ハイデガーの決断論批判について

國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』第7章は、ハイデガーの決断論批判になっている。
「人間は退屈する。その退屈こそは、自由という人間の可能性を証し立てるものなのだ。だから決断によって自らの可能性を実現せよ……。」が、ハイデガーの概要。(P294)

それを國分は批判していくのだが、一部かなり違和感があったので書いてみたい。

退屈しているなら決断せよ、とハイデガーは迫る。しかし、「決断するために、目をつぶり、耳をふさげ、いろいろ見るな、いろいろ聞くな、目をこらすな、耳をそばだてるな」 と述べているも同然だ、と國分は語るが、これはおかしい。(p298)
生きるとは、世人がやっていることに従うことだ、というのが初期状態としてある。(「〈ダス・マン(ひと)〉が日常性の存在の仕方を指定している」『存在と時間』第一篇第4章27節350)
サラリーマンなら朝7時に起き出勤する。ただ大雪であれば目的遂行するために「かなりの困難」が予想される。ここで「9時に会社に着く」という初期状態の目的と「かなりの困難」がはかりに掛けられ、「あるていど自由な判断」(ができるひとは)により今日はその目的遂行はあきらめるという「決断」が下される。「かなりの困難」を努力でクリアーして目的遂行するという選択肢もありうる。一般に困難がない仕事はないので、「あきらめる」ばかりしていれば仕事にならない。プラスの方向の「決断」も当然ありうる。雪道なのに走る、とか。

決断とはこのようにありふれたものにすぎなかろう。ところが國分は、「たしかに決断は人を盲目にする」とやたら話をおおげさにしてしまう。
「周囲に対するあらゆる配慮や注意からみずからを免除し、決断が命令してくる方向へ向かってひたすら行動する。これは、決断という「狂気」の奴隷になることに他ならない。」 p298

昨日は大雪のニュースとともに西部邁の入水自殺のニュースがあった。入水自殺するために確かに、上記のような決断=狂気が必要になるだろう。しかし故意に求められた狂気であったとしても「実はこんなに楽なことはない」とはまったく言えないだろう。「決断は苦しさから逃避させてくれる。従うことは心地よいのだ。(略)人は従いたがるのだ、と。」國分の思考回路から一歩外れてこれを読むとまったく意味不明である。
先の例として挙げた「会社に遅刻する決断」の場合、苦しさから逃避とはいえる。ところが次にくる形容詞なしの「従うこと」とはなんだろうか?ハイデッガー的にはこれはまず、世人支配への従順であるはずだが國分の場合、そのステップは考察の対象外になっている。

ハイデガーがいう退屈の第三形式「なんとなく退屈だ」がある。それはじつは「わたしは自由だ」ということをわたしに告げているのだ。でまあ自由の実現を「決断」と呼んでいたわけですね。p243
でわたしは、「決断」というものを、『存在と時間』の世人論くらいのとことに戻して自分なりに考えてみた。ところがここに、國分氏とわたしとのあいだにはズレが生じ、うまく説明できなくなってきた。

「「決断」という言葉には英雄的な雰囲気が漂う。」と國分は書くが、決断にファシズムの雰囲気を嗅ぎとりそれをアレルギー的に拒否する戦後民主主義的(?)反応(と同じもの)に、結局のところ國分は陥っているのではないか。

「「なんとなく退屈だ」の声から逃れるにあたり、日々の仕事の奴隷になることを選択すれば、第一形式の退屈が現れる。」世界をどこから考え始めるのかを教えるものが哲学であるとすれば、どこから考えるのか、という出発点において國分は誤っている。
前述のように、サラリーマンなら朝7時に起き出勤する(あるいはもっと早く)。これが仕事に「従う」ことであり初期状態である。「遅刻しないように」とか考えると人為的な(疎外された)規則のように思えるが、そうではなく、農民はドイツでも日本でも千年以上前から毎日早くから勤勉に働いてきた。ひとが生きる文化とはそういうことの身体化としてあるのだろう。「退屈」を先にもってきて説明原理にするのは賢いとは思えない。

世人=仕事として生きることが原則であり、それに対する例外として、自由=決断が存在する。

ある決断をする。「決断をしたのだから、その決断した内容をただただ遂行していかなければならない。p301」ここもおかしい。会社にいけなくなり、2,3日あてどのない旅に出る。しかしあきらめて帰ってくれば、上手くいけばまた会社に復職し以前と同じ日常が戻ってくるだけだ。世人=仕事という巨大な慣習力の下にわたしたちが生きているということを國分は無視しているので、分かりにくい。
デフォルトとしての仕事=服従を見ないで、決断を「決断主義」と大げさにした上で否定してみせているだけだ。

「人間は日常の仕事の奴隷になっていた p302」。それはよい。「その仕事は決断によって選び取った」ものだろう、と國分は言う。そうではない。毎朝起きて働くというのが人間の文化であり、類としての人間はそのように自己形成してきたのだ。

「人間は普段、第二形式がもたらす安定と均衡のなかに生きている。p305」そのとおりであり、野原はそれを世人=従属的生き方、と考えるが、國分は認めない。決断をむりやり奴隷に結びつける國分の発想は、説得力がない。

大学の勉強という「退屈」を逃れ、資格試験勉強の奴隷に成るという対比を國分は掲げており、まあそういうことはあるだろう。それはしかし、大学の勉強が自由であり不安であるからであり、退屈という言葉を選ぶ必然性はないと思われる。それに、ハイデガーを読んで論文を書くことも同様に集中力、自己奴隷化が必要なわけであり、例の挙げ方が恣意的と言える。

さて、コジェーヴ がでてきて、批判される。
「決断し、自ら奴隷になる」のがコジェーヴのいう「本来の人間」だ。そうではなく第二形式の退屈を生きるべきだと國分は言うのだが、どうなのだろう。

ハラキリや特攻など「「歴史的価値」にもとずいて遂行される闘争(P319)」は、自由である人間の誇り高さとは無縁だ、とは必ずしも言えないかもしれない。しかし、わたしたちが常に具体的場面に則して考えるべきである。「先の戦争」では命令に従って、多くの残虐行為がなされた。つまり「世人」という習慣が人間であり、そこまではまあ良いとしてもそれをど外れた強度にまで疎外しようとするのが戦争時における国家であり、悪の究極である。(ファシズムが悪ならそれと戦うのは悪ではないという議論はしばらく置く。)
壮大な勘違いをしているのは、「決断」一般を否定してしまう國分の方である、と思われる。

国民国家の理念にもとづいて大戦を引き起こし、自国民たちを戦場で見殺しにしたヨーロッパの国々の社会体制、について、國分は愚劣だと述べる。
国家というものが、日常を切断する権力への幻想において成立しているというならそうかもしれない。

過激派=奴隷になる、ことへの警戒というものが、國分の基本思想のようだ。だが結局、どうなのか? 平凡な理解だが、世人=服従が、ハイデガーや特攻のように国家と同致したときの方がより大きな災厄をもたらした、と歴史から学べるのではないのか?
したがって、世人(第二形式)ではなく、決断=第三形式の方にだけ奴隷になることを、結びつける國分は恣意的でしかない。

習慣の獲得というものを、近代主義がともすれば、軽視、蔑視してきたという批判は正しいだろう。
習慣によって、目に入っていくるものすべてを受け入れるのではなく、そのほとんどを切り捨てるという説明がある。習慣を獲得することにより「考えて対応するという煩雑な過程から解放される」、という。その正しさは一面的でしかない。農民が農地を見る時、そのすべてを深く見た上で不要なものだけ切り捨てているのだ。そこにあるのは有機的自然との交流であり、近代的主客図式による情報摂取ではない。
稲の穂の膨らみ具合を見て取り、それに応じた作業を行う。それは反射的行動のようにも見えるがそうではない。かなりの要素を組み合わせて瞬時に判断した結果結論を出しているのだ。習慣とは考えないですむことではない。より速く考えることに過ぎない。

環境を情報として扱うことが、すでに世界の平板化だ。人間は考えないですむ方向に向かって生きていく、とある。そいういうこともあるかもしれないが、例えば音楽を聴く場合、より深く聴けるようになっていくだろう。またおそらく、例えば農業を続ける場合も、世界と自己はより多次元的に深く交流できるようになり、相互変容していく可能性があるのだろうと思う。

