4/1コメント欄
カテゴリー: 未分類
一読者 『>ノーモア
>ずいぶんと「上から見た物言い」ですね。
おやおや先に上から見た物言いをされた方が逆ギレですか。
>そういうあなたは歴史学者か何かなのでしょうか。
いいえ。歴史以外の分野の学会に所属しているだけですよ。いわゆる在野ですけど。
>ではぜひどの史料の解釈がどのように間違っているのか、具体的にお答えください。でなければあなたの発言は単なる誹謗中傷です。
また人のコメントを歪曲をする。間違ってるとは一言も言ってないでしょ?強引だと言っただけで。それに、引用部分以前の言説は実証主義的資料研究の枠内にとどまろうと努力する言説だと一定の評価をしていることがお分かりにならないのでしょうか?
私のこの問題についての基本的考えは秦氏と大体同じですから、そこから類推してください。具体的に聞いてくれれば、秦氏と違う部分は違うと言いますが。
でも、あなたが私の引用部分とそれ以前の資料分析部分との間に論理の飛躍があると思われなかったとしたら、素人レベルの論理的分析すら怠っているか単にイデオロギー的な同調共感をしているだけだと思いますよ。
>平成3年8月27日参議院予算委員会での外務省の答弁です。
「これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」
おお、これは感謝します。私の考えは古い日本政府見解(正確には消滅ではなく放棄でした)だったのですね。ただ、締約当時の交渉文書では、日韓両政府とも私と同じ考え方だと思ったので、締約当時の公式解釈では日韓両政府とも個人請求権の放棄と解していましたよね?条約の効力の解釈は締約当時の公式解釈によるのが原則ですが、時を経て両国の公式解釈が変遷して奇しくも再び一致したという訳ですか。こういう場合変遷後の公式解釈に変わるのかな?詳しければ教えてください。
でも、日本の裁判所で個人請求権を行使しても、大審院判例(国家無答責)か消滅時効か除斥期間で結局認容されませんよね?
そうすると、外交保護権の放棄に行き着いて、結局法的責任は追求できませんね。河野談話を踏まえて公式謝罪した複数の首相の誰もが法的責任の履行はできないからこそ、アジア女性基金で道義的責任を果たすことになったのではないですか?
>「考慮されなかった」ことはお認めになりますね?
はい。
>で、その原因についてですが「慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。」などと勝手な解釈を付け加えるならそれこそソースをお願いします。
冤罪すら処罰された。証拠不十分でも処罰された。いわんや行為当時の犯罪をや。戦犯法廷に告発されればほぼ処罰された状況で告発されなかったのは、犯罪とは意識されなかったからと考えるのが常識的推論。私の勝手な法社会学的な解釈なので、反対されるのはご勝手です。
ただ、私の考えと似た考えとして、先週末の田原耕一郎氏司会のテレビ討論番組で櫻井よし子氏が、いわゆる白馬事件に言及して、同事件の関係者が処罰されたということは同様の事件があれば処罰されているはずで処罰されていないのは同様の事件が無かったからだと思うという趣旨のコメントをされていました。
>私が記事を見た限りでは「謝罪」を勧告するというものしか見当たりませんし、日本政府も「決議されても謝罪はしない」としか言っていないので個人補償について法的責任があるといった決議ではないと思いますが。
決議案の内容については、私も再度調べますが、あなたもお調べください。
日本政府が謝罪の否定しかしないのは、決議に法的拘束力が無いから決議案の内容になっていたとしても個人補償まで言及する必要が無いと判断したからだと思いますが。
>具体性の無い誹謗するばかりで議論から逃げるだけじゃないですか。
ん?そもそもあなたの元コメントからして具体性もないし、クワラスミレポートとか上記サイトとか引用だけでしょ?反対の意見の学者の立場から見たらあなたのコメントも単なる誹謗だけですよ?
>「関与していないと思う」ことと「事実として関与していない」ことは全く違うんですよ。もう少しまともな議論が出来ませんか?
