日本民族の特殊な使命

高山岩男にも良いところはあった。

「従来の世界史における世界の構造は、……中心と周辺との支配隷属関係であった。かかる世界の構造は変えられなければならぬ。真実の世界の構造は一が多を統一し、多が一に帰属する関係ではなく、多がそれぞれ独立しつつ一である如き構造でなければならぬ。……欧羅巴的世界から世界的世界への過渡が現代史の課題であり、(高山)」*1

ここから導かれるのは、徐寅植が言うように、「個体が個体として独立しながらそのまま全体となることができる構造をもった世界である。」つまり、従来の世界史を覆そうとする大波の中心が日本民族でなければならぬ、というたまたま時流とシンクロした高山の信念と切り離して、「一即多、多即一」世界観を評価することもできるのだ。

「高山の擁護する<世界史>の多元性は、つまるところ、西洋中心主義に対してアジア大陸の諸民族を統合しようとする日本中心主義に置き換えられている。日中戦争以来の京都学派の言説は、西洋中心の近代文化をのりこえるべき東洋文化の本質を「絶対無」の世界として論証し、東洋を代表すべき日本民族の特殊な使命を必然化していたのである。(趙寛子)*2

 戦後派としてこの文章を読むと、「絶対無」のところに「絶対平和」を入れ替えて読んでしまうという誘惑を抑えがたい。戦争に完敗し、全面的に西欧の論理(平和の敵である日本)を受け入れたわけであるが、無に立脚する京都学派はこたえない。戦争の論理を棄て、非武装の日本を世界に主張することが、「西洋中心の近代文化をのりこえるべき東洋文化の本質を「絶対無」の世界として論証し、東洋を代表すべき日本民族の特殊な使命を必然化」することにほかならない訳だから。

*1:「徐寅植の歴史哲学」思想2004・1月号p38 べつにここから引く必要もないのだが

*2:同上p39

象徴天皇制の終わり

(1)

 9月号の『現代思想』(特集 家族とは何か)で関曠野氏が、「皇太子が言つたこと  一つの注釈」という文章を書いている。5月にあった皇太子発言については、わたしも http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040511#p1

でふれました。関氏の文章の冒頭と結びの部分を引用して考えてみたい。

(冒頭) 徳仁皇太子は去る五月の訪欧を控えた記者会見の場で雅子妃の病状に関連して「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったのも事実です」と、皇室の一員としては異例の発言をした。天皇制という問題がまともに論じられなくなって久しいこの国では、世論はこの発言に戸惑うばかりのように見える。皇太子の発言は、宮内庁という世界にも類のない妖怪的官庁を批判したものと受けとれるが、そのあたりの事情をここで詮索するつもりはない。皇太子が言及した雅子妃の窮境は、これまでにも外部に薄々知られていたことだ。我々を驚かせるのは発言の内容ではなく、いずれは皇位を継承する人物が記者会見という公的な場で妻の自由と幸福に責任をもつ「たんなる夫」として発言したことである。皇室の歴史においてこのようなことはあったろうか。一見会見の場で口にした片言隻句にみえても、私見では皇太子の発言は敗戦直後の昭和天皇の人間宣言に比較して人格宣言と呼ばれてもいいものである。天皇制が今後も形の上では存続するとしても、これで戦後の天皇制は終わった。このことを以下一連の注釈で明らかにしたい。

 本人がどこまで意識していたかは別にして、皇太子の発言は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されねばならない」という憲法二四条なしには考えられない。そしてこの二四条が日本国憲法に明記されたのは、必ずしもGHQの総意によるのではなく、GHQに勤務するうら若いユダヤ系の女性ベアテ・シロタ・ゴードンの創意と努力の賜物だったことはよく知られている。ピアニストの父と共に少女時代を戦前の日本で過ごし日本の女性の無権利状態をつぶさに見聞きしていたことが、シロタの使命感を燃え立たせた。二四条の文言は、旧ソ連憲法(これは美辞麗句の傑作である)とワイマール憲法を参考にしたという。しかし二四条が表明している思想には、さらに古い来歴がある

(結び)

