根津公子さん停職1ヶ月

(朝日新聞 2,005年5月28日朝刊 武蔵野版)

「君が代」不起立、初の停職  都教委

都教育委員会は27曰、今春の入学式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどとされた公立学校教職員十人の懲戒処分を発令した。直前の卒業式の「不起立」で減給十分の1(6カ月)の処分を受けた多摩地区の女性の中学校教員(54)は、停職1カ月を受けた。都教委が教職員に君が代斉唱時の

起立を義務づけ03年秋以降、停職処分は初めて。(以下略)

 “日本という同一性への忠誠”を価値として立て、それに従わないものを処分することには、激しく反対したい。

あなたが存ればよい。

五倫は惟(た)だ夫婦に在り。此の夫婦は男女にして一人なり。(略)此が自然の五倫なり。(略)然るに、聖人、私の制法を以て君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の五倫を立て、推して上に立てて君臣と為し、自然の五倫を盗んで自然の直耕を貪り食う。

(安藤昌益『統道真伝』)

『ブックガイド日本の思想』p52から孫引き。

今日ではむしろ、恋愛=欲望=消費主義やマイホーム=マンション購入主義への批判を先行させなければいけないかもしれない。一方、靖国をはじめとする国家主義は君臣、父子、兄弟、朋友の関係を(わたし=たちに先立つ)倫理として定立していこうとしている。

安藤昌益について何も知らないのだが、「五倫は惟(た)だ夫婦に在り。」という思い切った断言は興味深い。

(このテーマについてわたしを支配しているイメージは、先日も書いたとおり、戦後60年戦死した恋人の腐らない屍体を小舟に乗せて彷徨っている<元ちとせ>、にあります。「靖国がいらない」とはこういうことだ。http://otd9.jbbs.livedoor.jp/908725/bbs_plain?base=95&range=1

(野原から)(7/6)

(1)

マッコイさんとの三度目(?)の出会いは、野原が、http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050627/p2 にコメントしたことに始まる。

『バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。』 (2005/06/29 18:05)と聞いた。

マッコイ氏の返事は『「米軍に追いつめられ、民間人が大量に崖から飛び降りて自殺した」はたしかに一面的な見方かもしれませんが、そちらの「「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因」というのもまた一面的だと思いますね。』というもの。一万人という多数の民間人の死という事実に対し、後者は原因を示しているが前者は事実を記述しているだけで原因について何ら答えていない。

「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」を現時点で批判しないという立場、にマッコイ氏が立っていることが分かった。わたしは「バンザイクリフ」という言葉を喜々として引用できるプチウヨというものがどういう心理構造なのか、バンザイクリフというものについて私とは全く違った理解の仕方があるのか、万一の疑念があったので念のために質問してみたのだが、そんなものはないことが分かった。わたしにとっての問題はここで終わった。

そして次にマッコイ氏は、私の「死者の原因は皇国の洗脳と強制にある」という文章に対し、あら探しをしようとはじめた。

「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」が一万人を死に追いやった。

という文章を、批判し覆せるかどうかやってみてください。

・・・

スワンさん、コメントありがとうございました。

・・・

マッコイさん(たち)への応答を返すことに(なぜこんなにおおきな)抵抗感があるのかよく分からない。

「戦場の硝煙とちぎれた屍体というその現場に生き死にせざるを得なかった先人たちのその存在の有り様に近づこうとする」ことなしに、薄っぺらな理屈のその薄さに無自覚な奴らは、恥を知るべきだ。

皇国は当然ながらその定義によって無敗である。その皇国が敗れたことの絶対的切断を承認すべきである。

高校生は性行為すべきでない

性教育について議論している中教審の専門部会は14日までに、高校生以下の子どもの性行為を容認すべきではないとする立場に立って性教育の指導をすることで一致した。中教審が子どもの性行為を許容しないとする基本方針を示すのは初めて。

(略)

文部科学省の学校健康教育課は「性行為を一切禁止するものではないが、性教育をする前提として、性行為を容認しないことを基本スタンスにしたい」としている。

専門部会は、高校卒業時点で身に付けているべき性教育の内容を議論。性行為について「子どもたちは社会的責任が取れない存在で、性感染症を防ぐ観点からも容認すべきではない」とした。

高校以下の性行為容認せず 中教審が基本方針 – 共同通信

http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050718/p1 より

「性行為を容認しないことを基本スタンスにしたい」といった教師の側の主観的道徳的価値観を先立てて性教育を行おうとしても、有効ではない。そんなことは明らかだと思う。

「性行為を容認しないことを基本スタンスにしたい」を受け入れる形で日本社会は進んでいくのだろうか? 戦後日本が性行為に寛容だったことは、<武器を持ち人を殺すことをためらわない兵士になる>ことを強く否定したことと関係がある、と考えることもできる。ブッショの戦争*1を支えるための安物の宗教=道徳が、このような形で日本に上陸し社会を変えようとしている。