ん?当然そんなこと分かってますから、私は断言してないんですよ。それがまともな論理的な議論です。専門家ですら見解が分かれることを断言しちゃうあなたの方が傲慢です。私は政府機関が主体的には関与していないと思うが、あなたは主体的に関与していると思っている。のみならず、あなたは一学者の見解をもとに多数の反対説もあるのに関与していると客観的事実のように断言してるでしょ?全く次元の違うことを意識的にか無意識的にか知りませんが混同させてまともでない非論理的な議論をしているのはあなたの方ですよ。
>まず各国の慰安婦制度の実態がいかなるものかをきちんと述べてそれで比較検討してもらわないと。理論的可能性に固執するのは結構ですが、現段階では妄想の域をでていません。机上の空論です。裏付けをどうぞ。
裏づけはいらないでしょ?あなたがどう思いますかと私に「意見」を聞いたので、私も意見を言っただけですよ。どちらの考え方がより客観的かを争ってはいないんですから、論理的推論のみで足りるでしょう。妄想とは、客観的にありえない非現実的な想像ですから、論理的推論とは別物ですね。これも誹謗の一種だと思いますよ。私はあなたのように一方的にレッテル張りはしませんけどね。
>あなたの反論ですが、こちらにソースをソースをと要求する割には、御自分はほとんどソースをお示しにならないという見事なまでのダブスタです。お気楽なことで。
あなたのように色々と歴史資料を調べていれば、私が依拠しているだろう資料なんか簡単に想像がつくのではありませんか?ほとんど素人レベルの一般的な資料に依拠してる発言に一々ソースなんか要求しないし自分も示しませんよ。あなたのコメント中でソースをつけなかった資料についても、私が知っている資料については私が自分から言及してるでしょ?それまでの自分の知識から外れている資料について聞いただけですよ。ダブスタと感じられたのはあなたの単なる主観ですね。私は、お互いの共通認識となっているソースがあると思われればソースを要求しないという基準でどちらにも対応してるだけです。あなたもそうだと思っていたのですが、私の買い被りだったようですね。
それと、事実や資料についてはソースを常に念頭に置くべきですが、ロジックにはソースはいりません。理論的かそうでないかのみが問題です。ヴィトゲンシュタインの著作にはほとんど引用やソースはありませんが、高く評価されていますよね。
>なるほど現在の公安委員会は業者に風俗営業を請け負わせているんですね。業者を通じて売春婦を募集したりしているわけですか。「公安慰安所」なんて聞いたこともありませんが。
まあ、この点は、解釈の相違ですね。軍が請け負わせたといえるか、主体的に業者を通じて売春婦を募集したといえるか、あなたと私では解釈が違うんだからしょうがない。』
ゆーき ゆーき 『>現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態を、いきなり奴隷制度にワープですか。
国家による消極的関与と積極的関与は別物でしょう。』
ゆーき ゆーき 『上記のコメントは一読者氏宛です。』
ノーモア ノーモア 『>おやおや先に上から見た物言いをされた方が逆ギレですか。
逆ギレとは珍妙な。あなたは歴史学者の論文に対して「強引な解釈」といういかにも知ったかぶった物言いをしたのですよ。それが「上から見た」ものでなくてなんなのですか?そこまで仰るのであれば当然具体的指摘が出来るわけですよね?まあ今回のコメントもその意味では一切具体的なソースもなく新味に書けたものだったわけですが。で、この論文にケチをつけたのはあなたであって秦氏ではありません。「強引な解釈」と評した責任は秦氏ではなくあなたが取るべきでしょう。秦氏の言説に逃げ込むのではなくてあなたが具体的に「強引な解釈」箇所を示し具体的に反論ください。ちなみに私は「軍の主体的関与」を示す目的で当該論文を提示しました。で、軍の主体的関与に関する部分においては当該論文は実証的であったとお認めになったんですね?
