日本の第一神は?

 古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、溟(ほのか)にして牙(きざし)を含(ふふ)めり。其れ清陽(すみあきらか)なるものは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と為り、重濁(おもくにご)れるものは、淹帯(つつ)ゐて地(つち)と為るに及びて、精妙(くはしくたへ)なるが合へるは摶(むらが)り易く、重濁れるが凝(こ)りたるは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天先(ま)づ成りて地後(のち)に定(さだま)る。然して後に、神聖(かみ)、其の中に生(あ)れます。故曰はく、開闢(あめつちひら)くる初(はじめ)に、洲壌(くにつち)の浮(うか)れ漂へること、譬(たと)へば、游魚(あそぶいを)の水上(みづのうへ)に浮けるが猶し。時に、天地の中に一物(ひとつのもの)生(な)れり。状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。便(すなは)ち神と化為(な)る。

http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/hinomotonokakisirusi/tenntikaibyaku.html 第一段 神代七代章 天地開闢

(コピペさせていただきました。記して感謝します。)

こちらは日本書紀です。古事記の場合、1.天之御中主が登場する前には、「天地初發之時 於高天原成神名」とたった13字しかないのに対し書記は前置きが長く荘重。ところで登場する神の名は1.天之御中主ではない。

葦牙(あしかび)の如し、として登場するので、4.宇摩志阿斯訶備比古遲がふさわしいようにも思われるがそれでもない。じつは

6.国之常立神 です。つぎに、(まだ表を作っていない)

62.国之狭土の神=国狭槌尊(くにさつちのみこと)。つぎに、

7.豊雲野神=豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

この3神が「凡(すべ)て三(みはしら)の神ます。乾道独化(あめのみちひとりな)す。」とされる。

したがってここで、倭の主神は誰か?という問いに3つの答えがありうる。

1.天之御中主神。(あめのみなかぬしのかみ)

4.宇摩志阿斯訶備比古遲神。(うましあしかびひこぢのかみ)

6.国之常立神。(くにのとこたちのかみ)

 ところで一方、宣長によれば、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050326#p2

「この天地も諸神も万物も、みなことごとく其の本は、高皇産霊(たかみむすび)神、神皇産霊(かみむすび)神、と申す二神の、産霊(むすび)のみたまと申す物によりて、成出(なりいで)来たる物にして」ですから、下記こそが主神であることになる。

2.高御産巣日神。(たかみむすびのかみ)

3.神産巣日神。(かむむすびのかみ)

 ふーむ、4つの内のどれが正しいのか。宇摩志阿斯訶備比古遲がわたしのひいきなのだが・・・

日本軍は設置し運営した

日本人「慰安婦」制度の設置と運営は、当時存在した多数の国際法規範に違反している。国際法の規範には成文の条約のみならず慣習法も含まれる。当時日本が加入・批准していた条約としては、ILOが基礎をつくった「強制労働条約」と「醜業を行うための婦女売買禁止に関する国際条約」の他に、「ハーグ陸戦協約」などがあった。当時成文の条約としては存在しなかったが、国際慣習法として国際的に確立していたものとして、「奴隷状態の禁止」があげられる。

p8『日本軍「慰安婦」問題とは?』ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館

ナヌムの家 とハルモニ証言

下記の催しに行ってきました。

●4月21日(木曜日)同志社大学・今出川キャンパス・寒梅館クローバーホールにて

    午後4時~映画『ナヌムの家』上映 

    午後6時~李容洙(イ・ヨンス)ハルモニ証言 

    主催・同志社大学実行委員会 入場無料

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050115 わたしは1/15以降本を読んだりしてすこし「従軍慰安婦」について勉強しコピペし論争したりもした。自分なりの慰安婦像ができていたわけだが、先日見聞きした映画と証言の慰安婦像はそれとはまったく違ったものでうまく言葉にできない。違った像、イメージといっても知的理解として違っているわけではない。

 ただ話のとっかかりとして知的な所から入ると、映画を見て気づいたのは、ナヌムの家のハルモニたちと支援者たちよる水曜デモ。毎週水曜日1992年から欠かさず続けられているという伝説的な集会(デモ)だ。映画に写っているそれは参加者10人から20人程度のひどく小規模なものだった。日本中のプチウヨから敵視されているにしてはひどく小規模な。プチウヨはしばしば「韓国」という巨大な物と彼女たちを同一視するのだが。

