直ぐに首差延べて

神籬(ひもろぎ)伝授の人と云は、譬えは君が我を無罪に殺そうと仰せらる時に、天命是非に及ばず、君なれば何分にも、畏こまらいではなどと云うは、本のことで無い、殺そうと仰せらる声の下から、はっと畏まり、私を御殺御腹がいて御慰に成る者ならば、とくとく御切り御切りと、にこにことほほえみ、直ぐに首差延べて、あたまから渡して掛かる合点が無ければ、本の伝授の人とは申されまいぞ。そりゃ平生夫程の思入れが大事ぞ。

玉木正英『潮翁講習口授』

p160『近世神道と国学』前田勉 から孫引き

 神と人を比べると、神は無限大ですから人はゼロになります。逆に言うと無限大は人には見えませんから、人=ゼロとすることにより、無限大を暗示することができる。天皇に対するマゾヒズムとか言って、左翼はヒステリックに批判しそうだが、まあよくある思想(秘密の教えとして一般人には隠されている)かもしれない。

 ただ特異なのは、神=普遍性という前提を意識的に拒否している点。「天命是非に及ばず」というのは、神=普遍性という思考によった理屈だがそれを否定している。

 ところで、デリダの「アブラハムがイサクを捧げる話」を思い出す。

わたしたちが「近親者や息子に対する忠実さを選ぶためには、絶対他者を裏切らなければならない。*1

「それを神と呼んでもよい」とデリダは言っているが、日本ではそれを天皇(象徴天皇)と呼ぶべきだろう。

イサクの犠牲は毎日のように続いている。*2アル・アクサーの大モスクの近くで。

*1:p143『死を与える』デリダ

*2:同書p145

愛国無罪とは

 五四運動に引き続く学生や市民、農民、労働者の愛国的運動がネイションを建設したのだ、という中華人民共和国の根本を意味するだろう。

民主主義とは何か、に対しては色々な答え方がある。旧体制とのラディカルな切断という点では、フランス革命以後繰り返し起こったパリのバリケード~市街戦のイメージは鮮烈である。*1

上野英信の『天皇陛下万歳--爆弾三勇士序説』という本。ちくま書房、1972年。を読んでのノートから。

(野原燐)

 1931年9月日本は満州事変を引き起こした。続いて、その翌年1月28日には、上海事変を引き起こします。満州事変は、特派員エドガー・スノーによれば、「単なる鬼ごっこと占領」だった。上海事変についても「他の人と同様に私もまた中国人は闘うまいと思っていた。」しかし、実際には“ほんものの戦争”になった。「いままで、ほんとうの戦争などやれない傭兵だと、大抵の外国人から思われていた中国将兵の実力を、私はこの戦争ではじめて知った。」とスメドレーも言っている。

 日本軍と闘ったのは、蒋介石の統帥下の第一九路軍、蔡延[金皆]軍でした。約三万五千の歴戦の精鋭にわずか1,500の水兵で挑んだ海軍の塩沢提督の無謀を批判するひとは多い。だが意外にも、この本の著者上野英信は塩沢の判断には合理性があったとする。その根拠はこうだ。一九路軍は疲れ切っていた、ちの給料は10月以来ほとんど支給されていなかった、兵士た部に対する不信と敵意は非常に高い。したがって一旦戦端が開かれるや、彼らは内部矛盾をさらに高め瓦解していくだろう。

 ところが、彼らは蒋介石の徹底無抵抗と迅速な撤退という命令を無視し 闘いはじめ、そしてあらゆる困難を乗り越えて闘い続けた。そこには別のファクターが働いたのだ。

 上野は葛琴という無名作家の『総退却』という作品から引用する。

 刻一刻、絶望的な懐疑と焦躁にとらわれてゆく兵士たちを、なおかつ歩一歩、前進させていった力は、いったい何であったのか。上海の市民--それも彼ら兵士たちと同じように黄色くしなびて貧しい労働者や失業者、それに学生たちであった、と説かれている。

「体を蛇のようにくねらせ、銃の上で手をびくつかせながら、寿長年は、大勢の人が自分の後から突き進んで来ていることを、鋭敏に感じとっていた。ただそれは久しく起居を共にした、同じ部隊の仲間たちではないようだった。彼らの力強い感動的な喚声には、聞きなれない方言が含まれており、紛れもなくそれはこの地元の方言だった。それこそ、上海の失業労働者たちの革命義勇軍だったのである」

