あなたのなかの「善」を信じる

山下京子さん、被害者の母が、「酒鬼薔薇」が本退院することへの現在の気持ちを語っている。

 今年の8月、私どもは彼からの手紙を2通受け取りました。

 あれほど、「まずは手紙で、謝罪の思いを本人から伝えてほしい」と切望していたにもかかわらず、私はすぐには読む気になれませんでした。

 手紙を読んで事件の真相を知りたい、彩花の親として真実を知らなければならないと思う一方で、もしも、今よりもさらに辛(つら)く苦しくなって、自分がどうにかなってしまったらどうしよう、という怖さがこみあげてきたからです。

 そんな葛藤(かっとう)を繰り返しながら、10日が過ぎ、ある程度動揺がおさまった私は、ひとりで手紙を読みました。

 あくまでも私信なので、内容を社会に公表するつもりはありませんが、少なくとも劇的に私の気持ちを揺るがすものではありませんでした。そして事件の核心に触れるものでもありませんでした。

 しかし、2通目の手紙は人から強制されて書いたものではなく、彼の本心を吐露したという感があり、出会ったこともない彼の声を聴いているようで、読み進めていくうちに涙を流している私がいました。

 その涙の意味は自分でも理解できないのですが、憎悪や恨みという種類のものではなく、もっと静かな、ただただ哀(かな)しい、というのが一番近い感情でしょうか。

 そのときに思ったのは、仮退院時のコメントと重複しますが、彼が「社会でもう一度生きてみたい」と決心した以上、どんなに過酷な人生でも、人間を放棄しないでほしい。彩花の死を無駄にしないためにも、生きて絶望的な場所から蘇生(そせい)してほしいということでした。

 だからといって、けっして彼の罪を許したわけではありません。

 それでも、彼の「悪」に怯(おび)えるよりも、わずかでも残る「善」を信じたいと思うのです。

http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/shakai/20041214/20041214i515-yol.html

児童殺傷事件・加害男性の退院前に遺族がコメント (読売新聞) – goo ニュース

mojimoji発言の先見性

mojimojiさん、コメントありがとうございます。

ご挨拶がとても遅れてすみません。

id:mojimoji:20050113#p2 で言うべきことはきちんと言われていることに今さらながら気づきました。

安倍晋三の「工作員」発言、慰安婦問題を隠蔽しようとする安倍氏たちの工作を、大衆が無言で受け入れて(同意して)、これを否定できずに情況はいままで動いているわけです。

さらに女性国際戦犯法廷に関して、「北朝鮮の工作員を検事、日本と天皇を裁く側においた法廷」と言っていた。

id:mojimoji:20050113#p2

それ以後、おおや氏ほかに対して一歩も引かず丁寧に反論されるmojimojiさんの文章、頭が下がります。わたしなどは読むと頭に血が上りそうで怖くて読んでいません・・・

 性の商品化などについても興味を持っていますのでこれからもよろしくお願いします。

革命的法創造の営為

田島正樹氏のもう一つの論点は、法創造的営為の必要性である。

3)今般問題となってゐるのは、権力自体の機能不全・戦後処理をめぐっての問題解決能力の欠如・ならびにそれに伴ふ権力の権威の崩壊に、いかに対抗し、補填するのかといふことである。

 それは、権力の空白を放置すれば、そこを必ず恣意的なマフィア的暴力が横領してきて、自然状態の荒廃を回帰させてしまふからである。この空白(法の203高地)をめぐってマフィア的暴力と革命的(法創造的)左翼が、常に陣地争ひをしてゐるのだといふことを自覚せねばならない。

http://alicia.zive.net/MT/mt-comments.cgi?entry_id=152

おおやにき: Comment on 法廷と手続的正義・続々々

既存の中立的制度を形式的に守っていこうとする、常識的に正しい態度は、「すでに右翼的なのである。」

むしろわれわれは「当面の政治状況が左右の敵対性に引き裂かれていることをすすんで承認」しなければならない。

「むしろこの視座からは、既存の制度の中に広がる空洞化・無政府状況に抗して、公共性を奪取し更新することによってのみ、それを保守し救済する事ができると考へられるのである。」

 正義のために法を創造して行くべきであるという発想には力づけられる。

1/29の日記では、国境を越え民衆が自前で実力で審理の場を形成したという点を大きく評価した。どのような主体性、公開性、デュープロセスにおいて公開審理の場を作っていくべきなのか、わたしたちは本気で考える。考えられることはいろいろあるだろう。

