幽閉された詩人 劉霞

劉霞の詩集『毒薬』が劉燕子・田島安江訳編で、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)という福岡の小出版社からこの3月に、刊行された。
以下、その書評。

ある朝、眠りから醒めると/暗い影が夢から現れたようにゆっくりと動き/さきほどから私の視線をさえぎる/時はながれ、季節はめぐっても/あの、先がみえぬほど長くて残忍な朝が/ずっとつづき終わることがない

一脚の椅子と一本の煙管(パイプ)/記憶の中であなたを待ち続けても徒労だけ/誰も街角を歩くあなたを見たりしない/ひとみの中を小鳥が飛び/葉の落ちた木からオリーブの実が一粒落ちる [1] 同書 p58

劉霞、劉暁波の妻。
中国は共和国である。その民主主義をもう一歩進めようと劉暁波は2008年「零八憲章」を起草した。暁波はテロリストでもなんでもなく教科書的民主主義を要求しただけだが、中国共産党は許さず、囚われた。欧州の民主主義者たちは、彼の自由を求めて彼にノーベル賞を授与した。獄中の暁波は授賞式に出られないので劉霞が代理出席すべきところ、中国当局はそれも許さず、逆に劉霞の発言一切を徹底的に抑圧した。彼女は劉暁波と違い、どんな罪にも問われていないしたがって、共和国公民として海外渡航の自由を含む自由を持っているはずで、そのことは当局も公式に認めている。しかし実際には彼女は自分の友人にも会えず、近所のマーケットにも自由に行くことができず、徹底的に幽閉されている。暁波は去年7月亡くなったが、彼の死後も劉霞に対する事実上の徹底的な幽閉は続いている。

冒頭に引用した詩は、1997年に書かれた「黒い影 ―暁波へ―」。「1996年10月8日、早朝、二人が寝ているとドアがノックされ、警官が押し入り、劉暁波は妻に別れを告げる間もなく連行された(三度目の投獄)」と訳者注が付いている。20年以上、暁波がずっと囚われていたわけではない。またこの詩を書いた時点でそれに近いことが起こるなど予想もしなかったはずだ。にも関わらず、彼女の二十数年はおよそ「長くて残忍な朝が/ずっとつづき終わることがない」と要約できる。
そこにあるのは「ひとみの中」で飛んでいる小鳥である。人は自由であるとき自由を自覚できない。だからといって自由でなければ自由を自覚できるわけでもない。しかし劉霞は、悲しみのなかで、小鳥=自由を獲得し、小鳥とともに生き続けた。

劉霞は大丈夫なのか?彼女は劉暁波のことしか考えていなかった。また幽閉されすべての友人との関係を断たれ、他の事を考える自由を奪われた。であるのに、去年7月劉暁波は死んだ。劉霞はどうなってしまうのだろう。
詩集を読めばその答えは分かる。彼女は大丈夫だ。生きながら琥珀に閉じ込められた美しい小さな蛾のような劉霞は。

彼女の世界は不在と拒否で特徴づけられている。

あちらにもこちらにも空いている椅子/こんなにたくさんの空いている椅子が/世界のあちこちにあるけれど[2] 同書 p94

空いている椅子があれば人が座っている椅子もあるはずだが、彼女は「空いている椅子」だけに魅せられる。ある椅子に座ると「凍えるほどかじかんでしまい/身動きできなくなってしまう」 劉暁波の不在だけが彼女のテーマである以上、それはしかたがないことだ。

うちのドアをノックしないで/もう決してしないで/いや、するな/ /
うちには人がいない/私たちはただの人形/蒼穹の手に引かれる人形/いまはぐっすり眠っている/ / [3] 同書 p102

この詩は1998年11月とあるが、劉暁波は帰って来ているようだ。しかし詩のトーンはほとんど変わらない。劉暁波もまた六四天安門事件の死者を背負った詩人で、そこから発する言葉は他人に届かない、そうである暁波と二人でいる幸せを沈黙に閉じ込めることを劉霞は選んだ。

カーテンの裏側で/数えきれないローソクが/真っ暗で突き刺すような寒風の中/粘り強く灯っている/わたしたちは亡霊とともに/灯火を手に声を押し殺して哭(な)く/ /
お願い、ノックする見知らぬ人よ/ここから立ち去って/私たちはまだ眠らなければならないの/睡眠によって力を蓄えるために/大きなカーテンを開くとき/わたしたちは何も畏れずに対峙する/あなたちといっしょに/拍手喝采なんてごめんだから [4] 同書 p105

劉霞の拒絶は、「いまだけ」のものだ。「真っ暗で突き刺すような寒風の中粘り強く灯っている数えきれないローソク」とともに、劉霞は生きている。余りにも長く続く「幽閉」状況に合わせて、文体を作ってきた劉霞は、いま挫折してはいない。もう少し幽閉状況が続いても、生き延び、表現し続け、私たちに新しい姿を見せてくれるだろう。

追記:劉霞に自由を!!
劉霞は何の法的根拠もなく一切の自由を奪われている(友人と話したり、手紙を書いたり、作品の感想を聞いたりできない)、零八憲章発表後(特にノーベル賞受賞以後)10年近く。これはまったく不当なことであり、中国当局は至急彼女に自由を与えるべきである。鬱状態に加えて心疾患も危惧されている。ところで、2018年4月2日に亡くなったウィニー・マンデラのことを、先日ある集会で出会った若い南アのアクティヴィストは、(わたしたちの)ママと呼び、深く追悼していた。ネルソン・マンデラが28年間獄中にあった時期、ウィニーがいわば代理として政治的に大きな活躍をしたのは広く知られている。劉霞は政治的志向がなくそうした活動をしたいとは思わないだろうが、一切の自由を奪うとは、中国国家は、アベルトヘイト国家を大きく下回る最低国家ということになる。

