだが。ただ私は、1970年に神戸大学から懲戒免職になった松下昇の思想的影響を受けていたので、自分の行動が世間に受け入れられる可能性を信じていなかった。敗北だろうがそれでも反乱するという選択肢として〈3月の反乱(告発)〉というスタイルを編み出したのだ。

 渡瀬氏は2015年に人事課長だったらしい。私の訴状を彼が受け取った可能性は強い。しかも彼は京大法学部卒で私と同じらしい。ごく少数の人しか読まなかった訴状とHPを彼は読んだ可能性が高い。彼の行動に私が影響を与えた可能性はゼロではない。ということは私は彼の死にも責任があるわけだ。

  私は3月から渡瀬氏のニュースを知りながら、自分のこととしては捉えず、スタンティングなどに誘われても行かなかった。しかし、彼が死んだ今後悔している。自分ができることはなるべくやっていきたい。 (西宮市 野原燐 noharra@666999.info:メール)

図書館にネトウヨ本問題(2)

続き。http://666999.info/noharra/2022/12/28/toshokan/ に対して
1月25日付で 返事が来ました。

図書館からの返事(1)

2月7日付けで 再質問しました。

□□市産業文化局 生涯学習部
読書振興課 担当課長 様
2022.2.7
□□図書館の選書について(2)(質問)

回答ありがとうございます。

1.□□市立図書館資料収集に関わる基準に基づいて、購入されているとのことですね。
「市民の文化的生活の向上に役立つ蔵書構成を構築するため、計画的・系統的に収集する。」とあります。
私の質問した124点の図書は、「市民の文化的生活の向上に役立つ」とはかならずしも言えないと思います。

2.日本には長い歴史と豊かな文化があり、それを学び愛するのは大事なことです。しかし、だいたい1935年の国体明徴声明以降の日本では、天壌無窮の天皇崇拝思想が極まり、八紘一宇「全世界を一つの家にすること」が強調され、アジア太平洋戦争に至りました。
このような体制下では、思想の自由がなく、また図書館の自由もありませんでした。
そこで、戦後教育勅語の排除にともない昭和25年に図書館法が成立しました。したがってそこで謳われた「健全な発達」「国民の教育と文化」とは、そのような歴史の反省の上に立ったものだと理解できます。まずもって「多様な対立する意見がある主題」であると理解するのは間違っていると思います。
どのような諸意見が対立しているのだ、と認識されているのでしょうか?

3.その前提の上で、私の質問した124点の図書は不適切なのか?そうでもないのか?が問われます。
それぞれの観点の資料をバランスよく収集した結果だと、書かれていますが、具体的にどのような本(百冊以上)とつりあっていると思われているのですか?

4.私の質問した124点の図書は、選書委員会によって自主的に選ばれたものでしょうか?それとも市民からの購入希望によって購入したものでしょうか?一冊づつ示してください。数人の市民の希望により、偏った選書になってしまったということはないのでしょうか?

5.傷んでいない本は無償譲渡するとの回答ですね。市民の教養を高めることができる値打ちのある本だと理解しているということですね?

6.「概要」のp15では、寄贈の本が、3744冊もある。これはどのような本ですか?
私の質問した本のうちに寄贈の本はありますか? もしこのような偏った思想の本の寄贈を受け取って使用しているなら大きな問題です。

7.「外国人に対する偏見や差別は、異なる民族・国・地域・文化等について正しい理解がなされていないことなどが要因となっている」と、第2次□□市人権教育・啓発に関する基本計画にはあります。
わたしの提示した本には他国についての正しい理解を妨げる記述が存在するのではないでしょうか?


返事がないので、2023年11月に担当者に会いにいきました。

http://666999.info/noharra/2022/12/28/toshokan/
http://666999.info/noharra/2023/02/18/toshokan2/
前に書いた問題に、つまり2/7に私が再質問してから、一度電話催促しただけで返事がないので、どうなっているのか?聞きに行ったのです。

中央図書館のMさんという女性、資料チームのチーム長に、11/28に会いました。
相手はもう一人のひとと2人でこちらは一人で会いました。

124冊のうち、図書館が選書会議で自主的に選んだものが32冊、残り92冊は市民の希望によるもの、だとのこと。(これは確か前に電話で聞いていた。)ただし希望といっても、選書会議には掛けるとのこと。

市民の希望に対して、「この本は偏っているから入れない」という回答はできない、ということでした。

これらは「ある思想傾向」というよりも、20年ほどまえから始まった特定の運動であり、インターネットで嫌韓など中国・韓国に対する差別的発言を流行らせ、雑誌でネトウヨ的文章が主の雑誌を出し、本を出し、また政治家もそういう傾向の発言をするなど、一部の人たちがぐるぐる回る運動体を作り上げているものに過ぎないのだ、私としては、指摘しました。
市民には違いないとしても、特殊な人々にすぎません。そして、これらの本は内容がほとんどおなじようなものが繰り返し出されるので、本屋に並ぶのは数ヶ月だけです(たいていの本がそうなのですが)。ところが図書館に買われると、一般の図書と並んで何年も開架式本棚に並ぶことになる。これは市役所が特定の人たちのために、何年間も本を権威つけ宣伝してあげていることになる。極めて不当だ。
と力説したのですが、全然とりあってもらえませんでした。
希望をした本はほとんど買ってもらえることが多いようです。

