ヒロヒト=ヒトラー

中国に反日教育は存在しない、そうだ。悪である大東亜戦争の責任は「日本軍国主義」である、という理屈。この理屈によって「日本民衆との連帯」は是とされ、日中友好は盛り上がった。

ところが日本ではA級戦犯グループの一部は日本で戦後権力者に成り上がり、靖国神社においては「合祀」に成功した。

合祀以後、天皇は靖国神社に詣っていない。これは当然のことである。外国から見た場合、ヒロヒト=ヒトラーであり、それを逃れる道は東条=ヒトラーしかない。後者を無理矢理定着させることが(幸いアメリカの一部勢力の助力を得たとはいえ)どんなに困難な課題だったか、天皇は忘れる筈もない。だが国民は。戦後国民は主権者になったというが。大東亜戦争をどう評価するのかも言わずに眠り込んでいる。

一面的

http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050627/p2 のコメント欄より。

noharra 『なぜバンザイクリフの事を書かないのか?・・・バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。』 (2005/06/29 18:05)

# drmccoy 『ここでバンザイクリフの話を出したのは、「バンザイクリフで亡くなった人たちはすべて純粋に犠牲者である」という事が言いたかったのです。純粋に戦争の犠牲者である民間人の慰霊碑まで冒涜するのは、いくら日本が嫌いだから・昔の日本は悪かったと言っても絶対に許されない、分別がなさすぎると言いたいのです。

「米軍に追いつめられ、民間人が大量に崖から飛び降りて自殺した」はたしかに一面的な見方かもしれませんが、そちらの「「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因」というのもまた一面的だと思いますね。』 (2005/06/29 19:38)

(某氏)(一部だけの引用)

(天皇がサイパンで)もうすこし頭をさげたことにどれだけの意味と意図があるかちゃんととらえてほしい。…

# drmccoy

あるていど正義か悪か、という視点でものを見るのは人間として仕方のない事だと思いますが、正義によいしれる事で事実がゆがんで見えてしまうというのは困ったものです。

 わたしにはただの責任逃れにしか聞こえない。

マッコイさんは、責任の所在という問題については(何を考えているのか分からないが)答えようとしない。それは結局、「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」を現時点で批判しないという立場である。

 これは今回の列車事故に例えればJR西日本の社長などに対し責任追求する必要なし、という立場と同じだな。「一面的」といってある責任追求を無効化しうるなら、権力者はつねに免責される。

 戦争というのは自然現象であり責任は問えないものとでも考えているか。巨大な現象であり一個人の賢しらな智恵で裁断すべきでないとでも。しかしながら<賢しらな智恵を越えたより大きな物>、は存在しない。天皇が頭を下げたらすべては許されるべきなのか。無惨に死んでいったサイパンの人々のことを思うときそれは詭弁でしかない。

「糞尿の臭いと血や膿の臭いが、死臭と混じり合ってものすごい臭い」戦場の硝煙とちぎれた屍体というその現場に生き死にせざるを得なかった先人たちのその存在の有り様に近づこうとするのか? 現場を離れた東京でのうのと暮らしていて国体護持だの反省だの心にもない言葉を操り続けさえすれば生きのびることができた人々のうすっぺらな言葉を愛好して(頼まれもしてないのに)おしゃべりし続けていくのか?

バカにするのもいい加減にしろ!!!!!!!!

まさか、南方で取り残され無残な死に方をしたという大伯父の生まれ変わりと言われていた俺が、

「自分の祖父や大伯父のごとき愚民を偉大な指導者である東条英機様に聖戦に出していただき、英霊として東条様と一緒に靖国に奉っていただいてまことにありがとうございます」

と思わなければならないような「歴史」認識が正しいと言うのか?

これこそ自虐じゃないのか!!

