切断と現前のマジック

 どんなことでも、我ながら「すらすらと平気に」どんどん出来てしまうのは幸せなことだし、そこに“ある真実”があることも疑えない。しかるに、上記折口の文章ではそのことに対し「不思議に思う」とされている。

 凡庸な解釈では、行為する自己/意識する自己 の対立において後者の優位を信じるのは愚か、ということになるのだが、ここでは置いて、折口に従う。

 「上つ代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も上つ代、後の代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も後の代」と宣長は言った。*1そうだとすると、わたしたちは現代人でしかありえず、古は理解しえないことになる。しかし宣長の主張はそうではなく、古事記は「いささかもさかしらを加えずて古より言い伝えたるままに記されたれば、その意も事も言も相かなって皆上代の実(まこと)なり。」わたしたちが求めている真実はすでにここ(古事記)に「古の語言(ことば)」として在る!「上つ代の言の文(あや)も、いと美麗しきものをや」!

 宣長は上つ代を後の代から切断しながら、古事記に感動する宣長という回路だけに於いては、古はいままさに現前すると考えた。単に理解できるだけはなく現前し感動を与えるのだ。*2

 宣長による切断と現前のマジックは、弟子たちにはもはや何のパラドクスとも感じられず、だたただ古言(伝統)が勉強され研究されつづける。その流れの中で、万葉が「すらすらと平気に」読めるようになってきたのだ。

「すらすらと平気に」のまっただ中で、ひとはそれに異和を感じることはできないはずだ。なぜ折口だけが「なぜこんなに、すらすらと平気に」という疑問符を提出することができたのだろうか。

*1http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040913#p1

*2:この<感動>が現在の靖国問題にまでつながってきた。

数分他人のブログを読んで分かる!こと

ネットでちょろちょろ、数分他人のブログを読んだくらいでなーにも分かるはずないだろ、という罵倒には十分根拠がある。

しかしその逆の面だってあるのではないか、という提起

noharra 『 そうですね。Panzaさんのいわれる通りですね。「その言葉を使っちゃいけないのか?」と問いを立てると議論になり、使う側には使うだけの理由があり紛糾してしまう。そうではなく、ただの感情論ではなく力を持った(おおげさに言えば関係の絶対性からの声に近い)発言には素直になるという態度を学びたいと思います。

「だから初めてブログを数分読んだからと言って何が分かるものでもない。」というのもまあ半分は嘘。1分でも数分でも、インターネット越しでも、かなり微妙な問題も分かってしまうことはあるものですから。

 CLさんへ。 わたしは根が無作法者なんですが、(良い方に)誤解してもらっているようですので、これ以上言いません。まあぼちぼちよろしく。』(2005/12/07 21:26)

mojimoji 『何か、一発で分かってしまうこと、ってありますよね。何かが「十分に」分かったということではないのですが、しかし、分かってなかったことを発見させられて、認識枠組が大きく変化するのを感じるというか。そういう瞬間。

自立生活してる重度障害者に初めて遭遇したときもそうでしたが、sidoさん(とその近くにいらっしゃる施設出身者の人たち)のブログを見たときにも、何かが物凄い勢いで分かった感じがしました。スゴイですよね。』(2005/12/07 23:27)

noharra 『mojimojiさん

 sidoさんたちのブログを(アンテナを通して)紹介してくれてありがとう。

「何かが物凄い勢いで分かった感じがしました。スゴイですよね。」とわたしも語れるようになりたいと思います。彼らのブログの(向こうにある/なかにある)現実はあまりに重い。だが(わたしの力量には余りに重い)と結局のところ切り捨てるのではなく、「分かる」というその思いを大事にすべきなのでしょう。

CLさんもここだけで分かったとか言ってないで、読んでください。彎曲を覚悟しなければ触れられない真実がそこにあるかもしれないから。』(2005/12/08 06:02)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/comment?date=20051203#c