付記:
ハイデガーの決断論批判に関係ある本として、アドルノ『本来性という隠語』がある。難しくて紹介も引用もできないが、ほぼ納得させられた。上記に反映してないけど。

偽装である世界を破壊する

 ハイデガー『存在と時間』にはたくさんの翻訳があり、どれを読めばよいのか迷う人も多いだろう。参考のために、第1篇第4章27節 日常的な自己存在と〈世人(ひと)〉 のごく一部を掲げて、対照してみよう。(傍点およびふりがなは基本的に無視した。)

中山元訳(光文社古典新訳文庫・3 2017年7月刊)。

360 世界の隠蔽と露呈 (この小見出しは中山訳だけにある) の一部
 日常的な現存在の自己は、世人自己(マン・ゼルプスト)であり、わたしたちはこれを本来的な自己、すなわち固有につかみとられた自己と区別しておこう。
世人自己として存在しているそれぞれの現存在は、世人のうちで放心しているので、ことさらにみずからをみつける必要がある。
この〈放心〉は、すでにわたしたちが身近に出会う世界のうちに、配慮的な気遣いをしながら没頭することとして捉えた存在様式のうちにある「主体」の特徴である。

 現存在が世人自己としての自分自身に親しんでいるならば、それは世人によって世界と世界内存在のごく身近な解釈がすでに素描されていることを意味する。
世人自己は、現存在が日常的に〈そのための目的〉として存在しているものであり、有意義性の指示連関の構造を定めているものである。
現存在の世界は、そこで出会う存在者を、世人が親しんでいる適材適所性の全体に向けて、しかも世人の平均性によって確定された限度のうちで、〈開けわたす〉のである。

 さしあたりは、事実的な現存在は平均的に露呈された共同世界のうちに存在している。
さしあたりは、固有の自己(ゼルプスト)としての「わたし」が「存在している」のではなく、世人というありかたをした他者たちが存在しているのである。
この世人のほうから、この世人として、わたしはわたし「自身」にさしあたり「与えられて」いるのである。
さしあたり現存在は世人であり、そしてたいていはそのまま世人でありつづける。

 現存在が世界を固有なかたちで露呈させ、自分に近づけようとするならば、そして自分の本来の存在をみずからに開示しようとするならば、こうした「世界」の露呈と現存在の開示は、つねに現存在が自分を自分自身から遮断するために行っていた隠蔽や暗がりをとりのぞくことによって行われるのであり、偽装を破壊することによって行われるのである。
(中山訳・終わり)

熊野純彦訳。(岩波文庫 2 2013年6月刊)
日常的な現存在の自己は〈ひとである自己〉であり、これを私たちは本来的な自己から、つまり固有につかみとられた自己から区別する。
〈ひとである自己〉として、そのときどきの現存在は、〈ひと〉へと分散しており、じぶんをまず見出さなければならない。
この分散によって特微づけられるのは、或る存在のしかたをそなえた「主体」なのであって、その存在のしかたは、もっとも身近に出会われる世界のうちで配慮的に気づかいながら没入しているものとして知られている。

現存在が〈ひとである自己〉としてじぶん自身に親しいものだとすれば、その件が同時に意味しているのは、〈ひと〉によって、世界と世界内存在についてのもっとも身近な解釈があらかじめ素描されていることである。
〈ひとである自己〉は、現存在が日常的に存在している〈なにのゆえに〉であり、その〈ひとである自己〉によって有意義性の指示連関が分節化されているのである。
現存在の世界は、〈ひと〉が親しんでいる或る適所全体性へと向け、しかも〈ひと〉の平均的なありかたによって確定されている限界のうちで、出会われる存在者を開けわたす。

さしあたり、事実的な現存在は平均的に覆いをとって発見されている共同世界の内で存在している。さしあたり、固有の自己という意味での「私」が「存在している」のではない。
〈ひと〉という様式における他者たちが存在しているのだ。
〈ひと〉の側から、また〈ひと〉として、私は私「自身」にさしあたり「与えられて」いる。
さしあたり現存在は〈ひと〉であって、たいていは〈ひと〉でありつづける。

現存在が世界を固有なしかたで覆いをとって発見し、じぶんに近づけるとき、つまり現存在がじぶん自身にみずからの本来的な存在を開示する場合には、「世界」をそのように覆いをとって発見することと、現存在を開示することが遂行されるのは、つねに、覆いかくし、暗くするさまざまなものを取りさることとしてであり、さまざまな偽装するものを粉々に砕くこととしてである。
現存在は、そうした覆いかくすもの、暗くするもの、偽装するものによって、現存在自身に対してじぶんを遮断しているからである。

原佑訳(中央公論社・世界の名著版 昭和54年)
日常的現存在の自己は世人自己なのであって、この世人自己をわれわれは、本来的自己から、言いかえれば、ことさらつかみとられた自己から区別する。
世人自己としてはそのときどきの現存在は、世人のうちへと分散して気散じしており、おのれをまず見いださなければならない。
こうした気散じが性格づけているのは、最も身近に出会われる世界のうちに配慮的に気遣いつつ没入することとしてわれわれが識別しているような、そうした存在様式の「主体」なのである。

現存在が世人自己としてのおのれ自身にとって親しいものだとすれば、このことが同時に意味しているのは、世人が世界および世界内存在の最も身近な解釈の下図を描いているということ、このことにほかならない。
世人自身は現存在が日常的に存在しているための目的である当のものであるのだが、そうした世人自身が有意義性の指示連関を分節するのである。
現存在の世界は、世人にとって親しいものであるなんらかの適所全体性をめがけて、また、世人の平均性でもって固定されている限界のうちで、出会われる存在者を解放する。

差しあたって現事実的現存在は、平均的に暴露されている共世界の内で存在しているのである。
差しあたって「私」は、おのれに固有の自己という意味で「存在している」のではなく、世人という在り方における他者なのである。
この世人のほうから、またこの世人として、私は私「自身」に差しあたって「与えられて」いる。
差しあたって現存在は世人であり、たいてい世人であるにとどまる。

現存在が世界をことさらに暴露しておのれに近づけるときには、現存在がおのれ自身におのれの本来的な存在を開示するときには、「世界」のこうした暴露と、現存在のこうした開示とは、現存在がおのれをおのれ自身に対して遮断している隠蔽や不明確化の撤去として、偽装の破砕として、つねに遂行されるのである。

一番特徴的なのは、有名な用語である「世人(ダス・マン)」というのを、熊野が使用していないところ。〈ひと〉とさりげなく、〈 〉だけ付けて翻訳している。「世人」というのはいかにもこなれの悪い言葉なので、避けたのはよく分かるが、〈ひと〉では、意味が弱すぎるような気がする。
詳細な比較は、みなさんにお任せする。

少し前から、読み返してみると、348で言われているのはひとは、他者に対して過剰に気遣いしてしまう。そのせいで、共に生きることはかえって〈隔たり〉を生み出す。
〈隔たり〉が当たり前になるということはつまり、日常的相互存在において、他者たちの支配のもとにある、ことになる。いいかえると、「世人」の支配である。
したがって、日常的な生活のなかでの自己は、世人自己、世人という常識にひたされていわば〈放心している〉状態である。そうではなくて、ことさらにみずからをみつける必要があるのだ。ひとをなんらかの目的のために適材適所に割り当てる、そのような形での存在様式が支配的になっている。それは固有の自己としてのわたしの存在のあり方ではない。つまり世界は、奇妙な形での隠蔽と暗がりによって構成されている。こうした欺瞞を破壊することにより自分の本来の存在をみずからに開示することができる。

わたしなりにパラフレーズしてみた。自分の本来の存在、本来性、そんなものはないのだよ、と賢しらに言いつのるひとが今では圧倒的だ。でもわたしの考えではそれは決定的なことではない。わたしたちの社会は、根本的に、つまらない倒錯によって支配されていると言いうる。だからそれを破壊する、破壊しようとすることは大事だ、とそう思う。

(なお、わたしは中山元訳が一番読みやすくて良いと思う。ただし、これは2017年11月現在「3」までしか、上記で取り上げたあたりまで、全体の三分の一くらいしか、刊行されていない。終わるのは数年後なので、読み終わるためには他の人の訳も必要だ。)

九大生体解剖事件と有限性の責任

九州大学人体解剖事件
1945年5月17日から6月2日に4回、日本軍から米軍捕虜の提供を受け、九州大学医学部第一外科と第二解剖学教室第二講座が死に至る生体実験を行った。被害者は墜落した米軍機に乗っていた兵士8人である。