>そうすると、外交保護権の放棄に行き着いて、結局法的責任は追求できませんね。
だから私は「それが認められるかは別の問題だ」と書いておいたはずですが。
>冤罪すら処罰された。証拠不十分でも処罰された。いわんや行為当時の犯罪をや。
とことんソースを示して実証的に語るということが出来ない方なんですね、あなたは。他人に実証性云々を偉そうに言う資格はゼロですな。しかも推論が穴だらけではないですか。あなたの言う常識的推論によると有罪判決の数=犯罪の数なのですか?ちなみに白馬事件が発覚した背景についてはこちらをご覧ください。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/#kyosei
白馬事件以外の犯罪的行為は存在しなかったという「常識的推論」が穴だらけであることはお分かりになりましたでしょうか。
また戦犯裁判のイメージにも偏りがあるのではないでしょうか。あなたはどうも犯罪は「全て」裁かれ、裁かれるべきでないものまで裁かれたと思い込んでいらっしゃいませんか?戦犯裁判はそのような単純なものではないことはあなたのお好きな秦氏も本に書かれているわけですが。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060912/p4
>決議案の内容については、私も再度調べますが、あなたもお調べください。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070311/srn070311000.htm
あなたのお好きな秦氏が述べられていることから推測するにやはり個人補償についての法的責任云々の話はないようです。つまり今のところ日韓条約云々の話はあなたの単なる先走りだと思われます。
>クワラスミレポートとか上記サイトとか引用だけでしょ?
引用もソースも示さず穴だらけのロジックしかないのを開き直られる方に言われる筋合いはありません。私が「誹謗した」というのなら具体的な御指摘を願います。
>あなたは一学者の見解をもとに多数の反対説もあるのに関与していると客観的事実のように断言してるでしょ?
見解の相違でお逃げになるのなら結構です。つまりあなたはご自分の見解の方が優位であることを示せなかったということですから(上記のサイトは少なくとも「良い関与説」&「民間業者主導説」を論破していますから、それに対して説得的な再反論が出すべきです)。つまりあなたは「軍に主体的な関与があった説」にも一定の説得力があることを暗に認めたことになります。少なくとも私はあなたの「思っただけ」の議論に付き合う必要はありません。しかも軍による主体的な関与があったと述べている学者は上記の論文を書いた学者のみではありません。例えば彼は吉見氏の議論を「補強」しているわけです。で、軍による軍慰安施設の設置し売春婦を業者に集めさせたことががなぜ主体的関与でないのか。説得的な御説明は出来ないということでよろしいですね。解釈の違いといってもあなたはその解釈の元となる史料をお示しにならないので話にならないのですよ。
>ヴィトゲンシュタイン…
無茶苦茶なことを言い出しますね。ヴィトゲンシュタインは歴史学者だったのですか?私は一度もそう思って読んだことが無いのですが。で、歴史学の議論をするのに論理的可能性のみで史料に基づかない議論をやって評価された人の例をお教え願いたいのですが。私たちは哲学の議論をしているわけではありません。ちなみに妄想と論理的可能性は両立しますよ。論理的にはありえても現実にはありえない(=妄想)なんていくらでもあります。論理的可能性を指摘したところで裏付けが無ければ妄想ですな。
>まあ、この点は、解釈の相違ですね。
最後まで逃げるんですね。で、「公安」は「慰安所」を作ったのですか?ちなみに風俗業者をなぜ公安が取り締まるのか私にはさっぱり分からないわけですが(笑)』
死
考えてみれば、人間の数だけ、死は存在する。
(養老孟司 11月16日毎日新聞書評欄より)
普天の下、王土に非ざるなく、
『漢文入門』*1から引用します。
温という国の人が周に行った。周は客(他国人)をいれない。「之に問うて曰く、『客か』と。対(こた)えて曰く、『主人(そこの土地の人)なり』と。その巷(町名)を問へども知らざるなり。吏因(よ)りて之を囚(とら)ふ。」君主は(代理人を通して)之に問う。「周の人でないのに、客に非ずというのは、なぜだ?」対えて曰く、「臣わかきとき詩を誦(しょう)せり、曰く『