ということで、まったく成果がなかったという報告でした。

図書館は私が日々親しんでいる最も身近な施設なので、今後のために少しでも手がかりを作りたいと思ったのですが、ダメでした。

なお、4月に電話催促したとき、Mさんは慌てたような感じで、返事出しますと言ったのです。だから待っていたのです。ところが、今回会うと、電話で了解してもらったので返事は不要と理解していたというのです。虚偽です。中年女性ですが司書の仕事とかにもさほど見識のない、今どきの忖度公務員なのでしょう。

とりあえず、報告まで。

河野談話など

○○さま
先日、2015年の安倍氏の謝罪について、知っているひとが少ないという話がでました。ここで最初からの経緯を簡単に説明します
慰安婦問題について
1993年8.4に日本政府が出した河野談話は
「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
(略)
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
(略)
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 (略)」
というそれなりに格調高いものでした。

この文章の問題点(1)は、慰安婦問題の責任主体が、日本軍だったのか、慰安業者だったのかという問題をあいまいにしていることだ、と言われます。

https://fightforjustice.info/?page_id=2475 に他の問題点もあげられています。
とにかく、(4)の約束に反し、教科書から慰安婦の記述をなくしていったのは、ありえないことであり復活させるべきだ、ということになります。

ところで、先日、話になったのは、2015年に安倍首相(当時)が謝罪したのに、誰もそれを知らないということについてです。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html
2015.12.28に、岸田氏が代理で、記者発表したものです
「 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。

(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。

(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。」

「安倍内閣総理大臣は,(略)心からおわびと反省の気持ちを表明する。」と言ってますね。
安倍氏は嫌韓的言説などでネトウヨに人気を得ていたため、謝罪しながら謝罪はしていないようなイメージ作りを必死に行いました。

この時に、日本政府はソウルの日本大使館近くの〈少女像〉の撤去を要求しました。(内藤さんと一緒に見に行きました)
ただ、韓国は撤去に努力するといっただけなので、別に約束やぶりではありません。

ただし、2015年に安倍内閣総理大臣が「心からおわびと反省の気持ちを表明」したという事実を、どうしても隠蔽したいひとがいるようで、なんだか理屈はわからないが、少女像がくると怒りまわるひとたちもそれを隠蔽したいには違いないでしょう。

以上、1993年と2015年の二つの宣言についての簡単な説明でした。

朝鮮に渡った「日本人妻」たち

林典子『朝鮮に渡った「日本人妻」』2019刊 岩波新書を読んだ。島田陽磨監督の映画 『ちょっと朝鮮まで行ってくるけん』に続いて。ほぼ同じテーマ、題材を扱った作品と言える。

異郷、北朝鮮は世界地図では日本の隣だが政治的理由で往来が非常に困難、で何十年も暮らし老境を迎えた元日本人女性たち。彼らにとってふるさととは何だろう。

これを読んで北朝鮮に生きる人についてのイメージが少し変わった。脱北者救済とかという運動サイドの関心を持っているとドキュメンターでもそうした傾向のものを見てしまう。北朝鮮という国家、システムの中でどうしようもない抑圧を受け外に出てきた例外的な人々の目を通して、北朝鮮を理解することになる。
一方、北朝鮮の庶民(人民)はこれですと当局が教えてくれる人々もいるのだが、それは当局によって準備され美化されたものである。「行ってくるけん」にも海水浴で遊んでいる人たちが写り、いい感じなのだが、こんな良い海岸ならもっと人が多くても良いはずではと考えてしまう。人々の実像を知るのは難しい。
北朝鮮には強制収容所があり、言論の自由はない。この映画でも歌を歌うというと首領さまが出てくる歌を歌ったりする。日本の歌は自由に歌っていたようだが、どんな歌でも歌って良いという自由はない。
ただそれにしても、人々はその中でせいいっぱい努力し日々を楽しみ子供を育ていているのだ。一緒に行った日本人男性が40近くなっても結婚していないのを聞いて北朝鮮の人は驚く。日本では自由という主義の下で、子供を作ることすら出来ない人々を大量に生み出してしまった。(これは難しい問題なのでこの表現が正しいかどうか迷うところだが)どんな社会でも人は、別の社会の人には不条理と思われるような常識を受け入れて生き続けていくものだろう。

