痛切なる反省とお詫びの気持ち

天木直人さんは下記でこう予言している。

「今後も反日デモが続くという「事実」によって日中首脳会談の失敗が証明されることになる。」

そうだとしたら中国で暮らす日本人などとても困りますね。

http://amaki.cc/bn/Fx.exe?Parm=ns0040!NSWhats&Init=CALL&SYSKEY=0010

4.そもそもこの首脳会談に臨む両首脳の外交に対する基本姿勢が対照的だ。胡錦濤出席は日中間の基本的問題に正面から取り組もうとした。日中関係を定めた三つの文書を引用したことの意味は重い。72年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約、98年の日中共同宣言がそれだ。ここには歴代の日中指導者たちが苦労を重ねて積み上げた合意がある。その精神に反する言動を小泉首相が取り続けるから日中関係が悪化したのだ、中国国民が怒るのだ、そう言っているのだ。まことに筋の通った申し入れである。これに対して小泉首相はどうだ。会談の冒頭にアチェの被災地を訪れた感想を長々と述べて友好的な雰囲気をつくろうとしたという。これに対し胡錦濤主席が目を白黒させたという。

靖国参拝はヒトラーの墓参だ

に賛成。

冷静に言えば、ヒトラーもヒロヒトも東条も民族の英雄(代表者)であったことは間違いない。したがってその死を悼むのは人間的に間違った行為ではない。

しかし、小泉氏の靖国参拝は政治的行為である。戦後日本は「反省」の上に成立した国家であり、自然性、自明性の上にしている国家ではないのだ。ヒトラー(の対応物)との不連続を常に確認した上にしか、国家の根拠はないのだ。日本の外を見ないという窮極の島国根性に安住するのでない限り。*1

ところで、東条は国を護る為に死んだわけではない。戦後日本を成立させるため*2アメリカが首くくったのである。アメリカが論理的に黙認し得ない筈の行為をなぜ黙っていたか。中国韓国と日本の不和がアメリカの国益につながるからである。靖国参拝賛成派の中にはアメリカの工作員が潜んでいることは間違いない、のではあるまいか。

*1:「国を護る」ことの自明性を承認した(としたら)国民の奴隷根性も問われるべきだろいう。

*2:ヒロヒトを免責するため

八木秀次を叩け

事情をよく知らないのですがチョンボがあった様子。

河野美代子さんからのメールの写し。

広島から河野です。

私の裁判に、どうしても必要で、昨日、本屋さんに「新、国民の油断」を買いに行きました。私を中傷した文にこの本からの引用があったので、必要だったのです。彼らの本を買うのはとてもいやなのですが。

あの、パンツをおろした人形の写真や、数々のうそ、でっち上げが書いてある本です。それから、女性学やジェンダーの学者さんや、性教育の実践家、総動員で個人名をあげて批判というか、中傷満載ですね。

著者は西尾幹二とあの、テレビの八木秀二です。

>

ところが、どの本屋さんに行っても本がありません。店員さんが、「おかしいな、ここにあるはずなのに」と、どこの本屋さんでもです。

そして、広島でもとっても大きな本屋さんで、丁寧に調べてくれた店員さんによると、

「出版社から回収の指示があったので、もう、在庫はおいてありません。」ということでした。もっと詳しく尋ねて、調べてくれたところによると、何か不具合があって回収、もし、あったとしても、販売をしないようにと。

それは、一昨日の夕方の連絡だったそうです。

>

そして、その不具合を直して、八月ごろにまた出版するかもしれない、ということでした。たぶん、私の考えでは、肖像権の侵害とか、そういうものだと思うのですが、でも、そこだけ削ってまた出版されたのではなんのもことやらです。私は、名指しされた人の反論や、明らかな嘘については、出版社にも当事者は抗議した方がいいと思います

今がチャンス。私は、早速、これらの根拠になっているこの本は、回収になっている、と使わせてもらいます。

小学校低学年から、コンドームの装着の実践をしている、なんて、いったい、どこの学校で?小学校の低学年では、まだコンドームがつけれる様なペニスではなく、とても無理なはず。誰が考えてもおかしな嘘満載の本です。

>     河野美代子

このメール転載可です。広めてください。

6月30日コメント欄

id:noharra:20050630

(1)

# drmccoy 『皇国・皇軍が「強制」したとおっしゃいますが、具体的にどのような方法で強制したんでしょうか?』 (2005/06/30 10:27)

(2)