 しかし人間宣言や民間人との結婚は、皇室の転換点として一度なされてしまえばそれで終わりの出来事である。徳仁皇太子の場合は、本人の意向はどうであれ初めから市民結婚をするしかなかった。そして外交官としてのキャリアの延長線上で皇太子との結婚を選んだとされる雅子妃にも、雲の上に引きあげてもらったという意識は全くないに違いない。そして二人の結婚が否定しがたく市民的なものである以上、二人に究極の国家に統合された家族を演じさせようとする宮内庁という醜怪な振付師との間に当然あつれきが生じてくる。宮内庁に抗して自分の結婚が市民結婚であったことを確認している皇太子は、皇族の身分に制約されたがゆえの一周遅れのトップランナーなのかもしれない。しかしその結果として彼の抗議は、思わぬ形で憲法二四条を改めて喚起し、この条文を骨抜きにしてきた戦後日本の家族の歴史を問いただす効果を生んだ。

 マッカーサー御手製の象徴天皇制は、天皇を唯の人にしながら同時に天皇が引きずる国家神道の残像を利用しようとした矛盾した試みであり、こうした試みには耐用年数がある。かくて徳仁皇太子は公の場でたんなる夫として発言し、たんなる人間なればこそ皇族にも人格があることを確認したのである。このささやかな出来事をもって戦後の象徴天皇制は終わった。そしてへーゲル的、倫理(ジッテ)としては死んだものが、外形的な制度としては今後とも長期的に存続しうるとは考えにくい。してみれば憲法調査会などがだらだらと下らぬ議論を重ねている間に、歴史は意表をつく転回によって我々に共和制の採用を強要するかもしれない。(3行略)

(2)

 関氏は、徳仁氏の発言が憲法24条(両性の合意のみによる婚姻)という思想に立脚していると論じる。この思想は「結婚の双方の当事者は神の前で平等であり、双方の自由な同意に基づく結婚だけが正当とされる」という中世欧羅巴のキリスト教の信条に由来する。そして実は「自由意志による結婚契約」が先にあり、それをモデルとして「自由意志による契約」という思想が広がり社会契約論に繋がっていく。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」とは、国家や共同体の曖昧な意志の外側にでも二人の意志一致さえあれば極小の共同体を成立させえることを告げている。「既存の社会構造から相対的に自由な形で誕生する」結婚契約型の家族に依拠することで、絶対君主制に対するロックのラディカルな批判は可能になった。*1ところで、ヘーゲルのアンティゴネー論においても国家から相対的に独立した領域としての家族が現れる。しかし関氏によれば、ロックにおける家族の自然法的自由という論理は、ヘーゲルにおいては“家族という領域に固有の宗教”に貶められてしまった。*2 即ち国家に統合されるべきものとしての家族がヘーゲルにおいては強調されることになる。そして明治41年の皇室令以来人間宣言を経て現在まで、そうしたヘーゲル的家族を国民のお手本として示す最適なモデルとして近代の皇室は機能してきた。歴史をこのように考えるかぎり、徳仁氏発言は、ヘーゲル的家族から家族の自由(ロック)の思想への回帰(前進)を告げるものである。「このささやかな出来事をもって戦後の象徴天皇制は終わった。」というのは決して大袈裟な修辞ではない。

(3)

しかしである、論旨をはっきりさせるために省いた3行で関氏の文章は閉じられていた。ここで引用すれば次の通り。「しかし共和国の創設には、共和制的家族という習俗上の確固たる基盤が必要である。今の日本にそうした基盤がどこまで広く深く存在しているだろうか。私はきわめて懐疑的である。」

ヘーゲル的家族か(ここでいう)ロック的家族かという差異は具体的にはどのようなことか。いわゆるダンナが*3会社人間で過労死寸前まで働き続けているとする、妻はなぜ止めないのか?それは、働くことは会社という共同体への忠誠であるという共同体主義を拒否できていないというレベルを示していよう。わたしたちの現実はそうしたレベルを越えているとは決して言えない、と関氏は判断している。わたしもそう思う。

