ケアの倫理、とは

岡野八代氏の『ケアの倫理』を読みました。
岩波新書なのに、専門書なみにむずかしい。
ケアというありふれたものは、この社会ではなぜか(というか他の国でもだが)価値がないものとされている。(介護ヘルパーなどは有償ではあるが、他の業種より低賃金である。)
岡野はケアをケア自身としてとらえようとする。つまり「自己へのケア、自己理解、自他の関係、そしてあるディレンマに立たされた文脈への注視や社会構造に対する関心や批判」といった多様な関係性のなかにあるものとして、ケアをとらえようとする。これはなかなか難しい。

この問題をどう考えたらよいのか、それは学者やフェミニストだけの問題ではない(だからみんなに読んで欲しい)、という岡野さんの熱意は伝わってくる。

ごく一部、メモを取ったので公開してみます。

ケアワークの重要性が広く認識されたきっかけは、コロナ禍だった。
内閣府男女共同参画局では、2021.4.28に詳細な報告書を出している。

コロナ下ではなぜか、女性の被害の増大が報告された。(P311)
・DV相談件数の増大
・女性・非正規雇用労働者の大量失業
女性労働者は非正規が多い、宿泊・飲食業などパンデミックの影響が強い業種が多い
・自殺者増大
A・小中校の一斉休校→ 小学校の子を持つ女性の失業率大幅増大!

なぜそうなるか?
女性の育児時間は極めて長い。小学生が在校することは女性に自由時間を与えていたが、休校になるとケアに費やさないといけない。
「経済活動とケア活動が連動しており、とくに女性にとっては、ケアの社会的分担なしには経済活動がままならないといった事実」が明らかになった。p312

・経済学者ナンシー・フォーブレ:ケア労働は、狭い市場経済をむしろ支える、広範囲で多くの人びとによって担われている経済活動である。p313
経済が潤滑に働く基盤として、保育や介護などのケアを社会的、政治的に支える必要がある。
つまり、保育や介護等も、電力などの社会インフラと同等に整備されるべき。

・経済学が外部性と呼んできた、家族やコミュニティその他の経済活動こそが、多くの財やサービスを生み出している。
人間が生きるうえで他者と相互依存したり、自分たちの心身が必要とする欲求充足のために相互行為すること、金銭を媒介しないとしても、そうした総体を経済活動とみなすべきであり、市場経済はそのごく一部。p315

・トロント:ケア責任の配分について、すべての者に平等な発言権が与えられ、自由に意見が表明でき、搾取や抑圧さらには暴力にさらされないようなつまり正義にかなったケアが行われるよう、整備していかなければならない。315
思うに、子育てを考えるなら一日労働時間8時間は長すぎ、6〜7時間にすべきではないか。

・本田由紀:仕事・家族・教育という3つの異なる領域が、市場労働の中心と成る正規労働者を生み出すために、つながり、ひとや資源を回している。
それぞれの領域:根腐れ:教育のための家庭→就活のための教育→家庭維持のための仕事
:なぜ働くのか?なぜ愛し合うひとが生活を共にするのか?何故学ぶのか?の根本が見失われてる p317

困窮は資源の枯渇から来るのか? そうではなく、社会的不正義の問題と捉えるべきでは?
ふつうに幸せに生きること、つまりケアに満ちた生活、それをできる限り目的とする政治:現状を検証し、新しい政治を展望することはできる。318

マーガレット・ウォーカー:表出的協働モデルの道徳:誰かのニーズに気づく→コミュニケーションを通じてようやく→誰が、何をいかになすか(試行錯誤):ケア実践がわたしたちを構成 
→その先に、政治的共同体が存在している(はず)p321

・(第5局面)共にケアすること:ケアのニーズがしっかり応えられているかの検証(正義、平等、自由などの理念にてらして)→新しいケアのニーズの発見→ケア実践の再編(呼応の関係)p321

・日本:男性の有償労働時間とても長い、女性の育児時間際立って長い。男女とも、有償+無償労働時間長い。コミュニティ・社会活動の時間なし。
・ケアには時間がかかる。ケアする相手への注視やニーズへの対応をめぐる思索や気遣いなど、ある意味での余裕が必要。p323(訪問介護は1時間、30分単位なのは残酷)

