勝ち組を戦場に

ずいぶん前の文章ですが、

http://d.hatena.ne.jp/demian/20040707#p4  経由で

http://d.hatena.ne.jp/amegriff/20040701#1088641482

を知りました。

戦争は国益の為にやるもので、実際その損益をかぶる階層すなわち「勝ち組」が戦場に行くべきですね。

ところで、西村真悟衆議院議員は次のように言っている。(とのこと)

国のために命を投げ出しても構わない日本人を産みだす。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる。

お前みたいな奴が日本を破滅に導き、日本中が焦土になった原因を作ったんじゃないか。これが分からないのなら、日本人は逝って良し!

デリダはアラブ系ユダヤ人

 デリダはフランス人でありユダヤ人だった。そして彼がアルジェリアから来たことも広く知られている。だが彼はカミュのように植民者の子孫としてアルジェリアに生まれたわけではない。1962年アルジェリアが独立したとき、植民者の側にカテゴライズされ離散させられたことは確かだが。デリダの父祖はイスラム化したアラプが北アフリカにやってくる以前からそこにいたのであり、本来その土地に固有の権利を主張してもよかったはずだ。

 ところで、イスラエルに外部から無理矢理移住してくるからイスラエルは無法な外部からの簒奪者になるわけであり、同じアラブの地から移住してくるならアラブ内部の移住だからそれほど大騒ぎしなくてもよいはずだ。だがシオニストは「アラブ内部の移住」という側面を執拗に隠蔽する。

 とにかく大昔からユダヤ人はイベリア半島や北アフリカを含む地中海圏全体に住んでいた。で「ユダヤ・スペイン語」、ラディーノ/ジュデズモなどユダヤ系の言語を話していた人々もだいたいアラビア語に同化していった。もちろんヨーロッパ系の言語に同化していった人々もいるでしょう。ここで、デリダの祖先たちは、つい百年ちょっと前まではアラビア語をしゃべり続けて来た。そして1870-1940くらいの間に完全にフランス化する。そのせいで、いわゆるアルジェリア人より古くから住んでいたのにアルジェリア独立の主体にはなれず、植民者=敵の側とされ、1962年以降離散せざるを得なくなる。

東アジアでいうと台湾の日本統治が長く続き、客家系で長い間中国語を話していた人が日本語しかしゃべれなくなるようなものか。フランス>アラビア>ユダヤという序列において、ユダヤ性を極端に主張するイデオロギーが自身の千年に渡るアラビア性というアイデンティティを力ずくで隠蔽し、それをなかった事にして「イスラエル」を建てていく。事実、イスラエルのユダヤ人の多くが本来アラビア語を母語としていたはずなのにそのことは強く隠蔽されています。

 エイズであったフーコーが死後「聖フーコー」になったように、デリダも死後アラブ人に成る。

(鵜飼)(略)

しかしあの追悼文には一つ大きな誤解がある。ギル・アニジヤールはサイードもそう思っていたと言うのですが、デリダの生家はアルジェリアのコロンではありません。アルジェリアのユダヤ人はイスラム化したアラプが北アフリカにやってくる以前からそこにいたのです。デリダのとくに文学関係の仕事では固有名の問いは大変重要ですが、デリダという名前が普通名詞として何を現わすかは不明です。それくらい古い名前なのです。

