民衆の心に根ざした追悼の様式?? (8/7追記)

http://d.hatena.ne.jp/sakunou/20050805/1123252066 では、次のように論じている。

(1)「靖国神社とは、明治になってからできたもので、近代になってからできた宗教施設である。つまり、最近できた新興宗教ではないのか」。

という意見は間違っていると。

そして「新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖国論 * 作者: 小林よしのり」から次の文章を引用する。

(2)戊辰戦争の戦死者の埋葬に際しては、「當村の守護神トシテ」と記された文章が残っている。公に殉じたものを「村の守護神」として祀ることは、地域・民間から自発的に起こっていたのだ。(小林)

(3)このように、民衆の心に根ざした(日本人としての宗教観に基づく)追悼の様式を、国家が引き継ぐ形で創建されたのが、靖国神社であり、「明治になって近代国家が軍国主義に基づいて作った新興宗教ではない」ということは明白だと思います。(sakunou)

 まず新興宗教という言葉を聞けば、ちょうど靖国と同時期幕末明治期にできた黒住教*1、天理教、大本教などなどをまず思い浮かべます。篤胤以降のこの時期は日本ネイティヴィズムの戦国時代とも考えられ、靖国を新興宗教と呼ぶのは、(普通の言葉の使い方としては間違いですが)一周回ってクール!という感じもします。

(2)への批判。ある戊辰戦争の戦死者が、ある村で「當村の守護神トシテ」祀られたことは、靖国神社でそれが「村の守護神トシテ」祀られたことを意味しない。靖国は上に書いたように魂の選別装置であり、新政府側に立って斃れた者たちだけを祀って居る。

 小林よしのりの原思想は“鐘楼のパトリオティスム”みたいなものに近いのではないのか。であれば会津白虎隊の悲劇を考える場合にコンフリクトしないのかなあ?

(3)に対する批判。戊辰戦争は内戦であり、多くの藩が二つの陣営に分かれ、またそれに至るためにはひとつの藩の中でリーダーが内紛し争うこともあった。戦争の以前を含め、沢山の死者を出した。そのような「戦争」に対し、「民衆の心に根ざした(日本人としての宗教観に基づく)追悼」は、むしろ両者をともに祀る、といった形である。「民衆の心に根ざした」という視点を強調するならむしろそう考えられる。

 靖国神社が必要だったとすればそれは国家というものをなにが何でも強力に成立させなければならなかった、当時の国際情勢によっているだろう。現在はむしろそれとは逆の国際情勢にあるのに、一部のナルシストは国家主義を選択させようとしている。馬鹿げたことだ。

*1:今読んでいる本『<出雲>という思想』のp117以下に、国学者大国隆正の思想との親近性が触れられている

憲法1条廃止しよう

 衆院選広島6区に無所属で立候補しているライブドアの堀江貴文社長は6日、東京都内の日本外国特派員協会で講演し、天皇制について「憲法が『天皇は日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分、右翼の人たちが怖いから」などと指摘した。

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20050907k0000m010016000c.html

MSN-Mainichi INTERACTIVE その他

 「郵政民営化」の論点化という小泉のデマゴギーを推進した点で堀江は許せない、と思っていた。だがこの発言は良い。天皇は(明治)憲法ができるずっと前から天皇だった訳で、伝統を尊重するなら1条廃止論に反対する必要はない。19世紀ドイツ起源の軍国主義=国家主義的なものは現在日本にも、排外主義その他として根強く復活しようとしているが、日本の伝統でもないし美しくないし、ひどい失敗をしたばかりだ。憲法1条から8条は削除すればよいと思う。

わたし/ナルシズム

--私は偶然に助かったんです。運がいいわけでもない。誰のおかげでもない、ふふんふふーん、私は科学の子だ。ふんふんふんっ。

 というような人がいるかもしれません・あーあ、ねーえ。*1

の「ふふんふふーん」「ふんふんふんっ」って一体何なんだ。わたしはサラリーマンです、とかわたしは主婦です、とかのありふれた自己紹介にもこの「ふふんふふーん」「ふんふんふんっ」はくっつけることができる。わたしは私をニュートラルに記述することはできず、そうできたと思っているときは、普通よりより深いレベルでナルシズムを育ててしまっている。笙野はそう言いたいのか。

