「女性国際戦犯法廷」なるものを真面目に取り上げるひと

# drmccoy 『TBありがとうございました(?)。私如きどこの馬の骨ともつかぬ人間の文章を丁寧に引用していただき、誠にありがとうございます。ただ、 noharraさんのこの部分を拝見しますと、他サイトからの引用とそれに対するnoharraさんコメントのみですので、ご指摘の意味が私程度の人間には理解し難く、質問されているのか吊し上げられているのかもわかりませんし、「女性国際戦犯法廷」なるものを真面目に取り上げられている様子から、おそらく相互理解や議論は不可能とも思えますので、具体的なコメントは遠慮しておきます。』

(野原)

(1)「女性国際戦犯法廷」なるものを真面目に取り上げるひととは、相互理解不可能。という判断をされるのですね。貴ブログタイトルに「非論理的な世界」とあって?でしたが、あるテーマについて「まじめに取り上げる」ことを非とされる考えの方とは思いもよりませんでした。

(2)

「過去を反省しない」を否定しておられるようですが、それではどのように「反省して」おられるのでしょうか?

(3)

「日本人の慰霊の概念、だれであろうが死ねばみんな神様仏様であるというおおざっぱな感覚*1」についてはここで肯定してみましょう。そして、靖国参拝を父親の墓参りと同置する。

即ち政治的行為の思想性方向性が問われているのに、「わたしの心情の善性」でもって応答している。これでは他者の理解を得ることが出来るわけがありません。

靖国神社とは「日本の国を守るために、斃れた人達を祀る」ための神社です。大東亜戦争の少なくともその一部が間違っていたことは明らかです。それを日本が認めることで日本は国際社会に復帰し得たわけです。「大東亜戦争の少なくともその一部が間違っていた」のかそうでないのか、いずれにしてもそれは現時点での国家日本のメッセージとして他者を説得すべく発せられなければならない。それがないわけですから戦前への回帰としてヒステリックな反応が起こってくるのは、いわば当然です。

*1:大量殺害者宅間某なんかもだな?

日本の中国に対する侵略行為は

http://d.hatena.ne.jp/dempax/20050419#p2さん経由

日本の報道関係者へ:

歴史在此沈思(History is Pondering Here)2005年4月14日

南京大虐殺の被害者数はいくらだったにしても, 戦争を直接指揮したのは天皇にしろ, 軍部にしろ, 日本の中国に対する侵略行為は自らが起こした国家犯罪として, 永遠に抹殺できない事実. 強制従軍慰安婦問題も被害者及びその子孫にとっては, 時間には決して癒されぬ深い傷. 我々が起こした一連の行動はまさに真実を知らない日本の人々, または真実を知りながらそれに直視できず, 敢えて隠そうとする政治家や右翼たちに知らせるためです.

「日本の中国に対する侵略行為」を、日本人はこれまで直視しようとしてきたのでしょうか。直視しようとすれば、(大東亜の大義という美辞とのあまりの落差に)恥ずかしくていたたまれなくなる、ものであった。

 事実は何か?わたしたちはわけのわからない戦争につれ回されひどい目にあった。だが中国人たちの受けた被害はそれどころではない、言語に尽くしがたいものがあった。認めたくないという気持ちは働くだろうが、それが事実だ。

神さまがいっぱい

 えー最近では古事記伝というと別の本のことだとかいう話を聞いたがまあそれはどうでも良いとして、岩波文庫の本居のそれは、1940年に(戦争中ですね)作った版をそのまま使っているので活字がかすれているし読みにくいことこのうえない。でもまあわたしは、無意味に近い言葉に惹かれるたちなので、苦労しながらなんとか読んでいます。やっとp298まで来ました。火の神カグツチを生むところです。天地初発之時からここまで岩波文庫古事記の原文(漢字ばかり)ではわずか3頁。それが『古事記伝』では約160頁です。

