ホーム › フォーラム › 韓国の小説を12冊読む › 12酸葉をだれがみんな食べたのか/あの山は本当にそこに
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noharra
キーマスター(返信)Tさん
「あんなにあった酸葉/」の感想文を書こうと思いながら、うまくいきません。
「とくに国道沿いの村の破壊ぶりは惨憺たるものだった。
かなり大きな村が灰になって、いくつかのかめ置き場だけが残っていた。燃え尽きた藁屋は、細かな灰となって薄く一帯に積もり、家の跡を見守っているかめ置き場の美しさはとても自然で気品があったので、魂が宿っているように見えた。粛然としたこの村の雰囲気は、墓場のように悠久の時間さえ感じさせた。」
藁葺きの家が幾棟も燃え、細かな灰が大量に吹き散り、落ち着いたあと、薄く一帯に積もっている情景を見て、美しいと言っている。それが絶対に許せない破壊、暴力であるにもかかわらず。
この一節は美しく素晴らしいですね。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/570034aaa31a6b9650fabca7bd1e3643bf4de302
現在のガザの凄まじい攻撃の跡の写真を想起します。
まあこれを出すと「戦争・破壊は古今東西永久に続く」ものかどうかという問題になりますね。
ガザの攻撃は99%イスラエル国家が悪いのだ、と私は主張します。さて、お手紙ありがとうございます。
今日はもう真夏という感じです。田坂さんは小六から高三まで小倉で過ごされたんですね。中高は公立ですか?インテリぽい子はイジメられたんじゃないかと心配になりました。
1971年大学入学で私と同じですね。私の大学生活も幸い平和でした。しかし全共闘の名残火が身近にあることは感じ、ベトナム戦争など悪に加担している日本国家は許せないと感じていました。ガザ・ジェノサイドに出会うとこの構造は50年間同じだと冷静に考えても言えると思う。まあこれは困ったことです。
インフレになったので私も少しは投資をしようとかと思ったのですが、儲かっているファンドに投資するとそれは戦争企業に投資することになります。わたしは(小額ですが)それでもいいと考えました。一方それによって数万円稼ぎ、一方ではそれほどの効果がないジェノサイド糾弾を叫ぶ、そういう生き方です。学生時代の思いを振り返る文章を書きました。
http://666999.info/noharra/2024/06/19/touron/
よかったら読んでください。田坂さんは娘さんが二人で次女と同居されているのですね。私は男の子二人で、東京と名古屋に行きました。私に娘がいたら、私はだらしなく不潔なタイプなので娘にひどく嫌われたかもと思います。(代わりに(?)実家の妹(未婚)との関係が微妙かも。)
私は長男で周りから甘やかされて育ち、大人になってもちゃんとやっていく自信がなく、ひどく臆病でした。大学時代にわりと思想が過激になったので余計でした。周りの人に気を許さずなるべく無視して、本音はなるべく言わないみたいな性格になった気もします。田坂さんとは、臆病なところが似ているような気がします。
幼児期の全能感を実は強く保存している人というのは本来魅力的だと思います。「酸葉」の母子がそうですね、両班の一人娘。(母の方は両班の長男の嫁という権力を上手に利用する能力がすごい)。田坂さんも本来そういうタイプでは、と思います。とりあえず。7.04 野原燐
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