・日本の現状は、ケアがあまりに偏って配分されており、不正義。
・ギリガン:声と関係性に基礎を持つケアの倫理を、不正義と自分の沈黙の双方に対する抵抗の倫理と考えることができる。つまり、家父長制から民主主義を解き放つ歴史的闘争を導く倫理である。p324

以上、メモだけ。

「宮廷女官チャングムの誓い」について

 宮廷女官チャングムの誓い、54話もある長いドラマ。見ました。2003年の作品、脚本:キム・ヨンヒョン 演出:イ・ビョンフン。

 中宗(チュンジョン 1506年 – 1544年)時代ごろの朝鮮の王宮を舞台にしている。
 この時代に限らず朝鮮王朝時代は、支配階級のあいだに儒教が浸透し、女性のさまざまな活動が非常に制限されていた時代である。
 そのなかで、唯一王の主治医となり「大長今(偉大なるチャングム)」として歴史書に名前が残っている女性がチャングムなのだ。https://kankoku-drama.com/historia_topic/id=12001

 といっても、名前以外ほとんど資料がない。ありえたかもしれない一人の女性の闘いの一生を、作家は美しく描き出す事に成功した。(もっとのびのびと活躍したかったという500年間の女性の夢を、この一人の人物に集約させるように作られたキャラクターだとも言える。)

王宮には多くの女性たちがいた。王宮に入る女性は賤民や早くに両親を亡くしたものが多かったとされる。
https://zero-kihiroblog.com/trivia/nyokan/#index_id3
 重要な仕事をさせられることもある一方、都合が悪くなればいつでも殺すことができるそうした存在だったのだろう。男と違い最初から権利を持たない存在だと位置づけておけば、とても使いやすい。
 彼女たちは、幼くして王宮に連れてこられて以来、王宮の外に出ることも許されず、男性と付き合うことも許されず、子を持つこともできず寂しく死くしかない。王宮という人工的な世界でしか生きられない、死ぬとき以外王宮を出ることができない女性たち。

 ただ、ドラマでは女性たちが色鮮やかな料理を作っている日常が続き、基調はおだやかなので安心して見続けることができる。

このドラマのテーマは、ハン尚宮とチャングムとの世代を越えたシスターフッドだろう。その背後には、パク・ミョンイ(チャングムの母)とハン尚宮との友情が、ミョンイの水剌間(スラッカン、宮中の台所)からの追放、毒殺(未遂)により壊されるという関係がある。ミョンイを追放したのはチェ尚宮の一族。彼らがこの長いドラマで権力側としてずっと悪役をつとめる。チャングムを育て見守ってくれたハン尚宮も途中で追放され、その途上で死んでいく。

ドラマの最後では、チェ尚宮一派の罪は暴かれ裁かれることになる。ところが、チェ尚宮一人だけは逃げ出し、宮中の外にまで出ていく。どこに行くのかと思えば、なんと(自分が殺した)ミョンイの墓である。チェ尚宮とミョンイは、幼い頃から水剌間の見習いとして育った親友だったのだ。チェ尚宮は家と権力を守るために手を汚すことを厭わず生きてきた自分を、否定し反省するだけの力も持てず、幼年期に退行する。そして松の木の枝にかかったリボンを取ろうとして(あるいはそういう幻影を見て)崖から落ちて死んでしまう。

 クミョンはチェ尚宮の姪であり、水剌間の最高尚宮としての地位を引き継いだ。しかし幼いころはやはりチャングムとの友情があったのだ。
 女官たちは幼少期から世間から隔絶した閉鎖空間、理不尽な権力関係に振り回される奇妙な空間に生き続けなければならず、しかも出口はない。このような長く続く世界で営まれた、回帰するシスターフッドというものが、このドラマのテーマである。

チャングムは最初后と、次に王からも信頼を得ることが出来、それによって復讐を遂げることができた。后も王も最高権力という立場にありながら、誰にもこころを許すことができずひどく孤独である。それがチャングムを急に評価するようになった原因でもある。后はチャングムにこころを許すあまり、対立する王子(中宮)の命を縮めることを命じる。后との関係を断たない限り、悪に手を染めるしかない立場に置かれる。(宮中の権力関係というのは苛酷であり、ほとんど殺さなければ殺されるといった関係なのだ。)この直後、チャングムは一時的に水剌間の最高尚宮にもなる。この二つのエピソードが示しているのは、母を殺したチェ尚宮、このドラマの敵役とチャングムとの同一性である。存在様式としての同一性と言いたい。最高尚宮としてのチャングムの姿はそのことをビジュアル的にも明らかにしている。