この事件についてのいままでの著作は、主に公判記録及び公判に関する宣誓供述書に基づいていた。非公開であった再審査関係の膨大な資料を(国立国会図書館から発掘し)精査してまとめたものが、熊野以素『九州大学生体解剖事件』(岩波書店2015年)である。

この事件の主犯格の、石山教授と小森軍医見習士官は裁判当時すでに死亡していた。そこで、事件の大学側関係者は鳥巣太郎助教授、平尾健一助教授、森好良雄講師とされ、3名ともに死刑が宣告される。(後に減刑)
この本は、著者の叔父である鳥巣太郎(鳥巣と記す)を中心に記述される。

裁判の経過のなかで鳥巣は事件を反省する。その核心は次の二つの引用にある。

A)「林先生の証言は、その一言一言が私の肺腑を突き沈痛な思ひに悩みはつきず。げに真理は簡単である。私が参加したことに対する如何なる弁明も、何の訳にも立たぬことを改めて認識した。(略)
又しても「当時何故もっと意志強く迫らなかったか」といふことが今更ながら未練がましくも残念の極みである。」(48年5月林春雄証言を聞いて) p114

B)実際には、鳥巣は石山に次のように言った。
「先生、また、先日のような手術をなさるのですか?(略)
あのような手術は軍病院でするべきではないでしょうか。もし手術に九大が関係しとるということがわかれば、後で大変なことになると思います。(略)」 p34

鳥巣の行為・思想を中途半端だと指摘することはできる。一回目の実験に立ち会う際、彼は事情を知らなかった。しかし二人目の兵士の手術時、彼は理解していたのに手術を助けた。二回目の手術の前、鳥巣はB)発言をし、手術には遅れていく。しかし参加はした。
いずれにしろ、手は汚れていることになる。

戦争は日本の敗戦で終わり、捕虜虐待に厳しい裁判で臨むGHQの支配下、1946年7月鳥巣は石山教授外3人とともに逮捕される。石山は後に自殺。

鳥巣にとっては、生体解剖(殺すこと)への拒否が第一順位であり、同僚も内心では当然そうであったはずだと思っていた。しかし同僚は実際にはB)の行為は取らなかったわけであり、自己保身を第一順位にすることにさほど疑いを持っていなかったかもしれない。仮にそうであったとすると、戦後は逆に、自分がB)に限りなく近かったことが有利になる。したがって、B)に限りなく近かったとみずから思い込むまでに自己を偽り、そのように鳥巣にアピールしたこともあったかもしれない。1949年5月に「我々は石山教授に手術をやめるように頼みに行った」と鳥巣が書いたのも、そうした働きかけの結果だったかもしれない。

B)の立場に立つことは一生、「今更ながら未練がましく悩み続ける」ことである。
言葉で説明することは理を通すことであり、A)のように語らざるをえない。それはしばしば、割り切れないものである現実に厳しすぎる裁断をするものだと感じられる。

鳥巣の場合は、目の前の手術台に横たわった身体に対する犯罪という具体的なもので、戦争犯罪といった大きな主題にかかわるものではない。医師としてその命を殺す実験に関与するという問題は、ある意味で殺人という倫理的問題を、手術台の上に展開し詳細に再体験することを迫る。
そのなかで、鳥巣はA)とB)のあいだでぐるぐる思索し続ける。

しかし、同僚たちは違う。彼らは事件時、ファッショ的専制的な主任教授に逆らうことができず、裁判においても鳥巣のようにB)のような減刑要求する根拠もなかったため、「反抗は許されず仕方なく参加したのだ」と情緒に訴える弁護に頼るしかなかった。
しかし獄外の同僚の家族たちや大学関係者たちは、一致し熱心に弁護士に働きかけた。それは家族としては当然のことであっただろう。しかし、軍とその影響下にある大学という専制的男性リーダーの下にあったホモソーシャルな支配の構図が、問われなければならなかった筈だ。だが、問われるべき主犯である主任教授石山は、卑怯にも自殺してしまう。従犯たちは、自己を「支配の構図の被害者」に位置づけることにより、その構図を結局敗戦後まで生き延びさせてしまう。

閉じ込められた鳥巣はA)とB)のあいだをぐるぐる回るばかりで、自分を救おうとすることに熱心にならない。ただB)という行為をした自分を肯定しており、それをしなかった同僚を助けてあげなければいけないと思い続けていた。

この本は『九州大学生体解剖事件』という題で、題の印象からもいままでの紹介からも重く苦しい主題を扱った難解な本という印象を受けてしまうだろう。
しかしそうではなく、これは(むしろ)苦境におちいった幼子を抱えた若い妻が信じられないようなエネルギーで、横浜裁判当局に挑み、誤審を訂正させるという、日本には珍しい(米国人好みの)正義のヒロインの物語なのである。

ヒロインは鳥巣太郎の妻、蕗子である。鳥巣は最初の事件の後、妻に事件を打ち明け、大学を辞めたいとまで言う。蕗子は思ったことをまっすぐに口にする性格だった。
「石山先生がまた捕虜の手術をされるようなことがあっても、あなただけは決して手術に参加なさってはいけません!もし私が、米国軍人の妻でありましたなら、なぜ夫は手術されたのだろうか、手術されなかったら自分の夫はシナなかったかもしれないと思います。戦争の最中でも、米国軍人の捕虜を医学の研究に使ってはいかんと思います。戦場で軍人が殺されるのは仕方ありませんが、手術で死んだらお気の毒です。」p32

48年8月、判決。鳥巣外2名の医者と2名の軍人は絞首刑と決まる。鳥巣の予想外のことだった。蕗子は独力で嘆願書を作る。またその後では英語が達者な三島夫人の力を借り、二人で総司令部法務局に何度も何度も説明に行く。事実関係の細部についての説明。「初回の手術は参加はしたが執刀はしていない。鉤引き、血を拭うなどの補助を行った」「2回目の手術の前に石山教授に手術の中止を諫言。手術場には遅れて行った。」「三回目の手術は参加を拒否」などなどである。
これらの事実は、ここまではやらなかった、と否定により減刑を獲得しようとするものだが、本人にとっては、ここまではやらなかったがここまではやったのだと、思い出したくない犯行を再確認し反芻する効果がある。
蕗子は、実験遂行へのためらいを一言も口にしなかった同僚と鳥巣の差異であるB)にこだわる。そうしないと鳥巣を救うことができないし、なによりそれは事実だから。

事実関係の細部に焦点を当てて再審を勝ち取るべく書類を積み重なることは、同時に鳥巣にとっては、自身の倫理的反省がただの反復に陥らず、常に痛みとともに反省を深めていく効果を持ったと考えられる。
一人の人間を医療行為をすると言って騙して麻酔をかけ、そのまま材料として生体実験してしまう。これはいかにしても弁護できない絶対悪である。これが、A)の思想であり、無限性の責任論と名付けることができよう。
B)は、それに対しておずおずと違和感を提出したという行為である。きっぱりとした反対の意思表示ではないが、その時点の鳥巣のせいいっぱいの意志表示であった。それは服従と反抗の二つのベクトルの折衷であって。それを有限性の責任論と名付けることができる。

鳥巣たちに対する判決は1948.8.27だが、再審査の嘆願が粘り強く行われ、1950.9.12減刑決定。1954.1.12満期出所となっている。

わたしたちが現在この問題を考える時、戦争中(8.15まで)、占領終了まで(1952.4.28まで)及びそれ以後という3つの時期におけ評価がどう変わるのか、という問題も合わせて考える必要がある。鳥巣たちの裁判は刑法犯罪であり、戦中の日本、GHQ、戦後日本という国家支配者の差異によって、基本的には判断が変わるものではない。また、サンフランシスコ講和条約11条には戦争犯罪法廷の判決を受諾し、刑を執行する旨定められていた。
しかし、占領終了後すぐに強力な戦犯釈放運動が起こった。戦争中の政財界や軍の指導者たちを幹部とする戦争受刑者世話人会が作られ、「戦犯は戦争犠牲者だ」が国民全体に浸透した(三千万人の署名が集められたという)。
戦争指導者も末端の兵士も同じ、戦争の犠牲者であるという思想は、「先の戦争」の遂行責任を明確に追求しなかった。反省が行われるときはかならず「戦争だけはしてはいけない」「すべての戦争は悪である」と戦争を主語にした、(日本人は苦手なはずの)宗教的なまでの大きすぎる思想が語られた。憲法9条に結晶したこのような反戦思想は貴重なものではあるが、軍隊の全廃というテーゼは冷戦のなかで貫かれることはなく自衛隊が誕生し、時代とともに成長していった。