南京事件とそれ以外

# bluefox014 『南京事件に関して勝谷誠彦氏が悪質な「印象操作」を行ったことを指摘したエントリーを作成しました。TB送りましたがうまく届いていないようなのでここにリンク貼ります(申し訳ありません)「勝谷誠彦氏はなぜこんな愚かな文章を書いたのか?」http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050303

bluefox014さんはじめまして。

南京事件について何でプチウヨが発言したがるのか分かりませんね。30万が事実でなくとも多くを虐殺レイプしたのは事実なのに。そういうとまあすぐに、事実とは何か、お前見てきたんかという反応が返ってくる。かって広く受け入れられた「大東亜の大義」についてまじめに考えているとはとうてい思えません。

ところで、日本人にとって一番大事なことだったはずなのに下記のことが忘れられているような気がするのですが、どう思われますか。

(はてな内では、urlを記すだけでTBが勝手に送られますよ。)

脱北者は減っている

 ちなみに下記によれば、中国内の脱北者は、現在は3万~5万人に減少したとのことだ。それでもまだ沢山のひとたちがいる。中国と北朝鮮が国境の自由往来を認めたとしたら、国境を越える人は爆発的に増加するだろう。ベルリンの壁の崩壊のようなことが起こって悪いはずがない。

EBRUARY 25, 2005 22:38 by 權順澤 (maypole@donga.com)

米国務省が、脱北者の現況と脱北者政策などに関する初の報告書を最近議会に提出していたことが、24日確認された。

昨年10月に施行された北朝鮮人権法の関連規定に従って作成された同報告書は、「中国内の脱北者は2000年には7万5000~12万5000人だったが、現在は3万~5万人に減少した」とし、「中国の東北部地域では、北朝鮮女性が人身売買の対象にされたり、性売買に従事しているという報告があった」と伝えた。

http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005022645508 donga.com [Japanese donga]

超国家的社会公共的価値

# index_home 『こっちにコメントをつけてよいか迷いましたがとりあえず…

hal44さんの「人権」は確かに「愛国心」よりも超国家的社会公共的価値として注目されていますね。二番煎じのようですが私も同意します。

いまだそれぞれの国家が自らに変わる枠組みとして認めきれていない(先進国でさえもその気配アリ。特にアメリカとか…)ことが一番の問題なのかもしれないと思います。』 (2005/03/27 08:58)

# swan_slab 『ちょっと関連することですが、例えば民主主義・人権を「超国家的社会公共的価値」と普遍性をみとめたのは戦後のことですが、それには功罪もあるように思えます。

先月、パリで所信表明演説を行ったライス国務長官は

 「我々の責務は明確だ。我々は、自由の格差の中で正しい側に生きる者として、不幸にも誤った側に生まれた人々を救う義務を負う。」

と述べています。

また、フランスの哲学者のポール・リクールは、「他者の苦しみゆえの義務」という観念をみとめ、他国への人道的武力介入の正当化を模索します。

かつてフランス的価値の領土的拡大を目指したのがフランスの植民地主義だったとすれば、アメリカの世界戦略は、価値の普遍性の名の下に、相対化を阻害されているという印象ももちます。』 (2005/03/27 09:38)

「日勤教育」というイジメ

今回の運転士は去年13日間の「日勤教育」を受けたとのことだ。これは教育とは名ばかりのイジメ(人権侵害)のようだ。

http://d.hatena.ne.jp/nekoneko/20050427 さん経由

 あやしいわーるど@QWERTYから

>   投稿者:   投稿日:2005/04/27(水)08時35分00秒 さんによるまとめ。

(1) 席の配置

 ・区長、助役、係長等の執務している内勤室の中央の席に座らされ、レポート作成

 ・内勤室は乗務員控室から見通すことが出来る為、晒し者にされる

(2) トイレ等

 ・同僚と会話の禁止

 ・お茶を飲むことの禁止

 ・トイレは管理者の許可を得ることが必要

 ・管理者が同行すること

(3) レポート作成

 ・業務命令として、1時間に1テーマのレポート作成を指示

 ・以下の内容の文章を作成

   当該運転士が犯したミスとは全く関係のない事項

   被告会社への帰属意識を試すような事項

      例えば「同業他社を凌ぐ強い体制づくりについて」、「サービスの原点とは何か」、

         「指示に対してあなたは社員としてどうあるべきか」等のテーマ

(5) 期間

 ・特に規定なし

 ・区長の主観的判断に委ねられる

(6) 給与

 ・乗務手当等の廃止

 ・月額同金額程度(乗務手当なら10万程度)の給与の減額

(7) その他

 ・管理者から様々な罵詈雑言をサービス

 ・見せしめ行為として各駅のプラットホームでの起立(水平展開)

http://mothra-flight.ameblo.jp/entry-fc159893f90a31cd9dcbfef4a3206ab9.html JRの行刑思想 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

