(首相に対し)「靖国参拝なんざ止めろっ!」

と綾川亭さんは歯切れが良い。激しく同意したい。

で、あげくにこのざま。あれだけ、国内外からとやかくいわれながらも、靖国通いを止めなかったのだから、何か策があるのだろうと思いきや、なんだい、いざとなったら、行くということを明言しなくなり、次第次第に離れるようにし(最近のぶらさがり会見では小泉は靖国通いに触れなくなった)、そして今回のような国際会議の場で、あいもかわらずのお詫びの繰り返しか? だったら、お前のやったことは靖国に通って中韓の対日感情悪くしただけ歴代のお詫び外交より始末が悪いわ!

http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050422#p3

 東京大空襲*1から広島長崎の犠牲者に対し当時の支配者は、戦争をさっさと止めなかった責任がある。そこから考えると、日本人は東条免責して良いのか、とわたしは問うている。出発点は違っても、参拝反対という結論は同じ。

 それと本来(言うだけ無駄という徒労感もあるが)、自分の思想を他人にも分かるような言葉で分節化し、文章化するのが、政治家の仕事であるはずである。小泉の思想が私と違うのは当然だが、自分なりの理屈を堂々と世界に向かって表明すべきである。「日本人なら犠牲者を弔って当然」という「当然である」「自然である」という語彙しか持たない人々。それでは他者はまったく説得できない。

 それでも付いていく人たちが沢山いる・・・・

*1:綾川亭3月25日にリアルな描写あり

賀屋興宣(かや・おきのり)(7/5追加)

上に「天皇や権力中央の一部に対しても絶対秘密だった、と。ある種のクーデターといえるほどのものですね。」と書いたが、これは具体的にはまず第一に、その前年にに死んだ賀屋興宣氏の直系分子に対する秘密、ということになるのだろう。

(朝日新聞2005年06月27日)

 そういえば、かなり前になるが、A級戦犯のひとりが遺族会のトップだった時代がある。62年から15年間も会長の職にあった賀屋興宣(かや・おきのり)氏だ。日米開戦時に東条内閣の蔵相だったことからA級戦犯として終身刑を受けたが、10年間の服役後に仮釈放されて政界に復帰。その後は自民党政調会長や法相を務めた大物政治家だ。

 そうか、さては遺族会を「正義の戦争」論に導いたのは、賀屋氏だったのか。そう思って氏の回顧録や新聞記事などを調べてみると、大きな見当違いだった。日中戦争を「意味の分からぬ戦争」といい、米国との戦争に至っては、何と無謀なことをと、しきりに断罪しているではないか。

 大蔵省の出身の賀屋蔵相は、日米の開戦に抵抗した。結局、東条英機首相らの軍部に押し切られたのだが、しかし「いくら反対したからといっても、戦争責任者として切腹ものだ」などと自分を繰り返し責めている。

    ◇

 東京裁判はやはり問題だらけだとしているが、違うのはその先だ。外国による裁きでなく「日本人は自主的に戦争責任を判断する必要がある。あれだけの日本の歴史に対する汚辱と、国民の惨害に対して、重大な責任者がないはずがない。私はその一人である」。日本人の手で戦争責任者を問えなかったことは「日本国民として遺憾千万」とも書いているのだ。

 遺族会の会長を引き受けたのは償いだったといい、遺族年金の増額などに腕を振るった。靖国神社の国家護持運動を進めるような時代錯誤の面もあったが、叙勲を辞退し続けるなど自責の念を持ち続け、77年に亡くなった。東条氏らが靖国に祀(まつ)られたのは、その翌年だ。賀屋氏がこれを知ったら、果たして何と言っただろう。

http://d.hatena.ne.jp/makuramori/20050704 からコピペさせてもらった。

すいませんでした、ButterflyNamidaさん

 前回のコメントは感情的になりすぎていました。上記と差し替えました。

すいませんでした。

なお、(訂正前は以下の通りでした)

信じられません。そんなことを言うくらいなら「大東亜の大義」について真面目に考えたらどうだ。「イラク占領」に加担することは大東亜の大義に反すると思うぞ。あなたの現在はアメリカに魂を売り渡しているわけではないのですね。

「実際、その通りだっただろう。」は全くの事実誤認。

沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生

「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきりと形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。

生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかってなぜおれひとりが自分を咎めなければならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、

かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。 大江健三郎(「沖縄ノート」69、70頁)」

 60年後の今日も沖縄は圧倒的な米軍基地と共に存在しており、本土はそうではない。沖縄の民衆/本土の民衆(日本人)という対比は存在する。

しかしながら、「血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきりと形をと」ったものが、そうした対比が尖鋭化したものだという大江の理解はデリダの思想とはかなり違う。

