虐殺を糾弾するだけでは

虐殺を糾弾するだけだと、レジスタンス側が意外に強かった場合、虐殺じゃあなかったじゃないか、と反撃されてしまう。戦っている当事者に対し1段も2段も高い観客席から、反ヒューマニズムという超越的価値観によって評価している態度、そうであってはいけない。政治的発言は常に、手を汚す覚悟で行われなければならない。

そもそもイラクにおける米軍の存在自体に正当性が薄い。したがってレジスタンスは正当である。(自衛隊は米軍支援のための存在だから、自衛隊も攻撃対象になる。)

自衛隊派遣の根拠はイラク支援特別措置法案である。

本法案第2条3項は、イラクについては、「安保理決議1483その他の政令で定める国連総会または安保理決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意によることができる」と定めています。

安保理決議1483は、米英軍による占領にお墨付きを与えたものなのか、というと違う。

http://www.no-yujihousei.net/siryou_kaisetu/kaisetu/chinjutu.html

本決議は、米英両国に、占領国としての国際法上の権限、責任、義務を全うするよう求めただけで、米英両国による占領統治の合法性を承認するとか、新たに占領統治の権限を付与したというものではないのです。(略)

以上のように、Authorityすなわち「イラクにおいて施政を行う機関」は、国際法上正当な統治権力として認められてはいません。違法な軍事占領と認定されたわけではありませんが、合法な占領統治と認定されたわけでもないのです。政府は、「日本政府としては合法かつ正当な占領統治と解釈している」と主張するかもしれませんが、それだったら、イラク側にも、違法・不当な軍事占領と解釈する同等の権利があると言わなければなりません。

かくしてイラク旧政権の残存勢力には、国際人道法規則を遵守するかぎり、自国領土を占領している米英軍を攻撃する正当な権利があり、イラク国民にはレジスタンス闘争を行う正当な権利があるということになります。軍事占領そのものが違法・不当と見なされ得るのですから、米英軍が治安の維持や民政安定、人道支援など、いかなる活動を行っていようと攻撃対象とすることが可能です。占領国としての国際人道法上の義務を遂行している最中でも攻撃することができます。

(大阪市立大学教授 松田竹男)

米軍は、他国を占領し他国に不幸と混乱をもたらしている。日本の自衛隊は、自衛には関係ない不名誉な軍事行動を起こしたので、日陰者だった60年経ってやっと、ふたたび封印されるべきだろう。

不穏当な発言

えーっと、だいぶ前の話だが、下記で引用してもらった。

http://d.hatena.ne.jp/spanglemaker/20050103#p3

 生きているかどうか分からないめぐみさんなるものに大騒ぎするわりには、半年以上中国に拘留されながら野口さんに対しては何故国民的救出運動が盛り上がらなかったのか。(略)

これもねぇ.日本に住む中学生が帰宅途中に北朝鮮に誘拐されることと,中国に行って向こうの国にとっての反体制運動して拘留されることがどうして同列に語れるのだろう.覚悟しなければならないリスクが全く違うではないか.

http://d.hatena.ne.jp/spanglemaker/20050103#p3

野口氏には自己責任があると。

<略>横田めぐみさん、拉致された日本人を北朝鮮から奪還せよ、というストーリーばかりが叫ばれるが、めぐみさんはまだ帰ってこない。帰ることが大事なのか。そうではなく大事なのは移動の(国境を越える)自由だろう。一人でも多くの脱北者に保護を与えることに積極的に成るよう、わたしたちは日本政府と中国政府に働きかけるべきだろう。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20041212#p2

「帰ることが大事」に決まっている.

北朝鮮人民に移動の自由を与えることや脱北者の保護を主張するのはかまわないが,なぜあえて拉致被害者を奪還することが<大事ではない>というような不穏当な発言を一緒にするのだろう.自説の説得力を下げるだけではないか.

