原則(松下昇の)

今後の討論~実践活動において踏まえておくぺき原則として…

自分が自明であると考えている発想を、いったん全て疑いなおしてみる。全社会・全文明の現状を最も抑圧された位置から、最大限に自由な視点で把握しなおしてみる。各人にとってこの作業がどのような差異と共通性をもっているかの確認と、活動への応用。(p3『概念集・10』~1994.3~より)

 デリダの<メシアニズムなきメシア性>あるいは<憑在論>に興味を覚え探求したいと思うと同時に、それは必ずしもわたしがしなければならないことではないと思った。わたしにとってデリダのそれらの概念は、なにより“松下昇の < >”を説明するために有力な助けを与えてくれるものと受け取られた。したがって、そのことを表現するためには、どこでも手に入るでデリダではなく、入手不可能な松下昇をまず説明しなければならない。だいたいからしてわたしがHPを立ち上げたのは、<松下昇への接近>が目的でした。松下昇氏はすでに亡くなっており、かなりの量のパンフレット類を残しています。したがってそれらの一部を電子テキスト化し、HPで紹介することは比較的容易に出来ることです。にもかかわらずその作業は遅々として進んでいません。もちろん原因は私の怠慢にあります。ですがそれだけではない。「松下昇は亡くなった」とは本当なのか。仮に(デリダ風に)松下が亡霊だったとしたら、「亡霊性とは、ここで、最もラディカルな政治化の形態であり、ノイローゼや強迫神経症のような反復の中に閉じこめられているどころか、エネルギッシュなまでに未来志向で能動的なものなのだ。」*1

私にとってもあなたにとっても、松下昇は固定された過去のテキストとしてコピー可能なものではなく、1行コピーすることが、世界大の不安を背負った飛翔であるような現在形~未来形の行為であるのだ。

*1:p29『マルクスと息子たち』より、ジェイムソンの言葉だがデリダもそのとおりといってる。

アンティゴネ的に生きざるを得ない

アンティゴネについては、死んでしまった少女にすぎないのに汗牛充棟しており、読めば読むほどわからなくなる。

「アンティゴネー的行為だって? もうけっこう!」と書かれた、http://d.hatena.ne.jp/gyodaikt/20040329

北田暁大氏の文章を読んでわたしは逆に、アンティゴネっていいじゃん!と思ってしまった。

 周知のようにソフォクレスの戯曲の主人公アンティゴネーは、テバイの王クリオンの命=法に背き、兄であるポリュネーケスを埋葬し、生き埋めにされたまま死を迎えることとなった人物である。(略)重要なのは、彼女が「法」への違背を倫理的「悪」として認めることなく、そして自らの利害を顧みることもなく、あたかも内なる定言命法につき動かされるようにして、兄の埋葬という行為に及んだ、ということである。つまり、アンティゴネーは、(1)自己の利益を時間的に不偏的な観点から考量する小賢しさを持ち合わせておらず(つまり、たんなるエゴイストではない)、また、(2)「自らの善(悪)」と「世界の善(悪)」のズレを認めることのない、超人的存在なのである。

 超人というか英雄ってそういうものでしょ。アンティゴネは法に違反する。法への違反は倫理的悪だ、という一つの規範がある。ただそれは昔も今もそれほど内面化されているわけではない。軽微な法への違反は、あたりを見回し警官がいなければ遂行される、ことも多い。悪ではなく罰によってコントロールされているわけだ。アンティゴネは悪によっても罰によってもコントロールされない。アンティゴネは行為してしまい、それが事後的に罰せられるだけだ。アンティゴネを突き動かしたのは<内なる定言命令>のようなものなのか。そうも言えるがわたしの理解は少し違う。

だが、だからといって、アンティゴネー的倫理は、他の実定的道徳の倫理的優位性を判別する規準として機能する、ということにはならない。

それはそうだろう。

アンティゴネーは根源的にあらゆる道徳的ルールの有意味性を破砕するものなのだから。

それは明らかに違う。アンティゴネがただの無法者であったなら拒否されて終わりでしょう。アンティゴネは気高さと強度を持つ。そして気高さと強度を持たない“普通の犯罪者”であっても、それが事後的に<情況の核心を突破した運命としての犯罪>と評価しうる時、<ある>道徳的ルールの有意味性は破砕される。

