近代思惟はあった、中国にも

 前にも書いた島田虔次『中国における近代思惟の挫折』上・下*1をやっと読んだ。この本は1949年著者31歳の時に出版されたものだが、以後長い絶版期間なども経つつ、著者が3年前に亡くなった後今年6月と9月に東洋文庫から新たに出たもの。(ジャンルがマイナーですが)戦後が若い頃の熱気むんむんの名著といえるでしょう。図書館に返さないといけないのでなにか書いておこう。さて、

・「人間史の近代(近世)という普遍から特殊中国を見る、という大きな構想のもとに、陽明学が宋学の全展開の極限であり、それが最後に行きついたところには、西欧のいわゆる「近代精神」「近代原理」をも萌芽的には認めることができる(ただしそれは最終的には「挫折」したのであるが)というきわめて大胆にして独創的な主張をなすものであった。」と井上進氏は、この本の根本をまとめている。p273下

・この本は細部に沢山誤りがあった、ということ。強調されるべきはその訂正方法である。原文をそのままにして、誤りあるいは説明した方が良いと思われる部分には註釈者(井上進氏)により補注を付ける、という方法をとっている。どんな本でも、誤りがあったとしても、それも含んで一冊の本として産みだされたものなので、その部分だけ器用に直してまたはめ込むというのはとても困難なことです。であるのになぜ「補注」形式をとる人が少ないのか?やはり著者、出版社というものは、自己の誤りを認めるよりはそれを隠し通したいという権威主義にどうしても流れてしまうものだ、ということだろう。ところで権威主義の権化のように思われている朱熹などは、そういう雰囲気とは対極的で友人たちとの対等なサロン的雰囲気において学を形成したらしい。

・31歳の青年が自己の全存在を賭けて書いたこの本はほとんど反響がなかった。そうなったのはある意味しかたない、と井上氏は言う。「ある社会において旧来の標準的理解を超える新しい意見や見方が出現した時」学界でもどこでも、ただしく評価されることなどありないのだ、と。*2なるほどー。ただまあ考えてみれば、江戸時代の日本に大きな影響を与えた明清時代の中国文化などに対して明治以来わたしたちは無視、という態度を取ってきた。西欧の文化・文明を基準にし日本文化の中でもその基準に当てはまりそうなものだけを拡大してあとはなるべく無視するというオリエンタリズムというパラダイムのなかにいたからだ。日本文化だけは例外的に西欧化への道をたどれるだけの素質があったが中国なんかは・・・、というわけだ。中国文化は無視というより、停滞を運命付けられたという否定的評価をあたえなければいけないものだった。そして日本は戦争に負けたのに、中国に負けたとは思わなかったからそのパラダイムは変化しなかった。全体が歪んでいるのに学界だけがまともであれるはずもない。

・戦後の論者は、儒教と聞くと教育勅語的暗い感じでだけ、つまりネガティブにだけ捉える人が多い。しかしわたしはそうではない。と島田は書く。「孟子、王陽明、黄宗義などの熱烈な儒教徒に対して満腔の共感をおぼえたことを否認するわけにはいかない。その共感のつよさは、儒教的思想家への讃辞はかならずただちに彼らの制限を指摘することに依って帳消しにしなければならぬ、というわが学界のエチケットをさえ、余りにしばしば失念させるほどのものであった。*3」ここからは、オリエンタリズム(西欧文明に対する奴隷根性)に浸された常識人たちに対しての痛烈な皮肉と(おそらく)その裏の孤独感がうかがわれる。

・島田は西欧一辺倒でも儒教護教派でもない中庸だったのかというとそうでもない。むしろ両方である矛盾だった。一方ではヨーロッパ近代に対するはげしい傾斜。「ヨーロッパ(風な近代)として中国文明が開化しなかったことに対する無念の情を強く感じていたことは疑いない。純粋に精神的な、霊的な恋愛、絶対超越者への魂の沸騰、そんなものが、いったい、中国にあったか。あるのはただ分別くささのみではないか。*4」一方では、魯迅の儒教文化に対する激しい糾弾にちゃんとうたれつつも「私は中国文明、儒教の文化、あの骨ぶとの文化に対して、ふかい畏敬の念をぬぐいきれなかった」といけないことであるかのように書く。「産業革命以前においては中国の方が総体的にむしろ先進国であった」「たとえば、人民の日常生活の利便の程度、都市生活の諸相、生産や運輸の道具や形式、精神生活の多彩さの程度などについて、知れば知るほど、中国の先進性を実感しないわけにはいかない」*5島田の立場は、かって(彼がこの「あとがき」を書いているのは1970年)科学的歴史学(生産関係が全てを規定する)によって否定された。科学的歴史学なんてものはいまは誰も高唱しない。人殺しシャロンと同程度のカーボーイ、ブッシュの時代になり、西欧近代の限界は多くの人に明らかに成りつつある。だが、一方「知れば知るほど」という条件が今日ほど失われた時代もない。