北朝鮮による拉致被害者を奪還することと北朝鮮人民を抑圧から解放することは二者択一の問題ではない.朝鮮人民を救うために拉致被害者の救済を後回しにしなければならない理由があるならぜひそれを聞きたいものだ.

だいたい「不穏当な発言」とは何を意味するのだろう。a=Bという意見に対し反論があるのは当たり前だ。ある意見に対してそれは「不穏当だ」ということが応答になりうると考えるのは、「風通しの悪い会社」のような閉鎖空間でしか生きた(考えた)ことがないという証拠だ。

「北朝鮮による拉致被害者を奪還することと北朝鮮人民を抑圧から解放することは二者択一の問題ではない.」そのとうりですね。わたしのどこが不穏当かあなたは表現できていないが。

具体的な他者の像

 N・Bさん 遅くなりました。

1月23日の『「正義の模索」を「高次の正義の設定」にすりかえるのはやめていただきたい』という意見は全く賛成です、あの日の書き込みはそれについての追加意見のつもりでした。このようなすりかえがただ現状追認だけをもたらすのは明白です。

というところでやっと共通点がはっきり分かって書きやすくなりました。

 ただまあ、おおやさんと梶さんの言説をきちんと検討するという課題(および「現実主義にどう対抗すべきか」論)はわたしには荷が重すぎます。中途半端に言及しているので応答が(怒りを含めて)返ってきたら対応しないといけないわけですが。(おおやさんにTB送ってないなー)

 「弱い責任理論」「強い責任理論」の説明ありがとうございました。

ただ、慰安婦「法廷」問題はまず第一義的には、「「自立した個人」の意図した行為の責任だけを問う」問題です。おおやさんの言うとおりです。

しかしそれは救済を与える法が存在しないのではなく、救済を与えることを否定する法が存在するからである(時効、除斥期間、個人補償請求権の日韓基本条約等による消滅)。もちろんこの点を争う議論は法的に可能だが(eg. 除斥期間は著しく正義に反する場合には適用されない)、それは「法が不在である」という主張ではない。

http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000150.html  おおやにき: 法廷と手続的正義・続々

で、日本の法廷と戦犯法廷の二種類あるわけで、被告(天皇など)が有罪かどうかという言説ゲームで一番重要なのはおそらく上記のような「著しく正義に反する場合」とは何か、になってくるでしょう。<<天皇有罪>>は戦後日本にとってパレルゴンとして存在し、したがってそれに関係する争点は、自動的に「著しく正義に反する場合」に含まれることになる、というのがわたしの主張です。

 日本の法律理論においても、「著しく正義に反する場合」云々という法理があると、これは「強い責任理論」になるのでしょうかね。法廷という場面では、もちろんそう言い直すことは無意味になります。

 N・Bさんの発言はどういう立場からのものかといえば、「現実主義にどう対抗すべきか」論みたいなところから、ということですね。

 それよりもたぶん野原燐というものがどこに立っているのか?、N・Bさんにも読者のみなさんにも分かり難いという問題がある!

 デリダの他者論(よく分かっているわけではないが)も参照しつつわたしは。

  1. わたしはまず具体的な他者を引き寄せたい、と思う。(id:noharra:20050115#p3,id:noharra:20050125#p1
  2. 彼女たちに言及する権利や視角を予めわたしが持っているわけではない。(悪く言えば)興味本位である。
  3. 「哀れ」という日本的抒情と関係がある、と言ったりするが(いまのところ)でまかせである。

 というようなところで戸惑いながら畏れ多くも文章を書いているのだった。

返信にならない乱文でごめんなさい。

黄色人種の戦い(2)

foursueさんから、2/9に3つのコメントがあった。

# foursue 『「太平洋戦争は歴史的に見れば白人に対する黄色人種の戦いであったとも見れる。」の意味を教えましょう。

太平洋戦争後、アジア各国(中国、朝鮮も含む)が独立したという事実があるので太平洋戦争が白人社会へ対する戦いであったと結論されます。

もしあなたがポツダム宣言を受け入れた時点で戦争のすべてが終わったと思っているのならこのような解釈にはならないかもしれませんが、被植民地であった国々はそのあとも独立のために戦っています。いわば、太平洋戦争はそれら独立戦争の出発点であったといえるのです。

