ホーム › フォーラム › 韓国の小説を12冊読む › 13 ファン・ソギョン 『客人』
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noharra
キーマスター
田坂さんから、お手紙いただいた。感謝。
noharra
キーマスターTさま
いつものことですが返信が遅れました。(メールによる返信ですみません。)71歳にして、人間関係が下手だなあ、というのは私自身も思うところです。前から電話が苦手で何でもメールで済ますとか変な性格かなとも思っていたのですが、中でも会議室の予約とか苦手です。ぱぶり家で学習塾をやっておられる方が予約担当だったのですが、コミュニーケーションが上手く行かず、「ハナヤ」に引っ越しました。金曜ならOKだったかもしれないのですが、新しいところを選んでしまいました。
それと、尼崎の地域猫活動をしているSさんという女性、lineグループでつながってだけはいたのですが、突然脱会し、まあそれは2,3年つきあいがなかったので、しかたないのですが、ひとこと挨拶が欲しかったものだと残念です。(略)
「人はみなそれぞれ違うのですよ」と淳南さんが言う。p155 それを、「現代社会は、人々の価値観(感)が多様化かつ激しく変化してゆきます」に引きつけて解釈します。
しかしこれは「人民が主となるような国家を目指す大衆はよく見えますがね。神というのはいったいどこにいるのですか。みえないじゃありませんか」という、神という絶対的基準を相手が持ち出しているのに対してそれを断固として否定しているシーンです。「人民が主となるような国家を目指す大衆」は本当に居るのか?例えば、
崔仁勲「広場」p154 では、「主人公は僕ではんなく、党だということを。党だけが興奮し、陶酔します。党が考え、判断し、感じ、ため息をつくから、お前たちは復唱だけしろと言うのです。」とあります。淳南さんの「人はみなそれぞれ」はその表面とは意味が違い、北共和国断固援護という意味です。
「貧しかった人たちが土地の分与を受けて飢えなくても済むようになったことは、イエス様の業績から見ても立派なことだった。教会や、寺が持っていた土地を小作人に分け与えたことも当然だった。」p194
日本の1946年10月21日自作農創設特別措置法も、中国や北朝鮮農民のそうした実感を、きちんと認識し、自らの政策にしていったものとも考えられるわけです。「双方がともに聖書でいう熱心党になってしまい」という表現は面白いね。
「前頭葉が発達している分」云々というもの、あまり意味ないんじゃないかなと思う。
一時の感情で人をむやみに殺した(状況は違うが閉鎖的空間の〈狂気〉により殺害が行われた点では連合赤軍と同じ)、その無残さは歴史に残るレベルのものでしょう。しかし、原爆や大空襲なども被害者の多さとしては同等以上になります。斧で人を殺す方が陰惨であり、加害者に悪夢を引き起こします。しかし近代的軍隊により合理的に行われる殺害の方が量は多いでしょう。ここで、ヒロシマ平和集会におけるイスラエル大使ギラッド・コーヘンの画像を添付しておきます。
彼は大量殺害に加担しながら平和の祈ることに支障を感じていないようです。米、英、仏、カナダ、ドイツ、イタリアとEUは彼の側に立ったようです。公然とジェノサイドを犯しながら、それは虐殺ではないとむりやりしているのでしょうね。
国際法、国際平和というものが死語にならないよう、日本政府はきちんと意志表示すべきです。うまく応答できず、言いたいことだけを書いてしまいました。
うちの会は互いに親しいわけでもないのに、よく続きました!
よく口にされていた、ご家族の話などを聞くことも(何もできないでしょうが)できれば、そういう機会もあればと思っています。2024.8.8 野原 ことYG
(この手紙は公開時には大幅削除予定) -
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