一国二制度から天下主義へ

 許紀霖という人の『普遍的価値を求める』という本が非常に興味深かった。
 かってわれわれは、キリスト教(神を中心とした外在的超越性)や儒教(内面と天理が合一する内在的超越性)あるいは他の宗教が与える究極的な価値とともに、生きることができた。(p164)しかし今や、先進国は自由、自由主義の下に生きている。自由、平等、公正といった個人の自己選択を保証する制度的条件が整えられ、人はすべてを決定する理性を持って生きていくことになった。自由主義は、社会の不正義によって生み出された苦難に対しては有効な救済の方策を持つのだが、日常生活や存在意義に関わる苦難や死に対しては、基本的には白紙の答案しか出せない。
 自由主義は価値の多元性を認める。自由・平等・公正という正しさは強調されるが、精神的秩序の「よさ」や「善」の問題については、答えない。絶対的な善と悪の間で選択を行うには、道徳的理性というよりも、信仰(あるいは内在的良知)に由来する意志や決断の方を必要とする。キリスト教や儒教など、「枢軸文明」と著者は言うのだが、その豊かな「善」の資源を再吸収していくことが必要だ。
 人が人として生きていくことの困難、日本ではそれはかって想像されなかったさまざまな形で現れているが、自由主義によって救いえないものだ。「枢軸文明」からより多くのものを汲み取る必要はあるだろう。

 さて、すべてのものから独立した〈近代的主体〉の自由な権能といったもの、それを至上化したものが〈近代的国家の主権〉であるかもしれない。近代的主体を前提にする哲学はポスト構造主義によって批判されたが、政治的領域においては近代国家の至上性(主権)は疑われないままだ。それどころか、一部の学者の世界ではなぜか今頃「シュミット主義の亡霊」がもてはやされる。SNSなど最新のメディアでは排外主義的言説がポピュリズム的に繁茂する。
 いま私たちは、苦しくとも、西欧と東アジアを古代から深く掘りなおし読み直すことなしに、再出発できないのではないか。

 この本は難解な面も多いが、誰でも分かるようなモチーフが二つある。
 いま世界中の人が認識するしかないことは、中国の巨大化である。世界の覇権国家である米国と対等な国力をつけつつある。
 そこで思い出すことができるのは、清朝に至る過去の大帝国である。帝国は、強大な権力を範囲内の人民に直接押し付けるといった形態を取るものではない。「漢民族が住む地域は中心にある十八省で、清朝は歴代の儒家の礼楽制度を継承し、中華文明によって中華を統治した。それに対して、満州族、モンゴル族、チベット族が住む辺境地域では、ラマ教を共通の精神的な絆とし、統治方法はより多元的で、弾力的で、柔軟であり、歴史的な持続性を維持した。」(p69)
 それに対して現在の中国は、自分たちの統治意識への同化をチベット、ウイグルに押し付け、彼らの宗教を破壊しようとし、全面的な反発を力で抑え込もうとしている。ウイグルには百万人もの収容施設があると、西側諸国にも知られ糾弾されそうになっている。なぜ清朝のようにうまくやれなかったのか?

 もう一つは、韓国、ベトナム、日本などとの関係である。
 「伝統的な中華帝国には万国来朝の盛況があった。重要なことは、それは周辺国家が帝国の武力制服を恐れたからではなく、先進的な文明と制度に引きつけられたからで、そうした文明の吸引力こそが国家のソフト・パワーにほかならない。」(p76)
 これができなくなったのは、中国が限定された領土、領民に対する独占的排他的支配を自らうたう近代国家としてアイデンティフィしているからだ。近代国家であるには、中国は大きく成りすぎた。大きくなりすぎた米国が、人権の普遍性を振りかざす姿勢を持ち続けることしかできないように、中国もなんらかの「普遍性」を強く打ち出すしかないだろう。

 許紀霖が依拠しようとするのは、儒家、道家、仏教など古代からの中国の伝統である。キリスト教、ギリシャ思想などと合わせて、ヤスパースに習い「枢軸文明」と著者は言うのだが、その豊かな「善」の資源を再吸収していくことが必要だとする。
儒教は、一人称の小我を越えて、天下、人類の大我を目指していた。ひとつの地域に限定されることを自ら欲する近代国家と違い、「天下は天下のひとびとのための天下である」(p60)中国人は常に「天下」において考えていた。そして、天下の価値は普遍的でありヒューマニズムだ、と言いうる。

 中国は近代国家であり、少数民族であろうとその一人ひとりはそれぞれ国民として完全に平等に尊重されることになっている。しかしその現実は求心的すぎる国民国家の基準をマイノリティに押し付け、民族文化を破壊するかに至っている。
 「伝統的な帝国の多元的な宗教と統治の制度を参考にして、儒家を漢民族の文化アイデンティティに記号とし、また同時に、少数民族の宗教、言語、文化の独自性を保護して、少数のエスニックグループとしてのかれらの権利を認め、制度的な保証を与えるという考えもある。それによれば、「一国二制度」は、香港、マカオ、台湾において運用される国策であるだけでなく、辺境の自治区に対しても拡大すべき統治方針であるということになる。」(p74)
(2020年8月にこの日本語訳は日本で出版されたが、丁度そのころ香港における「一国二制度」の持続を求める運動は、完全に潰されたようだ。しかし、許紀霖は百年単位で思考しているわけだから、何らかの逆転はありうるかもしれない。)

 また、大きな国際問題になっているのは、東シナ海、南シナ海のたくさんの島嶼についてである。それぞれの島に対して、それがどの国家の領域であるかを厳密に確定すべきだという思想は東アジアにはなかった。島は共同で使用されるものだったのだ。海に近代の主権という境界を存在させるべきでないだろう。(p80)鄧小平「擱置争議、共同開発」は古代の天下主義の智慧を発揮したものだった、と考えうる。日本の田中、大平もそれを了承した。それを覆したのは、(おそらく米国の意志を受けた)一部の日本の外務官僚である。

 とにかく、中国が自らを近代国家としてアイデンティファイするのは、愚かなことだと許紀霖は言っている。
 「これは中国の内政で、外国人がとやかく言うのは許さない」「これは中国の核心的利益であり、他国の干渉を許すことはできない」(p76)といった言説は、たとえ国際法上は正しくとも周辺国の反発しか産まない。そうではなく、友好こそが相互の利益を産むと、それを中国は一貫して追求してきたことを思い出すべきだ。