# drmccoy 『あともう一点、noharraさんの考える責任の所在は「天皇」「皇軍」「当時の権力者」のいずれかもしくは、全部であり、他には無いという事でしょうか。この他にもありましたらお教え下さい。』 (2005/06/30 11:02)

(3)

# swan_slab 『サイパン島や沖縄戦での民間人の集団自決は、おそらく心理的には、投降の呼びかけに応じれば殺されないかもしれないが、恥辱を感じ、社会的信頼を失い、家族に社会的制裁あるかもしれず、それならば自ら死を選ぼうという意識があったでしょう。そしてもうひとつは、投降すれば食べられてしまうとまで考えていた人もいたなど、米兵そのものが鬼畜化してイメージされていたことががあげられます。

戦時法としての交戦規則について住民はちゃんと知らされていないうえ、敵国兵士に対する歪んだイメージを持っていた。これは国家主導のプロパガンダによる一種のマインドコントロールに近いでしょう。さらに継続的な皇国教育や精神論的な戦陣訓などが強く影響したことは否定できないと思います。そのような観点からすれば、集団自決を積極的に誘導したのは当時の権力機構そのものであったといえると思います。』 (2005/06/30 12:23)

(4)

# spanglemaker 『そしてその権力機構を選んだのは当時の日本人ですね。以下でswan_slabさんもおっしゃっているように、責任の所在は簡単には決められないでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050623#p2』 (2005/06/30 19:48)

(5)

noharra 『マッコイさん。そんなことより「(天皇がサイパンで)もうすこし頭をさげたことにどれだけの意味と意図があるかちゃんととらえてほしい。…」について教えてください。責任逃れための責任談義にもっていこうとしているだけでしょう?』 (2005/06/30 22:58)

(6)

# swan_slab 『>そしてその権力機構を選んだのは当時の日本人ですね

これは制度的にはありえないですね。当時の統治機構は国民主権原理ではなく天皇主権を前提としていました。また民主主義の大前提たる表現の自由は相当程度制限されており、国民は知るべき情報を目隠しされていたというべきです。

しかし、それでも”後から知る”ことはできる。わが子を殺し、自らも自殺する行為の悲惨さを、純粋無垢な戦争の犠牲者とだけ語り継ぐことはやはりできない。そういうことです。

>責任の所在は簡単には決められないでしょう。

かつて西尾幹二氏は「全体主義の呪い」という著作のなかで、この悩みを哲学的に表出していますね。非常に深いテーマで、私などの凡人にはにわかに答えは出せませんが。簡単な話にはならないですね。』 (2005/06/30 23:22)

(7)

# drmccoy 『野原さん、ご自身が言った事「皇軍の強制が原因」が正しいというなら、「具体的にどう強制したのか」答えてください。答えがなければ、答えられない、根拠無く説明できないと受け止めますがよろしいですか?

>責任逃れ

誰の責任ですか?まさか私には過去の指導者の戦争責任を追及する責任があるとかおっしゃるんではないでしょうね?一方的に糾弾されている彼らを弁護する責任なら多少感じていますが。

>頭をさげたことにどれだけの意味と意図

いつもそうなんですが、質問の主語がわからないので答えにくいんですよ。

「意味」とは誰にとっての意味ですか?見る人によってそこから感じる意味は違いますよ。私にとってどういう意味があるかという事ですか?

それから、「意図」とは陛下の意図ですか?それなら本人が「慰霊が目的」と言ってるますが。』 (2005/07/01 16:22)

(8)

# swan_slab 『自決と命令については、http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm参照。

私自身は、戦史のなかでは、栗林中将が玉砕やバンザイ突撃を決して指示しなかった硫黄島の戦闘の印象が強いです。

なんていうかな。まずはアジア太平洋戦争の戦記を共有することからはじめないと。』 (2005/07/01 17:46)

(9)

# drmccoy 『私にとっての意味または意義でしたらhttp://www.sankei.co.jp/news/050629/morning/editoria.htmに集約されています。

ところで、誤解されると困るので書きますが、私はかつての戦争指導者に一切責任が無かったなどとは思っていません。天皇や東条英機に一切責任が無かったと思っている人なんて希でしょう。石原慎太郎でさえ天皇は退位すべきだったとか言ってますから。

問題は誰が何に対してどこまで責任を負うか、そしてその罪はどれくらいかということでしょう。それらの検証なしにすべての責任を天皇やA級戦犯などに集約させてそれで終わりというのでは、結論を急ぎすぎではないですか?

