責任

「責任」という言葉を使いたくない、よく分からないみたいなことをこの数週間考えています。

http://kujronekob.exblog.jp/i7 評論誌「カルチャー・レヴュー」Blog版

で、黒猫氏が、仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』などを読みながら書いおられる。

ちょっとコメントしてみたのだが、(わたしの番で)応答が途切れていた。

(戦争)責任とは何か?

★しかし、所与の事実性(先験的選択)とその関係をすでに生きてしまっていることは、相続放棄するように原理的には解消できません。それは言い換えれば、所与の歴史性に如何に応答するか、如何に他者の声に耳を傾けるか、という課題(応答責任)でもあると思います。先の高橋哲哉の「恥じ入り続ける」という言い方の真意も、またその課題の表明でしょう。(黒猫)

応答責任にどう応えるか?というのは、わたしの倫理の起源であるかもしれない。がどうもよく分からない。

神はいないとする無神論を自覚的に選択した私にとって、「他者の声に耳を傾けるか、という課題」とは、神をそこに措定しようとする未練な思想的態度に見える。

★斎藤純一は次のように言います。「どのような自発的行動によっても解消しえない」のは、国家への帰属(citizenship)そのものではなく、被害者との間にあるこうした歴史的関係にほかならない。私たちを「日本人」と呼ぶとき他者が名指しているのは、私たちの生のこうした歴史的位相であり、いかに自らを「非-国民」として定義しようとも、そうした生の歴史的位相を消し去ることはできない。(同上)

「被害者との間にあるこうした歴史的関係」をいわば形而上化しようとするのは、倫理の原資を他から借りてくる態度であり良くないのではないか。

日本というネイション(日本人)が中国侵略したと認めよう。わたしたちは無自覚であったとしてそこに関わっていただろう。多様な力の交錯のなかにわたしがあったのだとしても、「侵略」という大きな磁場からわたしは自由ではなかった。

 それを認めるとしても、「「どのような自発的行動によっても解消しえない」のは、、被害者との間にあるこうした歴史的関係にほかならない。」という発言には問題がある。20世紀前半は帝国主義の時代であり、すべてはその中で起こった。したがって“なんらかの責任”を負うことは当然であるとして、それがどのような“責任”であるのか、誰が誰に問うているのかといった点を細かく問うていかなければならない。

日本というネイション(日本人)が中国侵略したと認めよう。歴史的に成立していた磁場の中で抑圧関係に棹さしてわたしが生きていたとしても、ひとりのわたしが被害者との間にすでに歴史的関係を成立させていたと言えるのか。日本人が加害者であり中国人が被害者なのか。大ざっぱに言えばそう言っても良いだろうが、厳密にはなるべく言わない方がよいと思う。

磁場がある以上、存在の受けていた内圧の違い“なんらかの責任”は認めても良いが、そのとき「日本人の責任」というフレーズを成立させることは強力過ぎるのでなるべくやめた方が良い。

この意味で、「「国民」という抽象的な集合体がまとまって罪を負っているかのような語り方をすれば、国民を構成する各個人がそれぞれ異なった仕方で、異なった重さで負っているはずの罪の具体的な中身がかえって曖昧なものになってしまう。各個人が、自分の罪について主体的に考えるべきだ[1]」というヤスパースの意見に賛成です。

「仲正昌樹は先の新書で、戦後世代に戦争責任があるのは親の遺産を相続する際に、負の遺産も一緒に相続しなければならないのと同じ理屈だと書いていますが、不適切な比喩だと思います。」そうでしょうか、財産と同時に債務も放棄することは認めても良いような。国籍と(国語を)捨て、日本人でなく生きていくのなら、その人に責任があると立論する必要はないと思う。(野原)

「つまり相続放棄なら簡単に出来るが」という前提がおかしいと思う。わたしは日本語を捨てて生きることはできない。日本語を捨てて生きるとまで決意した人間に対して、なおかつ何を何語で語りかけるのか? そしてその効果は何か。

例えば不作為によって生じる「不正義」は、それによって損害や不利益を被った者によってはじめてそこに「不正義」があることが能動的に問れ、その問いかけに応じることが「応答責任」です。

あらかじめの「正義=法」によって、「責任がある/ない」」ことを限定する正義感(観)よりも、不正義感のほうがより根源的に<正義>を問いただしていると思います。(黒猫)

と言われるのであれば、この不正義感は斎藤より仲正に近いのではないか?