「講和恩赦と1953.8.3の戦犯赦免決議によって、満期を待たず戦犯は次々に釈放されていたのだが、鳥巣は満期まで務めることに強い思いを抱いていた。」p187 とある。 占領軍がいなくなればたちまち消滅してしまう「反省」、そのようなものとともに鳥巣は生きたわけではない。

わたしたちの70年の経緯を考える時、A)の思想の正しさが、抽象的な「戦争はいけない」という命題になり、時代の移り行きとともに、その背後に裏打ちされていた、殺し−殺された身近な人の体験をまるごと裏返すかのような荒業といったものがほとんど蒸発してしまい、力を失っていったのだと考えることができる。

それに対して、鳥巣の場合は、B)有限性の責任論の立場をたえず参照することを強いられたがゆえに、自己身体から遊離した正義の立場に立ってしまうことはなかった。無限性の責任は有限性の責任論に裏打ちされてこそ、真の反省として持続しうるのではないか

今では忘れられてしまった、生体解剖事件犯人とその妻の話。そこには小さくとも本物の反省があった。
「大東亜戦争(アジア太平洋戦争)」という巨大な悪を巨大な悪として反省しようとすることは、それがいかに真摯に行われようとやはり限界があり、有効期限切れが来たかのような現在である。
そうではなく、ひとつの事件におけるほんの小さな反抗、それを大事に育てることにより、事件全体へのトータルな反省に鳥巣がたどり着いたという実話。
それは、わたしたちの戦争体験の総括の失敗という課題に、光を当てるに足りるエピソードだ。

ソクラテスと民主主義の死

アルキビアデスとクリティアスは1,2をあらそうソクラテスのお気に入りでした。クリティアスは30人僭主の最有力メンバーであり、アルキビアデスはアテネ国民にうまくとりいる軽薄才子でした。かれらは主観的洞察の原理を実践し、その原理にしたがって生きた人物だったのです。
p430『哲学史講義・上』ヘーゲル 河出書房新社

アルキビアデスとクリティアスはアテネ国家の民主主義を崩壊させた主犯といっても過言ではない。で、それにソクラテスが打ち立てた「精神の高度な原理」が関わっていたとヘーゲルは言っている。

ソクラテスとは、「国民の権力にたいして服従の意思を示すのを拒否した人物」である。「自己を確信する精神、ないし、みずから決断する意識の絶対的な正当性」を自覚していた。この高度な原理は絶対的にただしいものでした、とヘーゲルは言い切る。
しかしそれは、「国家が正義とみなしたもの以上の理性や良心や公正はありえない」という本来のアテネ国家の原理とまっこうから対立するものだ。ソクラテスは死刑になったが、それからわずかの時を経て「みずから決断する意識の絶対的な正当性」という原理はアルキビアデスなどの身体を借りて、アテネ「民主主義」を滅ぼしてしまう。

ここでヘーゲルが描き出している図式は、われわれには飲み込み難いものがある。
何人かの個人による、理性の導きによる対等な討論が民主主義の基礎であることは言うまでもない。それを教え、最も見事に実践したのはソクラテスである。
ところが、それは、ソクラテスの死とアネテ民主主義の死に至る道筋をたどる。どうしたことか!? これがヘーゲルが見事につかみ出した〈矛盾〉である。

もうすぐテロ等準備罪(共謀罪)というものが国会というプロセス(二院制)で可決される。森本問題、加計問題という首相による国家の私物化に対する解明を、「理性の導きによる対等な討論」という規範を徹底的に貶めることにより抑圧する、という経過によって、国家に人民抑圧の手段を与えることになる。戦後70年間の議会制民主主義は終わった、と感じられる。

「民主主義」はなぜ終わったのか?啓蒙的進歩的知識人が愚かだったから、いやそうではなくみずからの聡明さに酔い傲慢におちいっていたから、だろう。彼らは、「理性の導きによる対等な討論」をとなえるが、ソクラテスのように裸足で泥をかぶり庶民の一人一人と対等に討論しなかった。彼らの「討論」とは、彼らが欧米から密輸入した民主的な結論にたどり着かなければならないものと決まっており、対等な討論など、実は最初から真剣には企画されていなかった。

支配者と官僚が欧米から輸入した「繁栄のための」結論と、それへの反発である「民主的な結論」の対立。そこには最初から「理性の導きによる対等な討論」はなかった。そこで、
支配者と官僚の側は、「日本のため」「繁栄のため」というレトリックで押すことにより、常に勝利することができた。戦後、真剣な討論が栄えていた時代もあったように見えるが、それは高度成長の果実である国家予算の一部を、大衆にも分配するという争いにすぎなかった。分配の余地がなくなるにつれて、討論はにべのない拒絶に変わった。

絶対的な自由を手に入れた個人は魅力的であり大衆をも魅惑することができる、それにより独裁を手に入れ国家を破滅させることができる(アルキビアデスの場合)。
では人格、見識ともに劣ると公然とみなされている安倍氏は、なぜその独裁を維持し続けられるのだろうか?
誰しも愛国的である自分を感じるのは心地よいものである。韓国にむしろいじめられている日本という図式をむりやり作り出し流布することにより、ある個人は日本の味方をし韓国に対して怒ることにより愛国者になることができる。70年も前の戦争時の犯罪について相手がほかでもないあなたに反省を求めていると、そういう図式をつくれば誰しも反発する。その反発により、安倍氏は彼らを自分の側に動員することができる。
啓蒙的進歩的文化人が安倍を批判すると、自分の無罪(無垢)を信じたい大衆の逆鱗に触れてしまい、左翼はますます嫌われることになる。

かっておろかなアルキビアデスが勝利したように、今日は愚かな大衆が勝利するのか?

メモ:さて、この問題についてキルケゴールは次のように言っている。
「ここでアテナイ国家の頽落について歴史的叙述をおこなうことは私にはかなりよけいなことのようにおもわれる」p83 『イロニーの概念・下』著作集21
「ギリシャ国家における邪悪な原理は、有限な主観性の(すなわち不当な主観性の)原理、多種多様な発現形態における恣意であった。そのうちの一つの形態(略)が、ソフィストの立場」p85

朴裕河『帝国の慰安婦』どうなのか?

2年前(2015-08-01)に書いたブログを、この本は最近も話題になっているようなので、ここに再掲するつもりだったが、かなり大幅に改稿した。
(参考:初稿

■『帝国の慰安婦』、読んでみた。

朴裕河氏の『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版 2014年)という本が机の上にある。副題を「植民地支配と記憶の闘い」と言う。
この本はその内容よりもその反響の大きさによって、有名になってしまった本である。だが、端的に言って「慰安婦問題」に対する彼女の把握は、非常に歪んだものである。
検索すると、朴 裕河さん本人の書いた文章がでてくる。私の目的はその本を論じることよりも、彼女が描き出している「慰安婦」なるものが、いかにゆがんでいるか?を、読者に示すことである。
したがってまず、本書ではなく上記文章から、短い文章を二つ抜き出してコメントすることにする。

(1)慰安婦のなかにある「愛国的志」の過大評価

日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。

これを強調するのは正しい。からゆきさんたちがどれほど苦労しそして沈黙のうちに死んでいったかを日本人は忘れており思い出す必要があるから。慰安婦たちのすぐ前の時代に。

「からゆきさん」の「娘子軍」化
からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。
一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。

からゆきさんとは、19世紀の終わり頃から1920年ごろ見られた社会現象。念のためにウィキペディアから引用しておくと、「国際的に人身売買に対する批判が高まり、(略)英領マラヤの日本領事館は1920年に日本人娼婦の追放を宣言し」とある。1920年ごろ海外で娼館を運営することは国際的なスキャンダルになり、日本国家も批判に耐えられず禁止した、といった経緯がある。このようなマージナルな業界は10年単位くらいで社会的位置づけがまったく変わる場合があるので、年代に対する注意深い感覚をもたなければならない。一方、従軍慰安婦制度は1937年の「野戦酒保規程改正」で制度化され拡大していったものだ。このような歴史的経過を意図的に省略し、間違ったイメージを読者に与えようとしている疑いを、朴裕河氏に対し感じざるをえない。