ひとは生きて老いて死んでいく、はるかな海を渡り違った国で生きるという決断、なんという過ちを犯してしまったのか後悔した人もいるだろう。ただこの本に出てくるのは、後悔せず強く生き続けた女性たちだ。後悔いくらしてもしきれないといった気持ちに沈んでうつうつとした人生を送ったひともいたろう。それぞれどの人生も貴重である。

1959年から1984年まで、在日朝鮮人の北朝鮮への「帰国」運動が行われた。約93000人が「帰国」した(その8割は最初の2年間に帰国)。そのうちに約1830人の日本人妻と言われる人がいる。林典子さんは2013年から18年まで11回訪朝し、9人の日本人妻と残留日本人女性1人を訪問し話を聞いてきた。
3年で里帰りできるという約束は果たされず、60年にも及ぶ年月で一度でも里帰りできた人は極わずかである。
両国家の都合にも合致したため帰国することになったが、両国家の都合により一時帰国も禁じる状態が60年も続く。当事者にとっては不条理かつ過酷な状態である。また日本人妻にとっては、朝鮮人との結婚と「帰国」に対して親から激しく反対された人が殆どである。他の方以上の激しい孤独・孤立感にうちかって60年近く過ごしてきたわけだ。
にも関わらず、林さんの伝える日本人妻たちは、北朝鮮当局や日本に対する恨みつらみを持っていないようだ、それらを強く抑圧し、消化していかないと生きてこれなかったのだろう。

「「だから早く「クッキョチョンサンファ」してね、行ったり来たりできるようになればいいのに、これ何ていうの日本語で?」(同書p64)
「国交正常化……」。私は答えた。」と林さんは答える。
「国交正常化」なるものが両国間の政治、そして日本国民の北朝鮮感情などにももみくちゃにされ、当事者の思いとは遠いところに存在していることを林さんは「……」に込めているのだろう。

首都占領は恋愛のチャンス

廉想渉(ヨムサンソプ)の『驟雨』は面白い小説だ。
1952年に書かれたとは思えない、とてもモダンな感じ。
白川豊による翻訳が出たのが、2019年、21世紀に書かれたと言われてもだまされてしまうだろう。

「フロントグラスをザーザーと容赦なく叩きつける大粒の雨を、ルームライトを消した真っ黒な車内にいる皆は(略)」
という車内の描写からはじまる。大金が入ったバッグと美しい女秘書をつれた社長が逃げようとしている。まるで映画のようだ。
しかしこれは、数百万ソウル市民が体験した北朝鮮軍による占領体験を市民の側から詳細に記述した小説なのだ。朝鮮戦争勃発の2日後である、1950.6.27から50.12.13までの時期のソウルを描いたもの。
国民的なあまりに重い主題とそれとうらはらなポップなスタイルの矛盾が、この小説である。

廉想渉(1897-1963)は李光洙(1892-1950)より5歳下なだけ、黄晳暎(1943年生)などよりずっと先輩になる。
経歴を見ると、1918年慶応大学予科入学するも半年で辞め、福井県の小新聞の記者になり3カ月で辞める。後東亜日報ほかのソウルでの新聞雑誌者で活躍とある。金達寿の『玄海灘』の主人公とそっくりだ。
廉想渉は1919年の三一独立運動に際して、大阪でビラ撒きしようとして拘留された。1945年光復後、多くの韓国の文学者たちは愛国に目覚め社会主義化し越北する人も多かった。廉想渉はリアリストとされ、彼らとは一線を画した。多くの絶望を抱え込んでしまったのだろう。
ただ、『玄海灘』の方は未来のネーションを支えるべき二人の青年が主人公だったのに対して、『驟雨』は吹けば飛ぶような一人の女性が主人公である。

「避難民が溢れそうに通り過ぎるのを、食後に出てきたのか孫を連れた老人がぼんやりと眺めており、その前で黄色い子犬が尻尾を振っている。この奇妙な対照!」(同書解説p418の作家の文章より)
全てを捨てて歩き続けなければならない宿命に押しつぶされそうな避難民たちに対して、「この老人は燦々と降り注ぐ日差しの下で座っているようにみえる」
われわれの生活と思考と感情のすべてがその軸を失った以上、そこに与えられたわずかなぬくもりの中で思い存分背伸びしてみることもできるはずだ。首都崩壊のただなかでの災害ユートピアの幻をこの小説は描いている。

姜スンジェははきはきした美しい新女性である。社長の秘書で愛人でもあったが、戦争の混乱の中で自らそうした関係から自由になる。そして間借りすることにもなる元の同僚申永植に急接近しはじめる。「スンジェの愛欲心理と恋人・永植に対する実際の積極的なアプローチが、かなり具体的に書き込まれている」と白川氏に評されている。