わたしは下記に書いた“ナターシャさん”を思い出したので書いみました。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/Tokyo3.html#nata1

もちろん少しはジジェク、北田に近づかないとあの文章を読んだとは言えないことは理解しています。勝手にトンチンカンな引用をして失礼しました>北田さま。

国家の退場

再度確認したいが、今回の解放は、アルジャジーラと被誘拐者の家族、「いわゆるテロリスト」の反米トリオの一方的な成果である。国家というプレイヤーは何も果たせませんでした。彼らに対し税金を使うなという世論もあり、中東に放置してもらってもよいですよ。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=26720&range=1

さて、上記に「コリン・コバヤシさんからの声明6と声明7ならびに声明7付記」が転載されている。

下記の2点について共感するので引用したい。

・・・庇護権について

緊急時に、国民は国に保護してもらう権利と、国は国民を保護しなければならない義務があります。その点が欧米でははっきりしているから、欧米の記者たちは拉致された家族がなぜ謝らねばならないのか、理解に苦しむわけです。拉致事件の場合は、どう考えても緊急時です。福田官房長官、川口外相の発言がおかしいのは、この点です。

・・・また、私たちは、ファルージャ周辺で、イラクの罪のない普通の市民たちがハエのように叩きつぶされ殺戮されている最中に、日本人だけ<助けて!>とどうしていえるでしょうか?私たちはその殺戮を犯しているアメリカと肩を組んで歩いているのです。

ファルージャで何が起きたのか?

ブッシュとブッシュ政権にとっては大敗北,政治的にも軍事的にも大敗北。ってことでおめでとう!

原始的な武器しか持ってないイラク人戦士たち数百人が,こんな軍事的大勝利をおさめるなんて,どうやったら考えられた?エイブラムズ(M1戦車)やアパッチヘリが,イラク人の小人数の集団と何週間か戦ったあとに,敗走するなんて,どうやったら想像できた?

何週間も爆撃し殺戮し,アメリカ軍は今日,ファルージャから撤退した。そして地元の人々に,望み通りのものを与え,「バース党」で「サダム信奉者」で「前政権」のリーダーを与えた。ジャシム・モハメド・サレー(Jassim Mohammed Saleh)少将だ。町はイラク人による新しい軍(a new Iraqi force)の統制下に置かれる。その軍を指揮するのが,サダム・フセイン時代の将官のひとり,っていうわけだ。それが彼らの軍事的リーダー。

http://raedinthejapaneselang.blogspot.com/

イラク人ブロガー、Readさんのブログの日本語訳(4/30)から、縮めて引用。この「イラク人の勝利」がどこへ行くのはまだよく分からない、わたしには。(Readさんもとても皮肉に書いているので・・・)

 欧米や日本の市民の一部が急に「ファルージャ」という小さな都市で起きていることに関心を持ち、それに応える情報も提供された(提供しようとして挫折したけれどもそれなりの体験をしてきた安田さんたちを含む)こと。ファルージャが国際的指弾を浴びそうになったこと。こうしたことも事態の推移に影響を与えたことは確かだろう。

弟が兄を伐ってもよい

允恭「登か」*1するや、皇太子淫虐にして、衆の棄つる所たり。安康、弟を以て兄を伐ち、過乱を■定す。衆の推す所、天命これに帰す。

日本思想体系48『近世史論集』というのが古本屋で1700円だったので買ってみた。このごろ大日本史とかに少しだけ興味があるが、これは大日本史自体ではないが、前期水戸学派の学者の史論二つが中心の本。p22には例えば上記のような文章がある。万世一系という原理があくまで正しいとした場合、次の天皇が淫虐にしてどうしようもない奴だった場合はどうする、という疑問が発生する。戦前だったらこのような問いはタブーであり、日本にはそんな天皇~皇太子はいないと強弁されたのではないか。現在の(何の根拠もない)愛国主義者もたぶんおなじだろう。実際には記紀によっても上記のようなことがあった。どうしようもない奴は大衆の意志において棄てられる、それが天の意志でもあるのだ、と元禄のころの儒者、安積澹泊は考えた。