 王宮という閉ざされた空間で繰り返されるのは、自己が生き延びるために他者を排除する悪に加担せざるをえないというつまらない反復である。
 それに対して、チャングムが貫いているのは、どんな場合にもその人を害することになる食事(あるいは医療)は出さないという倫理である。罪なくして死に追いやられた母とハン尚宮の復讐をするためにチャングムは王宮に帰ってきた、そして自ら悪行をすることなくして復讐を果たすという、不可能だと思われていたことをやり遂げた。

しかし、振り返ってみれば、幼い頃宮中に来てから死に至るまでチェ尚宮の生はミョンイの生の反復であり、同じようにチャングムの生を反復しているのがクミョンである。女官として同じような外見と人生から外れることができない彼女たちには、差異よりは反復が大きく感じられる。
 朝鮮王朝で何の積極性も主体性もなく抑圧されたばかりで数百年過ごした女性たち。そんなことはないと証したのがチャングムであり、そしてすべての女たちも、また少しづつはチャングムであったのだ。

 なお、「シスターフッドとは、男性優位の社会を変えるため、階級や人種、性的嗜好を超えて女性同士が連帯すること」とされる。https://www.tjapan.jp/entertainment/17528215 
 しかし、全く同じ空間、権力関係のなかで何十年もすごした女どうしの友情/憎悪、に対してもシスターフッドという言葉を使うことも許されるのではないか。

 朝鮮王朝期には男性優位の社会を変えるといった問題意識はまったくなかった。王宮という閉じられた世界では、どのように新しいことをやろうとしてもそれは挫折し出発点に戻るしかない。王宮の女性たちはすべて同じ立場に置かれており、そのことを良く知っている。その必然性を裏切る〈一瞬の夢〉としてチャングムは現れた。チャングムを見つめる女官たちの視線には、反復するシスターフッドが、逆説的に表れている。

待ってくれているお母さんからオープンレターまで

荒木優太氏の 文学+WEB版の文芸時評(第九回)
https://note.com/bungakuplus/n/n92fe85d1f32f を読んで、twitterに
オープンレター署名者が「オープンレター騒動で〈呉座勇一は悪い奴で解職されるのも当然だ〉とする立場」だとするのはいかがなものか。https://twitter.com/noharra/status/1494961188186505228

と書き込んだところ、荒木氏からそうは書いてないと反論があった。

(なお、「このオープンレターは、この問題(呉座氏女性差別発言問題)について背景にある仕組みをより深く考え、同様の問題が繰り返されぬよう行動することを、広く研究・教育・言論・メディアにかかわる人びとに呼びかけるものです。」が、このレターの趣旨である。2.22追記)
そこで、荒木氏の文章を改めて読んでみた。

荒木氏はコンビニの「お母さん食堂」に対する批判を取り上げているのだが、オープンレターの中心人物である北村氏が、2015年に行った「ご飯をつくるおかあさん」批判は取り上げていない。これがきになったので探すと、北村氏の批判とその対象の本文が両方ともでてきた。そこにさかのぼって、ゆっくり考えてみよう。

北村発言。:「https://saebou.hatenablog.com/entry/20150725/p1
 私が一番「これは全然ダメだ…」と思ったのは、「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」がいることを平和な世界の象徴として訴えていたところである。これは自分の経験に基づいているのだろうが、全体的にものすごく家庭を守る母(「両親」ではない)とその子どもというイメージに依拠しており、はっきり言ってこのスピーチで提示されている「平和な家族像」というのはむしろ首相とその一派が推し進めているものに近い、母親が家にいて子どもを育て、家事や炊事をするという保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジーだと思った。」

これにはちょっと難しい問題があるかもしれない。

「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生えない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。
 https://iwj.co.jp/wj/open/archives/254835」
 その女性は芝田さんという方で全文は公開されている。

小さな公園で幼児がよちよち歩いているのを見ると微笑ましい気分になる。数年前シリア情勢のニュースよく見ていた頃に、そのような情景を通りすぎると、公園全体が爆弾で破壊された情景を幻視することがあったほどだ。最近も午前10時ごろ公園で10分ほど過ごし、そうした幼児とお母さんの情景を十分に堪能した。ただウィークデイの日中でありかっての私の子どものような子は、ずっと保育所に居るはずだ。「幼児とお母さんの情景」自体をまつりあげると、確かに北村氏の言うような危惧は生まれる。
保育士は一度に多くの子どもを見なければいけない条件があるだけで、よちよち歩きの幼児の可愛らしさ自体を感じる情景を切り取ることはできるだろう。ただ私が見た公園では保育園児は見なかっただけだ。