朝鮮の首都が共産主義者によって占領され、数カ月後逆転する、それは決して『驟雨』などと軽々しく呼ばれるべきものではないはずだ。しかしそれはその後70年経っても分断を解決できなかったこの世界(南北朝鮮とその周辺国家)の歴史が、そういう重みを背負わせてしまったのだ。
光復によって民族が解放された以上、なんらかの統一は近々なされなけらばならないしなされるだろう、と当時の人々は信じただろう。スンジェの夫は共産主義者になり越北するが、占領軍としてソウルに帰ってきて復縁を迫る。しかしスンジェは「勇気がない」として拒否する。しかし「私は心の中では、あるいは精神的にはあなたの妻です」と書きとめる。しかし「自由に背を向けてまであなたの妻でいられるほど、自由を捨てて出ていく勇気もありません。(p182)」友人の文学者たちが越北していった時、廉想渉もそう思ったのだろう。社会主義の大義は認める、しかし私は自由の方を取る。インテリの考える思想的自由ではなく、スンジェの生き生きした喜びのなかにある自由それを私は捨てられないのだ、と廉想渉は考えた(と言っていいだろう)。
「北」に傾くことなく身を処し続けた廉想渉は、思想的にも「北」にとらわれず、かといって反発もせず、自由に生きつづけた。戦乱のなかでのスンジェの小さな恋愛のたたかいを長編小説に記し、讃えた。

(2024.5.9訂正)

和解のためのパラヴァー (徹底的話し合い)

謝罪は難しい。自分が正しいと思ってやったことを咎められた場合、相手が自分の正しさを主張すればこちらもこちらの正しさを主張し返すことになり、きりがない。
だからそういうことは止めよう、と考える。しかしそれでは不正は放置されたままになり、社会は良くならない。被害者の気持ちも収まらない。ではどうすればよいか?

https://www.youtube.com/watch?v=ddfboRLj2Ew
京都大学のオンライン授業で、松田素二先生の、「アフリカから学ぶ人文学」という講義を聞いた。

アフリカでは何度も大きな紛争が起こっている。そして終結した。
一番有名なものは 南アのアパルトヘイト(1994年廃止)と1994年ルワンダの大虐殺(100人が犠牲になった)。
このような問題に対して、先進国インテリは「加害者の処罰をすべきだ」など言うが、今までうまく行っていない。上手く行かない場合、先進国側はそれをアフリカの未発達、未開のせいにしてしまう。
それに対して松田氏は「アフリカの潜在力」に注目すべきだとする。先進国がアフリカに学ぶべき点があるのだという新しい立場である。
どのように解決すれば良い?
法と法廷によって加害者を裁く、これが私たちの考え方。しかしそれによって、問題解決したと思われる例はなかった。
別の考え方がアフリカ人によって提起された。それはむしろ加害者を受容するという問題解決の仕方だ。加害者も被害者も同じコミュニティのなかで生きていくしかない。
それは乱暴に言えば、真実よりも和解・癒やしを追求するという考え方だ。アフリカ風には「顕微鏡型真実」ではなく、「対話的真実」と言う。
顕微鏡型真実は、物的証拠などを細かく積み重ねていって裁判所が「事実」を認定しそれによって「罰」を決める。
対話的真実とは、加害者と被害者が互いに話し合った中で了解しあえたものを真実とするという考え方。
南アの真実和解委員会(TRC)やルワンダの共同体法廷(ガチャチャ)でも、対話的真実の考え方が採用されている。これに問題がないわけではないが、顕微鏡型真実による解決よりは有効だと考えられる。
罰を与えるシステムには、今後どのようにしてひとびとが「よりよくともに生きることができるか」という問題意識が欠如しているからだ。

このような思想の核心として、コンゴのゲリラの指導者でもあった哲学者・社会学者ワンバ・ディア・ワンバ(去年コロナでなくなった)はパラヴァーものを強調する。

パラヴァーとは、誰もが参加し自由に雄弁に意見を述べ、全員が一致するまで話し合い続け最終的に「違い」を乗り越え合意に到達する会合(あるいはその場)ことである。何日も掛けることもある。
被害者がその思いを大きな悲嘆とともに語る、加害者はそう言ってもと自分の思いを語る。それは当然被害者のより大きな怒りをまねく。そのような巨大なエネルギーの交換が長く続く。(ミンデルが炎と言っているもの)
この場合、お互いの「違い」はあってはならないものとはされず、否定・征服されたりしない。南アにおける白人の立場は確かにある立場からは全否定しうるものかもしれないが、現実には50年以上続いているものである以上、そうすることはできないのだ。
そして、感情を徹底的にぶつけ合うことによって、その場に参加・関与する異質なひとびとのあいだに、それまでなかった共同性(一体感や共通価値)や熱狂、祝祭感覚をつくりだす。そういうことができるのだ、というのだ。
これは別に理想論ではなく、実際に各地で行われていることだ、というのだ。

