何びとの血も流さずに

 わたしは村上一郎の本を数冊持っている。だいたい30年近く前に買った物でそれ以来読み返していない。昨日キーワード「村上一郎」と「mkimbaraの読書録」を読んで、本を出して見た。1962年に書いた「ルソオの日に」という短文を読んだら、引用したくなったのでしてみます。

 六月二八日に、ぼくたちは、ジャン=ジャック・ルソオの生誕二五〇年記念日を迎える。

 五〇年前、間もなく年号が明治から大正に移るという年の同じ日に、ぼくたちの父や祖父はルソオの生誕二〇〇年を迎えたわけだが、この、大逆事件被告処刑直後の年に、ルソオを記念する行事が、いかに困難な状況のもとに行われたか。--それは、多くの日本民主主義・社会主義の先達にのこされている。また、その困難な行事に参加した、うぶな青少年が、行事を機に、どのような“回心”を体験(エアレーベン)したか、それも記録に残っている。それらの人たちの後半生は情ない末路をたどったかもしれぬ。が、ぼくはこの年の困難な精神のいとなみを尊かったと思う。

 五〇年を経て(略)・・・天下泰平のうちに、書く人も読む人もふくめて、ぼくらはルソオの日を迎えるのだ。ぼくらは、たいした戦いもなく、何びとの血も流さずに、この日を迎えるのである。だがこのようにして得た「民主」の世を、ぼくは、にがにがしく思う。(略)

そして数行のあと、かれはこうした情況への内心の思いを吐き出す。

沌沌。悶悶。そして愚劣。ぼくは「死語する死霊達」に唱和しないではいられない。*1

 村上の文章は適当につまんで引用することができない。一見平明な言葉面の背後に手に負えないほど強く複雑なリズムが潜んでいる。

 ところで、1962年が天下泰平だったとすれば、この30年間は一体何だったのか。天下泰平の自乗か三乗ぐらいか。わたしたちは民主主義あるいはルソオを自明のものだと思っているわけではない。ただの飾り言葉だと思っている。私たちにとって政治とはと問いを発しても、投票に行くか行かないかあるいはどの政党が良いかなどといった愚劣な問いに回収されてしまう。だが本当はそうではないことをわたしたちは知っている。わたしたちの職場でも町内会でも薄笑いの裏に血は流れている。戦わないものには見えないだけだ。だからといって、ルソオや民主主義のうらに、必ず<血>や<デモオニシなもの>の存在をかぎ取らないといけないのか。平和で豊満な日常に常識を持って生きていこうとするだけで充分ではないか。もちろん出発点はそれでいい。だが戦前の大逆事件以降の弾圧や正義無き大東亜戦争の死者たちの圧倒的存在感を察知するやすばやく遠ざかり、イノセントを(無意識のうちに)装ってしまう性癖をわたしたちは持っている。といってもまんざらはずれていないのではないか。

*1:p265『日本のロゴス』国文社 1970

全共闘の終末は何に転位したのか

http://d.hatena.ne.jp/mkimbara/20040111 で、mkimbaraさんが村上の

「たとえばアダム・スミスのモラル・センチメントのセンチメントなどというのは、ドイツ語に翻訳できない」などなどの発言を紹介していた。そこで、以下のコメントを付けた。

 わたしも今日、『転位と終末』という小さな本の4人の討論で、卒論では情念論、ジャスティス、モラル・センチメントなどをやった、と村上が言っているのを読みました。ですがちょっと分かりにくく、こちらの引用を読んで、要は「やはり経験とか感覚とかいうものをばかにしないで煮つめていくというところが」ドイツ系思想にはない、ということが言いたかったのだと分かりました。「一方、ヒュームなんぞ、静かなパッションからジャスティスやモラルを導き出して激しいパッションは捨てていくというようなことで体系をつくり、今の英米の権力は、そういう哲学を意識的無意識的にもっている。つまりブルジョアの思想は皆さんの考えているより勁(つよ)いのです。」とも書いていました。ですから「村上さんはロマンティックではなかった」と言われる趣旨はよく分かります。(野原)

 それに対して、『転位と終末』という本について質問が返ってきた。こちらで説明させてください。この本は、明治大学出版研究会が編集・発行したもの。奥付では昭和46年1月17日第一刷発行となっている。全共闘系学生が自分たちの主催した講演、パネル討論会を自分たちで本にした、気負っていえば“自立を志向した”本だ、と言えましょう。全238頁。目次を紹介すると、