 元日本軍「慰安婦」として韓国政府に申告した方の数は約200人*1半数近くはすでに亡くなっているのではないだろうか。全体で約20万人ともいわれる全体像に対してあまりに少ない。少数派の問題であってもそこに思想的課題を深く掘り下げるのが思想家の仕事であるだろう。一方政治家の役割は妥協し相手を納得させることだ。顕在化している対象者が数百名程度なのになぜ妥協案を提示できなかったのか。相手が納得しない「国民基金」などという案をごり押ししようとしたのか。少数派の「慰安婦たち」自身ではなく韓国その他の国家さえ納得させられなかったのはどうしてか。つまらないナルシズムである思想でしか自己を支えられない勢力が強いからだろうか。大きな問題である現在の反日暴動問題も解決できないのではないか。

 でそんな話は映画には一切出てこない。ただハルモニたちの日常が坦々と描かれるだけだ。ただのぐちっぽいおばあちゃんたちの日常。もう生きてなんかいたくない、ずっと前からそうなんだといったネガティブな事ばかり言う女性。それでもデモには出かけていくのだが。10年間報われないデモ。*250年以上前の傷跡は彼女たちの存在のなかにいまも大きな空洞として残っている。そう理解することはできる。でもその空洞にどう向きあうべきなのかは私には分からないのだ。彼女たちとつきあうわけではないから別にいいといえばいいのだが。

 李容洙(イ・ヨンス)ハルモニ証言は映画と違い衝撃的な部分も沢山含むものだった。だが、まとまりの良さという点では、id:noharra:20050125#p1 などで紹介した証言録とは比較にならない。皇軍=有罪の立証に向けて最短距離で組織された言説と違い、ノイズばかりである。

 最も印象的だったのは、日本の兵隊に教えられた軍歌をきれいな日本語で歌ってくれたこと。日本語への愛。最も憎悪すべき日本との抜き差しならない交流は、長い間潜在しながら、彼女の殆ど一生を貫き、愛という形でも現象する。

 わたしたちは最も憎むものをじつは愛している。そう書くと陳腐な逆説にすぎないが。

 レイプすること、比喩としてというと急に軽くなって意味がないが、生きることにおいてレイプすることは不可避であるだろう。親鸞的な深さで言うならばだ。*3人生は常にそこから始まる。反省することは可能であるしためらってはいけない。孔子も言ったように。

 ・・・

*1:パンフ『日本軍「慰安婦」問題とは』より

*2:ここで他人事として語ってはいけないだろう。わたしが日本国家の成員である限り私がハルモニたちの側に立つなら日本国家に働きかけをなすべきである。

*3:凡人である私は言ってはいけない、言うことができない発言である、が。という意味。

靖国参拝反対

保守本流の意見。4/23の朝日新聞に自民党の加藤紘一氏の意見が載っていた。

 靖国参拝問題の本質は、神社にまつられている14人のA級戦犯をどう見るかということに尽きる。

 ナチスにすべての国内的、国際的な戦争責任を帰したドイツと違って、日本は国内的な戦争責任についての論議ができず、極東軍事裁判の判断をサンフランシスコ講和条約で受け入れた。そうである以上、私は靖国問題は、講和条約という国際的約束を、日本が守り続けられるかどうかの問題だと思っている。A級戦犯がまつられている靖国神社に、たとえ私人としてでも首相が参拝すれば、日本に講和条約を守ろうという意思があるのかどうかが疑われる結果になるのは当然だ。

 簡明だが、「日本は国内的な戦争責任についての論議ができず」ことにも触れており、とても優れた文章であると思う。日中関係がさらにこじれれば「米国としても首相がサンフランシスコ講和条約を踏みにじっていると指摘せざるを得なくなるかもしれない」とまで指摘している。日本が戦後対アジア敗戦責任を非常に軽く済ますことができたのは、アメリカの力による。そのような構図(冷戦構造)が失われても、アジア人差別だけは持続、再強化しているのが現在の日本だ。有害無益なナルシズムからは脱却しなければいけない。