 そうした問題に最もシビアな認識を示すのがフェミニストだろう。フェミニストは、家族の自由とか、対幻想とかしゃらくせえことをいうんじゃねえ!と怒る。家族が美化されることによる付けは、すべて女性だけが支払わせられることを知っているからだ。(まあそれはもっともなのだが) というわけでフェミニスト岡野八代はいっぱいの不安を押し殺しながら書く。「「家族」は、わたしたちが自分を生き抜くために、「とりあえず」は自分の欲望は自分のものであると、自認できる存在となる「なる」ために、その形を変えながらも、わたしたちが必要としているひととひとの結びつきではないだろうか。」*4

自分の欲望は自分のものであると自認すること、には二つ(以上の)の意味がある。一つは消費主体としてや国家の構成員としての既成社会から与えられた欲望を自らのものとすること。もう一つは他者の欲望やことばがうずまくなかで、与えられた欲望から微妙にずれていく自らの欲望に言葉を与えていくという希望である。雅子さんの「皇族としてであっても外交官としての仕事を継続する」という希望は、なんだか変だと言えば変なものなのだが、逆に言えば、わたしたちこそ雅子さんたちの企みに学ばなければならないのではないか。少なくとも彼女たちは企みを必要とするほど追いつめられていた。

(追記)「おとなり日記」といっても全然おとなりじゃない場合が多いのだが、お隣で知ったoffer-57さんの文章には(テーマが同じだけじゃなく)とても親近感を感じたので引用させてもらいます。この部分はユーモラスな口調が面白い。

http://d.hatena.ne.jp/offer-57/20040905

 ようよう、浩宮よ、お前さんも男ならここで引き下がってはいけないよ。

 浩宮よ、お前さんこそ嫌がる彼女を無理無理天皇家に引き入れた張本人だし、惚れた大事な嫁さんを守るためここは、自分が天皇家から出るぐらいの覚悟で、あるいはそれをカタに天皇家=宮内庁=内閣を相手に現在の皇室外交のあり方を、自分達が(というより雅子妃が)考える外交に一切口出しをしないという約束、大幅な譲歩引き出すぐらいの大芝居を打つ覚悟がなければ、恋女房に逃げられるよ、逃げないまでもこの先、少なくとも嫁さんに同衾はしてもらえないだろうナァ。

*1:同書p75

*2:同書p78

*3:この表現自体が変だが

*4:同書p130「家族の両義性」岡野八代

(4)前提(10/21追記)(10/22朝、一部訂正)

α.わたしたちの社会・国家は、私たち自身各自の生きること(幸せ)の総体にその権威の基礎を置いている。

β.したがって、わたしたち各自は決定に参加する平等な権利を持つ。

γ.それぞれの人は平等な「生きる権利」を持つ。

平等という前提についてもう一度考えてみました。(上記は野原の表現)

これは前提として認められていると言える。この前提の背後に、人権主義=ヒューマニズムという確固とした思想が存在する、その思想は普遍的なものだ、とするのが日本ではいわゆる護憲派だろうか。わたしはそういう思想は取らない。*1この前提をフィクションと呼ぶのは、この前提以前に遡り思想実体を求めることをしないという立場表明である。

わたしたちの近代は、平等という前提に基づいて政治、経済制度を成立させてきた。こういう意味での前提を否定するのなら、他にどういう前提が用意されるのかをまず、聞かせてもらわないといけない。

「「人は最初は白紙」というのは思い込みでなくて現代社会を形作る為のフィクションなんだよ。」で最初の論点は、白紙か遺伝か?なわけですが、わたしは興味がない。

ある性によってものの感じ方や得意な仕事がかなりな程度決定されるという思想は間違っている。「性的役割分担をすべて否定する昨今のジェンダーフリー思想」はまちがっておらず、間違っているのは山形浩生だ。

上記2行は10/21に書いたが、山形さんからの指摘もあり、とりあえず保留します。今から考えて書き直します。

*1:人権派=啓蒙派は、学校秀才的人間をモデルとして全員がそれに近づくことが善であるという発想に成っていくような気がする。批判に成っていないので突っ込んでいただけば考えていきます。

(その5)額に2枚の切手を貼る

「論理 パズル 帽子」で検索するといくらでも出てくるな。

http://chishiro.cocolog-nifty.com/chishiro/2004/11/post_5.html

chishiro.blog: 論理パズル、これは「額に2枚の切手を貼る」という不自然な設定の物。

上記に問いと答えがあるのでそちらを見てください。以下は私の私的ノート。

用意するのは、赤い切手が4枚と緑の切手が4枚(赤赤赤赤緑緑緑緑)。

3人の額に、この中から2枚ずつ貼り付けます。余った2枚は、3人に知られな(略)