コメント欄より

概念集・5   目  次

概念集5に関する序文

1

幻想性と級数展開

3

批評概念を変換し…

7

ゲームの(不)可能性

9

スピット処理に交差するモアレ

12

電報の速度

14

表現における遠心と求心

16

資料の位置

18

爆風の現在

20

救援通信最終号を媒介する討論のために

23

裁判提訴への提起

25

肉体と身体に関する断章

27

包囲の原ビジョンへ

29

必死に「市民投票運動する」女性たちを見て(訂正前)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120107#p1 を訂正しました。訂正前分は下記のとおり。

必死に「市民投票運動する」女性たちを見て

石に彫りつけるほどの、祈りをこめて、言葉を彫りつけよ。

さて、康有為は、中国の人心が十分覚醒していないという現状認識を論拠として、「革命すれば内乱を引き起こす」と言った。*1

これに類似の論理は現在でも、よく見ることができるものだ。

韓寒の、中国人の民度論がそうだ。(私は韓寒の根拠に同意したい気持ちもある。ポーランド以西はともかくロシア以東では89年の変革は下部民衆にマイナスをもたらしたのではないだろうか。その原因は日本と共通する「民主主義の弱さ」なのか?)*2

また現在、大阪市と東京都で「市民投票運動」が展開されている。*3現在最初のハードルを越えられるかどうかの瀬戸際である。今までの活動家はほとんどこの運動に冷笑的である。曰く「市民投票運動主催者の今井某の思想はこういう欠点がある。彼は活動家としてこういう欠点がある。また今の時点で、市民投票して負けたらどうする!!それは反原発運動の敗北を絶対的に確認することになる。でもって現在どちらかというと負けるのではないかと私は思っている。したがって「市民投票運動」には加担しない。」などなど。

彼が守ろうとしているものが、自分の内側の「真理」、自分は正しいという信念(しかも一つの投票結果で毀損されてしまう程度に脆弱な)でしかないことは明白だ。

私も実は「市民投票運動」に積極的に賛同したものではない。「脱原発」よりも「経済産業省の責任追及」が先に議論されるべきだと思っている。ただし311から十ヶ月、「脱原発(反原発)」運動は、今までどおりごくごく少数派の運動に閉じ込められてしまっている。一方、小さい子供を抱えた「母親」などを中心にした、新しい形の必死なアクティヴィストたちが生まれている。「ごくごく少数派の運動」から脱却するためには彼女たちに注目しそれを育てようとうする立場に立つべきだと考える。(育てようとうする立場、がエリート主義だが、それについては後から考える。)私は活動家だとは言えないだろう。ただ強く訴えたいことがある。それは、「橋下氏による君が代の強制」反対である。それが何であれ、「ごくごく少数派の運動」にしか発展しない日本史の現在があるように思う。そのように考え彼女たちに注目しているのだ。

大阪市民投票が(直接請求に必要な署名は有権者数の50分の1で大阪市では4万2670人分の署名が必要となる。)その数の著名を獲得したら、橋下氏にクリティカルな問いを突きつけることになる。形式上は市議会であるが今の現状では橋下氏が発言すればそのとおりになる。つまり4万2670人という民意をどう評価するか?という問いが突きつけられるのだ。橋下氏の権威は、「民意」というものを自分だけが独占的排他的に代表(表象代行)しているということを公言しそれが承認されることに根拠を置いている。したがって彼は別の実体をもつ「民意」の登場を激しく警戒している。市民投票の依頼が来ても協力するなと維新の会関係者に命令したことをもってそれは分かる。仮に通れば、彼は「脱原発の民意」はすでに私が代表(表象代行)しえているのだから、改めて投票は必要ないと言うだろう。私たちは「橋下=民意」という彼が勝ち取った等式を毀損するために全力を傾けても良いのではないだろうか。

運動とは、敵と私に同時にクリティカルな問いを突きつける、そうしたものである時本質的だ。

章炳麟は康有為の愚民観を批判して、民智は「ただ革命によって開く」と主張し、人民の自己発展の可能性に期待をかけて、革命の道をきりひらこうとした。*4

今年辛亥革命百周年だったが、辛亥革命研究家たちはみな異口同音に「革命いまだ成らず」と言っている。平均地権という万人の生存権を目指す孫文の思想とはあまりにもかけ離れた中国の現状は認めざるを得ない。韓寒の認識も同じだろう。

