かんにんの四字

…『雲萍雑志』の原文ではこうである。 「ある人、文盲なるものを異見して、世の交はりは、他の事はいらず。唯堪忍の二字 をよく守るべしといへば、文盲の人は、頭をかたむけ、かんにんとは、四字にて侍ら ずやと、指をもてかぞへ、御許にはおぼし違へなるべし。かんにんと四字にて侍ると いへば、異見せし人云ふ。愚昧の人かな。堪忍とはたえしのぶとよみて、二字なりと いへば、またかうべをかたむけ、たえしのぶならば、又一字ふえたり。五字となり侍 るべし。何と仰せありとも、我等は四字とおもひ侍れば、四字にてかんにんはいたし 侍るなりといへるに、その人また云ふ。汝が如き愚昧の文盲は、実に諭しがたし。人に似て虫同様なり。おのれがまゝにすべしと、大にいきどほりければ、文盲の人笑て 何とも仰あるべし。我等は、かんにんの四字を知り侍れば、悪口せられても、少しも 腹立ち侍らざるなりとて、笑ひ居しとぞ。その智には及ぶべく、その愚にはおよぶべからず」裏モノ日記 2003年12月

http://www.tobunken.com/diary/diary.html にあったこの笑い話は面白い。ある!ある!いまでも、という感じがするからだ。教師といったものはとかく謙譲の美徳とかそう言ったことを言いたがるが、自身は臆病さの鎧を着た自己愛の塊であり他者のことなど全然見えてないことが少なくない。その点庶民(被抑圧階級)は自己なんてものを出そうならたちまちそれは否定されるということなど骨身に染みて分かってるわけだ。というわけでインテリは自己否定を、庶民は反抗のTPOを学ばなければならないわけだ。