これらを法的にも根拠のある法廷できちんと裁けていればこんなにややこしくなっていなかったと思いますよ。東京裁判だって法的に欠陥があるから、無実だったとか言い訳に利用されているわけです。』 (2005/07/01 17:52)

(10)

# drmccoy 『なるほどswan_slabさんの参照先は参考になりました。沖縄の例などからサイパンにあてはめて参考にしてみると、原因としては「天皇のために死ぬことを美徳とする皇民化教育」「軍による共生共死の一体化」、「捕虜を恥辱とする観念」、「鬼畜米英への恐怖」、「逃げ場のない追い詰められた地理的状況」などなどで、米軍だけでなく、日本軍までもが住民を追いつめた。これならわかります。おそらく軍人の質も低い人が多かったのかもしれません。地上戦という特に悲惨な状況であったとは言え、日本軍が同胞の住民を追いつめた、その責任は重大だと私も思います。しかし、すべての軍がそうでだったわけではありませんから swan_slabさんの記述はその点のバランスも配慮されて書かれている点、説得力を感じました。』 (2005/07/01 18:16)

(11)

# spanglemaker 『swan_slabさん。

>>>そしてその権力機構を選んだのは当時の日本人ですね

>>これは制度的にはありえないですね。当時の統治機構は国民主権原理ではなく

>>天皇主権を前提としていました。また民主主義の大前提たる表現の自由は相当

>>程度制限されており、国民は知るべき情報を目隠しされていたというべきです。

それってhttp://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050623#p

に書いてあることと矛盾するようですが。

>>天皇制こそが諸悪の根源みたいな語り方は80年代にもよく耳にしましたが、

>>ものすごく単純化した図式のなかに何かの責任を押し付けて拒絶感を表明する

>>という傾向は、戦後ず~っとあったと思いますね

それともこれは肯定的な文脈で語ってらっしゃるんですか?

国民が統治機構に関与できないというなら責任の所在は簡単じゃないですか。

戦前の日本は立憲君主制の民主主義国家です。

言論の自由は今ほど自由じゃないにしても、天皇制についても広く議論されています。

この議論から天皇の統治権は制限を受けるという美濃部達吉の天皇機関説が主流になりました。

これは今の象徴天皇制と本質的に同じです。

戦前も日本が民主主義国家であったことはちょうどsanhao_82氏が今日のエントリー論じておられますので紹介します。

http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20050701#p1

だからこそ責任の所在は簡単ではないわけです。』 (2005/07/01 20:45)

(12)

# swan_slab 『>spanglemakerさん どうも

「戦前は天皇主権だったので国民は権力の末端部品だった」というのと「天皇制こそが諸悪の根源みたいな拒絶は日本人の生き様に目をつぶるものだ」という論は矛盾するように読めるかもしれませんね。両者を極論すれば矛盾するでしょう。

でも、両者の極端な値におそらく真実はないのだと思うのです。

>国民が統治機構に関与できないというなら責任の所在は簡単じゃないですか。

責任というのは、「どのように観察した場合に」という”アスペクト”で捉えなければならないと私は思います。国民の積極的・能動的自由が制限されていた状態を反省するなら、国民を悲惨な戦争に巻き込んだ責任の所在は自ずから国民ではありえません。そして、日の丸を振って地域の若者やわが子教え子を戦場に送り出した責任といったものは当事者の心の中にはありうるでしょう。

しかし、次世代についていえば、戦後の新憲法の理念を維持する責任は戦後の国民に課されたと私は思います。個人的な自責感だけではダメで制度的に固定化しなければならない、戦前の制度や考え方の何が間違っていたのかを反省し続けること、これが国民一人一人の責任だという具合に捉えています。

>戦前の日本は立憲君主制の民主主義国家です。

>言論の自由は今ほど自由じゃないにしても、天皇制についても広く議論されています。

>この議論から天皇の統治権は制限を受けるという美濃部達吉の天皇機関説が主流になりました。

>これは今の象徴天皇制と本質的に同じです。

だいたい正しい認識だと思ってかまいませんが、このあたりは多分私のほうが詳しいと思いますので、補足させていただきますと、

明治憲法が民主制をとっていたか、という問いに対しては、明治憲法上、主権の本質はやはり天皇主権とみなさざるを得ないので、天皇主権と民主制は背理します。

また「戦前の日本は立憲君主制だった」のではなく、立憲君主制モデルをもって明治憲法を解釈しようとする学説上の動きが有力になった一時期があったというふうにとらえたほうが正確です。おっしゃる美濃部の天皇機関説はその一例です。古くは、伊藤博文が憲法制定に際して、君主の権限を制限する立憲君主制を導入しようとしていたことも知られています。

