韓神とはなんぞや?

http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page263.html

上記サイトによると、

韓神 「からのかみ」に同じ。 神楽歌、韓神「われ-韓招せむや」 からのかみ (朝鮮から渡来した神の意か) 守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴(おおむなち)・少彦名(すくなぴこな)二神をさすという。(広辞苑)

とのことである。

オオナムチ(大国主)とスクナビコナが天下を経営し(日本の開き)、それを天孫族に譲った、記紀によれば、ですねよ。(天孫族が朝鮮から来たかどうかはともかく)その前代は朝鮮からきたのかなー??

ところで、新羅明神というのもある。こちらは、9世紀の僧円珍が入唐求法を終えて帰朝するとき、船中に示現し、のち圓城寺へ鎮座したという神。北極星の供養法、尊星王法(そんじょうおうほう)という秘法の守護者となった。朝鮮の山神と関係があったのかもしれない。ホミカシという謎めいた名も伝えられている。*1

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20031123#c

極東ブログさんのところで、彼が「朝鮮半島に関しては、そこにこそ日本の皇室の起源もあるというのに、日本人は蔑視するんだね。」という田中康夫発言を彼がバカにしてたので、質問してみた。ただ、わたしは実は「日本の皇室の起源」がどこにあるのかについて明確な見解を持っているわけではない。(直接関係ないが本居の古事記伝は読みたいと思っている。)皇室のDNAがどこから来たか保留したとしても、「皇室の文化は朝鮮半島から来た」とは言えるだろうと思う。

*1:p93~『異神』上isbn:4480087680

健常者の喜び

 去年8月に踵に小さな魚の目ができた。魚の目って今まで体験してなかったので我慢していたら、大きくなりいつまで経っても痛む。体重が掛かるから歩くときけっこう痛む。市販の薬を貼ってみたりしたが直らない。仕方ないので医者に行った。3回行ったがまだそれは完全には取れずまた復活してきた。市販の貼り薬と自分でその部分をこそぎ取ることにより、最近やっと魚の目から解放されたようだ。嬉しい。

 わたしたちは自分の身体が支障無く動いている時、それを当たり前に思う。障害や欠損は、それがないのだから、考えようがない。直ったすぐ後は覚えているがすぐ忘れてしまう。次ぎにどこが悪く成るのかは決定不可能だ。(若く運が良ければ何十年も出会わないこともある。)わたしたちにとって何が一番大事か、わたしたちは意識することができない。

東アジアの未来

mkimbaraさんに教えて貰った古田博司氏の本が図書館にあったので借りてみた。『東アジアの思想風景』isbn4-00-001917-1。面白かった。

「とにかくバラバラであり、バラバラであるにもかかわらず運命共同体とみなされる東アジアに我々は今住んでいる。そして、その宿命から逃れることは決してできないのである。安易に「儒教文化圏」を謳い、各々独りよがりの「中華」に耽溺していた時代は明らかに終わった。

 これからは、各々が謙虚に他者について考える時代である。近代化という山を登りつづけてきた我々は、実はそれが無理な西洋化であり、「苦難の行軍」であったという事実に思いをいたすべきなのではないか。これからは一途に進むだけではなく、退く視点も重要であろう。」

 小さな本とはいえ一冊、すでに消え去った東アジアの情緒をさまざまに経巡った後、これを読むと感慨がある。中国/朝鮮(韓国)/日本を併せて語る語り口をわれわれはまだ持っていない。(儒教文化圏言説というものは安易なものだ、という古田氏の判断を受け入れておく。)日本人は中国のことも朝鮮のことも何も知らない。まず知ることから始めるべきだという古田氏に同意する。現在、相互排外主義が増加している、これに敵対し抑圧していかなければならない。

北朝鮮食糧難

 イラクについても北朝鮮についてもそこに暮らす庶民のことを知らず彼らに対して一切愛情を持たないから知ろうともしないままに、“国益”とやらを基準にいっぱし意見を言う人が増えている。もちろんわたしたちが日本人(や西欧人)を媒介にしないと、そもそもそこについて知る(なんらかのイメージを持つ)ことができないのは事実だ。だがそれはきっかけにすぎない。3人の日本人は解放されたが、ファルージャで死んだ数百人の女性や子供は帰らない。北朝鮮住民も困窮しているらしい。下記より一部抜粋しました。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/09/20040409000036.html