したがって、「何かを獲得するものとしての革命」への幻滅が広がっていることは認めざるを得ない。

そうではなく、章炳麟とともに私がここで言っても良いかもしれないことは、「アクティヴィズム(活動)によってわたしたちは自己発展の可能性を生きる」ことができるのだということだ。「将来に何かを獲得するものとしての革命」ではなく「自己閉塞を打ち破り連帯を生み出していく楽しさとしての革命」である。

アントニオ・ネグリ

これに関連しているであろうネグリの言葉を、子安氏が引用してくれているので孫引きしたい。

「確信しているのは、大草原に火を放つような、そういう「火」が世界各地に存在しているということです。」

https://twitter.com/#!/Nobukuni_Koyasu/status/154744236280000513

(1/8転記)

*1:p256 近藤邦康『中国近代の思想家』岩波1985年

*2:韓寒は鋭い風刺エッセイで中国で人気の小説家・コラムニスト。1982年生。年末に3つのコラムを書いて議論を巻き起こした。http://kinbricksnow.com/archives/51764907.html など参照

*3:例えば→http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120106/20120106018.html

*4:p257 同上

一読者 『途中で送信されてしまったものの、まだコメントは続くので、しばらくご返事せずに、私のコメントが終わるまでお待ちください。』

noharra noharra 『野原です。

一読者さんへの応答を、3/14の本文欄に書きました。

3/14のコメント欄にお返事をどうそ。』

ノーモア ノーモア 『さてあなたが公安委員会(?)と風俗業者の関係とは違う、そして軍が積極的・主体的に関与したのだと認識を改めたということですね。そうしますと常石氏のブログでのあなたの問題提起「違法な実態があったとしても、政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」というのは誤りだということでよろしいですね。

>私の主観では、素人から見た素朴な感想ですよ。

なるほど。要は説得的な反論は出来ないが「反感を抱いた」程度のものですか。まあ、如何にバイアスのかかった目でこの問題を見ていたか、自らのイデオロギー性を自覚できただけあなたにとっては良かったのではないでしょうか。

>なぜこの点に先走りと言われながら私がこだわるかというと

そうですね、完全な先走りですね。以下は決議案の内容です。

http://www.thomas.gov/cgi-bin/query/z?c110:H.RES.121:

そして次の質問「違法な実態に政府や軍が主体的に関与していたら、日韓基本条約時の請求権条約で解決済みということになる」という議論が的を外しているということもよろしいですね。まああなたが為したこれら二つの御質問に答えることが私の議論の目的ですから、一定の成果はあったということですね。

>あなたの立場に立ったとしても法的責任追及はできないことには変わりが無いでしょう

ちなみに責任追及が出来ないことと責任が無いことはイコールではありません。国際法は原則として国家間関係を規律するものであって、個人には及ばないというのは確かにその通りですが、国家間合意だけでは個人に対する人権侵害行為が十分に救済されていないという認識の下様々な理論的な努力が現在為されています。しかも妥結時に考慮されていなかった問題であるのならなおさらです。あなたも「複数の首相の誰もが法的責任の履行はできないからこそ、アジア女性基金で道義的責任を果たすことになったのではないですか?」と仰られているという事は日本にはある種の「責任」があるということは否定できないと考えておられるのでしょう。それをどう解決するかが問われているわけです。民間基金による金銭的補償も結構なのですが、そもそも軍が主体的に関与し、そこにおいて人権侵害行為が発生しているのに、(公式的な)謝罪すらしない、あるいは一官房長官の談話すらなかったことにしようとするというのはどういうことかと私は思います。何も責任を取りませんと言っているに等しいと言われても仕方がない。