Aさんから順番に聞きましょうね。

Aさん:「わかりません」

Bさん:「わかりません」

Cさん:「わかりません」

この問題のすごいところは、なんと2周目があることです。では2周目です。

Aさん:「わかりません」

Bさん:「わかりました」

一見すごく難解に思えるがそうでもない。分かったような気がしたが勘違いかもしれない。(以下ネタバレ)

1)1回目Cが「RR、GG」を見たら自分はRRまたはGGでありえないから「RGと分かる」、だからそれはない。

2)2回目Aも同じ。

また、Bが「RRまたはGG」だったら、1)を避けるため自分はRRまたはGGでありえないから、分かる。

また、Cが「RRまたはGG」だった場合、1回目Aは「RR、GG」を見ても自分がRGとはいえないのでok。「分からない」になる。

3)以上により、2回目Bは「RRまたはGG」でありえない。つまり「RG」。

このとき3人ともすべてRGになるのか?はわからない。例えばAがRRでも良いかな。

(以上、不正確な言葉使いですみません。)

大掃除

 家の外の道路を掃いていてふと上を見ると、木に汚い枯れ葉がたくさんついているのに気がついた。名前を知らないつるつるした葉の常緑樹にアフリカ原産のやたら生命力の強い朝顔が一面に巻き付いて今なお花を咲かせようかという勢いだ。大きな朝顔の葉は緑のときはましだが、枯れると焦げ茶色に縮んできたない。地面をいくらきれいにしても上から枯れ葉がすぐにまた落ちてくる。そこで蔓を切って朝顔を取り除いてしまえ、とやり始めたが、手が届くところはよいが、蔓をたぐり寄せても切れてしまう高いところにはどうしても残る。細い枝に何重にもより太い蔓が絡みついているのを少しづつほぐして取り除いた。結局小一時間かかって朝顔の一部を取り除いた。やれやれ。

 たった一坪強の庭でも、植物はたちまち手が届かなくなる高さまで繁りまわる。植物も生き物であり彼らの勝手に生きているのだ。

従軍慰安婦とデリダ

(1)

 id:noharra:20050119#p4では、裁判過程に登場する「慰安婦」の声が文脈を構成することの困難としてあるのに、裁判官の側はそれを、自動的に自分の文脈においてだけ評価し残りは切り捨て、それが当然だと思っている。という趣旨の岡野氏の文章を引用した。すなわち、デリダのいう<亡霊>としてわたしたちの前に彼女たちは現れた。

また、亡霊は現れるだけではなく、つねに何かを語り出すものでもある。

(略)あるいは、ナチの強制収容所というおよそ証言不可能な場所から生き残った人が、長くまもっていた沈黙を破って語り出す言葉のことを考えてもよいだろう。だがこうした言葉は客観的な出来事の証言であるばかりではなく、さまざまに矛盾し、時間的に混乱したものとしても現れてくる。彼らの経験した出来事が、およそ単純に現前するようなものではなかったからである。デリダに言わせれば、こうした発言を受け止めることが亡霊の声に応えることである。亡霊の命令や約束は、つねに自己分裂・自己矛盾しながら容赦なくつきつけられる命令や約束なのである。(廣瀬)

p119『デリダ』林好雄・廣瀬浩司 講談社選書メチエ isbn:4062582597

(2)正義を求める

正義に対して正当な態度をとる必要がある。

最初の正義とは、正義の言い分を聞くこと、正義がどこからやって来て、われわれに何を要求するのかを理解しようとすること。 

このとき、正義がやって来て要求をなすのは、特異なもろもろの固有言語を通じてであることを心得ていなければならない。

(cf.p47 『法の力』デリダ isbn:4588006517

正義は、他者の特異性へ自分を送り届ける。

われわれの特異性、すなわちわれわれの基礎が検証されなければならない。

正義を取り巻くわれわれの概念的・理論的・規範的装置の起源、基礎、および限界についての問いかけを絶えず喚起しつづける、ことが必要だ。

(cf.p47 同上)

“われわれの概念的・理論的・規範的装置の起源、基礎、および限界”とは天皇にほかならない。したがって天皇有罪という四文字は、それに賛成するにせよ反対するにせよわたしたちの思考の原点におかれる。誰もが知っている(のかも知れない)天皇有罪を決して口にしないという黙契のうちにわたしたちの社会は存在していた。「天皇有罪を口にすること」は有罪か?わたしたちの社会はその問いにどう答えるのだろうか?