「北朝鮮住民、配給制廃止で深刻な食糧難」

 北朝鮮の一般住民が最近、国定価格(コメ1キロ当たり40~46ウォン)で食糧を購入できる「配給制」の廃止により、深刻な食糧難に陥っていることが分かった。

 北朝鮮は2002年7月1日の「賃金および物価の現実化措置」以降、一般労働者に必要量の50%だけを食糧配給所を通じ国定価格で供給、残りは一般市場で購入するようにしていたが、今年3月からは必要量全量を市場で買わなければならなくなった。

 最近韓国入りした脱北者によると、平安(ピョンアン)北道・新義州(シンウィジュ)や咸鏡北道・清津、茂山(ムサン)などの市場ではコメ1キロ当たり350ウォンから最高500ウォン(一般労働者の平均月給は2500ウォン)にまで跳ね上がり、住民たちが苦しんでいるという。

ファルージャはあらたなホロコーストか

http://homepage1.nifty.com/thinkbook/

ニューヨーク・タイムズは、4月30日、イラク占領米軍の空軍将校が前日29 日に証言した内容を次のように報道した。

「過去48時間に、F-15E 、 F-16 戦闘機、艦載機の F-14 、 F-18 戦闘爆撃機が36個の500ポンド爆弾をファルージャに投下した。日中はAH-1W スーパーコブラ・ヘリコプターが上空をホバーリングし、ヘルファイアー・ミサイルを撃ち込んだ。夜間は、AC-130武装ヘリコプターがイラク人武装兵を輸送中のトラックと車を攻撃した。――空軍は、民間人に被害が出ていることを承知している。」 人口10万の都市を包囲し、住民が避難することを困難にしたうえで、大量の爆 弾を集中的に投下したというのである。

学童保育の映画

今日は、「ランドセルゆれて」 http://ransel.com/ という映画を見た。つき合いといえば、つき合いで見たのだが、思ったより良かったので書いておきたい。学童保育とは、働く親を持つ子どもたちの豊かな放課後を守り続けるためのシステムです。そうした子供たちを集めある時間だけ居住する空間を確保し保護者の代わりとしての指導員が見守り一緒に遊ぶ、といったことをしています。

http://ransel.com/arasuji.htm(あらすじ)より、

 今、さつき学童のみんなが夢中になっているのは三年のダイキとユウマの二人が校庭のはずれの池で見つけてきたトンボのヤゴ (名づけてダイマ) です。ダイマがトンボになる日が待ち遠しく、みんなは心待ちにしています。

トンボのヤゴの映像がたびたび挿入されるのだが、この映像が良い効果をあげていた。ヤゴは泥や有機物のもやもやしたものを身にまとってしまい、そこにいるのだがいっこうにはっきりしないのだ。そのはっきりしなさを映像的に定着しておりなかなかのものだと思った。子供たちのなかにあるいじめや登校拒否や反抗といった問題、親たちの失業や失踪、暴力といった問題、指導員自身親でありながら、仕事にエネルギーを吸い取られわが子に当たってしまうという問題、そういった諸矛盾の象徴としてヤゴの不鮮明さがあるわけだ。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040518 でラファでの寺畑さんのボランティア活動を「学童保育」と書いてみた。日本では学童保育は多くは小学校3、4年までこの映画のように長くて6年までなので、中学生を相手にする寺畑さんのプロジェクトをそう呼ぶのはちょっと違うのだが。でも今日の映画の小さなクライマックスシーン。我が儘な子がいて、いつもブドウのゼリーしか食べない。その子が皆の説得とかによりついにミカンゼリーを食べる。第三者から見ると馬鹿かと思われるだろうが、彼がそうする一瞬を指導員たち、学友たちは息をつめて、見守っているのだ。反抗的なパレスチナ人の少年がその頑なさに隙を見せたときの喜び、を寺畑さんは話してくれたのだが、あれと同じだなと思った。

