小泉は「市評議会などの存在により治安は安定している」と衆議院本会議で述べた。が実際には、市評議会は24日に解散している。派兵は根拠を失ったので撤回すべきだ!!
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恥ずかしながら
本に埋もれて暮らしていますなんていっても大層なことではなく、手に取る本に比べて読み終わる本が少ししかないというだけのこと。今日掃除(万年床を上げて掃除機を掛けるだけ)するといつものように二十数冊積み上がった。
そこで六月からの読書計画*1
1.ルカーチ『若きヘーゲル下』
これは図書館から借りる。上は少し読んだだけだが下だけで良いことにする。
2.ヘーゲル『哲学史講義 下』今見るとアラビアの哲学からシェリングまで全部入っているから読んで損はなさそう。
3.本居宣長『古事記伝』 文庫本をそろえなければ…
4.『山崎闇斎学派』
5.漢文入門(いつまで言ってるのやら)
6.相良『伊藤仁斎』(図書館から何度借りても読めない)
7.ラシュディ『真夜中の子供たち 上・下』最近ブックオフで購入。(気が向けば読む)
他・上野千鶴子他『当事者主権』(買おう)
それ以前に読めそうなもの
・中山元『始めて読むフーコー』
・子安宣邦『日本近代思想批判』岩波現代文庫
・宋斗会『満州国遺民』isbn:4833105225
・松沢哲成『天皇帝国論批判』れんが書房新社(古本屋で購入)
・吉本隆明『「ならずもの国家」異論』
・仲能健児『インドにて』幻冬社文庫(マンガです、読むの忘れてた。傑作のはず。)
『デリダを読む』情況出版もせっかく持っているのだから少しは読もう。
本を読むなど愚かなことだ。ぼたん雪が舞っている。「 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。(三好達治)」みたな立派な雪だ。ここでは積もらず溶けていってますが。木の葉の上にだけ積もった。
*1:3/21までは、バタイユ/ヘーゲル/デリダを少し、それ以後は松下昇を読む予定
一般経済学?
ほんとに出来が良くはないので公開したくもない。などと言い訳はよそう。デリダの「限定定経済学から一般経済学へ--留保なきヘーゲル主義--」について、今日ささやかなレポートをした。そのために作ったレジュメ。htm化したので読めるかどうか?
消したり書いたり
4/11日の記事に下記の2項目を書いたが、一旦削除しました。高遠さんたちがかえってきてから再UPしようと思ったのですがまだですねー。
馬鹿であることが最高の価値であるというバタイユ的価値転倒の立場に立った文章ですのでご容赦ください。という註釈付きで再UPしておこう。ご迷惑おかけしました。
善意にもとずく運動
http://www.ac-net.org/honor/ という頁が最近出来たようだ。「イラクで人質になった方々の活動に敬意を表し、これらの方々への非難・中傷を直ちに止めるよう訴え」ている。人質5人に対するバッシングには反撃すべきだと私も思う。 でもね・・・ 一応書いておくと、下記のような表現は、私には違和感がある。善意のひとによって善意の人に呼び掛けられている。政治的発言とは「敵/友」の分割線を引き直すことではないのか。いくら善意だけで発そうが「自衛隊撤退要求」は政治的主張である。どんな動機で行こうがいまどきイラクへ行くことに対しては、自らの思いからは一方的と思える政治的な評価をさまざまな陣営から受けてしまうことになるのはしかたのないことだろう。(もちろん今回のように日本中に情報が浴びるように注ぎ込まれる状態は予想外であり彼らにとっては被害以外の何物でもないでしょうが。)善意ではなく、常識と知性に訴えかけていけばそれでよいと思う。
しかし、5人の方々は戦禍のイラクの悲惨な事態に心を痛め、ジャーナリストとして、また草の根のボランティアとして、イラクの人々に人道支援の手をさしのべようとした若者です。
本名とは何か