  1. 国家論ノート  吉本隆明
  2. 「擬制の終焉」以後十年-政治思想の所在をめぐって 吉本隆明
  3. 生活・思想・学問  橋川文三
  4. 日本浪漫派と現代  橋川文三
  5. 日本的情念の原点(パネル討論) 大久保典夫、磯田光一、桶谷秀昭、村上一郎(1970.5.31明治大学第20回和泉祭本部企画)
  6. 資料
  7. 後書       となっています。

 考えて見ると70.11.25が三島の自決なので、講演があったがその半年ほど前、本ができたのがその直後ですね。学生たちと三島が共有したものは時代の熱気だけではなかった、がそれ以上のものとしては結晶しなかった。

村上の「赤軍派なら入らないが、赤軍になったら入るのですな、僕は……」という発言が、袖に引用されている。226事件における斎藤史のお父さんのように(滑稽と世間に見られても)登場し死ねた方が村上個人にとっては幸せだったのかもしれない。(三島事件は衝撃的かつ有名だけれども、全共闘派がむしろメジャーだった時代の流れから孤立していたので、ややこしくなるだからここでは出さない方がよかったな。)

当時の雰囲気を思い出すため70.12.14付けの明治大学出版研究会の名前による後記から数行引用しておこう。

 六〇年代の学生運動は、人間を解放し、世界を獲得するためとにといった内容で闘われた。そのなかで、絶対的権威に対する反抗といった形で、新左翼諸党派に対してノンセクト・ラディカルといったものが発生したが、彼らもまた諸党派同様、絶対的価値観による<節操>と<規律>なしに、人間と社会の解放運動をすすめてきたにすぎなかったのだ。そして、彼らは二年間の反権力闘争のなかで強大な権力の前に、もろくも三々五々拡散していってしまった。われわれはここで、セクト、ノンセクトを問わず、その中で誰一人として絶対的価値観と自己の存在をリアリスティックに直視し続ける者がいなかったということをいう必要があるだろう。それ故に、マルクス主義に殉ずる者も一人としていなかった。勿論、自分達をも含めて、この「現実」から左翼総体が恥かしめを受けねばならないであろう。

(なお誤解のないよう付け加えるが、野原は本を買っただけで講演も出版も知ってる訳ではありません。)ですが、何らかの意味で“全共闘派のすえ”であるだろうからしてちょっとコメントしておこう。

  1. 六〇年代の学生運動は、他者の解放というよりもむしろ自己の解放を目的としたものだった。
  2. これは運動の高揚期には盛り上がりやすいが、凋落期には急にしぼむ要因ともなった。
  3. だが運動の凋落は、連合赤軍の敗北や他のどんな原因によるのでもない。自らの思想の弱さ以外にない。
  4. 70年代後半から資本主義的欲望への(強制的)自由の時代になっていった。消費資本主義を肯定的にしかとらえれない吉本隆明と全共闘くずれ。

でもそう主張するなら、いま情況とどう関わるべきなのか言って見ろ!と反問されるでしょう。わたしとしては、30年前から進歩していないので、ここに立ち止まって考え続けるしかない。(迂回しかしていないが・・・)

イラクの被拘束者

 ところで、「テロ関与の疑いでグアンタナモ米海軍基地に収容している660人」はどうなった。彼らにも公開裁判を受ける権利を認めろ。公開裁判ができないのなら直ちに釈放せよ!

旧聞ですが1月8日毎日新聞に下記のニュースがありました。

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/894919/83C838983N-20-28.html

【28】イラク:

拘束の約500人釈放 幹部情報に懸賞金 占領当局 

2004.01.08

 【バグダッド成沢健一】米英占領当局(CPA)のブレマー行政官とイラク統治評議会のパチャチ議長は7日記者会見し、駐留米軍が拘束した1万2800人のうち約500人を8日から釈放すると明らかにした。また、武装勢力幹部とみられる約30人に懸賞金をかけて手配する方針を表した。融和策拡大により、旧政権や武装勢力幹部の拘束に向け、イラク国民に協力を促す狙いがあるとみられる。

 占領当局幹部によると、釈放予定のイラク人は506人。第一弾として8日、バグダッド郊外のアブグレイブ刑務所に収容されている約100人を釈放。その後、数週間かけて各地の刑務所にいる拘束者を釈放していく。対象は旧政権への間接的な協力者に限られ、連合軍を攻撃した実行犯などは除外される。今後攻撃は行わないとの誓約書署名や、地元有力者が身元引き受け人になることが釈放の条件となる。