1910年前後?シベリア・満洲などで自立し「壮士」たちを助けたりした愛国的元からゆきさんが複数人いた事は知られている。しかし、彼女たちは国家によってシベリアなどに連れて行かれたわけでもなく、国家に売春を強制されたわけでもない。苦労に苦労を重ね外地で自立しえた日本人が、あとから来た後輩たちを支援する。水商売/壮士という差別、女/男という差別を越えた愛国的情熱がそこにはあった。差別を越えるために過剰に愛国的になった面もあっただろう。

「「からゆきさん」の「娘子軍」化」と題された、この7行において、朴裕河さんは、まったく別のものである「からゆきさん」と「従軍慰安婦」を、類似のものであるかのように印象付けるトリッキーな文章を書いている。
「「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと」というフレーズが「からゆきさん」と「従軍慰安婦」の両方に適用される、というのだ。
しかし、当の女性からみた実存的意味合いはまったく違う。からゆきさんは意気ばかり盛んで現地の言葉や風習も知らない(金だけは持っているらしいが)みすぼらしい男たちを、現地に根付いた者の優位性において助けてやったのだ。壮士は日本語が通じる女性をありがたがっただろうが、郷愁といったものよりもっと現実的に助けてもらったのだ。一方、「従軍慰安婦」は文字どおりその肌と身体を与えることによって、国家に直属する兵士たちを「慰めた」。慰める、comfort とは、レイプに近い身体提供に対する婉曲な表現、美称にすぎない。「慰安婦たち」はそもそも強制されてそこにいるわけで、自由人である「元からゆきさん」とは訳が違う。「慰安婦たち」は朝鮮人でありながら日本人の「郷愁を満た」したのか?

元従軍慰安婦は「略取(暴行・脅迫を用いて連行すること)・誘拐(騙したり、甘言を用いて連行すること)・人身売買などにより」遠くはビルマ・中国国境地帯にまで連れて行かれた。直接ではなくとも日本国家の需要によってである。さらに軍によって売春を強制された。(日本人以外は)植民地/占領地/戦地のアジア人だった。

「私はここにいるべき人間ではない」「私は売春などする人間ではない」「私は日本人など好きではない」元従軍慰安婦たちがそう思ったとしても何ら不思議はない。しかし、反面ではその矛盾により、「同じ死にゆく哀れな存在」としての兵士へのロマンティックな幻想をむりやりかきたてた人はすくなくなかったかもしれない。
しかし、日本帝国に対する忠誠を自己確認することに意味を見出した人など本当にいたのか。いたとしても、三重の屈折を乗り越えてしか、それはなかったはずで、それほどたくさんではない。

「(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)」というフレーズも悪質である。シベリアの元からゆきさんたちも「(シベリア出兵)戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされた」面もあったかもしれない。しかしそれはあくまで自由人としてである。一方、従軍慰安婦たちは基本的に「強制されている」という位相にある、どうしようもない日々のなかで架空の観念に救いを求めた人もいたかもしれないというだけの話。まったく違った話を同じフレーズで形容することで、同質であるかのように印象づける詐欺的レトリック!

これを強調したことが、韓国人の一部に極度の怒りを生じさせたのであろう。文脈の違う「愛国的からゆきさん」の存在にすぐ続けてこう書くのは、歴史の偽造に近いイメージ操作なので、怒りはもっともだ。

(2)慰安婦の定義がデタラメ

つまり、「慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のことである。商人や軍人が利用した「慰安所」のようなものは早くから存在していた。「慰安所」や「慰安婦」という名前は1930年代に定着したようだが、その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである。

完全に間違った定義だ。「いわゆる従軍慰安婦」とは日本軍あるいは日本国家が直接・間接に営んだ戦時売春施設の従事者のことである。その最大のポイントは、国家による強制性にある。
「その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである」ある抽象のレベルで言うならば、それはナポレオン戦争以後の国家管理売春の帝国主義的展開の一部分である、と言うことは可能である。ただし、金学順のカムアウト、河野談話以後解決できない「慰安婦問題」とは、日本国家の責任が存在したことによって問題に成り続けているのだ。

日本国家の責任はほとんど存在しないという論を立てたければ、その自由はあるだろう。
しかし、朴裕河さんのやっていることは、「それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。」という、「システム」という言葉を使うことにより、問題の本質を曖昧にするという方法である。

したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。

「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」というのが日本政府が河野談話で認めた「慰安婦」である。
「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味など、裕河さんが勝手に言っているだけで何の意味もない。このように混乱した文章を平気で書き、現在まで訂正しないのはどういう根性なのか。

(3)「解決を求める」こと

この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。
1、できるだけ早い解決

と裕河さんは書いているのだが、これは間違った目的であると考える。
「解決」を求めているのは、当事者(元慰安婦のおばあさんたちと挺対協、両国政府)だけである。当事者以外の人に求められているのはまず、過去にあったことのできるだけ正確な理解である。その上で、反省すべきならすればよい。解決は当事者がするべきことで、私たちは関係ない。

3、この問題にかかわることが自分の生活や政治的立場と関係のない識者や市民もこの問題にかかわり、「解決」をもたらす方法を「関係者とともに」考える。

なぜ「解決」について私(野原)が考える必要があるのか、全く分からない。
もちろん元慰安婦のおばあさんたちが求めているのだから解決は獲得されるべきだろう。しかし「慰安婦」問題は彼女たちのものなのか?必ずしもそうではない、と裕河さんは書いていると思う。

日本軍「慰安婦」にされた人は、日本人・朝鮮人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人・ベトナム人・マレー人・タイ人・ビルマ人・インド人・ティモール人・チャモロ人・オランダ人・ユーラシアン(白人とアジア人の混血)などの若い女性たちです。

と日本の「慰安婦支援派」の代表的サイトも書いている。

従軍慰安婦問題は事件が終わって45年も経った1990年ごろから「問題」として、世間に大きく訴えられてきた。それから25年以上経った現在直接の当事者はほとんど世を去っている。すでに死んでしまった人たちが納得しない解決であっても生きている人びとが納得すればそれは「解決」になるのだろう。
私は直接の当事者ではないので、そうした「解決」を求めるよりも、いまでは辿りつけないさまざまな境遇の「慰安婦」たちの当時と戦後の情況をまず知りたいと思うのだ。
知ることができない、確定した情報として記述できないとは思うが、であるからこそ不十分でもそこに接近したいと思うのだ。

挺対協が作り上げてきた〈慰安婦をめぐる公的記憶〉が存在する。それが、慰安婦たちの実際の姿とはかなりズレていることを批判したいというのがこの本の趣旨だ。ズレは当然存在する。まず日本人・台湾人・中国人・フィリピン人などなどの若い女性たちの体験が反映されていない。現在北朝鮮にいる元慰安婦たちの体験もおそらく。

さらに、挺対協とは25年以上も水曜デモなどのけっこう大変な活動を持続してきた運動体であり、韓国人元慰安婦であってもそれとは違った意見を持つ人びとも当然存在する。*1

解決を求める事は、挺対協中心史観といった磁場で「たたかい」を展開することだと思う。つまり、裕河さんのやっていることは挺対協中心史観といった磁場で挺対協中心史観に反対するという奇妙なことをやっているようにも見える。

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。(略)
これを歴史の教訓として直視していきたい。(略)同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

河野談話はすでに1993年こう語っている。歴史認識としてもう少し細部まで具体的に知ろうとさえすれば、この文面で足りていると、私はむしろ思っている。2015年12月28日、安倍政権もこの談話を継承し謝罪した。
和解のために何が足りないのか。「心からお詫びと反省の気持ち」であろう。国家の責任を少しでも値切ろうとする、(基本的に敗戦を認めることのできない)愚かなネトウヨ的心性かもしれない。

「慰安婦たち」の「愛国的志」なるものを極端に拡大することによって、慰安婦というもののイメージを歪めようとした朴裕河氏はデマゴギッシュな書き手であると、私は判断する。