地村夫妻という人たちがどういう方なのかさしたる興味はない。なら書かなきゃいいのだが。今日新聞の一面に載っていた。22歳から16歳のわが子に対し日本名を付けたという。いままでの名前は偽りのものだったのか。その子への愛情といままでの名前への愛情は切り離せるものなのか。親子を取り巻く政治的社会的関係が(今にして思うと)不本意なものであったとして、20年の歳月はリセットなどできない。今までの名前を変える必要などない。家庭内のことだから勝手にすればいいのだが、私が書いているのは、おそらく逆の作用(日本名に改名するのが自然だとする意見)が家族に働いた可能性があるに違いない、と思ったからだ。日本は北朝鮮に負けないぐらい不自由な国である必要はない。
根源的なものにたいして受動的
高島氏の本からのノート。丸山真男は山崎闇斎のことを「あまりに敬虔な朱子学者」と呼んだそうですが、高島氏によれば、朱子学と闇斎学は全然違う、ということになります。*1
例えば「天地の間は唯理と気のみ。しこうして神なる者は、理の気に乗りて出入りする者なり。」という文は朱子の文であり、闇斎の文でもある。しかし、同じタームを使って述べていても発想の根拠が違うのだ。違いを簡単にまとめると、以下の如し。
朱子学:
人は聖人となり、太極という天地の動きの根源そのものになると考えられている
主体性の極限へ向けての能動的な上昇の方向を持つ
闇斎学:
教えによって、この太極から流出する働きにひたすら随順することが思われている
根源的なものにたいして受動的
天理はすでに人に与えられて内在するものであり、それを自覚にもたらすものが教えであり学問にほかならない
で、ここから話は急に飛ぶが、
昨日NHKの広島をテーマにした番組「復興」というのを見て、市の中心部がすべて焼け跡になりわずかなビルの残骸以外文字通り何もないリアルな画像を見て、ショックを受けました。それがわずか数年で力強く復興していくのはやはり人類史に残る「復興の物語」として普遍的な力を持つものです。そしてアメリカの犯罪をあくまで追求するという方向をとらなかったことについても、追求することは正義を求めることであるがやはり憎しみを保存し場合によっては強化することであるので、少なくとも半ばは良かったと評価すべきでしょう。何もない荒野のイメージからの衝撃を持たずにヒロシマに言及してはいけないと、自戒しなければいけないと思った。
そして広島では今年も例の如く「平和の誓い」なるものが宣言された。いまグーグルで探したら適当なものがなかったので、だいぶ古いものを引用する。「広島平和宣言(昭和57年)
燈燈無盡‐ヒロシマの平和の心は、すべての人々に受け継がれ、語り継がれなければならない。」http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/hiroshima-j/etc/20040305org00m040995000c.html
ここでは、「ヒロシマの平和の心」というのがアプリオリに置かれている。ここには「天理はすでに人に与えられて内在するものであ」るのだという前提と、したっがって私たちがしなければいけないことは「それを自覚にもたらす」ことつまり平和教育、「教えであり学問にほかならない」という方法論がある。これって闇斎主義そのものではないか。とちょっと思った訳であります。
わたしはこれまで戦後平和絶対主義を、宣長の思想や京都学派など色々なものと似ていると強弁してきました。わたしの主張は飛躍と矛盾ばかりだといわれるでしょうがもうちょっとがんばって材料を集め、数年がかりでなんとか話をまとめたいと思っています。
ところで、「ヒロシマの平和の心」とは何だろう。我が家を中心に都会がすべて荒野になったときひとは何を思うのだろう。一つは「戦争遂行は間違いだった」という思いだろう。NHKの番組に出てきた広島市の課長さんなどは当然国家の戦争遂行を下部で職務として支えていたわけだ。彼は私のしてきたことは間違いだったと娘に懺悔する。儒教的には政治は民の生きることを支えるためにあるのだから、彼の懺悔は当然だ。だが平和とは何か。国家は戦争する権利はないのか。そうだ国家は戦争する権利はないのだ、と彼は考えただろう。日本国家は戦争する権利がない。アメリカも中国も、そして日本人の少なくない部分もそう考えた。だが三者の考えたことは(もちろん?)三者とも全く違ったことであった。そして59年後、ヒロシマの中学生は何を「平和」といっているのだろう。わたしにとって平和とは何か?それは自衛隊と米軍に守られた欲望資本主義の現状のことではないのか。それとは違う何かがある、と私は言えない。だからわたしは「平和」という言葉を肯定的に使っていくつもりはない。
