Re:届かない言葉/端的なもの

 今日、SOUL for SALE というサイトを熱心に読んでいて、

http://www.socion.net/soul/index.php?itemid=273

「僕が今でも各種の反対運動(戦争だって輸入権創出だっていい)に対してどうしてもコミットメントをためらわざるを得ないのは、どこかで、どうしてこの人達はこんなに元気なんだろうという疑問を持ってしまうからで、」というところを読んで、私はあーあと大きくため息をついた。“オトコノコ的心性を叩くオトコノコ”の不毛性みたいなことを書いていて、非常に鋭い方だと感心していたのに。

 「動員」とか「反対運動」とかがはてな周辺でも話題になっているらしいのだが、ほとんどフォローできていない。知らないのに批判することはできない。だから偏見まじりの感じでしかないのだが、その語られ方はほとんどの場合、大きな偏差を持ったまま出発しており、そのことにあまり自覚的でない、と言えないだろうか。

 このサイトの例では、

「その数ヶ月後、大学の構内で学生運動の活動家が内ゲバで殺されるという事件が起きる。」略ある活動家は「「事の非道理さ」を訴えかける演説をぶった。「人が死んでるんですよ!」とその女性は声を荒げて叫ぶ。」この場合、活動家の方が悪い、という言い方ができる。彼女が何を訴えたのかいまいちはっきりしないが、「命の大切さ」自体は自明でありメッセージを構成しない、つまり彼女はなにか政治的なメッセージを発しながら、それを政治的言説として分節化したうえで相手に売り込むという努力をあまり払わず、「命の大切さ」という否定不可能な命題を表現し本来の政治的含意をその裏側に隠したのだ。

 わたしのこのページのトップにも「レイチェル・コリーの殺害を許すな」と言う趣旨が書いてある。「命の大切さ」を押し立てて他人に迫るのは卑怯なのだろうか。それは違う。イスラエル/パレスチナについては、どちらの側からも、「命の大切さを押し立てた宣伝」が為されている。しかし一人の命の値打ちをより高く売りつけることに成功しているのはイスラエルの側だ。そうであるかどうか見抜くことができるかどうかが問題である。漫然とテレビ、新聞を見ていたら分からない。

で論点は、このSOUL for SALEさんは、政治的課題をそれ自身として受け取ることができず、宣伝の質の高低という問題に還元してしまう、ということだ。

 “反対運動をしている人々が元気”というのはどういうことかよく分からない。確固とした価値観に帰依しているから揺るがないというソフトスターリニストも多いが、そうした人たちばかりが反対運動をしているわけではない。

 政治的メッセージはある要請を行う。「わたしの意見に反対でなければ、~~してくれ」と。それを押しつけがましいと感じる感覚はデフォルトとしては分かる。しかし、わたしたちはアプリオリに政治(強制)の中に生きているのだ。税金や保険は強制徴収される。江角マキコはそれを認めたくない奴隷たちによって過剰に叩かれるだろう。黙っていれば、それは「イラク派兵支持」であるし「テロに対して毅然とした勇気を持つ」ことにさせられてしまう。奴隷であり続けたければ自分が最初からそう望んでいた事にすればよいわけですが。

 わたしのこの文章はたぶん、SOUL for SALEさんに対してはかなり(批判として)外れているだろう。似たようなことを言うひとが多いと感じたのでそれに対して書いてみた。監視カメラ云々についての感覚はよくわかります。SOUL for SALEさんどうも失礼しました。

自己責任(再掲載)

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040409 とかを見ると、「自己責任」という言葉を使い、被誘拐者3人の問題への積極的な関与を政府はしなくてよいという意見が予想外に多かった、ということだ。

 自己責任についてはもっともだ。というか、“アンマンのクリフホテルからのタクシーでバグダッドに向か”うと決めたとき、バグダッドに着くことなく拘束される可能性や死の可能性を彼らは充分考えた上で行為したに違いない。死んでしまえば何処に怨みを残そうが詮方ないのであって、どのような気持ちをもって、あるいは惰性で決断したにしてもそこにはやはり、死を覚悟した決断があったとはいえるだろう。「死を覚悟した決断」というフレーズは、なにか過ちの方へ私たちを導くかも知れないという危惧もある。だがまあヘーゲル-バタイユからの流れがあるので一応使っておこう。

「ほとんどの書き込みが単なるルサンチマンの表出としてしか読めません。」という2ちゃんねらーまがいの発言が多かったらしいが、そこ(決断)に<至高性>の臭いをすばやく嗅ぎつけ、それにヒステリックに反応する、野原ふうに言えば“奴隷”の心性を持った人が大量発生しているということだろう。