(4)朴 裕河先生に言いたいこと

韓国人中心史観を訂正したいなら、
☆ 日本軍に棄てられた少女たち―インドネシアの慰安婦悲話  プラムディヤ・アナンタ・トゥール

☆ ある日本軍「慰安婦」の回想―フィリピンの現代史を生きて マリア・ロサ・L.ヘンソン

☆ 映画 ガイサンシーとその姉妹たち および  班忠義

チョンおばさんのクニ 班忠義

など、読む、または見るほうが良いと思う。

挺対協やそれを支持する元慰安婦たちの現在の表現が、うすっぺらな「公的記憶」に見えるとしても、その背後には数十年の多様な体験の幅が存在している。それを見ることができずに、自己の手持ちの才能だけで「ディベート」に走ってしまった、感じ。慰安婦をめぐる30年近い研究と運動の蓄積を踏まえることがまったくできていない。マッチョな植民地主義にどっぷりはまった田村泰次郎の小説などを読み(それはとても興味深いことではあるのだが)、自分に都合が良い面での影響を受けしまった。

また、からゆきさんと慰安婦問題の関連を考えたいなら、倉橋先生の本も読んでおいた方がよい。

☆ 従軍慰安婦問題の歴史的研究―売春婦型と性的奴隷型 倉橋 正直

従軍慰安婦と公娼制度―従軍慰安婦問題再論  倉橋 正直
倉橋氏の本は、慰安婦支援派からふくろだたきにあったようだ。しかし学者の書いた本であり、批判に開かれた文体、形式で書かれている。言葉の一語一語をひねって、印象操作する朴裕河氏とは大違いだ

*1:p13にも書かれているが

追記■リベラルが「慰安婦」を論じた最悪のツイート

「この本は、「慰安婦」を論じたあらゆるものの中で、もっとも優れた、かつ、もっとも深刻な内容のものです。これから、「慰安婦」について書こうとするなら、朴さんのこの本を無視することは不可能でしょう。そして、ぼくの知る限り、この本だけが、絶望的に見える日韓の和解の可能性を示唆しています。」
(高橋源一郎、Twitter,2014年11月27日

追記・2■歴史学者から

パク・ユハさんの軍慰安所に対する認識は、もっぱら秦郁彦氏の慰安所=戦地公娼施設論に依拠しています。しかし、秦氏の説が誤りであることを、私は軍や警察の史料を用いて実証しました。
永井和 2015年12月28日の日韓合意について

秦郁彦氏の慰安所=戦地公娼施設論などで、日本国家の責任を曖昧化しようとした論も存在したが、実証的歴史学の手法でこれらを打ちのめしたのが、永井和氏の「日本軍の慰安所政策について」である。上の文章と併せて、慰安婦問題の、過去と現在を知ることができる。

移民制限論の是非

https://wan.or.jp/article/show/7070 上野千鶴子
https://wan.or.jp/article/show/7074 清水晶子 
読みました。

「「移民一千万人時代」の推進に賛成されるかどうか、お聞きしたいものです」という問いに清水は答えない。
フェミたちや自民党がどう動こうが、移民は少し増え、しかし人口不足をおぎなえる程は増えないのではないか?
上野は「移民制限論」を唱える。その場合、国家はより強力な再分配政策を取る必要があることになるはずだ。
清水が「移民増加論」を取るかどうかを上野は問うている。その場合、社会のあらゆる領域における反レイシズム、移民統合化を成し遂げる必要があるが、フランス・ドイツの例から見てそれは無理だろう。
上野の議論は、国家として責任を取れるのか?、というレベルで問われている。

移民制限論/移民増加論、どちらかをとらねばならない。どちらを取るにしても、国家も市民も手を汚す覚悟は必要だ。
上野が言っているのはこのような図式だ。

それに対して、「共生の責任は誰にあるのか」という文を書いた清水は、何を語っているのか?

「「社会の女性嫌悪の悪化を避けるために女性の〈社会進出〉を制限する政策」を男性が主張し採用する」という例において、「男性」という主体はしばしば普遍を名乗るが普遍であってはならないものとして否定される。
清水が提出するのは、日本社会は誰のものかという問いだ。

それは日本社会に生きている、とりわけ日本社会で日本国籍を保持して生きている人々の問題です。 「わたしたちは移民や外国籍住人の権利を守れないし、その結果社会不安が起きたりしたら困るから、移民や外国籍住人が増えないように彼らの移住の権利を制限しましょう」と言うのは、「わたしたち」の問題を「彼ら」に転嫁することに他なりません。

日本人のマジョリティ(投票に行くような人)に対してマイノリティもいる。マジョリティの利害でマイノリティの利害を制限するのは許されないと。

どうだろうね。男性だけが国民を名乗ることはもはや誰も許さないだろう。しかし「国民」が国民の利害において行動すべきでないというのは、なかなか納得させるのに難しい理屈になる。

上野発言を弁護しようと思って

書いてみたが、弁護にならなかった。
この文章の趣旨は、
1,人口1億人の維持
2,出生率1.8の実現を 安倍氏は目的に掲げる
このことを、全力で否定するためにこの文章は書かれている。

1,人口を維持するためには、自然増と社会増。
自然増は見込めない(3)
移民の受け入れについて考える。
移民を受け入れると、社会的不公正に悩む国になる(4)
移民を受け入れず、人口の減少を受け入れて、衰退する(5)

4か5かを選ぶしかない。(5)を彼女は選ぶ。
安倍の掲げる1と2がいずれも空語であるのであるから、大量移民がなければ自動的に5を選ぶしかない。
「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。」(6)
問題はそんなことができるのか?である。現在生活保護をはじめとした福祉予算は増える一方、一方税収はどんどん減る。極端な再分配政策を取らなければ「みんな平等に、貧しくなる」ことなどできない。
(6)の文章は、みんなが貧しさを甘受する覚悟さえあれば可能であるかのようだ。しかしみんなが貧しさを甘受する覚悟があっても、ネオリベ思想を弾圧し極端な再分配政策を取る、ということがなければ、それは不可能だろう。
NPOなど、「協」セクターに期待するのはけっこうだが、再分配についての大きなデザインなしには、NPOにも何もできないだろう。

移民の流入が社会的不公正と抑圧と治安悪化をもたらすといった文言が批判されている。まあもっともだ。
ただ、移民を多少受け入れようとも「人口減少なら衰退」という常識を覆さない限りにおいて、「みんなが貧しくなる」といった結論は避けがたいのではないか。
人口の半分近くが餓死線上といった事態を避けたければ、再分配について正面から考える必要があるのではないか。

ただ、私も上野さんと同じでこの日本国家が極端な再分配政策を取る可能性はないだろうと考えている。であればどうするか?

追記:ツイッターから

「みんな等しく貧しくなる」というフレーズは面白いとも考えられますね。貧しい人は貧しいままで、大金持ち、金持ちが富を全部吐き出すという意味なら。
革命になります!

〈みんな〉〈平等に〉〈貧しくなる〉、を考えたい。上野とその異端の弟子ともいえるイダヒロユキはそれぞれ「ひとり」をタイトルにした本を出している。そのような「ひとり」を思想の根底から再検討することが必要。端的には自分がなぜ子供を持てなかったのか考える。
〈平等〉についてはものや関係を濃く共有していく、グレーバー(負債論)がいうコミュニズムが大事。〈貧しさ〉については、シェアルームのようにプライバシーを一部切り捨て別のものを獲得する方法が大事。〈みんな〉については国民国家のごく一部の人たち(貧者中心)が
連帯する仕組みを作りたい。
身体の脱資本主義化だがこれのためには途上国やイスラムに学ぶ必要がある。上野批判派が声高に叫ぶ「多文化共生」は観念的な理想論でしかなく敗北するしかない。そうではない自己身体の変容による〈多文化共生〉を、獲得するチャンスだ。(2/14)

『愛の労働 あるいは 依存とケアの正義論』について

エヴァ・フェダー・キテイの『愛の労働 あるいは 依存とケアの正義論』を読んだ。
これは大事な本だと思うので、紹介したい。丁度、その訳者である岡野八代、牟田和恵さんがキテイを日本に呼んでそのとき作られた本がある(下記J 同じ図書館にあったので借りてきた)。こちらを読みながら、抜き書きしてみたい。

この本は、「重度の障碍を抱える娘セーシャと共に歩んできたキテイの人生と、そのなかで哲学者としてのキテイが経験した葛藤から紡ぎだされた思想の書だ」、と岡野氏はこの本を語りだす。(p14 J) 

キテイは障碍者を育てる親であり一方、倫理や哲学を学ぶ学者だった。「人間の本性とは何か、善き生とは何かについて長きにわたって論じてきた哲学の伝統のなかで、セーシャのような存在は(略)社会的な存在として認められてもいない、という事実」に気がつく。人間の平等を深く考察しながら、障碍者のことは思考の対象にすらしていない、と。(p14 J)
自己にとっての二つの真実が矛盾していること、それを解消するために、キテイは、ロールズに至る西欧思想史の根幹である人権思想を組み替えるという作業を必要とした。