「“ドド、ドドド”寿長年は身をよじって、その響きに目を注いだ。きわめて重量感にみちたものが、飛ぶように通過していった。それは上海の学生、労働者と市民たちの救護隊だった。彼らは熱烈にこの戦争を支持し、昼となく夜となく、砲火の中に立ち現われるのだった」

「この数十里に及ぶ長い防衛線の背後には、なおひきもきらずに新しい労働者たちが集まって来ていた。誰一人として、自発的に戦闘参加を希望しない者はいなかった。彼らがこれほど毅然としていることは、かつてなかった。彼らの雇い主であるボスに逆らって志願し、頑強にこれらのボスと闘ったあげく、漸くの思いで数百里の道を歩いて来たのである」 (以上、同書99~100から引用)

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ここを読んでなんだかパリコミューンを思い出してしまった。 武器を持たない市民、労働者、ルンペンプロレタリアートが抗日の志のままに、19路軍の下層兵士たちを直接支援していったのだ。もちろん、その後13年以上中国ほとんど全域を荒らし回った日本皇軍は結局敗北し、その後“人民の海”から生みだされた毛沢東たちが統一を勝ち取ったこと、は誰でも知っている。いまでは、資本主義化する現在の上海の様子を聞くにつけ、“人民の海”なんていう古くさい言葉によりかかった言説は無効になった、と誰もが言うだろう。だが、上記の引用から見る限り、<コミューンの一瞬の立ち上がり>というものがそのとき存在していたことは確かなようだ。私意識からは、十九路軍が赤軍でなかったことは返って好都合である。

http://otd9.jbbs.livedoor.jp/908725/bbs_plain?base=13&range=1

 ヴィクトル・ユーゴー的民主主義理解においては中国の愛国無罪は普遍的とみなされる。

*1:先日テレビでやっていたフランス産テレビ番組レ・ミゼラブルの終わりの頃にもその映像が出てくる

地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べる

 国学の勉強しているとか言いながら、「三大考」も知らなかったという大馬鹿もののわたしですが、これは著者は服部中庸ですが宣長の『古事記伝』の付録であり、表紙だけつるつるにして再版されている岩波文庫全四巻の最後にもちゃんと付いていることを今発見した。(購入は数ヶ月前。)

近き代になりて、遙かに西なる国々の人どもは、海路を心にまかせて、あまねく廻(めぐ)りありくによりて、この大地(おおつち)のありかたを、よく見究めて、地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べるを、日月は其(その)上下に旋(めぐ)ることなど、考え得たるに、

服部中庸『三大考』p255 日本思想体系50*1

(岩波文庫p385)

この文章は1791年頃書かれた。地球球体説が日本で画期的だったかというと全然そんなことはない。それより二百年ほど前マテオ・リッチにより中国にもたらされたもの。

地球という用語はマテオ・リッチが「坤輿万国全図」を作成したとき(1602年)に中国人が発明したものであると書物にある。」というものである。

http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/girisia/tikyuu.htm

http://www.hatena.ne.jp/1117028139 経由

「地球は蛮人りまとう(原文では漢字・マテオリッチ)これを作る。」と認識していた渋川春海は1800年頃地球儀をたくさん製造していたらしい。

ところでそれまでの日本人の宇宙論はどんなものだったのか確認しておくと。

日本書紀冒頭の「混沌」説。

1:古に天地未だ剖れず、陰陽分かれざりしとき、

2:其れ清陽なるものは、薄靡きて天と為り、重く濁れるものは。淹滞ゐて地と為る (故天先ず成りて地後に定まる)

「これは、淮南子などの中国の文献に見える考えかたである。」とのこと

http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/girisia/tikyuu.htm

次に「奈良時代には、中国から天円地方説が導入される。」

当時から明末まで中国の宇宙論はこの天円地方説である。

その系譜には、

1)蓋天説:平らな地面の上を平面の天が回転しているというもの。

「周髀算経」は3世紀の蓋天説の解説書である。

2)渾天説:後漢の張衡の「渾天儀」中に渾天は鶏卵であり、

天は丸く、地は黄身の様なものであるとしている。(同上)

他に「仏教宇宙観」がある。*2

仏教伝来後は仏教宇宙観が導入され、

たとえば、須弥山などが紹介された。 (同上)

