吾人の観たる多くの偉人は何物よりも故郷を愛するの念強かりしが如し。*1
故郷(パトリ)も愛せないくせに、「日本国及び国民の誇り」なんて言ってんじゃねえぞ。>プチウヨ
*1:中里介山『中江藤樹言行録』内外出版協会p26
怒りにかられた男に楽屋に引きずりこまれる。先ほど渡した名刺はクシャクシャにして投げ捨てられた。拳で4、5発殴ったうえ、男は私の髪をつかんで頭を壁に打ちつけた。私のリュックサックとバックを奪い、床に打ちすて、ふみつけにする男。男はリュックを拾いあげ、ふりかざされたリュックは凶器となって私の頭部を直撃した。持ち物が壊れ、メガネがゆがむ。そして、男は私の顔面に唾を吐き捨てた。(*1)
http://shibuya.txt-nifty.com/blog/2004/11/index.html ゆるい日記: November 2004 Archives 2004.11.01
「お笑い界は感覚がマヒしている」という言葉は正しくない。「オトコ界は感覚がマヒしている」と言うべきなのだ。「お笑いの世界は……」という時、人は自分の世界のことを棚にあげている。「まったく芸人はしょうがないね」なんて言ってりゃ、自分のしょうがなさに目をむけなくて済む。(同上より)
社会学者・渋谷知美さんのサイトから一部だけ引用させてもらいました。
―島田紳助の暴力事件というニュースを聞いたとき、何の興味も持たず、テレビも見ないので忘れていた。今も詳細には興味がない。
うちの職場では、女性の課長が1割強しかいないから(そのうち)3割に増やすべくプロジェクト会議を開いたりしているようだ。平和な話である。もちろんセクハラ事件があって云々という話もあるのだがそれほど身近に感じていなかった。それで上記の暴力描写にちょっと驚いた。それだけ。
(追記)
野原燐が「それだけ」と書いているのはちょっとおかしい。
論点は少なくとも二つ在る。
この問題には、殴った側がベテランタレント、殴られた側が入社4、5年の社員という非対称性、そして殴った側が男性、殴られたのが女性という地位とジェンダーをめぐるふたつの非対称性がある。(同上)
という権力関係の不均等が、露骨な暴力シーンの表現を(マスコミにおいても、ブログにおいても)抑圧しているという問題。
それとわたしの身体に暴力性はある、という問題。
有名な論理クイズ
多湖輝の「頭の体操 第1集」の前書きにあった論理パズル。出典も書かれていたと思うが忘れてしまった。
ギャグではありません。純粋な論理パズルで、私が知る限り、紙と鉛筆を使わずに解ける、最も難しいクイズです。
白い帽子が二つ、赤い帽子が三つある。*1
王様が三人の男を一列縦隊に並ばせて、それぞれに五つの帽子の中の一つを被らせ、残りの帽子の色が彼らにわからないように厳重に隠した。
一番後ろの男は、前のふたりが何色の帽子を被っているか見えているが、自分の帽子の色はわからない。真ん中の男は、いちばん前の男が何色の帽子を被っているか見えているが、自分や後ろの男の帽子の色はわからない。いちばん前の男は誰が何色の帽子を被っているか、全くわからない。
王様は、まず、いちばん後ろの男に自分の帽子が何色かわかるか質問した。男はわからないと答えた。次に、真ん中の男に同じ質問をした。男は、やはりわからないと答えた。
さて、ここで問題。いちばん前の男は何色の帽子を被っているだろうか?