以上、私的メモであり応答になっていないが、とりあえずUPしておく。

あたしesは「われわれ」を選択する

 黒猫さんが引用した限りで斎藤純一さんを一応仮想敵みたいに考えてたみたいなところもありますが、彼の文章が載っているその論文集には、(野原が依拠しようとしている)岡野氏の文章も載っているのだった。いま気付きましたが。(誰にでもケンカを売らず友好的でありたいものです!)

戦争責任と「われわれ」、を検索すると、自由主義者おおたさんが「岡野八代を読む(1)「わたしの自由とわれわれの責任」」として岡野氏のその論文を丁寧に紹介している頁が一番にヒットした。

「岡野がこの論文で訴えているのは」、「「戦後世代の戦争責任」という問題が、けっして「戦後生まれの日本国民」という抽象の問題ではなく、わたしの問題であること」だ。と冒頭でおおた氏は強調する。

岡野の思考の出発点は優れて具体的である。ある時飛行機である韓国人男性の隣の席に座り「日本はかって朝鮮半島に何をしたか」という会話に閉じこめられたという岡野の体験から彼女は考える。

わたしが行ったわけではない行為について、それを想起するように求められる根拠とは、おそらくわたしが属しているであろうこの「われわれ」の存在のゆえである。(岡野)*1

ここでおおざっぱには「われわれ」=日本国民である。ただそのあたりを丁寧に考えていく必要があるのだ。

岡野が日本国の国籍保有者になったのは、岡野の選択の結果ではない。しかし、岡野が日本国の国籍保有者でありつづけていることは、あるいは日本国民であると自己を理解し始め、理解していることは、けっして選択の余地のないことではない。あるいは、「わたし」が日本国民であるというアイデンティティーをもっていることは、けっして選択の余地なく、あらかじめ決定されていることではない。「わたし」は、日本国民であることを、少なくとも止めることができる。

「わたし」が、そうであることが当然と思われる「われわれ」の一人であることは、けっして当然のことではない。

http://uhei.vis.ne.jp/LibertyandPeace/Politics/yayo1.html

わたしは国籍を捨てることができる。つまり捨てていないのは捨てないことを選択しているからだ。「日本国民であるというアイデンティティー」(曖昧な言葉だが)についても同じことが言える。

「わたしは自明にもわれわれの一人である」ようだが実はそうではないのだ。

「わたし」たちが、「われわれ」であることを選択する前に、すでに「われわれ」が存在するわけではない。「わたし」たちが「われわれ」であることを選択することによって、「われわれ」はあらわれる。(おおた 上記より)

「わたし」が「われわれ」の一人であることが、当然のことではないならば、自由への別の道があるのではないか。わたしという自明の存在、「われわれの一員としての」わたしという存在をわたしの手で開いてみること、そのような「わたしの自由」の可能性があるのではないか。こう岡野は問いかけて、この論文を終える。(おおた 上記より)

ところが、岡野氏の場合、わたしとわれわれの間に、選択の意志を(ちょっと無理して)読み込もうとする。国家=われわれ というものはわたしたちがその都度*2、(無意識に近いところで)同意を与えることによって形成される多数多様な位相から成る共同性でありましょう。そうであるなら「「われわれの一員としての」わたしという存在を開い」ていくことにより、「われわれ」を変質させることは確実にできるわけです。

(9/19下記の通り訂正)

*1:p160「<わたし>の自由と<われわれ>の責任」『法の政治学』isbn:4791759699

*2:つねにすでに

皇祖皇宗に対する義務

 ヤスパースは、「ナチスの治世下、ドイツにあっていわば「祖国喪失者」として毅然とした抵抗をつらぬく。ナチスの政権にユダヤ人の妻との離縁を勧告された時には、これを拒否し、大学を退いている。*1

しかしナチス敗北後は、「自分をこの悪をなした「敗戦国民」の側におく。*2」そして「今はじめて、わたしがドイツ人であり、私の祖国を愛するのだと、ためらいなくいいうる」と言い放った。

