ラファの動物園の破壊

Summer in the city

Summer in the city(ザフーかと思って確認したらラヴィンスプ-ンフルだった)をラテンのけだるい女声でやっていて面白かったので、昼間から安い赤ワインを少し飲んでしまった。さっき二百円で買った北野勇作 『かめくん』というのを一章だけ読んだが良かった。リストラになったフォークリフト労働者が辛うじて場末の木造アパートに入居できるというプロレタリア文学風の地味な書き出し。文体に余剰がないので疲れずにどんどん読める。p34、「これがキール」という男の子のセリフでわたしはあっけなく感動した。*1

*1:キール、背甲の縦に隆起した部分

女童べの言葉

本居宣長『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』を新潮古典文学集成isbn:410620360XC0310 で読んだ。この全集は文章の半分くらいに現代語訳でふりがながふってあり、現代語訳を読みながら原文を読んだ気持ちだけは味わえるという私にとってはありがたい本です。

和歌についての問答形式で書いているので論点が明快で読みやすい。

「歌はひたすらに物はかなくあだあだしう聞えて、ただ女童べ(をんなわらはべ)のもてあそびにこそしつべけれ、まことしういみじきものと見えぬにや。」*1

女や子供のもてあそびものでたいしたもんじゃないだろう?ととても失礼な問いかけからある節は始まる。宣長答えていわく「まことにさることなり(そのとうりである)」(漫才ならコケルところ)でも結局は彼は次のように力強く言う。

「詩はもと人の性情を吟唱するわざなれば、ただ物はかなく女童べの言めきて(言葉みたいで)あるべきなり。」その背後には「大方人は、どんなに賢しきも、心の奥を尋ぬれば、女童べなどにもことに(特別には)異ならず」という人間観がある。その通りだと思う。今からおよそ250年ほど前の発言として非常にラディカルなものだ。唐の人の書いたものなど、「誰でもみな己賢こからんとのみするゆえに、かの実の情の物はかなく女女しきをば恥ぢかくして言にもあらわさず」「まして作り出る書などは、うるわしく道々しきことをのみ書きすくめて、かりにもはかなだちたる心は見えずなんある。」*2全然書いていないものを読みながら、あなたの心の奥には女童べと同じものがあるのだと断言する。なかなかすごい。

*1:p406同書

*2:p409同書

パレスチナと南京(その2)

http://d.hatena.ne.jp/milkbottle/20041018 はてなダイアリー – NEWS GARAGE【カバ式会社おばか通信】のブログでは、イスラエルによる虐殺に触れた後、「南京」にも触れている。

「 それによると、監視所からの銃撃があった後、倒れた少女に司令官の大尉が近づき、頭と腹に1発ずつ、さらに至近距離からライフルの弾倉が空になるまで銃撃を続けた。複数の兵士が同様の証言をし、少女の体からは約20発の銃弾が見つかった。」

イスラエルは決して大虐殺はしていない。ちょっとずつ注意深く殺している。日本の「なかった派」みたいに無邪気じゃない。

私たちの加害性

スワンさんからコメントをいただきました。

# swan_slab 『こんにちは、私のいう”加害者”というのは、その前段の水俣における私達の加害性という議論から流れてきています。誰に対する加害性かという個別の被害との関係で理解しているのです。しがたって【アジア諸国との関係で】という部分をいれる必要がありました。アジア諸国との関係で果たして日本人が被害者といえるかどうか、そこは認めざるを得ない。そのうえで個別の色いろな、それこそ多様性のある生き方が追体験されえない切断状況にある、そういう認識なのです。』

「通りすがり」さんから紹介いただいたサイトの文章もたいへん興味深かったです。(http://www1.odn.ne.jp/mushimaru/majiessay/mesy006.htm

イスラエルの核告発者 バヌヌさん逮捕される!

http://www.onweb.to/palestine/siryo/vanunu-11nov04.html

ナブルス通信編集部 

2004年11月11日

イスラエルが秘密裏に製造していた核兵器の存在を世界に明かし、そのことで18年間イスラエルの獄中に囚われていたモルデハイ・バヌヌさんが、わずか7ヶ月あまりの「獄外生活」の後、今日(11日)再び逮捕されてしまった。

容疑は釈放条件である外国のプレスとの接触禁止に反したためだという。「国家反逆罪」で18年の刑に服した後も、バヌヌさんに対しては海外渡航禁止のほか、様々な禁止事項が超法規的につけられていた。しかし、バヌヌさんはBBCの他、様々なメディア──日本の朝日新聞も含め──に登場し、イスラエルの核政策と、それだけを野放しにしている世界を批判し続けてきた。

イスラエルのディモナ核施設で働いていたバヌヌさんが、1988年に英国「サンデータイムズ」紙に明かした情報によって、イスラエルが世界で6番目の量となる核兵器を所有していることが裏付けられたが、バヌヌさんは諜報機関に拉致され、秘密裁判にかけられて、18年間(うち11年半は独房)の獄中生活を送っていた。釈放されたのはこの4月のことだった。