つまり、まがりなりにも立憲主義を機能させようとしていた。おっしゃるように天皇にあたかもイギリスの君主のような役割を担わせようとする動きがあった。

また、臣民の間でも、英米やフランスなどの人権の概念や法の支配、住民自治について理解があった啓かれた人たちがいたことは確かです。

しかし、1935年頃から体制側から反動がくる。いわゆる国体明徴運動は古くは教育勅語(明治中ごろ)から使われている言葉ですが、より政治的意味を込めて使うようになったのは35年です。国体明徴問題についてはhttp://www.cc.matsuyama- u.ac.jp/~tamura/kokutaimeityou.htm参照。

「国体の真義によって、個人主義的な欧米文化のもたらした欠陥を是正する」と結語された『国体の本義』(1937文部省)に象徴されるように、天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方を根本から国民にわからせてあげなければならないという使命感のようなものが生まれていったわけです。国体明徴運動が激化してくると、文部省は上述の『国体の本義』を全国の学校・大学・図書館等に配布し、・・。

また、戦時体制が敷かれ始めると、国家の啓蒙活動は国体に限らなくなります。

とくに『厚生運動』は典型例ですが、要するに、国民の体力を増強しなければならないという命題のもと、厚生省が誕生する。厚生省はもともと”厚生省体力局”新設が主眼で、その他衛生・社会福祉・労働などの部署はついでについてきたものだったんですね。健康こそが国家に尽くす大本であって、病者や障害者は非国民扱いになってゆく。体力増強のために国立公園がやたらと山岳地域にばかりに生まれハイキングコースが整備されたのもこのころです。嫌がる商店主なんかを引っ張り出して休日に体操やハイキングをやらせていたのが厚生運動です。

まぁいわば健康を強制していたわけですが、44年ごろには完全に終息します。体操している場合じゃなくなって。

戦争で散っていった兵士の多くは、この厚生運動とか国体明徴運動の影響をもろに受けた世代だったということができます。』 (2005/07/01 23:24)

(13)

# spanglemaker 『1935年以降日本の民主主義がおかしくなったのはおっしゃる通りでしょう。

ところで明治憲法施行から1935年まで何年あるとお思いで?

コメントに書かれている日本を「立憲君主制」としようという努力は

1889年の憲法公布のさらにその前から1935年までの長い間の出来事なんですよ。

ずいぶん長く民主主義が続いていたじゃないですか。

「軍部独裁」の10年間が異常だったということでしょう。

異常とはいえ太平洋戦争が国民多数の意思を反映した政策であることは確かですし。

戦前の日本では日本国民が権力機構から疎外されていたと結論つけるのは

やはり妥当ではないと考えます。

なお、公布前に「立憲君主制」を目ざし、公布後も「立憲君主制」という解釈が主流に

なるのであれば、憲法だけ「立憲君主制」ではない、という解釈は不自然だと思います。

>>だいたい正しい認識だと思ってかまいませんが、

>>このあたりは多分私のほうが詳しいと思いますので、補足させていただきますと、

何様ですか?

>>でも、両者の極端な値におそらく真実はないのだと思うのです。

ここの記事もすごい極論なので、私に反論して下さったのと同じように、

noharra氏にも反論されたらいかがでしょうか。

なぜnoharra氏の極論には何も言わないのか不思議です。』 (2005/07/02 12:37)

(14)