バカにするのもいい加減にしろ!!!!!!!!

http://ameblo.jp/dox/entry-10003164317.html 歴史が修正された国家「ジパング」を希求する群集心理|絵ロ具。

上記ブログでTBしていただいた。

 (何度も書いているが)現在の日本国境内だけを考えても、一つの国家の滅亡といって過言ではないほどの損害を国民国土に及ぼしながら、それが悪いことでなかったかのように言いつのる自慰史観派たち。彼らは「日本軍の蛮行などなかった!日本は戦時中もすばらしい国だったのだ!という歴史認識を広め、教科書でもそう記述されていなければならない」と主張する。国民に愛国の大義を取り戻そうということが正しいのなら、彼らのやっていることは間違っている。

つくる会(自由主義史観研究会)と日本会議の組織あげて

沖縄戦の名誉毀損裁判は、やたら大勢の弁護士がついて、つくる会(自由主義史観研究会)と日本会議の組織あげての取り組みのようです。

沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会

http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/1/

自由主義史観研究会が取り組む当面の三つのテーマ

 ★全国大会★沖縄集団自決★教科書採択

    代表 藤岡信勝

http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html

自由主義史観研究会

歴史論争最前線

http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html

西田税とは誰か?

 id:kitanoさんが、Wikipediaの「西田税」の項目を書かれたそうで、

id:kitano:20050915#p2に全文載っています。

西田税(にしだみつぎ、1901年10月3日-1937年8月19日)は思想家。国家社会主義者。鳥取県米子市博労町出身。

(略)

昭和十一年二月初旬、青年将校等の一部同志が決起の意思を固めたのを察知し、村中孝次、磯部浅一、安藤輝三、栗原安秀等と会い、彼らが青年将校を糾合して二・二六事件の実行計画を進めているのを知るや、当時の国内情勢においてはまだ革新断行の最後の決定時期に到達していないと判断し、その抑止説得に努めた。しかし西田税は、決起将校たちの決意がゆるがず、説得が不可能であることを知り、その希望を受けいれる以外に無いと判断。こうして西田税は、二・二六事件に参加し、指導することになった。

昭和十一年三月四日、西田税は反乱の主動者として陸軍刑法第二十五条第一号違反の容疑で逮捕。昭和十二年八月十四日、東京陸軍軍法会議の判決で死刑を宣告された。

まあわたしは西田のことなど何も知らないのですが。

さすらいてやまぬことばを追ひゆけば 七月まひる 炎天の黒き蝶

     斎藤史*1

*1:『全歌集』p656

「脱北者は全員難民」 国連の北朝鮮人権報告書

 北朝鮮の人権状況を改善するためには、北朝鮮当局が軍事費支出を減らして、その費用を経済的発展に使わなければならないと国連が指摘した。また、政治的迫害から逃れるため亡命した者にしろ、生活の困窮から逃れようと亡命した者にしろ、ひとまず脱北者は全て難民に分類することができるとみなし、北朝鮮の隣国に人道的措置を促した。

 国連人権委員会のビティット・ムンタルボン(Vitit Muntarbhorn)北朝鮮人権特別調査官は3日、このような内容の北朝鮮人権状況報告書をまとめ、国連総会第3分科委員会(人権・社会)に提出した。国連総会は今月下旬、討論を経て北朝鮮人権改善を促す決議文を採択するかどうか決定する。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/05/20051005000002.html

朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)

破壊の灰の中から立ち上がるフェニックスという逆説

若者の中にはマルクス主義者もいた。彼らは、物質主義と資本主義によって腐敗し切っているイギリス・アメリカばかりでなく、自らの国をも破壊するために自分たちの命を献げる覚悟だと、自分たちを納得させようとしていた。彼らは古い日本が崩壊したその灰の中から、新しい日本が鳳凰のようによみがえることを切望したのだった。

(p7同書)

マルクス主義者とまでいえるのは例えば、佐々木八郎氏である。彼は1923年生まれ、一高東大、1943年12月に学徒兵として徴兵され45年2月特攻隊員へ志願、同年4月14日特攻隊任務中戦死。彼はマルクス、エンゲルス、クロポトキン、レーニン、トロツキーを読んだ。戦後有名なマルクシストになった大内力の親友だった。