わたしたちは多数決が民主主義であるかのように教えられているが、日本でもかっては、満場一致を原則とし、それに到達するまで粘り強く話し合い続けるという文化は珍しくなかった。多数決を理解しないのは遅れていると先進国の人は言うのだが、それも一方的だろう。(日本では現在国会できちんとした討論は行われておらず、多数決だけが機能しており、民主主義とは言えない。)

これを読んだとき、全共闘時代の大衆団交の理想に近いものを感じ、非常に興味深く感じた。
大衆団交について、松下昇はこう書いている。
「学生側(特に全共闘派)は大学構成員に関する全ての問題を、直接・対等・公開の原則に基づいて討論し、実行することを目指し、自他の生き方の検証の場としても把握していた。」対立は持続し、解決するまでこの場は終わらないという感覚は共有されていた。
http://666999.info/matu/data0/gainen32.php

パラヴァーは和解を目指すのに対して、大衆団交にはそういう指向はなかったという相違はある。しかし、納得するまで問い続けるという迫力が何かを生み出しうるという共通するものがあると感じた。まあこれは読者には分かりにくい話ではあろう。

「罪と罰」プロセスだと、過去の事実に罰(評価)を与えるだけである。「告発と謝罪」プロセスだと、被害/加害関係が予め決まっていて、加害者側は謝罪をする場合でも強いられた謝罪になり、ほんとうの謝罪には永遠にたどりつけない。
つまり、相手と共に生きるという結果から逆算すれば、パラヴァーのようなプロセスは絶対に必要である、と言えると思う。

また、裁判というものを国家に譲り渡さないというパラヴァーのヴィジョンは、これからのアナキズムを考える上でも必須のものであろう。妥協や復古、長老の価値というわたしたちが今まで否定的に見てきたものに対しても、再考が必要だということになる。

(この文章は、松田先生の下記動画・パワポにあった文章を引用符抜きで引用、あるいは一部改変させていただいております。
https://www.youtube.com/watch?v=ddfboRLj2Ew したがって野原が著作権を主張しうる文章ではありません。ご容赦ください。)

追記:現代日本においては、エビデンスに基づく裁判による有罪でなければ、加害者であっても自らの加害を認めないといった、「顕微鏡型真実」観の悪用さえ起こっている。直接関係ないが付記しておく。

差別を禁止しても・・・

ミンデル『紛争の心理学』の「反差別主義」を入り口に熱く語る」という、三鷹ダイバーシティセンターの4人による討論がある。
ミンデルの本のなかで、「差別をなくすべきとする考え方、は偏見はなくならない ということを見落としている。」と一行にであったとき、田中かず子元教授が衝撃を受けたことが動画で表情豊かに表現されており興味深い。
「差別をなくすため」の活動を世界中の研究者・アクティヴィストは国家や行政末端と協力し、日々啓蒙活動とかをして努力しているわけである。そうした努力を一行で否定されても困る。そういう困惑だろうか。
正確ではないような気がする。単純な設問であるがゆえに、簡単な感想文も書きにくい。そこでほぼ諦めた。

彼女たちはこの本に「第10章 人種差別主義者は誰?」という章があるのに抄訳では省かれていることに気づき、著者アーノルド・ミンデル氏に連絡し翻訳した。
「人種差別がテーマですが、これを読むとあらゆる差別問題に通ずるものがありとても大切な部分。残念ながら日本語に訳された本にはこの章は入っていませんでした。
なので恩師でもあり著者のアーノルド・ミンデルに許可をいただき、私たちが訳したものを学びの参考資料として無料でみなさんと分かち合うことを承諾してもらいました。」とある。
https://www.facebook.com/mitakadiversitycenter/posts/219045062919115
こちらのページから誰でもダウンロードできる! 翻訳に感謝します。さっそく読ませていただきました。
この章の最初の文章も衝撃的である。
「自分は人種差別主義者ではないと主張するリベラルな人よりも、自分は人種差別主義者だと宣言する人の方が対処しやすい。」

パブリックな空間で「自分は差別主義者だと宣言する人」がどんどん増えると、世の中は価値(公正)の基準すら失って無茶苦茶になってしまう。書店などに嫌韓嫌中本があふれ政治家もそれに影響されている日本社会は、それに近い状態になっている。
ただ、ミンデルが言っているのは彼が参加するワークショップなど一定の親密さを作り出せる空間、関係性内部での話をしているのだろう。

・善意の白人男性 謝罪しこれからは前向きに生きていく、宣言。
ミンデルは社会活動家にロールチェンジする。
ミンデルは彼に彼の特権性を忘れるべきではないと説く。マイノリティは差別から立ち去ることはできない。
彼は階級と経済の問題の重要性を忘れてないか、反問してくる。ミンデルはそれは認めた上で、再度話す。
「私たちは葛藤を乗り越え、二人とも心を深く動かされた。」p4
この場合はこのような相互関係にたどり着くことができた。しかし、私が見聞した限り、差別問題での話し合いでこのような感動や和解に至ることはめったにない、と思う。
差別問題とは、差別者と被差別者の非対等性である。したがって糾弾される側がいろいろ自分の感じたことを語ったとしても、そのような思いは無視されて当然なのだということになる。糾弾される側はまったく納得しないまま「形だけの謝罪」をすることになる。ところが「形だけの謝罪」では解決しないのだ。
ではどうすれば良いか?