思ったより整った文章だね。ただコピーライター風の達者さがあるので、北村氏の批判に根拠をあたえてしまった。言葉を超えた自分の常識である平和を描写したかったのだと思うが、CM映像のような情景を重ねてしまった。「母親が家にいて子どもを育て、家事や炊事をするという保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジー」とは直ちには思わないのだが。雄弁であろうとした時に、自分の実感をポピューラーなイメージに引きつけて表現したのだろう。

「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」をうたい上げることが、「保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデル」の強化という政治的効果を持つ、と北村氏は言っているだろうか。
そう言っていないわけではないが、彼女の力点は、そこにはなく、「安倍を倒せ」をスローガンとする運動において「保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデル」にのっとったプロパガンダをすることは矛盾している、そのような問題意識を持って欲しいということだろう。

荒木氏は「おかあさん食堂」「ナチっぽい衣装」「ブラック企業」の例を上げ、「文言やイメージの流通それ自体が、差別的結果に結ばれる可能性がある――と見做される」論理のあり方を問題にしている。
これは行為の動機ではなく結果に照準するべきだとする責任観(北田暁大の言う「「強い」責任理論」)に立っていることだ、というのだ。
ナチとブラックについては、反ナチやBLMがその思想を広げる為に、それを許容している社会常識に挑戦しているのだ。おかあさん食堂も同様だろう。
つまり「この社会にはユダヤ人差別が、黒人差別が、家父長制的家族観がしみついている」という前提に立ち、それを強化するような、あるいは確信的にそう唱える言説に反発しているわけだ。そのときその言説が求めている結果とは何だろう。もちろん、ユダヤ人差別、黒人差別、家父長制の終焉である。しかしそれはあまりに巨大な目標でありすぐに達成できるといったものではない。私が詳細に検討した2015年の北村氏の批判も同じである。

荒木氏の文章は私にとって分かりくい。その原因は、この「結果」というものについて荒木氏が私とはまったく違うものをイメージしているみたいだ、という点にある。

志賀直哉『城の崎にて』での、川向うで休んでいたイモリをちょっと驚かせたいがために石を投げた行為が取り上げられる。この行為に対して、主人公の投石行為が(その前段にある鼠に石を投げる行為への)遅れてきた模倣欲の発露なのではないか、という解釈が書かれる。
「「マイクロアグレッション」でもいいし、最近の新語だと「トーンポリシング」でもいいのだが、人が用いているのを見ると自分もまた使ってみたくなるものだ。」そして最近のフェミニズム界隈の事例に戻る。

「結果」は何かと言うと、『城の崎にて』ではそのつもりではなかったのにイモリを殺してしまったこと。そしてここでは取り上げなかったが、「オープンター騒動」では、「呉座氏が解職されたこと」である。
オープンレターは解職を後押しするため書かれたものではない。したがって、オープンレター署名者が何らかの責任を感じる必要は一切ないのは自明だ。しかし荒木氏のこの文章は、非常に巧妙にそれを暗示しようとして、かなりの成功を収めている。ちょっと問題が在ると感じる。

「おかあさん食堂」「ナチっぽい衣装」「ブラック企業」そして荒木がなぜか取り上げなかった「ご飯をつくるお母さん」批判が、獲得しようとした「結果」はすべて、そのような(それぞれ違った差別の)不公正の是正である。それはオープンレターの文面にも繰り返し書かれていることだ。
ところが、荒木氏は何の関係もない志賀直哉『城の崎にて』を突然取り上げ、獲得しようとした「結果」が普遍的なものではなく、「解職」であったかのように文章を書いている。
文章はいつも普遍的な思想や美をテーマにするが、俗人はそれをなにかの具体的事件と結びつけて邪推する。文章の効果(結果)についてこのような詭弁を書いていると、いつかは文章家である自分自身がつまらない因縁を付けられる危険性がある。そういう可能性は十分あると思うけどね。