・・・・・・・・・・

・・・天皇有罪・・・

・・・・・・・・・・

天皇有罪、をある人のある主張として理解するのではなく*1、わたしたちの起源、基礎、および限界として解剖していかなければならない。

「天皇有罪を口にすることが許されないこと」は、正義すなわち「ある公理への信奉者が脱構築によって宙吊りにされる瞬間*2」という体験から隔てられていることを意味する。

*1:天皇が有罪かどうかは、正義の言説ではなく、法の言説内部でしか決定できない。

*2:p48同上

彼女はどのような問題なのか。

返事が遅くなってすみません。

余裕もないのに、ある人につっかかったりしてしまい困ったものです。

 差別語問題の前提は、社会の現実と言説空間において大きな歪みが存在しているということです。その場合において、ある人が何気なくある言葉を使うことで、別の人を傷つける。それはある人が別の人を差別したことになる。何気なくある言葉を使うことがある人を権力的に上位におく行為になる*1そうすると、具体的な被害者がいなくても、そういう場合は差別的行為をしたことになります。ただ、<大きな歪み>を誰が認定し、行為者に認識させていくのかという大きなアポリアがあります。ある差別問題が社会的に認められるまでは、なんらかの“当事者による暴力的な糾弾”がないと、それが「問題である」とは誰も思わない。

 従軍慰安婦はサバルタン(認識されない人)です。現在、「それが存在したのかどうか?」が論点になっているようですが、かってはそんな論点は存在しませんでした。存在はした*2、だが、それが「問題である」とは誰も思わなかったのです。(非日本)アジア人女性は差別されて当然の存在であり、彼女たちが声を挙げる可能性はないと思われたのです。声を挙げても誰も聞かないだろうと。ところがある時“暴力的な糾弾”の代わりに彼女たちは裁判提訴という形を選択しました。それが大きく取り上げられることにより、彼女たちは初めてサバルタン(何か言っても聞き取ってもらえない人)ではなく半ば主体となったのです。しかし彼女たちの主張はほとんど(時効などの理由で)否認されました。そこで民衆法廷という新しいプロジェクトを行い、日本とアジアの民衆に広く訴えかけることにより、問題設定を公認させようとしました。しかし、2000年現在においては、すでに新しい右翼運動も起こっており、日本のマスコミに大きく取り上げられることはありませんでした。このような状況下で安倍晋三問題は発生した。問題は大きく騒がれても私が指摘したような状況認識を欠いたものがほとんどです。

 このような認識に立つとき、広い意味で日本の法律の世界にある人が「法は法である」みたいな立場で、「不快」を発言するのは、はなはだおかしいと思われます。

ところで、「実際、差別語について理屈を並べ立てて(あるいはそれすらせず!)使用したことを正当化する人はうんざりするほど多いですから。」野原はそういうタイプだった。反省!

とりあえず。

追記:

迅速に応答できず心苦しいのですが、できればどんどん継続していってください。よろしくお願いします。

(今は2/5ですが、2/4分に上げます。この日付操作は読者の皆さんにも迷惑かもしれませんが、発言順より、あるテーマをひとまとめにすることを優先するという方法を今のところ取っています。決定稿の前の段階でUPしてしまうのも迷惑でしょうね・・・ いろいろすみません。)

*1:同じ言葉を使ってもたぶんいつもそうなるとは限らない。

*2:ボルネオ島のバリクパパンの慰安所設置については、当時海軍主計中尉であった中曽根康弘元首相が回想録『終わりなき海軍』(文化放送開発センター出版部、78年)で自ら慰安所を作ったことを記述しており、軍が設置したことを示す証拠となっている。

ナターシャさん母子の行方と面会についての提案

ナターシャさん母子の行方と面会についての提案

 9月9日の公判の後で喫茶店で話し合っている時に次のテーマが出ました。

①二人の娘さんたちをタイの施設で育ててもらうか、日本の施設で育ててもらうか?