この問題が解決に至った一つのポイントはミンデルが下記のような自分の体験を思い出したことにある。
「他の⼦供たちが私を醜い反ユダヤ主義的名前で呼び、暴⼒を振っ
たとき、私は⾃分がユダヤ⼈の家庭に⽣まれたことに初めて気づいた。⿊⼈の⼦どもたちは、路上のケンカで⾃分の⾝を守り、勝つ⽅法を教えてくれた。」
自己が差別されどうしようもなくなった体験、そしてその時黒人との友情にであったこと。さらに、ユダヤ人が黒人からは白人(差別する側)にも見られるということもこの白人に語りかける時有効に働いたかもしれない。反差別言説はしばしば雄弁である。しかしそれが抽象的な上から目線言説であるとき、他人の心を動かさない。

主流派だけが差別主義者になりうる。差別は意図的行為としてではなく、制度や経済的格差という完全に合法的な形で行使される。であるから主流派は自分が差別を犯しているとは気づかない。
これをどうしたら良いか?

「ダイバーシティ・トレーニング」やポロティカルコレクトネスといったものもある。それは服についた染みをぬぐうように、露骨な差別的な言語の使い方を矯正する。しかしそれはこの社会において「下層と認識される人々を踏みつける傾向を見えなくしてしまうこと」になるだけではないか。

しかし、一方でわたしたちはつながりあっている。真っ裸な赤子として生まれまたそれに帰ることによって死んでいく。マイノリティと呼ばれるひとたちとのつながりのなかで生きてきたのだ。だから関係性を認識し、気づき(アウェアネス)を獲得し、差別を変質させていくことができる。

一国二制度から天下主義へ

 許紀霖という人の『普遍的価値を求める』という本が非常に興味深かった。
 かってわれわれは、キリスト教(神を中心とした外在的超越性)や儒教(内面と天理が合一する内在的超越性)あるいは他の宗教が与える究極的な価値とともに、生きることができた。(p164)しかし今や、先進国は自由、自由主義の下に生きている。自由、平等、公正といった個人の自己選択を保証する制度的条件が整えられ、人はすべてを決定する理性を持って生きていくことになった。自由主義は、社会の不正義によって生み出された苦難に対しては有効な救済の方策を持つのだが、日常生活や存在意義に関わる苦難や死に対しては、基本的には白紙の答案しか出せない。
 自由主義は価値の多元性を認める。自由・平等・公正という正しさは強調されるが、精神的秩序の「よさ」や「善」の問題については、答えない。絶対的な善と悪の間で選択を行うには、道徳的理性というよりも、信仰(あるいは内在的良知)に由来する意志や決断の方を必要とする。キリスト教や儒教など、「枢軸文明」と著者は言うのだが、その豊かな「善」の資源を再吸収していくことが必要だ。
 人が人として生きていくことの困難、日本ではそれはかって想像されなかったさまざまな形で現れているが、自由主義によって救いえないものだ。「枢軸文明」からより多くのものを汲み取る必要はあるだろう。

 さて、すべてのものから独立した〈近代的主体〉の自由な権能といったもの、それを至上化したものが〈近代的国家の主権〉であるかもしれない。近代的主体を前提にする哲学はポスト構造主義によって批判されたが、政治的領域においては近代国家の至上性(主権)は疑われないままだ。それどころか、一部の学者の世界ではなぜか今頃「シュミット主義の亡霊」がもてはやされる。SNSなど最新のメディアでは排外主義的言説がポピュリズム的に繁茂する。
 いま私たちは、苦しくとも、西欧と東アジアを古代から深く掘りなおし読み直すことなしに、再出発できないのではないか。

 この本は難解な面も多いが、誰でも分かるようなモチーフが二つある。
 いま世界中の人が認識するしかないことは、中国の巨大化である。世界の覇権国家である米国と対等な国力をつけつつある。
 そこで思い出すことができるのは、清朝に至る過去の大帝国である。帝国は、強大な権力を範囲内の人民に直接押し付けるといった形態を取るものではない。「漢民族が住む地域は中心にある十八省で、清朝は歴代の儒家の礼楽制度を継承し、中華文明によって中華を統治した。それに対して、満州族、モンゴル族、チベット族が住む辺境地域では、ラマ教を共通の精神的な絆とし、統治方法はより多元的で、弾力的で、柔軟であり、歴史的な持続性を維持した。」(p69)
 それに対して現在の中国は、自分たちの統治意識への同化をチベット、ウイグルに押し付け、彼らの宗教を破壊しようとし、全面的な反発を力で抑え込もうとしている。ウイグルには百万人もの収容施設があると、西側諸国にも知られ糾弾されそうになっている。なぜ清朝のようにうまくやれなかったのか?