キテイは自らの論を、「依存批判」と名づけている。これを江原由美子氏の紹介の引用によって簡単に紹介する。

「キテイ氏は、フェミニスト理論において議論されてきたジェンダー平等のための批判の論理を、差異批判・支配批判・多様性批判・「依存批判」という四つの批判の仕方によって、把握する。差異批判とは、男女の差異を批判の焦点とし、差異と平等との関連性を問う論じ方を、支配批判とは差異ではなくヒエラルヒーと権力を批判の焦点とし、支配が差異に先行しているがゆえにジェンダー平等実現のためには支配と従属の関係の廃棄こそが求められるべきだ等の批判の仕方をいう。また多様性批判とは、女性同士や男性同士の差異を批判の焦点とし、ジェンダー平等の実現にはすべての多様性についての配慮が必要であるという批判をいう。」(p124 J)

キテイは、これまでのフェミニズム理論を3つに分けて押さえる。次に「依存」とは何か?
「ここにおける「依存」とは、「誰かがケアしなければ生命を維持することが難しい状態」にあることをいう。人間は誰もがすべて、その生涯において一定期間は「依存」の状態にある。また長期間あるいは一生にわたってその状態にある人もいる。」
赤ん坊は生まれたての時は24時間保護を必要とするし、その後も20年近く「育て」なければならない。また、高齢になれば介護を要する状態になったり、痴呆(認知症)になったりしやはり自立生活はできない。キテイの娘、セーシャのような場合はずっと保護を必要とする。

社会秩序の基本をなす人々の契約は平等に位置づけられ平等に権利をもつ諸個人の自発的な結びつきに由来する、というのが17,18世紀に確立した社会契約論であった。現在の西欧社会はその思想を継承している。キテイが具体的に批判するのはロールズであるが、ほかの人も同じである。
「不平等な状態が現にある」ことは否定できないが、そうした「不平等な状態は、「平等化施策」によって解消可能であり、それ以外の能力の差異も、社会的条件や偶然的な条件によって生じる「一時的なもの」とみなしうるとされていた。」(江原・p125 J) というのが彼らの論理だった。しかし、そうだろうか。

「それに対し、「依存批判」は、まず「依存」を、基本的な人間の条件としてみなすべきであると主張する。(略)その意味において「依存」とは、「たまたま生じたまれな状態」、「それゆえに無視してもかまわないような状態」なのではなく、私たち人間の基本的条件なのだと、「依存批判」は主張する。「依存」を人間の基本的な条件とみなすことは、「依存者」をケアする活動を行なうことをも、人間の基本的条件とみなすことを意味する。「依存者」は、その生命の維持を他者に依存している。すなわち、「依存者」はその生命維持のために、「被保護者の安寧の責任を負う活動」を行なう「依存労働者」の労働を不可欠とする。ゆえに、「依存」を人間の条件として認めることは、社会を「平等者の集団」とみなすのではなく、「依存者」「依存労働者」をも含む人々の集団としてみなすべきことを意味する。そうだとすれば、「平等」とは、能力において対等な「平等者の集団」の間で構想されればよいことなのではなく、他者のケアなしには生存できない「依存者」や、「依存者の生存の責任を負っている依存労働者」との間において、構想されなければならないことになる。」(江原・p125f J)

このような存在〜関係を、非本来的なものとして理論的考察の根本からは排除してもよい、とするのがいままでの学問だった。国家を「理性的存在」の結合として説明しなければ、国家は至上権を持てない、とする発想。
治者と被治者の同一性というのは確かに、強い魅力を持った形而上学ではある。しかし、社会の諸関係を素直に考えてみると、理性的主体間の契約のような合理的関係はごく少なく、社会はそのつど身近な人どうしの互酬的関係で成り立っている。家族内部の互酬的関係とされるものが抑圧的関係ではないか、と告発したのがフェミニズムである。しかしフェミニズムは、反フェミが攻撃するように互酬的関係を解体し日常を利害の損得計算に還元せよと主張しているわけではない。家族内部というだけで、すべて「互酬的」とされ、結果的に母親・主婦役割の女性に過重な負担が押し付けられている現実を糾弾しているだけである。

伝統的大家族においてはなんとかメンバー内で負担を分担してゆうずうしあっていた。(幼い子がさらに幼い子の子守をするなど)しかし「自立」を看板にする近代的核家族においては、皮肉なことに、これは(建前はともかく実質はすべて)主婦の負担になってしまった。それと同時に女性の社会進出も進み、「主婦」は過重な負担にあえぐことになる。にもかかわらず、それは、選択の自由、あなたには子供を産まない自由もあった、という論理で自己責任とされてきた。フェミニズムの論理の一部が悪用されたといった側面もあったわけだ。理不尽な話だ。しかしこれが現実であり、現在も出口はない。

個々人はそれぞれ別々に生きているわけではなく、つながりのなかで生きている。平等というものもそのなかで考えなければならない。
つまり第一にケアを必要とする者がそれを得ることができなければならない。次にケア提供者は自分の時間と配慮の大きな部分をケアのために使わざるを得ないので、報酬を得る仕事をしたり自分自身をケアすることにおおきな不都合を持つ。したがってそれについては第三の家族メンバーからさらに配慮とケアを受ける必要がある。
「依存者」をケアする必要を中心に(拡大される)家族、さらにはその外側の社会のなかである互酬関係が作られければならない。それによってケア労働者はドゥーリアの権利を得るだろう。

「人として生きるために私たちがケアを必要としたように、私たちは、他者ーーケアの労働を担うものを含めてーーも生きるために必要なケアを受け取るような条件を提供する必要があるのだ。これがドゥーリアの概念である。(p293 L)

しかし、依存ーケア労働者の関係を、単にケア労働者の負担、労働過重といった面でだけ語るのは一面的に過ぎない。それは存在と存在の最も深い関係である。

キテイの娘であるセーシャは話すことができない。外にも多くのことができない。

「セーシャの愛くるしさは表面的なものではない。なんと表現したらよいのだろうか。喜び。喜びの才能だ。おかしな音楽を聞くときのくすくす笑い。(略)キスをしてお返しに抱擁を受ける喜び。セーシャの喜びの表現はさまざまな種類・程度にわたる。」(P335 L)

ひとが生きることの原初の輝きがそこにはあるのだ。
 
ただ、それほど美しい話ばかりではない。わたしの知人Y氏も重度の障碍者の父親だった。娘さんの名前は天音という。

・・・彼女とて哺乳瓶で食事をとらないと生きていけない。天音が意思を伝える手段は大声で泣きわめく以外にない。こちらの都合など関係ない。呼吸困難で唇が白くなるまで泣き続ける。抱いてやるとぴたりと止むが、欲求が激しいと駄目である。して欲しいことを、泣くことで表現する。欲求といったところで、あとは眠たいから抱いてほしいとか、お腹の調子が悪いからなんとかしてくれとか、そして単に抱っこしてほしいとか程度の、実にささやかなものである。
泣き声に負けて抱いてばかりいると、家事も仕事もなんにも進まない。苛々がつのる。その親の焦りが伝わるのか、天音は抱かれているのに口を大きく開ける不満行動を頻繁に引き起こす。(p42 Y)・・・

Y氏の奥さんのH氏は「天音の知り合いに近況を知らせる手紙のような」ミニコミをずっと出しておられた。(わたしはその読者にもならなかったのだが。)天音ちゃんの介護という限りなく閉ざされた労働(苦役)を、社会の関係性の方に向かって開くこと、それを要求する権利が自分たちにはある、(キテイの文脈に添って言うならそう言えるわけだが)、そのような思いもあっただろうと思う。

L:エヴァ・フェダー・キテイ 『愛の労働 あるいは 依存とケアの正義論』 岡野八代,牟田和恵訳 白澤社(原著 1999年)
J:エヴァ・フェダー・キテイ 『ケアの倫理からはじめる正義論─支えあう平等』 岡野八代、牟田和恵編著・訳 白澤社
Y:山口明 『昼も夜も人の匂いに満ちて』 湯川書房
H氏とY氏のブログ http://amanedo.exblog.jp/19335267/