②実刑判決の前ににナターシャさんと娘さんたちの身体のふれあう面会は不可能か?

 今のところ一傍聴人に過ぎない私が提案することではないかも知れないのですが、黙っているよりほ何かの参考にしていただくために意見をのべる方がよいと考えました。

①については、もしタイで暮していくとすれば、まだ年令が幼い(4才と2才)段階で帰国していた方がタイ社会にとけこみやすい、という考えと、日本にいる方が支援グループの眼や手がとどきやすい、母との面会も可能ではないか、という考えがあります。

 後者の考えを実現するためには、日本国籍を取ること、今後の長い年月にわたって娘さんたちと共生していくプランを具体的に準備し、ナターシャさんや娘さんたちの了承を得ておくことが不可欠になります。このことを引き受けていく度合でだけ、後者の考えは、支援してきた過程の心情を生かす方法として適切です。ただし、日本国籍を取ることや、今後の長い年月にわたって娘さんたちと共生していくことの大変さももく判りますし、服役を終えた(あるいは仮釈放された)ナターシャさんが強制的にタイへ送還される場合にどうするか、についても考えておく必要があります。

 前者の考えをとる、とらざるを得ないとしても、後者の考えをできる限り生かそうとしつつ、そうしていくのがよいと考えています。また、タイの施設の実態や、親族との関係についても現地へ行かれた人から詳しい情報を伝えていただき、かりにタイへ娘さんたちが戻った後も私たちの支援の眼や手が届くような態勢をとっていくことが大切です。

 前者・後者いずれの考えも共通の支援の意思に支えられているのですから、充分な討論を経て出される結論には、どちらの場合も私は賛成です。

 ②については、現在の拘置所の規則推持者は、まず認めないでしょう。唯一に近い可能性は、公判の法廷で裁判長の指示により被告席での面会を認めてもらうように弁譲人から申し出てみることでしょう。判決を含めて公判は、あと二回しかありませんから、至急に弁護人へ提案してみませんか?できれば、次回(10月11日)の弁論(被告人のために有利な事情の提起、検察官の論告の批判)の間はずっと娘さんたちが被告人の傍に座っていてもよい、という許可が出れば一番よいのですが、それが無理でも、開廷直後または開廷直前に、手錠~腰縄で拘束されない状態で母子が身体的にふれつつ別れのあいさつをすることは認めさせたいものです。次回(10月11日)の法廷で弁譲人から突然申し出ても、裁判長は当惑して拒否するでしょうから、事前に何度もねばり強く交渉していってほしいと切望します。

 ②に関連して私からのべておきたいことがあります。(これを③とします。)それは、娘さんたちにとって最初は衝撃であるかも知れないとしても、母の置かれている状態を説明しておく方がよいのではないか、ということです。幼い娘さんたちを拘置所へ面会に連れていく時に「病気のママのお見舞いに」というように仮装してきた配慮はよく判りますが、上の娘さんは、すでにおぽろ気ながら事態を察知しつつあるようですし、今後も必ず明らかになっていくことですから、今から明確な説明の準備をしていく必要があると思います。(かの女らにも私が概念集10に掲載した表現をいつか読んでほしいと願っており、それ以前にも、明確な説明の準備に役立てたいものです。)

 娘さんたちには、母であるナターシャさんが「悪いこと」をしてつかまっているとか、罰として何年も刑務所に入るのだというような既成の社会的秩序のレベルで説明しないことが原則であることは、いうまでもありません。大変むずかしいことですが、この試練をくぐることによって娘さんたちばかりでなく私たち自身も、より深く事件を把握し、共闘していくことができるのではないでしょうか。

 私は大学闘争に関違する事件で何度も勾留されましたが、幼い子どもにも正確に事態を伝え、面会に来てもらったり、公判の傍聴に来てもらったりしました。幼い子どもは、大人が思うよりもずっと正確に事態の真実を見ているものです。心をこめて説明すれば、形式的な手錠~腰縄などにショックを受けることなどありません。むしろ、形式的な手錠~腰縄の不当性を見ておく方が子どもたちの将来の生き方にとってプラスであると確信します。