少なくともアジア各地に残った日本人たちの中にはその国々の独立に力を貸した人たちがたくさん居ます。この事実からも黄色人種の白色人種への戦いであったということが言えます。違いますか?中国がどうしたとかそういったレベルの話をしているのではないのです。歴史の流れの中で太平洋戦争がそういった位置付けであると言っているのです。何か間違いはありますか?』

# foursue 『ログインしてませんでした。↑は間違いなく私の文章です。』

# foursue 『後付け加えますけど、私の文章がなぜ恥ずかしいのか理由の説明を求め、あなたが反論し私がそれを否定する意見を述べました。その後の反論はもう無いのかと聞いたのですが?なぜ論じる気がないのか教えてください?私の文章が恥ずかしいというその論点の前にあなたの言う論点があったというなら、私はそれを全面否定してますので、その反論をあなたがするのが筋です。』

「太平洋戦争は歴史的に見れば白人に対する黄色人種の戦いであったとも見れる。」という文には、「歴史的に見れば」と「とも見れる」という二つの譲歩句(というのかな)がついており、わざと意味をぼやかしている。

「太平洋戦争後、アジア各国(中国、朝鮮も含む)が独立したという事実があるので太平洋戦争が白人社会へ対する戦いであったと結論されます。」こちらの文章のごまかしは容易に指摘できる。「太平洋戦争」の主体は(朝鮮などを従えた)大日本帝国であるのに、「アジア各国(中国、朝鮮も含む)が独立した」の主体は(日本を含まない)アジア各国である。

黄色人種って変な言葉であまり使いたくないが。黄色人種は、3つに分かれる。

α:日本、

β:日本に従属していたあるいは「大東亜の大義」に呼応した黄色人種の諸グループ、

γ:日本と戦った黄色人種の諸グループ 

大日本帝国は戦争に負けた。勝ったのはアメリカと中国その他(γグループ)です。ここで「太平洋戦争」という言葉を使うことは、日本はアメリカ(+オーストラリア、英国など)に対してだけ負けて、中国に負けたのではない、と思いたい、という気持ちが反映しているのだろう。

あるフィリピン人の証言を聞こう。

日本軍、つまり日本政府は、植民地国を日本の手で解放しようとしてアジアの国々を攻撃したといいます。もしアジアの国々を占領してから本当に善政を行っていたら、日本は太平洋戦争に勝ったことでしょう。けれども日本は占領した国々で決して良いことをしませんでした。あまりにもひどい虐待を行ったのです。植民地支配からの解放は私たち自身が私たち自身のために闘いとらねばなりません。

p57マリア・ロサ・L・ヘンソン『ある日本軍「慰安婦」の回想』isbn:4000000691

乱暴な検証方法だが実際に戦争をしてみて、γの勢力がβに移行するということが起こったらそれは、解放戦争という意味付けもできる戦争だったと評価できる。しかし例えばフィリピンでは確かに米軍を追い払い、γの勢力がβに移行するという現象が起こった。しかし「決して良いことをしませんでした」という事実によりフクバラハップ団という抗日勢力が起こった。βが再度γに移行した。日本軍が一時的に占領した広大な地域のアジア人大衆は「まだ主体になっておらず」反日に染まっていたわけではない。「決して良いことをしませんでした」ことにより反日に追いやったのは、日本軍の責任である。

「少なくともアジア各地に残った日本人たちの中にはその国々の独立に力を貸した人たちがたくさん居ます。」一部の日本人たちはそういう選択をした。しかし、日本国家を(一定)代表する軍の首脳部は前線から自分だけ最後の飛行機で脱出するといった行動を取るものがほとんどだった。「その国々の独立に力を貸した人たち」のことを戦後日本国家は忘れ、何の顕彰もしていないのではないのか?