イスラエルは世界中が知っている自国の核兵器の存在を「否定も肯定もしない」という政策をとり続け、核拡散防止条約に批准せず、リビアやイラン、北朝鮮とは異なり、一切の追及から免れている。「大量破壊兵器保有」を理由に侵攻されることもない。

AP通信(11日付)によると、バヌヌさんを支援し続けてきた元・サンデータイムズ記者、ピーター・ホーナム氏はAPのインタビューに応え、バヌヌさんの逮捕を「身の毛がよだつ」と言っている。

「イスラエル政府はアラファト氏の死去を(バヌヌ逮捕のタイミングとして)故意に利用している」とホーナム氏。

「合州国は核兵器プログラムに関してイランに圧力を加えている。同じことがイスラエルにもなされる必要がある。イスラエルを忘れてイランに焦点を合わせることはできない」と彼は述べた。(同上)

 さらに、バヌヌは、アメリカがありもしないサダム・フセインの大量破壊兵器を求めてイラクに侵攻したというのに、大量破壊兵器を極秘にごっそりと溜め込んでいる国に対しては政治的、道義的、経済的な援助を与え続けてきていることも世界に思い出させるだろう *2。

  *2……米国からはイスラエル支援に年間約30億ドルが拠出されている。米国の対外援助では第1位。また、対イスラエル批判を盛り込んだ数々の国連決議が米国の拒否権発動によって成立してこなかった。

http://www.onweb.to/palestine/siryo/vanunu421.html

「バヌヌさんの釈放前に」──中東でヒロシマを繰り返さないために

ほんとうに勢いのある精子なのか?

 上記検索システムより、 衆議院 – 文部科学委員会 – 13号(平成14年06月05日)から引用してみたい。社民党の北川れん子氏の発言。

 今、どうしても、前回もなんですけれども、社会的な議論というのが成熟していない中で、研究者の、研究をやりたい、おもしろい、新しい分野だということでの意欲と、多くの人たちが余り多くの、言葉遣い自身を知らない中でとり行われていくということへのそごをどう埋めるかという議論を前回させていただいたと思うんです。

 例えば、不妊治療の現場ではこういう言葉が使われていますね。精子進入検査、ハムスターなんかの卵に男性の精子がうまく入るかどうか、そういう勢いがある精子なのかどうかということで、受精卵をつくることができる精子かどうかを調べるという検査らしいんですけれども、不妊治療の現場というのは、本当に人数が少ないカップルの中でとり行われる、そこでしか卵とか胚とか受精卵とか、そういうものを入手することができないということで、ここに偏って現場が盛り込まれていくので、今言ったわけです。

 もう一つは、最近報道がありました、卵子を若返らせ受精成功ということで、核を取り除いて若い女性の卵だけ、その核を取り除いて四十五歳前後の方の核、だから遺伝子はその四十五歳の方の遺伝子だからその人の子供だという意味だろうと思いますが、そういうことで、二十代の女性が提供して、幾ばくかの、二十例の中の一つが、子宮に戻すことはまだしていないんですが受精をした、受精卵になったという報道もありました。

 ということで、私たち、やはり不妊治療の現場のことをもっと一般化して、話して、これを言えば、例えば、精子進入検査というのがどういう問題なのか、聞けばわかる。それは自分が不妊治療の状況というものを経なくてもわかる。卵子を若返らせる受精卵とはどういう意味を持つのか、それもわかる。試験管ベビーと言われた衝撃的な言葉遣いが、余りにもわからなかったので衝撃的というふうになるわけですが、そういうものをもっともっと社会に議論を提供しながら、生命倫理の問題と絡め合わせて、日本はどの道を行くのだということをもう少し私は深めていく必要があると思います。

何を言っているのか、分からないのに引用するというのは良くないのだが・・・

「二〇〇〇年に成立しましたヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律と、今の再生医療の現場、またES細胞樹立に向けての急速な進展とを絡め合わせまして、不妊治療の問題とも兼ね合って、」という情況が存在するらしいのだが、勉強不足でよく分からない。<若さ>とは何か、ということを考える。歳をとるということは、細胞レベルのバグが増えると言うことなのか。若い女性の卵から、核を取り除き、四十五歳の女性の核を入れる。それは後者の女性の子どもになるのか? 興味深い問題だと思った。

 北川氏は排卵誘発剤の副作用についても質問し、副作用による死亡例として5例あるとの答弁を得ている。それについて彼女は「女性たちにとって、子供を持つことの意味が、女性はどうしても押しつけられて、子供を持たないと一人前に見られないという前近代的な旧弊な考え方、家族制度の中でからめ捕られて、子供を持たざるを得ないというふうに自分を思い込んでいる女性も多い」という情況を指摘し、そのような歪んだ情況は本来正されるべきもの(「ジェンダーの解放や女性の平等施策等々が進む中では意識は変わってくる」)であるのに、そのような情況におけるニーズに答えようとして先進医療技術が進んでいき、その結果死亡例まででていることは「重く見ていただきたい」と強調する。先鋭的医療技術が生命の神秘の領域に食い込んでいること自体を禁止すべきではないだろうが、一方で動機の低俗さが存在すること、このアンバランスさに驚く感覚は大事なものだと思う。(イラクにおいてとても精密な兵器が野蛮に人を殺していることへの驚きと同時に。)

