日本国民の手で裁ければよかった

参考:戦犯法廷問題では「悪役」*1になっている 秦郁彦さんですが、歴史家ですからちゃんとしたことも言っていました。

第二次世界大戦で日本の戦死者は中国での戦場をのぞくと約150万人。そのうち、約7割は餓死、または栄養失調の結果、病気を併発するというものだった。

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050210#hata

そういう作戦を遂行したのが東条英機を始めとする陸軍首脳部だった。(略)

そんな人間たちの責任は本来なら日本国民の手で裁ければよかったが、戦勝国による裁判で開戦責任の問題だけ追求され、しこりが残ったと。(同上)

(2/12追加)

*1:vaww-net側から見てかな?野原は番組改悪問題は直接は論じてませんね。

niftyserveのFSHISO

 わたしは9年半ほど前、ニフティサーブでパソコン通信をはじめた。Fポエムというフォーラムに顔を出したりもしたが、FSHISO(現代思想フォーラム)というところを読んでたまに書き込みもしていた。3月末で終焉ということで今日訪ねてみたら今日が書き込みの最終日だったので試しにやってみたら書き込めた。あと過去ログ倉庫というところからだいぶダウンロードした。ダウンロードできないものあるのは何故だろう。

 Fshisoというところは、論争的口調自体を抑圧する傾向のある日本社会では例外的に、かなり攻撃的論争的論客のあり方がデフォルトであるといった独自の文化を持ったフォーラムだった。有名な訴訟事件を抱えながら、なお「反省せず」その文化を守っていたのは偉いと思うのだ・・・

 最初期の非常に初々しい文章の一節を引いておきます。マークさんという方の文章。

このHPでは、その線に沿って試行錯誤してゆきたいと思います。まだまだ参加者は少ないですが、ここでどんなことを語り合いたいか、皆さんから提起されるテーマがあればお聞かせ下さい。当面、自由に各自の問題意識を書いて頂いてからこのHPとしての討論テーマを決めたいと思います。

「FSHISO 哲学室 Vol.1 90/02」というログより

http://forum.nifty.com/fshiso/ <現代思想フォーラム>FSHISO

<公開の場で、わたしとあなたが対等に対話を交わすことにより何かを作っていくことができる>という<希望と緊張感>!!

それはその当時全然珍しいものではなかった(と思う)。

  わたしはいまでもそうした希望を大事にしたいと思っています。

国体護持とは?

 西武=堤家の国友会のニュースと、ニッポン放送の社員一同の声明文のニュースを続けて聞くと、あの<<国体護持>>*1ってのもそんなもんだったにすぎなかったのでは? とおもいますよね。

参考:

ニッポン放送の社員は全員「社員一同」が、ライブドアの経営参画反対だそうだ。

社員が全員反対論もなく意見が一致するなんてことはありえない。

つまり、ニッポン放送では、社員が自由な意見を発表できないってことだよね。

こういう企業には自由な空気がないのだから、マスコミとしてはふさわしくない。

http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20050303#p2

「国友会」について

http://diary.jp.aol.com/applet/druhcfrzcms/20041105/archive

*1:百万以上の日本人がそのために死んだ

本居宣長の神(迦微)概念(その2)

 まことの道は、天地の間にわたりて、何れの国までも、同じくただ一すじなり、然るに此の道、ひとり皇国(みくに)にのみ正しく伝はりて、外国にはみな、上古より既にその伝来を失えり、(略)

異国の道は、皆末々の枝道にして、本のまことの正道にはあらず、(略)

まづ第一に、この世の中の惣体(そうたい)の道理をよく心得おくべし、その道理とは、この天地も諸神も万物も、みなことごとく其の本は、高皇産霊(たかみむすび)神、神皇産霊(かみむすび)神、と申す二神の、産霊(むすび)のみたまと申す物によりて、成出(なりいで)来たる物にして、(略)されば神代のはじめに、伊邪那岐、伊邪那美二柱大御神の、国土万物もろもろの神たちを生成(うみな)し給えるも、其の本は皆、かの二神の産霊(むすび)の御霊(みたま)によれるものなり、