*1:p14『金比羅』笙野頼子 isbn:4087747204

自慰史観派が外務省に圧力

★外務省HP 歴史コーナーの記述見直し検討

・町村信孝外相は十三日の参院外交防衛委員会で、外務省のホームページの

 「歴史問題Q&A」と題したコーナーについて、「事実でなかったことをあたかも あったかのような印象を与えるような記述や、過大に妄想的な数字がなかったか どうか、よく検証したい」と記述内容を見直す考えを示した。山谷えり子氏(自民)への答弁。

 ホームページには「首相の靖国神社参拝は過去の植民地支配と侵略を正当化するものではないか」「南京大虐殺をどう考えているか」などの設問が並び、平成七年の「村山談話」などを引用した回答が載っている。

 山谷氏は「中国や韓国のホームページのような問題設定で、日本の立場を十分に説明していない。あえて誤解を招くような書きぶりもある」と指摘。「従軍慰安婦」など当時なかった呼称を使っていることなども「不適切」と批判した。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051014-00000009-san-pol

http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1129228260 【政治】”南京大虐殺、従軍慰安婦…” 「事実だったように思わせてしまう」→外務省HP、見直し検討

このQ&Aのこと。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/index.html 外務省: 歴史問題Q&A

力を入れずに天地を動かし

上の文では、ローザ・パークスの非暴力直接行動に対し、日本には与謝野晶子の抒情しかないのか、と書いた。しかし考え直してみると、だがたかが抒情であっても捨てた物でもない。

「君死にたもうことなかれ」を改めて、読んでみた。長いので2連だけ掲げる。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yosanoakiko.htm 与謝野晶子

堺の街のあきびとの、                  

老舗(しにせ)をほこるあるじにて、

親の名を継ぐ君なれば、

君死にたまふことなかれ。

旅順(りょじゅん)の城は滅ぶとも、

滅びずとても、何事ぞ、

君は知らじな、あきびとの

家のおきてに無かりけり。       

  あきびと=商人。あきんど。

商人による自由都市の伝統(伝説)、家のおきてを自己のよりどころとして持ち出している。「老舗をほこる」ことと国策に逆らうことは21世紀の現在も私たちに於いてはまったく結びつかない。しかし晶子の時代、つまり教育勅語ができたばかりの時代にはそうではなかったことに注意したい。明治維新も大阪の商人が金を貸したから成立したのだ。

 それに貿易商だとしたら日本だけが栄えても商売は成立せず必ず相手国も必要だ。国内だけに基盤を持っているわけではない。(急に自分のことを思い出したが、私が赤ちゃんだった頃、父はオーストラリアに2年も単身赴任していた。戦後(オーストラリアは交戦国)まもなかったのに関わらず父はその地の方々にとてもよくしてもらったという。考えてみれば私が育つことが出来たのも幾分かはかの国のおかげなのだった。)

 古今集のかな序で、紀貫之は、「力を入れずに天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあわれとおもわせ、(略)るは歌なり」と言っている。天地鬼神を動かすくらいだから政治を動かすくらいはわけなくできるはずだ。

批判されて反論した文章には次のようにある。

http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/Education/docs/hirakibumi.html

私が「君死に給ふこと勿れ」と歌ひ候こと、桂月様太相危瞼なる思想と仰せられ候へど、當節のやうに死ねよ\/と申し候こと、又なにごとにも忠君愛國などの文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方却て危瞼と申すものに候はずや。私よくは存ぜぬことながら、私の好きな王朝の書きもの今に残り居り候なかには、かやうに人を死ねと申すことも、畏おほく勿體なきことかまはずに書きちらしたる文章も見あたらぬやう心得候、いくさのこと多く書きたる源平時代の御本こも、さやうのことはあるまじく、いかがや。

 ここで「畏おほき」と彼女は本当に感じていたのかもしれない。だからこそ、真実「畏おほき」ところの大君の御意志を私意によって振り回してそうであることの自覚を持っていない役人やマスコミというものに不信を感じたと。