References

References
1 同書 p58
2 同書 p94
3 同書 p102
4 同書 p105

在米「歴史戦」敗北の総括について

(1)
『海を渡る「慰安婦」問題 ー右派の「歴史戦」を問うー』は、岩波書店から2016年に出た本だ。著者は山口智美、能川元一、テッサ・モーリス-スズキ、小山エミと、テッサさんを除けばツイッターでおなじみの論客。
そのわりに、きちんと紹介されていないかもしれない。今回、ある特定の意図をもって、第2章アメリカ「慰安婦」碑設置への攻撃(小山エミ)の部分を読んでみたい。

2010年アメリカのニュージャージー州パリセイズパークに「慰安婦」碑が建てられた。次にカリフォルニア州グレンデール市でも「慰安婦」碑が計画されたが、これには一部の日系人による反対運動が起こった。ロサンゼルスでのこの反対運動の中心にいたのは目良浩一という人。この運動に集まった人の多くは1990年前後以降に渡米した新一世と呼ばれる人びと。それに対して、大戦中の日系人収容政策についてアメリカ政府から謝罪と補償を求めて以前から運動をしていた日系人のグループは、「慰安婦」碑設置に賛成する立場を取るに至った。

日系人収容所問題と「慰安婦」問題はいくつかの共通点がある。ひとつは1980年から1990年始めという、戦後処理としては少し遅れて始まっている点。また、アメリカで当時日系人が大日本帝国の手先かもしれないと危険視された背景には人種的偏見があった。「慰安婦」問題の背景にも、韓国人、中国人その他への(非日本人への)人種的偏見があった。などだ。「あとからやってきた保守系日本人たちが、(略)日系人代表のようなふりをして大日本帝国を援護する運動を始めたことに日系人が反発するのは当然だった。(p45)」

2013年7月慰安婦像設立。2014年5月、青山繁晴は関西放送で「日本人のこどもたちが毎日毎日、ひどいいじめにあっていて」と発言した。そしてこれは週刊新潮、週間SPA!などでも取り上げられ広く流布した。しかしこの「イジメ」が実在するのかどうか?検証しても証拠は出てきていない。

「こうした「日本人いじめ」について現地の日系人団体に聞いてみたところ、そのような噂をきいたことすらない、との回答が得られた。」さらに「日系人団体の人たちと協力して、現地の警察・学校・教育委員会、その他さまざまな機関や民間団体に問い合わせたが、やはり何の相談も通報も報告されていなかった。」現地の地方紙や全国紙、さらに日本の全国紙の記者も何も発見できず。東京新聞が外務省に問い合わせた結果も同じ。
「「日本人いじめ」の実態は、その実在を主張する保守派の側ですらつかめていない。たとえば、日本から杉田水脈をはじめとする次世代の党(当時)の現職国会議員三名画グレンデール市を訪れ、いじめ被害を受けた児童の保護者との面談を希望したが、結局見つからずに面談することができなかった。」(p48)

青山繁晴及び週刊新潮、週間SPA!などが取り上げた「慰安婦像に起因する日本人児童いじめ」の存在は疑わしい。ほぼまちがいなくデマである。この点について、杉田水脈さんの現時点での判断をお聞きしたいものだ。

(2)
目良ら「歴史の真実を求める世界連合会」(GAHT)がロサンゼルスの連邦地方裁判所でグレンデール「慰安婦」碑の撤去を求める裁判を起こした。藤岡信勝、山本優美子、加瀬英明らがメンバーだ。その主張の第一は、一自治体が「慰安婦」問題を取り上げるのは連邦政府だけが持っている外交権限を侵害するというもの。慰安婦についての歴史的事実については主張していない。また「日本人いじめ」などの具体的な被害の訴えもない。訴えは却下。次に州裁判所に訴えたが、「原告の訴えは「連邦主義と民主主義の根本的な原理に反するもの」だ」として、なんの正当性もないばかりか、自由な言論を封殺するものだ」として、なんの正当性もないばかりか、自由な言論を封殺する恫喝訴訟だと認定」された。

一方で連邦控訴裁判所に控訴したと、小山本に書いてあったので、GAHTのサイトを見ると次の文章を発見。
「結果は残念ながら、米国最高裁判所への申請が採択されずに、控訴裁判所の判決が最終判決となったために、目的を達成することが出来ませんでした。しかし、最高裁に申請書を提出した直後に、それまで冷淡であった日本政府が、我々を支援するアミカス・キュリエと称する「意見書」を提出して、我々の申請を熱情をもって支援しました。 gahtjp.org/?p=1846 」
負けたのは当然だが、なんと日本政府が支援の意見書を出したという。日本政府に抗議したい。

(3)サンフランシスコ市で「慰安婦」碑公聴会
反「慰安婦」碑勢力は、アメリカ内で盛んにイベントを開催している。しかし、米国人などに訴えかけるために英語で行われたものは、大きな抗議活動に迎えられるのが常で、成果を上げていない。(同書p52-56)

