岡野八代氏の『ケアの倫理』を読みました。
岩波新書なのに、専門書なみにむずかしい。
ケアというありふれたものは、この社会ではなぜか(というか他の国でもだが)価値がないものとされている。(介護ヘルパーなどは有償ではあるが、他の業種より低賃金である。)
岡野はケアをケア自身としてとらえようとする。つまり「自己へのケア、自己理解、自他の関係、そしてあるディレンマに立たされた文脈への注視や社会構造に対する関心や批判」といった多様な関係性のなかにあるものとして、ケアをとらえようとする。これはなかなか難しい。
この問題をどう考えたらよいのか、それは学者やフェミニストだけの問題ではない(だからみんなに読んで欲しい)、という岡野さんの熱意は伝わってくる。
ごく一部、メモを取ったので公開してみます。
ケアワークの重要性が広く認識されたきっかけは、コロナ禍だった。
内閣府男女共同参画局では、2021.4.28に詳細な報告書を出している。
コロナ下ではなぜか、女性の被害の増大が報告された。(P311)
・DV相談件数の増大
・女性・非正規雇用労働者の大量失業
女性労働者は非正規が多い、宿泊・飲食業などパンデミックの影響が強い業種が多い
・自殺者増大
A・小中校の一斉休校→ 小学校の子を持つ女性の失業率大幅増大!
なぜそうなるか?
女性の育児時間は極めて長い。小学生が在校することは女性に自由時間を与えていたが、休校になるとケアに費やさないといけない。
「経済活動とケア活動が連動しており、とくに女性にとっては、ケアの社会的分担なしには経済活動がままならないといった事実」が明らかになった。p312
・経済学者ナンシー・フォーブレ:ケア労働は、狭い市場経済をむしろ支える、広範囲で多くの人びとによって担われている経済活動である。p313
経済が潤滑に働く基盤として、保育や介護などのケアを社会的、政治的に支える必要がある。
つまり、保育や介護等も、電力などの社会インフラと同等に整備されるべき。
・経済学が外部性と呼んできた、家族やコミュニティその他の経済活動こそが、多くの財やサービスを生み出している。
人間が生きるうえで他者と相互依存したり、自分たちの心身が必要とする欲求充足のために相互行為すること、金銭を媒介しないとしても、そうした総体を経済活動とみなすべきであり、市場経済はそのごく一部。p315
・トロント:ケア責任の配分について、すべての者に平等な発言権が与えられ、自由に意見が表明でき、搾取や抑圧さらには暴力にさらされないようなつまり正義にかなったケアが行われるよう、整備していかなければならない。315
思うに、子育てを考えるなら一日労働時間8時間は長すぎ、6〜7時間にすべきではないか。
・本田由紀:仕事・家族・教育という3つの異なる領域が、市場労働の中心と成る正規労働者を生み出すために、つながり、ひとや資源を回している。
それぞれの領域:根腐れ:教育のための家庭→就活のための教育→家庭維持のための仕事
:なぜ働くのか?なぜ愛し合うひとが生活を共にするのか?何故学ぶのか?の根本が見失われてる p317
困窮は資源の枯渇から来るのか? そうではなく、社会的不正義の問題と捉えるべきでは?
ふつうに幸せに生きること、つまりケアに満ちた生活、それをできる限り目的とする政治:現状を検証し、新しい政治を展望することはできる。318
マーガレット・ウォーカー:表出的協働モデルの道徳:誰かのニーズに気づく→コミュニケーションを通じてようやく→誰が、何をいかになすか(試行錯誤):ケア実践がわたしたちを構成
→その先に、政治的共同体が存在している(はず)p321
・(第5局面)共にケアすること:ケアのニーズがしっかり応えられているかの検証(正義、平等、自由などの理念にてらして)→新しいケアのニーズの発見→ケア実践の再編(呼応の関係)p321
・日本:男性の有償労働時間とても長い、女性の育児時間際立って長い。男女とも、有償+無償労働時間長い。コミュニティ・社会活動の時間なし。
・ケアには時間がかかる。ケアする相手への注視やニーズへの対応をめぐる思索や気遣いなど、ある意味での余裕が必要。p323(訪問介護は1時間、30分単位なのは残酷)
・日本の現状は、ケアがあまりに偏って配分されており、不正義。
・ギリガン:声と関係性に基礎を持つケアの倫理を、不正義と自分の沈黙の双方に対する抵抗の倫理と考えることができる。つまり、家父長制から民主主義を解き放つ歴史的闘争を導く倫理である。p324
以上、メモだけ。