# swan_slab 『>ずいぶん長く民主主義が続いていたじゃないですか。

>「軍部独裁」の10年間が異常だったということでしょう。

明治憲法下の日本を民主主義といえるかというと、いえないと私は思います。

プロイセン型の憲法を採用しながらも、民主的に(ないしイギリス立憲君主制的に)運用しようという動きがあったにせよ、そもそも制度的に民主制ではなかった。

>異常とはいえ太平洋戦争が国民多数の意思を反映した政策

それはあまり根拠がないと思いますが。

>なお、公布前に「立憲君主制」を目ざし、公布後も「立憲君主制」という解釈が主流になるのであれば、憲法だけ「立憲君主制」ではない、という解釈は不自然だと思います

明治憲法において民主的要素が全くなかったわけではありませんが、統治機構だけでも次のような欠陥があった。権力分立が不完全で、各機関は天皇の大権を翼賛するものでしかなかったこと、法の支配という観念がなかったこと、公選に基づかない貴族院が衆議院を抑制し、政府や軍部に対するコントロールが極めて弱かったこと、そもそも内閣自体が憲法上の制度ではなく、大臣輔弼制度が及ばない天皇の大権が憲法上認められていたこと、内閣が議会に対して責任を負わなかったことなどです。

そして、民主的といえる部分については、かろうじて制限的ながらも臣民の権利義務が法律の範囲内において認められていたことがあげられます。この部分が近代化に果たした役割は大きいと思いますが、上記の制度的欠陥は致命的だったとみるべきでしょう。

明治憲法の規定に、立憲君主制を読み込む、あるいは国家法人説を読み込む努力が潰えたのは国体論の台頭があったからということのほかに、根本的に明治憲法の構造がイギリス型の立憲君主制を読み込むのに適していなかったからでしょうね。』 (2005/07/02 14:40)

swan_slabさん、drmccoyさん、spanglemakerさん コメントありがとうございます。

応答が遅れてすみません。

自棄を起こして

(gkmondさん 突然の引用失礼します。gkmondさんはネット右翼とは思っていません。)

つまりは「鬼畜米英」に対するイメージが固まっていた沖縄住人たちが、自棄を起こして集団自殺に及び、

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050725/p1

そういうものの言い方はないんじゃないかな。当時の日本軍は「生きて俘虜の辱めを受けず」という命令を住民に強制しようとしていた。自決した住民たち(女性子ども老人が多い)は被害者であり、皇軍は加害者である。

軍人は「命令を出さなかった」と主張しているようだが、仮にそうであるとして彼らの存在が被害者を作ったという因果関係は明らかにある。

参考:林博史氏の論文「「集団自決」の再検討」 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm 

語り継がれなければならなかったのは、戦争の悲惨さだけじゃなくて、間違った情報の生む悲劇までも含まれたはずだろう。戦意高揚のための情報操作が助かる道を考えられなくした結果が、集団自殺なのだとしたら、それを隠せばまた同じ事が繰り返されるかもしれない。

(略)

 戦後、日本は一貫して平和教育というものを行ってきた。戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫んできた。だが間違ったデータで築かれた主義は結局破綻する。

「戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫ぶこと」によって、ヒロヒトや東条以下沢山の人々の具体的戦争責任を追及せず免罪することをわたしたちは行ってきたのではないですか。

「間違ったデータ」とは結局のところ何でしょうか。ぶっちゃけたところ、「軍隊は国民を守るためにあるというがそれは嘘だ」、と多くの人が感じたことが、戦後平和主義の基礎だった。「戦後という呪縛からの解放めいたあれこれ」のどこに解放感を感じるのでしょうか。

 gkmondさんの「言論統制」という本の感想は偏見のない良い文章だと思いました。 

大東亜共栄圏という理想と、大陸へ進出していった日本人の横暴の両方が記録されているところは、実は読み落としてはいけない部分だろう。難しいことにウソの反対は本当ではない。

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050720/p2

言説というものはどうしても目の前にあるウソを否定しようとする傾向から、完全に自由になることはできない。だからといって、右の反対は左、左の反対は右と裏返ってばかりではしかたない。

「沖縄戦の悲惨」という事実をできるだけ過小評価したいという勢力に少しでも大義があるのかね。

日本は独立国として自衛の気概と国軍建設への自覚を持つべきだ、という意見は良いだろう(わたしは賛成じゃないが)。そのために必要なことは沖縄戦の事実を歪めることではないはずだ。再び同じようなシチュエーションに置かれたとしても数万人の住民を死に追いやることのないようにするにはどうしたらよいかという痛切な反省が必要だろう。「生きて俘虜の辱めを受けず!」という戦陣訓をまず否定しない人は、どうかしているとしか思えない。

二元論者め

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050807 への応答です。

gkmondさん

応答が遅れ失礼しました。数日間パソコンから離れていたもので。

さて、

 小泉氏が何を罪とし、何を反省としているのかは知りませんが、個人的な見解としては、「反省する」材料以外はすべて隠す(略)という歴史認識は否定されるべきだと思います。