下記も参考。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050203#p1

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050331#p2(宮台真司の引用)

ドイツにおける戦争犯罪者

6千人が多いか少ないか。日本では日本人に対する戦争犯罪者は一人も裁かれていない。逆に「軍人と遺族に40兆円(すべてのアジアへの賠償総額は1兆円)という巨額の恩給を支払い続けているのである。」*1

一方、ドイツでは、ニュルンベルク裁判のあと、ナチス戦犯を裁く特別法を作り、時効も無効にして、10万人以上を捜査し、6千人に有罪判決を出して処罰したのである。英仏の裁判所も今にいたるまで自己民のナチ協力者も含めて、終身刑などの厳しい有罪判決を出し続けている。

http://blog.goo.ne.jp/yayori2005/e/d3e1031f45e8ed5bd897d79626e2b72a

*1:軍人と遺族を戦争犯罪者と同一視しているわけではない。

サヨクあるいは市民派どもは「批判されて当然」

http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050419#p3

というところがおとなり日記にあったので読んでみたら、綾川亭さんは困惑しておられる。“明らかに左翼的意見の人が「サヨクあるいは市民派どもは馬鹿にされて当然」だと思っている”ことに対する困惑のようだ。わたし(野原)にもあてはまらないことはないので、元のブログの流れには無知なままそこの所にだけ反応してみよう。

(1) 天皇制が身分制度でないとしたら何の制度なんですかね?ある家があってその血統ゆえに生まれながらに尊いという社会であれば、逆に特定の血筋の人間集団が卑しいと差別される発想が生まれるでしょう。表裏一体。「橋のない川」って知ってる?知らんでしょ。

(2) 、、、、ってまあ、このあたりがサヨクあるいは市民派どもが吹聴してた話さ。例の民衆法廷もそれの吹き溜まり。(レイプ犯許すまじ)

について解説します。

 図式的に言うと、左翼には(旧)左翼と新左翼の二種類があり、後者は前者を否定する。(2)はそういう意味の否定だろう。

新左翼は旧左翼の持つスターリニズム、権威主義、口先だけのきれい事を激しく批判します。即ち、現在のプチウヨは新左翼の劣化コピーなのです。

 旧左翼はプロレタリアート=労働者に依拠していたはずが、その依拠対象を(選挙目当ての)市民にズラして行き、口当たりの悪いこと(天皇制批判)などを言えなくなっています。新左翼はマイノリティに依拠します。マイノリティの切り札として登場したのが従軍慰安婦です。*1従軍慰安婦=被害者と活動家との間には落差があるわけですが、旧左翼の場合自らを善意の存在とみなし(普遍的人権とか、平和、アジア連帯といった)理念が両者を救ってくれる、と考えます。新左翼は、自分の主体が落差にさらされる<自己否定>という磁場を大事にします。*2新左翼なら、「レイプ犯許すまじ」といいながら、(自分が日本人の男性である場合には)自分を被害者に対してではなくレイプ犯の方に位置づけながら語るべきです。その立場性は当然語られることはない。ただある場合にはキレて、落差がかいま見られることもある、この場合のように。

 以上「新左翼」という言葉を非常に特殊な意味で定義し使ってみました。わたしはここでいう意味での新左翼になりましょう。

 新左翼は反スタ(反スターリニズム)でなければならず、反金正日であるはずです。*3 女性国際戦犯法廷を支えたVAWW-NET Japanなどの現在にその姿勢がないのなら、批判されるべきです。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050125#p3 <<<金正日有罪>>>に書いたとおりです。

要は、民衆法廷を担ったうちの日本人たちは何かの「吹き溜まり」であっただろう。それは2000年に於ける左翼全体の退潮という状況において当然のことだ。彼女/彼たちの主流の思想傾向について違和感を持つ人は多かろう。だが日本軍「慰安婦」たちの存在を見たくない(否認しよう)とする欲望は悪であることは明白である。したがって「慰安婦」問題を重視するが「サヨクあるいは市民派ども」を批判する立場というのは当然あり得ます。