 ところで新潮日本古典集成の『古事記』(西宮一民校注)の付録には神の名前がずらずらと1番から321番まで番号付きで丁寧な解説付きで載っている。とりあえず最初の部分を載せたいと思ったが古事記の神名は使われていない漢字などもあり書くのが難しい。ちょっと下記の古事記研究所というところからコピペして神の名のところだけ使わして貰います。記して感謝します。(一部勝手になおしたりしています)

  1. 天之御中主神。(あめのみなかぬしのかみ)
  2. 高御産巣日神。(たかみむすびのかみ)
  3. 神産巣日神。(かむむすびのかみ)
  4. 宇摩志阿斯訶備比古遲神。(うましあしかびひこぢのかみ)
  5. 天之常立之神。(あめのとこたちのかみ)*1
  6. 国之常立神。(くにのとこたちのかみ)
  7. 豊雲野神。(とよくもぬのかみ)*2
  8. 宇比地邇神。(うひぢにのかみ)
  9. 妹須比智邇神。(いもすいぢにのかみ)
  10. 角杙神。(つのぐいのかみ)
  11. 妹活杙神。(いもいくぐいのかみ)
  12. 意富斗能地神。(おおとのぢのかみ)
  13. 妹大斗之辨神(いもおおとのべのかみ)
  14. 於母陀流神。(おもだるのかみ)
  15. 妹阿夜訶志古泥神。(いもあやかしこねのかみ)
  16. 伊邪那岐神。(いざなぎのかみ)
  17. 妹伊邪那美神。(いもいざなみのかみ)*3

これでイザナミが17番になるだろうか?

*1:以上の五柱を、別天つ神 と言います。

*2:この二柱の神(6,7)もまた、独神となりまして、身を隠したまいき

*3:以上国之常立神から、妹伊邪那美神までをあわせて、神世七代といふ(2柱+5対)

日本の第一神は?

 古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、溟(ほのか)にして牙(きざし)を含(ふふ)めり。其れ清陽(すみあきらか)なるものは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と為り、重濁(おもくにご)れるものは、淹帯(つつ)ゐて地(つち)と為るに及びて、精妙(くはしくたへ)なるが合へるは摶(むらが)り易く、重濁れるが凝(こ)りたるは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天先(ま)づ成りて地後(のち)に定(さだま)る。然して後に、神聖(かみ)、其の中に生(あ)れます。故曰はく、開闢(あめつちひら)くる初(はじめ)に、洲壌(くにつち)の浮(うか)れ漂へること、譬(たと)へば、游魚(あそぶいを)の水上(みづのうへ)に浮けるが猶し。時に、天地の中に一物(ひとつのもの)生(な)れり。状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。便(すなは)ち神と化為(な)る。

http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/hinomotonokakisirusi/tenntikaibyaku.html 第一段 神代七代章 天地開闢

(コピペさせていただきました。記して感謝します。)

こちらは日本書紀です。古事記の場合、1.天之御中主が登場する前には、「天地初發之時 於高天原成神名」とたった13字しかないのに対し書記は前置きが長く荘重。ところで登場する神の名は1.天之御中主ではない。

葦牙(あしかび)の如し、として登場するので、4.宇摩志阿斯訶備比古遲がふさわしいようにも思われるがそれでもない。じつは

6.国之常立神 です。つぎに、(まだ表を作っていない)

62.国之狭土の神=国狭槌尊(くにさつちのみこと)。つぎに、

7.豊雲野神=豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

この3神が「凡(すべ)て三(みはしら)の神ます。乾道独化(あめのみちひとりな)す。」とされる。

したがってここで、倭の主神は誰か?という問いに3つの答えがありうる。

1.天之御中主神。(あめのみなかぬしのかみ)

4.宇摩志阿斯訶備比古遲神。(うましあしかびひこぢのかみ)

6.国之常立神。(くにのとこたちのかみ)

