中道右派 『>☆白馬事件の総括方法 について

>エリート軍人が白昼堂々慰安所を開設した行為が、個人犯罪であるはずもない。組織による犯罪である。

個人犯罪と国家犯罪の本質的違いを理解していないことの証拠を自白して下さり、ありがとう。アメリカ軍人もハワイで第二次大戦中に軍用慰安所を設置したそうですね。相手によっては、未来永劫無知カードを突きつけてくるでしょう。私はしませんが。

>中道右派さんは現在の米兵レイプを批判し、グアンタナモ基地での人権侵害、イラク占領軍の暴虐などを糾弾する立場に立つということですね。大変結構!

そのとおり。

>「説明の下手さ」の問題ではないだろう。あなたたちの論理立場に立っても致命的なミスである。

定義の厳密さに欠けるということです。

ただし、これをチャンスと捉える余地もあります。

なぜこのような分かりにくい説明がはびこったかを、時系列に従って説明していくと、吉見氏の研究者としての不誠実さが浮き彫りになっていきますから。

>近代法の諸原則がわたしの議論とどういう関係にあるのかよく読んで応えてくださいよ。

下記Q2-2を参照ください。

>>>>Q3:正確に、売春婦派と呼んではいかがか?性奴隷派の野原さん。

>>>>Q4:私は、外国人の妻にはそんなに家事しなくていいよと言われるが

>無意味なQを立てるな。

意味はあります。

下記Q3-2、Q4-2を参照ください。

過去の日本の不道徳を犯罪と主張するのは結構ですが、ご自分の手法の不道徳さとも真摯に向き合うべきでしょうね。

私も、自分の未熟さと真摯に向き合いましょう。

>「大アジア主義にシンパシーを寄せる私」大変結構。で、

> この論理から言えば、どちらかを差別しなければならないとすれば、むしろ中国・朝鮮人ではなくオランダ人、アメリカ人であったはずです。しかし日本人がやったことは反対でした。自国民である日本人だけでなく、国際法違反という声を恐れてオランダ人に対しても一定の遠慮は見せました。しかし「アジア人」に対しては蹂躙しほうだいといった状態でした。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070309#p5

に対する反論は?

八紘一宇の主張に瑕疵があったのは、誠に残念なことです。

私は、亜細亜女性基金には、道徳的責任を感じて、村山元首相の10倍以上の金額を寄付させていただきました。

>民族差別を肯定して、慰安婦問題の有責性をかわそうとする「中道右派」氏の「大アジア主義」とは!?

私の主張の重点は、『強制の有無』以下の後段にあるので、あなたに都合のいい編集はお断りします。

>WWⅡ以後でも、民族差別が違法でない国は多かったし、強制の有無とはそもそも別問題なのにこじつけて説明するから、平均的日本人の反感を買う。

左翼系が主流の日弁連勧告ですら人種差別を強制の定義から排除したのは、法の不遡及の原則を否定できないからでしょう。ヒントに書いておいたでしょ?

私の理想は、レッテルをつけるとしたら、日本からトルコまでの汎亜細亜の法の支配でしょうね。遥か未来かもしれないが、大陸も民主化して加わることを希望しています。

>中道右派氏はマブダチ(奴隷)派じゃなく、イラク占領反対派ですよね?

残念ながら、これ以上のカオス化を防ぐ責任も、アメリカには生じていると思います。

米国民が嫌がっても、増派は、ブッシュの開戦を復讐と狂熱と偏見から支持した因果ですな。アメリカが退くなら、最低限でも治安を維持できる勢力を養成してからにすべきでしょう。強いて言うなら、早くポチから脱してステークホルダーになりたい派。私がもし権力を握ったら、何も言わずに米国債を売ります(ハイリスクだが)。そのためにはNATO参加が早道ですかな。インドと同時参加はできないものか。

>野原はこのブログでアクセス禁止したことは一度もない。

>自分の目の前にあるパソコンとネットについても、思い通りにいかないと原因を他人に押しつける「中道右派」氏=“成熟の欠如”