 パレスチナのことに関われるのに国内問題には関わりがない、といった場合もあっても良いと思う。(そういうことがあるのだ。)ただ自分の子供のことを考えることが同時により大きな問題にもつながるというのは喜ばしいことだろう。

強制移住の補償

(1)今朝(8/21)の朝日新聞では、「ドイツ・ポーランドの強制移住者問題」が取り上げられている。第二次大戦の戦後処理でポーランド国境は大きく西に移動した。ドイツ人約1500万人がドイツやオーストリアに強制移住させられた。ドイツでは戦後、強制移住者に保証や年金として計約10兆円が支払われた。

(2)これに対し、規模はずっと小さいが八重山には「戦争マラリア補償問題」というのがある。

戦争マラリア問題とは、①「沖縄戦末期(一九四五年)、石垣島や西表島のマラリア有病地である山中に、軍によって「疎開」させられた非戦闘員である住民がマラリアに罹患(りかん)し、三千六百名以上の犠牲者を出した悲劇を「戦争マラリア」と呼ぶ。八十年代後半、当特の琉球大学教授・篠原武夫氏が「マラリア有病地への疎開は軍命による強制疎開だったとして、国に国家賠仁を要求する論陣を地元新聞などに発表した。一九八九(平成元)年五月、犠牲者の遺族、関係者らが国家補償を求めて「沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会」を結成した。このことにより、「戦争マラリア」は社会的関心事となり、新たな証言や報告が数多く寄せられるようになった。

②八重山(主に石垣島・西表島)における住民のマラリア有病地への避難は、敗戦間際の四五(昭和二十)年二月から六月にかけてであり、敗戦によって軍の解体、避難地から戻ることができたのが九月である。その間、三~六カ月の短期間で罹息者数が一万六八八四人、死亡者が三六四七人(死亡率二一・六%)の犠牲者を出した。*1

という事件のことである。当時の八重山の人口3万6千人のうち丁度1割が失われた。

沖縄強制疎開マラリア犠牲者遺族補償援護会が結成され(提訴はされなかった)7年後の1995年12月、一応政治決着した。(1)国は個人補償はしない(2)遺族の慰しゃ事業は県が措置する(慰霊碑祈念館建設に2億円、他1億円)という内容だった。

日本国は国の責任を認めなかった。「軍命による強制退去」の事実は公文書的証拠は残っていないものの、すでに各証言で明らかになっている。また「軍命」が発せられた状況証拠は存在するのである。*2

(3)後に大きな話題となる従軍慰安婦が最初に声を挙げたのが、1995年ではなかったか。その結果、<<告発する朝鮮人(あるいは中国人)被害者対日本国家>>という構図がより強く(大衆的に)浸透することとなった。(2)が明らかにすることは、被害者=非日本人というカテゴライズは正しくないことだ。(1)の例においては、ドイツ国家はドイツ人(ドイツ系住民)に補償した。また、国境を越えた補償請求を求める動きも、進んでいる。

 戦争は国家が行うものであり、人民は被害を受けるだけだ。被害は民事的感覚で補償してもらうべきだ。もちろん相手は巨額すぎる云々といって値切ってくるだろうし、平時の常識による額は取れないだろう。問題は責任を取らせると言うことである。この問題に(変な)ナショナリズムを絡ませることは、国家の免責につながるだけだ。

*1:p285『八重山歴史読本』

*2:p183同書

NANA論

下記の二人の方の興味深い『NANA』論を読ませていただきました。感謝。

http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20031114#p1

9巻対象。「ナナは自立を目指しているのだが、実はさほどレンへの想いは強くない。」などの指摘がある。

http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20040129#p1

「そもそも少女マンガの発展は、大島弓子に代表されるように、社会的・文化的な男女の非対称性のなかで、いかにして自らの「主体の首尾一貫性」を諦めるかという過程を描き続けてきたものだといえる。」という、大島弓子ファンである私には興味深い指摘がある。

http://d.hatena.ne.jp/lepantoh/20031214

「NANA」嫌い派。ナナはパンクじゃなくファッションとしてのパンクでしかないと論じる。24年組の異端性をストレートに継承しようとしている志に惹かれる。24年組のラディカリズムは当然ぴったり同世代の全共闘のそれに通じるものであり、わたしもそれを継承しているのだといつかは書きたいものだ。