 ところで一方、宣長によれば、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050326#p2

「この天地も諸神も万物も、みなことごとく其の本は、高皇産霊(たかみむすび)神、神皇産霊(かみむすび)神、と申す二神の、産霊(むすび)のみたまと申す物によりて、成出(なりいで)来たる物にして」ですから、下記こそが主神であることになる。

2.高御産巣日神。(たかみむすびのかみ)

3.神産巣日神。(かむむすびのかみ)

 ふーむ、4つの内のどれが正しいのか。宇摩志阿斯訶備比古遲がわたしのひいきなのだが・・・

日本軍は設置し運営した

日本人「慰安婦」制度の設置と運営は、当時存在した多数の国際法規範に違反している。国際法の規範には成文の条約のみならず慣習法も含まれる。当時日本が加入・批准していた条約としては、ILOが基礎をつくった「強制労働条約」と「醜業を行うための婦女売買禁止に関する国際条約」の他に、「ハーグ陸戦協約」などがあった。当時成文の条約としては存在しなかったが、国際慣習法として国際的に確立していたものとして、「奴隷状態の禁止」があげられる。

p8『日本軍「慰安婦」問題とは?』ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館

ナヌムの家 とハルモニ証言

下記の催しに行ってきました。

●4月21日(木曜日)同志社大学・今出川キャンパス・寒梅館クローバーホールにて

    午後4時~映画『ナヌムの家』上映 

    午後6時~李容洙(イ・ヨンス)ハルモニ証言 

    主催・同志社大学実行委員会 入場無料

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050115 わたしは1/15以降本を読んだりしてすこし「従軍慰安婦」について勉強しコピペし論争したりもした。自分なりの慰安婦像ができていたわけだが、先日見聞きした映画と証言の慰安婦像はそれとはまったく違ったものでうまく言葉にできない。違った像、イメージといっても知的理解として違っているわけではない。

 ただ話のとっかかりとして知的な所から入ると、映画を見て気づいたのは、ナヌムの家のハルモニたちと支援者たちよる水曜デモ。毎週水曜日1992年から欠かさず続けられているという伝説的な集会(デモ)だ。映画に写っているそれは参加者10人から20人程度のひどく小規模なものだった。日本中のプチウヨから敵視されているにしてはひどく小規模な。プチウヨはしばしば「韓国」という巨大な物と彼女たちを同一視するのだが。

 元日本軍「慰安婦」として韓国政府に申告した方の数は約200人*1半数近くはすでに亡くなっているのではないだろうか。全体で約20万人ともいわれる全体像に対してあまりに少ない。少数派の問題であってもそこに思想的課題を深く掘り下げるのが思想家の仕事であるだろう。一方政治家の役割は妥協し相手を納得させることだ。顕在化している対象者が数百名程度なのになぜ妥協案を提示できなかったのか。相手が納得しない「国民基金」などという案をごり押ししようとしたのか。少数派の「慰安婦たち」自身ではなく韓国その他の国家さえ納得させられなかったのはどうしてか。つまらないナルシズムである思想でしか自己を支えられない勢力が強いからだろうか。大きな問題である現在の反日暴動問題も解決できないのではないか。

 でそんな話は映画には一切出てこない。ただハルモニたちの日常が坦々と描かれるだけだ。ただのぐちっぽいおばあちゃんたちの日常。もう生きてなんかいたくない、ずっと前からそうなんだといったネガティブな事ばかり言う女性。それでもデモには出かけていくのだが。10年間報われないデモ。*250年以上前の傷跡は彼女たちの存在のなかにいまも大きな空洞として残っている。そう理解することはできる。でもその空洞にどう向きあうべきなのかは私には分からないのだ。彼女たちとつきあうわけではないから別にいいといえばいいのだが。