誠に耳が痛い。自分の未熟さと真摯に向き合いましょう。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070314#c117403513

>引用の仕方として0点かどうなかなど論点ではない。

そのとおり。そんなことは思っていません。

単に、その前の『ほしがるなよ』という命令口調(わざわざオミットしたのは自分に都合のいい引用の際の編集の具体例ですか?)をいさめたつもりだったのですが。

わざわざ偽悪的に怒ったフリまでしてね。

その後の対応で、私の真意を理解していただけと思って、少し見直しましたが、やはり分かっていただけませんでしたか。これも私の未熟さゆえでしょう。

>ミッチナレポートは君たちの好きな「客観的に存在する証拠」である。

そのとおり。

>あなたと(一部の無知な読者のために)それが「客観的に存在する証拠」であることを立証する必要はこちらにない。

立証する必要はないですよ。

引用の作法として、検証可能性を担保するため、原典主義(孫引きは悪弊)は、以後心がけて下さい。

内容を改ざんする可能性を極力防止するためです。

>「客観的に存在する証拠」を堂々と無視して論を立てることのできる〈俺様裁判官〉=〈脳内裁判官〉の面目躍如!!

レッテル張りですか。

ただし、前者は気に入りましたよ。

以後、より人格の表示としてふさわしい『俺様裁判官』とHNを変えましょうか?

野原検事、証拠の標目を正確に作れる公判検事は、裁判官の心証がよくなりますよ。

私の言いたいのはその程度のことです。

全体として、自分の都合のいい質問だけ選んで答えるという具体例を呈示して下さり、ありがとう。

念のため修正してもう一度うかがいます。

Q1-2:時効という法原則に逆らい過去を告発する情熱の生じた原因は?コミンテルンの対日テーゼに洗脳されましたか?それ以外の原因があるのですか?

Q2-2:野原氏は、近代法の諸原則の本質を理解していないのは分かりましたが、

尊重もしたくないですか?国際法秩序が更に乱れてカオスが到来し、共産革命が到来することを夢見ているのでしょうか?それとも、比較的多数の世界一般の国民に受け入れられる、法の支配に代替可能な利害調整ルールの私案がおありですか?

>>  1990年代以降日本国内に拡がった“なかった派”はレイシストであり、〈戦後〉の国際社会の最低基準をクリアーしておらず、「国境」を一歩も出ることができない!*5

Q3-2:印象操作やレッテル張りをするなら、もっと正確に、売春婦派と呼んではいかがか?性奴隷派の野原さん。という提案です。

Q4-2:外国人の妻と家事労働を分担している事実・・・レイシストという名誉毀損に対する反証。私は自己の名誉が不当に毀損されるのを好みません。妥当な批判は厳粛に受け止めます。まだ未熟ですが。

Q4 -3:奥様から家事労働の利益を全面的に搾取している自覚のある(あった?)野原氏(自白済み・河野談話をより強化しようとする野原氏は自己の道徳的罪を自覚しているのであろうか?それとも愛ゆえに正当化できるという考えか?)は、アンチフェミニズムで性奴隷制的夫婦制度の支持派なのですか?そうでないとしたら、社会主義を標榜しながら資本主義的快楽をむさぼる金正日と同様の偽善者と呼ばれる危険もありますよ。』(2007/03/22 01:08)

157 世界とは卵(らん)である 野原 燐 2003/02/01 14:42

檜垣立哉さんの『ドゥルーズ』NHK出版の薄い哲学シリーズの一冊、

図書館にあったので借りてみた。

読みやすく面白い。

世界とは卵(らん)である。という断言から始まる。おおっ!