佐々木に宛てた手紙の中で大内は、断固として戦争に反対し、日本の敗戦を願っている。大内にとって戦争は、日本の帝国主義と権力者のためのものであり、民衆のためのものではなかった。彼は大内に対し、戦死することなど考えるべきではないと論じている。(略)

 佐々木の意見は大内とは異なっていた。彼にとっての米国・英国は、資本主義の悪を象徴する存在であり、したがって戦争は正当化されうるものであった。佐々木は、非合理な精神主義の危険性を鋭く察知しながらも、日本人の保持する武士道などの封建的要素が、日本を資本主義の毒牙から守りうると信じていた。(同書p303)

一応新しき時代のエトスに近いものが見られ、物的基礎も出来つつある今日、なお旧資本主義態制の遺物の所々に残存するのを見逃すことはできない。急には払拭できぬほど根強いその力が戦敗を通じて叩きつぶされることでもあれば、かえって或いは禍を転じて福とするものであるかも知れない。フェニックスのように灰の中から立ち上がる新しいもの、我々は今それを求めている。一度や二度負けたって、日本人の生き残る限り、日本は滅びないのだ。はや我々は“俎上の鯉”であるらしい。悲観しているわけではないが、事実は認めなければならない。苦難の時代を超えて進まなければならぬ。(佐々木八郎)(同書p304から孫引き)

「破壊の灰の中から立ち上がるフェニックス」というのは、当時の若い知識人がしばしば用いた隠喩であり、佐々木も好んで用いたものである。彼にとってフェニックスとは、人類愛に溢れ、個人主義を利己主義に変えてしまった資本主義から解き放たれた、新しい日本のことであった。佐々木は戦死という行為を、若者が新たな世界の創造に参画する機会を与えるものであるという意味で、栄誉あることと考えていた。彼は、新生日本の創造にかかわるという己の義務と責任を果たし、死ぬことを望んでいた。(同書p304)

いよいよ12月1日入営と決まった。かくあることを予期して水泳、体操、銃剣術など充分に鍛えてあるから体力の心配はない。我々はいま第一線に立って一年でも長く敵を食いとめ、以て国家の悠久の生命を守る楯(たて)となることを求められているのだ。

(佐々木八郎)(同書p305から孫引き)

 わたしたち戦後の立場からは、一日でも早く降伏することがフェニックス(再生)につながる、一年でも長く敵を食いとめることに命を賭けることには何の意味もない、と断言される。

だが、私たちは「祖国への愛」から自己を切断し生きるべきなのか。「個人は歴史とその流れに逆らうことはできない。(林尹夫)」祖国が存亡の危機にあるとき戦いに動員されること、自己の生命を掛けようとすること、それは否定されるべきことなのか。彼らがその与えられた歪んだ磁場のなかで必死に生きようとした姿勢は感動的だ。ただそこで、「一年でも長く敵を食いとめ」ようとすることが「フェニックスのように灰の中から立ち上がる新しいもの」の生成につながるべきだとする祈り、それはその戦中の時点ですでに空疎な思想だった。と私は言いきりたい。戦争を遂行しているのは「われわれ」ではなく国家である。国家はわれわれの幻想を吸い取りそれを利用しそれと一体であるかに見せかけるが、それは嘘だ。国家は国家の基準に従ってゲームをしているのであり、学生や大衆の抱く祖国への夢といったものとは最初から位相が違うのだ。

六甲 第五章

 視線が地図の上を、表六甲から裏六甲へつき抜けて

いくと、奇妙な地名が山系の両側に、ひっそりと息づ

いている。カミカ、ハクサリ、ザグガ原、ボシ、マン

パイ、シル谷、カリマタ池、キスラシ山、シブレ山……

地図なしにそこを歩いたら、ここが、そんな地名をもつ

ことを予測しえないだろう、と考えるときの怖しさ。

 地図の上に舞い込んできたホコリを吹き払おうとして、よくみるとタンポポの綿毛だ。微かな筒状のかたちに含まれている〈生命〉を、異なった空間へ変移させるために、更に微かな白い毛が放射線状についている。十数本まではかぞえられるが、それ以上正確には綿毛と綿毛との間隙を区分できない。しかし、この放射線状の毛がいまもっている方向へどんどんのびていけば、六甲よりも巨大な空間を含んでしまうだろう。