普天の下、王土に非ざるなく、卒土の濱(ひん)(はて)、王臣に非ざるなし』と。いま君は天子なれば、即ち我は天子の臣なり。」人の臣であって客であることはありえない。だから主人と言ったのだと。君主はこれを解放した。(韓非子 より)(漢文と訳ごちゃまぜのいいかげんな引用。)
古代中国においてはまさに王(天子、帝)はどこまでも続く地平線の果てまでの民を、自らの臣としているという発想があったわけです。王とは支配の別名ですから、朱子的にいえば「理」でありまた20世紀的には「近代人権思想」とも接続可能です。日本は戦後狭くなっただけではなく、視野が一国主義的になり外国といえばアメリカなどの欧米を意味するようになった。本来は「普天の下、王土に非ざるなく」という西欧起源ではない普遍感覚は日本人のうちにも存在していたのに。
というわけで、ここでも野原は野口孝行氏の解放を訴えているわけで、中華を名のる国家元首であるなら、どうかこのエピソードを思い出し、北朝鮮と中国の国境線によって人は印を付けられ差別されるという思想をとらず、彼らを解放してやってほしいものです。
*1:isbn:4000201018 この本は1957年発行の本なのでisbnなんてついてないかと思っていたら1992年版にはちゃんとついていた。
Re:届かない言葉/端的なもの
今日、SOUL for SALE というサイトを熱心に読んでいて、
http://www.socion.net/soul/index.php?itemid=273
「僕が今でも各種の反対運動(戦争だって輸入権創出だっていい)に対してどうしてもコミットメントをためらわざるを得ないのは、どこかで、どうしてこの人達はこんなに元気なんだろうという疑問を持ってしまうからで、」というところを読んで、私はあーあと大きくため息をついた。“オトコノコ的心性を叩くオトコノコ”の不毛性みたいなことを書いていて、非常に鋭い方だと感心していたのに。
「動員」とか「反対運動」とかがはてな周辺でも話題になっているらしいのだが、ほとんどフォローできていない。知らないのに批判することはできない。だから偏見まじりの感じでしかないのだが、その語られ方はほとんどの場合、大きな偏差を持ったまま出発しており、そのことにあまり自覚的でない、と言えないだろうか。
このサイトの例では、
「その数ヶ月後、大学の構内で学生運動の活動家が内ゲバで殺されるという事件が起きる。」略ある活動家は「「事の非道理さ」を訴えかける演説をぶった。「人が死んでるんですよ!」とその女性は声を荒げて叫ぶ。」この場合、活動家の方が悪い、という言い方ができる。彼女が何を訴えたのかいまいちはっきりしないが、「命の大切さ」自体は自明でありメッセージを構成しない、つまり彼女はなにか政治的なメッセージを発しながら、それを政治的言説として分節化したうえで相手に売り込むという努力をあまり払わず、「命の大切さ」という否定不可能な命題を表現し本来の政治的含意をその裏側に隠したのだ。
わたしのこのページのトップにも「レイチェル・コリーの殺害を許すな」と言う趣旨が書いてある。「命の大切さ」を押し立てて他人に迫るのは卑怯なのだろうか。それは違う。イスラエル/パレスチナについては、どちらの側からも、「命の大切さを押し立てた宣伝」が為されている。しかし一人の命の値打ちをより高く売りつけることに成功しているのはイスラエルの側だ。そうであるかどうか見抜くことができるかどうかが問題である。漫然とテレビ、新聞を見ていたら分からない。
で論点は、このSOUL for SALEさんは、政治的課題をそれ自身として受け取ることができず、宣伝の質の高低という問題に還元してしまう、ということだ。
“反対運動をしている人々が元気”というのはどういうことかよく分からない。確固とした価値観に帰依しているから揺るがないというソフトスターリニストも多いが、そうした人たちばかりが反対運動をしているわけではない。
政治的メッセージはある要請を行う。「わたしの意見に反対でなければ、~~してくれ」と。それを押しつけがましいと感じる感覚はデフォルトとしては分かる。しかし、わたしたちはアプリオリに政治(強制)の中に生きているのだ。税金や保険は強制徴収される。江角マキコはそれを認めたくない奴隷たちによって過剰に叩かれるだろう。黙っていれば、それは「イラク派兵支持」であるし「テロに対して毅然とした勇気を持つ」ことにさせられてしまう。奴隷であり続けたければ自分が最初からそう望んでいた事にすればよいわけですが。