*1:大東亜の大義に反する

ふやけたナルシストの言説  (8/4 朝追記)

でまあ読んでみた。

1)座間味村の場合

それで宮城初枝さんは梅沢さんに謝らなくちゃいけないと思って手紙を出し、昭和五十七年六月、座間味島で行われた慰霊祭で三十数年ぶりに梅沢さんに会った。そこで宮城初枝さんは「虚構」が生み出された背景から何から洗いざらい話して、心から謝罪した。

梅沢さんはそれを聞いて胸のつかえが全部とれたといいます。というのも、梅沢さんはその間、ものすごく辛い境遇に置かれていたからです。昭和三十三年頃、週刊誌が梅沢少佐や赤松大尉こそ集団自決の命令を出した張本人だという記事が世の中に出回った。それ以来、職場にいられなくなった梅沢さんは職を転々とし、息子さんが反抗して家庭も崩壊状態になった。もうよっぽど反撃に出ようかと思ったけれども何を言っても敗残の身。猛火に飛び込む蛾の如くなってはならないと隠忍自重していたというのです。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/kyokasho.htm  教科書は間違っている1

 梅沢という言う人はこういうふうに弁護されて嬉しいのだろうか。彼らの論点は「命令はなかった」というものだ。

ここで考えなければならないのは、なぜ住民達が集団自決の命令を宮里助役の命令ではなく、「軍の命令」として受け取ったかということです。私はおそらく宮里助役が防衛隊長を兼務していたことが関係していると思うんです。というのは、それまでも軍の命令-作戦に必要な木の切り出しや荷物の運搬など-はすべて防衛隊長である宮里助役を通じて住民に伝えられていました。だから、米軍の攻撃の中で、忠魂碑前に集まれという命令が出された時、受け取った住民の方が「ああ、これは軍から来ているな」というふうに考えたとしても、これは無理もない。

市民は誰もその命令を聞いていない。具体的命令は宮里助役から来た。市民から見れば、助役は軍と一体の権力機構である。最近になり、梅沢個人の名誉にこだわるという奇妙な論点からものごとを考える人たちがでてきた。宮里からの命令を梅沢が覆さなかったかぎり、現場の最高責任者が責任追及されるのは当然だ。

百人近くが自決したのに、自分の名誉さえ救われれば、「胸のつかえが全部とれた」とは。梅沢さんがこうした「帝国軍人らしい」人格の持ち主なのか、それとも再話者が悪いのか。

「梅沢個人の命令」があったどうか、は分からない。だが大日本帝国に責任があったことは間違いない。「軍命令がなかった」ことを大声で言い立てたがる人は、沖縄戦の悲劇を反省しているとは言えない。むしろ「軍は市民を守らない」というわたしの偏見を、裏付ける存在のようだ。

2)先祖を悪し様に

 小学生や中学生の我が子に向かって、先祖のことを悪し様に、まして事実でない世間の作り話を尾鰭まで付けて教えるような愚かなことを、正常な人間だったら決してやらない。 子供たちには、彼らの先祖に対して誇りや尊敬心を持てるようなこと、これからの人生を生きてゆくための手本や励みになるようなことを先ず話してやることが本当の愛情というものではないか。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/daitoasensou/okinawa.html

 降伏すれば助かる時も降伏はせず、「御国のために死ぬ」事だけが価値だと教えたことは間違っていなかった。今後も国民はそうあるべきだ、と言いたいのだろう。

 それが愛国だと。(わたしのようなアナキストを喜ばせるだけだがw)

3)大江健三郎

  <生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件(=座間味村、渡嘉敷村の軍命令による集団自決を指す・筆者註)の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、(中略)かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めねばならないのかね? と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう>(六十九~七十頁)

  <新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で(中略)「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた>(二百八頁)

  <かれは他人に嘘をついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく。そのような恥を知らぬ嘘、自己欺瞞が、いかに数多くの、いわゆる「沖縄戦記」のたぐいをみたしていることか>(二百九頁)

大江健三郎著『沖縄ノート』(岩波新書)

 大江はべつに変なことを言ってない、と思った。

すみませんが

9/4に、なんと古事記について小さな発表をしなければいけないのに、準備が全くできてない。

というわけで、、

黒猫さん 及び amoさん 応答 しばらく休止することになると思います。

あたしesは「われわれ」を選択する

 黒猫さんが引用した限りで斎藤純一さんを一応仮想敵みたいに考えてたみたいなところもありますが、彼の文章が載っているその論文集には、(野原が依拠しようとしている)岡野氏の文章も載っているのだった。いま気付きましたが。(誰にでもケンカを売らず友好的でありたいものです!)