抑この産霊(むすび)の御霊(みたま)と申すは、奇々妙々なる神の御しわざなれば、いかなる道理によりて然るぞなどということは、さらに人の知恵を以て、測り識(し)るべきところにあらず、(略)

さて、イザナギ神、女神のかくれさせ給ひしを、深くかなしませ給ひて、ヨミの国まで慕い行かせたまひしが、この顕国(うつしくに)にかへらせたまひて、そのヨミの国の穢悪(えあく)に触れ給えるを清め給ふとして、筑紫の橘の小門(をど)のあはぎ原に御禊ぎし給ひて、清浄にならせ給へるところより、天照大御神成り出ましまして、御父大御神の御事依(よさ)しによりて、永く高天原(たかまのはら)を所知看(しろしめ)すなり、

天照大御神と申し奉るは、ありがたくも即ち今此の世を照らしまします、天津日の御事*1ぞかし、

さて疲れてきたので、もう少しくだけて写すことにする。

天照大御神は皇孫尊(すめみまのみこと)に葦原中国(なかつくに)をしろしめせとありて、天上より此の土へ下し奉りたまふ、

そのときに、大御神の勅命に、「あまつひつぎは あめつちの むたときはかきはにさかえまさむ」とありし、この勅命はこれ、道の根大本なり、

勅命をひらがなだけで書いたので何のことか分からないでしょうが、要はあまつひつぎ(天皇のことだろう)に此の世の総てはまかせるぞ!みたいな意味なんでしょう。

以上「玉くしげ」本居宣長*2の最初のところからでした。

かなり長く引用したが、これが宣長によって再編された神道なるものの核心部分だ(と思う)からです。

 それまでの日本では華夷秩序的な世界像が普通でした。世界の中心に中国がありそこから周辺へ向けて段々文化、秩序が緩んでいくといった世界像です。江戸時代の中ごろから(明滅亡以後)は中国ではなく日本を真ん中に置くこともありましたが世界像の形は同じです。ところが宣長の場合は全く違います。世界は「まことの道」というものが普遍的に支配しているのだと宣言してしまう。でそれが神道なわけですから、これをまともに信じたら大東亜戦争期のように(いまでいう)海外に神社をいっぱいいっぱい作り続けるしかなくなる、わけですね。

  1. 万物は産霊(むすび)の神の産霊(むすび)の力によって生成した。
  2. 太陽でもある天照大御神が高天原を支配する。
  3. 此の世の総てはあまつひつぎが支配する。

という構造ですね。

前回と対比的に取り上げたのは、前回は、尋常でないすぐれたる徳があるものは神だ、ということで「貴きもあり賤しきもあり、強きもあり、弱きもあり、善きもあり、悪きもあり」、となんでも善かったのですが、今回は全くニュアンスがちがうなあ~と*3

 この宣長の二つの部分を引用しようと決めたのは、教育委員会に君が代のことを聞いてつらつら考えたからでした。君が代の内容に意味があるわけではない、国歌だから認めて欲しいという低いレベルのお願いと、それほど遠くない過去にあった「生きて俘虜の辱めを受けず」的総動員体制との間にはちょっと同一化しかねるほどの落差があります。

 ところが、この宣長の二つの神の定義の間にも、同一化しかねるほどの落差があるわけです。

ということはこの四つはやはり国家神道的なものということで同一化して理解して良いのかもしれないですね。

ということが言いたかったのでした。(うーん苦労した割には?)

それと愛国心などをナショナリズムという範疇で語るべきなのかどうか。宣長の神道的なものなら、自国の論理で世界を支配できるとするものなのでちょっとどこからみても駄目だろうということにしかなりません。

*1:太陽のこと

*2:1786年

*3:前回は古事記伝巻三、1767年くらいなので、二〇年ほどは違いがある。とは言っても、この差異は同じ物の両面とみたい

公、天皇、国家に献身する精神

4/6の朝日新聞では「つくる会」教科書を特集している。

(扶桑社の歴史・公民の教科書)両分野を貫く形で強調されたのは、公、天皇、国家に献身する精神である。

歴史では武士道の忠義の観念に光を当て、「公のために働くという理念」としてコラムを新設した。武士を「究極的には天皇に仕える立場」と位置づけ、源頼朝や足利尊氏、徳川家康らが天皇や朝廷から将軍に任命されたと強調している。