 デリダはあからさまな権力関係を難解でアクロバティクなレトリックで誤魔化しているだけなのだろうか。わたしはそうは思わないのだが、さてどう説明したらよいだろう。

 たぶん現在のhatenaでは大江よりデリダの方が人気があると思うが、まあそれはどちらでも良い。『沖縄ノート』とかって「クサイ」みたいな高括りというのはその当時(1970年)ころからあり、わたしなどはそうした風潮のなかにいた。しかし大江のというか沖縄の「罪の巨塊」を無視してデリダの「幽霊」についてだけ語っても無意味だと思う。どなたかコメントくだされば、それを梃子に考え続けて見たいと思う。

(無責任だな。)

「新しき古(いにしえ)」の精神

ではその古代復帰の精神とは何か?(中略)これは今日普通に唱えられている日本精神とか、国民精神とかいうような封鎖的な、排外的なものではなくて、道徳としては「直ぐな心」を第一に建て、理想としては「自然に帰る」ことを憧憬し、実際的には「洋学をもって砥石として更に日本的なもの」を磨き上げる進歩的な方向を求めるものである。これが見逃されてはならない。この道徳と、この理想と、この実際とが、具体的にどう一致するかは、半蔵においても、作者においても問題ではなく、ただそうした素朴な浪漫主義と、単純なヒューマニズムと、観念的な民族主義との混淆した「精神」こそ、彼らにとって「新しき古」の道なのである。

(青野季吉)

これは青野の『夜明け前』評から。上記「半蔵」とは島崎藤村『夜明け前』の主人公青山半蔵を指す。

朱子学がその社会倫理の根源とした仁をはじめとする徳目の実体を国学は否定したわけではない。徳を規範化することと、それを振り回すことが官僚的知識人の権力行為になっていることを批判した。

わたしたちの現在の「右傾化」も、アサヒ*1に対する批判として形成された。平和主義を規範化することと、それを振り回すことが官僚的知識人の権力行為になっていることを批判した。とも言える。

現在、祖国というものにわたしたちは、<素朴な浪漫主義と、単純なヒューマニズムと、観念的な民族主義との混淆した「精神」>を幻視することができるのだろうか。

私としては、ぷろれたりあ・インターナショナリズムやマルチチュードの想いを唱い上げることに異論はないのだが、・・・ 上澄みだけのプチブルの普遍主義、コスモポリタニズムより、「新しき古(いにしえ)」に魅力を感じないでもない。

*1:左翼的な物が権力になっているとする今までは多少とも存在したこと

同じ本を読んで

上記佐々木八郎氏の遺稿の一部は『あゝ同期の桜』という本にもでてくるらしい。*1

http://www6.plala.or.jp/Djehuti/355.htm

海軍飛行予備学生第十四期会編『あゝ同期の桜 かえらざる青春の手記』 /トート号航海日誌(読書録)

小泉首相も、彼らと同じくらいの年齢でこの本を読み、「戦争は二度としちゃいかん」、「戦争をするぐらいなら、どんな我慢もできる」と感じたそうです」。

小泉首相が靖国参拝しましたね。参拝について首相は、「日本の平和と繁栄は、現在生きている方々の努力だけではない。戦争の時代に生きて、心ならずも命を落とさなければならなかった方々(らの)、尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている。これからも日本が平和のうちに繁栄するよう、様々な祈りを込めて参拝した」と述べたそうです。参拝自体には賛否両論あるようですが、「尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている」という箇所はまさにその通りだと思います。

ある個人(例えば佐々木)は確かに自らの命を皇国に捧げた。だが、彼らの「尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている。」と言えるのか。多くの犠牲を出したが外敵を撃退したといった場合とは、犠牲の意味合いがかなり違っているはずだ。

 戦争は有限性のゲームである。しかし第二次大戦は(終わるまではおおむね)ドイツと日本に於いては最終戦争として無限性のゲームというイデオロギーのもとに戦われた。ナチスドイツと違い日本はそのことの(国民に対する支配者の)責任を取ってこなかった。

佐々木が苦悶の末に差し出した彼の命は、当たり前のように気にも止めず受領され、21世紀になっても日本=日本という同一性の神話を太らせるために使われる。

短い命を国家に捧げた彼の悲劇。彼らの「尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている」ということで彼らは少しでも慰められるのだろうか。例えば、結果的には少しでも早く戦争を止めておけば被害は少なかった、そうできなかった責任追及を果たしていく、そうすることが彼らの苦闘に応えることであろう。

*1:『きけわだつみのこえ』にもでてくるらしい。