2015年から今度は、サンフランシスコ市で「慰安婦」碑設置の動きが出た。
GAHTの目良、幸福の科学の田口、セントラルワシントン大学の岡田ら、多くの在米日本人が市議会に押しかけ反対意見を述べた。他の町でなかったのは、ジャパンタウンの有力者のうち数人が反対にまわったこと。それは在サンフランシスコ日本領事館からの働きかけによる。また大阪市も姉妹都市としてさまざまな反対運動をした。公聴会が開かれ、多くの人が証言をした。賛成派は元「慰安婦」・李容洙、日系人その他のアジア系アメリカ人など。
反対派は、目良、水島一郎、ロサンゼルスの日本人団体「真実の日本ネットワーク」の今村照美ら。
「目良は「二〇万人の被害者、強制、性奴隷など、慰安婦問題について言われていることはすべて嘘だ」と言ったのち、サラ・ソー教授の著書を振りかざし、目の前にいる元慰安婦の李を名指しして「この人の証言は信用できない」と批判した。」
しかし「ソーの著書では、元「慰安婦」の証言の一部に誇張や間違いが含まれることは、日本の保守派が言うような「日本は事実と異なることでいわれのない非難を受けている」ということを意味しない、とはっきり指摘している。」(p61)

このような老婦人に対する目良の侮辱は、議員に激しい反発を受けた。建設は全員一致の賛成を得た。

(4)2016年3月国連本部で
「同年三月には、国連本部近くの会場で、目良、藤木、杉田、藤井(論破プロジェクト)、山本(なでしこアクション)、細谷(日本近現代史研究会)、鈴木(ニューヨーク正論の会)、マラーノ(「テキサス親父」)が四回に及ぶイベントを開催し、日本語と英語で「慰安婦」問題は虚構であると訴えた。もっとも英語で開催したイベントでは、「日本人は弱者をいたわるが、韓国人はドブに落ちた犬を叩く文化だ」(細谷)、「あなたたちが信じているのは捏造だ」(目良)、「元慰安婦を自称する人には、政治的プロパガンダに利用されて、支援団体からこう話しなさい、ああ話しなさいというトレーニングを受けている人がいる」(杉田)などの発言で、聴衆から猛反発を受けていた。特に紛糾したイベントの後、杉田は「観客は全員韓国、中国に洗脳された桜ばかり」「挺対協や世界抗日連合が後ろにいて、国連の職員を始め、韓国人、中国人、日本人以外の人達を動員していた」とブログに書いたが、日本国内でしか通用しないような自分たちの発言が聴衆を完全に敵に回したという認識ができないのだろうか。」(p67)

以上が、小山エミ「アメリカ「慰安婦」碑設置への攻撃」という文章のつたない概要となる。
わたしの言いたいことは、反対派は反対の根拠を提出することがまったくできていない、ということだ。慰安婦は存在した。少なくともほとんどの慰安婦に離職の自由はなかった。つまり「強制的な状況の下での痛ましい労働・生活」を彼女たちに与えたことは事実であり、それが事実であるがゆえに、日本は河野談話と2015年と少なくとも2回謝罪しているのだ。
したがってわたしたちは「(被害者)すべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ち」を持ち続けている。したがって、慰安婦像を不快に感じることもない。杉田氏ら反対派のひとが何を言っているのか、何が言いたいのか、まったく理解できない。したがって当然、米国人や韓国人、フィリピン人なども理解できないだろう。

杉田水脈議員にお願いする。あなたがいままでやってきたこのような行動は馬鹿げているだけであり、米国人の理解をまったく得られず、日本の名誉をかえって傷つけるものであるので、直ちに中止してください。

朴裕河『帝国の慰安婦』どうなのか?

2年前(2015-08-01)に書いたブログを、この本は最近も話題になっているようなので、ここに再掲するつもりだったが、かなり大幅に改稿した。
(参考:初稿

■『帝国の慰安婦』、読んでみた。

朴裕河氏の『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版 2014年)という本が机の上にある。副題を「植民地支配と記憶の闘い」と言う。
この本はその内容よりもその反響の大きさによって、有名になってしまった本である。だが、端的に言って「慰安婦問題」に対する彼女の把握は、非常に歪んだものである。
検索すると、朴 裕河さん本人の書いた文章がでてくる。私の目的はその本を論じることよりも、彼女が描き出している「慰安婦」なるものが、いかにゆがんでいるか?を、読者に示すことである。
したがってまず、本書ではなく上記文章から、短い文章を二つ抜き出してコメントすることにする。

(1)慰安婦のなかにある「愛国的志」の過大評価

日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。

これを強調するのは正しい。からゆきさんたちがどれほど苦労しそして沈黙のうちに死んでいったかを日本人は忘れており思い出す必要があるから。慰安婦たちのすぐ前の時代に。

「からゆきさん」の「娘子軍」化
からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。
一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。

からゆきさんとは、19世紀の終わり頃から1920年ごろ見られた社会現象。念のためにウィキペディアから引用しておくと、「国際的に人身売買に対する批判が高まり、(略)英領マラヤの日本領事館は1920年に日本人娼婦の追放を宣言し」とある。1920年ごろ海外で娼館を運営することは国際的なスキャンダルになり、日本国家も批判に耐えられず禁止した、といった経緯がある。このようなマージナルな業界は10年単位くらいで社会的位置づけがまったく変わる場合があるので、年代に対する注意深い感覚をもたなければならない。一方、従軍慰安婦制度は1937年の「野戦酒保規程改正」で制度化され拡大していったものだ。このような歴史的経過を意図的に省略し、間違ったイメージを読者に与えようとしている疑いを、朴裕河氏に対し感じざるをえない。