best3の本

  1. ジーン・ウルフ『拷問者の影』

全4巻でまだ最後まで読んでないので分からないのだが、全く新しいファンタジー/SFではないでしょうか。

正統的な成長小説。男の子が女性と(寝て)成長していく。でもフェミニストも合格点を出すと思う。

  1. 笙野頼子『金比羅』

わたしは笙野よりもじつは、Panzaさんのファンかもしれないが。

  1. 草森紳一『本が崩れる』

うちの部屋も本の小さな山が5,6個増殖中。

平田篤胤の墓もでくる。

番外○島崎藤村『夜明け前』

8月9月に読んだ。日本人なら読め。

3/25 思うにウーマンリブの人たちは

中道右派 中道右派 『

>思うにウーマンリブの人たちは1972、3年に自己を確立することができたが、世間を自分の価値観に少し近づけるためにその後30年掛かった。

>この方程式でいくと、「慰安婦」の人たちは1991年にカムアウトすることができたので、後15年経てば世間は彼女たちの名誉回復に同意することになる。

カムアウトしたのは、日本側の運動家が、慰安婦を探し出して、日本に賠償請求しようとたきつけたからですね。田原総一郎氏ですら、それは認めています。

韓国の世間は既に日本への謝罪賠償請求に同意して一体化していますが、日本の世間は売春婦を性奴隷と捏造したことには同意できないと考える割合が日に日に増え、むしろ毀損された日本の名誉を回復しなければと考え出しています。女権伸長と同様に、名誉権感覚や法感覚も伸長しています。行為当時に不道徳ではあっても犯罪ではない行為を、現代の価値観から過去に遡及して犯罪として糾弾処罰することに違和感を覚える人たちが増えています。宮台真司氏、宮崎哲弥氏、つかこうへい氏ら、かつては性奴隷派に近い意見を持っていた人々も、売春婦派に続々転向しています。野原さんも転向しませんか?』

poppo-x poppo-x 『>行為当時に不道徳ではあっても犯罪ではない行為を、現代の価値観から過去に遡及して犯罪として糾弾処罰することに違和感を覚える人たちが増えています。

意味不明。「犯罪として糾弾処罰する」→これは刑事事件として立件しようとしているという意味か?ならば、「不道徳ではあっても犯罪ではない行為」について「刑事訴追」(刑法・刑事訴訟上の)を行おうとしている実例を例示しなければ成り立たない論である。

いわゆる「従軍慰安婦」問題を、「民事事件」(損害賠償・謝罪表明請求)ではなく「刑事事件」として訴えている実例があったら知りたいものだ。』

海老蔵中道右派 海老蔵中道右派 『>意味不明。「犯罪として糾弾処罰する」→これは刑事事件として立件しようとしているという意味か?

惜しいですね。少しだけ法的思考ができるようになりましたが、まだ未熟です。

日本の国家犯罪であり国家不法行為でもあるというのが、謝罪賠償を求めている勢力のロジックを正確に説明したものです。彼らはいつも、訴訟の場は別として、対マスコミでは扇情効果を狙ってか、これは日本の国家犯罪であると主張して論を進めるので、その後に続くと予想される(かつ国家不法行為である)という主張も含むものとしてコメントしております。

>「不道徳ではあっても犯罪ではない行為」について「刑事訴追」(刑法・刑事訴訟上の)を行おうとしている実例を例示しなければ成り立たない論である。

>いわゆる「従軍慰安婦」問題を、「民事事件」(損害賠償・謝罪表明請求)ではなく「刑事事件」として訴えている実例があったら知りたいものだ。

それ以前のコメントが思い込みから来る間違えた仮説なので、これらのコメントに答える必要もありませんが、説明してあげましょう。

日本国内では、刑事訴追権は検察官が独占しているので、被害者などは告訴告発するしかありません。している実例もあったかもしれませんが、していても警察官・検察官がそれに応じて捜査・起訴することは恐らく無かったでしょう。』

海老蔵中道右派 海老蔵中道右派 『慰安婦問題について、謝罪賠償を請求している勢力は、法的には国家不法行為責任の追及としての謝罪賠償を求めることにより、政治的には国家犯罪責任の追及(法的には不法行為責任追及よりも無理筋だから?)としての謝罪賠償(政治的懲罰としての?)を求めているというのが、実態の把握としては正しいのではないでしょうか。』

poppo-x poppo-x 『結論:いわゆる従軍慰安婦問題を「刑事事件」として訴えた事例は皆無、ということでよろしいか?ならば単純にそのように返答すればいいだけの話。