 近代国家主義の原則を相互に大幅に緩めた例として、数百年の憎悪と流血の果に手に入れたEUの体験を参考にすべきだろう。

 2001年9月のいわゆるイスラム原理主義によるテロ事件に対して、面子を失った米国はアフガン・イラク戦争を開始したが、結局中東地域に平和と安定をもたらすことに完全に失敗した。人権を大事にするはずの先進国も、シリアやイスラエルによる国民に対する広範な人権侵害を見逃さざるをえない状況になっている。「西洋と異なる中国的な近代化モデルが台頭し、右翼ナショナリズム及びポピュリズムの嵐が世界的規模で吹き荒れました。pⅳ」
 つまり、「今日の世界は普遍性を失った時代になっている。」このような時代に、何を基準にものごとを考えていけばよいのか、許紀霖は冷静に問い尋ね続ける。

(備考)
許紀霖氏は、1957年上海生まれ。20世紀中国思想史研究。
『普遍的価値を求める  中国現代思想の新潮流』
許紀霖:著, 中島隆博:監訳, 王前:監訳, 及川淳子:訳, 徐行:訳, 藤井嘉章:訳
叢書・ウニベルシタス 1121 2020年翻訳刊。
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01121-4.html
参考:中国の「新天下主義」について−許紀霖『普遍的価値を求める』を読む 子安宣邦
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/84281039.html

権力闘争と儒教思想

連続TVドラマ『開封府 北宋を包む青い天』を見て

なかなかおもしろい。全58話もあるが毎日楽しんで見ることができた。(うちのケーブルテレビでは無料だった。)

死刑は何のためにあるか?それは人々いや正確には、官僚たちに皇帝を畏怖させるためにある。
このドラマは帝国権力の原点が、どのようなダイナミズムにおいて存在するかを分かりやすく描いている。
武官でありながら強い野望を持つ張徳林と文官を束ねる王延齢が二大勢力である。具体的権力は彼らが持っており、宮中も彼らに逆らうことはできない。逆らえば炎上させられてしまう危険がある。また時として彼らは対立し内戦状態にならんとする時もあった。しかし、二人は嫌々ながら協力して自己権力を保っている。それは名目的な第一権力宮中がただの名目に留まらない存在感を常に要求してくるので、対立している余裕がなくなるのだ。

中盤の最も長いお話(陳世美が中心になる)を取り上げて書いてみる。(ネタバレ)
かつて均州から共に上京した5人のうち、3人が殺された。残るは駙馬(皇族の夫)の陳世美と行方知れずの韓琦のみ。
秦香蓮は三年前科挙を受験しに上京して以降行方不明になった夫岑旺祖(陳世美)を探している。探し続けた夫を眼の前にして、包拯に問いただされた秦香蓮は数年間求め続けた真実が眼の前に居るのに、それを否定してしまう。夫の皇族としての官僚としての立場を守るために。権力の配置によって、真実(言説)がくるっとひっくり返る見事な例である。

秦香蓮はどんなことがあとうとも夫を信じ抜こうとする。対幻想の極限とも言える。ひとつの思想を解体することは、似たような体験から学ぶプロセスを経ることで達成しうる、というのがこの長いドラマが教えることだ。
本来秦香蓮母子を殺せと命じられた殺人者韓琦は、隠れ家で秦香蓮母子と暮らすうちに情が移ってしまい、瀕死になりながら、彼らを逃がそうとする。その韓琦を殺したのは陳世美だった。
ここで秦香蓮は、はじめて真実を口にすることができるようになる。それにより陳世美の有罪は確定する。
ところが千年前の中国ではそれは終わりではない。皇帝は張徳林・王延齢配下の腐れ官僚と対抗するための役割を、陳世美に割り振っていた。ここで陳世美を失うことは張徳林・王延齢に対しての敗北を意味する。皇帝の命令で陳世美は釈放される。
しかしその後、ある出来事により再審の機会が訪れる。張徳林・王延齢が二人揃って、陳世美の救命を乞うのを聞いて、皇帝は気を変える。彼は自ら審理の場(開封府)に出向き、義理の妹の夫とした陳世美を有罪とする。官僚として頂点を極めたものであろうと、正義に反すれば死罪に処す。これこそが皇帝権の栄光を宣言することだ。張徳林・王延齢に対して自己権力を主張し確保することだからだ。このような死刑肯定論は興味深い。

権力中枢に皇帝より強い者が居るとき、皇帝はただその強者のための飾り物になる。しかしそれでも権力者(この場合張徳林・王延齢)が影響力を及ぼせない領域もある。公正を貫くという原則を曲げない包拯が支配する司法の府(開封府)がそれだ。そこに乗り込み、直接裁くことはできる。名目上絶対君主でありながら、実際に権力行使できる機会はわずかである。で実際に権力をふるえる機会があれば、自分にすこしくらいダメージがあっても振るう方がよい。そうでないと、権力者の言うがままのお飾りに留まることになる。

ホームズばりの名裁判官物語を期待すると、それは裏切られる。包拯がそのような名推理を披露する場面はない。推理によって犯人を視聴者に対して明らかにしたとしても、その犯人が権力者(張徳林・王延齢)の関係者あるいは宮中の関係者である場合は、実際の解決にはつながらない。
事件はたいてい次のような経過をたどる。犯罪者たちは真実の隠蔽のために、証人を殺したり、さらに悪行を重ね、それは反発、波紋を広げる。それをすこし遅れて突いていくことで悪行は公的なものになる。つまり皇帝の前で明らかになることになる。

常に遅れてではあっても、公正が辛うじて実現していくのは、権力者(張徳林・王延齢)が弁解ができなくなると、包拯の「不正を憎むという論理」に、同意していくからである。皇帝はもちろん公正な裁きを自己の権力のために必要とする。王権は権力から遠い無数の民たちのために行使されなければならないという、儒教思想が共有されている。張徳林はやり手の息子(次男)という後継者を持ち、宋王朝(劉氏)の簒奪に成功する可能性はあったようにドラマでは描かれる。ただし「簒奪」とは、張氏がただ強引な権力者であるだけでなく、常に公正な支配者であり続ける(フリをする)数十年を経てのものだ、ということも張父子は強烈に意識している。

支配のための技術としての儒教思想というものを、この長いドラマでリアルに理解することができる。

本来の儒教思想を包拯とともに代表するのは、歴史にも名が残っている范仲淹(はんちゅうえん)である。
このドラマは、最終回であまりにもドラマティックに盛り上がった末、ハッピーエンドで終わる。つまり、包拯と范仲淹は勝利し、皇帝の下で科挙改革などに取り組んでいくことになる。しかしほとんどの官僚は必然的に腐敗するという法則があるかのように数年後、范仲淹はまた都を追われることになる。とってつけたようなアンハッピーエンドである。ただ中国二千年の官僚制の歴史(現在も続く)の中にいる中国民衆は、ハッピーエンドではどうも落ち着きが悪いのかもしれない。