一般論としては異論ありません。

ただ、具体的には(ここでいう隠された材料とはnoharraさんが「ネット右翼」と呼ぶ人たちが熱心に発掘しているエピソードや事実)というものがどの程度のネタか、という評価の問題になりますね。

私の理解するところによれば、情報量の少ない「辺境の寒村の住民」(どこのことでしょう?)は、情報の相対化ができなかったのだから、自由はなかったと言いたいのだということになります。

 であるならば、「軍が悪かった」以外の情報に、あるいは「軍は英雄なんだ」という主張以外の情報に、いちいち目くじら立てるのは、悲劇を回避するために必要であるはずの情報の相対化を阻むことにはならないのですか?

(ところで、寒村を辞書で引くと人けのないさびれた村、とある。ちょっと誤用のようなので、「村」に訂正してください。沖縄の寒村って温度も合わないし)

 これは詭弁ではないですか。村人は情報の相対化ができなかった(黒に近い灰色)という主張を、「自由はなかった(黒)」と読み替えているのはgkmondさんですよ。

 戦時中の国民は情報統制されていた=被害者だ

といった一般論で議論しても水掛け論になるから、わざわざ寒村(差別用語)を訪ねてそこのAさんBさんがどうふるまったのか? という議論をしているのでしょう。

あなたは建前では二元論を否定する。だが、実際には寒村の現実を見ようとする方向には向かわない。

「白か黒かで語る」方向に話をねじ曲げているのは誰ですか?

裁判を提起する=犠牲者を馬鹿にしているから許せないというロジックは、「靖国の死者を否定するのは許せない」というロジックと裏表の関係でしかありません。「理屈は分かるが心情的に許せない、だから駄目」が最終結論であるなら、

わたしのロジックは、裁判を提起する=犠牲者を馬鹿にしているから許せない、というものとは違います。

 犠牲者は存在した。犯人は誰だ? 皇国皇軍の責を問えるかそれとも、住民の自発的行為か、がまず第一の論点です。その論点を問わず、ある特定の部隊長が「命令」を発したかどうか、かどうかという法的論点に焦点を当てるべきだと考えるのは、最初から論点のすり替えだ、だと言っているのです。

 良い悪いは置いておいて、この六十年間、支配的だった歴史に対する見方、つまり全部黒という見方は、もはや有効性を失いつつあります。仕方ないと思います。

議論をしているのに、「良い悪いは置いておいて」というフレーズはおかしい。

「この六十年間、支配的だった歴史に対する見方、つまり全部黒という見方」この60年間、日本は共産主義政権下にあったのですかね?ヒロヒトは生きのび、自民党政権は続いた。戦争犯罪者は復権した。国民に対する戦争責任は一切問われず、国民はそれで良しとした。*1「全部黒という見方」があったとしたらそれは、戦前のことは「黒」ということにしておいてこれ以上追及するな、という処理方法にすぎなかったと思います。ラベルだけ貼っておいて中味は追及しないという。

 つまり、gkmondさんは「右か左か」という予め与えられた狭い二元論の範囲内で思考しているだけです。「全部黒という見方」に対する位置づけ方からしておかしい。

というなら、noharraさん仰る「ネット右翼」が掘り起こす情報を隠されていた我々だって、左翼的歴史観の被害者です。権力は政府だけが握っているものじゃありません。「無垢の犠牲者」だった当時の国民だって、戦中史を作るに当たっては権力者だったはずです。なぜなら彼らを是とし軍部だけを非とする物語に対抗できる勢力がなかったのですから。

これは嘘ですね。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper20.htm

前も引用した林博史論文から引くと

沖縄戦を直接扱った書物は,今日までに200数十から300冊を越えるとみられる(注)が,大きく言って二つの流れがあるといってよいだろう。

一つは,沖縄の悲劇をこ度とくりかえさない,戦争をこ度とくりかえさな い,という姿勢から書かれた記録であり,

1960年代以降顕著になる一つの流れがある。それは,全体として沖縄戦における日本軍ならびに沖縄県民の戦闘協力を肯定的に評価するもので,その中にも,軍の立場から日本軍の行動(特に第32軍の作戦・指揮)を正当化し評価する傾向と,一方で,ひめゆり隊や鉄血勤皇隊など男女学徒隊をはじめとする沖縄県民の祖国への命を捧げた献身的行為のみを強調する,いわゆる殉国美談の傾向がある。日本軍司令官牛島満をはじめ第32軍の「偉烈」をたたえた黎明の塔をはじめ慰霊塔がたちならぶ摩文仁丘は,この流れの疑集した地であり,戦跡観光におけるガイドもこの立場からのものである