多湖輝の「頭の体操 第1集」だってなつかしいですねえ!40年前です、歳がばれますが。
id:dempax:20041123 で応答もらったが、
それを読んでしばらくして、最初の問題に二つの違った解釈がありうること。
どちらにしても、ちょっと不備のような気がしてきた。
いままだきちんと説明できません。スミマセン・・・
それに比べると上記多湖輝の問題は明快です。
*1:「その1」に合わせて赤と白を入れ替え。
先日、AJさんから釜ヶ崎炊き出しの会の機関紙「絆通信・号外」の写しを送ってもらった。
その会の代表の稲垣さんという方が、12月20日不当逮捕されたという。
不当な事後逮捕という点では、id:noharra:20040228#p5で触れた「立川市の自衛隊官舎ビラ入れに対する逮捕」に似ている。だがネットではそれに比べると、ほとんど言及されていないと言える。そこでここに(も)ちょっと紹介してみよう。
紹介がないと言ったが全くないわけではなく、下記のアート系掲示板では紹介されている。そこで一部そこからお借りしつつ要約してみる。
1.11月25日西成警察署で二人の労働者が暴行を受けた。
http://www.009net.com/tlo/bbs/apeboard.cgi TLO BBS
まず11/25夜に、西成市民館の前でKさんとその場で知り合ったAさんとのあいだにちょっとした金銭トラブルが起こり、通りがかりのIさんが間に入り解決しようとしたが、らちが明かないため、「それなら警察へ行って話をつけよう」ということになり3人で目の前にある西成警察署の一階受け付けにいきました。
出て来た私服警官がKさんを階段、Iさんをエレベーターでそれぞれ上にあげ、別々の取り調べ室に入れました。そしてKさんは、目にいきなりスプレーを吹き掛けられました。痛くて目が開かない状態のなかで、踏まれ、蹴られ、靴等で頭をたたかれ、逆エビ固めをされ、全身打撲を負い、本人の記憶にないままに調書をとられ、指印を押したということです。
一方、Iさんもやはり取り調べ室に入れられたとたんに倒され、踏んだり蹴ったりされました。私服警官が同乗の救急車で杏林病院に運ばれ治療を受けました。全身打撲、左の眉毛の上と額を合わせて6針も縫う怪我でした。右の頬には私服警官に踏まれた靴のあとが残っていました。
2.この件で相談を受けた稲垣さんを中心に、西成署への抗議行動が行われた。
西成署への抗議行動は、12月2日から5日まで連続4日間行われました。「暴行をはたらいた警察官は本人に謝罪せよ」というものです。初日から多くの釜ヶ崎の労働者が西成署前に集まり、事実経過をマイクで話す稲垣さんの説明に聞き入りました。時間と共に抗議に参加する労働者は増え、一時騒然となりました。稲垣さんはマイクを握って「手を出したらあかんよ、殴ったり蹴ったりしたら西成署の暴力と一緒になる」と声を張り上げ、混乱の収拾に努めていましたが、その混乱の中で一人の労働者がケガをしたのです。このケガについて、西成署は「稲垣が教唆した傷害事件」だと言うのです。
「絆通信・号外」より
3.
12/20に「稲垣浩が暴行を扇動した」として稲垣さんを逮捕しました。
労働者Aさんも、その労働者にケガをさせた一人だとして逮捕された。
4.
12/28に大阪地方裁判所で稲垣氏の勾留理由開示公判があった。
裁判所は警察の言い分をそのまま採用した。
5.
