北朝鮮難民救援基金掲示板に、野口さんと二人の脱北者の早期解放(脱北者については強制送還しないよう求める)中国当局への嘆願書文(英語)の案が載っていました。
無精なわたしですが、今回はメールしてみました。コピペしただけだから、体力の消費はゼロに近いはず。なのに、すこしは疲れた感じがするのは何故?
北朝鮮難民救援基金掲示板 http://538.teacup.com/koretune/bbs
北朝鮮難民救援基金掲示板に、野口さんと二人の脱北者の早期解放(脱北者については強制送還しないよう求める)中国当局への嘆願書文(英語)の案が載っていました。
無精なわたしですが、今回はメールしてみました。コピペしただけだから、体力の消費はゼロに近いはず。なのに、すこしは疲れた感じがするのは何故?
北朝鮮難民救援基金掲示板 http://538.teacup.com/koretune/bbs
問答有用掲示板という所にも下記の「中国は」云々という文章を貼りました。
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25165&range=1
関連表現(野原)
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25196&range=1
横田めぐみさんについてだが、彼女と彼女の両親の苦悩について真剣に考えるのはためになることだと思う。めぐみさんは拉致されたままでその点では変化がない。だが、この問題が国民の間に広く知られ同情されるようになった昨今と、それ以前のはっきり言って日本国家からも見捨てられていた長い長い日々あいだには大きな差異がある。めぐみさんに本当に連帯したいのなら前者ではなく後者に注目する必要があるのはいうまでもない。難民という立場に落ち込んだ者に対しては国家は冷たい。めぐみさんはどうすれば帰ってくるのだろうか。国家という立場ではなく難民という立場で考えた方が、実は効果的だ、という可能性もある。
サイードの『オリエンタリズム』を読んで気づくことは、戦前の日本のイデオローグの中国蔑視言説がいかに恥ずかしいものか、ということである。*1
ヨーロッパはオリエントとの長い関わりの中、軍事的経済的勝利を思想的にも展開しオリエンタリズムとなった。日本人の中国蔑視ははっきり言ってその猿真似である。そのちょっと前まで、中国を文化の中心としてむしろ崇拝していたことを忘れた振りをして、(西欧的)文明の名でシナを蔑視する。子安宣邦氏の『「アジア」はどう語られてきたか』は、そのような恥ずかしい日本の思想史を正面から振り返った好著である。*2
復習しよう。1850年頃、欧米先進諸国の軍事力をもってする開港通商の要求によって、東アジアは「資本主義的な世界秩序(システム)」に組み込まれていった。 p25 これはヨーロッパの普遍主義的な「文明」の歴史に自らを編入していくことでもある。p29 1915年、日本による対華21箇条要求は、東アジアの国際秩序の帝国主義的な再編成の要求だった。p31
ところで世界史とは何か? 「世界史」とはまさしく「ヨーロッパ世界史」に他ならない、というのは京都学派による<世界史の哲学>のテーゼである。ヨーロッパに成立する資本主義の発展は、ヨーロッパ外の地域を市場として、資源の供給地として要求し、ヨーロッパ世界の拡張を引き起こす。そして「世界秩序」は国家間の対立を必然的に内包している。この点に関する(京都学派による悪名高い)<世界史の哲学>の認識は、実は、ウォーラーステインの世界システムと世界史の成立についての認識とべつだん変わるものでない。p33
「満州は日本の権益圏である」とはまさにヨーロッパ「世界史の文法」に則った発言である。膨張する日本の権益圏の要求を通じて東アジアは「東亜」という地政学的な概念として再形成される。その後、戦争遂行にとって不可欠な補給基地としての「南方」が権益圏に新たに追加され、「東亜」は自らが盟主とし君臨する領域概念となり、「南方」をも併合して「大東亜」となる。p37
で問題なのは、次の点である。