母親の怒った顔

『新潮』200501月号に載った短編「雀」から部分引用。

 彼女は手が震えていたか、さもなければ集中力を失っていた。理由はどうであれ、テイーカップを運んでいるときに倒れ、カップが砕けてしまった。カップとともに彼女の心も砕けた。ガップには甘い紅茶が入っていた。

 廊下に母親の怒った顔があらわれた。怒っているとき母親の顔は恐ろしかった。

(略)

 母親は廊下の端からまだみていた。見続けるほどに歯を強く食いしばっていくようにみえたし、こぶしを握りしめ、腕の毛を逆立たせていた。

 母親がまたぶちに来るようにみえた。髪の毛を引っぱり、嫌というほどつねりに来る。どうしてお母さんは飽きもせずわたしをぶつのだろうと彼女は思った。それどころか、ぶてばぶつほど、お母さんは気持ちが強くなり、ほっとできるみたい。まるでわたしに、わたしのやせた小さなからだに当たり散らすことで、誰かに仕返しをしているかのよう。いったい誰に仕返しをしようとしているの?

 ああ、と彼女は破片を片づけながら思った--たぶんみすぼらしいからだに仕返ししているんだわ。なぜ?

 お母さんがわたしをぶてないときは、部屋中を歩き回り、誰かをののしっている。何かが欲しくてたまらないのに、手に入れられないみたい。お母さんは何が欲しいの?と彼女は考えた。破片を片づけているとき、尖ったガラスで手を切ってしまい、血が流れてきた。

 母親は離れたところからしばらく跳めてから、深呼吸した。ぶちたいとは思っていないようだ。たぶん疲れていたか、たぶん手の血をみて怒りがおさまったのだろう。

「怪我をしたのかい?」と母親はいつものようにそっけなく冷たい口調できいた。

 彼女は震えながら立ち上がり、スカートで破片を包んで台所にもっていった。歩いているとき、母親の憎しみのこもった言葉が矢のように感じられた。もうひとつの部屋にいるときにも、同じ矢をいつも彼女に放っていた。母親は自分の部屋に座り、怒りながら黒いタイプライターを打ち、キーを打つ音ひとつひとつが、母親が彼女を狙って発射する弾丸のようだった。

 母親は夢のなかでも彼女を撃った。うなりをあげる戦車のような黒いタイプライターに乗り、彼女を礫いていく。タイプライターのキーを押して、彼女のからだを濾し器のように穴だらけにする。それから彼女のからだをみて、それを貫いているのが弾丸ではなく、タイプライターから飛んできた苦悩の言葉であることに気づく。彼女から隠れるために走って行くが、からだじゅうには同じ言葉。

 彼女はスカートで破片を包み、膝をすり合わせるようにしながら台所に向かった。そこでゴミ入れのふたを開けて、破片をなかに流し入れ、耳を廊下のほうに向けた。米粒ほどのガラスの破片を捨てた。破片をスカートから手のひらに注いだ。

id:noharra:20041218に続き「文学アジア」という特集からもう一つの、部分引用。

 アゼルバイジャンの女性作家、1957年バクー生まれ。アファグ・マスードの短編「雀」から、はじめの部分。「アゼルバイジャンの」女性作家という紹介を後に持ってきたのは、紹介がなければそうは読めないテキストだからだ。タイプライター(今だったらパソコンのキーボードだろうからちょっと古い感じはするが)を打つ母親が子どもを虐待するという情景は、途上国というより先進国に似合うといった意識。それは私だけではなく広く共有されているのではないか。

“アゼルバイジャンの女性というだけで彼女は二重のサバルタンであり、彼女の役割は二重の抑圧を突破して被抑圧者の悲惨と(自然とともに生きる)祈りを表象代行することだ。彼女の役割は、自身が持つ加害性を摘出することなどではない。*1”そう主張する人は、結局のところ、自分がすでに持っている世界解釈の枠組みが歪むことを嫌い、文学の可能性である、世界と初めて触れあうときの痛みを忌避する人に他ならない。

*1:南アの白人男性クッツェーと場合とは違うから

インパクションか

mojimoji 『記事の所在わかりました。

インパクション1997年11月号(通算105号) 「「償い金」は何をもたらしているのか」

年度も掲載誌もタイトルも全部間違い。どういう記憶力・・・。orz』(2/17)

ところで、わたしが1冊だけ持っているインパクションを見たら、西野瑠美子さんの「女性国際戦犯法廷は歴史に何を刻んだか」という短文が掲載されていた。(2002年 通算129号)

彼女が強調しているのは、以下のような点。

  1. 「法は市民社会の道具であり、独自に機能しようが国家と結びついて機能しようが、政府にだけ属するものではない」(判決文より)という点
  2. 当時の国際法においても「慰安婦」制度は犯罪であったことを明らかにした。
  3. 1907年のハーグ条約の付属文書「陸戦の法規慣例に関する規則」第三条を「個人に独立した損害賠償請求権を付与するものであるというカルス・ホーベン教授らの意見を採用した」(判決文より)