1910年前後?シベリア・満洲などで自立し「壮士」たちを助けたりした愛国的元からゆきさんが複数人いた事は知られている。しかし、彼女たちは国家によってシベリアなどに連れて行かれたわけでもなく、国家に売春を強制されたわけでもない。苦労に苦労を重ね外地で自立しえた日本人が、あとから来た後輩たちを支援する。水商売/壮士という差別、女/男という差別を越えた愛国的情熱がそこにはあった。差別を越えるために過剰に愛国的になった面もあっただろう。

「「からゆきさん」の「娘子軍」化」と題された、この7行において、朴裕河さんは、まったく別のものである「からゆきさん」と「従軍慰安婦」を、類似のものであるかのように印象付けるトリッキーな文章を書いている。
「「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと」というフレーズが「からゆきさん」と「従軍慰安婦」の両方に適用される、というのだ。
しかし、当の女性からみた実存的意味合いはまったく違う。からゆきさんは意気ばかり盛んで現地の言葉や風習も知らない(金だけは持っているらしいが)みすぼらしい男たちを、現地に根付いた者の優位性において助けてやったのだ。壮士は日本語が通じる女性をありがたがっただろうが、郷愁といったものよりもっと現実的に助けてもらったのだ。一方、「従軍慰安婦」は文字どおりその肌と身体を与えることによって、国家に直属する兵士たちを「慰めた」。慰める、comfort とは、レイプに近い身体提供に対する婉曲な表現、美称にすぎない。「慰安婦たち」はそもそも強制されてそこにいるわけで、自由人である「元からゆきさん」とは訳が違う。「慰安婦たち」は朝鮮人でありながら日本人の「郷愁を満た」したのか?

元従軍慰安婦は「略取(暴行・脅迫を用いて連行すること)・誘拐(騙したり、甘言を用いて連行すること)・人身売買などにより」遠くはビルマ・中国国境地帯にまで連れて行かれた。直接ではなくとも日本国家の需要によってである。さらに軍によって売春を強制された。(日本人以外は)植民地/占領地/戦地のアジア人だった。

「私はここにいるべき人間ではない」「私は売春などする人間ではない」「私は日本人など好きではない」元従軍慰安婦たちがそう思ったとしても何ら不思議はない。しかし、反面ではその矛盾により、「同じ死にゆく哀れな存在」としての兵士へのロマンティックな幻想をむりやりかきたてた人はすくなくなかったかもしれない。
しかし、日本帝国に対する忠誠を自己確認することに意味を見出した人など本当にいたのか。いたとしても、三重の屈折を乗り越えてしか、それはなかったはずで、それほどたくさんではない。

「(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)」というフレーズも悪質である。シベリアの元からゆきさんたちも「(シベリア出兵)戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされた」面もあったかもしれない。しかしそれはあくまで自由人としてである。一方、従軍慰安婦たちは基本的に「強制されている」という位相にある、どうしようもない日々のなかで架空の観念に救いを求めた人もいたかもしれないというだけの話。まったく違った話を同じフレーズで形容することで、同質であるかのように印象づける詐欺的レトリック!

これを強調したことが、韓国人の一部に極度の怒りを生じさせたのであろう。文脈の違う「愛国的からゆきさん」の存在にすぐ続けてこう書くのは、歴史の偽造に近いイメージ操作なので、怒りはもっともだ。

(2)慰安婦の定義がデタラメ

つまり、「慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のことである。商人や軍人が利用した「慰安所」のようなものは早くから存在していた。「慰安所」や「慰安婦」という名前は1930年代に定着したようだが、その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである。

完全に間違った定義だ。「いわゆる従軍慰安婦」とは日本軍あるいは日本国家が直接・間接に営んだ戦時売春施設の従事者のことである。その最大のポイントは、国家による強制性にある。
「その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである」ある抽象のレベルで言うならば、それはナポレオン戦争以後の国家管理売春の帝国主義的展開の一部分である、と言うことは可能である。ただし、金学順のカムアウト、河野談話以後解決できない「慰安婦問題」とは、日本国家の責任が存在したことによって問題に成り続けているのだ。

日本国家の責任はほとんど存在しないという論を立てたければ、その自由はあるだろう。
しかし、朴裕河さんのやっていることは、「それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。」という、「システム」という言葉を使うことにより、問題の本質を曖昧にするという方法である。

したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。

「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」というのが日本政府が河野談話で認めた「慰安婦」である。
「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味など、裕河さんが勝手に言っているだけで何の意味もない。このように混乱した文章を平気で書き、現在まで訂正しないのはどういう根性なのか。

(3)「解決を求める」こと

この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。
1、できるだけ早い解決

と裕河さんは書いているのだが、これは間違った目的であると考える。
「解決」を求めているのは、当事者(元慰安婦のおばあさんたちと挺対協、両国政府)だけである。当事者以外の人に求められているのはまず、過去にあったことのできるだけ正確な理解である。その上で、反省すべきならすればよい。解決は当事者がするべきことで、私たちは関係ない。