日本軍は良いこともした、という弁護がある。弁護はしたら良かろう。多少良いことがあったからと言って全体の性格に影響を及ぼすわけではない。

 フィリピン人の視点からはアメリカ軍と闘いこれを追い払ったことは別に悪ではない、むしろ良いことだ、と言っている。これは、東京裁判における「平和に対する罪」をメインにした日本に対する断罪を、再検討する上で大事な視点になるだろう。

 foursueさんがおかしいところは、「白人に対する戦争」といいながら、開戦時点では、全く逆の世界観を表明しているところ。「ある日突然「お前には食べ物を売ってやらん」と世界中から言われたらどうなるだろうか?」とは、日本を除く諸列強だけを「世界中」とみなすということである。彼が後で強調することになる(日本を除く)黄色人種たちは単なる資源であり主体ではないとみなされている。

 以上、とりあえず。

ビラをまく自由

 投票に行くことより、デモをしたりビラをまいたりする方が有効な政治的行為だと思っている、わたしは。

 去年くらいに駅構内でビラをまいてはいけないという通知がJRの各駅長宛出たという噂をきいた。

 2月24日、東京のある高校前で、ある大学生がビラを配っていたという理由で、その高校長が警察に通報した、という事例があるようだ。

 また次のような噂もある。

  また、式典会場及びその周辺においてビラまきなどがなされた場合には、「住居侵入罪」「道路交通法違反」を活用して警察力を導入せよとの校長宛指導がなされているとの情報もあり、

 道路でビラをまくことについて、警官に嫌がらせをする権利があるかどうか、前から気になっていたので、道路交通法を見てみた。

第76条 

4 何人も、次の各号に掲げる行為は、してはならない。

1.道路において、酒に酔つて交通の妨害となるような程度にふらつくこと。

2.道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。

3.交通のひんぱんな道路において、球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること。

4.石、ガラスびん、金属片その他道路上の人若しくは車両等を損傷するおそれのある物件を投げ、又は発射すること。

5.前号に掲げるもののほか、道路において進行中の車両等から物件を投げること。

6.道路において進行中の自動車、トロリーバス又は路面電車に飛び乗り、若しくはこれらから飛び降り、又はこれらに外からつかまること。

7.前各号に掲げるもののほか、道路又は交通の状況により、公安委員会が、道路における交通の危険を生じさせ、又は著しく交通の妨害となるおそれがあると認めて定めた行為

 これを見る限り、「道路交通法」ではビラ撒きは禁止されていない。公務員が法的根拠なく市民の政治的自由を制限してはいけない。

世界のじくじくした縁(へり)

「世界のじくじくした縁(へり)」という題の文を書きたいと思っている。

 私と世界は自明のものとして私に与えられている。私が健康である限り世界も健康である。語りうるものだけが世界である。あるいは語りえないものはしかるべき祭壇におさまっている。ものはあるかないかのどちらかであり、あるともないとも決められないものはない。

 そのような世界像が果たして正しいのかどうか、を問いたいのだ。そうではなく、世界の縁(へり)はつねに揺らいでおりじくじくと滲んでいるのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050212#p1 で「素顔は差延する」という奇妙なタイトルで、あるところである人が死んだ話を書いた(コピペした)。ある人とは誰か。ある若い妊婦と書いてあったがいまは名前は思い出さない。

「わたしは彼女を思い出さない。」この文章はパラドックス(成立しえない文)である。対象が特定できたとすればそれは思い出したということであり、「思い出さない」は虚偽になる。彼女という言葉が発せられた以上それはなにものかを指しているわけですから、「対象が特定できなかった」場合はありえない。忘れたものはその対象を名指しえない。