戦争の不在を求めることが、国家による国家に至らないエスニックグループや個人に対する抑圧を放置することを伴ってはいけない。対北朝鮮融和主義には反対しなければいけない。
*1:isbn4-8315-5043-9 同書p39-40
小さな神たち
記紀で興味深いのは、理解できないような異様な音のつながりをもつ言葉(神の名前など)たちである。神話体系としては主神が誰でそれに次ぐものが誰なのかというヒエラルキーが不分明だ、と指摘できる。
古事記の最初の神々を木村紀子氏の整理により記してみよう。*1
1.天之御中主、天之常立神(とこたちのかみ)、国之常立神、
ここだけにしか名がみえない抽象観念的な独神、三神。
2.高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)
別天神で「隠身」といわれながら、後に天照大神と並び高天原の神としての存在が語られる二神。
イザナギ(伊邪那岐)、イザナミ(伊邪那美)
3.ウマシアシカビヒコジ神
ウヒジニ(宇比地邇)、イモスイジニ(妹須比智邇)
ツノグイ(角杙)、イモイクグイ(妹活杙)
オオトノヂ(意富斗能地)、イモオオトノベ(妹大斗之辨)
オモダル(於母陀流)、イモアヤカシコネ(妹阿夜訶志古泥)*2
全く地上的で卑小な具象形容をもつ神名のグループ。
3のグループは名前が出るだけで何の活躍もしないのですが、高貴そうでない奇妙な名前は興味深い。
1.のグループは、3.の感覚とは全く違った高い抽象性を操る能力(中国由来のものだろうが)をうかがわせるもので、3.よりかなり後代に追加されたものだろう。富永仲基の「加上説」の好例だと思うが、そう主張したひとはいたのだろうか。
*1:p58『古層日本語の融合構造』平凡社 isbn:458240328X
*2:豊雲野神は例外とする
(8)男女に差はある(10/28追加)
Cman 『あなた(方)の考えは、男女に遺伝的な違いがあるならそれを矯正すべきだということでしょうか?それとも遺伝的に違いはない、つまり、人間は空白の石版だと信じているということでしょうか?』
えーと。xyとyyだったかなとよく分からなかったので(恥)、
http://homepage2.nifty.com/kimura-c/topics/seibunka030309.html 性分化の機序 と言うところを見て勉強してみた。
(23,X;22本の常染色体と1本のX性染色体を含めて合計23本)
(23,Y;22本の常染色体と1本のY性染色体を含めて合計23本)
精子にはxかyか二つの可能性があるが卵子はyだけ、で授精で性が決定される。(例外はある。)つまり男女に遺伝的違いはあるでしょう。それで・・・
統計的な男女差とは例えば男女の平均年収の差とかだろうか。その差を「遺伝的に説明できる」とするその理屈が分からないのだが?
何故病院を襲うのか?
ファルージャで一般市民に対して何が起きているのかを考えるとぞっとする。4月のやり方と同様に,米軍はファルージャ総合病院を襲い,病院を町から切り離した。4月と同じように,彼らは医療サービスを断ち切った。またひとつ,戦争犯罪を犯したのだ。
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-bf969607c15436ebd7b359765e6c65bf.html Falluja,
米軍は封鎖したファルージャ市を包囲し、市の壊滅に乗り出す準備を行っている。米軍は今や路上を移動するものはすべて攻撃対象とし、屋外に出た15から55才の男性はすべて、躊躇することなく殺害する、と市民に通告した。
[ANSWER] ファルージャの民衆と共に立て より