追記:
「オープンレター」でgoogle検索すると、一番上に、古谷経衡氏の文章が来て、2、「アゴラ編集部」の記事、3、78件のtogetterのまとめ 4、小山晃弘(狂)氏の文章、5、「オープンレター差出人・賛同人から離脱・撤回した人らまとめ」 6、でようやく「女性差別的な文化を脱するために」という「オープンレター」の本文がある。
卑小な論争(ケチつけ)の地平に足をとられたくないので、私は1から5までは読んでいない。とにかく、現在「オープンレター」はバックラッシュの大波に飲み込まれたかのような状況である。わたしはオープンレターそのものよりも、オープンレター批判を否定することに興味がある。従軍慰問題そのものよりも、従軍慰問題を避妊しようとする言説を否定することに興味があることの連続性で。
新進の批評家としての荒木さんには今までも学ばせていただいたし、嫌われたくはないのだが。(2.22追記)

『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』

1.
朴婉緒の自伝3部作の第二、『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』読んだ。あとがきに自伝ではなく自伝的小説だとある。

朝鮮戦争時、ソウルは二度にわたり北朝鮮軍に支配される。
一度目は、1950年6月28日から9月末まで。
二度目は、51年1月4日から3月14日まで。
この小説はちょうどこの二度めの時期を扱っている。二度めは一度目と違い、ほとんどのソウル市民がソウルを脱出し南へ逃げた。しかし婉緒の兄は脚に傷を負っており動けなかったので、彼女の家族はそれができなかった。たった二ヶ月とはいえ、この奇妙な権力は婉緒たちに触れずにその上を通過してはくれなかった。
婉緒は元の家から、ソウル西北の知人宅に避難していた。(避難しないことは、アカに染まったとして旧体制復帰後迫害されるので、偽装でも「避難」しないといけない。)
1.4後退からしばらくしてから、婉緒の地区にも人民委員会ができる。嫌々ながら婉緒も人民委員会で事務的な仕事をやらされることになる。北朝鮮軍は退却することになる。婉緒と義姉とその幼児だけは北に送られることになる。義姉のとっさの気転でイムジン河だけは渡らずに、そちらの方向にとぼとぼ歩いて行き、途中で東に道を逸れる。ソウルの東北近郊坡州(パジュ) の近くの山中にまで来ると、幼児が咳き込みひどく熱を出し始めた。「ヒョンは一日中、義姉の背中で咳き込んでいた。咳がひどくてなんどか背中にもどした。吐いたものを拭こうと思ってねんねこの上にかぶせた綿布団をはがすと、体が火鉢のように暑かった。」幼児を連れた避難民たち。数年前満州の北から南へ、あるいは朝鮮へ向かってとぼとぼ歩き続けた日本人母子たち、を思い出す。今も世界のいくつかの場所では同じように歩き続けている国内避難民たちがいる。

村で一番大きな家に助けを求めると、女主人が迎えてくれる。胡桃の油を絞って飲ませると熱が引くだろうと言って、飲ませてくれる。無愛想な老女に見えた女主人はしだいに妖精国の女王めいた風格を見せ始める。

2.
「全焼した村から少し離れた一軒家で退屈な昼を過ごしたあと、その村に漂う静けさに魅せられて美しい灰の中を歩いた。ちょうどそのとき、甕(かめ)のそばの痩せこけた木の枝につぼみが膨らんでいるのを見た。木蓮の木だった。よく見ると外側の固い花びらがようやくほころびかけていた。木蓮は一度春の気配を感じ取ると、あっという間に花を咲かせる。その狂気じみた開花が目に浮かび、思わず私は、まあこの子ったら狂っちゃったんだわ、と悲鳴を漏らした。木を擬人化したのではなく、私自身が木になっていたのだ。私が木になって、長い長い冬眠から目を覚ましたときに見た、人間の犯したあまりに残酷で、気違いじみたことに対して驚愕の声を上げたのだった。(p94)」

これは不思議な文章だが美しい。木蓮は咲きほこる花々を惜しみなくすべて捨て、毎年新たにまた狂ったように花を咲かせる。しかし人間はもっと恒常的なものであり、いったん建った家はずっと建ちつづけている。普通は。ところが村の建物がすべて焼けてしまうことがあるのだ。そしてそのような村がつづきそれが異常ではないように感じられてしまう。人間としての恒常性失って、しかもそのとき陽が照っていればそれだけで喜びを感じる。そのような存在感覚を「私が木になった」と書いている。そして滅びの姿のなかに在る自己に肯定感を感じている。