虐待事件続報

http://www.sankei.co.jp/news/040502/kok057.htm

http://www.sankei.co.jp/news/040502/kok069.htm

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040503-00000079-mai-int

<イラク人虐待>奨励する米軍内部報告書が存在 米誌報道

 【ワシントン和田浩明】バグダッドのアブガリブ刑務所に拘束中のイラク人を米兵が虐待していた問題で、米陸軍情報機関や中央情報局(CIA)の担当者が尋問での情報入手を容易にするため虐待を奨励していたとするイラク駐留米軍による内部報告書の存在が2日、明らかになった。米誌「ニューヨーカー」(電子版)が報じた。「(虐待には)ごく少数の者しか関与していない」とするブッシュ大統領の釈明と大きく矛盾する内容となっており、さらにイラク国民の反発を招くのは必至だ。

 同誌が入手した報告書は53ページ。サンチェス駐留米軍司令官の指示で2月下旬に陸軍少将が内部調査を行ってまとめた。それによると、昨年10月から12月にかけ「数々のサディスティックで露骨かつ野放図な犯罪的虐待」が陸軍憲兵中隊によって行われた。具体的には▽化学薬品や冷水を浴びせたり、椅子で殴打する▽ほうきの柄で性的暴行を行う▽軍犬をけしかけて脅す――など。

 報告書によると、陸軍情報機関の将校やCIAの担当者らが、尋問で情報を聞き出しやすくするため、看守役の憲兵らに「積極的に依頼した」という。

 事件にかかわった女性兵士は陸軍犯罪調査局の事情聴取に対し、軍情報機関などの指示で、拘束者に口を割らせるよう虐待を行ったと宣誓供述した。また別の男性兵士は家族への手紙で、昨年11月にCIA担当者が行った激しい尋問でイラク人が死亡、「遺体は氷詰めにされ、医務兵が運び去った」と書いたという。

 報告書は、事件に関連し軍情報機関幹部2人と、同刑務所で尋問を担当していた民間人1人を処分するよう勧告している。

  ◇     ◇

 【ニューヨーク支局】1日の米紙ニューヨーク・タイムス(電子版)によると、バグダッドのアブガリブ刑務所でイラク人を米兵が虐待していた問題で、軍内部での事件発覚後に刑務所長を解任されたジャニス・カルピンスキ准将は同紙に対し、「私たちは使い捨てだ」と言明。予備役軍人である准将自身や部下の兵士たちに、軍上層部が責任を押し付けようとしているという不満をあらわにした。

 准将は、イラク人に対する虐待行為について何も知らなかったと話して、自身の関与を否定。今年1月に初めて写真を見た時には「嫌悪感を覚えた」と話した。

 虐待が行われたのは20余りある独房のうち「1A」という部屋。准将は、虐待行為に参加した部下の予備役兵士を弁護するつもりはないと繰り返しながらも、この独房は陸軍情報機関の管理下にあり、米中央情報局(CIA)の職員が四六時中出入りしていたと指摘した。 そのうえで、自分たちが責任を取らされようとしているのは、イラクで今も活動している情報機関職員を守るためだと主張。准将の弁護士も、准将はスケープゴート(身代わり)にされたという見方を同紙に示した。

 准将はすでに帰国しており、サウスカロライナ州の自宅で同紙の電話インタビューに応じた。(毎日新聞)

朝鮮総連は在日収奪機関

金賛汀『朝鮮総連』新潮新書を読んだ。isbn:4106100681

紹介が以下にあります。私も良い本だと思う。

http://www.asiavoice.net/nkorea/archives/000041.html

以下、総連以前についてのメモ。1945.8.15以来、総連結成までには色々な動きがあった。

45年10月在日本朝鮮人連盟(朝連)結成。

48年の阪神民族教育闘争、同年8月大韓民国、9月人民共和国樹立

49年9月朝連解散させられる。

50年6月朝鮮戦争勃発。51年1月「民戦」発足。

51年9月講和条約発効により、朝鮮人は外国人となる(国籍選択権は奪われた、北朝鮮籍や日本籍を選ぶことを韓国、日本両政府が嫌ったからだ)。(当時在日朝鮮人は約57万人、韓国籍主張者はその13%。)

53年7月朝鮮戦争休戦。

1955年5月朝鮮総連の結成。会場正面には金日成の大きな肖像画。

 

2004年、約65万人の在日のうち、朝鮮籍は10万人を切っていると推定されている。「当然のこととして在日大衆の支持を失った朝鮮総連は解散すべきであろう。そして新しく誕生する組織が在日の星となることを願い、この原稿を書いてみた次第である。」(同書 はじめに p10)