>ただ、これは戦犯裁判の主体となった連合国が中国を除いては欧米人だったという要因もあるでしょうね。

まず「戦犯裁判ですら裁かれなかったのだから…」というのが推論として妥当でないことはお分かり頂けたようでこれも良かったです。

で、ここからは私とあなたの考え方の違いでしょうけど、私は東京大空襲のような無差別爆撃も原爆による民間人の虐殺行為も裁かれるべきだと本気で思っております。しかしそれを日本が追及するには自らの戦争犯罪と真摯に向き合うこと以外にありません。私は現在南京事件や従軍慰安婦を問題にする時に「欧米だって酷いことをしたじゃないか」という反論をする人たちの中で、どれだけ本気になって戦争犯罪を糾弾しようとする人がいるのか怪しんでいます。彼らは自国を免罪する為の方便として「しか」その主張をしていない。本当に彼らは「酷い」と思っているのか。本気で国家による人権侵害を批判する気がない人たちが、原爆・東京大空襲の被害者を持ち出すのは「死者に対する冒涜」です。秦氏が述べているように今回の件はアメリカ自身にもブーメランのように跳ね返るでしょう。ただそれは日本も酷いしアメリカも酷いというだけのことです。

最後ですがこちらのサイトも参考までに挙げさせていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070312/p1

「遺書を書こう」ふたたび

グラグラのあたしを書く、主体の不在=不安を表現にどう憑依させるか。

まずわたしがいるのだがすぐ崩れてしまいそうだ。言葉を重ねることで不安定さを表現することができる。方法の獲得。方法が消え去らないうちに、書かなければいけない。

財産/日記/服/友だち

 ここでも「どうでもいいです」という始まり近くにある行が効果的に働いている。

ごめんね/ありがとう/さようなら

 と丁寧だが丁寧さは「こころがここにない」ことの表現になりうる。

思い残す事は何もない/私は幸せに逝きました。主体は不在なので、思い残すことなど最初からありようがない。

これで何時でも死ねる/と思うと/安心した

主体が不在とは、安心の否定である。一歩一歩丁寧に辿ってきたのに矛盾に到達した。

あたしは窓から飛び降りた

振り出しに戻り別の選択支を選ぶ。画面が消え何も映らない。

彼女には表現をことさらクリシェの側に押しやって否定してしまうといった傾向がある。<主体の不在=不安>を書くためにはそれに成功してはいけない。成功しそうになったら否定しなければいけない。

以上、彼女は方法を確立した詩人だったということで、であればわたしは彼女の何に引っ掛かっているのか。(12月7日追加)

松下昇

松下昇の“優先所有権”を求めることほど松下の精神からほど遠いものはない。*1

あらゆる「所有権」を超然と度外視するのではないにせよ、それについて考えてみるためには、同志よ、もう一歩が必要だ。*2

「例えば、白い紙(ないしパソコンなど)を前にして何かを表現しようと身構える態度は1969年以降は無効である」(『概念集・8』あとがき からすこし変えて引用)

労働中、潜水中、墜落中、睡眠中など筆記用具(ないし表現手段のすべて)が無効な状態での表現行為を考えよ。あるいは日本語を知らない人が日本語での表現を強いられる場合を考えろ。それとの位相差が表現の内容や方法に及ぼす作用と反作用を繰り込めないかぎり、表現は無効である。というようなことを松下は考えていた。

*1:p193 『マルクスと息子たち』からマルクスを松下昇に代えて引用

*2:デリダ 同書p53

私は忘れない(金時鐘メモ2)

私は忘れない。

世界が忘れても

この私からは忘れさせない。

この3行は金時鐘の詩集『広州詩片』の序詩である*1

「忘れない」と強く断言されている対象は何か?

たしかにありはしました。燃えた熱気にゆらめいた日が。

生きるよすがを明日に見た

今日という今日もありはしました。*2

「確かに」と作者は断言しようとするのだが、言葉にしようとすると陽炎のように揺らめいてしまう。

地平の彼方ははやくもあふれる朝の光です。

思いおこしなさい。思いおこしなさい。どこで燃えた一日なのかを。

「あふれる朝の光」は普通最も肯定的なものを暗示するのに使われるが、この詩の場合は逆だ。作者が忘れないとする<真実>はむしろ<闇>という言葉で語られる。

さかしい自足にからまれて去った

今日でない今日の昨日を見据えなさい。

それがあなたのかかえる闇です。

見据えなさい。見据えなさい。またも変わる年のまえに。

<今日の今日>という現在を超えていく微分的運動としての現在が、いまふりかえるならば昨日という日付に在った。だがそれは日日の自足のなかでやり過ごされ蜃気楼のように摩滅していく。そうしたとき<今日の今日>に燃えた<真実>はもはや「闇」となる。だから詩人は逆説的にも「闇を見据えよ」と命令せざるをえないのだ。<真実>を否定する世界が圧倒的な「朝の光」として世界を漂白しにやってくる、その一瞬前に、あなた闇を見据えなさい。と詩人は命令する。