3.
エピローグに、朴婉緒の家系の自慢と、彼女の母親がするその自慢への婉緒の嫌悪が書かれている。一族から王の婿を三人も出した、というのだ。(朴趾源(パク・チウォン 1737-1805、私が最近興味を持った丁若鏞と並ぶ朝鮮最大の実学派儒学者)も一族らしい。)親日派の巨頭もいたが、両班の家名を支える価値観においては、彼らを恥さらしとする価値観はなかった。「国が滅びようが滅ぶまいが、当代の政権が正当だろうが不当だろうが、そんなことはどうでもよかった。何があっても商売や労働などの卑しい仕事は避け、官職につきたい一心で、平気で破廉恥なことをするのが両班の正体だ。」

このような両班(やんばん)のどうしようもなさに対して、叔父さん(婉緒の家の事実上の当主)の取った態度は立派だった。毎日「ゴハン叔父は納屋から取り出した背負子(しょいこ)を負い(略)、敦岩市場の近くで物を売り」家族12人の生活を支え続けた。背負子ほど両班に似合わないものはない。しかし彼は言う。「背負子のどこが悪い。行商すらできなかったから、うちのミョンソが死んでしまったんだ」

両班根性を嫌悪していた婉緒。彼女が実際にやったことはどうだったか。
1950年彼女はソウル大学に入学したが、すぐ朝鮮戦争が始まり一切授業を受けることができなくなった。それにしても、当時女性のソウル大学生などありえないほどの過剰な学歴になる。
最初に、北朝鮮軍支配下ではそもそも普通の若者自体いなかった。男性は連れ去られ兵士にさせられる。だからむりやり事務(ガリ切り)の仕事をさせられる。
次に、米軍支配の世になってからは、郷土防衛隊というところに連れて行かれる。警察官と口論の末だがなんと「気性は荒いが名門大学の学生だ、うまくやってみるように」と紹介してくれたのだ。(p141)まだ行政庁が帰還していない時期だった。
イムジン江を挟んでの一進一退が続き、再び漢江の南に避難しろという後退令がでる。彼女の仕事は急に忙しくなる。「冬に人民委員会で働いていたときと状況があまりに似ていたので、ふと、今どっちの世にいるのだろう、と思うのだった」

三度目は行政関係ではない、米軍PX(進駐軍専用の商業施設)だ。物も何もない当時のソウルでは、唯一光輝いていた場所だった。
「私には永遠に絵に描いた餅にすぎないと思っていた、アメリカのチョコレート、ビスケット、キャンディーなどが、いつの間にか我が家の日常的なおやつになった。
(略)アメリカ製品には驚くべき力があった。体はガリガリなのに頭だけが大きく、首が細く、口の端がただれ、そのまわりに白く疥(はたけ)が出来ていた子供たちが(婉緒の甥たち)、あっという間にぽっちゃりして肌につやがでてきたのだった。(p251)」

一番目と二番目は権力がまだひよこ状態での権力機構といえるだろう。三番目は商業施設にすぎないのに、その最新西洋日用品のもっている非常な輝きとそれを普通の朝鮮人は買えないという特権性でやはり、権力的落差を存在させていた。

数百年続いた極度に集権的な王・国家・官職への両班の崇敬と、この3つの権力性を同一視することはもちろんできない。生きるためにいくらかの金を入手するためだけの職の入手において、思いもよらない権力関係と交渉しなければならないことになるとは、大学に入ったばかりの女の子には思いもよらないことだった。

 [1]10/25投稿だが、自伝3部作の第一「新女性を生きよ」と並べるため、「記事公開日時変更:9/14に」

References

References
1 10/25投稿だが、自伝3部作の第一「新女性を生きよ」と並べるため、「記事公開日時変更:9/14に」

『愛の労働 あるいは 依存とケアの正義論』について

エヴァ・フェダー・キテイの『愛の労働 あるいは 依存とケアの正義論』を読んだ。
これは大事な本だと思うので、紹介したい。丁度、その訳者である岡野八代、牟田和恵さんがキテイを日本に呼んでそのとき作られた本がある(下記J 同じ図書館にあったので借りてきた)。こちらを読みながら、抜き書きしてみたい。

この本は、「重度の障碍を抱える娘セーシャと共に歩んできたキテイの人生と、そのなかで哲学者としてのキテイが経験した葛藤から紡ぎだされた思想の書だ」、と岡野氏はこの本を語りだす。(p14 J) 