あと2点にだけ触れておきます。

すでに述べたが、「レイプ犯許すまじ」さんには、慰安婦問題を、朝鮮韓国人問題へと結びつけることが全くない。これは今時、非常に稀有な見方だと思う。(綾川亭)

慰安婦問題は、東ティモール、インドネシア、マレーシア、オランダ、南北朝鮮(共同提出)、中華人民共和国、フィリピン、台湾、そして日本といったひろがりを持った問題です。その事実把握が「非常に稀有な見方」になったのは安倍晋三とプチウヨによる世論誘導の成果です。

天皇制が身分制度でないと考えているのでしょうか?頭に蛆がわいているんじゃないですか?(レイプ犯許すまじ)

天皇制は身分制度であり、廃止されるべきだ、というのはそれに反対するとしても、べつにあって当然の意見だと思います。そう思わない人はタブーに縛られているのでは?

*1:したがって、従軍慰安婦に注目すること自体ある意味では新左翼的なわけです。ですがこの後、その運動の中での旧左翼的傾向と新左翼的傾向の差異について書きます。

*2:日本の新左翼に何の関係もないが、「サバルタンは語ることができるか」スピヴァク、はそうした問題意識を示しています。

*3:現在そうした人はほとんどいないが

「地獄の幽鬼」を見た

従軍慰安婦といっても色々なイメージがある。*1綾川亭さんが紹介しておられる水木しげるによるものが非常に印象的なので、引用させていただきたい。

なおこの日の綾川亭日乗に対して、賛否両論(ケンカ的)のコメントが付き、そのうちの一つが上記の「レイプ犯許すまじ」さんだということになる。

http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050114#p5

私に印象深いのは、水木しげる御大が兵士として見聞した話である。御大の従軍中の話は、御大自らが回想マンガとして折に触れて描かれているが、さらりと、実にさらりと、とんでもないものを提示されるから、読み手はびっくりだ。

南方の戦線である…熱帯のジャングルだそうである。その日本軍の陣営の中に、粗末な掘っ立て小屋が作られている…全容は細長く、中は小部屋で仕切られている。その一つ一つの部屋に女たちがいて、兵士とコトをいたしているわけだ。で、扉の外には兵士がずらりとならんで、順番を待っているんだそうである。御大は、とてもじゃないが並ぶ気にはなれず裏手の川に出たという。と、その時、若き一兵卒の御大は、「地獄の幽鬼」を見たのだという。

髪はボサボサ…衣はアカでむさくるしく汚れ果てたその「幽鬼」は川べりにしゃがみこむと、ぴゅーっと、尿とも便ともわからぬものを放っていったという………。

これが、南方戦線に送り込まれた従軍慰安婦の姿である。

*1:今年は、従軍慰安婦それ自体をまったく見ようとしない人々が多いみたいだが。

(首相に対し)「靖国参拝なんざ止めろっ!」

と綾川亭さんは歯切れが良い。激しく同意したい。

で、あげくにこのざま。あれだけ、国内外からとやかくいわれながらも、靖国通いを止めなかったのだから、何か策があるのだろうと思いきや、なんだい、いざとなったら、行くということを明言しなくなり、次第次第に離れるようにし(最近のぶらさがり会見では小泉は靖国通いに触れなくなった)、そして今回のような国際会議の場で、あいもかわらずのお詫びの繰り返しか? だったら、お前のやったことは靖国に通って中韓の対日感情悪くしただけ歴代のお詫び外交より始末が悪いわ!

http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050422#p3

 東京大空襲*1から広島長崎の犠牲者に対し当時の支配者は、戦争をさっさと止めなかった責任がある。そこから考えると、日本人は東条免責して良いのか、とわたしは問うている。出発点は違っても、参拝反対という結論は同じ。

 それと本来(言うだけ無駄という徒労感もあるが)、自分の思想を他人にも分かるような言葉で分節化し、文章化するのが、政治家の仕事であるはずである。小泉の思想が私と違うのは当然だが、自分なりの理屈を堂々と世界に向かって表明すべきである。「日本人なら犠牲者を弔って当然」という「当然である」「自然である」という語彙しか持たない人々。それでは他者はまったく説得できない。

 それでも付いていく人たちが沢山いる・・・・

*1:綾川亭3月25日にリアルな描写あり