ひるがえって日本の戦後に、ヤスパースに似た時局便乗にさからう声が皆無だったというのでもない。

 だいぶ若いが*3、太宰治はあのヤスパースの敗戦直後の声に似て、「真の自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳!この叫びだ。昨日までは古かった。しかし今日に於いては最も新しい自由思想だ」という声をその敗戦直後の小説の登場人物にあげさせている。また戦時下、軍部の言論弾圧と戦った明治生まれの硬骨のオールド・リベラリスト津田左右吉は、戦後創刊された『世界』に一転、熱烈な皇室賛美を書いて周囲を困惑させている。*4

「われわれの祖先のうちの最も優れた人たちから伝わってわれわれの心に呼びかける最も気高い要求」と「天皇陛下万歳!」はイコールだろうか。明治憲法は「天皇は神聖にして侵すべからず」と定めた。おそらくその時から、天皇に対するより上位のペルソナ(皇祖皇宗やアマテラスなどなど)は誰からもアクセス不能になり忘れられた。

一切が消滅しても、神は存在する。これが唯一の不動の地点なのである。

p189 同書

ヤスパースがこう言わなければならなかったほど追い込まれたとき、日本人はやはりあの鵺的なペルソナにすがるしかないのだろうか。

そんなことはなかろう。

「天地の始は今日を始めとする理なり。」と語った北畠親房を思い出すなら、わたしたちは「新しき古」に向かって開かれている。

(天皇陛下万歳を「時局便乗にさからう」と素直に評価してしまう加藤は、戦後史の現実過程に対する認識がずれているのではないか。戦後も一貫して裕仁は天皇で有り続けた。これが日本の美的倫理的根拠の破壊でなかった、とでも思っているのか。)

*1:加藤典洋『戦争の罪を問う』の解説p221

*2:同上

*3:野原註:1883年生まれのヤスパースより

*4:同上 p227

血にまみれたわれわれの手

 ジーン・ウルフは「ひとを殺す」ことについて考察している。言い直すと、「(あなたを)わたしが殺すこと」が可能であるためには何が必要かについて。ひとがひとを殺すことは不可能である。あなたは(つねに幾分か)私の鏡像であるがためにあなたと呼ばれるのだし、そうであるかぎりあなたを殺すことは不可能だ。

 しかし殺すことは可能でなければならない。

 《自在神よ》聖職者が読んだ。《ここで今命を失う者たちは、あなたの目から見れば、われわれ以上に邪悪な存在ではないと、われわれは承知しております。彼らの手は血にまみれておりますが、われわれの手も同様です。》

(p46「調停者の鉤爪」新しい太陽の書②isbn:4150107033

 女のモーウェンナが聖職者に導かれ、鉄の串を持った男に後ろから小突かれながら、階段を上がってくるところだった。群衆の中のだれかが大声で、猥褻な示唆をした。

《……慈悲心を持たぬ者に、慈悲を垂れたまえ。われらに慈悲を垂れたまえ。今、慈悲心を失わんとしているわれらに、慈悲を垂れたまえ》(p47同書)

「おまえが女だということを考慮すると……きわめて忌まわしく、異例ではあるが、おまえの左右の頬に焼き鏝を当て、両足を折り、首を胴体から打ち落とすことになった」

「その思考が臣民の音楽であるところの独裁者の譲歩によって、不束なるわたしの手に委ねられた高潔なる司法権力により、ここに宣言する……」

「ここに宣言する。おまえの最後の時がきたぞ、モーウェンナ」

「調停者に懇願することがあれば、申し述べよ」

(同書p48より、一部省略した形で引用)

すでにわかっているように、平均的な田舎の官吏ほど断頭台の上で取り乱す者はいないのである。(略)能力があり訓練さえ受けていれば充分に心をおちつかせることができるのに、それを欠いているというまったく正当な恐怖心との間で、引き裂かれていた。(p50)

その瞬間、わたしは後ろに一歩さがり、なめらかに水平に彼女の首をはねた。これは上下に切断するよりも習得するのに数等困難な技であった。

 かんたんに言えば、わたしは噴き上がった血の噴水を見、首がどさりと台の上に落ちる音を聞いて初めて、やり遂げたと知ったのだった。自覚していなかったが、わたしも村長と同様に怯えていたのである。