蛇足:このドラマは武侠アクションという面もある。それを支える展昭(てんしょう別名南侠)、廬方(ろほう)、錦毛鼠は清代の小説『三侠五義』に包拯とともに登場する人物。大学者兪樾(ゆえつ)も愛した。 

大西つねき氏は生命選別論でもない

大西つねき氏の「生命選別しないと駄目だと思いますよ」という発言が取り上げられ、かなり強く批判されている。
批判対象になった、大西発言文字起こし

しかし、彼の本意は「とにかく長生き、死なせちゃいけない」という思想・制度が正しいのか、幸せを生んでいるのか?、というところにあっのだと思う。

例えば、twitterでは、thisgamewas さんという方が、
“高齢者をとにかく死なせちゃいけない、長生きさせなきゃいけないって言う政策を取っていると”、という一文を引用して次のように続けている。(この文章は実際非常に重要である。)

「大事なのはここでしょ。
実際にいまの日本でお年寄りが倒れて病院まで運ばれたら自然死は選べないよ。
医師の判断で管を外す事はできない。

自分の身内を含めて、たくさんのそういう高齢者を俺は見たよ」https://twitter.com/thisgamewas/status/1281436982749454336

「いのち」というものが、殺してはいけない聖なるものとされることによりタブー化され、ほとんどの自由意志と身体の自由を奪われるままに、病院のベッドに横たわり続けることが「健康上の正義」だとされる。そのような制度を日本全体で作っていることに対して、根本的に考え直すべきだ、と大西は言っているのではないか。

むりやり多くの「管」をつないで、多量の薬を入れて、むりやり生きさせられる(スパゲティー状態)。その数ヶ月。
回復すればよいが、そのまま死んだ場合、その数ヶ月の「生」とは何なのか?病院でむりやり生きさせるのは、かならずしも正しくない。そう考える人は多いはずだ。
しかし、ではどうすればいいのか。人はどのように死を迎えるべきなのか? 難しいがもう少し考えてみよう。

生きること/死なせること、の二項の間に 危険をおかす/安全のために閉じ込める(介護者の意見を聞く) というもう一つの 選択を考えことができる。
介護者(医療者)の健康のためにあるいは安全のためにという言説により、当事者の自由・行動が抑圧される。これが〈健康による抑圧〉である。

現代社会は膨大な病院群をかかえている。人々を病気であると名指し入院状態から離脱させない効果を持つ言説の方が、病院の経営のために有利であればその方がもてはやされるということが起こりうる。これがはっきり観察できるのが、精神病院についてである。諸外国では入院はどんどん減っているのに対して(イタリアでは40年前に原則ゼロにした)日本でだけ入院者数が減らない。その最大の要因は、入院者が多い方が私立病院の経営が安定するからだ、と言われている。患者の健康という口実の下に、患者の自由が奪われているわけである。

超高齢化社会においては、自分の身体の(あるいは親しい人の)不具合、病気、死といった時間とどうつきあっていくのかという問いに、私たちは向き合わざるをえない。具合が悪くなれば入院し1,2週間で退院していくといったサイクルはもはや期待できないのだ。いわば「with病気」であるところの生を、生きざるをえない。このような時代になってしまったからには、生きることの主導権を医療者の側から奪還し、痛みと危険と共に生きる権利を、そのための勇気を獲得していくことであるだろう。そういう答えが正しいのかどうかは分からない。ただそうした困難な問いに一人一人が向き合う覚悟は必要になる。

死をタブー化し、ひたすら遠ざけようとするのはもう止めよう。
「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」という西行の有名な短歌がある。「出家遁世」(しゅっけとんせい)というものが当たり前だった時代の感覚は我々には分からない。しかし世俗の価値観をいったんまったく捨て、美を希求するというただその一心において生き、その情景のなかで死を迎える。20世紀は金銭と欲望と消費というモデル、つまり明らかに若者向けの時代だった。21世紀の超高齢化社会は、それとはまったく違ったモデル、年寄りがどう生きるのが美しいのかのモデルが必要なのだが、まだ形成されていないようだ。

今日は体調が悪いと思っても、愛犬のために散歩に行く、とかもささいなことではあるが、そうした一例になりうるだろう。その犬を愛するという具体的な関係、具体的な行為、具体的な危機を生きることを終わりまで辿らないと、死はやってこない。死を自分のものにするためには、大きな愛が必要なのだ。単純にボケていくといった生き方もある。その場合も自己を肯定し気弱にならないためには、やはりそこまで積み重ねてきた自信が必要ではないかとも思う。

わたしたちの社会は、金銭や仕事についてだけ価値を認める社会である。それは言い換えれば、金を持っていない失業者は自由になれ!すなわち死に至る自由を行使せよ!といった圧力が普段に働いくということだ。それが実際に実行され貧しい高齢者が「殺されて」いく危険性は高い。今回、大西氏の「生命選別しないと駄目だと思いますよ」「社会的選択を していくしかない」という発言は、広くヒステリックな批判を招いた。それは、そのように「高齢者」「障害者」を「殺していく」イデオロギーとほぼ同じものがそこにあると、解釈されたからだろう。
それはもっともなことだし、したがって、「生命選別しないと駄目だと思いますよ」「社会的選択を していくしかない」という言葉自体は謝罪し撤回すべきだろう(たぶんしているようだ)。
だが、大西つねきの投げかけた問題、1,2で書いた問題はそれとは別に、大きな問題として残っている。

ところで、「大西つねき氏の動画内での発言は、れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない。」

7月7日付け
で、れいわ新選組は言っています。

しかし、大西発言の一部「生命選別しないと駄目だと思いますよ」「社会的選択を していくしかない」などには、上記3で検討したように大きな問題点があると思う。
したがってそれに対して組織的対応がなされるのはおかしくないのだろう。
しかし、私が強調したいのは、「命の尊重」を表向きは掲げる現在の医療の全体がかなりおかしな歪みをもった現状になっているということを、まず認識すべきだということです。しかしこれは難しい問題であり、各人によっても認識は異なるものでしょう。そしてそれに対してどうしていくべきかについても、すぐには一致できないだろう。であるとしても、これが問題になった以上、各自がより深くこの問題について考え議論していくことは必要になるだろうと思う。
また、普遍的な問題についての理解において相違がある各自がなお、現状において具体的問題_回答において一致しうるという形で、政治的に共闘していくということは可能であると思う。れいわにはそれを追求していってほしい。