 ある若い妊婦の話は、もちろん私に何の具体的関わりもない。あるメルマガで流れていたものをたまたま引用したのだ。それを引用した動機は二つ在る。一つはインドネシアの東アチェ県で続いている人権侵害の極限としての殺人、そのことにわたしたちは関心を持つべきだという社会派としての関心。もう一つは、ある女性の死(殺されたこと)が私に関係あるのかどうか、という哲学的問いの素材としての関心。前者を否定できない以上、後者を取り上げるのは不謹慎だ。だがわたしの問題意識は2/12の段階でも後者に比重があった。

「ある人の死(殺されたこと)」とは私にとって何だろう。いまこのブログは二人の死者の名前をヘッダに掲げている。死者の名前を何に利用しようとしているのだろう。死者は決して語り得ない。したがって死者の名前に言及することは彼女のものであった何かをわたしが横領することであり暴力的である。だがヘッダの二人の名前は私によって選ばれある効果のためにそこに置かれている。わたしは幾ばくかの関係を彼女たちの名前との間に結んでいるのだ。また、id:noharra:11001201に、トマサ・サリノグ、朴永心という二人の女性の名前が証言と共に載っている。名前ではなく「従軍慰安婦」というおかしな普通名詞で呼ばれるだろう彼女たち。国際法廷とは普通名詞ではなく固有名としての彼女を奪還する闘いでもあった。この4人に対しては「あなたを忘れない」との思いを肯定する多少の人々の集まり(それぞれ別の)があるだろう。だが東アチェ郡の彼女について、「あなたを忘れない」と思っている人はほとんどいない。わたしにしてもそれほどの思いはない。そうした状況は是正されるべきだ。インドネシアにおける国家犯罪に対し、日本国家と国民はイスラエルのそれに対するよりずっと大きな責任を持っている。そのことは事実であり、皆がそれを自覚すべきなのだろう。

 一瞬通り過ぎたがそれきり私とは何の関係もないあるニュース。わたしが私である限り、知っているものだけでわたしは構成されている。というのは嘘である。世界の果てには幅広いじくじくした領域があり、そこではたくさんの殺人やレイプがある。そうであるのにわたしたちはそれを深くは気にせず生きている。2/12に書いた死者とわたしとの間には関係は成立していない。いや正確には「成立している」と記述する必要はない、とわたしは思う。

 わたしは奇妙なことを言おうとしているのだ。なんども書くが、「インドネシアの東アチェ県で続いている人権侵害の極限としての殺人」としての彼女についてはわたしたちは関心を持つべきだ。だがそのようにその彼女をわたしたちの価値の内側に引き入れたとき、その外側にじくじくした領域は残る。

ナショナリズムと昭和維新

# index_home 『ある程度同じ思想信条を持ち合わせているといっても、やはり個人個人で違う人間ですから、細かい部分では差異があるのは当然なのでしょうね。でも、それで意見を交わしていくとまたお互いの論を高めあうことができるような気がします。(例えば「君が代の強制に明確に反対」という論理を各人で磨きあうことができる…とか) 

ちなみに>「パトリオティスム/ナショナリズム」を違う物として考えて、前者を肯定し後者の現実の国家組織への忠誠という面を全否定する>という論理なら、私も近いかもしれません。また細かく検討すると差異があるのでしょうけど。』

(野原)

おっしゃるとおりだと思います。さて、

id:noharra:20050324#p5 で尊皇攘夷運動について触れましたが、昭和でそれに近いエトスを持った運動としては、226などの昭和維新運動があります。

 hikaruさんの文章を始めて読んだのは偶然で、3月の始めでした。226事件被告たちの「ご法事」に行かれて、磯部浅一のご遺族にも会われた文章が印象的でした。226事件被告たちはあっさり殺されてしまったのに、その後に展開した大東亜戦争の罪まで被せられて可哀相です。戦後左翼史観は彼らに対し偏見に満ちた評価しかできなかった、のではないでしょうか。