先にみた防衛庁の戦史においても,日本軍による住民殺害などについては, 一言も触れることなく,住民の集団自決についても,「戦闘に寄与できない者は小離島(慶良間列島・・・・筆者注)のため避難する揚所もなく,戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つ者も生じた」(『 沖縄方面睦軍作戦』252貢)と逆に美化されているのである(注)。

 こうした流れのひとつで欠かすことのできないものとして,曽野綾子氏の一連の仕事,『生贄の島―沖縄女生徒の記録―』講談社,1970年,『ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決―』文芸春秋,1973年,がある。特に後者の『ある神話の背景』は,渡嘉敷における住民の集団自決が部隊長の命令によるものである,とする『鉄の暴風』以来の通説を否定したもので,それまでの記録のあいまいさを見直させた点で重要な仕事である。しかし曽野綾子氏は,日本軍が投降勧告にきた住民(伊江島)を殺害したり, 家族が心配で部隊から離れた防衛隊員を斬殺したりしたことを軍として当然であると肯定しているのが特徴である。

 左翼的歴史観に対する反発は、防衛庁というお役所を含め持続的に強力に展開されてきました。その努力もあって、まあ今日の“右傾化”という時流になってきているわけです。で、「我々だって、左翼的歴史観の被害者」という被害者の方が急増していると。

しかし自己を被害者の立場に置くことにより優位に立つというロジックを批判していたはずの、gkmondさんが、同じことしかできないとはなさけない。

であるなら、戦後60年という時間は何だったのでしょうか?

 ほんとうに!

*1:おめでたい国民だ

およそ政治倫理上の常識が許さない。

 丸山真男に『戦争責任論の盲点』という短い文章がある。(思想の言葉、「思想」昭和三十一年三月号、岩波書店)というから、1956年、50年ほど前に書かれた文章だ。みすず書房「戦中と戦後の間、1936-1957」の596ページから601ページにある。

下記のurlで、ほぼ全文が読めます。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/maruyama.htm 丸山眞男、戦争責任

天皇の戦争責任について述べた処を抜粋して見る。

この二点に注意しながら、我が国の戦争責任とくに政治的な責任問題の考え方をふりかえってみるとき、そこに二つの大きな省略があったことに思い至る筈である。一つは天皇の戦争責任であり、他は共産党のそれである。この日本政治の両極はそれぞれ全くちがった理由によって、大多数の国民的通念として戦争責任から除外されて来た。しかし今日あらためて戦争責任の問題を発展的に提起するためには、どうしてもこの二者を「先験的に」除外するドグマを斥けねばならぬ。

 天皇の責任については戦争直後にはかなり内外で論議の的となり、極東軍事裁判のウェッブ裁判長も、天皇が訴追の対象から除かれたのは、法律的根拠からでなく、もっぱら「政治的」な考慮に基づくことを言明したほどである。しかし少くも国内からの責任追求の声は左翼方面から激しく提起された以外は甚だ微弱で、わずかに一、二の学者が天皇の道義的責任を論じて退位を主張したのが世人の目を惹いた程度である。実のところ日本政治秩序の最頂点に位する人物の責任問題を自由主義者やカント流の人格主義者をもって自ら許す人々までが極力論議を回避しようとし、或は最初から感情的に弁護する態度に出たことほど、日本の知性の致命的な脆さを暴露したものはなかった。

 大日本帝国における天皇の地位についての面倒な法理はともかくとして、主権者として「統治権を総攬」し、国務各大臣を自由に任免する権限をもち、統帥権はじめ諸々の大権を直接掌握していた天皇が――現に終戦の決定を自ら下し、幾百万の軍隊の武装解除を殆ど摩擦なく遂行させるほどの強大な権威を国民の間に持ち続けた天皇が、あの十数年の政治過程とその齎した結果に対して無責任であるなどということは、およそ政治倫理上の常識が許さない。事実上ロボットであったことが免責事由になるのなら、メクラ判を押す大臣の責任も疑問になろう。しかも、この最も重要な期間において天皇は必ずしもロボットでなかったことはすでに資料的にも明らかになっている。にも拘らず天皇についてせいぜい道徳的責任論が出た程度で、正面から元首としての責任があまり問題にされなかったのは、国際政治的原因は別として、国民の間に天皇がそれ自体何か非政治的もしくは超政治的存在のごとくに表象されて来たことと関連がある。