黄晳暎『パリデギ』、火の海・血の海・砂の海を越えて


『パリデギ』
は黄晳暎(ファン・ソギョン 1943-)という韓国の作家の書いた小説。
副題が「脱北少女の物語」という。2008年に刊行されたこの本は前に図書館で見たのだが、脱北女性の物語は『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』斉藤博子著
映画マダムBなどいくつか知っているので、すぐに読まなくてもいいかと思ったのだ。

飢餓に至る困窮に対して、道端のクズを拾って売るなど血みどろの労苦の末に生き延びるリアリズムを、そうした本は表現している。それとそのような境遇を強いた国家(金一族)への呪詛と。

一方、この本はそうした本とはかなり違っている。
主人公は夢見る少女である。ただその夢は甘くふわふわしたものではない。困窮のうちに数千年生き延びてきたアジアの低層民が語り伝えてきた奇妙なおとぎ話。
ある春の日。門を開けると、私(5歳)より少し大きな女の子が立っていた。その子は白い木綿のつんつるてんのチマ・チョゴリを着ていた。主人公のパリは霊感の強い少女だった。それはおばあちゃんから受け継いだものだ。「あれはね、伝染病の鬼神なのさ」とおばあちゃんはいう。柳田國男的な話。

パリ一家は豆満江沿いの国境の町に引っ越す。
「前に美姉さんと豆満江に行った時、水に浮かんでゆっくり流れてくる人の姿が見えた。幼な児をおぶったままの母親の死体だった。きっと、母親と子どもが一緒に死んだのだ。美姉さんと私は、以前ならびっくりして悲鳴をあげ、誰かを呼びに走っただろうが、その時は息をこらして見つめていた。死体の後ろには、解けて長く伸びたねんねこの帯が揺らぎながら流れていた。」
数百万人が餓死したとも言われる90年代中期の北朝鮮。その悲劇を黄晳暎はこのように静かに描き出す。死体が流れてくる、それに対して悲鳴も上げずにじっとながめているまだ幼い少女たち。そこには、無残な死が幾分かは自分自身の未来にもあるかもしれないといった予感さえ孕まれていたかもしれない。

飢餓が激しくなるころ事件が起こり、一家は離散する。パリは賢(ヒョン)姉さんとおばあさんとともに川を越え、中国に入る。中国人の家に一時厄介になるが、そこも出なければならなくなり、裏山に穴を掘り住むことにする。
ここで、おばあさんがパリ王女のお話をしてくれる。その話はパリ王女が、両親とみんなを助けるために、生命水を取りに西天の果にまで行く話。ひとりの悲惨な脱北少女の悲惨な話に、このおとぎ話を二重に重ねていくといった構造をこの小説は取っている。死者や死者の世界との媒介をしてくれる愛犬と幻のなかで交流できるという神秘的能力をパリはもっていた。

物語は本の半ばで大きく回転する。パリは運命のいたずらにより、人身売買の犠牲になり、はるかロンドンに運ばれる。そこで彼女はまたゼロから難民としての生を生き直す。
私が冒頭で上げた2つの脱北女性、斉藤さんは日本へ、マダムBは韓国に帰る。詳しい話は省略するが話は東アジア3国で完結している。
しかしパリデギの場合は遠く、ロンドンに行きそこで終わっているのだ。パリはそこでパキスタン系の青年と出会い結婚する。しかしその相手はなんと911後のイスラム青年たちの熱狂に巻き込まれ行方不明になってしまう。

話が錯綜しすぎのような気がするが、そうではない。この小説はダンテの神曲のように、究極的な問いに答えようとしているのだ。問いとは、なぜ彼らは、300万人を越すとも言われる膨大な北朝鮮人は無残にも、死んでいかなければならなかったのか。その惨禍は数年続き、隣国であり繁栄を謳歌していた韓国と日本は、それを知ろうとすれば十分知り得たはずだ。しかし私たちのしたことは徹底的な無視だった。
飢えて死に、病気で死に、苦しんで死に、痛ましく死んだその膨大な人たちは、何も言えずに死んでいった。「すぐ答えておくれ。どんな理由で、わたしたちは苦痛を受けたのか?」
パリは問いを受け止め、試練の旅を続けざるをえない。パリは魔王と戦い、生命水を飲み帰ってくる。「わしらの死の意味を言ってみろ!」この問いに答えるために。
この問いには答えが与えられるが、その答えはあまり成功しているようには私には思えない。

ただ、「脱北」という巨大な悲惨を、どのような問いとして再構成したのか?
東アジアに閉ざされた国家内部の悲劇として描いてしまってはそれは違う、と彼は思った。
古くさいようなおとぎ話(火の海、血の海、砂の海を越えていく話)と二重重ねすることにより、かえって普遍的な膨大な悲惨の只中の生を浮かびあがらせることができると、黄晳暎は考えたのだろう。

韓国「元慰安婦会見」めぐる議論について

「韓国「元慰安婦会見」めぐる議論、6つのポイント」という論説を、徐台教氏が下記サイトに書いている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20200514-00178504/

徐氏の文章は分かりやすく妥当なもののように思われた。この問題について深く追求していこうとは思っていない。ただ徐氏の文章を読んで、思ったことが少しあるので書き留めておこう。93年河野談話以降日本国内の問題はあまり変わっていないし、日本国内を変えられなかった私の責任(李容洙さんと尹美香さんたち、に対する)もないことはないからだ。メモ的な形で恐縮です。

(1)寄付金に関する疑問
あまり興味がない。

(2)市民団体と被害者の関係性の難しさ
これよりも大きな問題は、ネトウヨあるいは日本の官邸周辺もかって無学だった元慰安婦たちの主体性・思想性を認めようとせず、正義連などに操られているとしてきた。あるいは金さえやれば黙るだろうとして黙らせたりしてきた。それでもだめなら無視し(橋下氏の場合)、死ぬか呆けるのを何十年もひたすら待ち続けた。

(2-2)
脱北民と韓国の北朝鮮人権運動団体との関係と同じように、当事者と運動団体のあいだでは、当事者は団体に利用されたという関係に陥りやすい。当事者は深いレベルで彼女自身に固有の恥辱や被害を語ることによりある意味で見世物になり続ける。一方運動団体は運動の利害、獲得目標、主張に一貫性を持たせるための論理の整合性といったものを大事にする。この限りでこの対立は普遍的なものだ。
(2-3)
普通10年もやっていればそれなりの成果は出るのだが、慰安婦問題は、「解決できない日韓歴史問題」にリンクされてしまい解決できなくなった。このことの責任は、第一義的に「解決できない日韓歴史問題」にリンクさせる方が、排外主義を煽り政権の支持につながるとする安倍政権にある。