質問された要点だけを的確に答えればよろしい。余計な能書きは不要だ。』

noharra noharra 『>>>カムアウトしたのは、日本側の運動家が、慰安婦を探し出して、日本に賠償請求しようとたきつけたからですね。<<<

ソースは?』

ebizoh ebizoh 『海老蔵中道右派です。

以下がソースですよ。

だから田原総一郎氏すらそのことを認めているのです。

>>>>>毎日新聞’93年(平成5)9月9日毎日「記者の目」より

’89年(平成元年)末、ある日本人女性(青柳敦子)が在日韓国人男性とともに毎日新聞ソウル支局を訪れ、

「韓国人の戦争犠牲者(具体的には慰安婦)を探している。韓国側から日本政府に謝罪と賠償を行わせる裁判を起こしたい。韓国人犠牲者を原告にしたい」

と言った。その女性は『朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会』の事務局員だった。

先ず、日本政府相手に訴訟を起こすアイデアがあり、それにあわせて「原告探し」が行われたわけだ。

歴史の発掘という努力はともかく『原告を探す』という発想には正直驚いた。<<<<<』

noharra noharra 『エビゾーさま

ああそうなんですか。青柳敦子という方がいらっしゃるのですね。いくつぐらいの方かしら。

>>田原総一郎氏すらそのことを認めているのです。

田原総一郎の顔くらい私でも知ってますが、“証拠出せゲーム”やインテリとしての力量までは知らないので、「田原総一郎氏すら」と言われてもよく分かりません。』

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070325

中道右派 『>http://blog.livedoor.jp/f_117/archives/15366370.html

一応ネット上のソースはこれです。

元リンクは切れてますが、多数のブログで引用されていたので、内容はそのとおりだと思います。

上記コメントは、請求ではなく、正確には請求発言でした。

詳しいも何も、これが経緯なんですが。

ここでちょっと脱線すると、これを読むと、彼は個人の請求権放棄という締約当時の公式解釈を前提に話していることが分かりますね。一体、今の韓国の公式解釈はどっちなんだろう?あなたと同様、国家による個人の請求権放棄に同情してもいる。日本が法的責任は果たしたことも分かっている。そして、人類社会の普遍的倫理に従って日本に賠償して欲しいと言っているのですかね。私の考えでは道徳的責任はアジア女性基金が該当するんですが・・・

しかし、ここで私はハタと気づきました。日本でもアメリカでも法的責任追及は封じられている。でも韓国だったらどうなの?確か、外交交渉文書では、日本が調査して個人に個別に賠償したいといったのを、韓国側は韓国政府があとでそれをするから政府に全部くれといったはず。韓国法の内容次第では、今からでも法的賠償は韓国政府ができるんでないの?これ、日本政府が条約交渉文書と韓国国内の諸法規をアメリカのローファームに持ち込めば、リーガルオピニオン書いてもらえるんじゃない?それを下院の決議の過程で持ち込めば、慰安婦の実質的救済になるんじゃないの?オランダ政府との間はどうなってるか知らないけど。』

ノーモア 『石原長官の証言ですか。まあ証言だけで裏付けがないので信用できません=証拠が無いと言ったらいかがでしょうか(笑)

さて経緯についてですが河野談話をきちんと踏襲しているのかと疑わせる与党幹部・閣僚発言を御紹介しましょう。

http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal7/react402.html

これ以降も「日本の前途と歴史教育を考える(若手)議員の会」などは河野発言を堂々と否定してきましたし、98年には中川昭一農水相の否定発言もありました。河野談話は日本の政界でどれだけの重みを持っていたのか、持たされていたのか。外交信義違反というなら10年以上も前に為された談話を与党・政府内に浸透させることがなぜ日本側でネグレクトされ続けたのかも問われなければならないと思いますがいかがでしょうか。実際にこういうことが続いたので世界的にも「謝罪を曖昧にする国」というイメージが定着したわけでしょう。私は日本がそれほど誠意を持って河野談話を扱ってきたとは思いませんし、一方的に相手を非難できる資格があるとは思えませんが。というかですね。ノムヒョン氏の演説以降初めて「外交信義違反だ」ということで河野談話否定論が語られ始めたというのは、時系列でいっても因果関係で言ってもおかしな話だと思います。

>確か、外交交渉文書では、日本が調査して個人に個別に賠償したいといったのを、韓国側は韓国政府があとでそれをするから政府に全部くれといったはず。

そうなんですか?これは僕の認識とは大きく違いますね。日本は日韓条約を巡る交渉において徹底して「賠償」という言葉を避けました。大平外相は「韓国独立のお祝い金」とまで言っています。とすれば日本が政府にはしないが個人に対しては賠償したいと言い出したというのは非常に考えにくい。また日韓交渉では従軍慰安婦問題は考慮されていなかったことはあなたもお認めになったはずです。』

ノーモア 『いや、少しミスリードですね。「とすれば日本が政府にはしないが個人に対しては賠償したいと言い出したというのは非常に考えにくい。」というのは「本気で」という意味です。交渉は当初「金払え」という韓国側と「一切払わない」という日本側が鋭く対立していました。個人の対日債権の清算に関しても日本側は極めて厳しい立証責任を韓国側に課していたからです。』