[毎日新聞1月8日] ( 2004-01-08-01:06 )

 この記事を見て気分が悪くなったのは、イスラエル当局がやってきたこととそっくりだ、ということ。数万人のパレスチナ人を何年も拘束しそれほど多数でない人々を「釈放する」と大きな声で報道する。上記にあるようにこれは「融和策」であり、それに応じて相手は譲歩を示すべきだとされる。だいたい平和な村にやってきて攻撃の前科があるわけでもないのに手当たり次第に引っ張っていく。それで数年後に返すときは感謝しろ!冗談も休み休み言え、というようなものなのだと思います。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031125 にも書いたが、ここでも言いたいことは、(こうした政策は間違っていて直ちに止めるべきだとわたしは思うが、まあーそれとは別に)イスラエルでは当局は長い歴史の中でそういう政策を採らざるを得ない立場に追い込まれているとも理解できる。しかしイラクにおいては違う。イスラエルにおいて長い年月を掛け相手を鎮圧するという効果を生まないことが完全に実証された政策を採るのは百%馬鹿げたことだ。頼まれたかなんか知らないがそんなとこに行く自衛隊員もどうかと思う。

 自衛隊員の責任を問うのは如何なものか、という反論があろう。でも前にも言ったが公務員は命令を聞くだけではなく、その命令が正義に反しないかどうか判断する義務がある、と私は思っています。

続報http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/894919/83C838983N-0-18.html上の記事が当局発表そのままだったのでさすがに気がとがめたのか、続報では、約100人の釈放に対し「刑務所前には釈放を待つ家族ら約1000人が集まった。しかし、多くの人の家族は釈放者の中に含まれず、人々は駐留米軍への強い不満を口にした。」など、釈放を待つ人々の側に立とうとする姿勢があった。

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/894921/83C838983N-0-17.html

ついでに上記から、

 サマワ署のサアド・ムハンマド副署長は「サマワ市民の多くは仕事がなく、空腹の状態が続いている。自衛隊派遣が雇用創出につながらない場合、市民の落胆は大きく、派遣は失敗するだろう」と話している。

それは愛ではなく

 去年のノーベル賞受賞者J・M・クッツェーの土岐恒二訳『夷狄を待ちながら』が集英社文庫になったのでさっそく買ってみました。『夷狄を待ちながら』は大傑作です。*1みなさん本屋さんで手にとってみてください。異文明との接触を描くSFのようでもありストーリー的にも起承転結がはっきりしていて面白く読みやすい。*2

 クッツェーは1940年南アフリカ生まれの白人。この小説の舞台は架空だが、18世紀末の東ケープ地方をモデルにしているらしい。先日書いた南アフリカの歌劇「ウモジャ」と共通点はないこともない(強弁だが)。ウモジャは愛と性のドラマなのだが、恋愛ではない。黒人の部族においては愛と性は一対の男女において始まるものではない。それは、女の同年齢集団と男の同年齢集団とのコミュニケーションとして存在する。そうした時代はすぐに過ぎ去り若者たちは都会へ出てくるのだがそこにも恋愛はない。即ち女は娼婦になり、商品として媚びを売ることはあっても、一人の黒人に愛を捧げることなどできないのだ。即ちそういう風に古代以前から、急に21世紀のルンペンプロレタリアートに飛躍するそれが真実だというシビアな現実があのエロティックなエンターテイメントの骨格にはあった。一方、この本は白人男性と夷狄の女との性交あるいは疑似性交シーンがずっと出てくるのだが、最後まで男と女は愛(二人の対等性を基盤にする)の入り口にも達することができない。不可能性は客観的に存在する、そんなことはあの歌劇を見ても分かることだ。まあそうなんだがそう言ってしまえばお終いでしょう。不可能に近くてもひとはそれを追求しなければならない。(以下ネタバレ注意!)