*1:天にのぼる、帝の崩御について言う。

象徴天皇制の終わり

(1)

 9月号の『現代思想』(特集 家族とは何か)で関曠野氏が、「皇太子が言つたこと  一つの注釈」という文章を書いている。5月にあった皇太子発言については、わたしも http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040511#p1

でふれました。関氏の文章の冒頭と結びの部分を引用して考えてみたい。

(冒頭) 徳仁皇太子は去る五月の訪欧を控えた記者会見の場で雅子妃の病状に関連して「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったのも事実です」と、皇室の一員としては異例の発言をした。天皇制という問題がまともに論じられなくなって久しいこの国では、世論はこの発言に戸惑うばかりのように見える。皇太子の発言は、宮内庁という世界にも類のない妖怪的官庁を批判したものと受けとれるが、そのあたりの事情をここで詮索するつもりはない。皇太子が言及した雅子妃の窮境は、これまでにも外部に薄々知られていたことだ。我々を驚かせるのは発言の内容ではなく、いずれは皇位を継承する人物が記者会見という公的な場で妻の自由と幸福に責任をもつ「たんなる夫」として発言したことである。皇室の歴史においてこのようなことはあったろうか。一見会見の場で口にした片言隻句にみえても、私見では皇太子の発言は敗戦直後の昭和天皇の人間宣言に比較して人格宣言と呼ばれてもいいものである。天皇制が今後も形の上では存続するとしても、これで戦後の天皇制は終わった。このことを以下一連の注釈で明らかにしたい。

 本人がどこまで意識していたかは別にして、皇太子の発言は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されねばならない」という憲法二四条なしには考えられない。そしてこの二四条が日本国憲法に明記されたのは、必ずしもGHQの総意によるのではなく、GHQに勤務するうら若いユダヤ系の女性ベアテ・シロタ・ゴードンの創意と努力の賜物だったことはよく知られている。ピアニストの父と共に少女時代を戦前の日本で過ごし日本の女性の無権利状態をつぶさに見聞きしていたことが、シロタの使命感を燃え立たせた。二四条の文言は、旧ソ連憲法(これは美辞麗句の傑作である)とワイマール憲法を参考にしたという。しかし二四条が表明している思想には、さらに古い来歴がある

(結び)

 しかし人間宣言や民間人との結婚は、皇室の転換点として一度なされてしまえばそれで終わりの出来事である。徳仁皇太子の場合は、本人の意向はどうであれ初めから市民結婚をするしかなかった。そして外交官としてのキャリアの延長線上で皇太子との結婚を選んだとされる雅子妃にも、雲の上に引きあげてもらったという意識は全くないに違いない。そして二人の結婚が否定しがたく市民的なものである以上、二人に究極の国家に統合された家族を演じさせようとする宮内庁という醜怪な振付師との間に当然あつれきが生じてくる。宮内庁に抗して自分の結婚が市民結婚であったことを確認している皇太子は、皇族の身分に制約されたがゆえの一周遅れのトップランナーなのかもしれない。しかしその結果として彼の抗議は、思わぬ形で憲法二四条を改めて喚起し、この条文を骨抜きにしてきた戦後日本の家族の歴史を問いただす効果を生んだ。

 マッカーサー御手製の象徴天皇制は、天皇を唯の人にしながら同時に天皇が引きずる国家神道の残像を利用しようとした矛盾した試みであり、こうした試みには耐用年数がある。かくて徳仁皇太子は公の場でたんなる夫として発言し、たんなる人間なればこそ皇族にも人格があることを確認したのである。このささやかな出来事をもって戦後の象徴天皇制は終わった。そしてへーゲル的、倫理(ジッテ)としては死んだものが、外形的な制度としては今後とも長期的に存続しうるとは考えにくい。してみれば憲法調査会などがだらだらと下らぬ議論を重ねている間に、歴史は意表をつく転回によって我々に共和制の採用を強要するかもしれない。(3行略)

(2)