キテイは障碍者を育てる親であり一方、倫理や哲学を学ぶ学者だった。「人間の本性とは何か、善き生とは何かについて長きにわたって論じてきた哲学の伝統のなかで、セーシャのような存在は(略)社会的な存在として認められてもいない、という事実」に気がつく。人間の平等を深く考察しながら、障碍者のことは思考の対象にすらしていない、と。(p14 J)
自己にとっての二つの真実が矛盾していること、それを解消するために、キテイは、ロールズに至る西欧思想史の根幹である人権思想を組み替えるという作業を必要とした。

キテイは自らの論を、「依存批判」と名づけている。これを江原由美子氏の紹介の引用によって簡単に紹介する。

「キテイ氏は、フェミニスト理論において議論されてきたジェンダー平等のための批判の論理を、差異批判・支配批判・多様性批判・「依存批判」という四つの批判の仕方によって、把握する。差異批判とは、男女の差異を批判の焦点とし、差異と平等との関連性を問う論じ方を、支配批判とは差異ではなくヒエラルヒーと権力を批判の焦点とし、支配が差異に先行しているがゆえにジェンダー平等実現のためには支配と従属の関係の廃棄こそが求められるべきだ等の批判の仕方をいう。また多様性批判とは、女性同士や男性同士の差異を批判の焦点とし、ジェンダー平等の実現にはすべての多様性についての配慮が必要であるという批判をいう。」(p124 J)

キテイは、これまでのフェミニズム理論を3つに分けて押さえる。次に「依存」とは何か?
「ここにおける「依存」とは、「誰かがケアしなければ生命を維持することが難しい状態」にあることをいう。人間は誰もがすべて、その生涯において一定期間は「依存」の状態にある。また長期間あるいは一生にわたってその状態にある人もいる。」
赤ん坊は生まれたての時は24時間保護を必要とするし、その後も20年近く「育て」なければならない。また、高齢になれば介護を要する状態になったり、痴呆(認知症)になったりしやはり自立生活はできない。キテイの娘、セーシャのような場合はずっと保護を必要とする。

社会秩序の基本をなす人々の契約は平等に位置づけられ平等に権利をもつ諸個人の自発的な結びつきに由来する、というのが17,18世紀に確立した社会契約論であった。現在の西欧社会はその思想を継承している。キテイが具体的に批判するのはロールズであるが、ほかの人も同じである。
「不平等な状態が現にある」ことは否定できないが、そうした「不平等な状態は、「平等化施策」によって解消可能であり、それ以外の能力の差異も、社会的条件や偶然的な条件によって生じる「一時的なもの」とみなしうるとされていた。」(江原・p125 J) というのが彼らの論理だった。しかし、そうだろうか。

「それに対し、「依存批判」は、まず「依存」を、基本的な人間の条件としてみなすべきであると主張する。(略)その意味において「依存」とは、「たまたま生じたまれな状態」、「それゆえに無視してもかまわないような状態」なのではなく、私たち人間の基本的条件なのだと、「依存批判」は主張する。「依存」を人間の基本的な条件とみなすことは、「依存者」をケアする活動を行なうことをも、人間の基本的条件とみなすことを意味する。「依存者」は、その生命の維持を他者に依存している。すなわち、「依存者」はその生命維持のために、「被保護者の安寧の責任を負う活動」を行なう「依存労働者」の労働を不可欠とする。ゆえに、「依存」を人間の条件として認めることは、社会を「平等者の集団」とみなすのではなく、「依存者」「依存労働者」をも含む人々の集団としてみなすべきことを意味する。そうだとすれば、「平等」とは、能力において対等な「平等者の集団」の間で構想されればよいことなのではなく、他者のケアなしには生存できない「依存者」や、「依存者の生存の責任を負っている依存労働者」との間において、構想されなければならないことになる。」(江原・p125f J)

このような存在〜関係を、非本来的なものとして理論的考察の根本からは排除してもよい、とするのがいままでの学問だった。国家を「理性的存在」の結合として説明しなければ、国家は至上権を持てない、とする発想。
治者と被治者の同一性というのは確かに、強い魅力を持った形而上学ではある。しかし、社会の諸関係を素直に考えてみると、理性的主体間の契約のような合理的関係はごく少なく、社会はそのつど身近な人どうしの互酬的関係で成り立っている。家族内部の互酬的関係とされるものが抑圧的関係ではないか、と告発したのがフェミニズムである。しかしフェミニズムは、反フェミが攻撃するように互酬的関係を解体し日常を利害の損得計算に還元せよと主張しているわけではない。家族内部というだけで、すべて「互酬的」とされ、結果的に母親・主婦役割の女性に過重な負担が押し付けられている現実を糾弾しているだけである。