 もう一つは、韓国、ベトナム、日本などとの関係である。
 「伝統的な中華帝国には万国来朝の盛況があった。重要なことは、それは周辺国家が帝国の武力制服を恐れたからではなく、先進的な文明と制度に引きつけられたからで、そうした文明の吸引力こそが国家のソフト・パワーにほかならない。」(p76)
 これができなくなったのは、中国が限定された領土、領民に対する独占的排他的支配を自らうたう近代国家としてアイデンティフィしているからだ。近代国家であるには、中国は大きく成りすぎた。大きくなりすぎた米国が、人権の普遍性を振りかざす姿勢を持ち続けることしかできないように、中国もなんらかの「普遍性」を強く打ち出すしかないだろう。

 許紀霖が依拠しようとするのは、儒家、道家、仏教など古代からの中国の伝統である。キリスト教、ギリシャ思想などと合わせて、ヤスパースに習い「枢軸文明」と著者は言うのだが、その豊かな「善」の資源を再吸収していくことが必要だとする。
儒教は、一人称の小我を越えて、天下、人類の大我を目指していた。ひとつの地域に限定されることを自ら欲する近代国家と違い、「天下は天下のひとびとのための天下である」(p60)中国人は常に「天下」において考えていた。そして、天下の価値は普遍的でありヒューマニズムだ、と言いうる。

 中国は近代国家であり、少数民族であろうとその一人ひとりはそれぞれ国民として完全に平等に尊重されることになっている。しかしその現実は求心的すぎる国民国家の基準をマイノリティに押し付け、民族文化を破壊するかに至っている。
 「伝統的な帝国の多元的な宗教と統治の制度を参考にして、儒家を漢民族の文化アイデンティティに記号とし、また同時に、少数民族の宗教、言語、文化の独自性を保護して、少数のエスニックグループとしてのかれらの権利を認め、制度的な保証を与えるという考えもある。それによれば、「一国二制度」は、香港、マカオ、台湾において運用される国策であるだけでなく、辺境の自治区に対しても拡大すべき統治方針であるということになる。」(p74)
(2020年8月にこの日本語訳は日本で出版されたが、丁度そのころ香港における「一国二制度」の持続を求める運動は、完全に潰されたようだ。しかし、許紀霖は百年単位で思考しているわけだから、何らかの逆転はありうるかもしれない。)

 また、大きな国際問題になっているのは、東シナ海、南シナ海のたくさんの島嶼についてである。それぞれの島に対して、それがどの国家の領域であるかを厳密に確定すべきだという思想は東アジアにはなかった。島は共同で使用されるものだったのだ。海に近代の主権という境界を存在させるべきでないだろう。(p80)鄧小平「擱置争議、共同開発」は古代の天下主義の智慧を発揮したものだった、と考えうる。日本の田中、大平もそれを了承した。それを覆したのは、(おそらく米国の意志を受けた)一部の日本の外務官僚である。

 とにかく、中国が自らを近代国家としてアイデンティファイするのは、愚かなことだと許紀霖は言っている。
 「これは中国の内政で、外国人がとやかく言うのは許さない」「これは中国の核心的利益であり、他国の干渉を許すことはできない」(p76)といった言説は、たとえ国際法上は正しくとも周辺国の反発しか産まない。そうではなく、友好こそが相互の利益を産むと、それを中国は一貫して追求してきたことを思い出すべきだ。

 近代国家主義の原則を相互に大幅に緩めた例として、数百年の憎悪と流血の果に手に入れたEUの体験を参考にすべきだろう。

 2001年9月のいわゆるイスラム原理主義によるテロ事件に対して、面子を失った米国はアフガン・イラク戦争を開始したが、結局中東地域に平和と安定をもたらすことに完全に失敗した。人権を大事にするはずの先進国も、シリアやイスラエルによる国民に対する広範な人権侵害を見逃さざるをえない状況になっている。「西洋と異なる中国的な近代化モデルが台頭し、右翼ナショナリズム及びポピュリズムの嵐が世界的規模で吹き荒れました。pⅳ」
 つまり、「今日の世界は普遍性を失った時代になっている。」このような時代に、何を基準にものごとを考えていけばよいのか、許紀霖は冷静に問い尋ね続ける。

(備考)
許紀霖氏は、1957年上海生まれ。20世紀中国思想史研究。
『普遍的価値を求める  中国現代思想の新潮流』
許紀霖:著, 中島隆博:監訳, 王前:監訳, 及川淳子:訳, 徐行:訳, 藤井嘉章:訳
叢書・ウニベルシタス 1121 2020年翻訳刊。
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01121-4.html
参考:中国の「新天下主義」について−許紀霖『普遍的価値を求める』を読む 子安宣邦
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/84281039.html

