■国から援護を受けるため、軍命による「集団自決」が強調された、との主張について。
「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)は、軍に協力したものにしか適用されない。軍に食糧を強奪されても『食糧提供』、壕からの追い出されても『壕提供』と申請しなければならない。戦闘協力者しか救済しようといないので、『集団自決』でも軍命令と言わないと、援護の対象としないという考え方だった。政府がそう言うように誘導している。国が始めた戦争を十分に反省しないで、被害者に被害者としてきちっと償わない政府の政策自体が問題であると言わなければならない」
(同上)
カテゴリー: 未分類
クレームクレーム
またこちらのつけたクレームや質問は一切無視で批判だけするというnoharraさんのスタンスも私には冷静なものと思えません。
クレームへの応答を求められたので書きます。
申し訳ありませんがクレームからはじめさせていただきます。泥仕合をする気はないので、この応答が続くにせよ、ここで終わるにせよ、次に同じ事があれば、こちらとしてはすぐ打ち切らせていただくことを先に伝えさせていただきます。
何を偉そうに言っているんだろう。
私が「はじめに結論ありき」であるのは否定しません。「そうそう乗せられてたまるか」というスタンスが私の結論です。
「はじめに結論ありき」なら対話を拒否していることになります。
私が林論文を参考に出来ないと言ったのは、「彼のスタンスには「はじめに結論ありき」というにおいが感じられるから」
根拠を問いつめられて「においが感じられる」と何度も言うというのは、如何なものか。
となると、こちらとしては私がnoharraさんの意見に全面的な同意をしないことへの意趣返しだと判断せざるを得ません。
「意趣返し」って、また古風な言葉を。「うらみを返す」ことですか。何を言っているのですかね。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper20.htmを読まなきゃ話が出来ないというなら、せめて先に言っておいてくれませんか?
何を言っているのでしょう。あなたが「におい」だけで林論文を否定するという暴挙を行ったから反論しているだけでしょう。
それと、8/07コメント欄に記入された煙さん(とわたし)の文章を復元してください。煙さんの文章はあなたの議論の欠点を丁寧に突いていたように記憶します。それを読みたくないとしても他人の表現(ここでしか読めない)を削除するのは勝手すぎます。議論に対する最低限の誠実を裏切る行為です。
江ノ島に行って来た
嘘神道研究家野原は江ノ島に一泊し朝日を見てきました。
江ノ島は、辺津宮(へつのみや) 中津宮(なかつのみや)奥津宮(おくつのみや)の三社からなる神社です。祭神は
田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
この三神はもちろん、アマテラスとスサノヲの「うけひ」のとき、スサノヲの剣を取って噛むことによりアマテラスが誕生させた三神です。
この部分は、いつもコピーしている下記サイトの真福寺本古事記のテキストには省略(と考えられる部分)がかなりあります。西郷信綱『古事記註釈・2』により補って(いいかげんに)下記に引いておきます。
http://www.neonet.to/kojiki/seikai/sinkoji-set.html 『真福寺本古事記』影印
故(かれ)爾(ここに)各中置天安河、而宇氣布(うけふ)時、
天照大御神、先(まず)乞度*1建速須佐之男命(の)所佩(はける)十拳劔(を)打折三段而。奴那登母母由良邇此(ぬなとももゆらに)、振滌(ふりすすきて)天之眞名井而、佐賀美邇迦美而(さがみにかみて)、*2亦御名謂奧津嶋比賣(おきつしまひめ)命
次、市寸嶋比賣(いつきしまひめ)命、亦御名謂狹依毘賣(さよりびめ)命、*3多岐都比賣(たきつひめ)命。
たぎつひめ =たきつひめ 邊津宮 たぎつ=水流が激し流れる
いちきしまひめ=いつきしまひめ 中津宮 「神霊をいつき祭る島」
たぎりひめ =たきりひめ 奧津宮 霧の神
とほぼ正確に一致している。
(続く)
いざとなったらこれで死になさい
『カルチャー・レヴュー』54号(2005.10.01)に、
■特別連載「戦争責任/戦後責任を考える」(1)として
「いざとなったらこれで死になさい」を掲載してもらいました。
http://kujronekob.exblog.jp/i9 評論誌「カルチャー・レヴュー」Blog版
内容は、
0) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050724#p3
1) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050726
2) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050730#p2
3) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050803
4) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050807
5) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050816
6) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050820#p1
に書いたものの一部と、ほぼ同じです。
窮極のマゾヒズムすら否定しない馬鹿たち
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051009#p3
でヤスパースの文章を引用しました。要点は次の通り、
a.純粋に軍人的で同時に人間的な精神は、むしろ人生の本質的な意義の礎石となる。
b.ただし、「邪悪な行為や明らかに邪悪な命令の遂行などのために汚される」ことがなければ。
これは次の引用ではこう語られる。
a.祖国に対する義務は、遙かに根本的なものである。
b.その時々の支配権に対する盲目の服従よりも
つまり、a.愛国心の肯定と、b.盲従の否定 ですね。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050910#p1
で、敗戦後天皇は退位すべきだった、と書きました。
天皇が退位しなかったことは、最高権力者は責任を取らなくて良いということであり、「その時々の支配権に対する盲目の服従」は正しい、少なくとも否定されるべきではない、ことを意味します。
日の丸・君が代に対する反対する人たち(私を含む)にとって、日の丸・君が代とは、日本の象徴であるというよりも、権威権力への盲従の肯定の象徴であると思われている。
