責任追求をしなければならない

侵略=(にほんが他の多くの多くのアジア人たちを殺し苦しめたこと)を強調するのは大事だが、多くの日本人自体が被害者だったことも忘れてはならない。誰が多くの日本人を死に追いやったのか?「生きて虜囚の辱めを受けずという命令」がその責を負うべきことは間違いない。そしてヒロヒトにその責を負わせたくなければ「誰が」を特定し糾弾し続けなければならない。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050302#p5

7/03(1)への応答

#drmccoy 皇国・皇軍が「強制」したとおっしゃいますが、具体的にどのような方法で強制したんでしょうか?

(野原)住民の半数が米軍に“保護され”生きのびています。皇国・皇軍の「強制」がなかったのなら、彼ら(死んだ方の半分)はなぜ死ななければならなかったのでしょうか。

自殺した以上そこには自己の意志という契機が存在している。つまり「一種のマインドコントロール」の下にあったのだ、と(スワンさん発言の援用して)野原は主張しますが、だからといって幾ばくの自己責任が存したことは否定しません。

彼らの死が百パーセント強制によるものと言えるのか?とマッコイさんは論を立てているようですが、彼らの死の原因をたずねた場合、それが共同体の常識だったという意味を含めた強制が大きく作用していたといいうる、というのがわたしの主張です。

責任逃れ

# drmccoy  7/03(7)

  >責任逃れ

誰の責任ですか?まさか私には過去の指導者の戦争責任を追及する責任があるとかおっしゃるんではないでしょうね?

(野原) バンザイクリフの死者たちは一方的な犠牲者だったと言われた。つまり今回のJR西事故の犠牲者なんかと同じですね。彼らのことを考え寄り添おうとすれば、何故彼らが死ななければならなかったのか、そうさせてしまった責任は誰にあるのか考えるのが普通でしょう。多くの自決者を出した原因として、「終わりを考えられない狂信的戦争観」が「生きて俘虜の辱めを受けず」という倫理を考えることができます。それに対してマッコイさんは同意しないが、反論もしていない。責任に対し「誰の責任」と特定されない責任は考えまいとする態度が、「責任逃れである」と思います。

支離滅裂な歴史の偽造

すでに南太平洋戦線では、日本は米軍の圧倒的な物量を前に、真っ向勝負ができる状態ではありませんでした。日本軍は、ゲリラ化して戦っていました。ゲリラとは、要するに非戦闘員のような振りをして実は戦闘員である存在、とここではざっくり定義させて頂きます。そして、米軍もそのゲリラ攻撃に、サイパン以外の各所で苦しんでいました。このことから、米軍に素直に白旗を挙げても、米軍がおいそれと信用してくれるかどうか、となると、これは恐らく米軍は信用しなかったと思います。だから、非戦闘員たるサイパン島の日本人住民は、結局自決する以外に道がなくなってしまったわけですね。

http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20050701#p1

勝てない場合は意識を失う上官

さらに言えば、物量差と見せつけられ、士気の低下する軍や住民を叱咤激励するために「生きて俘虜の辱めを受けず」と、前線の司令官が言ったことは十分考えられるでしょう。軍隊とは、兵器の信奉者です。相手との兵器能力差が圧倒的であることに気が付けば、士気は間違いなく低下します。しかし、軍隊は敵と戦って勝つのが仕事です。負けるのは仕事じゃない。上官としては、何とかして勝ち戦にしなければならないわけです。それが軍隊の存在価値ですから。

http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20050701#p1

「生きて俘虜の辱めを受けず」は単なる一将校の発言などではなく、日本軍全体の根本原則でした。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050709#p2 に書いたとおり、であるからこそ、食糧も武器もなくなり瀕死の状態でも1年以上もジャングルに潜み「建前として」(降伏し無い)戦争状態を持続しつづけなければならなかったのですね。

また捕虜になって生還した人も大部分が、(形だけのこともある)玉砕攻撃をしてその途中でよろよろ倒れて捕まったとか、ケガで意識を失っていた時に捕まったとか、意志としての「降伏」をしていないわけです。逆に言えばそうした僥倖の場合を除き、すべて無意味に死んでいったわけです。

「軍隊は敵と戦って勝つのが仕事です。」どんなに頑張っても相手の戦力を傷つけられない場合は、仕事の範疇ではない。それでも降伏してはならない、などとファナティックなことを考えたのは大日本帝国だけです。

憎悪せよ。

「大東亜戦争の責任者」

(15)

「大東亜戦争」は一部の支配者が(国民の意志を抑圧して)行ったのか? それとも国民の大多数が自ら主体としてそれを支えたのか?