国家とアイデンティティ(2)

homoinsipiensさん

下のコメントを受けて考えてみました。

「批判者を気取る私たちが現体制の下、なんだかんだよろしくヌクヌクやっているのはこの悲惨の上に乗っかってでもあります。」という文章の、「この悲惨」というものが一体何を指しているのか?は下記コメントを読んでも依然として不明です。

「自衛隊が派遣されているから起こった事件か? 否。」

「イラクでは米軍に協力するイラク人はおろか、派兵していないフランス等の国民も誘拐されているのである。」

http://d.hatena.ne.jp/homoinsipiens/20041029#1099030289

イラク国内の混乱の原因は戦争を仕掛けそして現在占領者である米英にある。日本はアメリカとに媚びを売るために自衛隊まで出した。自衛隊派兵と香田さんの誘拐が正の相関関係にあることは間違いない。「否。」といって見得を切るのは安っぽいデマゴーグのやり口だ。

私は文脈を外れた自己責任論の醜悪とともに、この醜悪を生み出した他己責任論者(のちに多数が反・自己責任論にも加わる)の無自覚ぶりに怒りを覚えました。

他己責任論者の無責任っていったいどういうことなのかついての説明がありませんね。

「noharraさんによる自己責任論者の「悲惨」を突き放す態度」について説明します。

人生は不条理なものでありそこにおいて、神とか(儒教的な)天とかそのようなものへの祈りはたぶん必要だと思います。ところがそこに日本国家というものを置くことは、馬鹿げて悲惨なことです。日本国家は最初から普遍とは全く違う存在だからです。有限の存在であり魂の問題には関わることができません。<普遍>から<日本精神>へのこのすり替えは教育勅語のころ起こりました。当時は日本が何が何でも近代国家に成らなくてはいけない時代だったのです。(それでもそこに色々な意見があるでしょうが。)21世紀にもなって「日本国家と自らを同一視する以外に確固たるアイデンティティを持てない人」を作ろうとする勢力がありそれに応じる形でそうした人々が沢山出てくるとしたら、それは私にはとても悲惨な事態だと思われます。

非対称の性

松下昇氏の性に関わる文章を掲載します。

  非対称の性

 生理ないし言語の規範における〈性〉が男性、女性、中性などと呼ばれるけれども、それらを一たん全て破棄して考察してみることが、このテーマに踏み込む基本原則である。この原則は、性の比較、交差、交換などは、自明の価値ないし魅惑性をもたず、自明さと対等に無関係さを内包ないし外包しているという仮説を軸としている。この仮説がどこからきているかについて、いくつかの関連ヴィジョンを提出してみる。

 (1)ヨーロッパ系の言語にどうしても身体感覚としてなじめない理由の一つは、名詞に性別があることであった。名詞の指示するイメージから多分この性なのだろうと推定することもできるが、それは一部分であり、推定に反するものがたくさんある。例えば、ドイツ語でいうと、なぜStern(星)やSee(湖)が男性名詞であり、なぜGeschichte(歴史)やFreiheit(自由)が女性名詞であり、なぜWeib(女)やGedanke(思考)が中性名詞であるのか、どうにも納得できなかった。名詞の性別が判らないと格変化の場合に前にくる冠詞や形容詞の変化もできなくなるので、苦行のようにして暗記したり、名詞が動詞などから派生する過程や語尾の特徴を知ることなどによってある程度の区別ができるようにはなったけれども、根本的な異和は深まるばかりであった。言葉と言葉の間の対称軸の欠如ないし一方的な既成事実化に親しめなかったともいえる。念のためにいうと、だからといってヨーロッパ系の言語の中で名詞の性別のない英語とか、非ヨーロッパ系の言語が好きだとか得意だとかいうのでは全くない。どんな言語に対しても(特に日本語に対しては!)異和があるのだが、ここでは、ヨーロッパ系の古い起源をもつ言語の名詞に性別があるのは、言語の発生から血族社会内部での流通過程において、人々があらゆる対象を直接ふれたり評価したりできる〈もの〉として記号化し、かつ〈性〉的に区分する世界観(共同幻想)の中で相当長い期間を過ごしたことを推定させる、という独断をのべておく。

