>>>>アメリカ軍人もハワイで第二次大戦中に軍用慰安所を設置したそうですね。相手によっては、未来永劫無知カードを突きつけてくるでしょう。私はしませんが。
>--無関係な例が2行目に出てくるのが議論に負けている証拠。
負けてませんよ。以下は、対象コメントの私の元コメント
>>☆白馬事件の総括方法 について
>>エリート軍人が白昼堂々慰安所を開設した行為が、個人犯罪であるはずもない。組織による犯罪である。
>個人犯罪と国家犯罪の本質的違いを理解していないことの証拠を自白して下さり、ありがとう。
慰安所の設置自体は、同時期の各国(アメリカ含む)の軍でも行われていたことで、犯罪性はない。つまり、慰安所を開設しただけでは国家責任は問えないので、野原氏のあげた日本エリート軍人の白昼の慰安所開設というのが、そもそも事例として不適切。ただし、性奴隷派には、開設・設置だけで国家責任が生じると誤解しているかのような記述があるため、野原氏も同じ誤解をしているかと思って、まず他国でそれに対応する米軍慰安所の設置事例を出して試してみた。すると、野原氏は、米軍慰安所開設は犯罪性とは『無関係な例』であることを指摘し、同じ誤解はしていないことを示せた。それなら日本エリート軍人の慰安所設置も無関係な事例であることに気づかねばならない。
犯罪性を問題とするなら、慰安所の『管理・運営』に軍が関与するに際して、慰安所の運営実態が性奴隷的なものだったか、その状態について国家責任を負うにはどのような関与が必要か、国家の正当な権限に基づいて強制連行してきたかなどの点に尽きる。具体例を出すなら、白馬事件の違法な強制連行の事例だろう。私の、個人犯罪と国家犯罪の違い云々のコメントは、強制連行ケースが事例としてあげられて初めて意味を持つ。そして、この点にもおそらく野原氏は気づいたため、あえて引用時に私のコメントの1行目を落としたのであろう。そこまで引用すると、そもそも自分が元コメントで挙げた事例が不都合な事例であることが明らかになってしまうから。
>>>>なぜこのような分かりにくい説明がはびこったかを、時系列に従って説明していくと、吉見氏の研究者としての不誠実さが浮き彫りになっていきますから。
>--根拠を提示しない中傷。
その根拠は、これから説明しますが、野原氏も薄々気づいているのでは?
当初は詐話師吉田と朝日新聞歪曲報道などの影響で奴隷狩りの有無が焦点だった議論が、奴隷狩りの証拠が白馬事件以外にないので、いつのまにか性奴隷状態など広義の強制説が吉見氏の『資料集』で登場。資料集でも述べていたかは大分前なので忘れたが、新書版『従軍慰安婦』では、借金での拘束は債務奴隷だ、人種差別だ、など、どんどん違法な運営の実態の内容が拡大されていく。しかし、これらの内容はベトナム戦争時の米軍慰安婦にも見られるそうなので、行為時の行為地の実効的法規範によれば、違法とはいえないものが多いようである。
このような不誠実さを、ノーモア氏は論点のすり替えと批判しないのであろうか?
>--ですから「ご自分の手法の不道徳さ」って何ですか?根拠を提示しない中傷。
その根拠を呈示しましょう。このブログで、自白されてるでしょ?
なかった派というレッテル貼り自体が相手を悪質化する印象操作(慰安婦の存在自体は争い無く認められており、争いは実態が売春婦か性奴隷かという点にあるから)、なかった派を最小限の労力で怒らせよう(笑)、彼らの一定の敗北、レイシスト、その他罵倒挑発的言辞が多い。ご自分でも過剰の攻撃性を自白しておられる。
摂津堂氏のブログでも、相手の方々にムカツキ感覚を味あわせており、お互い無用の感情的対立を生じてるでしょ?まあ、私もやられたらやり返しちゃう方なんで、全く未熟で人のことは言えませんが、なぜに左翼の方はこういう手法がお好きなのだろう?
>「日本の成功は軍事的なものというより政治的なものであってことに注目しよう」とミヤーズという人は言っているそうです。「この日本の成功を支えたものは、アジアと南洋の人々の受動的なもしくは能動的な協力だった」と。p349『神聖国家日本とアジア』こういう話が好きなんでしょう。
はい。
>問題は膨大な被占領アジア人との日本人の関係、それを支えた思想です。アジア人に武器を与え彼らが独立の主体として強くなることを心から希望した人も少数ながらいました。1942年からマニラで活動した望月重信中尉がその例です。しかし彼は少数派として死んでいったに過ぎません。日本軍はフィリピンに独立を与える気など毛頭なくその行動はアジア人蔑視に貫かれていたからです。その顕著な例がフィリピン人「慰安婦」たちですね。フィリピンの場合は「もはや慰安婦ともいえないような」拉致~監禁~継続強姦の例が非常に多いのです。
それは残念なことですが、個人犯罪です。多くは処罰されているのでは?フィリピンでも戦犯裁判ありましたよね?命をもって贖ったでしょう。賠償も無関係の日本国民の血税から出してますし、それとは別の経済援助もしている。根底に贖罪意識があるから、一般の日本人は政府の行う賠償や援助に貧しい時代でも文句を言わなかったのでは?