3、この問題にかかわることが自分の生活や政治的立場と関係のない識者や市民もこの問題にかかわり、「解決」をもたらす方法を「関係者とともに」考える。

なぜ「解決」について私(野原)が考える必要があるのか、全く分からない。
もちろん元慰安婦のおばあさんたちが求めているのだから解決は獲得されるべきだろう。しかし「慰安婦」問題は彼女たちのものなのか?必ずしもそうではない、と裕河さんは書いていると思う。

日本軍「慰安婦」にされた人は、日本人・朝鮮人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人・ベトナム人・マレー人・タイ人・ビルマ人・インド人・ティモール人・チャモロ人・オランダ人・ユーラシアン(白人とアジア人の混血)などの若い女性たちです。

と日本の「慰安婦支援派」の代表的サイトも書いている。

従軍慰安婦問題は事件が終わって45年も経った1990年ごろから「問題」として、世間に大きく訴えられてきた。それから25年以上経った現在直接の当事者はほとんど世を去っている。すでに死んでしまった人たちが納得しない解決であっても生きている人びとが納得すればそれは「解決」になるのだろう。
私は直接の当事者ではないので、そうした「解決」を求めるよりも、いまでは辿りつけないさまざまな境遇の「慰安婦」たちの当時と戦後の情況をまず知りたいと思うのだ。
知ることができない、確定した情報として記述できないとは思うが、であるからこそ不十分でもそこに接近したいと思うのだ。

挺対協が作り上げてきた〈慰安婦をめぐる公的記憶〉が存在する。それが、慰安婦たちの実際の姿とはかなりズレていることを批判したいというのがこの本の趣旨だ。ズレは当然存在する。まず日本人・台湾人・中国人・フィリピン人などなどの若い女性たちの体験が反映されていない。現在北朝鮮にいる元慰安婦たちの体験もおそらく。

さらに、挺対協とは25年以上も水曜デモなどのけっこう大変な活動を持続してきた運動体であり、韓国人元慰安婦であってもそれとは違った意見を持つ人びとも当然存在する。*1

解決を求める事は、挺対協中心史観といった磁場で「たたかい」を展開することだと思う。つまり、裕河さんのやっていることは挺対協中心史観といった磁場で挺対協中心史観に反対するという奇妙なことをやっているようにも見える。

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。(略)
これを歴史の教訓として直視していきたい。(略)同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

河野談話はすでに1993年こう語っている。歴史認識としてもう少し細部まで具体的に知ろうとさえすれば、この文面で足りていると、私はむしろ思っている。2015年12月28日、安倍政権もこの談話を継承し謝罪した。
和解のために何が足りないのか。「心からお詫びと反省の気持ち」であろう。国家の責任を少しでも値切ろうとする、(基本的に敗戦を認めることのできない)愚かなネトウヨ的心性かもしれない。

「慰安婦たち」の「愛国的志」なるものを極端に拡大することによって、慰安婦というもののイメージを歪めようとした朴裕河氏はデマゴギッシュな書き手であると、私は判断する。

(4)朴 裕河先生に言いたいこと

韓国人中心史観を訂正したいなら、
☆ 日本軍に棄てられた少女たち―インドネシアの慰安婦悲話  プラムディヤ・アナンタ・トゥール

☆ ある日本軍「慰安婦」の回想―フィリピンの現代史を生きて マリア・ロサ・L.ヘンソン

☆ 映画 ガイサンシーとその姉妹たち および  班忠義

チョンおばさんのクニ 班忠義

など、読む、または見るほうが良いと思う。

挺対協やそれを支持する元慰安婦たちの現在の表現が、うすっぺらな「公的記憶」に見えるとしても、その背後には数十年の多様な体験の幅が存在している。それを見ることができずに、自己の手持ちの才能だけで「ディベート」に走ってしまった、感じ。慰安婦をめぐる30年近い研究と運動の蓄積を踏まえることがまったくできていない。マッチョな植民地主義にどっぷりはまった田村泰次郎の小説などを読み(それはとても興味深いことではあるのだが)、自分に都合が良い面での影響を受けしまった。

また、からゆきさんと慰安婦問題の関連を考えたいなら、倉橋先生の本も読んでおいた方がよい。

☆ 従軍慰安婦問題の歴史的研究―売春婦型と性的奴隷型 倉橋 正直

従軍慰安婦と公娼制度―従軍慰安婦問題再論  倉橋 正直
倉橋氏の本は、慰安婦支援派からふくろだたきにあったようだ。しかし学者の書いた本であり、批判に開かれた文体、形式で書かれている。言葉の一語一語をひねって、印象操作する朴裕河氏とは大違いだ

*1:p13にも書かれているが

追記■リベラルが「慰安婦」を論じた最悪のツイート

「この本は、「慰安婦」を論じたあらゆるものの中で、もっとも優れた、かつ、もっとも深刻な内容のものです。これから、「慰安婦」について書こうとするなら、朴さんのこの本を無視することは不可能でしょう。そして、ぼくの知る限り、この本だけが、絶望的に見える日韓の和解の可能性を示唆しています。」
(高橋源一郎、Twitter,2014年11月27日

追記・2■歴史学者から

パク・ユハさんの軍慰安所に対する認識は、もっぱら秦郁彦氏の慰安所=戦地公娼施設論に依拠しています。しかし、秦氏の説が誤りであることを、私は軍や警察の史料を用いて実証しました。
永井和 2015年12月28日の日韓合意について

