地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べる

 国学の勉強しているとか言いながら、「三大考」も知らなかったという大馬鹿もののわたしですが、これは著者は服部中庸ですが宣長の『古事記伝』の付録であり、表紙だけつるつるにして再版されている岩波文庫全四巻の最後にもちゃんと付いていることを今発見した。(購入は数ヶ月前。)

近き代になりて、遙かに西なる国々の人どもは、海路を心にまかせて、あまねく廻(めぐ)りありくによりて、この大地(おおつち)のありかたを、よく見究めて、地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べるを、日月は其(その)上下に旋(めぐ)ることなど、考え得たるに、

服部中庸『三大考』p255 日本思想体系50*1

(岩波文庫p385)

この文章は1791年頃書かれた。地球球体説が日本で画期的だったかというと全然そんなことはない。それより二百年ほど前マテオ・リッチにより中国にもたらされたもの。

地球という用語はマテオ・リッチが「坤輿万国全図」を作成したとき(1602年)に中国人が発明したものであると書物にある。」というものである。

http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/girisia/tikyuu.htm

http://www.hatena.ne.jp/1117028139 経由

「地球は蛮人りまとう(原文では漢字・マテオリッチ)これを作る。」と認識していた渋川春海は1800年頃地球儀をたくさん製造していたらしい。

ところでそれまでの日本人の宇宙論はどんなものだったのか確認しておくと。

日本書紀冒頭の「混沌」説。

1:古に天地未だ剖れず、陰陽分かれざりしとき、

2:其れ清陽なるものは、薄靡きて天と為り、重く濁れるものは。淹滞ゐて地と為る (故天先ず成りて地後に定まる)

「これは、淮南子などの中国の文献に見える考えかたである。」とのこと

http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/girisia/tikyuu.htm

次に「奈良時代には、中国から天円地方説が導入される。」

当時から明末まで中国の宇宙論はこの天円地方説である。

その系譜には、

1)蓋天説:平らな地面の上を平面の天が回転しているというもの。

「周髀算経」は3世紀の蓋天説の解説書である。

2)渾天説:後漢の張衡の「渾天儀」中に渾天は鶏卵であり、

天は丸く、地は黄身の様なものであるとしている。(同上)

他に「仏教宇宙観」がある。*2

仏教伝来後は仏教宇宙観が導入され、

たとえば、須弥山などが紹介された。 (同上)

以上、「三大考」を読み始めるための準備メモ。

ていうか「三大考」て読むに値する文章なのかどうかを考えたい。

*1:平田篤胤 伴信友 大国隆正

*2:こっちの方がポピュラーか

宇宙論とは何か

# amgun 『noharraさん。そうですね。『三大考』は、『古事記伝』で宣長自身が「これは私が言いたかったことそのものだ」的な絶賛をしているので、『古事記伝』がどのような宇宙論を含意したものだったのかを考えるには、避けて通れないテクストなので、読む価値はあります。前回の私の研究会報告では、『三大考』から派生していく様々な問題の自分なりの整理も兼ねてしたのでした。』 (2005/05/26 09:30)

(野原)

amgunさん、コメントありがとう。いやまあそれは、三日ほど前からは分かりました。(発表を聞いていたときには始めてだったので、もうひとつピントが合ってなかったのですが・・・)

ケプラー、ガリレオの宇宙論の概要は教養として必須ということに一応なっていますが、本当にそうなのか。それが事実だから知る必要があるのか。教科書に書いてあったからという理由だけでは無意味だろう。amgunさんが配布してくださった中庸以降百年にも及ぶ、三大考論争とは何だったのか。最初から無意味な言葉遊びに過ぎないのか?現在までの自然科学の成果というものが揺るぎないものなのであれば、歴史を振り返る必要もないのか?

・・・うまく言えないのですがそのような問いに囚われました。

根津公子さん停職1ヶ月

(朝日新聞 2,005年5月28日朝刊 武蔵野版)

「君が代」不起立、初の停職  都教委

都教育委員会は27曰、今春の入学式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどとされた公立学校教職員十人の懲戒処分を発令した。直前の卒業式の「不起立」で減給十分の1(6カ月)の処分を受けた多摩地区の女性の中学校教員(54)は、停職1カ月を受けた。都教委が教職員に君が代斉唱時の

起立を義務づけ03年秋以降、停職処分は初めて。(以下略)