 第四章の六項のメモたちが、相互の間隙へ直角に入り込み、みずから介入しつつとらえているヴィジョンは、次のようなものでもありうると想像してよい。

       〈       〉

 かならず、すべてのものは、感覚に、とらえる前に弯曲してしまうのだと思いこんで、やっと動き出すことが可能になり、動き始めて以来、いつでも、どこでも、強調しようとした感覚が、逆にかすんでしまうのを知ったと、波が揺れながら語る。街の東端で用もないのに途中下車し、つくりたての高速道路と、見すてられた住宅群を横断して、魚のとれないこの砂浜へやってきてたたずむ幻影よ。あなたの、うちよせては帰っていく運動の仕方は私のと同じだ。そして、ここからは見えないけれども、子午線の下あたりで、流れがいつものように方向を変えはじめていることも、あなたは知っていますね。

 そうだ知っている。雨あがりの川にかかっている橋である私は次のことも。六甲から性急に走り下る水勢を緩和するために、河床は数十メートル毎に段状につくり変えられている。吸いかけたタバコのフィルターの色をした泥水は滝を垂直に降下する度に速度を分断されている。泡立つ水の前線は、前線であることが分るほどほど孤立し、コンクリートに石をはめこんが河底が、歯をむきだして笑う。いくつにもとぎれた水の軍勢が左右不対称の前線を、たえずジグザグに変異されながら私の下をくぐっていく。ふりむくと河口のむこう、暗い巨船の上に暗い海が浮いている。

 時間が自律的に流れるにまかせ。圧力の少い空間へ自分が流れるにまかせている海が。海が……?

 ここは見なれた風景ではない、と思いこむとき、ひざにくいこむ坂の傾斜、背中を流れる冷たさだけを支持しよう。海が、そのままの重量でショーウィンドウのガラスを飾り、氷山が六甲の耳たぶをかむ冬をつくりだすために。

 〈かれら〉の恥ずかしさや、数字への不信や、肉親への哀れみを、デモ指揮者の唇をかむ恥かしさや、患者があたためる数字への不信や、娘たちが自分のリボンに触れるしぐさとつないでみよう。そのとき氷山に似たピラミッドの何本の稜線を越えていくことになるか。

 いく切れかの雪、いやタンポポの綿毛が降りはじめている。

 市電がそこで途絶える街の西端の街路樹の下で、だれも知らないだれかの墓をさがし疲れて休んでいる老人を語らせる声……埋葬や追悼は手にふれた途端にうそになる。それをたしかめにやってきたのが死者への思いやりというものだろう。

 ただ一つ残った海水浴場で貸ヨットを見ている失業者を語らせる声……わざと組合運動ができないようにとやっていったら、一ばんどんずまりのところで、案外できるようになってしまうかもしれないな。

 そのような声が、山系のこちら側と、海峡のこちら側をタンポポの綿毛を流す風のように流れるならば、次のような組織論が語られていても不思議ではない。

 さっきの声を聞いて、遠心=求心を一致させようとする時間と、それを泥の中に埋める時間とが対話している、という風なことを一瞬でも考えたものはここに集まってくれ。かんたんにいうと、この空間に〈ない〉全ての組織構成員に、めいめいが仮装するのだ。きみたちのめいめいはこの空間にも、所属する組織にも、〈 〉をつけていく。そして……

 仮装するとき。

 所属組織の論理で一切の対象を扱うとき。

 仮装者同志で会議・討論するとき。

 最大限一致と最低限一致のふくらみをもつ方針を一切の状況に投げつけ行動するとき。

 この投げつけや行動が、敵対者や無関心者から反射してくるとき。その反射が、仮装者をとおりぬけるのに、更に仮装し続けようとするとき。

 これらのすべてのときに生じる不安を階級関係と対応させて新しい組織をつくりだしていく。そのとき、同時にきみたちの仮装そのものをはぎとりながら。

 仮装組織論……とよんでもいいが、この組織論がひらめくめくのは、六甲が、これらすべての異和感と、最も無縁な組織空間にあるからだ。それを逆用して、ここに存在しない組織からの派遣者に仮装し、自己の所属する組織をも〈 〉へ入れていく。