秦郁彦氏の慰安所=戦地公娼施設論などで、日本国家の責任を曖昧化しようとした論も存在したが、実証的歴史学の手法でこれらを打ちのめしたのが、永井和氏の「日本軍の慰安所政策について」である。上の文章と併せて、慰安婦問題の、過去と現在を知ることができる。

王力雄『黄禍』はすごい

王力雄さんの『黄禍』 横澤泰夫訳 集広舎 読んだ。これは大傑作だ。
半分までは、重く大きなテーマに真正面から取り組んだ未来ポリティカル・フィクションの傑作だ、と思った。しかし最後まで読むと、それをはるかに越えた、人類の権力と暴力、生と性、溢れることと滅びること、すべてを描いたすごい作品だと言える。

王力雄さんの『黄禍』はやたら分厚くて(値段は2700円と安いが)、はじまり「東京 新宿歓楽街」というところにたどり着くまで18頁も重苦しい文章を読まされる。私は飛ばして、後から読むが。「東京 新宿歓楽街」のとこもなんか通俗的な感じだ。そもそも、黄禍という言葉自体が重苦しく嫌な感じなのだ。元の小説は1991年に出た、つまりアクチュアルな近未来小説としては古くなっている。(「主な登場人物」はありがたいが、紹介にネタバレが含まれる。変えたほうが良いのでは。)
それでも私が読もうと思ったのは、王力雄さんが5年前日本に来た時お目にかかることができ、その時の彼の佇まいに強い印象を受けていたからだ。小柄だが強い意志を感じさせる、宗教的なオーラさえ感じた。
期待は裏切られなかった。読了して感動している。

「『黄禍』の登場人物はみなできうる限り理性的な選択を行おうとするのだが、最後には理性的な結末を完全に取り逃がす。p12」と著者は言う。
閉鎖的権力関係の内部でそれに埋もれることをよしとしなければ、極端に優秀であり、自分の真の目的を固く持ち続け、かつ自分の真の目的を隠す能力が必要だ。本書の登場人物たちはみなそうした性格であり、その意味で魅力的である。この小説のすぐれたところは、ストーリー上必要なだけの悪役がでてこないところ。権力欲の塊のような超人はでてくるが、そうした人物は中国ではもっともありふれた存在だろう。
初版では「物語を書くという企図はなく、…中国の情勢に関する議論、中国の前途に関する考察が多く語られていた」という。そうした議論小説としての骨格は残っている。(初版は翻訳されたヴァージョンの2倍ほどあり、縮めないと日本に翻訳できないといわれたせいもあり縮めたという。この是非については分からないが読みやすくななったのだろう。)

最初に出てくるのは、黄河の氾濫だ。「水害によって元来の社会組織が瓦解し、無一文になった中で、人々は新たな絆を作り、暫定的な分配制度、労働組織、秩序、さらには法律まで作って」いる例があるというエピソードが語られる。中国のグリーンムーブメントの指導者という著者を思わせる履歴を持つ登場人物によって。
より大きな危機がやってきた時、この理想は完膚なきまでに破られる、というのがこの小説の筋である。

「スコップで粟を放り上げる旅に、石戈(せきか)は自分が粟粒と同じように、すがすがしい風の中に飛び上がり、むらなく散開し、風に草の屑や糠そしてほこりを吹き払ってもらい、さっぱりした姿で、陽光の下きらきら光る収穫したばかりの粟の山に落ちていく感じがした。」主人公の一人石戈の存在の底にある宇宙的エロス感覚。
それぞれの主人公はそれぞれ強いられた目的の為に死にものぐるいで奮闘するが、その底にはたいてい中国的な(荘子的な?)〈無〉への何らかのかたちの志向があるようだ。この小説は表面的には美女と超人が入り乱れるスパイ小説もどきの終末論的SFでもあるのだが、それだけに終わらない一つの要素はこうした〈無〉への志向を孕んだ人物造形である。

さらに、小説の丁度真ん中で、わたしたちの知っている世界はあっけなく崩壊する。しかし小説は続く。暗澹とした話ばかりが続くわけではない。中国人はすべて飢餓線上にさまようはめになり主人公たちも例外ではないのだが、主人公たちは意外にも理不尽な世界を受け入れ、その中でなお、いままでどおり目的を遂行するために全力を尽くす。
「陳ハンと同列の石段に座っている数人の受講生は、今長城の煉瓦の上で干からびたアリの死骸を集め、少量の塩とまぜ、その味を味わいながら、別種の昆虫の味と栄養価値との比較をしているところだ。」近代小説はブルジョアないしプチブルのもので、飢餓線上の人を主体の問題として取り上げてる人は少ないように思う。甘やかされた現在日本人は特に、生活感覚の幅が非常に狭くなっているのではないか。

飢餓線上の難民の巨大なマス(大群)が国境を越える、近年ヨーロッパではこのような事態が発生しており、それのことの受け入れがたさに、いまだ困惑している。この小説はまさにそのテーマを現実にはるかに先駆けて提起していた。著者が言うのはまず、国境、主権の概念は人為的なフィクションのに過ぎないということ。それに対して国防上の理由があっても、大量の難民を虐殺するなどということは「現代の文明が許さない。」
地球の資源が豊富で、至る所に未開発の土地があった時代植民地主義者たちはほしいままに植民地を広げた。「地球上に人が充満し憂えるべき状況になり、資源が枯渇すると、逆方向の植民が始まりました。このような逆方向の植民は貧窮によるもので、往時の被植民者が今度は列強に謝金を取り立てたのです!」すでにトルコ国境近くまで来ている2億人の難民という圧倒的な存在の量を背景に、中国の新米の外交官は強弁する。