ゴキブリ

暗い部屋に入ったら何かが素足をはい上がってきて悲鳴をあげたらゴキブリだった。1mほど離れた床の上で逃げないので、叩きつぶした。合掌。

パレスチナと南京

10/2 現在の第2次インティファーダが始まって以来、ガザへの攻撃としては最悪かつ最大の侵攻が展開されているが、IMEMC Newsではここまでの死者を57人(金曜だけで12人)、負傷者240人と報じている。

http://0000000000.net/p-navi/info/news/200410021039.htm

  P-navi info : 金曜~土曜:ガザ北部の状況(追加進行中)

シャロン首相は言う「我々ユダヤ人もまた生きる権利がある。」そしてパレスチナ人には殺される権利があるわけか。

 ところで、 ヤングジャンプの『国が燃える』というマンガが南京大虐殺を扱って、一部のウヨの反発を得たようです。

http://d.hatena.ne.jp/claw/20040927

http://d.hatena.ne.jp/claw/20040929

 60年前に決定的に敗北したはずの論点(日本はアジアの解放者たり得るのか?)をなんだか訳の分からないものに変換しつつ、ヒステリックに叫びたてている連中というのは一体何を考えているのやら。

 パレスチナと南京は関係ない。あえて結びつけるとすれば、帝国主義と結びついているアジア人差別、とそれによるダブルスタンダードな認識の存在という点だろう。この文脈では【帝国主義】である【日本】あるいは【イスラエル(シオニズム)】は、権利を持ち、非帝国主義エリアの庶民より数段格上の存在であり、したがって庶民が抵抗してきたりすればその周辺の非武装民を含めて(懲罰的効果も期待しつつ)徹底的に叩くことはありうる、ということである。それは欧米の大国によって常に、なかばは許容される。

南京関係過去発言:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040520#p3

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031211#p1

http://www.eleutheria.com/philosophia/data/3037.html以下 Philosophia BBS:3037:Re4: 『証言記録 三光作戦』 南京大虐殺とは

追記:「南京大虐殺には様ざまな意見がありますが、無銘が言へることはただ一つ「ゲリラ戦に対抗するには、『大量虐殺』は正しい戦術である」、それだけです。」http://d.hatena.ne.jp/meigara/20041003#1096777890  はてなダイアリー – 無銘の銘柄♯

最近では大量虐殺肯定派も出てきたようですね!

フィクションとしての聖人

吉田公平『日本における陽明学』isbn:4831509213 によれば、中国思想において必須とされた概念は「修己」と「治人」という二つであった。*1

修己とは何か?

修己説の中核を構成するのは、本来成仏・本来聖人・本来完全などといわれるように、いわゆる人間の本来性を完全なものと理解する人間観である。この本来の完全性を、近世の思想家たちは、孟子の言葉をかりて「性は善なり」と表現した。このことを全面に押し出して主張したのが程朱学派である。

それに対する修正意見として、胡五峰、王陽明などの無善無悪説があるが、これは、性善説の持つ本来の活力を根本的に強化するために主張されたもので広い意味では性善説の範囲内である。

いずれにしても「人間は本来完全である」。

それは現実の人間がいかに背理の可能性に満ちて、現にどれほど非本来的姿をあらわしていようとも、それがあくまでも非本来的な姿であるからには人間はその本来性を回復できること、それも他者の力に依存せずに、自らの努力で回復可能であることを意味する。(略)

「復初」「復性」とはこのことをいう。つまり自力による自己救済を意味する。(p109-110)*2

で、それがどうした、というわけですが、上のアーティクルのように民主主義を真正面から論じるためには、前提がいるわけです。

「本来聖人に至りうる自己」という説、そしてそれの拡大版である「世界*3に正義をもたらしうる」とする平天下の確信。現在のわれわれは儒教をそのまま採用することはできないでしょうが、上記の<二つの思想に近い物>は、民主主義を成立させるためには、必要である*4。といえると思う。

それなしに、民主主義という言葉を使っても単に、国家の行為は正しいというトートロジーを主張しているだけで、言説はいくらでも回転しますが根本的にはむなしいだけだ。

(わたしはたまたま今、中江藤樹などの本を読んでいて、儒教は現実から遠いと思われているのでむりやりひきつけてみました。jinjinjin5さんとの応答と直接の関わりはありません。)

*1:原文の記述は「である」と現在形になっていたが

*2:以上、野原による一部要約は黒字部分

*3:断じて一つや幾つかの国家ではなく天下つまり世界全体

*4:仮にそれがフィクションであるとしても

「切断操作」

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20041114#p5 でスワンさんとのこの間のやりとりを整理したところ、すぐにコメントをいただいた。日記の欄がずれるがこちらに再掲し考えて見よう。