 関氏は、徳仁氏の発言が憲法24条(両性の合意のみによる婚姻)という思想に立脚していると論じる。この思想は「結婚の双方の当事者は神の前で平等であり、双方の自由な同意に基づく結婚だけが正当とされる」という中世欧羅巴のキリスト教の信条に由来する。そして実は「自由意志による結婚契約」が先にあり、それをモデルとして「自由意志による契約」という思想が広がり社会契約論に繋がっていく。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」とは、国家や共同体の曖昧な意志の外側にでも二人の意志一致さえあれば極小の共同体を成立させえることを告げている。「既存の社会構造から相対的に自由な形で誕生する」結婚契約型の家族に依拠することで、絶対君主制に対するロックのラディカルな批判は可能になった。*1ところで、ヘーゲルのアンティゴネー論においても国家から相対的に独立した領域としての家族が現れる。しかし関氏によれば、ロックにおける家族の自然法的自由という論理は、ヘーゲルにおいては“家族という領域に固有の宗教”に貶められてしまった。*2 即ち国家に統合されるべきものとしての家族がヘーゲルにおいては強調されることになる。そして明治41年の皇室令以来人間宣言を経て現在まで、そうしたヘーゲル的家族を国民のお手本として示す最適なモデルとして近代の皇室は機能してきた。歴史をこのように考えるかぎり、徳仁氏発言は、ヘーゲル的家族から家族の自由(ロック)の思想への回帰(前進)を告げるものである。「このささやかな出来事をもって戦後の象徴天皇制は終わった。」というのは決して大袈裟な修辞ではない。

(3)

しかしである、論旨をはっきりさせるために省いた3行で関氏の文章は閉じられていた。ここで引用すれば次の通り。「しかし共和国の創設には、共和制的家族という習俗上の確固たる基盤が必要である。今の日本にそうした基盤がどこまで広く深く存在しているだろうか。私はきわめて懐疑的である。」

ヘーゲル的家族か(ここでいう)ロック的家族かという差異は具体的にはどのようなことか。いわゆるダンナが*3会社人間で過労死寸前まで働き続けているとする、妻はなぜ止めないのか?それは、働くことは会社という共同体への忠誠であるという共同体主義を拒否できていないというレベルを示していよう。わたしたちの現実はそうしたレベルを越えているとは決して言えない、と関氏は判断している。わたしもそう思う。

 そうした問題に最もシビアな認識を示すのがフェミニストだろう。フェミニストは、家族の自由とか、対幻想とかしゃらくせえことをいうんじゃねえ!と怒る。家族が美化されることによる付けは、すべて女性だけが支払わせられることを知っているからだ。(まあそれはもっともなのだが) というわけでフェミニスト岡野八代はいっぱいの不安を押し殺しながら書く。「「家族」は、わたしたちが自分を生き抜くために、「とりあえず」は自分の欲望は自分のものであると、自認できる存在となる「なる」ために、その形を変えながらも、わたしたちが必要としているひととひとの結びつきではないだろうか。」*4

自分の欲望は自分のものであると自認すること、には二つ(以上の)の意味がある。一つは消費主体としてや国家の構成員としての既成社会から与えられた欲望を自らのものとすること。もう一つは他者の欲望やことばがうずまくなかで、与えられた欲望から微妙にずれていく自らの欲望に言葉を与えていくという希望である。雅子さんの「皇族としてであっても外交官としての仕事を継続する」という希望は、なんだか変だと言えば変なものなのだが、逆に言えば、わたしたちこそ雅子さんたちの企みに学ばなければならないのではないか。少なくとも彼女たちは企みを必要とするほど追いつめられていた。

(追記)「おとなり日記」といっても全然おとなりじゃない場合が多いのだが、お隣で知ったoffer-57さんの文章には(テーマが同じだけじゃなく)とても親近感を感じたので引用させてもらいます。この部分はユーモラスな口調が面白い。

http://d.hatena.ne.jp/offer-57/20040905

 ようよう、浩宮よ、お前さんも男ならここで引き下がってはいけないよ。

 浩宮よ、お前さんこそ嫌がる彼女を無理無理天皇家に引き入れた張本人だし、惚れた大事な嫁さんを守るためここは、自分が天皇家から出るぐらいの覚悟で、あるいはそれをカタに天皇家=宮内庁=内閣を相手に現在の皇室外交のあり方を、自分達が(というより雅子妃が)考える外交に一切口出しをしないという約束、大幅な譲歩引き出すぐらいの大芝居を打つ覚悟がなければ、恋女房に逃げられるよ、逃げないまでもこの先、少なくとも嫁さんに同衾はしてもらえないだろうナァ。