「表面的には均質的にもみえる卵の内部は、さまざまな分化に向かう

力の線に溢れている。」しかも「それが何になるのかが、あらかじめ

すっかり決定されているわけではない。」

「多様なかたちをとるために、それ自身はかたちをなしていない力の

かたまり、それが卵である。」p28

生きるとは、未決定性それもどろどろぬたぬたした粘液のなかで育まれる

生成(安住すべき拠点も定められた目的もない)そのもののことだ。

これってかなり神道的な気がする。

「神とは常の神にあらず。天地に先だてる神をいふ。道とは常の道にあらず。

乾坤に越えたる道をいふ。」『神道大意』(15世紀)より。(註)

世界が名づけ得る諸現象に分化する以前の、始まる前の<混沌>。それが

吉田神道での神である。

根拠、基盤、絶対的基準そういったものすべてを拒否して、なお多様性の

生成に賭けたドルゥーズ。その営みからは学ぶべき多くのものがあるはずだ。

だが、一方混沌というものも、正反対の筈の天皇絶対主義のような同一性の

思考(制度)の支柱になってしまうこともある。それも同一性の思考の罠

というものなのだろうか。

どろどろぬたぬたした粘液即ち卵といった奇妙な未開のイメージが、

実は最新の哲学の基礎概念となっているということ。そのことが、

わたしにはとても面白く思えた。(そして、神道も一部だけ取り出すなら

捨てたもんじゃないのだとも思えた。ふっふ。)

                     野原燐

註:菅野覚明『神道の逆襲』p122(講談社現代新書) より

算数パズルは受けないか?

わたしは儒教の本を読了したのでそれについて書かねばと思いつつ上手くいきません。今日は小学4年から中学1年までの子供5人が来て家族パーティだった。わたしは儒教(神道)??なのでクリスマスパーティではない。問題を出して、チャチなプレゼントを渡した。下位3人には罰ゲームとして次の算数の問題をやらせようとしたが嫌がってやってくれない。仕方にないので1問はむりやり大人にやらせた。やっぱり算数パズルは受けない。でも日本は世界に冠たる「根付け」文化、俳句、短歌文化の国である。今日では200円ほどで売ってるフィギア付きお菓子なんてものも値段の割に信じられないほど精巧なものだ。即ち小さくて精巧なものが好きなのだ。文化でもヘーゲルやマルクスの如き大大思想を志向しても無駄だ、それより小さな問題を精妙に解く芸を競うということが、今後伸びていくはずだ。

子供にやらせようとした問題は以下の三つ。(1)縦横斜め、四匹ずつそろえたら良い。http://web2.incl.ne.jp/yaoki/week186.htm

(2)『三角形のPeg Solitaire』です。http://web2.incl.ne.jp/yaoki/week180.htm

(3)数字をあるルールで「777」とかにそろえる。http://web2.incl.ne.jp/yaoki/week169.htm

(4)この問題が出来なくてくやしい。「3匹の豚と5匹のライオンがおり、5×5のマス目があります。 縦、横、斜いれてくださいめのどの線上にも同じ動物は配置できるが、違う動物は配置できない。8匹を升目にいれてください。 」http://web2.incl.ne.jp/yaoki/week179.htm

網野善彦氏が亡くなられた。

「日本は日本である」といった同一性の神話に対して闘い続けた偉大な先達である、網野氏は、私にとって。哀悼の意を表したい。

 といっても不勉強なわたしは彼の本をよく読んでいるわけでもありません。『日本中世の民衆像』という岩波新書が出てきた。冒頭で、日本人単一民族説と「日本人の生活の中心は水稲耕作だ」二つの考えを挙げ、それは「やや極端にいうならば(略)この日本列島に住み生活をしてきた庶民にとって決して真実とはいいがたいの ではないか」と書いています。

いくらいってもわたしたちは日本とか朝鮮(あるいは韓国)という、たった一つの言葉でありながら世界を僭称する共同幻想以上のもの、から逃れられない。だから同一性の神話とは絶えず闘い続けなければいけない。

儒教??