わたしのこの文章はたぶん、SOUL for SALEさんに対してはかなり(批判として)外れているだろう。似たようなことを言うひとが多いと感じたのでそれに対して書いてみた。監視カメラ云々についての感覚はよくわかります。SOUL for SALEさんどうも失礼しました。
自己責任(再掲載)
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040409 とかを見ると、「自己責任」という言葉を使い、被誘拐者3人の問題への積極的な関与を政府はしなくてよいという意見が予想外に多かった、ということだ。
自己責任についてはもっともだ。というか、“アンマンのクリフホテルからのタクシーでバグダッドに向か”うと決めたとき、バグダッドに着くことなく拘束される可能性や死の可能性を彼らは充分考えた上で行為したに違いない。死んでしまえば何処に怨みを残そうが詮方ないのであって、どのような気持ちをもって、あるいは惰性で決断したにしてもそこにはやはり、死を覚悟した決断があったとはいえるだろう。「死を覚悟した決断」というフレーズは、なにか過ちの方へ私たちを導くかも知れないという危惧もある。だがまあヘーゲル-バタイユからの流れがあるので一応使っておこう。
「ほとんどの書き込みが単なるルサンチマンの表出としてしか読めません。」という2ちゃんねらーまがいの発言が多かったらしいが、そこ(決断)に<至高性>の臭いをすばやく嗅ぎつけ、それにヒステリックに反応する、野原ふうに言えば“奴隷”の心性を持った人が大量発生しているということだろう。
虐待事件続報
http://www.sankei.co.jp/news/040502/kok057.htm
http://www.sankei.co.jp/news/040502/kok069.htm
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040503-00000079-mai-int
<イラク人虐待>奨励する米軍内部報告書が存在 米誌報道
【ワシントン和田浩明】バグダッドのアブガリブ刑務所に拘束中のイラク人を米兵が虐待していた問題で、米陸軍情報機関や中央情報局(CIA)の担当者が尋問での情報入手を容易にするため虐待を奨励していたとするイラク駐留米軍による内部報告書の存在が2日、明らかになった。米誌「ニューヨーカー」(電子版)が報じた。「(虐待には)ごく少数の者しか関与していない」とするブッシュ大統領の釈明と大きく矛盾する内容となっており、さらにイラク国民の反発を招くのは必至だ。
同誌が入手した報告書は53ページ。サンチェス駐留米軍司令官の指示で2月下旬に陸軍少将が内部調査を行ってまとめた。それによると、昨年10月から12月にかけ「数々のサディスティックで露骨かつ野放図な犯罪的虐待」が陸軍憲兵中隊によって行われた。具体的には▽化学薬品や冷水を浴びせたり、椅子で殴打する▽ほうきの柄で性的暴行を行う▽軍犬をけしかけて脅す――など。
報告書によると、陸軍情報機関の将校やCIAの担当者らが、尋問で情報を聞き出しやすくするため、看守役の憲兵らに「積極的に依頼した」という。
事件にかかわった女性兵士は陸軍犯罪調査局の事情聴取に対し、軍情報機関などの指示で、拘束者に口を割らせるよう虐待を行ったと宣誓供述した。また別の男性兵士は家族への手紙で、昨年11月にCIA担当者が行った激しい尋問でイラク人が死亡、「遺体は氷詰めにされ、医務兵が運び去った」と書いたという。
報告書は、事件に関連し軍情報機関幹部2人と、同刑務所で尋問を担当していた民間人1人を処分するよう勧告している。
◇ ◇
【ニューヨーク支局】1日の米紙ニューヨーク・タイムス(電子版)によると、バグダッドのアブガリブ刑務所でイラク人を米兵が虐待していた問題で、軍内部での事件発覚後に刑務所長を解任されたジャニス・カルピンスキ准将は同紙に対し、「私たちは使い捨てだ」と言明。予備役軍人である准将自身や部下の兵士たちに、軍上層部が責任を押し付けようとしているという不満をあらわにした。
准将は、イラク人に対する虐待行為について何も知らなかったと話して、自身の関与を否定。今年1月に初めて写真を見た時には「嫌悪感を覚えた」と話した。
虐待が行われたのは20余りある独房のうち「1A」という部屋。准将は、虐待行為に参加した部下の予備役兵士を弁護するつもりはないと繰り返しながらも、この独房は陸軍情報機関の管理下にあり、米中央情報局(CIA)の職員が四六時中出入りしていたと指摘した。 そのうえで、自分たちが責任を取らされようとしているのは、イラクで今も活動している情報機関職員を守るためだと主張。准将の弁護士も、准将はスケープゴート(身代わり)にされたという見方を同紙に示した。
