津波孤児は売買される

 スマトラで大きな被害を受けたインドネシア・アチェ州などで、孤児となった子どもたちが「保護」名目で連れ出され、行方不明になっている。ユニセフ(国連児童基金)の調べでは、その数は四百人に上るという。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050107/mng_____tokuho__000.shtml

 ユニセフは四日、こうした子どもたちの早急な保護を求める声明を発表した。日本ユニセフ協会広報担当者は「ジャカルタに運ばれた約四百人の行方が分からないが、地元紙によると、アチェ州からメダンに避難した孤児五十人が空港で行方不明になったという。アチェ州で推定三万五千人とみられる孤児が人身売買の危険にさらされている。さらに、スリランカ北部でも三千人以上の孤児が出ており、うち九十人が何者か沖地震津波に連れ去られたという情報がある」と警戒する。(同上)

 インドネシア国内の組織については、「売買の規模から、インターネットの普及で広がった国際的なシンジケートだということは分かるが、実態は分からない」(ユニセフ協会担当者)。上智大学の村井吉敬教授(東南アジア経済)も「人権団体の活動が活発なタイでは、人身売買の実態がかなり解明されているが、インドネシアは不明な点が多い」とした上で、「国内には、多数の人身売買ブローカーがいるが、ブローカーと密接な関係を持ち、被害増の元凶になっているのが国軍だ」と指摘する。

 

 佐伯事務局長が解説する。「インドネシアの予算では、国軍経費の三割しかまかないきれず、大部分は闇ビジネスで稼ぐしかない。大麻や違法伐採した木材の密輸、賭博場の用心棒代、勝手に設定した道路の通行税などと並び、人身売買が稼ぎ口になっている」(同上)

次のような話も、

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050107i113.htm

 「今月3日、2人組の男が来たわ。2人とも30代初めぐらい。キャンプを回って小さな子どもを見つけては、親はいるのかと聞き歩いてた」。バンダアチェの避難民キャンプで、主婦のアーティカさん(37)

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20050109#p2経由

遅くなった割には

(1)

えーとまず、話が戻りますが、

>どこで実害を及ぼしているのか

 少なくとも、おおやさんを不快にさせたのは確かです、他にもそういう人は多いでしょう。「強い責任理論」はそのような人々の「声」を聞くことを排除できないでしょう。

Aさんを不快にさせる、というのがいけないことなのでしょうか?これが分かりません。

国家法廷でないものが法廷と名のるのがけしからん、て別に詐欺を意図しているわけでもなし、何でそう言うことを言うのか、理解できません。

だいたい不快だと思えば見なければよいだけのことです。わざわざそれに関心を持ち文句を言う、というのはどうなんでしょうねえ。もちろんある種の愛国主義者なら分かるのですが。「わざわざ文句を言う」のは「それ」がAさんの十分には意識化されていない何かを刺激するからか、と深読みをするべきなのか?

(2)

天皇の責任は曲がりなりにも近代社会に生きていた以上先にそのレベルで問われるべきではと思います。ただ、民衆法廷の側の意図はそうではないかもしれません、

できれば、民衆法廷の側の主張をまとめたいと思っていますが・・・

(3)

私は「天皇」の罪を問わないことは、むしろ合衆国が決めたことだと思っています。そこでの合衆国の決定が、戦後・高度成長以降の日本人の行動の前提ではないでしょうか。日本人の「ねじれ」は主体性は確立したいけど、高度成長の成果は手放したくない、それを不当に手に入れたのではないかという不安を消し去りたいという衝動があるといったところではないかと思います。バブル崩壊以降に表面化したのもそのせいだと思います。

「天皇」の罪を問わないことは、むしろ合衆国が決めたことだ、というのはそのとおりですね。右翼の側は、東京裁判賛成=左翼という自分たちが勝手に決めた図式を今でも信じているので、東京裁判を左から覆す勢力が登場したときの対応が支離滅裂のような気もします。

「そこでの合衆国の決定が、戦後・高度成長以降の日本人の行動の前提ではないでしょうか。」えーそうですかねえ。タブーが存在しているという事実に対しその説明をしているだけだと思います。

わたしにとって民主主義とは、憲法1条を私が否認するという意志表示を公にする(ことができる)という事実に掛かっています。*1

「高度成長の成果は手放したくない、それを不当に手に入れたのではないかという不安を消し去りたい」。

経済の利益だけ考えて、東アジア重視は駄目でアメリカ追随の方がずっと有利という判断をしているのならそれはそれで良いと思うのです。そこになんか「不安」とかなんとか心理的要因が何故入ってくるのか?主体性を確立したいとは本心では思っていないのではないか。ただのマザコンなのではないか。心理学用語を使うのは良くないと思いつつそうぼやきたくもなりますね。

(4)