大量の核兵器を持ちその効果を振回すことができるのが現代文明の価値と能力なのか?それとも燃料がなくなったので権力機構がなくなった今無意味になった膨大な書類を燃やしながら暖を取り、それでも絶望せずに辛うじて生き延びあるいは死んでいくのか?
「各国に移動した中国人難民は明らかに安らかで平和な日々を送っていた。彼らは死ぬことを意に介しない、すでに一再ならず死んだとすら言ってもよかった。(略)飢餓は呼吸と同じように日常的体験となり、まるで先天的生理の構成部分になってしまったかのようだ。」p488
人類は辛うじて維持され再生してくだろうか、かすかな希望を暗示しながらも、この小説の最後は、どこにも救いの余地のないエピソードで終わる。

「歴史上、大文明の壊滅ということが何度か起こっており、中国の滅亡が絶対にあり得ないと信じる理由はない。」p13
それは確かなことだ、と読者は嫌でも納得するべきなのだと思う。(少なくとも自分の快適な生活と無邪気な対中国優越感を維持したままで「中国崩壊論」を楽しむなどということはありえないのだ。)

『黄禍』

慰安婦問題は終わった

昨日「慰安婦問題」について下記のようにツイートした。
今回の「決着」は、安倍周辺が言っていた「謝罪の必要なし」に反するものなので、わけの分からないという感想もある。しかし、これに対して安倍批判をしたがる「リベラル」は頭悪いんちゃうか、と思ってしまう。
今回、(何度も言うが)「河野談話の事実認定と謝罪を覆すことができるどんな材料も存在しなかった」ことが明確化したんだ、と理解することはできる。であれば他のことはおいておいて、そのことを強調し、ネトウヨを殲滅することにちからをそそぐべきだろうと思うのだ。
私にとっての「慰安婦問題」の本質はこれが最も大きい。(元慰安婦の方はすでに7割以上なくなっていて、少なくとも彼女たちについてはどんな解決もなかった、ということがすでに確定している。)

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慰安婦問題:「不可逆的に最終決着した」とか言って、何のことか分からない。ともかく、河野談話の「事実認定と謝罪」を覆す何物もネトウヨとその周辺の読売新聞とかがもっていなかった事実が「不可逆的に最終決着した」と理解しうる。この事実をすべてのネトウヨに突きつけ嘲笑おう!

私は皆さんに提案したいが、この一週間この論点でネトウヨをいじめることはできるし、それはぜひすべきことだとおもうのだが、如何だろう? 

いまごろ新しい基金とか何のことかまったく分からない。しかしそれの批判に勢力を使うのではなく、河野談話のいう「反省」の日本の教育への反映を回復することに全精力をそそぐべき。前回も基金批判に精力を費やしすぎた。 

この局面で私たちにはできることがあると思う。「河野談話の事実認定と謝罪を覆すことができるどんな材料もあなた方は持っていなかった」ことを、広義のネトウヨに確認させることです。

「歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ(河野談話)」を再確認しているはずなので、教育をさせなければいけないのがもちろん一番大事です。

.@hana__yoshiさんへ 「河野談話の事実認定と謝罪を覆すことができるどんな材料もあなた方は持っていなかった」ことをまだ承認できないみたいですね。自分が負け犬であることをそろそろ自覚してください。

河野談話の事実認定と謝罪を覆すことができるどんな材料をあなた方は持っていのですか? 問題がもつれたのは、「相手は金を要求している」として相手を卑小化しようとして相手の感情的反発をもたらしてしまったあなたがたのせいです。まだわからない?

最初の問題は事実認定です。「軍管理下の慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」したがって国家に責任があったことは明らかです。これは認めるのですね? いいですか質問は「責任」についてだけですよ。

ここで言っているのは、連れてきた女性を性労働(性奴隷)状態に起き続けた責任です。 「慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」はいいですね。人身売買はあったとしてその前の話。

河野談話がいかにいい加減か>で今回の「決着」はそれと同等あるいはそれより悪質なものですね?

ネトウヨ侮蔑が大事だと思う。

それが「河野談話の事実認定と謝罪を覆すことができるなんらかの材料」なんですか?「河野談話の事実認定と謝罪を覆すことができるなんらかの材料」が存在するのにそれを利用しないほど日本政府は愚かだったが貴方の理解?.

「吉田某が・・・」「朝日が・・・」とほとんど意味のないことで大騒ぎしたあげく、それがやっぱり無意味な騒ぎだったことが、今回明らかになったということですよね。

東氏曰く「ここはおとなしく歓迎すべき」>事態をどう捉えるか。「河野談話の事実認定と謝罪を覆すことができるどんな材料も、読売新聞を含む膨大なネトウヨの類が持っていなかった」ことが明らかになったわけです。それを大喜びし確定させるべきだ、に賛成!!

安倍氏が日韓関係を現に修復したのか?私は興味がない。「歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶」の確認と実行だけが大事だと思っている。それを確認し実行させようとする人が少なすぎる!