「2人に対するまったく不当な逮捕ですが、大阪府警と西成署は「メンツ」にかけて起訴に持ち込むものと予想されます。」
「家宅捜査で押収されたものが、西成署で暴行を受けた労働者の診断書やその時聞き取ったメモ類だった」ということからも、この逮捕の第一の目的は「1」に書いた【警察が市民を暴行した】という犯罪をないものにしようとすることだと思われる。
わたしたちが注目しなければ、彼らが敗北するのは間違いない。だいたい彼らはボランティアであり彼らを抑圧することは私たちにとってメリットはなくデメリットだと思われます。
id:noharra:20050123 に N・Bさんからコメントいただいた。
1/23は長くなり過ぎなので、こちらに再掲しお返事します。
# N・B
「はじめまして」
『 どうも、ちょっと「法と正義」の問題について思ったのですが、「正義」は論理的根拠としてではなく遂行的に現れるとすると、これは案外おおやさんの立場と近いのではないでしょうか?梶さんの議論は梶さん自身の関心においては彼の「正義」を示していると思います(私はある程度それを認めますし正当だとも感じます)。お二人の言説は「責任のインフレーション」(北田暁大)という事態が思わぬ反動的効果を現すということの現われとしても指摘としてもきちんと検討すべきではないかと思います。
現在の状況は私は最も近くの権力への服従という結果がもたらされるとい
う意味で、政治的ロマン主義(それにシュミット自身)の帰結が参考になるのではと思います。ただ前提として、かつてドイツでそうっだったように自覚的思想のレベルではともかく、梶さんやおおやさんと「共有してしまっている」何かがあるのではないでしょうか?それが歴史からの反省ではないでしょうか。お二人の言説は政治的立場はある程度違っても「現実主義」という流行の罵倒語でくくれると思います、お二人が「専門家」として語ることはその現われと思います。しかし「現実主義」が勝利してしまう理由のきちんとした解明とそれに対抗する手段を私たち(失礼!)が持たないのも確かだと思います。先に出した北田さんの「責任と正義」はそういう状況に対する打開の試みと思います。ライブラリ相関社会科学の最新号(すいません未見です)などにかかれている思想史家の議論もそういう意味で参考になるのではと思います。どうも釈迦に説法のようですが、すいません。失礼します。』
丁度百年前の日露戦争がどのような色合いで回顧されているのか知らないのだが、体験者の櫻井忠温の回顧などよりずっと口当たりのよい物語ばかりが反復されているのではないかな。
JMM最新号に山本芳幸氏の「 ■ 戦争と人道支援 番外編「Fallujah 3」」にも、日露戦争の話が載っている。日露戦争は「有色人種が初めて白人と戦って勝った」話として、世界中の非白人の間に有名だ。有名なのは事実だし、日本人としてはそのことに誇りを抱いてしまう。
でも本当にそうなのか。それが事実であるならそれと同じくらい下記も事実なのではないのか。日本人は英国の遠大な外交政策の道具の一つとして使われただけだ。
日本は国家の生死をかけてロシアと戦った。ちょうど、オスマン・トルコの圧制から脱して自分達の国を作るために懸命に戦ったアラブ人のように。しかし、アラビアのロレンスは本気でアラブ人の解放を信じて戦ったかもしれないが、ロレンスもアラブ人もイギリスの道具に過ぎなかったのだ。ロシアと戦う日本がイギリスの道具に過ぎなかったように。
ロレンス、アラブ、日本は、ロシアの南下政策を阻む強固な防衛線を築くための金太郎飴政策の道具であったということ、かつそれが主観的には国家の独立のための戦いであったという点で、20世紀前半における歴史の運命を共有していたと言えるだろう。
日本はアメリカと戦争して負けた。60年経って日本人はアジア人アイデンティティを喪失し疑似白人意識のまま、イラク占領に加担している。それでいて東京裁判史観粉砕とかまじめに唱えているつもりの馬鹿もいるから可笑しい。
山本氏のサイトとブログ。
swan_slab 『>「大切な人」同行
もしいなければ、弘法大師でも十字架でもなんでもいいから”偶像”を崇拝しなさい、悪いことはしないとあなたの神に誓いなさい、みたいな話と結局は地続きになっているわけですよ。自分のこころのなかは基本的に自分自身で区画整理するものですよね。ここまではいいだろう、といった判断が恣意的に公権力によってなされること自体がおかしい。
なのに、
「現場からは「犯人を追いつめる危険な任務の時にはちゅうちょしてしまう恐れがある」といった声も出ている」という、ある意味、問題の本質に無自覚な問題提起の仕方に私には不気味な傾向に感じるのです。