 昭和維新派について知識があるわけでも無いのですが、そういったことも含めて、ナショナリズムについて語り合いたいです。

粛々と式典を行いたい

# fantomeye 『呼ばれたので出てきました。日の丸が正面だろうが歌うのが君が代であろうが、私達生徒はそれを粛々とやるだけの話です。日の丸が正面だったからなんだというんですか? 難癖つけて式典をぶち壊す大人のほうがよほど迷惑です。日の丸が正面にあったからって卒業式の思い出は清いままですが、そこで思想ふりかざしてゴネる大人が居るほうが、思い出にとってはよほどマイナスなのです。部外者が勝手に思想を持ち込んで騒がないでください。』 (2005/04/04 08:53)

# 1 『井の中の蛙 未だ大海を知らず

2ちゃんねるってしってるんだからそこへおいでよ 自分の家のトイレで落書きしても、恥ずかしいのも知識や意見を聞くことは出来ないよ

便所の落書き 結構じゃないですか、一度便所と言われる其処を見た方が

貴兄の為だよ』 (2005/04/04 11:23)

# snusmumrik 『全くひどい話です。以下、本宮ひろ志先生を支援する勝手連(通常時・ネット右翼問題を考える国民会議)の投稿ガイドラインから引用させていただきました。

http://sinrigakukenkyu.ameblo.jp/entry-2b60315ab5ef442bdb67193199b7f2c4.html

この辺が参考になるのではないでしょうか。

「当ブログで初めてコメント欄を利用される際、(中略)ハンドルネームとお持ちのウェブログのURLを明記してください(お持ちでない方はハンドルネームのみで)。私は当ブログを家の一部のようなものと考えておりますが、他人の家を訪問する際に名を告げて挨拶をするのは当然の振る舞いでしょう。挨拶というのは人倫の根本です。挨拶もできないくせに偉そうに国民の義務を語る方は早々にこの場を立ち去って義務教育をやり直してください。」』 (2005/04/04 13:21)

# mikogami 『初カキコさせて貰います

東京都の命令であると判っているなら

東京都に対して政治活動を行えばいいのです

これ以上生徒や教師を苦しめないでください』 (2005/04/04 14:15)

# 転載 『文句があるなら、こんな他人のブログでコピペ思想を振り回してないで、

自分の嫌いな教師なり日教組なりに直接言えばいいのですw

これ以上ブログ主を苦しめないでください。笑いすぎの腹痛でw

だいたい何が「私達生徒は」だ。

今日びの生徒が「粛々と」なんて物言いを、いったいどこで覚えるかってのw

さあ、これでもくらって帰れ帰れ。

▼【テンプレ】日の丸・君が代の強制を無効化するアクション!(処分不可能)

http://ch.kitaguni.tv/u/8016/%a1%da%a5%c6%a5%f3%a5%d7%a5%ec%a1%db/0000187681.html

▼アムネスティ・インターナショナル日本

「君が代」斉唱の強制に人権上の強い懸念を表明

http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2004/0406090.htm

▼天皇陛下が「日の丸・君が代強制」に懸念を示されました

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20041028/20041028-00000038-ann-soci.html

宮内庁、このご発言を「日の丸・君が代を強制しない」という国旗国家法制定時の首相発言や政府方針にそうものだと言明。

http://www.asahi.com/politics/update/1028/003.html

南野知恵子法相も「自主性に任せるべき」と発言。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041029-00000052-kyodo-pol

天皇・宮内庁・法相がダメだというものを、

なにゆえ校長が強制できるのか。

愛国者を自称するならば、大御心の深さを思い、いますぐ教育現場への強制をやめましょう。

強制するものがあれば、それはもはや朝敵・国賊ですw

石原都知事と東京都教育委員会、およびその子飼いの校長たちは

海よりも深く反省しなさい。

他人のブログに、事実や根拠の示せない感情論をまきちらすステハン・捨てはて名どもは

日本人として恥を知りなさいw』 (2005/04/04 16:42)

# ぶらふぁ~ 『>今日びの生徒が「粛々と」なんて物言いを、いったいどこで覚えるかってのw

オマエみたいな頭の悪い大人等及びもつかない程、今の若者は国語に通じてるよ。

ハイティーンが昨今の文学賞を総なめにしている現状をなんと見る?』 (2005/04/04 19:11)

# mikogami 『うわ…痛々しいな…

この長文書いてる人は管理人さんじゃないよね?