 ユダヤ人を一般にアシュケナージ系とセファルディ、東ヨーロッパのユダヤ人とスペイン系のユダヤ人に分けますが、さらにイラン・ハレヴィのような、PLOに合流したユダヤ人の歴史家は第三のカテゴリーとしてアラブ-ユダヤを考える。デリダの家は基本的にアラブ-ユダヤで、そこへレコンキスタの後に北アフリカに亡命してきたセファルディ系の家系が合流したということらしい。デリダが生まれるちょうど百年前にアルジェリアは植民地化されます。その段階では彼の祖先はアラビア語を話していた。一八七○年にランスの法務大臣アドルフ・クレミューがアルジェリアのユダヤ教徒にフランスの市民権を与えます。そしてデリダが生まれるまでの六○年間にユダヤ教徒の共同体はあっという間に同化されていった。デリダが生まれる前にこの出来事は起きています。デリダは生涯、アルジェリアのユダヤ教徒はどうしてこれほど簡単に同化されたんだろうということを、キリスト教とユダヤ教、そしてイスラムとの間の関係としてずっと考えてきたし、ある意味で苦しみ続けた。私たちの前で彼が、フランスがアルジェリアを植民地化せず、自分もフランスと関係なくアルジェリアで生まれていたらいまよりもずっとよかったと言ったことがあります。

(長原氏の発言 略)

(鵜飼)  そうでしょうね。いま自分が抱えているような苦しみとは無縁だったはずだと。それをどういうアフェクトで言っていたのかというところまでは、もちろん証言できませんが。アルジェリアのユダヤ教徒はデリダが生まれる前の六○年間に同化され、デリダが生まれて三○年後にアルジェリアは独立する。そのときユダヤ教徒は、コロンとアラプ人、ベルベル人の被植民者の間にいる階級になってしまっていました。デリダが何度も語ったように、フランス本土をドイツが占領した時期に学校から追放されたり市民権を剥奪されたという経験が一方ではありつつも、フランスの市民権を持っていたがゆえに六二年にはこのコミュニテイに属する人々の多くはフランスかイスラエルに文字どおり離散しなければならなくなる。アラブよりも前からこの地に存在していたコミュニティがアルジェリアの独立によってアルジェリアにいられなくなるという経験を、デリダは既に哲学的に自己形成した後にしたことになります。デリダはこのことについてルサンチマンめいたことはひとことも言わない。このコミユニテイの人たちの多くはこの出来事ののち反アラプ的になり、シオニストになっていく。南フランスの、ユダヤ人でありながらルペンに投票しているような人たちもこのコミュニテイからたくさん出ているはずです。彼のパレスチナに対する関わり方や、九○年代アルジェリアが内戦に陥った時の態度表明に、彼が抱えてきたこの経験が現れている。それは最終的には『ひとつしかない、私のものではない言語』の中であるまとめかたをされました。コロニアリズムのひとつの結果としてこの悲劇も起きたのです。

(鵜飼・長原対談の鵜飼哲の発言より 『現代思想 2004・12 特集デリダ』p102-103より)

サラリーマン長井さんを守れ!

 「私もサラリーマン。家族を路頭に迷わすわけにはいかない。告発するかどうか、この4年間悩んできた。しかし、やはり真実を述べる義務があると決断するに至りました」。そう言って長井さんは涙声になり、言葉を詰まらせ、ハンカチで目をぬぐった。

 「告発による不利益はないか」と尋ねられ、「不利益はあるでしょう」と答えてからだった。

http://www.asahi.com/national/update/0113/014.html

 サラリーマンなんていうと哀れな語感があるが、言いかえればNHKの正規職員ということであり、この日本では階層的に上位に属する。彼らに言論の自由がなければより下位の国民大衆にありようはずがないのだ。

この問題については、下記のブログの意見に全面的に共感する。

筆者は、最近のマスコミ各社の報道姿勢について「萎縮した自主規制とも思えるような」姿勢だとする。

 たまたま私のみた朝日新聞も(14日朝、33面)、NHK「圧力を受けず」安部氏「注文の事実ない」中川氏「面会は放送後」と被告発側の意見だけを見出しで強調している。*1 NHKという巨大組織が、圧力を受けていないという建前を答弁するのは当然であり、情報としての価値はない。それを見出しとして巨大な字で報道してしまうことの責任。自分の責任で一つの事実を事実として提示した長井氏に対し、報道機関がやるべきことはそれを事実として裏付けることであり、当局の反論を掲示し事実を相対化しなし崩しにしてしまうことではない!