 李容洙(イ・ヨンス)ハルモニ証言は映画と違い衝撃的な部分も沢山含むものだった。だが、まとまりの良さという点では、id:noharra:20050125#p1 などで紹介した証言録とは比較にならない。皇軍=有罪の立証に向けて最短距離で組織された言説と違い、ノイズばかりである。

 最も印象的だったのは、日本の兵隊に教えられた軍歌をきれいな日本語で歌ってくれたこと。日本語への愛。最も憎悪すべき日本との抜き差しならない交流は、長い間潜在しながら、彼女の殆ど一生を貫き、愛という形でも現象する。

 わたしたちは最も憎むものをじつは愛している。そう書くと陳腐な逆説にすぎないが。

 レイプすること、比喩としてというと急に軽くなって意味がないが、生きることにおいてレイプすることは不可避であるだろう。親鸞的な深さで言うならばだ。*3人生は常にそこから始まる。反省することは可能であるしためらってはいけない。孔子も言ったように。

 ・・・

*1:パンフ『日本軍「慰安婦」問題とは』より

*2:ここで他人事として語ってはいけないだろう。わたしが日本国家の成員である限り私がハルモニたちの側に立つなら日本国家に働きかけをなすべきである。

*3:凡人である私は言ってはいけない、言うことができない発言である、が。という意味。

靖国参拝反対

保守本流の意見。4/23の朝日新聞に自民党の加藤紘一氏の意見が載っていた。

 靖国参拝問題の本質は、神社にまつられている14人のA級戦犯をどう見るかということに尽きる。

 ナチスにすべての国内的、国際的な戦争責任を帰したドイツと違って、日本は国内的な戦争責任についての論議ができず、極東軍事裁判の判断をサンフランシスコ講和条約で受け入れた。そうである以上、私は靖国問題は、講和条約という国際的約束を、日本が守り続けられるかどうかの問題だと思っている。A級戦犯がまつられている靖国神社に、たとえ私人としてでも首相が参拝すれば、日本に講和条約を守ろうという意思があるのかどうかが疑われる結果になるのは当然だ。

 簡明だが、「日本は国内的な戦争責任についての論議ができず」ことにも触れており、とても優れた文章であると思う。日中関係がさらにこじれれば「米国としても首相がサンフランシスコ講和条約を踏みにじっていると指摘せざるを得なくなるかもしれない」とまで指摘している。日本が戦後対アジア敗戦責任を非常に軽く済ますことができたのは、アメリカの力による。そのような構図(冷戦構造)が失われても、アジア人差別だけは持続、再強化しているのが現在の日本だ。有害無益なナルシズムからは脱却しなければいけない。

下記も参考。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050203#p1

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050331#p2(宮台真司の引用)

ドイツにおける戦争犯罪者

6千人が多いか少ないか。日本では日本人に対する戦争犯罪者は一人も裁かれていない。逆に「軍人と遺族に40兆円(すべてのアジアへの賠償総額は1兆円)という巨額の恩給を支払い続けているのである。」*1

一方、ドイツでは、ニュルンベルク裁判のあと、ナチス戦犯を裁く特別法を作り、時効も無効にして、10万人以上を捜査し、6千人に有罪判決を出して処罰したのである。英仏の裁判所も今にいたるまで自己民のナチ協力者も含めて、終身刑などの厳しい有罪判決を出し続けている。

http://blog.goo.ne.jp/yayori2005/e/d3e1031f45e8ed5bd897d79626e2b72a

*1:軍人と遺族を戦争犯罪者と同一視しているわけではない。

サヨクあるいは市民派どもは「批判されて当然」

http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050419#p3

というところがおとなり日記にあったので読んでみたら、綾川亭さんは困惑しておられる。“明らかに左翼的意見の人が「サヨクあるいは市民派どもは馬鹿にされて当然」だと思っている”ことに対する困惑のようだ。わたし(野原)にもあてはまらないことはないので、元のブログの流れには無知なままそこの所にだけ反応してみよう。