伝統的大家族においてはなんとかメンバー内で負担を分担してゆうずうしあっていた。(幼い子がさらに幼い子の子守をするなど)しかし「自立」を看板にする近代的核家族においては、皮肉なことに、これは(建前はともかく実質はすべて)主婦の負担になってしまった。それと同時に女性の社会進出も進み、「主婦」は過重な負担にあえぐことになる。にもかかわらず、それは、選択の自由、あなたには子供を産まない自由もあった、という論理で自己責任とされてきた。フェミニズムの論理の一部が悪用されたといった側面もあったわけだ。理不尽な話だ。しかしこれが現実であり、現在も出口はない。

個々人はそれぞれ別々に生きているわけではなく、つながりのなかで生きている。平等というものもそのなかで考えなければならない。
つまり第一にケアを必要とする者がそれを得ることができなければならない。次にケア提供者は自分の時間と配慮の大きな部分をケアのために使わざるを得ないので、報酬を得る仕事をしたり自分自身をケアすることにおおきな不都合を持つ。したがってそれについては第三の家族メンバーからさらに配慮とケアを受ける必要がある。
「依存者」をケアする必要を中心に(拡大される)家族、さらにはその外側の社会のなかである互酬関係が作られければならない。それによってケア労働者はドゥーリアの権利を得るだろう。

「人として生きるために私たちがケアを必要としたように、私たちは、他者ーーケアの労働を担うものを含めてーーも生きるために必要なケアを受け取るような条件を提供する必要があるのだ。これがドゥーリアの概念である。(p293 L)

しかし、依存ーケア労働者の関係を、単にケア労働者の負担、労働過重といった面でだけ語るのは一面的に過ぎない。それは存在と存在の最も深い関係である。

キテイの娘であるセーシャは話すことができない。外にも多くのことができない。

「セーシャの愛くるしさは表面的なものではない。なんと表現したらよいのだろうか。喜び。喜びの才能だ。おかしな音楽を聞くときのくすくす笑い。(略)キスをしてお返しに抱擁を受ける喜び。セーシャの喜びの表現はさまざまな種類・程度にわたる。」(P335 L)

ひとが生きることの原初の輝きがそこにはあるのだ。
 
ただ、それほど美しい話ばかりではない。わたしの知人Y氏も重度の障碍者の父親だった。娘さんの名前は天音という。

・・・彼女とて哺乳瓶で食事をとらないと生きていけない。天音が意思を伝える手段は大声で泣きわめく以外にない。こちらの都合など関係ない。呼吸困難で唇が白くなるまで泣き続ける。抱いてやるとぴたりと止むが、欲求が激しいと駄目である。して欲しいことを、泣くことで表現する。欲求といったところで、あとは眠たいから抱いてほしいとか、お腹の調子が悪いからなんとかしてくれとか、そして単に抱っこしてほしいとか程度の、実にささやかなものである。
泣き声に負けて抱いてばかりいると、家事も仕事もなんにも進まない。苛々がつのる。その親の焦りが伝わるのか、天音は抱かれているのに口を大きく開ける不満行動を頻繁に引き起こす。(p42 Y)・・・

Y氏の奥さんのH氏は「天音の知り合いに近況を知らせる手紙のような」ミニコミをずっと出しておられた。(わたしはその読者にもならなかったのだが。)天音ちゃんの介護という限りなく閉ざされた労働(苦役)を、社会の関係性の方に向かって開くこと、それを要求する権利が自分たちにはある、(キテイの文脈に添って言うならそう言えるわけだが)、そのような思いもあっただろうと思う。

L:エヴァ・フェダー・キテイ 『愛の労働 あるいは 依存とケアの正義論』 岡野八代,牟田和恵訳 白澤社(原著 1999年)
J:エヴァ・フェダー・キテイ 『ケアの倫理からはじめる正義論─支えあう平等』 岡野八代、牟田和恵編著・訳 白澤社
Y:山口明 『昼も夜も人の匂いに満ちて』 湯川書房
H氏とY氏のブログ http://amanedo.exblog.jp/19335267/