 ところでデリダと法学は「批判法学」と一括される学派で結びついています。でも、この学派の入門書など全くないようです。私は主に「20世紀の法思想」中山竜一に頼っています。

「20世紀の法思想」という本も前に誰かが薦めていたなあ。

ドゥルシラ・コーネル『自由のハートで』という本は持っているんだが*2、法学(法哲学)の本なのだろうか。ただのフェミニズムの本かと思っていた。

*1:ですからわたしの主張が通れば次はまた別のことを考えなければいけない。まあそんな心配は50年ほどは不要だが。

*2:読んでない

foursue発言(2回目)

# foursue 『まず、あなたが言う国際社会はようするに白人主体の社会でしたね?

次に満州国建国の前提ですが、http://d.hatena.ne.jp/ShinShinohara/20050108を読んでください。このため日本人が飢え死にしないように手を打つ必要がありますね?

石原莞爾の賭けと立証される機会ですが、賭けであるというのは予測の範囲を出ませんし、立証される機会など得られるわけがありませんね?この部分はあなたの文章にとって蛇足でしょう。

次に「南京大強かん」ですが、まず、南京というのは要塞であり中華民国の元首都であり戦場になる可能性の非常に高い場所でした。そこに一般市民を放置している中国軍にむしろ私は怒りを感じます。普通、日本軍であれば一般人を無理にでも退避させます。

次にキャンペーンですが当時も確かにアメリカなどの数誌が取り上げてます、しかしそれは戦時中であり、しかも取り上げた多くが日本にとっての敵国であり数字もばらばらです。すべてを信頼することはできません。そのだいぶ経った後キャンペーンが拡大したのは中国が外交カードとするためとも取れます。

最初に書いた国際社会が白人社会であったという事実があるので、甘ったれた事は言っているとは言えません。

誹謗中傷することで感情を満足させる行為はあまりお勧めしませんよ。

それと

”すでに「南京大強かん」を起こしてしまったのでそれは大々的にキャンペーンされ、”

から

”開戦を国民に納得させる手数は大幅に省かれた。”

の繋がりが日本語として意味を成しません。小学生でもわかるように書いてください。

最後に言いますが、私の著作物全文の半分以上を引用とは言えません。転載です。

リンクを張るだけで十分ですので読者の誤解を避けるために転載部分を削除してください。

あなたのページに多々見られますが無断転載は明らかな著作権侵害です。

著作物強姦はやめた方がいいと思います。』

応答が遅れ失礼しています。

女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)

 について考えてみよう。

http://www.awf.or.jp/

女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)

アジア女性基金は1995年、政府の決定により設立されました。「慰安婦」とされた方々への道義的な責任を痛感した日本政府が、国民と協力して、償い事業など以下の各事業を行うために発足させたものです。

基金はまた、「慰安婦」問題に関する歴史資料の収集と編集、公刊に力を尽くし、募金活動の中でも「慰安婦」問題についての認識と理解を社会に広める活動を行ってまいりました。募金活動へのみなさまの積極的な参加もあり、「慰安婦」問題についての認識と理解を高めることに寄与することができたと考えております。

「慰安婦」問題についての認識と理解は日本社会に広まったか。この十年間で慰安婦たちも皇軍兵士たちもその多くの部分が亡くなった、残っているのは1割くらいかもしれない。そうした絶対的忘却に加えて、id:noharra:20050205#p1 で引用した星野氏の文章にもあるように、「戦時中に日本が朝鮮や中国に対して行った行為についても、なかったことと見なす人が増えている。」ナルシスティックな歴史歪曲だ。慰安婦のことを自分が知らないという初期条件を無視して、NHK問題を語りうるとする鈍感さが当たり前のものとされている。NHK問題という論争的言説の根拠にはそうした倒錯があるように感じられた。そこで、慰安婦の証言をコピペしてみたわけである。id:noharra:11001201 に再掲してみた。

 慰安婦の請求が法的に認められるべきかどうかという議論にはわたしは興味はそんなにはなかった。その前段階での、慰安婦の声を聞くこと、顔を見ることが大事だと思った。

「慰安婦」問題についての認識と理解を社会に広めることは、国家に準ずる団体である平和国民基金の趣旨である。したがってわたしのコピペもその方向にそったものである。ところが、下記を読むと慰安婦が強制的に送り出されたものなのかをめぐって、2003年まで長い間議論になったなんて書いてある。まあそれでは「慰安婦」制度の根本を押さえずに創った制度として、慰安婦本人たちに忌避されても当然だろう。「責任を痛感した」といくら言っても本人たちに忌避されざるをえないような向き合い方では謝罪にはならない。償いとは何かよく分からない。金をやっときゃあ良いだろうという金持ちの傲慢さと受け取られる。

 id:noharra:20050211#p5 でも書いた戦争責任をどう取るかという根本が確立できず、謝罪を形にしなければならないときに答えを出そうとすると常に右よりのナルシズムによって答えの形成が妨げられてきた長い長い戦後があったわけである。「答えの形成が妨げられてきた長い長い戦後」とは右翼も言いそうなフレーズではあるのだが、でも60年の歴史を省みてみれば妨げていたのは体制派の方だ。反省の代わりに憲法9条=平和主義を全面に押し出す形で、答えの形成を先送りしたまま今まで来た。