 これはまた、昔からの伝統によれば、組合の習慣的な威厳が緩む瞬間でもあった。わたしは笑いたくなり、跳びはねたくなった。(略)わたしは剣を振り上げ、髪の毛を握って首を持ち上げて、断頭台の上を意気揚々と歩いた。(略)群衆は必ず叫ぶ冗談を叫んでいた。(p52)

 長い引用になった。わたしたちは国家の主権者として死刑とその執行を是認している。*1わたしたちではない裁判官が死刑を宣告し、わたしたちの知らない場所で知らないうちに執行人が執行する。法務大臣が執行命令書に署名する時何も言わなければ、執行の後でしかわたしたちは知り得ない。わたしたちの国家はその暴力を恥じ深く隠蔽しようとしている。

 しかしながら、「彼ら(=殺されるべき者)の手は血にまみれておりますが、われわれの手も同様です」とは、国家は決して語らない。語らないのはそれが真実であるからだ。神が神の名に値するものである限りそれは国家より上位にあり、「殺すな」や「慈悲」の普遍性もまた国家やギルドより上位にあるはずだ。それを認めることは「殺すことは可能でなければならない」と矛盾しない。司法権力だけが死を命じることができる。だからといってそれによって執行という実務のいろいろな責任が自動的に聖化されるわけではない。その人は礼儀をもって取り扱われる。最後まで彼(女)は人として尊重される。人を殺すことは「能力があり訓練さえ受けていれば充分」可能だ。そしてわれわれはむしろそれに立ち会うべきだろう。執行する主権をわれわれは承認しているのだから。執行者は首をはね、群衆は歓喜する。

 私たちが国家を肥大化させないためには国家の行うすべての行為にわたしたちが立ち会う必要がある。なかでも死刑執行と戦争、わたしたちが人を殺す用意がないのならすでにわたしたちの文明は崩壊している。わたしたちは年に一度わたしたちの内なる死刑執行者を呼びだし慰める。

*1:「私は死刑廃止論だが」と言ったとしても。

うーん 松下昇

というわけで、松下昇ですが。

まず彼を紹介しないといけないか。

生年は1936年であるとのこと。

1996年5月6日朝10時ごろ死亡。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matut11.htm

同時代生まれは誰か調べてみよう。

http://www.excite.co.jp/book/guide/chrono/?index=1 現代作家ガイド―年代別/生年月日検索

ところが、30年代生まれは

1934生 筒井康隆 ともう一人しか居ない。

流行作家としてもてはやされる年齢はとっくに終わって数十年後に再発見される(かもしれない)のを待つ年齢になっているということか。

1936生 寺山修司 1983死。

      横尾忠則 もかな。

(生年別に著名人をざっと並べたデータベースがありそうなものなのに、みつからなかった。)

とりあえず見つかった3人をみるとかなり個性派ですね。

破壊~ハチャメチャ~前衛 みたいなイメージがうかぶ。

松下もそのような、ポジティヴなハチャメチャ派だった。とここでは紹介してみよう。

われあり、われらあり。

Ich bin. Wir sind. Das ist genug.

Ich bin. Aber ich habe mich nicht. Darum werden wir erst.

(p7『ドイツ語の本』冒頭)

これはあるドイツ語初級教科書の冒頭の例文なのだが*1

、ドイツ語なので全く分からない。Ich bin. Wir sind.とは英語の「I am.We are.」のようだが。

genug=enough(英語)=assez(仏語)のようだ、google翻訳では。十分に、ということか。

I am. We are. That is enough.

I am. But I do not have myself. Therefore we become only.(英語)

Je suis. Nous sommes. C’est assez.