古田博司氏は「私は儒教が好きである。」と言った上で、次のような言葉を挙げる。「長幼の序」「父子に親あり」「朋友に信あり」「夫婦に別あり」。*1「朋友に信あり」には反対しないが、それ以外はどうも嫌だなと思ってしまう。要するに儒教が大事にするものは、家族、親族、小共同体といったものであるが、わたしはそれらから離脱した単独者でありたいと思っているのだ。

一方欠点として「労働蔑視、職業差別感、身内偏愛、女性蔑視などは儒教が本来的に背負うものであり」が挙げられる。このうち面白いと思うのは「労働蔑視」である。西欧近代は、立岩氏が格闘したように労働(と所有)を価値の源泉とみなしてきた。今日それは金銭、ヴァーチャルマネーとして最後の形態を迎えている。ギャンブル資本主義に明日がないのは自明であり、次の時代を支える思想が要求されているが未だ至らない。それを考えるヒントになるのではないか。

*1:p134『東アジアの思想風景』

ハマスの新指導者が殺害された

イスラエルの暴虐に抗議しよう!

http://www.asahi.com/international/update/0418/003.html

イスラエル軍、ハマス最高指導者ランティシ氏殺害

 パレスチナ自治区ガザ市で17日夜(日本時間18日未明)、イスラム過激派ハマス最高指導者ランティシ氏が乗った車にイスラエル軍の武装ヘリがミサイルを発射した。車は爆発し、パレスチナ自治政府筋によるとランティシ氏と側近2人の計3人が死亡した。イスラエル軍による殺害作戦とみられる。

 ランティシ氏はハマス政治部門の最強硬派。3月23日に、イスラエル軍に前日殺害されたハマス創始者で最高指導者のヤシン師の後継に就任したばかりだった。

訂正(校正)について

 先日UPした、「わたしの自主講座運動」については原本が二つある。一つは1971年1月に北川透氏が刊行した『あんかるわ別号≪深夜版≫2 松下昇表現集』である。もう一つは、『~1988・8~ 表現集 〈 〉版』、神戸市灘区赤松町1-1松下 が連絡先になっている。後者は前者のコピーを更紙にリソグラフ印刷したもので、前者より読みにくい。ただ松下自身による誤字訂正がいくつかある。その訂正個所を最後に追加しておいた。

 わたしの松下氏の表現のテキスト化はOCRでまずやっています。この方法はミスがあっても見つけにくい。そこで、(今回テキスト化により追加された誤りがあるはずです、気がついたら指摘していただければ嬉しいです。)とも書き加えておいた。

 すると今晩、畏友黒猫氏から丁寧に校正をしたものをFAXしてもらった。わたしにとってとても嬉しいことできごとでした。早速、バリケードがパリケードになっているなどのミスを訂正した。ただ訂正仕切れなかったところもある。(スローガンを荷う については「担う」は普通だが荷うも辞書にある。)

追求という言葉。1)追求→追究 2)追求→追及 にすべきでは?という意見だった。 利潤を追求する/真理を追究する/責任を追及する、と使い分けるみたいだ。1)については、理想追求に近い意味ということで、追求でいいだろう。責任追求という言葉は、国語の試験なら間違いになるだろう。しかし松下は、他者に対する糾弾みたいな追及も、例えば「自己が叫び声をたてざるを得ない根拠を追求」するという大きな営為の一部として行われるものと理解していたのだろう。そのような意味で「追求」で通した松下を追認しておくことにした。

黙れ

「黙れ–この礼儀をわきまえぬ無頼のやからめ。私の偉大なる武勲、誰も否定できない私の親愛なる気持ち、私の弁舌に満ちあふれている深遠なる知識に関するお話から、尊敬できるものを享受できず、安らぎの時間や高貴なる教訓を手に入れることができない者がいるとしたら、おまえのようなろくでなしだけである」

ドゥリートは私が話しつづけるのを認めず、私の耳元で大声で叫んだ。*1

「ラカンドン密林のドン・ドゥリート-カブト虫が語るサパティスタの寓話」(副司令官マルコス=著 小林致広=訳)が現代企画室より刊行(定価2500円+税)されたのですが、本日もうある図書館にならんでいました。副司令官とはサパティスタ民族解放軍(EZLN)の副司令官である。辺境のすごい過激派軍事組織のテロリストの親玉なのか? とにかく政治的文書に非常な文飾を付けたものみたいだがおもしろそうだから借りてみた。

