松島泰勝氏科研費叩きについて

「科研費叩き」の#杉田水脈 氏が、新しいターゲットに火を付けたようだ。

この八重山新報の記事によると、次のとおりである。

松島泰勝は、琉球民族独立総合研究学会を作った。松島は2011-2012「沖縄県の振興開発と内発的発展に関する総合研究」科研費424万円を取っている。

成果物である論文のタイトルを見れば、「自治と基地をめぐる…」「琉球の独立と平和」…など「地域活性化とはほど遠い印象を受けます」とある。
「中には「尋求自己国家独立的琉球2014」といった中国語の論文も見受けられる。
「国連での記者会見の画像を見ると「琉球民族獨立總合研究學會」と中国語で書かれています。」とあるが、独と総と学が旧字体になっているだけである。「いったい誰を対象に会見をしているのでしょうか?思わず「中国では?」と疑いたくなります。」と書いている。杉田がここで示唆しようとしているのはまぎれもなく「中国(北京政府の)」のだが、旧字体を使うのは台湾である。それに旧字体は本来日本のものでもあり、中国語などではない。それを「中国語」とは支離滅裂なのだが、2つならべて「中国」との深い関わりを暗示できればそれで良いのだろう。

「科学技術立国である日本において、「科研費」はとても重要なものです。しかし、我々の税金から捻出されるその貴重な財源を使って「琉球独立」を主張するのはいかがなものか?」
「今後は科研費の審査や決定の過程、その成果の評価がどのようになされているかについてもしっかり調査していきたいと思います」
この2点が結論部分である。
性急な反論に対して言い逃れできるように、非常に巧妙、暗示的な物言いをしていることに注意しなければならない。同時に大衆の偏見を味方に付けるための巧妙なポジショニングにも。

「科学技術立国である日本において、「科研費」はとても重要なものです。」という発言は、科学技術以外の研究・学問は客観的な評価ができなものであり、無駄なのではないか、という大衆の偏見に訴えている。
「税金から捻出されるその貴重な財源」を使っている以上、その成果を我々に分かるように説明すべきだ、とは「民主的なもの言い」ではある。しかしこれは、(net上でネトウヨと対話したことがある人はすぐ分かるのだが)ある主張を無効化するために、「分かるように説明せよ」と限りなく繰り返していく歴史修正主義者・ネトウヨのテンプレ化してものの言い方に過ぎない。しかしそれは「納税者」への説明、というタームとともに使われる場合かなり強い効果を発する。
ここで杉田が提起しているのは「琉球独立」という「偏向したテーマ」「反日的だと結論付けられる(だろう)テーマ」に、税金を支出することの是非?である。
杉田が、「琉球独立」をテーマとして取り上げたのは、それを自分が気に入らないから、ではない。日本と一体であるべき沖縄という地域が、独立という言葉を使うことは日本の版図が減ることであり即ち反日的思想あり許すことができない。このように煽られればその通りだ、と頷く国民が半分以上いるかもしれない。つまり賛同を得られやすいテーマとして選択されている。
ダライ・ラマがどんなに誘われようと絶対に口にしない言葉が「独立」である。政治的に敏感な言葉だからだ。しかし松島はダライ・ラマと違って学者である。学者はどんな思想であろうと、それを深く研究すべきである。そこに「政治的に敏感さ」を持ち込もうとするのは、日本を中国的な思想・学問の自由のない国にしようとすることである。
twitter上では、琉球王国非存在論者たちがグループを作って数年前から活発に活動中である。彼ら(中心人物は琉球歴女を名乗っているが)は琉球王国数百年の歴史についても、歴史修正主義的語りを準備している。https://togetter.com/li/1133220 などで批判した。
そしてまた、杉田はツイッターのフォロワーが10万5千いる。私の百倍、松島氏の二百倍である。(ちなみに山口二郎氏は57000である)この文章を暗示的な表現だけにとどめたのは、彼女が抑えめに書いてもフォロワーたちがいくらでもえげつなく敷衍し拡散していく。彼女はそれを計算に入れて活動し続けている。(おそらく安倍首相に評価され衆議院議員になった。)
このように、彼女は、この問題については核心部から周辺まで、広範かつ強力な支持を期待できる。いわば、万全の準備の下にこの新聞記事は投下されたわけである。

杉田氏のターゲットは明確であり、「琉球独立」を研究する学問の自由を侵害したいのだ。
大学の外にいる一市民が、学問の自由をどう考えるのか?という問題が改めて問われている。
学問の自由(がくもんのじゆう)は、研究・講義などの学問的活動において外部からの介入や干渉を受けない自由である。
ただし「明らかに反人倫的な生体実験や人類の将来に危険を及ぼすおそれのある研究については一定の規制が必要と考えられている」と制限はあるのだとされる。「人類の将来」ではなく「日本国家の将来」と基準をすり替えるならば、琉球独立論を抑圧することにも理はあるとすることはできるかもしれない。
「納税者」という殺し文句がそういう方向を後押しする。しかしそれは間違っている。

学問の自由はドイツ19世紀に強調された概念である。「市民革命が未完成で市民的自由の保障が不十分であったドイツでは、大学教授に対する学問研究の自由を保障することが不可欠だったためである。ウィキペディア」
沖縄の名護市辺野古において国論を二分する反対運動が起こっている。それは沖縄県と国との対立にさえなってるが、国は強行姿勢を緩めない。かえってtwitter上でのフェイク混じりの反対派攻撃なども支援している。
したがって、今回の松島氏への攻撃も、その一環と捉えうる。ということは「学問の自由」の本旨でもって、松島氏を守るべきだ、ということになる。

国民、その代表(代理)としての国会議員は科研費の「成果の評価」に口を出す権利があるだろうか?私はない、と思う。なぜなら、一つの論文を評価するためには、その学問及びその周辺分野でいままで何がなされてきたか、どのよなう方法でどのように書くのが妥当なのかという知識が必要であるからだ。
任意の国民やその代理としての国会議員はその能力を持っていない。したがって、無理筋の抑圧しか行なうことはできない。
これは、南京大虐殺、慰安婦問題などで、歴史学の成果に反する俗悪本が、多数かなりの部数売れているとしても、学問の水準を満たさなければ、大学・アカデミズムには反映されないのと同じことである。
しかし、杉田氏は隠れもない歴史修正主義者であり、確信犯として攻撃をかけてきている。お前が悪だというだけでは話にならない。
琉球独立論を考えることは、それを支持しないとしても、例えばスコットランド独立や英国のEU離脱を考察するのと同様、ぜひとも必要なことである。これは当たり前のことであるが、熱意を込めて大衆に説かなければならない、情況になってきているのだ。

以上、長々しく書いてきた。
科研費を取ったら説明責任が生じる、は一見正しい理屈だが、責められて説明を始めるべきではない。
1) 経理的説明責任については、「不法行為の立証責任は訴える側にある」言えばよい。けいと @kuzunobankai さん、Dr.t-BuLi (阿修羅降臨) @h_ttt_h さんに教えていただきました。
https://togetter.com/li/1228186 にまとめました。
2)成果についての説明責任は、最低限のものはnet上に公開されている。これについて、思想の自由の範囲で各自が自分の批判を提出する自由がある。それは納税者の権利とは別の問題である。なお、批判は現在までの学問の達成を踏まえていなければ、無視されるだろう。

1)と2)をごっちゃにして、数の力で気に入らない教授をやっつけようとする策動は、感心しない。

次に、(できれば)松島氏の研究概要を読んでみたい。興味深そうだ。