(1) 天皇制が身分制度でないとしたら何の制度なんですかね?ある家があってその血統ゆえに生まれながらに尊いという社会であれば、逆に特定の血筋の人間集団が卑しいと差別される発想が生まれるでしょう。表裏一体。「橋のない川」って知ってる?知らんでしょ。

(2) 、、、、ってまあ、このあたりがサヨクあるいは市民派どもが吹聴してた話さ。例の民衆法廷もそれの吹き溜まり。(レイプ犯許すまじ)

について解説します。

 図式的に言うと、左翼には(旧)左翼と新左翼の二種類があり、後者は前者を否定する。(2)はそういう意味の否定だろう。

新左翼は旧左翼の持つスターリニズム、権威主義、口先だけのきれい事を激しく批判します。即ち、現在のプチウヨは新左翼の劣化コピーなのです。

 旧左翼はプロレタリアート=労働者に依拠していたはずが、その依拠対象を(選挙目当ての)市民にズラして行き、口当たりの悪いこと(天皇制批判)などを言えなくなっています。新左翼はマイノリティに依拠します。マイノリティの切り札として登場したのが従軍慰安婦です。*1従軍慰安婦=被害者と活動家との間には落差があるわけですが、旧左翼の場合自らを善意の存在とみなし(普遍的人権とか、平和、アジア連帯といった)理念が両者を救ってくれる、と考えます。新左翼は、自分の主体が落差にさらされる<自己否定>という磁場を大事にします。*2新左翼なら、「レイプ犯許すまじ」といいながら、(自分が日本人の男性である場合には)自分を被害者に対してではなくレイプ犯の方に位置づけながら語るべきです。その立場性は当然語られることはない。ただある場合にはキレて、落差がかいま見られることもある、この場合のように。

 以上「新左翼」という言葉を非常に特殊な意味で定義し使ってみました。わたしはここでいう意味での新左翼になりましょう。

 新左翼は反スタ(反スターリニズム)でなければならず、反金正日であるはずです。*3 女性国際戦犯法廷を支えたVAWW-NET Japanなどの現在にその姿勢がないのなら、批判されるべきです。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050125#p3 <<<金正日有罪>>>に書いたとおりです。

要は、民衆法廷を担ったうちの日本人たちは何かの「吹き溜まり」であっただろう。それは2000年に於ける左翼全体の退潮という状況において当然のことだ。彼女/彼たちの主流の思想傾向について違和感を持つ人は多かろう。だが日本軍「慰安婦」たちの存在を見たくない(否認しよう)とする欲望は悪であることは明白である。したがって「慰安婦」問題を重視するが「サヨクあるいは市民派ども」を批判する立場というのは当然あり得ます。

あと2点にだけ触れておきます。

すでに述べたが、「レイプ犯許すまじ」さんには、慰安婦問題を、朝鮮韓国人問題へと結びつけることが全くない。これは今時、非常に稀有な見方だと思う。(綾川亭)

慰安婦問題は、東ティモール、インドネシア、マレーシア、オランダ、南北朝鮮(共同提出)、中華人民共和国、フィリピン、台湾、そして日本といったひろがりを持った問題です。その事実把握が「非常に稀有な見方」になったのは安倍晋三とプチウヨによる世論誘導の成果です。

天皇制が身分制度でないと考えているのでしょうか?頭に蛆がわいているんじゃないですか?(レイプ犯許すまじ)

天皇制は身分制度であり、廃止されるべきだ、というのはそれに反対するとしても、べつにあって当然の意見だと思います。そう思わない人はタブーに縛られているのでは?

*1:したがって、従軍慰安婦に注目すること自体ある意味では新左翼的なわけです。ですがこの後、その運動の中での旧左翼的傾向と新左翼的傾向の差異について書きます。

*2:日本の新左翼に何の関係もないが、「サバルタンは語ることができるか」スピヴァク、はそうした問題意識を示しています。

*3:現在そうした人はほとんどいないが