*1:平凡社東洋文庫 ISBN:458280716XISBN:4582807186

*2:p274下

*3:p262下

*4:p262下

*5:p263下

かんにんの四字

…『雲萍雑志』の原文ではこうである。 「ある人、文盲なるものを異見して、世の交はりは、他の事はいらず。唯堪忍の二字 をよく守るべしといへば、文盲の人は、頭をかたむけ、かんにんとは、四字にて侍ら ずやと、指をもてかぞへ、御許にはおぼし違へなるべし。かんにんと四字にて侍ると いへば、異見せし人云ふ。愚昧の人かな。堪忍とはたえしのぶとよみて、二字なりと いへば、またかうべをかたむけ、たえしのぶならば、又一字ふえたり。五字となり侍 るべし。何と仰せありとも、我等は四字とおもひ侍れば、四字にてかんにんはいたし 侍るなりといへるに、その人また云ふ。汝が如き愚昧の文盲は、実に諭しがたし。人に似て虫同様なり。おのれがまゝにすべしと、大にいきどほりければ、文盲の人笑て 何とも仰あるべし。我等は、かんにんの四字を知り侍れば、悪口せられても、少しも 腹立ち侍らざるなりとて、笑ひ居しとぞ。その智には及ぶべく、その愚にはおよぶべからず」裏モノ日記 2003年12月

http://www.tobunken.com/diary/diary.html にあったこの笑い話は面白い。ある!ある!いまでも、という感じがするからだ。教師といったものはとかく謙譲の美徳とかそう言ったことを言いたがるが、自身は臆病さの鎧を着た自己愛の塊であり他者のことなど全然見えてないことが少なくない。その点庶民(被抑圧階級)は自己なんてものを出そうならたちまちそれは否定されるということなど骨身に染みて分かってるわけだ。というわけでインテリは自己否定を、庶民は反抗のTPOを学ばなければならないわけだ。

こいすちょう

 今年の元旦で良かったことは、(親戚一同でトランプゲーム大貧民をしたこともありますが)、小学生の息子二人と一緒にはじめて百人一首をやったら、訳が分からないはずのそれを彼らがけっこう気に入ったみたいだったこと、でした。子供らは毎日モンスターや敵を次から次へと倒す(殺す)ゲームばかりやっています。ゲームだけではなく、アメリカの影響の強い今日の日本文化ではそれはメジャーな意匠です。それが「テロリストを倒せ」というスローガンが受容される基盤になっていると考えてよい。それに対し、例えば「もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし」とか、闘争や天下国家を遠く離れ極私的色恋などだけにかまけていて優美を唯一の価値とする王朝文化は、反時代的だからこそすばらしい!

  1. 初詣というものは、上(国家)から奨励された結果で、大正期に一般化したものだ。
  2. 正月は、としの神(祖霊の一種)を迎えるものであり、詣るのはおかしい。(柳田国男の説)(以上二つ、あるMLで流れていた文章の要約)

 ただまあ初詣というものはごく個人的な希望を祈るものであり、そこが神社だからといって、目くじら立てるのはおかしい、とも言えます。<日本的なもの><神社的なもの>は当然明治政府の成立よりずっと古く、<西欧帝国主義的国家>である方が本質である明治以降の日本国家(その象徴は教育勅語)的なものとは全く違います。戦後左翼はごっちゃにして否定する(啓蒙=近代化主義)傾向が強いが、それを排除して考えてみれば、後者=ヤスクニ的なものは<神社的なもの>とは異質であることが分かります。

例に挙げた「桜」という記号をも軍国主義に利用した近い過去があります。日本とか伝統かいうマジックワードには多くのものをひっつけることが可能なので、ひっつけたがる人の動機をかんぐる癖を付けた方が良いでしょう。

国家神道とアニミズムは矛盾する

 宣長は神についてこう言っているらしい。

「かみとは、古の御典(みふみ)どもにも見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐい海山など、其の余(ほか)何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)きものを“かみ”とは云うなり。」『古事記伝』三

『国民の歴史』の著者西尾幹二(維新じゃない)はこれを引きながら言う。「日本の神々はきわめて具体的な事物や現象において考えられるもので、抽象的理念的な存在ではない」「これは通例アニミズムと呼ばれるものに等しい」*1

 へー、アニミズムって言っちゃっていいの、と思いました。アニミズムというのは宗教の原始的段階であり普通はけなし言葉でしょう。植民地主義の言説ではネイティブが未開である証拠として使ったりする。日本が尊いとする右翼人士がそんなこと言っても良いものか。仏教儒教に比べて言説力において大きく遅れを取っていた神道は、はじめ仏教、江戸時代からは儒教の語彙や発想を真似て自己の神学を形成してきた。平田篤胤はキリスト教にも学んだと言われている。西尾氏はそれらの努力をすべて無視して、アニミズムに帰る。超越的「天」の観念を背景にした中国的古代世界に対し、日本はそれとはちがった文明を持っていたと言いたいらしい。

 ここに注目したのは、http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031129 で野原が、菅田正昭氏の本に依拠しながら書いたことは、「神道=アニミズム」にとても近いことだったからだ。菅田氏が原始神道に共感するのは、靖国神社などの国家神道は神道の本来のあり方ではないとし、本来の神道はもっと純なものでそれなりに可能性があるはずだという強い思いから来ている。すなわち、天照大御神を至上の神とする神々のヒエラルキーを作り出し主権者天皇を絶対化するために利用した近代日本の神道と、「神道=アニミズム」説は相容れない。ところがおかしな事に西尾氏はその点には触れないようだ。皇国日本の近代史を否定することは間違っているという信念が語られるだけだ。履歴からすると正当派哲学研究者のはずの西尾氏はトンデモ派に成り下がっているのか。

付記 http://www.ywad.com/books/698.html において、wadさんが『国民の歴史』を批判する場合、大衆に理解を得る批判でありうるためにはどうしたら良いか論じている。同感した。

*1:以上、子安宣邦氏の『「アジア」はどう語られてきたか』藤原書店のp266からの孫引き