「これは政治文書か、文学か、寓話か。はたまた、ジャングルでやるべきことのないゲリラのスキャンダラスなお遊びか。つかみどころのない、世にも不思議な物語が、混沌たる過渡期に、ついに登場! ここには新しい表現スタイルの模索の跡がくっきりとある。」

http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/

わたしは知らなかったが4年前から活発なサイトがあり、そこからペーストしてみた。

 これはほら話である。何にも似ていない。一定の方法はあるが必ずしも意味があるわけではない。ドン・キホーテやサラゴサ手稿に少し似ているが、例えば残雪のデタラメさを思わせる所もある。 

*1:p146『ラカンドン密林のドン・ドゥリート』isbn:4773801050

三流学者ごときが

トランスカレッジさん経由ですが、加藤秀一研究室から引用しておきます。

http://www.meijigakuin.ac.jp/~katos/

◆子どもたちが性を肯定的にとらえ、自分の身を守り、他者を尊重できるように――。こうした願いのもとに地道な工夫を積み重ねて行なわれてきた東京都における性教育への取り組みが、現在、東京都知事(石原)、東京都教育長(横山)、民主党を中心とする数人の都議会議員、一部のマスコミ(『産経新聞』『週刊新潮』等)、アホな御用学者(高橋某等)たちによる事実のねじ曲げと悪意に満ちた猛攻撃によって、はげしい弾圧を受けている。

下記にも長い引用有り。http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20040825#1093381624

天君・天理と日本的精神

論語は聖賢の言行を記したる所に、今日に合わざることありとの玉ひて諸子に書きぬかせて、その必要の所をのみ講し玉ひき。

藤樹は先哲の「和魂漢才」と喝破せるが如く、日本的精神を以て漢学を講究し、漢学の為に併呑せられず、我邦人の取るべき立脚点を取り、厳として樹立する所ありき、之を要するに彼れは彼此の差別あることを弁識せり、(井上哲次郎)*1

中江藤樹が、中国と日本の間に差別が当然にも存在すると考えていた、というのは嘘である。井上は自分の問題意識をむりやり藤樹に投影しているに過ぎない。

藤樹にとっては「(愛敬の)徳は天地同根万物一体なり」である。「藤樹によれば 孝 は先天的に世界に実在し人類の行為により発達し来たれる倫理的秩序なり」*2である。藤樹はつねに天地万物という普遍を見すえてものを言っているのだ。「我心は即ち太虚なり、天地四海も我心中にあり」という唯心論ではあるが、心の中には宇宙があるのだ。「和魂漢才」とか「日本的精神」とかいう、「邦人」にのみ適用され他国人は意識の外といった普遍から外れた立脚点に立ったことは、一度もない。

主著『翁問答』巻一には、次のようにある。

天地を万民の大父母となして見れば、我も人も人間の形ある程の者は、皆兄弟、然る故に聖人は四海を一家、中国を一人と思し召すとなり、吾れと人との隔てを立ててけわしくうとみ侮りぬるは迷へる凡夫の心なり*3

 <良知><理><真吾><明徳><孝><天君><道>などなど、という形でひたすら普遍的に展開してきたこの本は、p155に至って突然「日本的精神」がでてくる。つまり藤樹が生涯をかけて展開した普遍主義的哲学の富を継承すべきものとして「日本的精神」が登場してきたとも言えるのだ。しかしながらそれが「日本的」と限定されたものである限り普遍であることはできない。しかしながら、儒教仏教神道などの宗教の差を乗り越えた普遍的なものとして構想された教育勅語などによる「日本的精神」主義は発展を続け、ついには、世界の日本化を目指す大東亜戦争を引き起こすに至る。これを藤樹の<普遍>を井上が「日本的精神」という言葉において引き受けた結果だ、と考えることも(すこしぐらい)できる。

*1:p155『日本陽明学派之哲学』

*2:p114『日本陽明学派之哲学』

*3:p57『日本陽明学派之哲学』より孫引き