Je suis. Mais je ne m’ai pas. C’est pourquoi nous devenons seulement.(仏語)

「I am.We are.それで十分」ということか。

 Das ist genug.という場合の〈genug〉は、たんにこれ以上は必要ないといい切っているのではなく、むしろいまは、これを最低限の条件として出発するのだ、という一種の覚悟が内包されていると思われる。次の Darum werden wir erst.の〈erst〉は、個々の〈私〉が自らの存在を対象化しえていない不確定さと同じ度合だけ、関係性としての〈私たち〉におしやられつつ、〈はじめて〉相互の構造に気付く、というニュアンスを帯びてもいる。 (たぶん松下昇 p3「正本ドイツ語の本」)

Ich bin. Wir sind. Das ist genug.はエルンスト・ブロッホの『ユートピアの精神』という本の冒頭。われあり、われらあり。とは、どんな場合でもそれだけは言えるというわれわれの表現や行為の土台である。*2ところがブロッホはそれを、果てしない努力の果てになお辿り着けないユートピアの青い鳥、でもあるかのように提示している。*3

「われあり、われらあり。」がユートピアの青い鳥であることは、最近のプチウヨの諸君を見てるとよく分かる。彼らはわれであるためには、是が非でも「日本あり」を成立させなければならず、そのためにはアサヒ、中国をはじめとするあらゆるもの*4に罵詈を投げかけ否定しなければならない。彼らはこっけいで有害だ。しかし、

「われあり」のために「われらあり。」が必要ないとするのはどうか。個人の自立を信奉する進歩派知識人は、憲法9条への愛だけを語り続けることにより、対米従属自衛隊強化沖縄植民地化を黙認し続けただけでなく、自らの幻想である平和国家という「われら」を強固に信じている。わたしたちはどんな既成の「われら」をも拒否するしかない、端的に時間の無駄だからだ。だが何んらかの「われら」を非望のように求めてしまっていることをむしろ認めるべきなのだ。

 とここまできてやっと、 

「Ich bin. Aber ich habe mich nicht. Darum werden wir erst.」から始まる本「Spuren」というのが、菅谷規矩雄訳で本棚にある本だと気づいた。

私は、在る。だが私は私を所有していない。それゆえにまず私たちが成る。

(p2『未知への痕跡』E・ブロッホ 菅谷規矩雄訳 イザラ書房)

この本の方法を菅谷は次のように解説する。

ひとつの神話、ひとつの物語は、それぞれその発生・成立時の支配イデオロギイその他に制約されていて、ほんらいのモティーフを充全に表現しえていない。主体において〈いまだ意識されない〉もの--それゆえ客体において〈いまだ存在していない〉もの--その双方はしかしやがて実現されるための変化のプロセス、つまり主体=意識の前線にあらわれでようとする意向(Intension)、客体の生成過程に未来的に潜在する傾向(Tendenz)の相関関係を、なお不充分なままでおしとどめ、そしてかすかな〈きざし〉のみを私たちに伝えてよこす。

(p296『未知への痕跡』E・ブロッホ への菅谷規矩雄の註と解説 イザラ書房)

Ich bin.とは、ブロッホにとって出発点であると同時に不可能なテロス(目的)であったようだ。

さて、わたしは松下にとって「be」とは何か?を訪ねるためにその周辺を回遊してみたわけである。

六○年代に出現した全ての問いを、その極限まで展開しうる状態の中に存在せしめよ、

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe1.html

存在(Sein)所有(Haben)生成~自己実現(Werden)の相関のうちに、松下のこの問いの群はどのように直立しているのか。

*1:この本については下記に言及有り。http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_6/koumura.html 好村冨士彦追悼

*2:であるがゆえに言及されることはない。

*3:ユートピアの精神とは翻訳もある分厚い本だが私は全然読んでいない。したがってわたしの解釈は間違い。

*4:最近では&query=フクダユウイチ

6.沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた

 筑紫峠も、辰平は忘れることができず、フーコンという言葉を聞けば思い出すのであった。サモウの野戦病院というのか、患者収容所というのか、あれもひどいものであった。患者が多くて、とてもあの瀬降り病棟に全部を収容しきれず、土の上に、何人もの患者が横たわっていた。雨が降ると、そこでそのまま打たれて、ずぶ濡れに濡れていた。そのような患者が次々に死んだ。死体は、共同の死体壕に投げ込まれた。死体壕に雨水が流入してできたプールに、沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた。禿鷲が降下して死者の肉を爪にかけて、飛び去った。