河野談話には不十分点もあった(だろう)。しかしその後の経過から考えるとその談話の事実認定と謝罪と文言を守り切ることが、最大の分岐点であった、ことは明らかだと思う。しかしフェミも左翼も政治的に思考せず、河野談話の気に入らない点をけなすことにだけ精力を集中し、全敗情況に至った。

「河野談話の事実認定と謝罪」を保持し確認し教育していくことが(最低限かもしれないが)最も重要であり(それとネトウヨを叩くことが)、それに利用できるので評価すべき。

金正日像を倒せ

今や情勢は決戦の日に向かっていっている。一寸先も予測することができない霧の中の状況ではあるが、正義は必ず勝利するというのは、明確な歴史的真理である。独裁の扉がどれほど高くみえても、一瞬に倒れる紙の帳であるだけだ。そのような日が遠くない将来訪れるだろう。万寿台丘陵に先を争って走って行き、金正日銅像の首に鋼をかけるようになる、その日はくるだろう。

2003年4月26日  北朝鮮民主化前進大会参加者一同(於 ソウル) p121『RENK』24号より

今日会った人からは、「金正日打倒を言うためには、バランス上、日本解体を先にしてから言うべきだ」と言われた。残念ながら余りピンとこなかったが、たかだか自民党政権すら打倒できずに「金正日打倒!」なんて言うのは、たしかにおかしいとは言いうる。ただ金正日の悪(自国民抑圧)は小泉の悪(アジア民衆抑圧の責任)とはレベルが違う、とやはり思ってしまいます。ブッシュは世界中で人々を殺している、なぜ打倒ブッシュを少なくとも同じ勢いでとなえないのか、と聞かれるとうまく答えられないです。北朝鮮問題にはサイードはおらず、言い返すのも困難ですがでもそんなことは大したことではない、とわたしは思っている。

中国はUNHCRと協力し脱北者を難民として処遇せよ!

http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics040113.htm から

(2)中国政府は長期拘束中の活動家を解放せよ!

北朝鮮難民救援基金は、難民の生命を助けようとして拘束され、実刑判決を受けた全てのNGOメンバーに解放の恩恵がもたらされることを期待する。9年の実刑判決を受けた韓国人牧師のチェボンイル氏、7年の実刑判決を受けた青年救援活動家のキムヒテ氏、山東省の煙台からボートで62人が脱出を試みて未遂に終わった事件に連座し5年の実刑判決の韓国人救援活動家・崔永勲氏、2年の実刑判決を受けたジャーナリストのソクジェヒョン氏の放免に世界の関心が集まっている。

(1)中国政府は野口氏と脱北者2名を解放せよ

 去年12月10日連絡を絶った北朝鮮難民救援基金の野口孝行さん及び、北朝鮮で生きることができず北朝鮮を脱出した40歳代の女性Aさんと50歳代の男性Bさんの二人は中国当局により拘留されていることが判明している。

彼ら3人を直ちに解放し、脱北者を希望する国へ出国させよ!

 今回のニュースで、アレッと思うところは、野口氏が拘束されたのが、12/10と1ヶ月以上前の日付であること。北朝鮮難民救援基金は活発な運動体でありすぐに事態を把握し普通なら広くアピールするはずだ。基金はあえて沈黙を守った。その理由は上記urlに少し書いてあります。第一のポイントは「当基金が事件発生以来30日間、記者発表をせず忍耐し沈黙を守ってきたのは、あくまでも救援しようとした元在日朝鮮人の脱北者2人の身柄の安全確保を最優先し、事態の把握に努めてきた来たためである。」とのこと。日本人活動家の拘束は加藤氏、山田氏に続いて3人目である。基金としては2度目ということで中国当局はより厳しい対応をしてくる可能性もある。とはいっても、日本人活動家よりずっと弱い立場に置かれているのが脱北者である。脱北者2名の安全をなんとしても獲得していかなければいけない。

 わたしたち(普通の日本人)は日本人の活動家である野口氏の解放をまず第一に願う。他の人のことはそれからだ。それはそうなのだが、同じような活動家で韓国人の場合、拘束が長期化しているひとがいます。その問題にも注目すべきなので、この文章では、順番をあえて逆にしてみました。

Release the two NK defectors!

北朝鮮難民救援基金掲示板に、野口さんと二人の脱北者の早期解放(脱北者については強制送還しないよう求める)中国当局への嘆願書文(英語)の案が載っていました。

無精なわたしですが、今回はメールしてみました。コピペしただけだから、体力の消費はゼロに近いはず。なのに、すこしは疲れた感じがするのは何故?

北朝鮮難民救援基金掲示板 http://538.teacup.com/koretune/bbs

問答有用 と横田めぐみ

問答有用掲示板という所にも下記の「中国は」云々という文章を貼りました。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25165&range=1

関連表現(野原)

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25196&range=1

横田めぐみさんについてだが、彼女と彼女の両親の苦悩について真剣に考えるのはためになることだと思う。めぐみさんは拉致されたままでその点では変化がない。だが、この問題が国民の間に広く知られ同情されるようになった昨今と、それ以前のはっきり言って日本国家からも見捨てられていた長い長い日々あいだには大きな差異がある。めぐみさんに本当に連帯したいのなら前者ではなく後者に注目する必要があるのはいうまでもない。難民という立場に落ち込んだ者に対しては国家は冷たい。めぐみさんはどうすれば帰ってくるのだろうか。国家という立場ではなく難民という立場で考えた方が、実は効果的だ、という可能性もある。