ふーむ。「つくる会」教科書というのは、水戸学派のイデオロギーによって歴史を語るものなのだ。でも待てよ、尊氏は「廃主の命を奉じて、叛臣の名を免れ、光明院を擁立して以て正閏の分を乱す」*1人物ではないですか。尊氏について天皇や朝廷から将軍に任命されたと強調しているのだとすると、大義名分論には反しますね。(水戸学とは何か分かっているわけではないのでまあちょっと書いただけですが。)

 中国では歴史の任務は「善を彰(あら)わし悪を貶(おと)す」ことと考えられていた。したがって歴史を学ぶことにより、いかなる権威や権力にも屈しない勧善懲悪の倫理的立場を理解することができるわけです。尊氏であれ誰であり彼がどの点において善でありどの点において悪であるかが書かれる。事実を直書するという方法により。それを鑑(かがみ)とすることで為政者は治世に資することができる。

 現代日本の右翼はまさにプチウヨであり、倫理とかいう言葉が大好きなようですが倫理という物の根本が分かっていない。天皇、国家なんてものは普遍的なものではない。倫理という限りは普遍的な善とか悪が語れなければ話しにならない。

 もちろん天皇は普遍的なものだ、と主張する神懸かり的な立場も有りうる。というよりも神道は、仏教、儒教という普遍思想との絡み合いのなかで自己を形成してきたので自己を普遍として語ることしかできない。「まことの道は、何れの国までも、同じくただ一すじなり。id:noharra:20050326#p2

 ところが明治になって採用した国民国家は、諸国家のあいだの一員でしかないのであり、多少大きくなって帝国を名のろうが、中国のように自己が世界の中心であると信じることはできない。ここにおいて国家神道を軸にした国家統合は最初から根本的矛盾を孕んでいた、ということが指摘できる。

 でもって現在のプチウヨは、「天皇、国家に献身する精神」などというアプリオリに普遍性を欠いた物を「公」という名前であたかも普遍であるかのように売りつけようとしてくる。

 倫理を欠いた献身などただの奴隷道徳であり、わたしたちはつい60年前に実際に国民全体で実践したではないか。これが分からない奴は馬鹿だ。

*1:安積澹泊「大日本史贊藪 」p177『日本思想体系・近世史論集』

確かに一致はする

上のエクセルの式で

A4に a=+D3+C3 と書きました。(a3-b3-c2+c3と同じ)これを、

A4に aa=+b3  に変えてから下にずっとコピーしても、C列の結果は変わりません。

1と0が並んでいますが、これを下から読むと

入力数字の2進法表示になります。

例:1000 ->1111101000

これを最初の1を削って、最後に1を追加し10進法に変えると、答えに成ります。

(2のk乗) > n > (2の(k-1)乗) の場合、( n- (2の(k-1)乗))×2+1

で答えが出るというのがdempax方式ですが、これを2進法で表現すると上記のようになります。

(5/14 22時)

モヒカンチェック(7/16追加)

http://ryak.net/fun/mohicancheck.html モヒカンチェック!

あなたはイロコイ族的刹那主義だそうです。

でもイロコイ族とは?? エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』ではイロクォイ族です!

■タイプ7になっちゃった方

[あなたはイロコイ族のようです]

あなたの行動指針は[快楽]です。何より、毎日が楽しい場所を望みます。

反面、厳しい現実から逃避して自分を甘やかしがちです。

楽しいことは共有できても、この人とは苦しみは共有できないかも、そう思われてることがありますよっ。

[タイプ7のあなたならこんなことはしない]

最後まで自分の記事に責任を持つ

毎日毎日、変化のない日常を記事にする

[たまにはこんなことをすれば吉]

一度に書き上げる記事を絞ってみましょう。

最後まで自分の記事に責任を持つ、意志はあります!