王力雄『黄禍』はすごい

王力雄さんの『黄禍』 横澤泰夫訳 集広舎 読んだ。これは大傑作だ。
半分までは、重く大きなテーマに真正面から取り組んだ未来ポリティカル・フィクションの傑作だ、と思った。しかし最後まで読むと、それをはるかに越えた、人類の権力と暴力、生と性、溢れることと滅びること、すべてを描いたすごい作品だと言える。

王力雄さんの『黄禍』はやたら分厚くて(値段は2700円と安いが)、はじまり「東京 新宿歓楽街」というところにたどり着くまで18頁も重苦しい文章を読まされる。私は飛ばして、後から読むが。「東京 新宿歓楽街」のとこもなんか通俗的な感じだ。そもそも、黄禍という言葉自体が重苦しく嫌な感じなのだ。元の小説は1991年に出た、つまりアクチュアルな近未来小説としては古くなっている。(「主な登場人物」はありがたいが、紹介にネタバレが含まれる。変えたほうが良いのでは。)
それでも私が読もうと思ったのは、王力雄さんが5年前日本に来た時お目にかかることができ、その時の彼の佇まいに強い印象を受けていたからだ。小柄だが強い意志を感じさせる、宗教的なオーラさえ感じた。
期待は裏切られなかった。読了して感動している。

「『黄禍』の登場人物はみなできうる限り理性的な選択を行おうとするのだが、最後には理性的な結末を完全に取り逃がす。p12」と著者は言う。
閉鎖的権力関係の内部でそれに埋もれることをよしとしなければ、極端に優秀であり、自分の真の目的を固く持ち続け、かつ自分の真の目的を隠す能力が必要だ。本書の登場人物たちはみなそうした性格であり、その意味で魅力的である。この小説のすぐれたところは、ストーリー上必要なだけの悪役がでてこないところ。権力欲の塊のような超人はでてくるが、そうした人物は中国ではもっともありふれた存在だろう。
初版では「物語を書くという企図はなく、…中国の情勢に関する議論、中国の前途に関する考察が多く語られていた」という。そうした議論小説としての骨格は残っている。(初版は翻訳されたヴァージョンの2倍ほどあり、縮めないと日本に翻訳できないといわれたせいもあり縮めたという。この是非については分からないが読みやすくななったのだろう。)

最初に出てくるのは、黄河の氾濫だ。「水害によって元来の社会組織が瓦解し、無一文になった中で、人々は新たな絆を作り、暫定的な分配制度、労働組織、秩序、さらには法律まで作って」いる例があるというエピソードが語られる。中国のグリーンムーブメントの指導者という著者を思わせる履歴を持つ登場人物によって。
より大きな危機がやってきた時、この理想は完膚なきまでに破られる、というのがこの小説の筋である。

「スコップで粟を放り上げる旅に、石戈(せきか)は自分が粟粒と同じように、すがすがしい風の中に飛び上がり、むらなく散開し、風に草の屑や糠そしてほこりを吹き払ってもらい、さっぱりした姿で、陽光の下きらきら光る収穫したばかりの粟の山に落ちていく感じがした。」主人公の一人石戈の存在の底にある宇宙的エロス感覚。
それぞれの主人公はそれぞれ強いられた目的の為に死にものぐるいで奮闘するが、その底にはたいてい中国的な(荘子的な?)〈無〉への何らかのかたちの志向があるようだ。この小説は表面的には美女と超人が入り乱れるスパイ小説もどきの終末論的SFでもあるのだが、それだけに終わらない一つの要素はこうした〈無〉への志向を孕んだ人物造形である。

さらに、小説の丁度真ん中で、わたしたちの知っている世界はあっけなく崩壊する。しかし小説は続く。暗澹とした話ばかりが続くわけではない。中国人はすべて飢餓線上にさまようはめになり主人公たちも例外ではないのだが、主人公たちは意外にも理不尽な世界を受け入れ、その中でなお、いままでどおり目的を遂行するために全力を尽くす。
「陳ハンと同列の石段に座っている数人の受講生は、今長城の煉瓦の上で干からびたアリの死骸を集め、少量の塩とまぜ、その味を味わいながら、別種の昆虫の味と栄養価値との比較をしているところだ。」近代小説はブルジョアないしプチブルのもので、飢餓線上の人を主体の問題として取り上げてる人は少ないように思う。甘やかされた現在日本人は特に、生活感覚の幅が非常に狭くなっているのではないか。

飢餓線上の難民の巨大なマス(大群)が国境を越える、近年ヨーロッパではこのような事態が発生しており、それのことの受け入れがたさに、いまだ困惑している。この小説はまさにそのテーマを現実にはるかに先駆けて提起していた。著者が言うのはまず、国境、主権の概念は人為的なフィクションのに過ぎないということ。それに対して国防上の理由があっても、大量の難民を虐殺するなどということは「現代の文明が許さない。」
地球の資源が豊富で、至る所に未開発の土地があった時代植民地主義者たちはほしいままに植民地を広げた。「地球上に人が充満し憂えるべき状況になり、資源が枯渇すると、逆方向の植民が始まりました。このような逆方向の植民は貧窮によるもので、往時の被植民者が今度は列強に謝金を取り立てたのです!」すでにトルコ国境近くまで来ている2億人の難民という圧倒的な存在の量を背景に、中国の新米の外交官は強弁する。

大量の核兵器を持ちその効果を振回すことができるのが現代文明の価値と能力なのか?それとも燃料がなくなったので権力機構がなくなった今無意味になった膨大な書類を燃やしながら暖を取り、それでも絶望せずに辛うじて生き延びあるいは死んでいくのか?
「各国に移動した中国人難民は明らかに安らかで平和な日々を送っていた。彼らは死ぬことを意に介しない、すでに一再ならず死んだとすら言ってもよかった。(略)飢餓は呼吸と同じように日常的体験となり、まるで先天的生理の構成部分になってしまったかのようだ。」p488
人類は辛うじて維持され再生してくだろうか、かすかな希望を暗示しながらも、この小説の最後は、どこにも救いの余地のないエピソードで終わる。

「歴史上、大文明の壊滅ということが何度か起こっており、中国の滅亡が絶対にあり得ないと信じる理由はない。」p13
それは確かなことだ、と読者は嫌でも納得するべきなのだと思う。(少なくとも自分の快適な生活と無邪気な対中国優越感を維持したままで「中国崩壊論」を楽しむなどということはありえないのだ。)

『黄禍』

坂口恭平 『現実宿り』読んだ

坂口恭平 『現実宿り』 河出書房新社 2016.10.30 2000円

#現実宿り 読了というか、一応最後の頁までめくって読み終わったことにした(いつも同じだが)。
これは始めての体験だ。こんな小説はほかにはない。
実験的な小説は作者が実験しているのだが、この小説は実験していない。意図に因って構成されている現実というものを忌避しているので、実験などもってのほかだ。では一体何があるのだろう。
砂だ。
砂は書く。わたしたち(砂)はあなたと一緒に見ている風景をそのまま書こうとしている。(表紙より)
「人間はなぜか一人一人の感情にこだわっているように見えた。わたしたちはその理由を理解することができない。」p7
それに対して砂は「いつだって、自分の意思なんてものはそう大した問題ではない。」p8
これが人間と砂との差である。

「わたしたちは黙っていたが、みなそれを楽しんでいた。食欲もあった。しかし、おかわりをするものは誰一人としていなかった。みな慎ましく食べ、食べ終わったものから順に、静かにその場を去った。明日は会えなくなるかもしれないのに、別れの挨拶もしなかった。」p23
これは砂についての描写だが、ふつう、つまり人間についての描写と読んでも違和感はない。つまり砂と人間にはあまり差異はない。大きな差異は上に書いたものだけだ。

つまり人は生まれて去っていくものである、そのように記述することは別に、人間の喜怒哀楽を無視したアンチヒューマニズムというわけではない。人間は喜怒哀楽する。しかし人間のうちには、喜怒哀楽を過剰に喜怒哀楽せず、黙って眺めているだけの存在も同時に隠れている。それが砂だ。

まあそんなふうな感じかな。
ドラマとしての構成はなく、きまった主人公や役割もない。ただとりとめなく文章が流れていくだけだ。それがどうした、と激しく叩きつけても何も返ってこない。
まったく新しい小説、というわけではない。そもそもこれは小説ではないのだ。作者はすでに坂口であるより、砂になりかけているのだから。