 ついでにのべておくと、血族社会から氏族~部族~民族国家への移行と対応して、対象を〈性〉的に区分する世界観の放棄をしいられたであろう。しかし、幻想的拘束の残像としての名詞の性別は依然として持統した。この事実は、あらゆる対象を〈性〉に区分して認識する段階を越えても、慣性的な逆作用により、あらゆる対象を区分~交接可能な概念としての〈性〉質に区分~体系化しようとするヨーロッパ系言語の基底にある認識方法が強化されたことを意味するのではないか。また、前記の世界観の(無意識的な)放棄の度合は、社会的関係の拡大により直接ふれうる〈もの〉が減少する度合に対応しており、その際に貨幣制度の導入が大きい媒介になったのではないか。ヨーロッパ系の言語における〈性〉区分を離脱した英語圏の民族国家が資本制、さらに帝国主義へ最も早く到達したのは偶然ではない。このような独断は、専門の学者からは一笑に付されるであろうが、かれらが、これと異なる事実と方法を(言語ではなく)生理としての<性>に関心を抱く任意の人が納得しうるように示すのでない限り、私の独断は挑発力をもち続けると考える。

(2)前述の独断?は、言語(史)を媒介する〈性〉の領域以外でも意味をもちうる。アメリカの実験心理学者H・G・ファースの「言語なき思考」(染山、氏家訳は82年)の調査結果と私の身近な人との体験と総合して考えると、目や耳の不自由な人の場合には、ある概念(A)の反対概念(│A)の具体的な理解は困難であるが、その度合だけA→│Aという単一の至近ベクトルヘのためらい、いいかえると対称概念(Aと│Aを包括する範囲ないし軸)への関心が高まることが確認できる。このことは、意識ないし幻想性の〈不自由〉さの自覚を逆用する場合には、Aが問題とされる時にも、直ちに│Aを認識ないし提示することは不要あるいは有害ではないかという示唆を与えうる。

 六○年代末以降の〈大学〉闘争において、〈大学〉(に象徴される知の体系)を解体せよ、すでに本質的に解体している情況を生きよ、と私たちが主張した時に、たえず出会った反論?は、大学の改革の必要は自分たちも認めるが、改革された大学のイメージを提示してくれないと討論できないではないか、それに君たちは大学はすでに解体しているというが、ちゃんと建物も立っており、授業も続いているではないか、このことは大多数の人にとって君たちが対案を提示するまでは現在の形態の大学が必要であることを示すのだ、というものであった。たしかに私たちは言語による改革案は提示しなかったが、それは、無意識のうちに、現在の目の前にある矛盾Aをたんに転倒しただけの│Aを言語で提示しても、Aの言語レベルにとりこまれ、消滅させられる、と直観していたからである。そして、私たちは矛盾Aが〈目や耳や~の不自由な人〉に確かに感じとれる苦痛の深さへ下降し、その深さをためらいを含む〈身振り〉で、ある場合には道具や言語をも用いつつ地上の管理者~支配者に対して提示することにより、│Aの集合を結果させているAの集合を破壊することを目指してきたのである。この方法は今後さらに、機構としての大学だけではない〈大学〉の根底的解体のために必要であることを強調しておく。

 さて〈性〉へもどろう。いや、ずっとそれについてのべてきてもいるのだが、この項目の冒頭の原則との関連でいいなおすと、男と女を相互に反対概念として把握するのは、当然ないし自然な認識の態度ではなく、与えられ、強いられた態度であること、〈性〉を論じるためには(1)の言語による接近方法の反対概念として直ちに(3)生理・器官からの接近方法を対比させるのではなく、(2)の前記の視点からの媒介的把握が不可欠であることを指摘したいのである。