「生きて俘虜の辱めを受けず」を掲げ、存在の最後の断片までを国家へ捧げることを正義とした戦争中の国家。わたしはこの間そのような日本を批判してきたが、論争相手になってくれた右派?の方のなかで、そうした「盲従」は断固批判しなければならない日本はもっと健全な国家になるのだ、と主張される方には出会わなかった。戦後の保守派に比べ、現在のプチウヨはその点で劣化している。美化された過去を前提として、愛国心を語るのだ。つまり盲従への批判がない。
東条なら「東条には66%*1責任があった」という命題を野原に主張させ、その命題の挙証責任を全面的にこちらに押しつけるという論法を多くのプチウヨは取る。皇国軍人百万人を餓死させた窮極の恥辱国家は、かっての日本ではないのだ。餓死者が20万人であればそれは、百パーセント私の命題の間違いを意味し、彼の恥辱感はゼロパーセントのままだ。
*1:例えば
終戦の詔勅
詔書
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰スル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯クノ如クムハ朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ開放ニ協力セル諸連邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳へ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
御名御璽
昭和二十年八月十四日
道義観に悪影響
(裕仁退位問題の続き)
率直なところ、現在のように日本人に「道徳観念」が欠如し、「責任感や、けじめ」のない国になった大きな要因として、「国家のトップ」が敗戦後の自らの「出処進退」を回避して来た事が大きいと感じている。
「宣戦布告書」にご署名もされ、「そのお方の為」として、何百万人もの人が命を落としたと言うのに、生涯その地位から引退もされずに座り続けられた事が、その後、如何に日本人の「道義観」に悪影響を及ぼした事か。
okamakotoさんのブログから引用させていただく。
okamakotoさんはなんと70代の方のようだ。最近は高齢者の方が現在の社会情勢の歪みに敏感で、時代に危機感を持っておられる方が多いようだ。彼の平明で偏見のない文章は、わたしたち(戦争を知らない世代!)に強い灯りをおくっている。
3:ちなみに、この喩えを持ち出したことに、アポロは月に行っていない論を主張なさる皆様を貶める意図は御座いません。あくまで喩え話です。
3/21 まず、ここをお読みになることを
中道右派 中道右派 『http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001/e/af4531aa5c4741cac16c64c16fdd1467
まず、ここをお読みになることをお勧めします。
数回の連続で、素人にも分かりやすく書かれています。
コメント欄は玉石混交ですが、鋭い意見もあります。
法的責任と道義的責任の区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします。』
noharra noharra 『>>>法的責任と道義的責任の区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします。
道義的責任を定義、提出する主体を、きみたちが一貫して用意できない、かろうじて成立したものを潰してしまうのが問題なのです。かわいそうな日本!
「区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします」は議論の放棄ですね。よっぽど自信がないのか。』
202 返信 万世一系は捏造だ。 野原燐 2003/06/08 17:35
倉西祐子著 『日本書紀の真実--紀年論を解く』という本が、
講談社選書メチエで5月に出ました。図書館にあったので何気なく借りて
みました。わりと面白く一晩で読めました。
戦前の小学校では、「じんむすいぜいあんねいいとく・・・」と歴代天皇
の名を暗唱させられたそうですが、今ではそんなことすら知っている人は
少なくなりました。日本書紀には、第一代神武天皇から第四〇代持統天皇
まで、それぞれの在位年数がちゃんと書いてあります。それによれば、神武
元年が持統の時代の何年前であり、西暦換算すると紀元前六六〇年である
ということも分かるわけです。ただそれは歴史的事実ではないようです。
(推古9年の辛酉の年から、1260年遡った年が神武元年とされた。)
日本書紀に書いてある年数の数え方と実際の歴史との矛盾という学問は、
江戸時代に始まり、明治時代に盛んだったそうですが、戦後は日本書紀を
軽視する傾向が強まり廃れていました。この本は久しぶりの収穫という
ことなんでしょう。
仁徳元年は313年となっていたが本当は397年だ!なんて言ってみても、
そもそも仁徳に興味がない人には無意味なので書きません。
この本は謎解き風に記述されているので、以下ネタバラシになります。
(1)倭の五王について
倭の五王とは、『宋書』や『梁書』という中国の歴史書に書いてある
一字名前の日本王のこと。この本の結論では、
賛 仁徳
讃 去来穂別皇子
珍 反正
禰 うじのわきいらつこ
済 允恭
興 雄略
武 清寧
となっています。天皇ではなく「太子」が入っているのは、
この時代(五世紀前後)、天皇が祭司権、<太子>が政治的権限を持つ
両頭的体制であった可能性が高いと筆者が見ているからです。
(この時代はまだ天皇という言葉もないし制度も明確ではなかった、
それを後世が無理矢理「天皇」という制度に合わせて捏造したわけです。)
つまり<太子>が自分の名前で文書を中国に送ったのをそのまま記述
している場合、あとで天皇位の万世一系というつじつま合わせをした
日本書紀と合わなくなって来るわけです。
年数的には、応神元年から雄略5年まで紀年上192年だが、実際は
それから120年を引いた72年間である。
(3)それに対して、
神功皇后(天皇ではないのに紀年がある)の期間は、
書記にある69年ではなく、それに120を足した
西暦201年から389年までの189年間である。ということが
結論されます。卑弥呼ないし神功皇后の名による、大なり小なり
母権性的傾向があった時代がそれだけ長く続いたということになります。
それを隠蔽するためにも年数を減らしたのか。
著者の説がすべて正しいわけでもないかもしれない。でもここに書いた
2点については正しいとすることによって興味深い理解が得られると思う。
(なおこの本はわたしの文章と違いイデオロギー臭はまったくありません。)