記者から高圧的な再教育プログラムに問題があったのではないかと指摘された、JR西日本の南谷昌二郎会長は、「『教育』にプレッシャーは必要である」と答えた。

(略)

過去に自殺者も出したこのJR西日本の素晴らしい再教育プログラムの恐ろしいところは、期間が決まっていないところである。それは監視官が対象者に「反省」を発見したときに、はじめて終了する。対象者は罵倒のなかで脅えるだろう。「反省」が見出されなかったならば、永遠に解放されることはない、と。監視官の絶大な権力のもとで自身の技術について思考するのではなく、解放のための感情を喚起しなければならない。そこではもはや、ミスに対する技術的なことは問題となっていない。問われているのはミスを犯したことへの「反省」であり、対象者の人格である。

つまりこの「教育」の目的は技術の向上ではない。ミスをその人間の全人格と結合させるという思考の果て、その人格自体を改変もしくは改造することこそが、この「教育」の目指すところである。

「日勤教育」は人権侵害かどうか?、と 目的達成「時間厳守した安全な運行の確保」のために合理的手段か? という二つの論点がある。今回の事故は後者に否定的な答えを出したと言えるだろう。前者についても常識的に明らかだと思える。

 こうしたイジメが白昼堂々まかりとおり裁判所や法務局もそれに是正命令をださない、そうした社会なんだ。

参考 服部さん損害賠償請求訴状

http://jr-souren.com/outlaw/sojou.htm

天も地もあることなく、ただ虚空(おほそら)なり

大きな紙を用意する。その紙いっぱいに大きな円を書く。円の内側には何もない。その外側に、次のように書いてある。「此の輪の内は大虚空(おほそら)なり。」さらに小さな字で註釈「輪は仮に図(か)けるのみぞ。実に此の物ありとにはあらず、次なるも皆然り」

中庸の「三大考」は宇宙生成譚である。宇宙の始まりを第1図から第10図までで解き明かしそれに解説を加えている。大虚空(おほそら)があって他には何もなかった。

記に曰く  

天地初発の時、於高天原成、神名は天之御中主神、次 高御産巣日神、次 神産巣日神、云々 

此の時いまだ天も地もあることなく、すべてただ虚空(おほそら)なり。天と地の初めは此の次の文に見えたり。然るを天地初発の時と云るは、後より云る言にしてただ世の初めということなり。また高天原にとあるも、此の時いまだ高天原はあらざれども、この三柱の神の成り坐したる処、後に高天原となれる故に、後より如此(かく)云る語也。*1

「大虚空(おほそら)があって他には何もなかった」、それ以外は三柱の神が成った、だけだ。と云っている。「天も地もあることなく」とは空間がなかったということなのか、それとも大虚空(おほそら)とは空虚な空間なのか、などなど疑問が生じますがそれには答えず、虚空(おほそら)という一語から始まることが語られるだけです。

次に第二図。大きな円の真ん中に小さな円が描かれ、それは「一物」であるとされる。一物ってなんやねんというと書紀にあるみたいですね。

書紀に曰く「天地初判、一物在於虚中(おほそらに)、状貌(そのかたち)難言(いいがたし)」(同上)

第一図と第二図ほとんど同じなのですが第一図は大きな円のなかに、天之御中主神など三柱の神が三つの点で表示された図。第二図は大きな円の真ん中に一物があり、その上方に三つの点がある図。第一図では物はなく神だけ、第二図で物が小さく現れる。で次々に第十図まで展開していくのですがその展開の原理とは何か?と云えば。高御産巣日神、神産巣日神の<産霊(むすび)>(の力)によるわけです。でそれは尋常の理を以て測り知ることができるものではない。したがってこの天地の始めを、「太極、陰陽、乾坤などといふ理をもってかしこげに」あげつらうことは妄説、見当違いだ、ということになります。id:noharra:20050326#p2 でも書きました。

 つまり、宇宙のすべてが、<産霊(むすび)の力>によって生成したのだなどとは記紀にはどこにも書いていない。テキスト主義者の筈の宣長がそこから逸脱して勝手に言いだしただけです。

 「三大考」のポイントは、大虚空(おほそら)への注目にあります。書紀に「虚」という一字があるだけで注目されてこなかった、おほそらになぜ中庸は注目したか。西欧渡来の「地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べる」説を知ったとき、記紀の冒頭とそれがシンクロし、おそらく中庸は激しく感動したのだと思う。

・・・

(続く)

*1:p257 日本思想体系50