管理人さんならもう来ませんけど』 (2005/04/04 19:42)

# fantomeye 『いやですねー、所詮生徒ごときが、子供ごときが、みたいな感じが見え見えで。ご自分の学生時代を基準にして考えないでいただきたいものです。生徒がこーいう物言いするのは信じられませんか?それこそ偏見ですよ。私の物言いが不自然と感じるなら、小学生が日の丸君が代に反対するのも不自然極まりないと思われてますよね?』 (2005/04/04 20:16)

# fantomeye 『転載さんの学生時代がいつごろか知りませんが、今はネットがこれだけ発達した時代です。その気になりさえすれば私のような学生でも活発な議論の場に参加できますし、そこでの物言いに影響を受けることも出来ます。転載氏はよほどボキャブラリーの貧しい子供時代を送られていたのかもしれませんが、それをもって現在の標準だと思い込まないで欲しいですね。』 (2005/04/04 20:19)

司法と政治とイデオロギーがごっちゃになって

# hizzz 『ども。「女性戦犯法廷」もnoharraさんの論説も、司法(=法)と政治(=反国家)とイデオロギー(=国家的性奴隷制)がごっちゃになって一体化してます。そして東京裁判の最大の欠点はそゆ「権力」が一方的に裁いて死刑にしてしまったことです。>「やられたらやりかえせ」

一番のプライオリティは何ですか?「慰安婦」をどう保障すべきかという具体的提言なのではないでしょうか。

最後の「国民に強制した国家を支持するのだな?」という文言にみられる、国家vs反国家という二分(による絶対正義権の発動=イデオロギー)矯正と、「女性戦犯法廷」が本当に求めたはずの国際法での(考えられるかぎりの公平な)ジャッジは離反しますよ。そういう民主主義的「多様性」を排除した中で、いくら声高に「正統正義」をいいたてても、国家vs反国家ということにしかならないではないですか。そしてそれでいい、というのなら、まさに「慰安婦」は反国家パフォーマンスもしくはPC(ポリティカル・コレクトネス)のネタでしかないでしょう。』 (2005/04/18 20:51)

(野原)

乱暴な批判に応答ありがとうございます。

ですから、

こないだの大戦で「生きて俘虜の辱めを受けず」を国民に強制した国家を支持するのだな?(野原)*1

を、「国家vs反国家という二分(による絶対正義権の発動=イデオロギー)矯正」と読むかどうか、が論点なのですが。

1.こないだの大戦で日本国は「生きて俘虜の辱めを受けず」を国民に強制したのは事実ですね。

2.それを「過去は切り捨て平和国家建設」という形で総括し戦後の日本国家は始まった。

3.小泉の靖国参拝から「憲法改正へ」への動きは、「2.」の全否定としてある。

4.ここにおいて、少なくとも「1945.3.10~1945.8.15」の間に死んだ死者たちは目覚めて歩き回りはじめた。

というのがわたしのパースペクティブです。

 このような構造に無自覚であることは、「国家」という言葉で、戦前戦後のべたらな「3.」レベルの国家イメージを肯定してしまっていることになると思います。

*1:この文章はhizzzさん宛に書いたものではありません。drmccoyさんあて。念のため。

更新履歴

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/

の更新履歴です。

050503

2)indexファイル: 「掲示板についての原則」のテーブル化

3)indexファイル:「松下昇への接近」の案内文の最初「ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。」の削除、など。

(訂正前の文章)

ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

「故人」の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。現在試行中。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。20030812~1005

4)「刊行リスト」での「スペースAK」へのリンクが切れていたので繋ぎ直す。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu992.htm

5)