*1:同書p75

*2:同書p78

*3:この表現自体が変だが

*4:同書p130「家族の両義性」岡野八代

(4)前提(10/21追記)(10/22朝、一部訂正)

α.わたしたちの社会・国家は、私たち自身各自の生きること(幸せ)の総体にその権威の基礎を置いている。

β.したがって、わたしたち各自は決定に参加する平等な権利を持つ。

γ.それぞれの人は平等な「生きる権利」を持つ。

平等という前提についてもう一度考えてみました。(上記は野原の表現)

これは前提として認められていると言える。この前提の背後に、人権主義=ヒューマニズムという確固とした思想が存在する、その思想は普遍的なものだ、とするのが日本ではいわゆる護憲派だろうか。わたしはそういう思想は取らない。*1この前提をフィクションと呼ぶのは、この前提以前に遡り思想実体を求めることをしないという立場表明である。

わたしたちの近代は、平等という前提に基づいて政治、経済制度を成立させてきた。こういう意味での前提を否定するのなら、他にどういう前提が用意されるのかをまず、聞かせてもらわないといけない。

「「人は最初は白紙」というのは思い込みでなくて現代社会を形作る為のフィクションなんだよ。」で最初の論点は、白紙か遺伝か?なわけですが、わたしは興味がない。

ある性によってものの感じ方や得意な仕事がかなりな程度決定されるという思想は間違っている。「性的役割分担をすべて否定する昨今のジェンダーフリー思想」はまちがっておらず、間違っているのは山形浩生だ。

上記2行は10/21に書いたが、山形さんからの指摘もあり、とりあえず保留します。今から考えて書き直します。

*1:人権派=啓蒙派は、学校秀才的人間をモデルとして全員がそれに近づくことが善であるという発想に成っていくような気がする。批判に成っていないので突っ込んでいただけば考えていきます。

復興支援活動は7%

えー不勉強で、イラクに派兵された自衛隊の活動内容とか良く知らずに議論していたのだった。下記ブログによれば次の通り。

id:noharra20041027にコメントいただいた「えーと」さんの 『イラク派遣に正義はありますよ。イラクの復興支援ですから。」主張への反論になる。

http://d.hatena.ne.jp/t-b-s/20041029#p1  はてなダイアリー – 駆け出しコンサルタントの日記帳

 自衛隊は「何を」支援しているのでしょうか?

 イラク特措法には、自衛隊派遣の目的は「人道復興支援活動及び安全確保支援活動」であると定められています。ところが、「人道復興支援活動」に従事する自衛隊員はわずか120人(浄水・給水活動30人、「自衛隊員の治療と合わせて」現地の医療支援活動を行う衛生隊40人、「宿営設営後に」公共施設復旧活動にあたる施設隊50人)にすぎません。一方、イラク国内およびインド洋上で活動を行っている自衛隊員は1,600人以上。つまり、残りの約93%の隊員が行っているのは「安全確保支援活動」であるということができます。

(略)

平たく言うと、「事実上イラクを占領している米英両国の軍隊の活動を支援する」ということです。

軍事大権の総括者(11/22追加)

スワンさんからコメントいただいた。

# swan_slab 『

わたしたちは民主主義国家に住んでいる。わたしたちが民主主義国家を形成しているのだ。*1イラクに現在自衛隊員が滞在しているのは「わたしたちの意志」である。国民の一人ひとりは、自衛隊員が命の危険を掛けてそこにいる以上、自分の意志を今再確認し公表すべきであると思う。

こないだの憲法13条観(長谷部VS松井)と絡んで、私自身は民主的政治過程によっても奪うことができない【個人の尊厳】という観念を認めます。べつにマイノリティの人権がどうのということ以前に、多数決によっては奪うことができない本源的な生の平等を信じます。立憲主義は民主政を限界付けると考えます。