 というか、主人公の「私」は不可能だからこそその女を抱こうとしたのかもしれない。物乞いしている夷狄の女。女は煙っぽく、不潔な衣服が異臭を放ち、魚くさい。女は被拷問者だ。

 主人公は静かな城壁に囲まれた辺境の町の民政官、帝国から唯一人派遣されている権力者だが、二十数年その職にありすっかり穏和になっている。がある日、同格の権力を持つ軍人が現れる。彼はサングラスを掛けている。彼は現実を自分の歪んだ視角からしか見ない。彼は拷問者だ。「わたしが真実を発見しなければならないような状況」においては、と彼は述べる。「最初にわたしが得るのは嘘の供述だ-じっさい、こんどのこともそうだ-まず最初に嘘がある、そこで圧力をかける、するとさらに嘘が重なられる、そこでさらに圧力を加える、と潰れる、そこでもっと圧力をかけ、それでやっと真実が得られるというわけだ。こうやってはじめて真実は得られるものなのだ。」

 主人公は女を自室に連れ込み、足を洗ってやる。色香に迷って、ではない。むしろ“罪責感をうち消す”ための方が近い。だが、彼は毎夜彼女を愛撫し続けるのだ。倫理的行為とは言い難い。彼は彼女のなかに入らない。彼は彼女をどうしたいのか、自分でも分からない。「わたしが好んで考える以上に正常な彼女は、わたしをも正常と見なす道を心得ているのかもしれぬ。*3

「厚ぼったい口、額の下縁でカットされた髪、ずんぐりした背丈の少女。(略)「さよなら」とわたしは言う。「さよなら」と女は言う。*4

この対等性を獲得するために、主人公は多くを予想もしなかったほど多くを失うことになる。だが、最初に書いたように「愛」が得られた訳ではない。

(この小説はイラク侵攻の失敗のことも思わせる。上の記事と合わせて読んでください。)

*1:isbn4-08-760452-7 12月刊行。 でこの邦題にある夷狄ですが、イテキと読む。東夷北狄の略で中国から見て未開民族をいう言葉だが死語ですよね。原題はWaiting for Barbarians で、アレクサンドリアのギリシャ詩人カヴァフィスの詩のタイトルから借りたものだ。この詩については、サイードのお葬式の時に娘さんがコンスタンティノス・カヴァフィス(1863-1933)の詩 “Waiting for the Barbarians”を朗読したと、中野真紀子さんのサイトにあり、中井久夫さんによる訳も載っています。 http://home.att.ne.jp/sun/RUR55/home.html

*2:実際、この Waiting for Barbariansは1983年度のフィリップ・K・ディック記念賞候補になっていたらしい。惜しくも受賞はラッカーの『ソフトウェア』にさらわれた。ちなみに野原は『ソフトウェア』のファンでもある。

*3:同書p130

*4:同書p167

中国はUNHCRと協力し脱北者を難民として処遇せよ!

http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics040113.htm から

(2)中国政府は長期拘束中の活動家を解放せよ!

北朝鮮難民救援基金は、難民の生命を助けようとして拘束され、実刑判決を受けた全てのNGOメンバーに解放の恩恵がもたらされることを期待する。9年の実刑判決を受けた韓国人牧師のチェボンイル氏、7年の実刑判決を受けた青年救援活動家のキムヒテ氏、山東省の煙台からボートで62人が脱出を試みて未遂に終わった事件に連座し5年の実刑判決の韓国人救援活動家・崔永勲氏、2年の実刑判決を受けたジャーナリストのソクジェヒョン氏の放免に世界の関心が集まっている。

(1)中国政府は野口氏と脱北者2名を解放せよ

 去年12月10日連絡を絶った北朝鮮難民救援基金の野口孝行さん及び、北朝鮮で生きることができず北朝鮮を脱出した40歳代の女性Aさんと50歳代の男性Bさんの二人は中国当局により拘留されていることが判明している。

彼ら3人を直ちに解放し、脱北者を希望する国へ出国させよ!

 今回のニュースで、アレッと思うところは、野口氏が拘束されたのが、12/10と1ヶ月以上前の日付であること。北朝鮮難民救援基金は活発な運動体でありすぐに事態を把握し普通なら広くアピールするはずだ。基金はあえて沈黙を守った。その理由は上記urlに少し書いてあります。第一のポイントは「当基金が事件発生以来30日間、記者発表をせず忍耐し沈黙を守ってきたのは、あくまでも救援しようとした元在日朝鮮人の脱北者2人の身柄の安全確保を最優先し、事態の把握に努めてきた来たためである。」とのこと。日本人活動家の拘束は加藤氏、山田氏に続いて3人目である。基金としては2度目ということで中国当局はより厳しい対応をしてくる可能性もある。とはいっても、日本人活動家よりずっと弱い立場に置かれているのが脱北者である。脱北者2名の安全をなんとしても獲得していかなければいけない。

 わたしたち(普通の日本人)は日本人の活動家である野口氏の解放をまず第一に願う。他の人のことはそれからだ。それはそうなのだが、同じような活動家で韓国人の場合、拘束が長期化しているひとがいます。その問題にも注目すべきなので、この文章では、順番をあえて逆にしてみました。

Release the two NK defectors!