 その他の多くの関連テーマについては、集会の討論過程で直接のべるつもりですが、時間的に特に②が切迫しているので文書にして配布します。

         一九九四年九月二十一日

ナターシャさん母子を見守っている人々へ            松下昇

註-③についてエピソードを二つ…

・拘置所から法廷へ連行される時に通過する場所には「サングラスをかける人は申し出れば許可する。」という札が掛けてある。これは、拘置所当局にとっては人権保護のつもりなのであろうが、同時に、拘置所当局は被告人が「悪いことをして、社会的な視線を恥じるのが当然の存在である」という判断をしていることを示している。警察官が逮捕した人の手錠をタオルや衣服で隠してやる「配慮」も同じである。こういう感性を否定し、超えていくことを私たちの〈常識〉にしていきたい。

・私は、ある時期に東京と大阪で裁判を受けていたので、手錠~腰縄のままで新幹線で往還した。トイレへ行く場合もドアは半開きにしてあり、付添いの看守が見守っている。しかし、私は全然平気で、何度もトイレへ行き、乗客(とくに子ども)の尊敬を含んだ視線を体験した。トイレの中では、出発前にパンツの中に隠してあった食料を取り出して味わい(!)、出ると横の冷却水を何杯も飲んだが、看守は何も文句をいわなかった(いえなかった?)。私はタダで新幹線に乗れて幸せを感じていた。

参考:概念集のp15右頁には、「ナターシャさん母子を見守る会通信」の1頁がコピーされていた。ここ。

p15-16 『概念集・11』~1994・12~

刊行委の註

 この提案は、この形態で9月下旬以降に配布された。提案の①については、予測通り、子どもはタイの施設へ送る方がよい、という結論になった。ただし、支援グループの中で前に保母をしていた人が同行し、子どもがタイの施設に憤れるまでの一定期間、一緒に暮らすプランを立てており、支援グループの代表者である木村氏は日本商社のタイ出張社員であるが、来年秋にタイへ移住し、今後の娘さんたちの成長を見守っていく予定である。①については、きびしい制約を考えると、この展開は最善のものといってよい。

 提案の②については、松下としては、短時間で終了し、結論が明白になる数カ月後の判決公判の法廷での母子の出会いよりは、その前の公判で弁護人が被告人のための弁論をおこなう法廷で具体化し、できれば弁論だけでなく、子どもを抱いた状態での被告人質問をも実現していくことに意義があり、それによって判決にも影響を与えうると考えていた。

 しかし、10月11日の公判までに弁護人5人の意見のズレがあり、支援グループとしては弁護人の方針以上の行動を展開する発想も経験もないため、10月11日の公判での実行は、裁判長との交渉さえも具体化せず、松下は暗い気持で10月11日の法廷に座っていた。ところが、松下の提案や論議が一つの要因となって弁護団の弁論が充実したものになったために、また、それに対応した同時通訳が困難になったために、この日には弁論の半分しか朗読できず、判決までにもう一回公判を設定せざるを得なくなった。このような幸運に支えられて、11月25日の公判で松下の提案を再度具体化する試みが可能になったのである。

 11月25日の公判の経過は、一言でいえば、実現を希望しつつも、前例のなさ故に自主規制してしまう各人の〈ためらい〉の集合が、時間や秩序の柵を越えて母子を出会わせることを不可能にしてしまった。この限界を各人が痛切に感じたことは微かな成果であるが、これに匹敵する闘いの場を各人が自分で発見していく時にのみ、そういえるのである。

 各人は、母子の出会いを不可能にしているのが秩序体系だけではなく、自分の内的な希求と実現方法のズレでもあることに気付き、単にナターシャさんへの同情や、事件の背景への一般的な怒りから支援してきた根拠の浅さを思い知ることになった。私についていえば、プランの提起や法廷秩序との対決の準備だけでは突破しえないテーマとの遭遇であった。今回のプランはナターシャさんと娘さんと日常的に接触し、双方の心に触れうる人でない限り実行できないし、支援者も統一的な方針をもち得ないが、このような条件を前提し、かつ突破していく仮装組織論の深化が問われている。