以上、「三大考」を読み始めるための準備メモ。

ていうか「三大考」て読むに値する文章なのかどうかを考えたい。

*1:平田篤胤 伴信友 大国隆正

*2:こっちの方がポピュラーか

続報

poppo-x 『http://www.asahi.com/life/update/0617/005.html

「新・国民の油断」回収に 過激な性教育批判で話題の本

2005年06月17日19時23分

 「ジェンダーフリー」や「過激な性教育」を批判した本「新・国民の油断」(西尾幹二、八木秀次著)の記述内容に問題があったことがわかり、出版元のPHP研究所が回収を始めた。

 同社によると、HIVや性教育に詳しい岩室紳也医師の写真が本人に無断で掲載されたほか、岩室氏にかかわる記述に誤解を招きかねない点があったことなどがわかり、今月上旬に回収を始めたという。同社は、修正の上、8月中旬をめどに再度出版するとしている。

 岩室氏は「書き方に問題があり、肖像権も侵害された。大変迷惑しており、抗議した」と話している。

 この本は1月の出版後、約1万3000部を発行。「過激な性教育」や「ジェンダーフリー」を批判的に取り上げた自民党のシンポジウムなどで引用されている。』(2005/06/18 19:33)

正確な情報ありがとうございました。

(野原から)(7/6)

(1)

マッコイさんとの三度目(?)の出会いは、野原が、http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050627/p2 にコメントしたことに始まる。

『バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。』 (2005/06/29 18:05)と聞いた。

マッコイ氏の返事は『「米軍に追いつめられ、民間人が大量に崖から飛び降りて自殺した」はたしかに一面的な見方かもしれませんが、そちらの「「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因」というのもまた一面的だと思いますね。』というもの。一万人という多数の民間人の死という事実に対し、後者は原因を示しているが前者は事実を記述しているだけで原因について何ら答えていない。

「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」を現時点で批判しないという立場、にマッコイ氏が立っていることが分かった。わたしは「バンザイクリフ」という言葉を喜々として引用できるプチウヨというものがどういう心理構造なのか、バンザイクリフというものについて私とは全く違った理解の仕方があるのか、万一の疑念があったので念のために質問してみたのだが、そんなものはないことが分かった。わたしにとっての問題はここで終わった。

そして次にマッコイ氏は、私の「死者の原因は皇国の洗脳と強制にある」という文章に対し、あら探しをしようとはじめた。

「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」が一万人を死に追いやった。

という文章を、批判し覆せるかどうかやってみてください。

・・・

スワンさん、コメントありがとうございました。

・・・

マッコイさん(たち)への応答を返すことに(なぜこんなにおおきな)抵抗感があるのかよく分からない。

「戦場の硝煙とちぎれた屍体というその現場に生き死にせざるを得なかった先人たちのその存在の有り様に近づこうとする」ことなしに、薄っぺらな理屈のその薄さに無自覚な奴らは、恥を知るべきだ。

皇国は当然ながらその定義によって無敗である。その皇国が敗れたことの絶対的切断を承認すべきである。

「飢餓に苦しむ子供のためというふりをして」

    旧タイトル「モヒカン族的には」

* 飢餓に苦しんでもいないのに飢餓に苦しむ子供の為に飢餓の実体を訴え、募金をしようと呼びかける

* 飢餓に苦しんでもいないのに、飢餓に苦しむ子供のためというふりをして、募金を募り、集まった金額を競う

 前者は問題ないが君は後者だ。

http://mohican.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20050720/p2

   モヒカン族 – 妄批漢ことのは砦の決戦 – どうでもいいところをクロースアップする手法を命名してくれ

前者と後者の差は付くべきものなのだろうか?

わたしには全然分かりませんね。街頭で募金を呼び掛けている若者がいた場合、彼の存在がどの程度“飢餓に苦しむ子どものため”という大義によって占められているのかなんて詮索は、僭越であり無意味である。わたしたちが関心を持つべきは(飢餓に関心を持ったとして)カンパがどこにどうやって届けられるか、その信頼性についてだけだろう。カンパも(情報と同じく?)必ず減衰するものである。ここで彼に渡した千円がそのままアフリカに届くことはありえない。旅費、事務費、送料、人件費など副次的費用がたくさん掛かる。したがって減衰率を明示している組織の方が良心的で信用できる。

「言い換えれば、他人の弱さを他人の武器にするのはかまわない」と明記した部分をきちんと読んでくれていれば、それがわかるはずなのだが、

飢餓に苦しんでいる人、は今ここにはいない。であれば、matsunaga氏の要求は、募金者は他者(飢餓者)の透明な代理人たれ、ということだろうか。それは無理な要求である。