 ここに存在しない組織といっても分派闘争系列図を調べればいいわけではない。そのような図は、もっと深い位相での分派闘争を一枚の紙で切りとってきたものにすぎないのだから。

 条件……一人でもやれるか? 舞台へではなく、場外へ出られるか? 政治組織以外のα・β・γ系を、自在に昇降できるか? 仮装が不要になったとき仮装の罪で処刑されてもよいか?

 遠くからの訪問者があれば胸の谷間と首すじにある目印しをたどって山上の平原へ行こう。しかし、霧につつまれて夕方に最終バスがなくなると、タンポポをさがすひまもなく空腹がやってくる。

 同じ頃、いつか、ひらめきが訪れたらいくつか論文がかけるだろう、と自足して研究会を開いているものたち、と絶縁しているものの前にタンポポの切手をつけた〈第n論文〉をめぐる諸註が送られてくる。……

 第n論文に〈 〉をつけたのは、それを強調するためでもなく、いつか未来にかく予定だという意味でもない。第n論文が、永遠に仮構の位相にあることを示すのである。

 またnというのは、いままでかいてきた論文の順序であるが、第n論文では、他者の作品の分析をするのではない。たとえ結果としてそうなっても、主眼は、この仮構の論文をかかせる何ものかの力を追求することである。諸註とは、このことを示している。

 いま、ここで第(n-1)論文までの文章を構想すると共に、第(n+1)論文以後の文章に註をつけていくとすればどうなるか。

 この仮定をするとき、第n論文以外のすぺての論文が〈 〉に入ってしまう。逆にいえば、こののことは、第n論文が意識的に、また必然的に〈 〉に入り、論文系列の位相から逸脱した結果として可能になっている。

 〈 〉をめぐる諸註が、既成の研究論文の枠内に、どんな影をおとすか。枠をこえて発散するか、枠の中で収束するか、枠をつくっていくのか、よく見るがいい。ただし、きみたちの頭蓋が影の実体に触れたとき破裂しても、それはこの論文の知ったことではない。

       〈       〉

 私が知らない間に、映画をつくっている映像たち。この街で一ばん見はらしのいいといわれる大学への階段をのぼっていくものの比重は風景に対して稀薄になり、まだ一人の観客も登場してていない試写会には、フィルムの回転音だけが白昼の闇に対抗している。

 映像たちよ。撮影される前の自分に会いにでかけても無駄だ。六甲はいつも、そこにあると思われているところにあるとは限らない。いちばん必要なときと、いちばん必要でないとき、不意に現われてきただけなのだ。タンポポの綿毛を流すほどの風があれば、六甲は揺れる。そして、だれかが疲れて手を放せば、いつでも背景や小道具はくずれ落ちる。

 複数の焦点と、隆起するフィルムのために生じた断層、そこには、撮影意図からの変移を示すための映像の他に……。

 六甲は美しくて住みよいという満足感も、やがて未来はこのようになるだろうという計算も、腕時計の肌ざわりから手錠を感じとらない心も、反革命を革命と判断するのに、いつも遅れてくる発想法も、すべて映しだす映像がうごいていなければならない。

       〈       〉

 ペン先を入れた小さなケースをとりだそうとすると、ペン先が語る。

 楽にかいてみたら? 軽くとんでみたら? そのとき、かえって重い字のおとす影が、何百ものロマンの影であることが、はっきりしてくるでしょう。

 ペンを持つ手が答える。その誘惑はだれよりも自分がよく惑じている。同時に、はじめから楽にかこうとしても解決はしない。かきおわったときに、やはり、このかきかたが一ばん楽だったのだと、世界が一瞬でも感じるように……と祈るだけなのだ。