こうした15年戦争時の認識は、はたして1945年の敗戦によって解体したのだろうか?「軍事大国日本の解体にもかかわらず、帝国日本の世界における、ことにアジアにおける地位をめぐる認識図式を留保させる形で日本は戦後過程を経過したのではないか。日本の戦後処理が対米関係を軸としてなされてきたことは明らかである。そのことはアジアを戦場とした戦争の性格を日本に誤認させ、アジアとの関係の本質的な改善を通して戦後日本を再構築する道を自らに閉ざしてしまった。」p37
わたしたちは大東亜戦争によってシナ事変を忘れ、大東亜戦争を太平洋戦争と言い換えることにより日中戦争(シナ事変)の総体は国民大衆の記憶から消えていった。「国家におけるこの明確な修正意志の欠如から、日本の権力機構の頂点から靖国神社問題として、また歴史教科書問題としてたえず歴史見直し論的要求がくりかえし発せられることになるのだ。帝国日本との連続性の欲求は戦後過程を通じて一貫して日本国家によって隠微にもち続けられてきたのだといえる。」p38
でまあその戦前化、軍国主義化は現在一挙に花開いているわけですが、でもはっきり言って、復活したそのものは、戦前に比べてもまったく貧乏くさい、なんだか訳の分からないもの、である。大東亜の大義は大義自体として評価した場合、(アメリカからではなくアジアから見た場合)ちょっとは評価しうるものだ、というのが、彼らの立場ではなかったのだろうか。というかそうでしかありえないと思うのだが、そうではないらしい。現在の彼らは、「アメリカの為に死す」ことが日本国民の誇りである、と主張できるようだ。わたしたちの国家は外国に従属するために存在するのかもしれない。
*1:ちょっともっともらしいがでもやっぱり恥ずかしい。内藤湖南とか
*2:藤原書店;ISBN:4894343355 がどうせ日本では学問は輸入物しか人気がないから、広く読まれることもないでしょう?
えーちょっと、北朝鮮問題とかを考えないといけないのだが、気分が乗らず、まだ考えていない。雑誌『RENK』が送られてきてからだいぶ経つのにまだほとんど読んでない。表紙はなんと1997年に「万景峯’92」号に海上、小舟で接近し、「北朝鮮民主化支援連帯・金正日政権打倒」のアピールを行ったときの写真。6年たち猫も杓子も「反金正日」で盛り上がってるがおまえら6年前はなんかしてたの? という強烈な自負をさりげなくアピールしている。
「彼の情熱に共感した在日韓国・朝鮮人と日本人が結集し、1993年6月3日、大阪で結成集会を開き、大阪市内をデモ行進をして、「北朝鮮政府はいますぐ強制収容所をなくし、すべての“政治囚”を釈放せよ!」「帰国者(在日朝鮮人/日本人家族)の自由往来を認めよ!」「国際人権規約を遵守し、言論・出版の自由、集会・結社の自由を保障せよ!」という声を挙げて、RENKの運動がスタートしました。」
これはRENKの話で野原が北朝鮮に関心をもったのは、去年5月からです。
「最も深い惨劇は目に見えない」というタイトルで発言しています。
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=84&range=1
「瀋陽総領事館駆け込み事件」で領事館の塀のところでウロウロしていた幼児は、キム・ハンミというらしい。彼女は国境ではないが、国境に類するものつまり領事館の塀(境界線)を越えること(侵すこと)によってはじめてわたしたちにとって見えないものであることを止めた。
サバルタンはどのようにして可視化するか、の例としてその少女をとらえたのでした。
わたしの参加している“受け継ぐ会”MLで、『「戦争につながる経済制裁をせず、拉致問題を平和的に解決すること、そして日本が植民地支配の責任を果たして日朝の国交正常化を実現することを政府に求める共同声明」賛同のお願い』という長い題のお願いが流れた。下記にあるのと同じものだ。
http://www1.jca.apc.org/aml/200311/36622.html ( 15 Nov 2003 )沢田ひで子氏の表現のようだ。
このような趣旨の発言は以前もあったように思う。いまごろの「左翼」のなかではこれに反対するのは少数派なのかなあ、と疲労感を予め感じてしまい、そのときは反応しませんでした。別の事情もあったので今回短い応答をしてみました。下記に貼ります。