 飢餓とは外部世界からのノイズである。ノイズをノイズであるという理由で拒否することは、飢餓を産みだすわたしたちの社会を擁護していることであり、合理的である。

経過

直(なお)さ、健やかさ

よりよき社会を求めるためには一切の中世的なものを否定して、古代日本の民族性に見るような直(なお)さ、健やかさに今一度立ち返りたいと願う全国幾千の平田門人らの夢

『夜明け前』島崎藤村第二部第四章四

平田派には精緻な正義論などない。しかし、直(なお)さ、健やかさを絶対的に希求する自らの夢を貫こうとするものだ。既存の国家への忠誠をその思想の核心にするものではもちろんない。敗戦後、裕仁が退位しなかったことは、彼らの美学的正義感に適うはずがない。

(9/23追加)

非其鬼而祭之。諂也。

02-24 子曰。非其鬼而祭之。諂也。見義不爲。無勇也。

子曰く、その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは諂(へつら)いなり。義を見てなさざるは勇(ゆう)なきなり。

http://kanbun.info/keibu/rongo02.html 論語・爲政第二(Web漢文大系)

金谷治訳では、「わが家の精霊(しょうりょう)(死者の霊)でもないのに祭るのはへつらいである。【本来、祭るべきものではないのだから】」、となっている。岩波文庫p49

『礼記』では「その祭る所に非ずしてこれを祭るを、名づけて淫祠と曰ふ」とまで言われてしまいます。

どこでこの文を読んだかというと篤胤の『新鬼神論』です。*1庶民が家に宮を設けて天照大御神を祭るのが上記に該当するのでは?という意地悪な質問があったとして架空問答している。

天照大御神は人々仰ぎ奉る日神の御神霊であり、王どもの死霊(しにたま)なんかじゃないんだから、矛盾は発生しないという答。まあそれはどちらでもよい。この文を引いたのは以下が言いたかったから。

靖国神社の場合、それが神になっているにしろいないにしろ、祭ってあるのは死者(即ち、中国語では鬼)である。小泉とかは、その精霊の家族ではない。したがって小泉の靖国参拝は「へつらい」であることになります。

ところで、

諂う、を『字統』で引くと、「貧にして諂ふ無き【論語、学而】は、容易ならぬことである。」とある。短い文だが、貧しい中からひたすら己の道を貫いてこられた、白川静氏の容易ならぬ生をかいま見ることができるように思う。

*1:p158 日本思想体系50

コミュニティを憎みかつ愛すること

パリーモン師がそれに気づいて、優しく尋ねた。「何になりたい、セヴェリアン?拷問者か?それとも、もし組合を去りたければ、そうしてもよいのだぞ」

 わたしは彼にきっぱりといった--それも、この示唆にちょっと驚いたという表情で--夢にもそんなことは考えていなかったと。これは嘘だった。成人して、組織との結びつきに同意するまでは、最終的に組合の一員と決まったわけではないと、すぺての徒弟が知っていた。もちろんわたしも知っていた。そして、組合を愛していたが、また憎んでもいた--なぜなら、客人の中には無実の人も混じっているにちがいないし、罪によって正当化される以上の処罰を受ける人がしばしばいるにちがいないのに、そういう客人に苦痛を与えなければならないからであり、また、非能率であるばかりでなく疎遠でもある権力に仕えて、そのような仕事をするのは非能率的で効果がないように思われたからである。つまり、それはわたしを飢えさせ恥をかかせるがゆえに、わたしは憎む。そして、それはわたしの家であるがゆえに愛する。そして、それが古い物事の典型であるがゆえに、弱いがゆえに、破壊不可能に見えるがゆえに、憎みまた愛するのだ、とでもいう以外にはこの感情をうまく表現する手段が見つからない。

p137 ジーン・ウルフ『拷問者の影』isbn:4150106894

 『拷問者の影』はまだ読み始めたばかりなのですが、少年成長小説的な骨格がはっきりしていて予想したいたよりずっと読みやすい。一人の少年の視点からだけ架空世界を描き、その世界のあり方が読者にも少しづつ分かっていく。SFらしいが少年の実存を通して世界が徐々に現れるという普遍的な小説になっている。

 さて、この断片をコピペしたのは、この間考えているナショナリズムとかとの関連において、です。