詩集「光州詩片」の最後の詩「日日よ、相うすきそこひの闇よ」*3の冒頭の二連をあらためて引用しておく。*4

正直に言うと長編詩「新潟」などわたしにはほとんどよく分からない。下記の詩行も意味の反転にみちみちているのだが、わたしはここではじめて金時鐘の<何か>にであったのだ。(デリダ風の二項対立の脱構築であり分かりやすい!?)

明日というもののなかに、<今日の今日>あるいは本物の希望というものを期待することなど野暮にすぎない、とする感覚が普遍化した現在、理解しやすい詩行だ(と言ってみよう)。

     日日よ、愛うすきそこひの闇よ

まだ夢を見ようというのですか?

明日はきりもなく今日を重ねて明日なのに

明日がまだ今日でない光にあふれるとでもいうのですか?

今日を過ごしたようには新しい年に立ち入らないでください。

ただ長(た)けて老成する日日をそうもやすやすとは受け入れないでください。

やってくるあしたが明日だとはかぎらないのです。

日日をさらして透けてしまったすっかり忘れられる愛でもあるのです。

行った年にこそ目醒めなさい。

さかしい自足にからまれて去った今日でない今日の昨日を見据えなさい。

それがあなたのかかえる闇です。

見据えなさい。見据えなさい。またも変わる年のまえに。

そうです。年は行ってしまうものです。

待たなくともいい年を待って とっていく年がだからあるのです。

だからこそ年月が 経なくともいい年月のなかで 節くれるのであり

黄ばんでうすれてもささくれ一つ

過去が残す歳月はないのです。

だからおよしなさい。

待つことだけの明日であるなら 今のうちにお仕舞いなさい。

明日がそのまま今日であっては

やってくる明日が途方に暮れます。

それでも明日がすべてですか?

待つまでもない明日を待って

今日の今日を失くすのですか?

太陽がかげります。

地平の彼方ははやくもあふれる朝の光です。

思いおこしなさい。思いおこしなさい。どこで燃えた一日なのかを。

*1:p41『集成詩集・原野の詩』

*2:p108同書

*3:p106~p112同書

*4:「そこひ」という言葉を小学館国語大辞典で引いてみた。内障とも書いて眼球内の疾病のこととあった。もう一つ、底方(そこい・そこひ)という古語もある。「至りきわまるところ。極めて深い底。奥底。はて。」とある。考えるに、この二義性を含んでいるのだろう。

ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404d.html

http://www.onweb.to/palestine/siryo/jo-fallujah.html

ジョー・ワイルディングさんという(たぶん)英国人が書いた4月11日ごろのファルージャの様子です。「停戦下」です。ごく一部を下に貼ります。上記のurl(どちらでも内容は同じ)で全文を読んでください。

   ○○ 

アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったと同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。(略)

心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?

   ○○ 

私たちは米軍兵士に向かって再び叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた:「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。

私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、13人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この24時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。(略)

私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下は全員、と言った。下限はなかった。

ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもない。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは海兵隊に「軍属」しているか、ファルージャの郊外で追い返されているからである[そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから]。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あり、道にいた人々は再び家に駆け込んだ。

(結論)

これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。

※ジョー・ウィルディングさんは、イラクの子どもたちにサーカスを見せようという活動をしている外国人のグループ(アーティストと活動家の集まり)である、「Circus2Iraq」というグループのメンバーです。

反歌

反日や昭和は遠くなりにけり         (野原)

あかねさす日は照らせれど ぬばたまの夜渡る月の隠(かく)らく惜しも(柿本人麻呂)

消費文明は煌々と光り輝いているが、一番大事なものは隠れてしまって真っ暗闇だ、という意味だろうか。