萩原遼の『淫教のメシア 文鮮明』晩聲社、この本は1980年に出された本でだいぶ古い。
世界基督教統一神霊協会。(2015年世界平和統一家庭連合への改名が文化庁に認められた)「協会側は統一協会とされることを好まず、統一教会とせよとマスコミなど報道機関にねじこんでいる」p8とある。
この教団は「混淫・血分け」系の教義を持つとされる。
統一教会の特徴は集団結婚式である。この式次第の秘密の部分を含む詳細は
鄭鎮弘「宗教祭儀の象徴機能 統一教の祭儀を中心に」(同書p152-154)に書かれている。重要なので、ここに引用する。
このなかで、神学的に最も重要なのは
②聖酒式の
・文先生(文鮮明)がすべての新婦たちの手に一回ずつ手を重ねて通り過ぎる。
・つぎに聖酒を文先生が先に飲み、それを新婦全員に分け与える。新婦たちは礼をしてそれをもらい飲む。 のところである。
手を重ねる、「それを通じ、先生の身を受けてから相対者と霊的肉的に一体となる。結婚式といいながら、文鮮明と新婦が一体になることが決定的に重要なわけである。それによって「原罪を負った汚れた血統は転換された」とする。p22
これは神学的には宇宙創造的な儀礼的性交である。
1961年5月15日 – 33組聖婚式(ソウル市前本部教会)までは、おそらく実際にセックスが行われただろうとする。p24
聖書ではエデンの園でエバは蛇によって誘惑され堕落することになる。統一教会では蛇とはサタンでありそれとセックスすることによりエバは悪の血統となり、それとセックスしたアダムも悪となる。
普通のキリスト教でも人は堕落状態にあり、十字架のイエスへの信仰をとおしてのみ救済に到れるとする。しかし統一教会では、再臨したメシアである文鮮明とセックスすることにより、人は救済に至りうるとする。これはまあ奇妙ではあるが神学的には筋が通っている(?)
1930-40年代の朝鮮には混淫・血分け派といわれるさまざまな教団が活動していた(また弾圧されていた)。
1930年代の平壌では李龍道や黄国柱という教祖が居た。彼らは神との霊的合一を新郎に対する新婦の性愛に例える。
・文鮮明はすでに10代でソウルの李龍道の「イエス教会」に参加したとの説もある。
同書p57-59に統一教会内部の秘密文書「主の路程」が紹介されている。
「ある時、礼拝で代表祈祷されている時、その祈りの深さに全員が驚き、ある婦人はおもわず泣いて抱きしめ、自分の家に下宿することを勧めた」でまあ文少年はこの婦人とセックスしたわけですね。彼らにとっては「聖血を分け与えることは堕落の血をうけついだあまたの女性救済の聖なる行為であったのだ」p60。彼が教祖になる前からそういう神学があったわけです。
・文鮮明がだれから血分けされたかについては諸説あるが、鄭得恩かもしれない。p64 鄭得恩は黄国柱の弟子らしい。文鮮明が鄭得恩に伝えたという説もある。
・とても「いやらしい」話ではあるが、まずはあくまで神学的な教説であると理解しなければならない。
・なお、1980年に出されたこの本の段階では、「日本はエバ国家」とか「日本の植民地化の贖罪」といった理論はあまり強調されていなかったのではないか。
いかにも下世話な興味を引きそうな極秘文書「主の路程」、参考までに引用してみる。
戦中、戦争直後の文鮮明については資料もすくないなかを萩原遼がまとめたものです。ニュアンスを確認し読み解くために彼の本『淫教のメシア 文鮮明』を読んでください。(図書館にはあるだろうが)
http://666999.info/liu/bunsenmei0.pdf
以上書いたのは主に、40〜50年代の統一教会確立期の教会の教義である。統一教会は、KCIAの介入以後政治的団体としての側面も持つ。そして多くの関連組織を持ち、教義などすらカメレオンと言われるほど変えていっている。しかも徹底的に嘘つきである。
以上書いたことは根本教義なので意外と変わってないのではないかという気がする。