 あの死体壕に投下されるまで、死者は泥土に顔を突っ込んでいた。あるいは、仰向けになって、眼と口をあけていた。

 あれは確かにあったことであり、実際に見たことなのだ。辰平にはしかし、幻のようにも思えるのであった。あんなに多くの人が、あんな姿で死んでいる光景を、俺は本当に見たのか。もしかしたら、幻想ではないのか。そんな気がするのである。死者の光景だけではない。あの戦場のすべてが夢の中の光景のように思えるのであった。

(p12-13『フーコン戦記』isbn:4167291037

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070414#p4

昨日(5/19)、あるところで、「従軍慰安婦をめぐる6枚の紙片…」と題して話しました。

その時に使った6枚の紙片です。

悲しみは北の果てに

 慰安婦とはなにか、定義をめぐってもたぶん異見があるのだろう。下記は慰安婦ではなくただの辺境の下級娼婦(予備軍)だろうか。とにかく(おそらく満州国ができる前)そのエリアの田舎道を歩いている若い女の群、である。

 くずれかかった島田髷をグラングランとゆすりながら、赤いおこしをまくり、ゴム長靴をはいて、しめじめした田舎道を歩く十五、六人の若い女の群がいる。

 ここ密山あたりへ来る女は、ひ子窟(ヒシカ)の女市場から売られて来たのである。あまりきれいなのがいないのは、下物だからだろう。きれいであってもゴム長じや興がさめるが--

 女共のうしろには、面構えのよろしからん男が鞭を持って、羊か豚を追うように尾いている。女共は大ぶん歩かされたとみえヒョロヒョロしている。これからもっと奥の、ソ連境へまででも連れて行って売り込むものとみえる。今夜にも売れたらその日からでも、何ともわからん男--どこの国の人間やらわからぬ男を抱かねばならぬ。「女販売人」からみれば、女というよりは女に似たけだものと思っているだろう。男を抱かせさえすればそれてお金になるのだから、女みたようなものでありさえすればいいのである。どこのだれの子か、どこの村から拾って来たのか知らぬが--

 どうせこのあたりに稼いでいる男は、女のいいも悪いもない、徳利の穴から出すものを出せばすむ

のだから--

 しかし、このあわれな女たち、これからどこへ行ってどうなるものやら。どうせ、このあたりの土となるものだろうが--それもしらずに--

 櫻井忠温の『哀しきものの記録』文芸春秋新社(昭和32年発行) p251 より。

 この女たち、わたしは日本人じゃあないと思っていた。でも良く読むとおそらく日本人だ。p203にこう書いている。

大連の北にひ子窟(ヒシカ)という海岸がある。(略)ここが内地で浚った女共を陸揚げするのである。そして女の市が立って、上物と下物とを選り分け、それぞれ相場を極めて送り出すのである。下物は大てい北満送り、あの方さえ役に立てば目っかちでもいいという程度--そんな片輪は拾っては来ないが--大連や奉天向きは特種、遼陽、四平街だのはまず上玉の方である。下物の下物は競売にかける。

「内地で浚った女共」というのは日本人ということになりますね。わたしが日本人と思わなかったのは、この七〇年以上女性であっても日本人であれば満州あたりでそんな扱いは受けないと思っていたからです。でも八〇年以上前にはこういうこともあったのでしょう。

 というかわたしがいいたかったことは、女が何国人であってもそんなことはどうでも良い。ただじめじめした田舎道を歩き続ける女たちはあわれだ、とそう思うことが大事だということです。*1

 従軍慰安婦問題は、語り得ない言葉を語り初めた彼女たちの実存によりそうように見ることはもちろん必要だが、上記のような哀れさの底、あるいは彼女たちと交わった男たちのことも直ちに断罪しない、すべてを呑みこむ歴史の巨大なはらわたの一つのエピソードとしても理解すべきだと思う。

*1:「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に餓(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ」聖徳太子以来の、日本人が大事にすべき伝統的感受性です。

一読者 『>ノーモア(敬称略)

>コメント欄は以前からありました。

>調べれば簡単に分かることを下種の勘繰りをしておいて、「急遽コメント欄を姑息にもお作りになられたのか」とは恥を知りなさい。

誠にごもっともです。

野原様、下衆の勘繰り、ご容赦ください。

ただし、初対面の人間に対しいきなり罵倒から入る失礼な方には、敬称略とさせていただきます。

私が下衆の勘繰りをした原因は、もちろん私のうっかりミスでありましょう。

ただ、そのうっかりミスを引き起こした補助的原因は、以前コメ欄なしメアドありの左翼系ブログ主に対して、捨てアドを作ってメールしたところウイルスメールのお礼参りをされたためであることは、ここに言い添えておきたいと思います。

それによって私が免罪されるとは思いませんが、左翼系の方とコメントを交わす際には常に疑心暗鬼になる私の心情は、慰安婦に同情を寄せるあなた方にはお分かりでは?