 どこらも風信のとどかなくなったこの季節を逆回転するように、無人の丘でさかさまに倒れると、憂愁の重力が〈 〉のまぶたにかかり、黄色い花びらをはさみこむ。

 臨時工であることを示す黄札が、作業服の上で立ちすくんでいる。……海底から水面を見上げると、のこぎり状の葉が浮く。……崖下を走る電車をみつめているときにも視界に侵入してくる斜面にはりついたタンポポの根。牢獄でのわずかな散歩時間中に、くつ下をずり上げるふりをして、たった一本の黄色い花を、すばやくむしりとる囚人。

 油コブシが見ている坂道で花びらを押しひろげ、花芯から放たれる香りをさぐろうとすれば、遠くの路上で遊ぶ幼児が、ふと手をとめるだろう。それでも、花芯のむこうの綿毛がとりだされ、その綿毛のむこうの花びらがとりだされ……とりだされた何ものかは決意する。あの幼児の運命を、こんどは自分がになうことになる。になうときにせまってくる力をすべて花開かせよう。

 まどろみの間に、どこかで着地していることば……

 飛び上ろうとするとき、いままで殆んど意識しなかった条件から、いちばん強く規制される。

 

 風に乗って舞うのは、関係のあるすべてのものに許しを乞うため。

 岩の肌や、茨のふところに落ちたときは、いま創りつつあるのだと思いこまなければ、とても忍耐できない。

 まどろみが、〈 〉のまぶたから、はみ出し、その直前、小さなケースの中のペン先は、綿毛に変移している。

       〈       〉

 首都へ、群衆がビルディングに吸いこまれる時間に到着するため、深夜に六甲を通りすぎていくものたちよ。ここは、ネオンの棲息する海、テレビ・アンテナの群生する荒野ではない。いま、プラットフォームで鳴るベルを、発車の合図だと思っている限り、きみたちはどこへも行けはしない。

 この列車をレールから逸脱させて六甲を横断して走らせるには、どれだけの労力が必要か計算しよう。風のような非人称の苦しみを〈 〉のかたちをした貨車に積みこめ。ゼネストの前夜すわりこむときに持っているものの他は出発に不要だ。

 そのようにささやきかけても、たじろがないものたち……足のくみかたや、字のかきかた、胸にとびこんでしまったタンポポの綿毛があれば、そっと微笑してつれて行け。

 いつ、どこへ出発しようとも、すべての風景と交換しつくしてしまっているという抒情からの出発を。今日、最後にあの大衆浴場で会ったきみも。

     〈 〉〈 〉〈 〉〈 〉〈 〉〈 〉

 六項のメモたちのとらえるヴィジョンは、このようなものでありうると想像してよいか。ここまで書いてきたとき、いわば表六甲を分水嶺にまで登りつめたとき、不意に裏六甲が姿をみせるように、不安としか表現のしようのないものがみえてくる。

 第四章の六項のメモたちの間へ降下する六項のメモの過程をいままでかいてきたのに……

 一つの過程をかいているとき他の過程を空間的に排除してしまう不安と、一つの過程をかいているとき他の過程が時間的に変移してしまう不安がみえてくる。

 これらの不安は〈六甲〉をかこうとする試みが、そのために見えない領域をつくりだしてしまうことから生れているのだろう。

 このようにかきつけるとき、すでに無意識のうちに〈六甲〉の道は、分水嶺をすぎて表六甲から裏六甲へ入りこんでいたのかもしれない。不安がみえてきたとき、山系の全体も、おぼろげにみえてくるのか。

 そういえば、序章から第二章をへて第三章までが表六甲の道であり、第四章以後が、すでに裏六甲へ通じていたのだろう。だから第五章は、第二章と同位相にあり、第五章の六項のメモたちは、第二章の〈私〉たちと対応している。

 ちがう点は、希望に似た不安がみえてきたことで、不安は、原告団のように告発する。

 ……

 その通りだ、と認めつつも、何ものかが私に語らせて、不安の告発の時間を短縮しようとするのである。

 おお、その告発を聞くために、ここまで書いてきたのだ!