(3)韓国保守メディアの狂騒
「朝中東」と称される朝鮮日報・中央日報・東亜日報の保守紙系メディアは、重大な「戦時性暴力」を追及する正義連の運動を「日韓関係の妨げとなる」と下に見てきた。ネトウヨは、嫌韓派として場合によってはかれら「保守派」を強く非難してきたのに関わらず、文在寅政権になってからは彼らの文在寅派批判を自らの嫌韓の素材にするという器用なことを熱心に続けてきた。
今回の反尹美香・反正義連の一大キャンペーンについても、おお喜びで引用し続けるのは間違いない。
しかしながら、李容洙氏本人の最大の恨みの対象は安倍首相とそのフォロワーであるというものごとの根本を無視して、喜んでみても騙せるのは愚かな人だけである。

(4)「親日・反日」フレームの間違い
与党の一部や熱心な文大統領支持者たちは「正義連批判=日本擁護=親日」というフレームで、「保守派」を批判する。しかしそれは違うだろう。
李容洙氏の真摯な告白を「保守派」が反文在寅運動に利用しようとしているだけだ。

「正義連が日韓関係を邪魔している訳ではないという認識を持つべきだ。」にも同意する。

(5)正義連も一つの契機に
30周年を迎えた正義連、という言葉を見る時、30年も解決しなかった「慰安婦問題」の愚かさを改めて考えざるをえない。93年の「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」「歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。」を言葉通りに実行しておれば、こんなことにはならなかったはずだ。すべてネトウヨが悪いのである。

(6)「理解」できる関係を内外に
「30年間、過去のトラウマと闘いながら時には被害者として、時には運動家として責任追及運動を続けてきた李容洙氏が抱える苦しみはどれ程のものか。」温かい理解を徐氏は要請する。わたしも考えてみたい。
徐氏によれば、異常なまでの攻撃性を持つ韓国の保守メディアというものがこの問題のポイントの一つであるようだ。その問題についてはよく分からないが、韓国の保守派と日本のネトウヨの連帯というものがもしあるとしても、それは慰安婦問題はもとより、日韓友好にも役に立たないものだろうと思う。

「週末研 – 沖縄花見」感想

kurameさんという方が書かれたのだろう「週末研 – 沖縄花見」という文章、読んでみた。
http://kurame.egloos.com/m/5362697

パク·ユハ教授とイ·ヨンフン教授にシンパシーを持っている人みたいだが、それはともかくとしてあまり感心できなかった。

このエッセイは、はじまりの部分と
1.国家の暴力と国民の暴力
2.<国民の暴力>に対する記憶と関連モニュメントの不在
3.魂はどう英霊となるのか –沖縄平和記念公園
4つの部分からなる。

この文章は、週末研というグループがあって、それで沖縄花見という小旅行をした感想である。
この方の基本的な出発点は、「軍事政権によって犯された様々な国家的暴力、日本軍によって犯された様々な暴力とそれを利用した民族主義の鼓吹ロジック」という韓国の左派のいつもの論理たちに対する、「ものすごい疲労感」である。この「左派の論理」と同質のものを、沖縄における反戦など言説にもこの方は感じた、ということなのだろう。

ただし、韓国と沖縄/日本ではロジックの構成に大きな差がある。というのは、
韓国では、国家暴力批判は<国民の暴力>への肯定に結びつく。
しかし、「琉球の人々は、日本人からは排除としての暴力を受け、同時に国家による暴力の対象となってきた。 」つまり、国家暴力批判は<国民の暴力>批判にもなる。ということで、韓国と沖縄は対極的である。
とこの方は云うのだが、「日本人にとって(日本国民の無意識において)忘れられた存在が琉球人」なのであれば、日本国家暴力批判は<沖縄県民の(暴)力>への肯定と結びつくという回路は存在するはずだ。現に、米軍基地の有刺鉄線を切ったという罪に問われた山城博治氏は日本国家の進める辺野古新基地反対闘争のリーダーであり県民から広い支持を獲得している。

韓国の国家暴力批判をしているのは韓国の左派であり、<国民の暴力>肯定しているのも韓国の左派である。
しかし日本国家暴力批判しているのは沖縄人(と左派日本人)であり、<日本国民の暴力>批判しているのも沖縄人である。
韓国の左派は現在政権を取り、したがってある程度ネーションと重ねることも許されるが、沖縄人はマイノリティでしかなく独立派すら形成しておらず、ネーションと重なることはありえない。作者はこのリアリティがよく分かっていないので、文章の論旨が通っていないことになった。

「沖縄が日本人に一種の国民的な超自我を呼び起こす対象である理由は、当時の日本人が<国民戦争>をしたからだと思う。」とまで、作者は言っている。日本人がそうした超自我を持っているなら、辺野古新基地建設などとっくに止まっているはずで、残念ながらそうしたものは形成されていないのだ。

「沖縄について考えるとき、日本人の反省は国家的暴力に対する反省と同時に、国民的暴力に対する反省でもあり、すなわち、国民-国家に対する反省であり、二つはきちんと分離しない。」
「日本人にとって(日本国民の無意識において)忘れられた存在が琉球人であり」と書いている方が正しいのであり、日本人は沖縄における国家的暴力すら反省していない。
<日本国民の暴力>については左派日本人すら批判しているとは、私は思わない。

「韓国ではまともな国民-国家が形成されたことがない」なんかずいぶん乱暴な議論だな。
朴正煕(パク·ジョンヒ)が<近代人として韓国人>を作った。
「く韓国人が持っていた日本に対する考え(=近代国家に対する考え)を、ひいては韓国人の<理>をハッキングし、一種のトロイの木馬を注入して、前近代的な方向性を近代的な方向に操作しようとする。 (これについてもっと詳しく知りたいなら小倉紀蔵さんの本を参照)」ふーん。
しかし、左派は朴正熙を独裁者、親日派、さらに倫理的に正しくない存在として全否定する。

「ブラックリストのようなものがあれば彼らにとって最高だ。」朴正熙から光州事件まで、ブラックリストどころか死体がごろごろあるのだから、こうした物言いはいただけない。
光州事件は、「国家の暴力が韓国の<理>を抑圧している」と捉えることはできないんじゃないかな。<理>が明らかにあったのなら無残に敗北することもなかったはずだ。

現在、文在寅政権は「積弊の清算」として韓国社会を大きく変えようとしている。作者はそれに批判的なようだ。
「国家は、親日派から続いた軍部勢力やその追従者たちが操縦する怪物のようなものとして描かれる」、文一派は国家を平板化し道徳的な形で全否定すしてしまう。彼らの想像力の中における親日派と正義のわたしたちの対立図式だ、とする。