>軍が主体的に関与したことについては

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html

を読めば分かるでしょう。

以下、上記サイトの筆者の最も言いたいところだと私が感じた箇所を引用いたします。

>国家と性の関係は現実に大きく転換したが、売春=性的労働を「公序良俗」に反する

>行為、道徳的に「恥ずべき行為」であるとする意識、さらに慰安婦を「醜業婦」と見

>なす意識はそのまま保持され続け、そこに生じた乖離が上記のような隠蔽政策を生み

>出すにいたった。慰安婦は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に、その関

>係を軍・国家によってたえず否認され続ける女性達であった。このこと自体が、すで

>に象徴的な意味においてレイプといってよいだろう。従軍慰安婦が、同様に軍の兵站

>で将兵にサービスをおこなう職務に従事しながら、従軍看護婦とは異なる位置づけを

>与えられ、見えてはならない存在として戦時総動員ヒエラルキーの最底辺に置かれた

>のは、このような論理と政策の結果とも言えよう。慰安所の現実がそこで働かされた

>多くの女性、なかんずく植民地・占領地の女性にとって性奴隷制度にほかならなかっ

>たのは、このような位置づけと、それをもたらした軍・警察の方針によるところが大

>きいのである。

それまでの、自称した以上は実証主義的資料研究の枠内にとどまろうと努力する言説(それでも強引な資料解釈は多いですけどね)が台無しになるこのイデオロギー満載の言説。

現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態を、いきなり奴隷制度にワープですか。

それなら日本の公安委員会や、世界各国で同様の業務をしている国家機関は皆売春業の主体ですか?そんなバカなことはありません。

>それから国連人権委員会は日韓条約時には従軍慰安婦問題は考慮されていなかったという見方をとっているという事実は押さえて置いてください。

押さえていますが、それって国際法上は極端少数説に依拠してますよね。

反日かつ自国内人権弾圧緒国家が主流派だった頃の国連人権委員会ですら最下級の評価のTake Noteの委員会報告を持ち出されても・・・

私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

>また日韓両政府は個人による請求権自体は消滅させてはいません(もちろんそれが認められるかどうかは別問題として)。

個人請求権の消滅を否定したのは、韓国政府だけだと思っていたのですが、日本政府も否定していたとは・・・

ぜひ、そのソースを教えてください。

また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

これも違うのなら、やはりソースを教えてください。

>いずれにせよ今回(アメリカでの決議を発端とした議論)は「個人に対する補償をすべき」という法的な賠償責任が問題になっているわけではないので的を外した議論だとは思いますが。

決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

これも違うのなら、そのソースを教えてください。

>ちなみにあなたは軍が主体的に関与しておきながら河野洋平という一官房長官が述べた談話だけで十分だとかそれすらも見直そうという人たちについてどうお考えでしょうか。

私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし、河野談話に批判的な人たちの多くも同じ考えでは?

前提とする理解があなた方と違うので、違う結論になるのがむしろ当然では?