准将はすでに帰国しており、サウスカロライナ州の自宅で同紙の電話インタビューに応じた。(毎日新聞)
訂正(校正)について
先日UPした、「わたしの自主講座運動」については原本が二つある。一つは1971年1月に北川透氏が刊行した『あんかるわ別号≪深夜版≫2 松下昇表現集』である。もう一つは、『~1988・8~ 表現集 〈 〉版』、神戸市灘区赤松町1-1松下 が連絡先になっている。後者は前者のコピーを更紙にリソグラフ印刷したもので、前者より読みにくい。ただ松下自身による誤字訂正がいくつかある。その訂正個所を最後に追加しておいた。
わたしの松下氏の表現のテキスト化はOCRでまずやっています。この方法はミスがあっても見つけにくい。そこで、(今回テキスト化により追加された誤りがあるはずです、気がついたら指摘していただければ嬉しいです。)とも書き加えておいた。
すると今晩、畏友黒猫氏から丁寧に校正をしたものをFAXしてもらった。わたしにとってとても嬉しいことできごとでした。早速、バリケードがパリケードになっているなどのミスを訂正した。ただ訂正仕切れなかったところもある。(スローガンを荷う については「担う」は普通だが荷うも辞書にある。)
追求という言葉。1)追求→追究 2)追求→追及 にすべきでは?という意見だった。 利潤を追求する/真理を追究する/責任を追及する、と使い分けるみたいだ。1)については、理想追求に近い意味ということで、追求でいいだろう。責任追求という言葉は、国語の試験なら間違いになるだろう。しかし松下は、他者に対する糾弾みたいな追及も、例えば「自己が叫び声をたてざるを得ない根拠を追求」するという大きな営為の一部として行われるものと理解していたのだろう。そのような意味で「追求」で通した松下を追認しておくことにした。
黙れ
「黙れ–この礼儀をわきまえぬ無頼のやからめ。私の偉大なる武勲、誰も否定できない私の親愛なる気持ち、私の弁舌に満ちあふれている深遠なる知識に関するお話から、尊敬できるものを享受できず、安らぎの時間や高貴なる教訓を手に入れることができない者がいるとしたら、おまえのようなろくでなしだけである」
ドゥリートは私が話しつづけるのを認めず、私の耳元で大声で叫んだ。*1
「ラカンドン密林のドン・ドゥリート-カブト虫が語るサパティスタの寓話」(副司令官マルコス=著 小林致広=訳)が現代企画室より刊行(定価2500円+税)されたのですが、本日もうある図書館にならんでいました。副司令官とはサパティスタ民族解放軍(EZLN)の副司令官である。辺境のすごい過激派軍事組織のテロリストの親玉なのか? とにかく政治的文書に非常な文飾を付けたものみたいだがおもしろそうだから借りてみた。
「これは政治文書か、文学か、寓話か。はたまた、ジャングルでやるべきことのないゲリラのスキャンダラスなお遊びか。つかみどころのない、世にも不思議な物語が、混沌たる過渡期に、ついに登場! ここには新しい表現スタイルの模索の跡がくっきりとある。」
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/
わたしは知らなかったが4年前から活発なサイトがあり、そこからペーストしてみた。
これはほら話である。何にも似ていない。一定の方法はあるが必ずしも意味があるわけではない。ドン・キホーテやサラゴサ手稿に少し似ているが、例えば残雪のデタラメさを思わせる所もある。
*1:p146『ラカンドン密林のドン・ドゥリート』isbn:4773801050
三流学者ごときが
トランスカレッジさん経由ですが、加藤秀一研究室から引用しておきます。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~katos/
◆子どもたちが性を肯定的にとらえ、自分の身を守り、他者を尊重できるように――。こうした願いのもとに地道な工夫を積み重ねて行なわれてきた東京都における性教育への取り組みが、現在、東京都知事(石原)、東京都教育長(横山)、民主党を中心とする数人の都議会議員、一部のマスコミ(『産経新聞』『週刊新潮』等)、アホな御用学者(高橋某等)たちによる事実のねじ曲げと悪意に満ちた猛攻撃によって、はげしい弾圧を受けている。
下記にも長い引用有り。http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20040825#1093381624