北朝鮮難民救援基金掲示板に、野口さんと二人の脱北者の早期解放(脱北者については強制送還しないよう求める)中国当局への嘆願書文(英語)の案が載っていました。

無精なわたしですが、今回はメールしてみました。コピペしただけだから、体力の消費はゼロに近いはず。なのに、すこしは疲れた感じがするのは何故?

北朝鮮難民救援基金掲示板 http://538.teacup.com/koretune/bbs

問答有用 と横田めぐみ

問答有用掲示板という所にも下記の「中国は」云々という文章を貼りました。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25165&range=1

関連表現(野原)

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25196&range=1

横田めぐみさんについてだが、彼女と彼女の両親の苦悩について真剣に考えるのはためになることだと思う。めぐみさんは拉致されたままでその点では変化がない。だが、この問題が国民の間に広く知られ同情されるようになった昨今と、それ以前のはっきり言って日本国家からも見捨てられていた長い長い日々あいだには大きな差異がある。めぐみさんに本当に連帯したいのなら前者ではなく後者に注目する必要があるのはいうまでもない。難民という立場に落ち込んだ者に対しては国家は冷たい。めぐみさんはどうすれば帰ってくるのだろうか。国家という立場ではなく難民という立場で考えた方が、実は効果的だ、という可能性もある。

イラクはレバノン化するのか?(悲鳴)

 自衛隊がイラクへ行くといっても何しにいくのかが今ひとつはっきりしないのが問題です。子供の使いじゃあるまいし行きますといって、運悪く死傷者が出るとなんのこっちゃではすまないですよね。ところで、相手の攻撃のことを「テロ」というのはもう止めるべきである。ナルシスティクな言葉使いはナルシスティクな認識を生み、結果はより悪くなる。

 さて、話題のイラク人女性によるブログ(日本語訳)

「2003年12月22日 (月) 疑問と恐怖」から、引用します。

http://www.geocities.jp/riverbendblog/

 イラクでは、スンニ派とシーア派は、ずーっと協調してやってきた。いまでもそうだ。いまのところは。私の出身は、半分がシーア派、半分がスンニ派であるような一族である。なんにも問題はなかったし、教育ある人々の大半は、この二派の違いをうんぬんしない。八方に敵意を煽り対立を引き起こしている元凶と思えるのは、連合軍暫定当局(CPA )と統治評議会(GC)が養成している対内乱民兵組織だ。これには、チャラビの殺し屋たち、SCIRI過激派とクルド Bayshmargamsの一部が参加することになっている。

 

 わかりやすいが、だが誤った見方は、クルド人やシーア派にとって、これはプラスだというものである。とんでもない。穏健なクルド人とシーア派の大部分は、スンニ派とまったく同じに、この新たな兵/スパイ集団に怒りを募らせている。国民に向けて放たれ、国民をほしいままにすることを意図していると。イラクのいたるところで、敵意と猜疑が増悪するだけのことだ。また、このイラク新軍が占領軍と同様に見境なく拘束と襲撃を行うというなら、さらに多くの血が流されるであろう。

 

 私は、まえにこう言ったことがある。イラク人は、内戦という惨事を引き起こしたり無実の人々を虐殺するような人間ではないと願うし、信じてもいると。そして、私はいま、このところの極度の絶望にもかかわらず、この思いにしがみついている。戦闘の間、レバノンに住んでいた人々から、レバノンの話を聞いたことを思い出す。彼らが取り返しのつかない惨事のことを話すのを聞いていて、いつも同じ疑問がわいてくるのだった__何が下地になったのか? 兆候は何だった? どのようにして起こったのか? そして一番大きな疑問・・・誰かそれを予見したのか?

