六四天安門事件犠牲者への鎮魂歌

劉暁波の詩集『独り大海原に向かって』が劉燕子・田島安江訳編で、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)という福岡の出版社からこの3月に、刊行された。劉霞の詩集『毒薬』と同時出版になる。訳編者二人の愛情と熱意のたまものであろう。なお、書肆侃侃房は先に劉暁波の詩集『牢屋の鼠』も刊行しているので、彼の詩集は2冊目になる。
以下、その書評。

1,1989年6月4日、中国民主化を求める天安門広場を中心とした学生たちに対して戒厳部隊が襲いかかり、多くの死傷者が出た。劉暁波はその弾圧を中心部で体験した。

あんなにうねり逆巻いていた人々の流れが消えていく
ゆっくりと干あがる河のように
両岸の風景が石の塊に変わったとき
一人ひとりの数えきれない喉が恐怖で窒息し
砲煙に震えあがり散り散りになった
殺し屋の鉄かぶとだけがきらきら光る p7

その場に残ったのは、数個の鉄かぶとだけだ。

ぼくはもう旗が見分けられなくなった
旗はいたいけな子どもみたいだ
母親の死体にすがりついて、泣き叫ぶ
「ねえ、おうちに帰ろう よー! p7

散乱する鉄かぶとの近くに、崩れ落ちた旗が小さな膨らみとして見捨てられている。劉暁波はそこに「いたいけな子ども」を幻視してしまう。
子どもは母親にすがりついて泣き叫ぶのだが、応答はない。なぜなら母親はすでに死んでいるのだから。
六四という巨大な群衆運動が死滅したとき、「ぼくはもう旗が見分けられなくなった」「ぼくはもう昼と夜の区別がなくなる」。ぼくは母をなくしたいたいけな子どもに還元されてしまう。「すべてをなくした」。
「いのちは壊れ、深く沈んで/かすかなこだまさえ聞こえない」

「生きている限り、死のことはわからない」
一周年追悼、詩人の自己は「いたいけな子ども」になってしまったのか。そこにはただ「殺し屋の鉄かぶと」があるだけだった。

2,一年後、「ぼくは生きていて/過不足ない悪評もあびせられる」と劉暁波は書く。ぼくは生きているが君は、「十七歳は路で倒れ/その路はそれきり消えてしまった」。

花を一束と詩を一篇ささげるために
十七歳のほほえみの前に行く
ぼくにはわかっている
十七歳は何の怨みも抱いてないと p18

「十七歳は路で倒れ/その路はそれきり消えてしまった/泥土に永眠する十七歳は/書物のように安らかだ/十七歳は生を受けた現世に/何の未練もなかったろう/純白で傷のない年齢の他には」

劉暁波は彼をことさらに「何の怨みも抱いてない」「何の未練もない」と形容する。彼はただ17歳の一人の人間存在であった。そしてそれが中断された。死者に怨みを背負わすことはできない。すべては生者であるわたしたちが引き受けるしかないのだ。
劉暁波ができることが、「花を一束と詩を一篇ささげる」ことだけであったとしても。

3,

夕暮れ、すぐ近くに
血まみれの死体がひとかたまりになって
横たわっていた 撃ち抜かれて
大きな穴の開いた頭は
黒々として血なまぐさい
板の木目に染み込んだ
つぶれた豆腐のような白いもの
あれは何だ p95

十二周年追悼と副題されたこの詩は、奇妙なことに死体のそばにたたまたあった一枚の板の視点から書かれている。

見向きもされない一枚の板だけど
轢き殺そうとする鋼鉄のには歯が立たないけど
君を助けたい
君が気絶して倒れる寸前でも、死体になっても p97

君を助けたいという非望の直接性と不可能性を見事に作品化している。

4,

あの日に起こったことは
一種のいつまでも治らない病だ
祖先が近親相姦をつづけ
代々遺伝して伝わってきたものが
皇帝の精子の中に潜伏し
それが命運となった P58

この詩行は、日本人が読むとちょっと違和感がある。「祖先が近親相姦をつづけ/代々遺伝して伝わってきたものが」と言えば、万世一系の天皇をいただく日本の、アキヒト氏の精子にずっと濃く含まれているはずだ。「この民族の崩れた健康は/五千年かけても治せはしない」とも書く。しかし、中国は日本より大きいし、それが一つの民族であるというのは中国共産党系のデマゴギーでしかない。(中国共産党政権は、「中華民族」を「漢族と55少数民族の総称」と規定している。)

どうして、あの日、腕を
夜半から黎明まで
真紅から青黒くなるまで振り上げたのに
我々は人殺しの足もとに跪いてしまったのか p61

それにしても日本人は、「どうして、我々は人殺しの足もとに跪いてしまったのか?」と問いを立てたことは一度もない。
天皇制を糾弾する声を上げる人は居るが、自分が天皇を全面肯定した憲法1条の下に戦後の繁栄を享受したことを抑えた上で批判するのでなければ無効であろう。
全共闘運動から50年、彼らの(わたしたちの)「自己否定」が嘘だったのでなければ、「どうして、我々は人殺しの足もとに跪いてしまったのか?」という問いを自ら引き受けた上で、別の答えを出していくことが必要である。

「我が民族は/この宿病ゆえにすべてをコントロールしてしまえる」と劉暁波は言う。わが民族が免れ難い欺瞞性、恥知らずをその本質に持つという発想はもちろん、修辞でなければ錯誤にすぎない。
それが本質であるなら脱却することは不可能なわけであり、指摘しても無駄だということになる。劉暁波は既に獄中で死に、つまりそれは殺されたと同じであり、少なくとも彼の死まではこの本質は貫かれた。死後10年後、20年後になれば、アリバイ的な名誉回復が行われるかもしれない。それがアリバイ的なものでしかなければやはり「本質」は生き延びていることになろう。
現実がどうあれこの本質規定は有害無益なものだと私には思える。しかし実践的解決がどんな形であれもたらされることがないなら、わたしの主張もあまり意味はないのかもしれない。

なお、この詩集は、「天安門事件犠牲者への鎮魂歌」、「獄中から霞へ」、長編詩「独り大海原に向かって」の三部から成る。ここでは鎮魂歌にしか言及できなかった。