 人間は、なぜ性の区分を意識したり恥じたりするのかについて記そうとしている時に、突然うかび上がったヴィジョンを先に記すと…、逮捕されて留置場に入る前に身体検査があるがパンツは脱がないでもよい。拘置所~刑務所に入る前にはパンツも脱ぐように指示される。私は制裁と起訴の二重処分を受けて拘置所と警視庁の留置場を何度も往復している間に殆ど脱ぐことを意識しなくなり、何回目かの留置場では、要求されていないのにパンツを脱いだので、立会いの警察官たちはあわてて目をそむけた。(栗本慎一郎は?)

 性別を区分する意識を生物としての人間の歴史の原初に与えた何か(エデンの園でアダムとイプが禁断の木の実を食ぺた後に相互の性の違いに気づかせ、バベルの塔以後、人間の言語を相互理解困難にしたものと同じかもしれない。)の呪縛から私たちは脱していないのではないか。このテーマには(3)と往還しつつ迫りたい。

(3)生命の発生以後に器官としての性が発生した段階と、人間が性に関心をもつ段階の差は、母体の胎内で性別を区分しうる段階と、その子どもが生誕後に自分と他者の性別に関心をもつ段階の差に対応している。そうであるとして、胎内での性別を区分しうるのは医学の技術であって胎児が意識して性別を表示しているのではなく、生誕後の子どもも、自他の性別に関心をもつというよりもたされるのであり、いずれの場合にも性別の存在と性別の意識は不均衡~非対称である。〈性〉についてのこの特性は人間が対称化~転倒していく全てのテーマの象徴ではないか、と私は何かの胎内でもあるバリケードの中でまどろみつつ予感していた。言葉にするのは今はじめてであるが。

 それにしても、遺伝子や染色体が原初に全てを決定しており、生命体はその存続のための乗り物にすぎない、という流行の見解は、世紀末にふさわしいニヒリズムである。これは〈存在が意識を決定する〉というマルクス思想の核心を最低部で補完するものであり、論者自体の破産に釣り合っている。このテーゼの真の復活の契機については、概念集4でいくつか示唆しているが、項目としては改めて論じる。)

 ここで私が公開の場で〈性〉を論じた時の経験を挿入してみる。徳島大学が懲戒免職処分を公表した山本光代さんは、その後、大学構内で清掃用モップを、法廷内で包丁を、路上でポルノグラフィーを手にしたことでニつの公訴事実とたたかうことになり、私は公訴棄却をそれまでの経過から主張するために証言した。そして、〈 〉を手にすることが罪とされていく過程を批判するために必要であるとのべつつ、なぜか困惑している裁判官に許可決定を出させ、おそるおそる運んできた書記官の緊張ぶりを不思議におもいながら、路上の古本業者の「猥褻物所持」の証拠である多数のポルノグラフィーを一枚ずつ眺め、私のその様子を法廷内の人々が息をつめてみつめていた。私は猥褻罪についての証人ではなかったから猥褻の概念や度合については殆ど証言しなかったけれども、かりに証言したとしても、これらのポルノグラフィーはだれの欲望をも刺激しえない、とつぶやく他なかったであろう。

 たしかに、むき出しの性器の写真ではあるのだが、それらの器官と〈私〉の器官が出会う必然の回路を法廷は決定しえない。その回路をえらぶかどうかについても。普遍的にのベると、〈性〉に関する表現は、結合前の回路に対して一方的に非対称である場合には欲望も刺激しないし、その表現が〈性〉を媒介して〈性〉以外のどのテーマの深化をおしすすめているかを(大衆団交の本質的レベルにおいて…概念集2の項目参照)開示しえない限り、生存の矛盾をおおいかくす役割しか果たしえないであろう。この視点からは、商品の場合は勿論のこと、努力や、逆に惰性による性表現(行為を含む)は何ひとつ〈性〉を生かす表現として成立していない。多くの人々が、これまで行なってきたと自ら思い込んでいる性的行為は、この視点を疎外する位置にある場合には、たとえ生殖の経験を経ている場合でさえも(あるいは、この経験によって一層)、性的本質とは無関係であり、敵対している。