http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000973.html blog::TIAO: 明るみに出た報道検閲 ……NHK番組改変問題

道各社の記者諸君はNHKのチーフプロデューサを鑑として先ずは自社を内部告発する勇気を持とうじゃないか。

自らも血達磨になって尚且つ政府を追及するくらいの迫力がなければ、今この国を間違った方向へ押し流そうとする勢力に対抗できるわけはない。ことはそれほど重大なのだ。政府、財界が民間を巻き込んで推し進めようとしている国家権力の強化と監視社会はこの国を危うい方向へと舵を切りかねない。

*1:第二報だったからかもしれないが。

第2次「慰安婦」論争 1/29.10時

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050124#p5 へのフォローとして

dempaxさんが下記にコメントしてくださった。

引用箱付きでここに上げます。

あと、id:dempax:20050127#p2 で紹介してくれた

http://members.at.infoseek.co.jp/postx/NHK-kaizan/top.html

NHK「女性戦犯国際法廷」番組改竄問題・私家版 ここは内容豊富みたい。

(わたしの関心は法廷自体の方にあるのだが)

id:dempax

「発信箱:第2次「慰安婦」論争として 山田孝男(編集局)」をさっそく産経新聞で西尾幹二が利用しています.

……「圧力」を経た修正版にもかかわらず、「従軍慰安婦」の取り上げ方に危うさを感じた。92年1月、朝日新聞は「朝鮮人慰安婦募集に日本軍関与」の大報道を展開、直後に訪韓した宮沢喜一首相が盧泰愚(ノテウ)大統領に謝罪した。日本軍による慰安婦「強制連行」を糾弾する動きは相変わらず根強いが、強制連行を否定する実証的な反論も出ている。90年代の慰安婦報道と日本政府の謝罪が、日本に「性奴隷」(海外ではsexslaveと報道)制度が存在したかのような誤解をまき散らしたという批判はさらに根強い。……(編集局)毎日新聞 2005年1月24日 0時06分

産経新聞 2005/01/28 11面オピニオン 正論 問題の核心は変更番組の放映にあり 評論家 西尾幹二

…… さすがに毎日新聞はついていけないとみて, 山田孝夫氏の署名で, NHKのあの番組がおかしいこと, 従軍慰安婦の強制連行説を否定する実証的な反論が出ていること, 90年代の政府の謝罪は日本に性奴隷制があったかのごとき国際誤解をまき散らしたことは反省すべきだとする記事を掲載した(1月24日朝刊). 正論である.……

西尾式要約方法

山田孝男編集委員 ≪誤解をまき散らしたという批判はさらに根強い≫ → 西尾幹二つくる会名誉会長 ≪誤解をまき散らしたことは反省すべき≫

毎日新聞らしい「客観報道」として≪批判はさらに根強い≫としたのに, 西尾幹二名誉会長が≪反省すべき≫に改竄してしまった.』

無自覚になされる否認

mojimojiさん コメント欄の文章に勝手にコメントしてしまいました。

id:mojimoji 『「いくらひどい被害だったといっても、50年近く前の話である。全身に衝撃を覚えるなんて言うのは大袈裟ではないか、と傍観者的には思ってしまう。だがそうではないのだ。「誰にも語れない秘密」は誰に語られなくとも50年間彼女の心の中に生き治癒されずに傷であり続けたのだ。」の部分は、本当に余人には推し量りがたいものがあり、かつ無自覚になされる否認によって今も傷つけられ続けているように思えます。

僕自身が、こうした記憶の問題にセンシティブになったのは、岡真里『記憶/物語』の冒頭30ページくらいを読んだときですね。「洋なしのアラビア語が思い出せない、なんだったっけ」というほほえましいエピソードから記憶というものの暴力性へと反転していく記述のところ、あれほど胸を衝く記述に接したことはそうそうありません。』