 “日本という同一性への忠誠”を価値として立て、それに従わないものを処分することには、激しく反対したい。

天も地もあることなく、ただ虚空(おほそら)なり

大きな紙を用意する。その紙いっぱいに大きな円を書く。円の内側には何もない。その外側に、次のように書いてある。「此の輪の内は大虚空(おほそら)なり。」さらに小さな字で註釈「輪は仮に図(か)けるのみぞ。実に此の物ありとにはあらず、次なるも皆然り」

中庸の「三大考」は宇宙生成譚である。宇宙の始まりを第1図から第10図までで解き明かしそれに解説を加えている。大虚空(おほそら)があって他には何もなかった。

記に曰く  

天地初発の時、於高天原成、神名は天之御中主神、次 高御産巣日神、次 神産巣日神、云々 

此の時いまだ天も地もあることなく、すべてただ虚空(おほそら)なり。天と地の初めは此の次の文に見えたり。然るを天地初発の時と云るは、後より云る言にしてただ世の初めということなり。また高天原にとあるも、此の時いまだ高天原はあらざれども、この三柱の神の成り坐したる処、後に高天原となれる故に、後より如此(かく)云る語也。*1

「大虚空(おほそら)があって他には何もなかった」、それ以外は三柱の神が成った、だけだ。と云っている。「天も地もあることなく」とは空間がなかったということなのか、それとも大虚空(おほそら)とは空虚な空間なのか、などなど疑問が生じますがそれには答えず、虚空(おほそら)という一語から始まることが語られるだけです。

次に第二図。大きな円の真ん中に小さな円が描かれ、それは「一物」であるとされる。一物ってなんやねんというと書紀にあるみたいですね。

書紀に曰く「天地初判、一物在於虚中(おほそらに)、状貌(そのかたち)難言(いいがたし)」(同上)

第一図と第二図ほとんど同じなのですが第一図は大きな円のなかに、天之御中主神など三柱の神が三つの点で表示された図。第二図は大きな円の真ん中に一物があり、その上方に三つの点がある図。第一図では物はなく神だけ、第二図で物が小さく現れる。で次々に第十図まで展開していくのですがその展開の原理とは何か?と云えば。高御産巣日神、神産巣日神の<産霊(むすび)>(の力)によるわけです。でそれは尋常の理を以て測り知ることができるものではない。したがってこの天地の始めを、「太極、陰陽、乾坤などといふ理をもってかしこげに」あげつらうことは妄説、見当違いだ、ということになります。id:noharra:20050326#p2 でも書きました。

 つまり、宇宙のすべてが、<産霊(むすび)の力>によって生成したのだなどとは記紀にはどこにも書いていない。テキスト主義者の筈の宣長がそこから逸脱して勝手に言いだしただけです。

 「三大考」のポイントは、大虚空(おほそら)への注目にあります。書紀に「虚」という一字があるだけで注目されてこなかった、おほそらになぜ中庸は注目したか。西欧渡来の「地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べる」説を知ったとき、記紀の冒頭とそれがシンクロし、おそらく中庸は激しく感動したのだと思う。

・・・

(続く)

*1:p257 日本思想体系50

萌え上がる物

次國椎如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】

次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kojiki1.txt

かの始めて成れる一つの物、浮き脂の如く、虚空(オホソラ)に漂蕩(ただよ)えるなり。さて其の物の中より、葦牙(あしかび)のごとく萌上がる物あり。これ天となるべき物也。かくてその天と成るべき物は萌上がり了(おわ)りて、其の跡に残れるが、堅まりて、地(つち)とは成る也。されど此の時は、いまだ海と国土と分かちなどもなく、ただ混(ひと)つにて、ふわふわとただよいてある也。(三大考)*1

第3図。宇宙のなかにただ一つ浮き脂みたいなものができて、葦の芽のようにぐいーんと萌え上がるものがあった。上の方向への巨大なベクトル。宣長によれば、あしかびは「葦のかつがつ生(お)初(そ)めたるを云う名なり」*2これを中庸は「その天と成るべき物」とみなすわけですが、まあそんなことは古事記には全然書いてないのですけどね。宣長には「さて此は天(あめ)の始めにて、如此萌え騰りて終(つい)に天とは成れるなり」*3とある。これによって天と地が分かれたと。

 そもそも「三大」とは何か、というと、天、地、泉である。このうち二つがここで出来た。あと泉、とはいずみではなく黄泉(よみ)のこと。上に天が出来、下に垂れ下る物もあって黄泉になった(はずだ)と次の段で説明がある。

*1:p258 日本思想体系 50

*2:古事記伝1・p189

*3:同上p190

三大考とは

(ロートレアモン風に言えば)