憲法問題を中心にブログをかきはじめたのは、この記事がきっかけでした。』
# N・B 『 なんかまた迷惑をかけてすいません今回は他の人まで巻き込んでしまって。
とりあえず、野原さんが最も違和感を覚えたと述べたところの釈明を、これは指摘されて気づいたんですが、私自身が確かに無意識に日本とアメリカと自分と身の回りの社会の関係を結び付けてました。どうも、自分の隠された動機を述べてしまったようです。
ただ、日本の「自立」に関しては、メキシコのように国境のフェンス(農業労働などを行うために「不法」入国しようとして、今も数百万人が「不法」移民として働いてるそうです)が両国の歴史の反復であるかのように毎年多くの人の命を奪っている国では人々は嫌が上でも関係を意識せざるを得ません。やはり、日本では戦後の経済発展で受けた恩恵があまりに大きいので(もちろん、犠牲は別のところでら出たわけですが)忘れることが可能であったと思います。藤原帰一さんが「戦争を記憶する」でフィリピィンなどに比べた日本の鈍感さを指摘していたと思います。しかし、日本の経済や政治システムがどれほどアメリカから自立しているのかはまだ私にはよくわかりません(ヨーロッパに比べるとあからさまに行動は従属的ですが)。実は問題のエントリーについて書き込もうと最初はしたんですが。
野原さんの「三者三様の矛盾」での推進派の矛盾が却って彼らの力になるという状況はある程度その辺りに理由があると思うのですが。もうひとつはスワンさんの指摘した「公共の福祉」に関する問題ですね(このあたりの皆さんの議論は大分参考になりました)。
>お互いにヘンな奴だと言い合うのは健全
確かに何も見ようとしないよりは進歩だと思います。
>スワンさん
ここに書き込むのがいいのか微妙ですが、とりあえずこのブログの文脈なので。えーと普通の意味での「モラル」にたいして、レイコフの「モラル」という概念は言語学者としての彼の人間の言葉の意味(メタファー)の理論に基づいて、私たちが政治的道徳的な思考や発言をするときに、大きくわけて二つの相容れないモラルのメタファーのシステムを持っている、それらは同じモラルを使うが優先順位の差によって違ったものになります、保守とリベラルであるというものです。そして、このシステム(モラル言語)に基づいて色々な同じ出来事や人物、議論に対する判断の違いが説明出来るというものです。レイコフは、90年代の保守の伸張などの論点に対する既存の(アメリカの)政治哲学や議論の無力と混乱を身にしみて問題の本を書いたそうです。レイコフの最近の情勢への分析は現代思想臨時増刊2001/10、「これは戦争か」で読めます。ただ、もちろん万能の理論でないことは前提ですが。
http://homepage2.nifty.com/nishitaya/intro4c12.htm
第2節に、レイコフ理論の説明があります。
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1028182794/E320095057/
レイコフの考え方の革新性について私なんかよりずっとよく説明しています。
スワンさんへの返事としては、法を成立させる過程、それを解釈する法廷、その運用の場面などで、レイコフのモラルは働いているのではないでしょうか、「実質的正義」とはまさにこれらの具体的場面で意見が分かれるとき「モラル」の違いが露出することではないかと思います。もうひとつ二つの愛国心については、どうも、二つの「モラル」の違いと対応しているのではないでしょうか。
なるべく短くするつもりだったのですが、わかりにくい長文申し訳ありません。』 (2005/03/24 10:21)
http://d.hatena.ne.jp/azamiko/20050312
きびをむく少女の指先傷つきてラムの琥珀酒カリブの海より来たる – 梅の花もほころび。
azamikoさんのコメント欄が大変なことに!
fantomeye 『親とか教師の人からしてみれば自分たちはいいことしている、間違っていないと考えているのかもしれませんが、私達生徒の思い出を作る場に土足で入ってきて身勝手なこと喚き散らしている以外のなにものでもないんです。国とかのやり方に文句があるなら役所でやってください。(略)
(野原)
fantomeyaさん はじめまして
「私達生徒の思い出を作る場に土足で入ってきて身勝手なこと喚き散らしている」のは、横山教育長の側か?、それとも処分された教師の側か?
「子供たちが主役の舞台」を勝手に変更して「日の丸を正面に据える」よう変更を命じたのは東京都にすぎません。
もし自分の子どもがあなたと同じような考え方だったらと思うと恥ずかしくて顔から火が出そうです!