 現在までうちのサイト(インフォシークnoharra)、及びhatena(ここの1100年のところ)(htmlファイルを白紙から作るべきだが面倒なのでとりあえずhatenaを利用している)にUPした、松下昇の表現は数えると10個あった。(洩れているものもあるかもしれない。)

あんかるわ版表現集から、「私の自主講座運動」と「情況への発言など」、あとの8つは概念集シリーズ(全14冊+α)からだ。下記に目次掲載した。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000110#p1

indexファイル(表紙)には、「私の自主講座運動」「情況への発言など」「「概念集」から」と、三つに分けて表示し、最後のに上記をリンクした。

050502

1)概念集3の目次 テーブル化やっとできた。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000111#p4

(エクセルでいうセル結合を、tableでどうやってやるのか、まだ分からない。)

050501

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe1.html Let it be

誤字訂正 4ヶ所

(訂正前)・至らしめ、、

・とこかで

・この対応への耐えがたさか

・・・・

040811

・概念集の1項目の「批評概念を変換し…」を追加。索引から入ってください。きっかけは、掲示板で「無意味と言葉」について話がでたため。

参考:

040509

・『表現集・1』より「わたしの自主講座運動」を追加。表紙から入れます。

040429

・・ 野原燐の頁「いま非国民カードを引こう」に「天皇あるいは言説について」を追加。

040427

・概念集の1項目の「連続シンポジウム」を追加。索引から入ってください。きっかけは坂本守信氏の学友会裁判の最高裁判決がでたため。

参考

040307

・トライポッドからライコスへの移行に伴い、壊れていたカウンタを再作成。リセットされた。ちなみにはてなの野原日記は、短期間で現在1345。

・更新履歴が「新しいものが下」になっていたが「新しいものが上に」置き換える。

0402某日

・「noharra(野原の日記)」を「彎曲していく日常(野原の日記)」に変更。

031124

・「掲示板」の上に「noharra(野原の日記)」を追加。

いままで掲示板に(平均週1回程度)野原は書き込みをしてました。

11月から「はてなダイアリー」というところで、日記というか文章をUPすることにしました。現在、こちらの方によく書き込んでいます。。

031011

・「Let it be」の文章の行間を開けて読みやすくするために、

スタイルタイプの記述を入れてみた。

(そのtagをここに書くとhatenaではここまでしか表示してくれない)

スタイルシートというものだそうだが上手くいくのか。

・「更新履歴」を作成、UP。

031005

・タイトルを「O<<   >>O」から、

「<<<<<<   >>>>>>」 に訂正。

・「表紙」訂正:メインコピーの1行目に、

「全ての問いを、その極限まで展開しうる状態の中に存在せしめよ!」を追加。

・更新履歴を追加。(中身はなし)

・概念集の1項目「Let it be」をUP。(上記「存在せしめよ!」からリンク)

・「バリケードと松下(写真)」を追加。(中身も)

・「掲示板」自由に書き込んでくださいの下に下記を追加。

|(今頃言うのもおかしいが原則を定めます) 1.公開

|2.参加者の自由な討論ですべてを決定する

|3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が

|  各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

030812

・「表紙」訂正:下記メインコピー二つを削除。

「…… 告発し、占拠する、関係としての原告団をつくろう。」を追加。(松下氏のフレーズ)

・「一旦縮小」の文章追加。

ここを開始してから2年経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

故人の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。2週間以内に再出発する予定で、一旦縮小します。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。 20030812

・「亡くなりました」訂正:(蛇足)で何が書いてあるのか を追加。

030717

・「表紙」訂正:メインコピーを二つ。(いずれも松下氏の文)

「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」

「汝はなぜここにいるのか。もはや、ここから脱出することはできない。ここに集中してくる全てのテーマを一人でも生涯かけてひきずっていく力を獲得するまでは。」

2001/07/24ごろ このサイト開設(掲示板「北海」も)。

・・・・さらにその前史。hi-hoとあと一つの場所で開始を試みる。2年ほどはやっていたような気もします。内容はここと大体同じ。