私は韓国政治のことを一切知らないのでこの方の批判の正否を判断できない。しかし、文在寅を支える勢力は、「積弊の清算」などだけを目的にしているわけでもないだろう。最低賃金を上げるなどの労働政策、交通政策、弱者のための「出かける福祉」、参与連帯などの行政監視運動などさまざまな分野の活動があると聞いている。単一の「反日」派などというものではないことは、民主労総と文在寅の対立を見ても明らかだろう。
左翼勢力の側から大挙metooの告発事例がでたというのも、滑稽かつ悲惨な例ではあるが、単一の「反日」派の非存在を証している。

文一派は観念的かつ統一的ないわば神学といったものに依拠していると、作者は考える。
文一派の神学の女神が「平和の少女像」であるなら、それを転倒すべき〈鍵〉は「韓国では忘れられており、絶対に認めたくない<自発的な>日本軍への参戦者と日本軍慰安婦たちの<肯定的な>記憶」(パク·ユハ教授とイ·ヨンフン教授が発掘した)だと作者は云う。
「韓国人が正しいと信じていた両極端的な善悪観に決定的な分裂をもたらすもの」なんだ、と作者は云うのだが、そうだろうか。

例えば、集団自決というのは日本軍が沖縄人を殺したのではなく、例えば「沖縄人の母親が我が子を手に掛けた」といった事例もあった。そうした事実は沖縄県内や日本の左翼においても別に隠蔽などされていない。直接的ではなくとも日本軍による加害という構図のなかでの出来事であったと理解される。
「韓国における<自発的な>日本軍への参戦者と日本軍慰安婦たちの<肯定的な>記憶」といったもののそれと同じ構図のものに過ぎないと思われるのだが、違うのだろうか。
日本軍慰安婦たちが日本軍との関係においては被害者だったと、パク·ユハ教授も認めているはずで、それ以外がそれほど大事なことなのだろうか。よくわからない。
日本軍への参戦者と日本軍慰安婦に自発性があったという認識が糾弾される韓国国内のあり方について私は知らないので論評できない。しかし私の理解するところでは挺対協はフェミニスト団体であり、元日本軍慰安婦に対する戦後韓国社会の抑圧を家父長制として糾弾しているはずだ。つまり挺対協は反日団体ではないはずだと思うのだが、私の認識は間違っているのだろうか?

国民的反省、国民的超自我を形成することを作者は求めているようだが、よくわからない。それは文一派は国民的主体を形成しつつ在ると自負していることと、論理的には何処が違うのか。

第三章の感想については省略する。

(ところで「韓国左派の方が、北朝鮮に対して人民たちが受ける苦痛と人権弾圧は完全に無視して、金氏一家に好意を抱くのは有名な話」とするならば、それは致命的な過ちであり糾弾するしかない。)

韓国の方がたまたま、日本語で書かれたブログを読ませていただいた。本来それほど広い範囲の読者を想定している文章ではないのかもしれない。
ただ、パク・ユハ氏の『帝国の慰安婦』にしても、私はその本自体よりも日本におけるそのフォロワーたち(有名な作家、学者など)の存在に非常に腹を立ててている。パク・ユハ氏も『反日種族主義』も日本に持ってくると、間違ってベストセラーになってしまう、パク・ユハ氏も眉をひそめるようなネトウヨまがいが大量に存在しているためである。


今回の文章は、非常に興味があるテーマを扱っているので、感想を書かせていただいた。

1894年7月23日の朝鮮王宮占拠

7月ソウルへ、4日ほど行った。帰ってきて、徴用工問題からホワイト国除外問題、韓国側の反応や韓国からの旅行者が激減してしまったこと、あいちトリエンナーレでの「慰安婦像」に対する河村名古屋市長発言など、日本人の韓国認識の根幹に関わる問題が起こり、日韓関係は最悪となっています。この間わたしも少しだけ韓国について勉強しました。今まで不勉強だったことに今更ながら気づいた、わけですね。

1895年日清戦争において日本は短期間の戦いで、3億円以上の賠償金を獲得しました。これは、日本の大国化の途中の最も輝かしいできごとでした。主人公は外相陸奥宗光。「力ある者が何でもできるのは、帝国主義時代のならいである」、それを「冷静、現実的」にやりとげた「陸奥外交」こそ帝国主義の真髄である、と岡崎久彦は書いています。(1)

1894年東学の乱がおこると、「清国は朝鮮政府の要請を受けて出兵するとともに、天津条約に従ってこれを日本に通知し、日本もこれに対抗して出兵した。農民軍はこれをみて急ぎ朝鮮政府と和解したが、日清両国は朝鮮の内政改革をめぐって対立を深め、交戦状態に入った。」と山川出版社の『詳説日本史』には書いてあります。

戦争を始めるためには大義名分が要ります。「この上戦争の〈名〉はいかが相い成り候や、日本より無理に差し迫り、〈無名〉の戦争と相い成らざるよう祈る」と明治天皇側近も心配していました。(2)
「1876年江華条約一条に「朝鮮国は自主の邦にして」とある。現在朝鮮に清朝の軍隊が居るのは条約違反。撤兵要求しそれに応じないときは日本が代わって戦う。」というのが陸奥が考えた戦争の大義でした。

しかしその為には朝鮮政府から日本政府が「清軍駆逐」の依頼をもらう必要があります。しかし朝鮮王はださない。ではどうするか?

すでに1894.6.2日本軍は仁川に上陸していました。陸奥外相以下日本の総力をあげて、ソウルの朝鮮軍を一掃する計画が作られ、実行されました。
その核心部分は、王宮占拠、国王の捕獲、大院君を担ぎ出し日本の傀儡とすることです。