韓国の慰安婦のように、請求権協定や亜細亜女性基金の取組があったのに、同じ事項で3回目の責任追及を蒸し返すのは、一事不再理の理念に反します。
>大東亜共栄という思想が、アジア連帯なのは表面だけでその実体は「日本は欧米並みに偉い」「日本は神国だから偉い」というアジア人蔑視そのものであったという事実。しかもそれだけならまだしも“なかった派”は21世紀にもなってその〈恥ずかしさ〉を拡大再上演しているのですからもう存在自体が恥ずかしい!
そういう人もいるかも知れませんが、単に行為当時の法に従った処罰を求めている私のような者もいることは、理解してください。
>>>>Q3-2:印象操作やレッテル張りをするなら、もっと正確に、売春婦派と呼んではいかがか?性奴隷派の野原さん。という提案です。
>---売春婦と呼ぶための条件は、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070321#p10 の第三項にも明示しています。その条件をクリアーしていることを立証してください。
立証は不要です。私は、その不利益な印象を伴う事実を認め自白しますから、売春婦派というレッテルなら受け入れます。
しかし、なかった派については自己へのレッテルとして認められません。
Q5:では、あなたは、なかった派というレッテル内容を立証できますか?
慰安婦自体がいなかったと主張する人は、ほとんどいないのでは?
>多くの元慰安婦たちの証言に向き合ったとき、あまりためらいもなくその真実性を否定できるあなたの根性は一体何なんでしょう。それがレイシズムでないとすれば。
法の道徳に対する比較優位の思想でしょうな。
法とは、一般に最低限度の道徳とも言われ、比較的広く一般の者に受け入れ可能な最大公約数的な道徳的価値判断を含む利益調整のルールです。
韓国や中国の方は、よく道徳的優位性とかいう言葉がお好きなようで、道徳を前面に押し出されるが、道徳などは諸民族諸文化で大きく違い、調整不可能な問題も多い。
日本より純化された単一民族国家の韓国内のみなら通用するかもしれませんが、多様な民族・文化が繁栄するアジア諸国の利益調整には不向きでしょう。
そのため、アジア諸国の利益調整においても、比較的価値中立的な法による支配が最善と考える次第です。
9・11事件も、イスラムの道徳ではアメリカの道徳や行動は許せないことが原点にあると思います。
>「ある日本軍「慰安婦」の回想 ―― フィリピンの現代史を生きて ――」
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/1/0000690.html
からもそうした印象を受けました。アジア連帯に興味があるなら一度読んでみてください。
ご紹介有難う。
ノーモア氏の宿題に答えるための資料渉猟のついでに読ませてもらいます。
Q1-3:コミンテルンの対日テーゼには洗脳されましたか?
Q2 -3:野原氏は、近代法の諸原則の本質を理解していないが、法解釈をするということは尊重はしたいのだろう。でも、まだ共産革命を夢見ているのでしょうか?それとも、比較的多数の世界一般の国民に受け入れられる、法の支配に代替可能な利害調整ルールの私案がおありですか?道徳はダメですよ。
Q4 -3:奥様から家事労働の利益を全面的に搾取している自覚のある(あった?)野原氏(自白済み・河野談話をより強化しようとする野原氏は自己の道徳的罪を自覚しているのであろうか?それとも愛ゆえに正当化できるという考えか?)は、アンチフェミニズムで性奴隷制的夫婦制度の支持派なのですか?そうでないとしたら、社会主義を標榜しながら資本主義的快楽をむさぼる金正日と同様の偽善者と呼ばれる危険もありますよ。』(2007/03/25 15:31)
* 中道右派 『Q4-3は、もし未来にフェミニズムが世界を支配して社会体制もそうなったら、野原氏は今の考え方のままだと、家事奴隷性奴隷制的夫婦制度の責任者として、処罰されかねないことを示唆しています。
野原氏のように、行為時における売春婦の実態を無理やり性奴隷と曲解して、責任追及を求めると言うことは、そういうことです。』(2007/03/27 13:30)