 イラクのことを何も知らず、しかも偏見だけは持っていて、スンニ派とシーア派というカテゴライズぐらいしかしらない馬鹿なアメリカ人が権力に関与した結果として、もし本当にイラクが内戦状態に陥ったら限りなく不幸なことだ、と思う。上に書いたように、日本人も「テロ」という言葉の使用を止めるべきだ。

(酔っぱらい)マンガ日記

 職場の新年会で酔っぱらってしまった。というかわたしは弱いのに別に酒嫌いでもないから自制しない限り酔っぱらいます。人と会うのが苦手なので、人がいるところでは。

 会合はすばやく終わり、わたしは一人で「マンガ喫茶」に行きました。マンガ喫茶とかもっと行っても良いのになぜかなかなか行けません。店の過半のマンガをざっと見渡したて、「やっぱり」の大友と(名前がどうしても出てこずにグーグルしてやっと分かった)岡崎京子を一冊づつ読んだ。岡崎は“Take it easy”というの、大友は王、仁、惨、吾、岩、なんていう名前の付いたボスたちが活躍するSFみたいなの。ググールしてもなかなかでてこずやっとわかった「ナンバーファイブ(吾)」という作品。(酔っているから記憶力がないのか。)ある方が「これが文字通りの傑作。」と書いてますがわたしも同意見です。粗筋と登場人物の異様さはワンピースに少し似てるが、でも比べられないほど大友の方が取っつきにくい。一方岡崎のは、(云々と昨日書いたが読み返すと嘘なので削除)やっぱり名作には違いない。

 TUTAYAに寄ってから帰ってテレビを見た。なぜか今頃ブッシュ再選をテーマにした番組で、藤原帰一氏が出てた。ブッシュとアメリカの大衆は、911とフセインが関係あると思っているが、プロから見ればなんだそりゃ、と言うしかないようなもんだ。ブッシュとアメリカの大衆は、世界の一般的感覚からどんどんずれて行ってるのに気付かずにこのまま行きそうだ。でも日本だけはアメリカに付いて行ってるのかも。という話で、ネクラな反米左翼にも受け入れやすい話だったが、視角がまったく違って新鮮だった。あの女性はなんというのだろう。切り込みが鋭く感心した。それでもそれでもブッシュ再選可能性は55%以上あるんだと・・・日本人なら小泉の心配をしろ、という意見が正しいが。

国家神道とアニミズムは矛盾する

 宣長は神についてこう言っているらしい。

「かみとは、古の御典(みふみ)どもにも見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐい海山など、其の余(ほか)何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)きものを“かみ”とは云うなり。」『古事記伝』三

『国民の歴史』の著者西尾幹二(維新じゃない)はこれを引きながら言う。「日本の神々はきわめて具体的な事物や現象において考えられるもので、抽象的理念的な存在ではない」「これは通例アニミズムと呼ばれるものに等しい」*1

 へー、アニミズムって言っちゃっていいの、と思いました。アニミズムというのは宗教の原始的段階であり普通はけなし言葉でしょう。植民地主義の言説ではネイティブが未開である証拠として使ったりする。日本が尊いとする右翼人士がそんなこと言っても良いものか。仏教儒教に比べて言説力において大きく遅れを取っていた神道は、はじめ仏教、江戸時代からは儒教の語彙や発想を真似て自己の神学を形成してきた。平田篤胤はキリスト教にも学んだと言われている。西尾氏はそれらの努力をすべて無視して、アニミズムに帰る。超越的「天」の観念を背景にした中国的古代世界に対し、日本はそれとはちがった文明を持っていたと言いたいらしい。

 ここに注目したのは、http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031129 で野原が、菅田正昭氏の本に依拠しながら書いたことは、「神道=アニミズム」にとても近いことだったからだ。菅田氏が原始神道に共感するのは、靖国神社などの国家神道は神道の本来のあり方ではないとし、本来の神道はもっと純なものでそれなりに可能性があるはずだという強い思いから来ている。すなわち、天照大御神を至上の神とする神々のヒエラルキーを作り出し主権者天皇を絶対化するために利用した近代日本の神道と、「神道=アニミズム」説は相容れない。ところがおかしな事に西尾氏はその点には触れないようだ。皇国日本の近代史を否定することは間違っているという信念が語られるだけだ。履歴からすると正当派哲学研究者のはずの西尾氏はトンデモ派に成り下がっているのか。

付記 http://www.ywad.com/books/698.html において、wadさんが『国民の歴史』を批判する場合、大衆に理解を得る批判でありうるためにはどうしたら良いか論じている。同感した。

*1:以上、子安宣邦氏の『「アジア」はどう語られてきたか』藤原書店のp266からの孫引き