1894.7.23の王宮占拠の詳細を、金重明「物語朝鮮王朝の滅亡」という本から転記してみます。

 漢城の日本軍は、周到な準備の末七月二十三日深夜、朝鮮の王宮、景福宮を取り囲み、一隊を王宮内に突入させた。
 まず工兵隊が迎秋門の爆破を試みるが、爆薬が不足してうまくいかない。斧で打ち破ろうとするがこれも失敗する。最後は何人かの兵に塀を乗り越えさせ、内外よりのこぎりでかんぬきを裁断して、門を破った。この作業に手間取ったため、迎秋門突入は午前五時頃となってしまった。
 王宮内に突入した日本軍は国王を擒(とりこ)とするため、ただちに捜索を開始する。
 当時王宮侍衛隊は精兵といわれていた平壌の兵五百から編制されていた。王宮侍衛隊は四倍以上の日本軍に対し果敢に抵抗した。銃撃戦は数時間続き、双方に死傷者が出た。しかし衆寡敵せず、次第に侍衛隊は北方へ追い詰められていく。その間、日本軍の一隊が雍和門(ようわもん)内にいた国王を擒にしてしまう。
 そしてついに、王から侍衛隊に、それ以上の抵抗はやめるようにとの命令が下るのである。王命に逆らうわけにはいかない。兵たちは悲憤律慨しながら、北方へ逃亡する。
 日本軍はただちに、王宮と漢城内の朝鮮軍の武装解除にのりだす。分捕った武器は、大砲三十門、機関砲八門、小銃三千挺、雑武器無数であった。
 さらに王宮に入った大鳥圭介は、兵を動員して王宮に所蔵されていた貴重な文化財をことごとく略奪し、仁川港から運び出してしまった。
 国王を檎にした日本軍は、閔氏政権を打倒して、開化派を中心とした親日派政権を打ち立てるのである。(p149)

1894.8.20「日韓暫定合同条款」を日本は朝鮮に結ばせる。第4項が「本年7月23日王宮近傍において起こりたる両国兵員偶爾衝突事件は彼此共に之を追究せざるべし」です。真相を朝鮮側が口にしてはいけないと固く口止めしたのです。
日本政府は、事件当初からこの事件を、偶発的発砲が韓国側からあったので応戦した、という虚偽のストーリーにして、それだけを語り続けました。百年後の1994年に中塚が福島県立図書館で新資料を発掘するまでそのウソはくつがえされませんでした。普通の日本人は教えられていません。

しかし、日韓関係の原点とも言うべきこの暴虐な事件を知っておく必要はあるでしょう。日本国家の汚点であるからこそ。(2019.9.27)
(1)中塚明『現代日本の歴史認識』p215 から孫引。
(2)中塚明『現代日本の歴史認識』p199。

柴原浦子と近代日本

藤目ゆき氏の『性の歴史学』と題されてた本を読んだので、感想を書きたい。1997年出版。不二出版。

性愛、出産、家族といったものは、プライベートにして自然な領域とされ語られず思考の対象にならなかった。しかし実際はそれ自体が、近代によってあたらしく生み出されたといっていいほどの大きな変容を受けているものなのだ。

近代とは何か?近代というものが耐え難いほどの大きな痛み〜裂け目(slits)に向き合うことであるなら、それを端的に示すのは次のようなエピソードだろう。

「洋の東西を問わず、(性病)診断は、これを強制される女性にとって甚だしい恥辱だった。」
「英国植民地のインドでは、1880年代に性病検診の屈辱に耐えかねた女性たちが何千人も逃亡し、逃げ延びる先もなく餓死に瀕したといわれる。
しかし、性病検診の強制を性病予防という「文明」の顕現とみなす人々は、これを歓迎し日本に導入した。」
「「衆妓たとえ如何様ありても、この治療は受けがたしとて或いは声を揚げて泣き、あるいは遁れんとして狂走せしが、一室に鎖したれば、一人残らず改められ、大蛇の口を遁れたるものなかりしとぞ」という暴力的な実施が始まる。
官憲が立会い、衆人監視のもとで下半身をさらされ、またなれない医師が怪我をさせたり、実験材料にされたりすることもあった。逃亡する者、検査日だけ姿を隠す者、さらには自殺する女性もいた。」(p91)

わたしたちは約150年ほど前から近代化を受け入れた。幼い頃から小学校に通い、先生の言うことを聞き理解し覚えていくように自分の身体を変えていく。
公娼制度の導入においては、近代と身体はもっと劇的に出会う。女性のプライバシーの核心とされる性器に、近代の光をあて、注視する行為は、近代というものにはじめて出会う無学な女性たちにとって非常に暴力的なものであっただろう。

そういうふうに、近代公娼制度は日本に導入されていく。
公娼制度はナポレオン時代にパリで始まったもの、軍隊の慰安と性病の管理を基軸とする国家管理売春の体系である。(p409)
日本軍慰安婦制度との対比において、公娼制度は合法的な自然な市民に開かれた制度であるかにイメージされることが多い。しかしそれはまったく違っており、公娼制度もまた基本的に国軍のための制度である。
「日本の公娼制度は明治新政権の下で近代的に再編され、人民収奪体系として機能し、日本の下層階級の女性と植民地の女性たちを組み入れて発展していく。遊郭は地域に巨額な金をおとし商業者を潤し、国家とその地方庁は娼婦からの直接的間接的徴税で莫大な財政収入を獲得でき、軍隊は買春によって性病にかかる心配なく「慰安」される。」(p410)これが近代国家における公娼制の重要性である。

1880年群馬県のクリスチャン民権家によって始まった廃娼運動は91年「廃娼令」を勝ち取る。全国には波及しなかったものの日本キリスト教婦人矯風会などを中心とする廃娼運動は粘り強く続いていく。
しかし、藤目は村上信彦らの先行者と異なりこうした運動への評価は低い。
一つは、「群馬廃娼後の娼妓たちの多くは、他府県で娼妓を続けるか、県内で類似の接客業に転業している」(p101)
もう一つ藤目の強調するのは矯風会婦人活動家たちが持っていた「醜業婦」観である。日本では本来、「売春に従事した女性が「消すことのできぬ烙印をおされるようなこともなく、したがって結婚もできるし、そしてまた実際に婚姻」した。婚姻外の性関係を罪悪視し、「純潔」でない女性に汚名をきせ排除するというのは西欧的価値観」である。しかるに日本の廃娼運動家はこの価値観をしっかり受容した。娼婦はその存在自体が悪であるという窮極の差別に繋がりうるものであり、娼婦たちの救済には役立たない。