戦争責任と「われわれ」、を検索すると、自由主義者おおたさんが「岡野八代を読む(1)「わたしの自由とわれわれの責任」」として岡野氏のその論文を丁寧に紹介している頁が一番にヒットした。

「岡野がこの論文で訴えているのは」、「「戦後世代の戦争責任」という問題が、けっして「戦後生まれの日本国民」という抽象の問題ではなく、わたしの問題であること」だ。と冒頭でおおた氏は強調する。

岡野の思考の出発点は優れて具体的である。ある時飛行機である韓国人男性の隣の席に座り「日本はかって朝鮮半島に何をしたか」という会話に閉じこめられたという岡野の体験から彼女は考える。

わたしが行ったわけではない行為について、それを想起するように求められる根拠とは、おそらくわたしが属しているであろうこの「われわれ」の存在のゆえである。(岡野)*1

ここでおおざっぱには「われわれ」=日本国民である。ただそのあたりを丁寧に考えていく必要があるのだ。

岡野が日本国の国籍保有者になったのは、岡野の選択の結果ではない。しかし、岡野が日本国の国籍保有者でありつづけていることは、あるいは日本国民であると自己を理解し始め、理解していることは、けっして選択の余地のないことではない。あるいは、「わたし」が日本国民であるというアイデンティティーをもっていることは、けっして選択の余地なく、あらかじめ決定されていることではない。「わたし」は、日本国民であることを、少なくとも止めることができる。

「わたし」が、そうであることが当然と思われる「われわれ」の一人であることは、けっして当然のことではない。

http://uhei.vis.ne.jp/LibertyandPeace/Politics/yayo1.html

わたしは国籍を捨てることができる。つまり捨てていないのは捨てないことを選択しているからだ。「日本国民であるというアイデンティティー」(曖昧な言葉だが)についても同じことが言える。

「わたしは自明にもわれわれの一人である」ようだが実はそうではないのだ。

「わたし」たちが、「われわれ」であることを選択する前に、すでに「われわれ」が存在するわけではない。「わたし」たちが「われわれ」であることを選択することによって、「われわれ」はあらわれる。(おおた 上記より)

「わたし」が「われわれ」の一人であることが、当然のことではないならば、自由への別の道があるのではないか。わたしという自明の存在、「われわれの一員としての」わたしという存在をわたしの手で開いてみること、そのような「わたしの自由」の可能性があるのではないか。こう岡野は問いかけて、この論文を終える。(おおた 上記より)

ところが、岡野氏の場合、わたしとわれわれの間に、選択の意志を(ちょっと無理して)読み込もうとする。国家=われわれ というものはわたしたちがその都度*2、(無意識に近いところで)同意を与えることによって形成される多数多様な位相から成る共同性でありましょう。そうであるなら「「われわれの一員としての」わたしという存在を開い」ていくことにより、「われわれ」を変質させることは確実にできるわけです。

(9/19下記の通り訂正)

*1:p160「<わたし>の自由と<われわれ>の責任」『法の政治学』isbn:4791759699

*2:つねにすでに

皇祖皇宗に対する義務

 ヤスパースは、「ナチスの治世下、ドイツにあっていわば「祖国喪失者」として毅然とした抵抗をつらぬく。ナチスの政権にユダヤ人の妻との離縁を勧告された時には、これを拒否し、大学を退いている。*1

しかしナチス敗北後は、「自分をこの悪をなした「敗戦国民」の側におく。*2」そして「今はじめて、わたしがドイツ人であり、私の祖国を愛するのだと、ためらいなくいいうる」と言い放った。

ひるがえって日本の戦後に、ヤスパースに似た時局便乗にさからう声が皆無だったというのでもない。

 だいぶ若いが*3、太宰治はあのヤスパースの敗戦直後の声に似て、「真の自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳!この叫びだ。昨日までは古かった。しかし今日に於いては最も新しい自由思想だ」という声をその敗戦直後の小説の登場人物にあげさせている。また戦時下、軍部の言論弾圧と戦った明治生まれの硬骨のオールド・リベラリスト津田左右吉は、戦後創刊された『世界』に一転、熱烈な皇室賛美を書いて周囲を困惑させている。*4

「われわれの祖先のうちの最も優れた人たちから伝わってわれわれの心に呼びかける最も気高い要求」と「天皇陛下万歳!」はイコールだろうか。明治憲法は「天皇は神聖にして侵すべからず」と定めた。おそらくその時から、天皇に対するより上位のペルソナ(皇祖皇宗やアマテラスなどなど)は誰からもアクセス不能になり忘れられた。