 告発の時間を早くおわらせたい……がしかし、いままで〈六甲〉をかいてきた時間は、どんな流れかたをしてきたのだろうか。

 いままで、どの章をかいているときでも、できるだけ早くかきおわり、解放されようとねがってきた。けれども、分裂し、からみ合う構想を、できる限り時間の方へ投げつけてきたとき、いつもその極限で、全く意外な表現が可能になった。

 とくに第四章をかいている最終過程で、メモ相互の間隙へ直角に降下する方向全体を一つの表現として提出しうるのに気付いたとき、汚い文字、抹殺し、捨てることが、そこから与えられる最後で唯一の快楽になっていたメモ群が、突然、光を放ちはじめたのを忘れることができない。この光は、ほんとうは、徴かながらも序章からずっと〈六甲〉の道を照らしていたはずである。

 けれども、私は、この光を十分にとらえ切ってはいない。なぜなら、どの章をかきおわったときにも、とくに第四章をかきおわったとき、切迫した時間から、安らかなおののきの空間へ投げこまれてしまったから。

 そればかりではない。その安らかなおののき。その空間も、ゆっくりと、しかし確実に変移しはじめ、次の切迫した時間へ進んでいくから。そのことに、いま気付いたから。

 長距離コースを泳ぎ切ったものが、ゴールの後でもなおプールの端でターンするように、切迫した時間に触れて、安らかなおののきの空間へもどっていく。……もどっていく? 何ものかに投げかえされているのだ。

 この断絶、この苦しみは、何かに似ていないか。そうだ! 切迫した時間を付着させている首都から、まどろんでいる空間、六甲への漂着。時間に咲くタンポポとのすれちがいから、空間に咲くタンポポヘの陶酔。

 これらは罪の拡大再生産だろうか。……ここからは、もう、私だけのために語ろう。

 切迫した時間から、安らかなおののきの空間への無意識的な断絶……というかたちは、逆転させることができるのではないか。安らかなおののきの空間から、切迫した時間への意識的な飛躍。

 そのとき、時間との接しかたに関する罪の深さが逆の意味をもちはじめてくるだろう。

 いかにして逆転させるか。いまは一つの予感しかない。α・β・γの構造とその時間的な根拠をさぐること。

 〈六甲〉からはみだそうとする油コブシで、こんなことをかいた記憶がある……

 〈 〉が生まれてくる契機は、ほぼ次の三種類に分けられる。

 α、〈 〉の変移を徹底化しようとするとき。

 β、α の運動に対する表現内からの不安を放置するとき。

 γ、αやβの運動に対する表現外からの不安を放置するとき。

 α・β・γというのは、この湾曲した世界における何ものかを区分しようとする力(ピラミッドをつくっている力といってもよい)が、〈六甲〉におとしている影のような境界線ではないだろうか。

 もし、そうであるとすれば、いや、必ず、そうであるようにさせなければならないのだが……切迫した時間から、安らかなまどろみの空間へ、という変移は、激しければ激しいほどよいのだ。また、このかたちとa・β・γ系のかたちとの比較できる領域が、広ければ広いほどよいのだ。

 〈六甲〉から、すべての不安の占拠がはじまる。いまは、一点でのみ時間の構造と接しているにすぎない空間としての〈六甲〉から。

 不安をこの世界に深化拡大することによって告発し、占拠する、関係としての原告団をつくろう。

 はるかな時間=空間から、〈六甲〉へのささやきがやってくる。これから占拠される不安たちのささやきが。

 私はいま、序章に対応する位相にあると感じている。……すると私は、第五章を表現しようとしているうちに第六章=終章まで表現してしまったのであろうか。あるいは、序章から第五章までを表現することが第六章=終章を表現することになるのであろうか。

 断言できること……この瞬間から〈六甲〉をかき続ける主体は、私だけではなく、私たちである。

 関係としての原告団よ、〈六甲〉を吹き抜ける風にのって、当然の比喩だが、タンポポの綿毛のように、弯曲した世界へ突入していけ。

 私たちのであうたたかいが、〈六甲〉第六章=終章を表現することである。