 最後に(むしろ、これまでの論述過程を対等な身体性から私と共に追求しようとする人にとっては最初にというべきであろうが)、(1)、(2)、(3)に共通し、今後の〈作品〉のテーマにもなる〈非対称〉のヴィジョンを、予告的に記しておく。

 これまでの〈性〉に関する多くの論議には、共通の欠損としての共通の前提があるように思われる。それは、〈性〉行為についての考察を、成熱した男と女の自然な行為として開始していることである。〈性〉行為の範囲を、たんなる器官の結合として把握しない場合(とりわけ、交通~交換概念の応用としての追求は必要であるが)にも、前記の前提はそのままである。むしろ、何らかの理由で〈成熟〉概念に達しない、ないし、はみ出している身体相互の関係において、器官の結合を実数軸とする場合の不可能性を虚数軸として設定しつつ、この複素数領域に広がる相互の幻想過程の一致やズレをもたらす要因~止揚条件から考察を始めるべきではないのか。

 このことを例えば宮崎勤は、相手の共同作業を絞殺するという決定的な錯誤を通してではあるが私たちに呼びかけており、この声に耳を傾けるのは、ビデオ文明の中での事件として把握するよりも遙かに重要であると考える。宮崎問題の発生以前から発生している私のこの視点と共通する見解を交差させてみると…

 笠井潔は、「対幻想とエロティシズム」(八八年三月発表後「思考の外部・外部の思考」に収録)において、吉本隆明が「対幻想を一対の男女の自然関係としての性」の観念的疎外として把握してエンゲルスを批判し一定の成果をもたらしつつも、「男女」という概念を先験化する点においてエンゲルスに無限に接近せざるをえない、と指摘し、自然関係ではなく、決断を媒介する非自然軸から性に迫ることの必要を主張している。これは私の知る限り、吉本の対幻想論の最良のレベルを継承しつつなされた最良の批判である。ただし、笠井が、性的な他者を外部からの挑発~戦慄として、自己解体をかけて捉えるべき対象であるという時、情念としては了解しうるとしても、かれはまだ成熟概念の内部でのみ把握することにより、吉本と対照的な、しかし共通の自然関係の枠を越えていないといわざるを得ない。〈成熱〉概念に達しない、ないし、はみ出した存在が、生命~幻想の発生に関わる身体知としての組織論を相手と共有しつつ対幻想とエロティシズムについて考察~実践し、それを現代文明の対象化~転倒の試みと連動させつつ展関する作業にこそ、六九年以来の〈連帯を求めて孤立を怖れず〉のスローガンが非対称的にふさわしい。

註ー笠井の論点は、七二年の運合赤軍事件を契機として全革命思想の再検討へ向かった過程での評論「テロルの現象学」(八四年五月)の、対的領域への応用として読むと示唆に富んでおり、革命論としても読める吸血鬼SF「ヴァンパイヤー戦争」(文庫本は九一年一月に全11冊刊行)で多彩なイメージによって追求されているが、これら二書の非対称領域が今後の私たちに必要となるであろう。

 なお、私が成熟や非対称という時、性的な具象というよりは、〈性〉概念の再検討に際しての概念の転倒を意図している。例を上げると、永遠の女性ベアトリーチェをみつめた「神曲」のダンテは器官の結合としての性の行為を表現してはいないが、対称的な女性の器官に精通してもいたはずである。また、古代インドの性典カーマ・スートラは、交際や抱擁や器官の結合の仕方などを詳細に説明しているが、それが、社会秩序や存在の根拠を揺るがせる質をもちうることは消去しておこなっている。この二例は併合的に把握すれば人類史における性の対象化を片面ずつ驚くべき成熟度で示しているとしても、相互に止揚し合うための双方からの非対称領域への欲望において未成熟だといいたいのである。

松下昇『概念集・4』~1991・1~ p23-26

 松下昇の1991年のテキストである。