“まぐわい”の上での太極図と創世記の突然の出会い

のようなものか。

父母の交合の時に、滴る物は、微なれども

 二柱の神の、此の大八洲国を産み給えること、世の人、漢意を以て見る故、に、これを信じずして、種々なまさかしき説あれども、そはみな私ごとなれば、取るにたらず、ただ古えの伝えの随(まま)に心得べし。ただ人の児を産むが如く、御腹より産み賜えるもの也。(略)

 大八洲を産み賜えるも、其の如くにて、まず二柱の神の交合(ミトノマグハヒ)の滴(しただり)、女神の御腹内に、合い凝り成りて、さて御腹より産み出(いだ)し給うところは微小(ちいさ)き物なれども、其の物に、かの漂える物、寄り聚(あつまり)凝りて、国土とは成れる也。近くは人の身の成る始めにても知るべし。父母の交合(マグアヒ)の時に、滴(しただ)る物は、微(いささか)なれども、月を経て、児の形となるにあらずや。(略)其の中にも、殊に蛇などは、産まれたるほどは、尋常(よのつね)の小き虫なるが、年久しく経て、大蛇となるに至りては、ことの外に大きなる形ならずや。

(服部中庸「三大考」)*1

第五図の説明の一部。

精液の描写など博物学的で可視的な感じ。

*1:p260 日本思想体系50

宣長篤胤の三つのスキャンダル

宣長の最初のスキャンダルとは、その余りにも排外主義的な皇国主義イデオロギーにあります。これについては、http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050326#p2 にも少し書きました。

二つ目のスキャンダルとは、篤胤における神、あるいは救済の問題です。

篤胤は「死後の霊魂のしずまりさきを知り、それによって「安心」をうること」を第一に求めた。あからさまな現世肯定主義の宣長とは対極的に。

この顕世は人の本世にあらず。天神の人を此の世に生じ玉うは其の心を誠にし、徳行の等を定め試みむ為に、寓居せしめ玉うなり。……試み終わりて*1幽世に入らば、尊きは自ら尊く卑しきは自ら卑し。人の本世は顕世に在らず、幽世なれば也。本業も亦彼の世にあり。(篤胤)*2

このような救済の問題は西欧では紀元前から現在まで深い考察が積み重ねられている。しかし

かつて19世紀初頭の言説世界にあって、ことに宣長の主導のもとに形成された古学という学問的な言説世界にあって、この篤胤の「神」の言説の出現はまさしくスキャンダラスな事件として迎えられた。それは既存の古学的言説から予想し得ない特異な言説の出現であったからである。*3

三つ目は、上に引用した本州がイザナミの子宮から出てきたという即物的描写を含む、三大考の宇宙論。

三つ目は上二つとはまた全く位相が違うようです。どう考えたらよいのかこれから考えます・・・

*1:本当は難しい字

*2:p191『「宣長問題」とは何か』より isbn4-480-08614-5

*3:子安宣邦、p195同上

小骨派ブログ宣言

学ぶとは、例えて言うならば「小骨がのどに刺さった」状態が続くことです。わからない、だから、わかりたい。この思いがどこかにひっかかっていると、人間は無意識のうちに「わかる」ために役立ちそうな情報に反応し、集めるようになります。ちょうど、小骨を溶かすために唾液の“強度”が上がっていくみたいな感じ。

(内田樹)*1

 このブログは引用が多い。上記を読んで良い言い訳を見つけたと思った。わたしはわたしにとって“ひっかかる”異和感を感じる小骨を集めているのだ。普通ひとは自分が好きな自分に身近な文章を集める、だから解説も的確で分かりやすく安心して読める。うちのブログはその反対なので、自分でもどうコメントして良いか分からず、まして読者はどう読んでいいのかとまどう。(すいません)(まあそうではない引用もあるが)

 最近では「三大考」というテキストがまさにそれで、どのような地平で受け取るべきか分からない。まあその分からなさを楽しんでいるのだ、とも云えるが、どちらかというと“小骨”であり異和感を持続的に感じているのだ。

 「8人の小人」という短い算数の問題を5/8にUPしたときもそうだった。その問題の問題性をわたしが汲み尽くしていないことがはっきり分かり、かなり苦労した。11/13の「囚人の帽子」のときもそうでしたが、数学の問題の場合、“小骨”に出会い易い。数学以外だと突っ込まれても、おそらくその論理を構成している言葉の意味を少しづつ変えたりしていくことにより、自己の破綻を(かならず)回避してしまうものなのかもしれない。

 (読者には迷惑でしょうが)これからも“小骨派”ブログとして精進していきたいものです。

*1:学び1 朝日新聞20050530