そういった論点を取り上げようとはしていない。それがバンザイクリフとどういう関係があるのか分からない。あえていえば、わたしはむしろ後者に近い。したがって東条の責任を言うときは、(国民の代表としての)東条として考えている。東条に責任なし、と主張する人は(みずからの)国民の責任を回避しようとしているのだ、と理解する。

ところで、「東条に(ある場合にはヒロヒト)に責任あり」とする主張も、「国民に責任なし」を言わんがためのものがある。左翼が人民(プロレタリアート)を主体として立てようとする立場はそうなるわけだが。国民というカテゴリーは絶対ではなく、別のものでも良いわけだ。

「大東亜戦争」は、レイプ・虐殺と、(兵士、国民に対する)自決圧力という特徴を持つ。バンザイクリフが後者の象徴であることは、マッコイさんほかの反論にも関わらず、揺るがない。

敗れても目覚めない。

進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。(略)敗れて目覚める。それ以外にどうして救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。

「臼淵大尉の場合」吉田満

残念ながらわたしたちは敗北から何も学びませんでした。敗北という言葉を忌避し、ふやけたナルシズムがゆっくり育っていくのをじっと待ったのです。

天皇は天神の御子なり。

 明治4年に死んだ鈴木雅之という国学者がいる(らしい)(1837-1871)。「気一元論とも言うべき性格を有した壮大な宇宙論をベースにした」思想家だそうだ。*1

辱(かたじけ)なくも天神の高天原に坐まして布行せたまう生成の道

というものが万物を生む。そしてその「生成の道」を行うことが「万物」・人間の行き方である、とする。ところで雅之において、天神とは、アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビ、アマテラスの4神のことだが、アメノミナカヌシが創造主宰神として中心化、絶対化されている。

人道とは、いはゆる天神の生成の道、即ち君臣親子夫婦兄弟朋友等の理をいふなり。

君は(略)天神の大任をうけたまわりて、善を賞め悪を刑ふ職位に居たまへば、実に軽々しく容易ことにあらず。さらば何事も天神の大御心を心として執はからいたまい、かりにも私を用ゐず。

従って、「臣」や「子」の側でも、もし「生成」に反する所業が「君」「親」に見られた場合は、「命をもすてて諫(いさ)むべき」であり、*2

天皇は天神の御子なり。

天皇は形而上学的存在である。それは一方では「生成」を完遂する(しなければならない)という存在であり、倫理的責任から自由でない、ことになる。

明治憲法

1条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。

3条 天皇は神聖にして侵すべからず。

 神学的には明治憲法の方がウルトラ化している。天皇は国家(くに)と等値されることにより絶対者となる。生身の天皇より上位のもの、<天神の大御心>つまり普遍は存在しない。(短絡的に言うと、現在中国韓国と和解できないのも他者理解のためのベースが存在しないからだ。)

 憲法上記だけから見るとそう言えるが、<神聖>即ちすべての価値の源泉とも読める。その場合普遍は存在し、(かならず)天皇と同一化しているだけ、ということになる。

 その時の権力者が強力な批判をはね返すことができずに居直るとき、に前者の論理が必要となる。

 即ち、226事件御聖断と815敗戦である。

天皇は神であるのだから、人民が何万人死のうが気にしないのかもしれない(東アジアの伝統からははずれるが)。仮にそうだとしても、日本を焦土にしてしまったこと、そのことを<天神>に対して詫びる絶対的な責任がヒロヒトにはあったはずだ。

・・・

*1:p109『幕末民衆思想の研究』桂島宣弘isbn:4892591858

*2:桂島 同書p115

湯浅、鈴貫、寺内、梅津、磯谷

開巻いきなりはじまる、磯部の呪詛の言葉、

「神国をうががふ悪魔退散 君側の奸払い給へ 牧ノ、西寺、湯浅、鈴貫(鈴木貫太郎)、寺内、梅津、磯谷、他軍部幕僚、裁判長石本寅三外裁判官一同、検察官予審官等を討たせ給へ。菱海*1の云ふことをきかぬならば 必ず罰があたり申すぞ 神様ともあらふものが菱海に罰をあてられたらいいつらのかわで御座らふ」

 という天を呪い人を呪う言葉を読むと、今日の読者はいやでも、それから九年後の日本の敗戦と戦犯裁判を思わずにはいられまい。この報いとして日本の悲運が来たと考える必要はないが、この呪詛には日本の来るべき凶運に対する予言的洞察が含まれていたと考えることはできるのである。*2

id:noharra:20050626#p4 で、マッコイさんの「磯部浅一なんかは靖国に祀られていないから怨霊と化して日本を軍国主義に導いたんじゃないか、」という発言を引用した。ネタ元はここかもしれない。*3

東京裁判で裁かれた東条英機以下と、上記で磯部が挙げた(磯部を裁いた)牧野以下*4が同質性を持つとすれば、東条英機以下は磯部の呪いによって報いを受けたのだ(日本の滅亡はそのための手段にすぎない)、という史観が成り立つ。そこまで云わなくとも、三島の「予言的洞察が含まれていた」という発言の根拠には磯部の呪詛に対する共感があるのはいうまでもない。

 戦後左翼は彼らの偏見に基づき「反乱主体」を卑小化する。マッコイさんは、訳も分からずそれを踏襲したまま、あろうことか「日本を軍国主義に導いた」責任を磯部に押しつける。命日には磯部の怨霊に気を付けろよ。

*1:磯部浅一の自称

*2:p198三島由紀夫「『道義的革命』の論理」『英霊の聲』isbn:4309402852

*3:三島は靖国に言及してないから違うか

*4:牧野、西寺?は例外として、湯浅以下と考える方が良いか。