民主政は究極のポピュリズムに堕する危険を防ぐことができないし、制度的な欠陥や官僚制などに支えられていることなど、いろいろな意味で、民主政にそこまで信頼を置けないというのが正直なところです。

スワンさん、コメントありがとう。

わたしは「国民の51%が「そうしろ」という断固たる意志を持っている」とはとうてい思えないのです。国民の意思がどこにあるか、60年安保のような大騒動でも起これば議論の余地もあるがそうでない限り首相の意思がそれだと推定されます。という法的、政治的常識は覆しようもありません。ただまあネットという自由な言論空間の一部において、あらためてわたしたち一人ひとりの意思を確認することは別にやっても良いことだと思ったのです。

ただ国民という言葉を使ってしまうことには、それだけで一定の土俵(国民国家)の上に載ってしまっているという危惧(懸念)もあるのですが。

つまり上記の文章は、日本を民主主義国家として肯定的に把握しているという主張ではありません。(そうも読めるでしょうが)民主制についての判断はスワンさんに非常に近いと思います。

 ところで、私が最も強く訴えたいことは、下記にも書いたけれど、

・・兵を出した以上撤兵することは(どんな場合でも)非常に困難なことだ。

・・したがって、どのような条件において兵を退くということをあらかじめ厳格に定めておき、その条件を越えたら直ちに退かなければいけない。

・・条件違反の判断をきっちりしなければいけない。

ということです。 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040414#p1

これは、日本遺族会の会長の古賀誠氏の言っていることとほとんど同じであり、戦後日本が出発した時における「最低限」の反省であるはずです。*1

スワンさんが冬山登山の検討会の例で実感をこめて訴えたいとしておられることも内容的には同じだと思います。

 ところが小泉氏にはそうした問題意識が全くうかがわれず、首相(

軍事大権の総括者)としての最低限の条件を満たしていません。ある思考回路もった人々にとっては愛国テロの対象になるでしょう。

*1:なお、図式的にいっておくとわたしはほぼ極左であり遺族会とは多くの点で対立する。

あなたのなかの「善」を信じる

山下京子さん、被害者の母が、「酒鬼薔薇」が本退院することへの現在の気持ちを語っている。

 今年の8月、私どもは彼からの手紙を2通受け取りました。

 あれほど、「まずは手紙で、謝罪の思いを本人から伝えてほしい」と切望していたにもかかわらず、私はすぐには読む気になれませんでした。

 手紙を読んで事件の真相を知りたい、彩花の親として真実を知らなければならないと思う一方で、もしも、今よりもさらに辛(つら)く苦しくなって、自分がどうにかなってしまったらどうしよう、という怖さがこみあげてきたからです。

 そんな葛藤(かっとう)を繰り返しながら、10日が過ぎ、ある程度動揺がおさまった私は、ひとりで手紙を読みました。

 あくまでも私信なので、内容を社会に公表するつもりはありませんが、少なくとも劇的に私の気持ちを揺るがすものではありませんでした。そして事件の核心に触れるものでもありませんでした。

 しかし、2通目の手紙は人から強制されて書いたものではなく、彼の本心を吐露したという感があり、出会ったこともない彼の声を聴いているようで、読み進めていくうちに涙を流している私がいました。

 その涙の意味は自分でも理解できないのですが、憎悪や恨みという種類のものではなく、もっと静かな、ただただ哀(かな)しい、というのが一番近い感情でしょうか。

 そのときに思ったのは、仮退院時のコメントと重複しますが、彼が「社会でもう一度生きてみたい」と決心した以上、どんなに過酷な人生でも、人間を放棄しないでほしい。彩花の死を無駄にしないためにも、生きて絶望的な場所から蘇生(そせい)してほしいということでした。

 だからといって、けっして彼の罪を許したわけではありません。

 それでも、彼の「悪」に怯(おび)えるよりも、わずかでも残る「善」を信じたいと思うのです。

http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/shakai/20041214/20041214i515-yol.html

児童殺傷事件・加害男性の退院前に遺族がコメント (読売新聞) – goo ニュース