 自らの地位を非政治的に粉飾することによって最大の政治的機能を果たすところに日本官僚制の伝統的機密があるとすれば、この秘密を集約的に表現しているのが官僚制の最頂点としての天皇にほかならぬ。したがってさきに注意した第一の点に従って天皇個人の政治的責任を確定し追及し続けることは、今日依然として民主化の最大の癌をなす官僚制支配様式の精神的基礎を覆す上にも緊要な課題であり、それは天皇制自体の問題とは独立に提起さるべき事柄である。(具体的にいえば天皇の責任のとり方は退位以外にはない。)天皇のウヤムヤな居据りこそ戦後の「道義頽廃」の第一号であり、やがて日本帝国の神々の恥知らずな復活の先触れをなしたことをわれわれはもっと真剣に考えてみる必要がある。

 天皇の戦争責任は(残念ながら)(法的には)(政治的には)あるとは言えない。という“無かった”の上にわたしたちの戦後は成立し今に至っている。沖縄住民集団「自決」問題の責任が(彼に)<無かった>という事実が法的に確定していくとすれば、それは天皇において起こった事がその末端においても確認されるということで、当然のことにすぎない。

 丸山は「天皇が、あの十数年の政治過程とその齎した結果に対して無責任であるなどということは、およそ政治倫理上の常識が許さない。」と言った。私もそう思う。朱子学の大義名分論の二種類の過激化として、水戸学と平田派国学があり、明治維新の思想的根拠はそれだった。45年8月まで日本を支配した狂気(一億玉砕)にもそれらは深く流れていた。

政治倫理上の常識、と丸山が言うときそれは儒教的あるいはカントヘーゲル的な常識と考えていいだろう。では、水戸学と平田派国学的な常識から考えれば、天皇は無罪になるのだろうか。断じてそんなことはない。無罪を導こうとすればそれは「奴隷の神学」から、だけだ。

老人介護問題

http://med-legend.com/mt/archives/2005/09/post_665.html 医学都市伝説: 老人介護を楽になる方法

「痴呆老人を介護する家族の苦労というのは並大抵のものではな」い。どう向きあったら良いか?

上記ブログでは、「言語的コミュニケーションを重要視するな」と提唱している。

したがって、その対応は非言語的なレベルでの受容というものが中心になるべきで、もっと簡単にいえば、「説教せずに、相手のいうことはハイハイと受け入れ、主にボディコンタクトなどを介して行動を導く」という単純な手順だけで、痴呆老人の問題行動のかなりの部分は軽減する。もちろん、しつこい非現実的要求が続くことはあるが、それを言語的説得しても意味はない。あえていえば、「とにかくその場はゆったりとごまかす」という対応で十分だ。何しろ相手はぼけているのである。このアドバンテージさえ自覚すれば、いくらでもごまかせる。

その意味では、痴呆老人への対応のエキスパートはそこらの医療福祉関係者ではなく、リフォーム詐欺などを生業にしている連中であろう。非言語的レベルで相手の不安をうまく和らげれば、言語合理性のレベルでは無理とも思える消費行動に引き込むことも出来るのだ。医療福祉関係者はこのテクニックを、何としても学ぶべきであると思われる。

老人介護のことは何も分からない。ただ「非言語的レベルで相手の不安をうまく和らげ」るというのは、どんな場合でも大事なことなのだろう。わたしにはできないが*1・・・

*1:居直らない!

22日20時

事件発生後、4日以上経ってようやく「Warning!!」の怖い壁紙を消すことができました。もちろん主に友人の力によってですが。

さて、Firefoxにでも乗り替えるかな。

(ところで、怖い壁紙に脅かされながら、デリダとか致死性とかゴタクを並べるってちょっと変ですね。今回ウイルスにやられたのはうちの奥さんので、私のは大丈夫だったのです。だからデリダとかの文章はその壁紙とは離れた場所で書いたのです。)

教育勅語

教育ニ関スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

   御名御璽

昭和23(1948)年 国会で排除・失効確認を決議