 今回の問題を69年以来の諸問題、特に武装闘争(の武器や人のドッキング)との対比、女性や子どもが闘争の主体となってくる情況への準備、それを踏まえての69~闘争の未対象化テーマの追求と応用に生かしていきたい。

 子どもたちを被告席で抱きつつ論告批判や意見陳述をおこなうことが不可能であったのは残念であったとはいえ、私たちは今回の限界を突破していくことを深く決意しつつ、ナターシャさん母子と共に闘う日の来ることを切望している。

p17、 『概念集・11』~1994・12~

(上記*1への註)

 11月25日の直前になって、支援グループ内には子どもを法廷へ連れてくるほどに子どもと親しい人がいないこと、子どもをあずかっている養護施設側は裁判所から母と会わせるという文書が来ない限り職員が子どもを連れていくことはできないといっていること、また、それ以前の問題として、ナターシャさん自身も(先に知らせておくと出会いが実現しない場合にシヨックが大きいという支援グループ内の意見で)出会いプランを知らされていないこと、弁護団の統一方針が未定のため裁判所への交渉はおこなわれていないことが判った。これらの問題を討論できる場を設定することさえも困難であったが、松下らは11月19日に別の集会で支援グループの代表者が報告することを知り、さまざまのゲリラ的な出会い方を構想していくことを前提としつつ、自分を含む全ての関心を持つ人々に、次の提起をおこなった。

①実際に11月25日に子どもを法廷へ連れて行けないとしても、また、弁護団の統一方針がなくても、裁判所に対して法廷での出会いを認めるように、出会いに賛成している弁護人から交渉を開始してほしい。

②ナターシャさん自身が自分の言葉で、子どもたちに事件の本質、裁判、予測される実刑と長い別離について説明し、法廷の被告席で出会いたいと意思表示してほしい。これは娘たちの〈法廷〉への意見陳述としても不可欠である。

③法廷で問題とされた外国人を被告人とする刑事事件における通訳・翻訳の重要性と共にナターシャさんの娘たちに事件の本質を伝えていく〈存在領域の壁を突破する通訳・翻訳〉の必要性を、各人が抱えている困難な問題の他者への伝え方に応用したい。

①~②~③への註--この提起が19日の報告者から各弁護人へ届いていなかったことが25日に判明して松下らは愕然とした。弁護人も、被告人が「反省」していることを強調するためか、母子に関しては、刑期の短縮を主張する媒介としてのみ言及した。閉廷後に傍聴者の元保母さんは、「そこまでいうんやったら何で会わしたれていわへんねんて、どなったろかしらんとおもた」と松下に語った。同時に松下は、弁護人の質問に対するナターシャさんの次の発言に衝撃を受けてもいた。「ワタシハ、イツノヒカ、コドモヲダケルケド、リササン(死亡した女性)ハ、ダケナイ」…この言葉を生かしつつ私たちの提起を実現していくことは(不)可能か、と考え続けてきている。

 これまでの経過は、事件の規模を越えて多くの問題を根底からとらえかえす必要を迫っており、11月25日だけでなく判決公判(95年1月31日午前10時)にも直接の出会いが実現しない可能性が大きいとはいえ、私たちのそれぞれが、今回の提起が突き当たっている壁に出会うことこそが、〈ナターシャさん母子〉に本質的に出会うための不可避の前提であり、その壁を突破していく過程でのみ母子の出会いも本質的に可能になるであろう。

 17の右 『概念集・11』~1994・12~

*1:原文では「17ぺージ」

ファロナルシスト石原のの事実摘示は嘘

  西宮の反フェミニストとして知られる?内田樹さんのブログhttp://blog.tatsuru.com/ 3/5に、

石原都知事が「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。」と言ったと出ていた。

 あるフランス語学校経営者がそれに抗議している。

(1)貴殿が上記報じられた内容を発言したのは、真実ですか。

(2)「フランス語は数を勘定できない言葉」であるとの事実摘示が真実でないことを、貴殿は承認しますか。仮に承認できないとすると、貴殿は、いかなる根拠に基づき、具体的にいかなる事態を指して、かかる発言をしたのですか。

 プチウヨ、“なかった派”類似分子(石原を含む)は、アジアの隣国だけでなく欧米にも全く通用しない言説で自慰している有害分子である。