「やぐら」運営中

かげm 『ゲストブック欄のかきこみありがとうございました。金時鐘のメモは読みにくいと思いますが(文脈がないと読めない)、そんななか見ていただいてありがとうございます。

「やぐら」ですが、現在も石垣★Cafeとして24時間運営されており、異様な雰囲気をかもしだしています。ちなみに「次世代メディア」とぼくは書いていましたが、実際は「新世代メディア」と書いています。そこはぼくの間違いです。カフェのHPもできているので、ぜひ見てください。』(2005/03/09 09:31)

「卒業式におもう。」

# azamiko 『トラックバック送っていただきありがとうございました。

ずっと、議論されてこられたのをちらと拝見(^-^;

こういう議論は参加していないと読むのは辛いものがありますが、議論が成立しているところが羨ましく思えました。当たり前といえば当たり前なのですが。

雅子さま報道について書かれていたことも印象に残りました。

これから、ロムさせていただきますのでよろしくお願いいたします。』 (2005/03/30 10:41)

(野原)

azamikoさん。丁寧な御あいさつありがとうございます。

雅子さま懐妊報道についての文も読んでいただいたそうでありがたいです。

ここでの(君が代関係)議論はレベルは低くないと思うのですが、論点が拡散してしまったきらいがあります。ちょっと(というかだいぶ)読みにくいですね。・・・

id:azamiko:20050312「卒業式に思う」を読ませてもらってとても感動しました。

できれば感想を書きたいです。今後ともよろしく。

コメントスクラムの被害者を励ます

http://blog.livedoor.jp/akyoko3/archives/18605869.html K’s Room:日の丸と憲法9条

がコメントスクラムの被害を受けている。

前日のコメント欄に下記の通り書き込みました。

http://terutell.at.webry.info/200504/article_2.html 多数の一般人が少数の一般人をたたくブログ界隈 てるてる日記/ウェブリブログ

からきました。野原燐といいます。はじめまして。

前日に書き込みしてすみません。

コメントスクラムはうっとおしいですね。

日の丸が多くの日本人に好かれていない理由は、日本人にも莫大な被害を与えた「大東亜戦争」を、肯定的にズラして総括しようとする勢力(自民党+プチウヨ)に対する反感があるからだと思います。

コメントスクラムにどう対応するかは難しいですが、ほんのちょっと休憩し、その後淡々と自分に興味のあることを書き続けて行く、くらいの対応でも大丈夫かも。自分の幸せを追求し表現していけば、亡霊たちは消え去ります。(ほんとかな?)

消耗せず、お元気で!

        野原燐

この発言に対するコメントは下記にどうぞ。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050414

小泉首相のバンドン発言

 50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、我が国は、平和国家として、国家発展に努める決意を表明しましたが、現在も、この50年前の志にいささかの揺るぎもありません。

 我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。

ここまで言うなら当然「靖国参拝止めます」となるはずだ。諸外国もそう思っただろう。

 第二に、平和の構築が重要と考えます。平和と安定こそが経済発展の不可欠な基盤です。我が国は、これまで大量破壊兵器等の拡散やテロの防止に力を注ぐとともに、カンボジアや東チモール、アフガニスタン等において平和の構築のために努力してまいりました。今後、中東和平推進のためのパレスチナ支援や、平和に向けてダイナミックな動きを示しているアフリカに積極的な支援を行ってまいります。無秩序な兵器の取引の防止、法の支配や自由、民主主義といった普遍的価値の普及は我々すべてが積極的役割を果たすべき課題です。

アフガニスタン、イラクにおける「努力」は評価できない。「中東和平推進のためのパレスチナ支援」は現にパレスチナを抑圧しているイスラエルとを抑える努力抜きに行っても意味はない。またネオコンとヨーロッパとかの間で「自由、民主主義といった普遍的価値の普及」という言葉の意味について大きな差異があるので、どちらを選択するのかが問われる。以上のような問題点はあるがまあ優等生的な発言だ。

イザナギかイザナキか

イザナギかイザナキか、ふと気になったので、西宮さんの神名釈義(新潮古典集成)をみると「・・・「き」が清音であることが分かる」とあったので、今回「イザナキ」に直してみた。*1

hatenaではイザナミはキーワードだが、イザナキorナギはない。

*1:岩波文庫の『古事記伝』では針の先ほどのルビにギのテンテンがあるのだが