-------------------------------
YYさま はじめまして。 野原燐といいます。
「北朝鮮への経済制裁に反対する声明」についてのメール読ませていただきました。 経済制裁については申し訳ないけれど是非についてはっきり意見を言えません。また学んでいきたいと思います。ただ以下の点について、意見、質問を持ちましたので僭越ですがメールさせていただきます。わたしは「救う会」周辺の一部が偏狭なナショナリズムをあおり立てていることを大変不快に感じています。しかしこの声明は「彼ら」(あるいは)「(好戦的な)アメリカ」「(反省をしない)日本」といった大文字の敵がまず措定されていて、それに対抗するためにはどうするか、という二項対立図式が全てを支配しています。この図式の中では「金正日政権の悪」というものは、たとえ在ったとしても、どこにも位置づけようがなく結局無視されてしまいます。大なり小なり苦しんでいる北朝鮮人民の立場に想像力を及ぼすこと、から最も遠い営為になってしまっているのです。
1.「拉致問題を平和的に解決すること」がまず考えられなければならない大事なことなのでしょうか。拉致問題が大事な問題であることは確かですが、それと同じように大きな問題は日本-北朝鮮間にたくさんあります。一つは、1959年からの帰国事業で北朝鮮に帰っていった約9万3千人の人々です。もちろん現在も北朝鮮国内で元気に活躍されていることが確認できる方も多いのですが、一方連絡がつかなくなった方も多いのです。その中には強制収容所に入れられている方や飢えから逃れるため国境を越え中国に潜んでいる方など緊急な援助を必要とする方もいます。後者の問題に目をつぶり拉致問題から発想するのはバランスを欠いていると思います。
2.>>>>今、「北朝鮮」には、食糧不足のため、栄養失調に苦しむ子どもたち、その果てに死んでいく人々が多くいます。その「北朝鮮」に物やお金が入らないようにする、封じ込める経済制裁をおこなったら、いったい、どのような事態になるのでしょうか。<<<<
アマルティア・セン氏の研究によれば、大量の餓死者の発生の原因は、その国家全体の食糧不足によるというよりも、分配の不公平性(を是正できない権力の遍在)による、ということです。伝えられているように1995年以降、約200万人(以上?)もの餓死者が出たとするなら、その原因を「食糧不足」という一見ニュートラルな言葉に求めるのはかえって誠実さを欠く態度ではないでしょうか。その責任が金正日政権にあると考えるのが妥当でしょう。「いったいどのような事態になるのでしょうか」と書かれていますが、「経済制裁無しで大量餓死者が出たのかそうでないのか?」事実認識をまず確認しておかないと、議論がはじまりませんね。
3.金正日政権打倒を唱えるのはいけないことなのでしょうか?
4.>>>>しかし、それは、日本が、その植民地支配責任を果たすものとしてある日朝国交正常化を実現していく中でこそ、解決に向けた道が再び開かれてくるものだと思います。拉致の事実を一切認めてこなかった朝鮮民主主義人民共和国政府が、初めてこれを認め、謝罪し、解決の方向に大きく動き出したのも、日朝の国交を正常化することを前提とした交渉と会談の中においてのことでした。<<<<
「日朝国交正常化」は金正日政権にとってその政権の延命のために行われます。したがって、「日本が植民地支配責任を果たす」といってもそれは建前だけで良く、要は政権に膨大な援助が入ればそれでいいのです。そんなことでは、北朝鮮人民への責任を果たした事にもならないし、日本人が加害責任に向き合うことにも繋がりません。5.>>>> 日本が、それら植民地支配によって朝鮮の人々に与えた被害に対する責任を果たすことによって、日朝間の正式な国交関係を結び、国交正常化を実現することは、植民地支配をした日本の側の責務です。<<<<
繰り返しますが、「日朝間の国交正常化を実現する」という手段によっては、「日本が、それら植民地支配によって朝鮮の人々に与えた被害に対する責任を果たす」ことはできません。国家と国家の間のボス交によって巨額の金銭が行き来するだけです。 野原燐
-------------------------------