このような状況のなかで、柴原浦子というひとりの女性を、藤目は肯定的に大きく取り上げている。

柴原浦子 1887年生 広島県の田舎で生まれ、看護婦の資格を取る。医師と結婚するが間もなく離婚。看護婦に比べ生活の安定を得られる職業である産婆の資格を取る。1910年頃から、出産時の死亡率の改善のため「新産婆」の普及が国策となっていた。
広島県の産婆なき村で開業し、極貧の家庭のためにも献身的に仕事をした。また衛生思想の普及にも努めた。
1920年頃から、「婦人の徳の涵養」、婦人選挙権、産児制限運動などにとりくむ各種婦人運動が盛んになった。
当時の貧しい母親の多くは子沢山に悩んでいた。彼女たちに寄り添おうとして柴原は産児制限運動に邁進する。
1930年、そうした運動の中心地の一つ大阪(天王寺の南方、釜ヶ崎、飛田の近く)に、産児制限の相談所を彼女は開設、相談者が殺到する。貧困による産児調節を求めて為政者とも対立する。
1931年満州事変勃発以降、「産めよ殖やせよ」がスローガンになり、産児制限運動への弾圧も厳しくなる。困難に陥った女性を助けようとする柴原は、非公然の中絶を助けることもあった。お上品な正義感や時代の流れなど気にせず自分が取り組むべき事象にたちむかった柴原は、1933年堕胎罪で起訴され有罪となる。執行猶予中もなお彼女は行為を改めず、1935年再び検挙、1年5ヶ月の実刑判決を受ける。
戦時期は奈良県大和小泉の被差別部落に入り、助産、避妊指導、妊娠中絶を引き受けた。
しかし彼女は「天皇様のためにやっている」と語っていた。どんなに貧しくてもみな「天皇様の赤子」であり平等なのだ、という信念である。

私は彼女の生き方を知って感心した。一方で産児制限や階級闘争についての数限りない難しい論争がある。そのような理論や論争に生涯を傾ける値打ちがあるのか。正しい理論は正しい生き方を保証しない。権力の弾圧に負け何らかの転向を余儀なくされるだけだろう。一方で左翼でなかった柴原は、敗戦までの時期、貧者の生殖の困難という問題を救うという目的を弾圧にもめげず貫いた。
正しい生き方をしたいとは私は実はあまり思っていない。しかし何が正しいのか。正しい思想を獲得することより大事なことがある、という結論にもなる。柴原の生き方を素直に考えると。
柴原浦子は藤目氏以外に取り上げる人もおらずほぼ忘れられているようだが、偉大な人物としてもっと知られるべきではないかと思う。

さてもうひとつ、藤目が肯定的にとりあげているのは、次の運動だ。
戦後1956年、売春防止法が成立の直前、赤線で働く女性たちは法案が通ると、今よりひどい違法なヤクザなどに支配される(青線、白線)に移行せざるを得ないことをおそれ、法案に反対していた。東京都女子従業員連合会を作り4500人が加入した。生業を一挙に違法化し奪う以上、更生資金を要求しようとしたのだ。しかしその要求は相手にされなかった。その国家の態度の背後には、売春婦は醜業婦であるとする廃娼運動女性たち自身の偏見もあったと藤目は指摘する。

1991年金学順のカムアウトからいわゆる慰安婦問題は始まった。日本のフェミニストたちが慰安婦問題を知らなかったはずはない。(同じような名前である従軍看護婦体験者たちが一番良く知っていたはずだ。でも語っているのは見たことがない。)
かって廃娼運動家たちは「大日本帝国の海外膨張を疑わず「醜業婦」を取り締り軍隊を保護せんとする志向と娼婦に心を寄せるよりも妻・母として夫・息子を「誘惑する」娼婦に反感をいだく心性」をもっていた(p323)。戦後国会議員などになっていった彼女たちの後輩たちの心根もそれほどは、変化していなかったのではないか。それが「慰安婦」に対する46年間の沈黙につながったのではないか。まあそのような推測も少しはあたっているであろう。

『性の歴史学』分厚く地味な本だが、いまだ「慰安婦問題」から抜け出せない日本を根底から考える上でも読んでおきたい本である。

自分自身のあり方を見つめ直すことで、新たな創発を起こす

安冨歩『経済学の船出』NTT出版に興味を持っている人が多いようだ。品切れで高価になっているので余計に。

「普通の人の普通の感覚というものは、意外に鋭いものであり、「なんだか変だな」と感じることには、それなりの理由が潜んでいる。」
というのが「はじめに」の最初の文章。
「読者がその感覚を把持し、奇妙なものごとに出会ったときに、「まあいいか」とやり過ごさず、自分自身の内的ダイナミズムに基づいて、独自の思考を展開するための手がかりを提供すること、これが本書の目指すところである」と書いている。

我々にできることは温故知新(論語)だけだ。つまり「すでにあるものについてよく考え、自分自身のあり方を見つめ直すことで、新たな創発を起こすこと」であると。

しかしわれわれはしばしば良識の作動を失う。付和雷同する自動人形になる。
バブル経済やアジア太平洋戦争になだれこんだこと、はては産業革命以来の驚くべき経済発展を続ける人類全体も、付和雷同のうねりだ(と見ることもできよう)とされる。ii

「良識の作動を押し殺す正当化の屁理屈を振り回すことは、まぎれもない暴力である。」本来の常識に敵対するものが、「正当化の屁理屈」である。実は屁理屈にすぎないものが、「社会常識」として大きな顔をして世の中を支配して居たりする。「各人が自分自身の感覚に立ち戻り」さらに「各人の良識の作動を促すマネジメント」をすることができれば、どちらが屁理屈かは分かる。

以上が「はじめに」の最初の部分である。
「自分自身のあり方を見つめ直すことで、新たな創発を起こす」は、彼自身言うように古臭い徳目とも見える。しかし、効率や利潤というものを目指して、わたしたちの社会はむちゃくちゃになりつつあるのに、それに変わるべき価値を提示できていない。そうである以上「創発」という言葉が耳慣れないとか言っている場合ではないだろう。

第2章は、網野善彦の無縁論を扱う。
共同体=有縁/市場=無縁 といったふうに理解されがちであるが、それは(厳密には)違う。
「縁結び→←縁切り」というダイナミックな二つの行為を原理として取り出すことが大事なのだ。p51

アメリカの哲学者フィンガレットは「人間は魔法を使える」と言う。
「我々は日常生活のなかで魔法を頻繁に使っている。たとえば私が大学で歩いていると、向こうから学生がやってくる。向こうも私に気づく。私が笑顔で頭を下げると、学生も一緒に頭を下げて、そのまま無言で通り過ぎる。このとき私は、適切なタイミングで適切な頭を下げるしぐさをすることで、何らの強制力も使うことなく、学生の頭を下げさせることに成功している。」p56
複雑で微妙な操作をうまく組み合わせること、それはあえていえばそこに神秘性を込めることに成功することである。
この魔法は、儒教の「礼」を言い換えたものである。
このような魔法により、人は他人に依存して生きていくことができる。p58

こうした神秘的相互了解なしに、むりやり他人を動かそうとするのがハラスメントである。無縁の原理は、「魔法」がハラスメントに堕落するのを防止する機能を持っているということができる。

わたしたちの社会は、経済学をはじめとする「屁理屈」に厚く覆われている。だからそのことに気づくだけでも容易ではない。しかしこの本を読んで、再出発(船出)していくことはできるだろう。

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