理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。

それは、おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

私は、日本の戦争犯罪といわれるものだけが蒸し返されるのは、日本の対処が不十分だからではなく、単に日本は責め立てれば金を出すと思われているだけだと思います。

敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった事件は、当時の戦勝国や旧海外領土の民族の法意識では犯罪では無かったからだと思います。

ありますよね?昔は犯罪じゃないけど、今では犯罪とか人権侵害とか批判されうる行為って。非犯罪化とかその逆もありますけど。

日本の戦争犯罪はおそらく9割以上処罰されたり賠償したり謝罪しているが、連合国や戦後の中国・ロシアの戦争犯罪はほとんど処罰されていない状況で、原爆投下や民族浄化や捕虜虐待など後者の戦争犯罪の追及をするなら分かりますが、日本の戦争犯罪を追及するのは本末転倒だと思いますよ。』

ノーモア ノーモア 『>それでも強引な資料解釈は多いですけどね

ずいぶんと「上から見た物言い」ですね。そういうあなたは歴史学者か何かなのでしょうか。ではぜひどの史料の解釈がどのように間違っているのか、具体的にお答えください。でなければあなたの発言は単なる誹謗中傷です。

>また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

そもそもあなたはなぜ国家が個人が賠償請求する権利を勝手の放棄できると思えるのでしょう?まあソースを出せというなら出しますが。

平成3年8月27日参議院予算委員会での外務省の答弁です。

「いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間に存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」

>私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

「考慮されなかった」ことはお認めになりますね?で、その原因についてですが「慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。」などと勝手な解釈を付け加えるならそれこそソースをお願いします。

>決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

私が記事を見た限りでは「謝罪」を勧告するというものしか見当たりませんし、日本政府も「決議されても謝罪はしない」としか言っていないので個人補償について法的責任があるといった決議ではないと思いますが。

>私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし

だから私は軍が主体的に関与したことのソースを示しましたよね。ちなみにこのページはここのブログの管理人である野原さんが見つけたものですけれども。しかしあなたは強引な解釈だのなんだのと具体性の無い誹謗するばかりで議論から逃げるだけじゃないですか。「関与していないと思う」ことと「事実として関与していない」ことは全く違うんですよ。もう少しまともな議論が出来ませんか?

>理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

まず各国の慰安婦制度の実態がいかなるものかをきちんと述べてそれで比較検討してもらわないと。理論的可能性に固執するのは結構ですが、現段階では妄想の域をでていません。机上の空論です。裏付けをどうぞ。

あなたの反論ですが、こちらにソースをソースをと要求する割には、御自分はほとんどソースをお示しにならないという見事なまでのダブスタです。お気楽なことで。』

ノーモア ノーモア 『もう一点。

>現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態

なるほど現在の公安委員会は業者に風俗営業を請け負わせているんですね。業者を通じて売春婦を募集したりしているわけですか。「公安慰安所」なんて聞いたこともありませんが。』

14歳 楳図かずお

野原が最も尊敬し好きなマンガ家は大島弓子である。自分のモチーフ追求を軸にマンガを強引に作り上げる観念的なマンガ家であるという点で、楳図は大島と共通点を持つかもしれない。ただわたしは楳図のよい読者ではない。機会があって(自腹を切らず)『わたしは真吾』と『漂流教室』を読んだくらい、だ。楳図は有名な割にあまり読まれていない(たぶん)。小学校4年の息子が楳図に興味を示したので、(悪趣味だから子供に買ってやるのはどうかと人並みなことも思わないではなかったが)近くのリサイクル古本屋に一冊350円で1~4が並んでいたので買って、息子に与えた。先に息子に与えるのはけっこう危険である。とまあそんなことはどうでも良い。

テキスト主義者ならテキスト(マンガ)に即して語らんかい!はい。(1と2を読んだだけで、これは20冊もあるのでそろえるかどうかも未定だが)(ところでチキンジョージを“ぐぐって”みたらライブハウスばかりだった)えーこの作品はチキン・ジョージというモンスターの誕生から始まる。チキンジョージとは鶏肉自動作成工場の偶然のミスから生まれた生物が(ご都合主義で)高度の知能を持ったモンスター。彼は孤独感を理屈で根拠を捏造することで埋めようとし、現代文明(未来文明)が数千数万種の動物たちを滅亡させたことへの復讐を自分の使命と考える。息子には粗筋ではなく感想を書けと高圧的に命令したくせに自分でも粗筋しか書けない。反省。言うまでもなくわたしたちは牛や豚を食べているが、彼らは近くでゆっくり見ると大きいだけあって威厳と存在感に溢れている、ここには大きな矛盾があるが皆が知らん振りをしている。こうした誰でも知っているタブーを主題にする蛮勇こそが、名作を産みだす条件だ。(続きを読まないと分からない。)