# swan_slab 『6の沈黙に関連するんですが、香田さん殺害事件に典型的な【切断操作】がみられたと思いますがどうでしょう。【「わざわざ殺されにいくような愚かさ」は我々とは一切無縁のものだ。ゆえに同情もわかない】という切り離しです。もしかすると、人生の他の場面では、自分だって七転八倒して愚かな行動にでて危険もわからず飛び込んでいることがあるかもしれないということを一切考えない糾弾です。ただもしかすると本当に立派な人なのかもしれずなんともいえないのですが、直感的には、人間はみな多かれ少なかれ自らのエラーから学ぶ愚かな生き物だと思います。id:swan_slab:20041110#1100344497 で他人に厳しく自分に甘い自己責任論者の例を批判的に書きましたが、重要なことはみんな自己に厳しくあれ!ということでは全然なくて、自分を棚にあげてひとをこき下ろすのは【切りはなし操作】だろうということです。

瞬時に察知したから沈黙する(ないし切りはなす)という分析はそのとおりかもしれません。沈黙(あるいは切りはなす)した瞬間から察知したことも忘れ、すべてなかったことにしてしまうという意味で。こうして理不尽に切りはなされる傾向があったからこそ、それに対して、コミュニケーションを取り戻そうとして香田さんに同感しようとする傾向が他方で生じてきたという気がしないでもありません。

事件直後から「同情できないのか」「え?無理っす」といったやり取りがしばしばみられたのはそういうことかなと思っています』

ところで、「切断操作」って社会学の概念だったんだ。はてなキーワードで教えてもらった。「共同体に特有な問題処理の作法。」とある。なるほど

他者の不在

追悼が要求しているように、自分に負債があることを表明せざるをえないと感じるときが、来るのである。自分が友に負っているものを語るのは義務だと感じるときが。(デリダ)『現代思想 2004・12』p81より

 追悼という主題に興味はない。id:noharra:20041030に、香田証生さんの人質事件に関して、二人の方のはてな日記を引用し、まあちょっとケンカ売り気味に批判した。どちらの方からも応答あり対話があった。結果的にはとてもわずかなあいだだったが。生産的な対話でもなく思い出すこともなかったのだが今日、ちょっと思い出してみた。すると「ご指定のページが見つかりません」エラーがでるではないか。二人ともなのでちょっとおどろいた。

彼らは今不在であり、その限りにおいてわたしは「自分に負債がある」と思っている。負債という言葉を心理的に解釈してはいけない。そうではなく償いえない負債だけが考えられている、デリダにおいては。二人の他者にわたしは何も負っていないがそれでも、不在であるだけで何かへの通路であるのかもしれない。

津波孤児は売買される

 スマトラで大きな被害を受けたインドネシア・アチェ州などで、孤児となった子どもたちが「保護」名目で連れ出され、行方不明になっている。ユニセフ(国連児童基金)の調べでは、その数は四百人に上るという。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050107/mng_____tokuho__000.shtml

 ユニセフは四日、こうした子どもたちの早急な保護を求める声明を発表した。日本ユニセフ協会広報担当者は「ジャカルタに運ばれた約四百人の行方が分からないが、地元紙によると、アチェ州からメダンに避難した孤児五十人が空港で行方不明になったという。アチェ州で推定三万五千人とみられる孤児が人身売買の危険にさらされている。さらに、スリランカ北部でも三千人以上の孤児が出ており、うち九十人が何者か沖地震津波に連れ去られたという情報がある」と警戒する。(同上)

 インドネシア国内の組織については、「売買の規模から、インターネットの普及で広がった国際的なシンジケートだということは分かるが、実態は分からない」(ユニセフ協会担当者)。上智大学の村井吉敬教授(東南アジア経済)も「人権団体の活動が活発なタイでは、人身売買の実態がかなり解明されているが、インドネシアは不明な点が多い」とした上で、「国内には、多数の人身売買ブローカーがいるが、ブローカーと密接な関係を持ち、被害増の元凶になっているのが国軍だ」と指摘する。

 

 佐伯事務局長が解説する。「インドネシアの予算では、国軍経費の三割しかまかないきれず、大部分は闇ビジネスで稼ぐしかない。大麻や違法伐採した木材の密輸、賭博場の用心棒代、勝手に設定した道路の通行税などと並び、人身売買が稼ぎ口になっている」(同上)

次のような話も、

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050107i113.htm

 「今月3日、2人組の男が来たわ。2人とも30代初めぐらい。キャンプを回って小さな子どもを見つけては、親はいるのかと聞き歩いてた」。バンダアチェの避難民キャンプで、主婦のアーティカさん(37)

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20050109#p2経由