一切が消滅しても、神は存在する。これが唯一の不動の地点なのである。

p189 同書

ヤスパースがこう言わなければならなかったほど追い込まれたとき、日本人はやはりあの鵺的なペルソナにすがるしかないのだろうか。

そんなことはなかろう。

「天地の始は今日を始めとする理なり。」と語った北畠親房を思い出すなら、わたしたちは「新しき古」に向かって開かれている。

(天皇陛下万歳を「時局便乗にさからう」と素直に評価してしまう加藤は、戦後史の現実過程に対する認識がずれているのではないか。戦後も一貫して裕仁は天皇で有り続けた。これが日本の美的倫理的根拠の破壊でなかった、とでも思っているのか。)

*1:加藤典洋『戦争の罪を問う』の解説p221

*2:同上

*3:野原註:1883年生まれのヤスパースより

*4:同上 p227

ウィルスに感染

してしまい、ネットもメールもできません。*1

Nsag というワーム、トロイの木馬、で危険度低いと書いてあるがちょっとやっかいな奴。

まだ駆除できない。

http://www13.plala.or.jp/sukiero/erostart/prevent.html スキエロテンプレ 予防措置

http://www.higaitaisaku.com/uninstallinfo.html アンインストール情報ログの取り方と貼り付け方法

などを見て勉強中。最低数時間はかかる。

Win32.Alemod.Aは、「感染」したことを通知する虚偽のメッセージを表示し、「スパイウェア」スキャナと称するアプリケーションをダウンロードさせようとするトロイの木馬です。

これと同じようなものらしい。

http://www.higaitaisaku.com/cgi-bin/cbbs.cgi?mode=one&namber=74416&type=74132&space=225&no=0

PCトラブル質問掲示板 [One Message View / Re[15]: Virus.Win32.Nsag.a (wininet.dll) の処置]

マイコンピュータ→ C ドライブ → WINDOWS フォルダ → system32 フォルダ

と開いていって、その中にある wininet.dll というファイルを 右クリック>名前の変更 から、

wininet.bak とファイル名変更してください。

「拡張子を変更すると~」という警告が出ますけど、この警告は無視してください。

これをしないといけない。そのためには、正しいwininet.dllも必要。ということのようだ。が眠くなったので終了。

*1:もう1台のでこれは書いています

<皇祖皇宗に対し責任をおとり被遊>

 今度の敗戦については何としても陛下に御責任あることなれば、ポツダム宣言を完全に御履行になりたる時、換言すれば講和条約の成立したる時、皇祖皇宗に対し、又国民に対し、責任をおとり被遊、御退位被遊が至当なりと思ふ。今日の趨勢より見れば、或は之は難しき問題なるやも知れざれど、而し現在表面に顕れたる過渡的の動きや、米国其他の諸国の思惑等は度外視し、真理の示すところに従ひ、御行動になるが至当にして、これにより戦没、戦傷者の遺家族、未帰還者、戦犯者の家族は何か報いられたるが如き慰を感じ、皇室を中心としての国家的団結に資することは頗る大なるべしと思わるる。若し、如斯せざれば、皇室だけが遂に責任をおとりにならぬことになり、何か割り切れぬ空気を残し、永久の禍根となるにあらざるやを虞れる。

元内大臣 木戸幸一

(p132『天皇と日本人の課題』伊崎正敏isbn:4896917545

講和条約調印直前の51年秋のことである。引用は、『東京裁判資料・木戸幸一尋問調書』粟屋憲太郎「解説」からだそうだ。

「この伝言はたしかに天皇に伝わり、天皇もまた退位を希望した。*1*2

 わたしたちの憲法はその1条に天皇をいただいているわけですから、やはり天皇という一個の人格に価値の根源を求めてしまうことも或る程度避けられないでしょう。昭和の前半と後半をヒロヒトという同一のペルソナが表象しているという事実は憲法より重い。つまり日本は国民主権の国ではなくそれ以外の何かだったのです。

 ところがそうだとすると困ったことが起こります。天皇制の倫理的根源は皇祖皇宗であるわけです。宣長や篤胤も儒教の理、天、民といった審級をただ単に否定した訳ではありません。言あげせずともそのような価値は自ずから天皇とその背後(皇祖皇宗)に現象しているというのが彼らの考えでした。

 敗戦を皇祖皇宗に恥じない天皇というものはありえません。にもかかわらずわたしたちはそうした天皇を大事にしてきました。

 この矛盾を解決するためにはどうしたらよいでしょう。わたしは天皇から憲法という拘束を外すべきだと思います。憲法からいえば、1条~8条の削除ですね。こういうとすぐ天皇制廃止論者か、とか言われるわけですが、一体ひとは天皇制を何だと思っているのでしょう。*3千年以上続いた天皇制を守りたい、のではないのですか?天皇の憲法からの自立が天皇制廃止だなんて一体誰が決めたのか。解答いただきたいものだ。

*1:同上伊崎p133

*2:だが実際には、時の実権者マッカーサーと吉田茂に反対され実現しなかった。

*3:天皇制という言葉はあまりよくないとわたしも思うのですがここでは便宜上使っています。