 わたしの場合は、『全記録1』の何人もの証言を読んだ後で、『夕凪の街 桜の国』という漫画を読んだとき、やはりある頁で落涙してしまいました。

誰もあの事を言わない

いまだにわけがわからないのだ

わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ

思われたのに生きのびているということ

そしていちばん怖いのは あれ以来

本当にそう思われても仕方のない人間に自分がなってしまったことに

自分で時々

気付いてしまう

ことだ

p16『夕凪の街 桜の国』こうの史代 isbn:4575297445

大きな被害を受けたものがそれ故に自尊感情をなくすこと。まさに体験しないと分からないこと。神の不条理がはっきりあらわれているという現象なのか・・・ これはヒロシマを舞台にした漫画ですから慰安婦とは何の関係もないのですが、共通のものはあると思いました。慰安婦はたった一人で耐えなければならなかった分もっと悲惨だった・・・

あるフィリピン人に私が近づかなければならない理由は存在しない。袖擦り合うも多少の縁。かすかな縁はかすかなままでも良いと思うけど、無意識にでも「否認」するのはちょっとね、と思います。

日本の民主主義を育てよう

言論の自由が無い国で、民主主義が正しく育つとは思えない。民主主義が機能しなければ中国のような中央集権的な全体主義国家に成るのかも知れない。

http://d.hatena.ne.jp/tak2001jp/20050228

韓国の一部の民衆が民主化の為に血を流して戦ったことをしらないだけでこんなことを言っているひとがいる。日本は先進国だから心配しなくともよいのだろう・・・

脱北者の証言

 昨日、日本に住んでいる脱北者たちの証言を聞く会があった。

十人近くの人が順に話をした。それぞれ深刻な話なので圧倒される。

飢餓が最も深刻だったのは、97、98年ごろだったようだ。

道で倒れて死んでいる人をよく見たと言っていた。

また、そのころ公開処刑が毎週のようにあった、と。

金正日体制は人民を抑圧する不正義に満ちた全体主義であり、糾弾しなければならない。

言挙しない、神ながらの道

(野原)

N・Bさんが参照を要請されるレイコフというのがよく分からず(参照先urlをやっと見ましたが)、どうも応答しにくいです。

わたしはただのあまのじゃくなのかもしれない。*1

 どんな国家も自らを普遍的な理念として自己規定していると。その点で、スワンさんによれば、フランスのあり方と、アメリカのあり方は全く違うと。そうすると日本の状況はどうかというと、憲法の理念は平和主義と象徴天皇だという。平和主義も理念でありうるかも知れないが*2、そのような理念を現在の日本が持っているとは思えない。そうするとやはり“言挙(ことあげ)しない、神ながらの道”みたいな感じを受ける。「強い者=アメリカに随順する、それが一番抵抗が少ないやり方であり、ベターな方法だと」ということに直ちにつながるのかどうか分かりませんが、そんな感じを持ってしまいます。

「実質的正義」=「モラル」というものがよく分からない、みたいなところから先に進めません。「保守は厳しい父親のモデル、リベラルは慈しむ親の家族モデルに基づくため、」という二項対立は日本では成立しないのでないか。天皇とは男性であると同時に女性でもある。神話学とかのレベルでは明らかにそう言い切れると思います。

「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」というのは柿本人麻呂の歌です。下記にありますが、「反反日、反ジェンダーフリー」ですので、批判のサンプルに良いかも。

http://www2.ocn.ne.jp/~nozakigp/2661.htm

*1:「丸山の観点からすれば、権威主義に対する解毒剤とは「あまのじゃくの精神」ということになるのであろう。http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1028182794/E320095057/ より」