黄晳暎『パリデギ』、火の海・血の海・砂の海を越えて


『パリデギ』
は黄晳暎(ファン・ソギョン 1943-)という韓国の作家の書いた小説。
副題が「脱北少女の物語」という。2008年に刊行されたこの本は前に図書館で見たのだが、脱北女性の物語は『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』斉藤博子著
映画マダムBなどいくつか知っているので、すぐに読まなくてもいいかと思ったのだ。

飢餓に至る困窮に対して、道端のクズを拾って売るなど血みどろの労苦の末に生き延びるリアリズムを、そうした本は表現している。それとそのような境遇を強いた国家(金一族)への呪詛と。

一方、この本はそうした本とはかなり違っている。
主人公は夢見る少女である。ただその夢は甘くふわふわしたものではない。困窮のうちに数千年生き延びてきたアジアの低層民が語り伝えてきた奇妙なおとぎ話。
ある春の日。門を開けると、私(5歳)より少し大きな女の子が立っていた。その子は白い木綿のつんつるてんのチマ・チョゴリを着ていた。主人公のパリは霊感の強い少女だった。それはおばあちゃんから受け継いだものだ。「あれはね、伝染病の鬼神なのさ」とおばあちゃんはいう。柳田國男的な話。

パリ一家は豆満江沿いの国境の町に引っ越す。
「前に美姉さんと豆満江に行った時、水に浮かんでゆっくり流れてくる人の姿が見えた。幼な児をおぶったままの母親の死体だった。きっと、母親と子どもが一緒に死んだのだ。美姉さんと私は、以前ならびっくりして悲鳴をあげ、誰かを呼びに走っただろうが、その時は息をこらして見つめていた。死体の後ろには、解けて長く伸びたねんねこの帯が揺らぎながら流れていた。」
数百万人が餓死したとも言われる90年代中期の北朝鮮。その悲劇を黄晳暎はこのように静かに描き出す。死体が流れてくる、それに対して悲鳴も上げずにじっとながめているまだ幼い少女たち。そこには、無残な死が幾分かは自分自身の未来にもあるかもしれないといった予感さえ孕まれていたかもしれない。

飢餓が激しくなるころ事件が起こり、一家は離散する。パリは賢(ヒョン)姉さんとおばあさんとともに川を越え、中国に入る。中国人の家に一時厄介になるが、そこも出なければならなくなり、裏山に穴を掘り住むことにする。
ここで、おばあさんがパリ王女のお話をしてくれる。その話はパリ王女が、両親とみんなを助けるために、生命水を取りに西天の果にまで行く話。ひとりの悲惨な脱北少女の悲惨な話に、このおとぎ話を二重に重ねていくといった構造をこの小説は取っている。死者や死者の世界との媒介をしてくれる愛犬と幻のなかで交流できるという神秘的能力をパリはもっていた。

物語は本の半ばで大きく回転する。パリは運命のいたずらにより、人身売買の犠牲になり、はるかロンドンに運ばれる。そこで彼女はまたゼロから難民としての生を生き直す。
私が冒頭で上げた2つの脱北女性、斉藤さんは日本へ、マダムBは韓国に帰る。詳しい話は省略するが話は東アジア3国で完結している。
しかしパリデギの場合は遠く、ロンドンに行きそこで終わっているのだ。パリはそこでパキスタン系の青年と出会い結婚する。しかしその相手はなんと911後のイスラム青年たちの熱狂に巻き込まれ行方不明になってしまう。

話が錯綜しすぎのような気がするが、そうではない。この小説はダンテの神曲のように、究極的な問いに答えようとしているのだ。問いとは、なぜ彼らは、300万人を越すとも言われる膨大な北朝鮮人は無残にも、死んでいかなければならなかったのか。その惨禍は数年続き、隣国であり繁栄を謳歌していた韓国と日本は、それを知ろうとすれば十分知り得たはずだ。しかし私たちのしたことは徹底的な無視だった。
飢えて死に、病気で死に、苦しんで死に、痛ましく死んだその膨大な人たちは、何も言えずに死んでいった。「すぐ答えておくれ。どんな理由で、わたしたちは苦痛を受けたのか?」
パリは問いを受け止め、試練の旅を続けざるをえない。パリは魔王と戦い、生命水を飲み帰ってくる。「わしらの死の意味を言ってみろ!」この問いに答えるために。
この問いには答えが与えられるが、その答えはあまり成功しているようには私には思えない。

ただ、「脱北」という巨大な悲惨を、どのような問いとして再構成したのか?
東アジアに閉ざされた国家内部の悲劇として描いてしまってはそれは違う、と彼は思った。
古くさいようなおとぎ話(火の海、血の海、砂の海を越えていく話)と二重重ねすることにより、かえって普遍的な膨大な悲惨の只中の生を浮かびあがらせることができると、黄晳暎は考えたのだろう。