*2:国民国家の常識を越えていくという方向での理念

小熊善之氏批判

(1)「azamikoさんの行動は突飛である(段階を踏まずにいきなり最終手段を取っているような感じ)と私には思えます。」という評価自体が甚だ偏向している。

(2)ネットにおいて、少数意見を唱える者が袋叩きにあうのは自然なこと、という事実認定。

 この「事実」というのは、小熊氏によって捏造されたものではないか。全く異質な二つの「文化」を混同している。

α:15~10年前くらいのアメリカ(及び日本)において見られた、“フレーム”文化。インターネットが一般化する前のメーリングリストの頃の“華”とも言われた。これは発言者の強い個性を前提とするもので、「少数/多数」という布置が予めないからこそ成立する。β:それと去年日本の“イラク三馬鹿”騒動以降顕著になった、ナルシスティクな愛国言説による少数派叩き。「自己=多数派」という前提だけに依拠していると評価できるほど、発言者の自立した思想性は低い。

「言論の淘汰圧」という聞き慣れない言葉を使うことで、捏造が行われる。

(3)1,2からの結論として少数派は「より手段の妥当性にも拘るべきで、それらを失すれば非難を受けるのは致し方ない。」と結論する。

野原から見ると、(1)も(2)も誤りなので、全く納得できない。最初からazamikoさんを否定したいとするプチウヨ的イデオロギーそのものであるのだろうに、自己がそうであることを認めず、一見中立的な論理構成で目的を達成しようとしている悪辣な奴、ということになります。

うし 『小熊さん、はじめまして。

他人の行動が違法だと言い張るなら、どの部分がどのように法に触れるのか指摘すべきでしょう。あなたがどうして「見えない」のか野原さんには伝わりません。』(2005/04/08 23:07)

N・B 『 どうも、また書き込みです。とりあえずひとつ誤解していたことに気づいたので。小熊さんの書きこみは文字どおりに解釈すべきのものだったんですね。調べてみると、自分の意見を主張するためにブログのような突っ込みの入りやすい形態をとらない日記を実践なされているのを発見しました。野原さんは批判の内容からみて日記を読んでいるようですね。

 それにしても、小熊さんが主張する人間の本性が自らの行動がぴたりと一致なされるのはすばらしいですね。たいへん(特に人間に対して)純粋な方と認識しました。しかし日本国家への帰属意識がひときわ強いと思われるだけに昨今の情勢には内心忸怩たるものがあるのではないでしょうか。

>小熊さんへ

 ひとつだけ質問をすれば、現状をそのまま受け入れれば結果的に多数派になるはずですね?しかもazamikoさんの行動を突飛なだと感じて、同様に受け取ることが多数意見だからazamikoさんが袋叩きにされると書かれたのですからこの件に関しても多数派ですよね?2重の意味で多数派の立場にいるにもかかわらず、小熊さんが最初に中立として意見し、後では自分は多数派ではないという根拠はなんなのでしょうか(4月8日)?根拠がないと私はまだ反感を抱いたままになるのでたいへん知りたく思います、ぜひお答えをお願いします。

http://www.sumire.sakura.ne.jp/~oguma/tron/bottom.html

 なおもし書きこんだ方が別人でしたら深くお詫びします。』(2005/04/09 09:48)

ドイツにおける戦争犯罪者

6千人が多いか少ないか。日本では日本人に対する戦争犯罪者は一人も裁かれていない。逆に「軍人と遺族に40兆円(すべてのアジアへの賠償総額は1兆円)という巨額の恩給を支払い続けているのである。」*1

一方、ドイツでは、ニュルンベルク裁判のあと、ナチス戦犯を裁く特別法を作り、時効も無効にして、10万人以上を捜査し、6千人に有罪判決を出して処罰したのである。英仏の裁判所も今にいたるまで自己民のナチ協力者も含めて、終身刑などの厳しい有罪判決を出し続けている。

http://blog.goo.ne.jp/yayori2005/e/d3e1031f45e8ed5bd897d79626e2b72a

*1:軍人と遺族を戦争犯罪者と同一視しているわけではない。