快不快の話

スワンさんコメントありがとう。

# swan_slab

『こんにちは。この件については、週末にちらっと意識はしたのですが、読む分量が多すぎたのでテキトーに参考にした程度ですが、結局、快不快の話だという前提があるのでつっこみにくいのはたしかです。』

# N・B

『 あ、スワンさん。お久しぶりです、あいまいな形でトラックバックしてすいません。それでも『快不快』『好悪』が基本にあると自覚するのは重要だと思います。

 

>応答が遅れていて

 普通の人が私よりずっと忙しいのはさすがに承知してます、「今は忙しい忙しい」と書くのと同時に、やたらと長く書かれるより、一言断っていただいたほうがずっと『好き』ですよ。では失礼します。』

# N・B 『前の書き込み、「返事を長く書かれるより」、です、「返事」を抜くと意味が全く変わることに今気づきました。個人的なことそのほかで余計に書きすぎましたすいません。』

具体的な他者の像

 N・Bさん 遅くなりました。

1月23日の『「正義の模索」を「高次の正義の設定」にすりかえるのはやめていただきたい』という意見は全く賛成です、あの日の書き込みはそれについての追加意見のつもりでした。このようなすりかえがただ現状追認だけをもたらすのは明白です。

というところでやっと共通点がはっきり分かって書きやすくなりました。

 ただまあ、おおやさんと梶さんの言説をきちんと検討するという課題(および「現実主義にどう対抗すべきか」論)はわたしには荷が重すぎます。中途半端に言及しているので応答が(怒りを含めて)返ってきたら対応しないといけないわけですが。(おおやさんにTB送ってないなー)

 「弱い責任理論」「強い責任理論」の説明ありがとうございました。

ただ、慰安婦「法廷」問題はまず第一義的には、「「自立した個人」の意図した行為の責任だけを問う」問題です。おおやさんの言うとおりです。

しかしそれは救済を与える法が存在しないのではなく、救済を与えることを否定する法が存在するからである(時効、除斥期間、個人補償請求権の日韓基本条約等による消滅)。もちろんこの点を争う議論は法的に可能だが(eg. 除斥期間は著しく正義に反する場合には適用されない)、それは「法が不在である」という主張ではない。

http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000150.html  おおやにき: 法廷と手続的正義・続々

で、日本の法廷と戦犯法廷の二種類あるわけで、被告(天皇など)が有罪かどうかという言説ゲームで一番重要なのはおそらく上記のような「著しく正義に反する場合」とは何か、になってくるでしょう。<<天皇有罪>>は戦後日本にとってパレルゴンとして存在し、したがってそれに関係する争点は、自動的に「著しく正義に反する場合」に含まれることになる、というのがわたしの主張です。

 日本の法律理論においても、「著しく正義に反する場合」云々という法理があると、これは「強い責任理論」になるのでしょうかね。法廷という場面では、もちろんそう言い直すことは無意味になります。

 N・Bさんの発言はどういう立場からのものかといえば、「現実主義にどう対抗すべきか」論みたいなところから、ということですね。

 それよりもたぶん野原燐というものがどこに立っているのか?、N・Bさんにも読者のみなさんにも分かり難いという問題がある!

 デリダの他者論(よく分かっているわけではないが)も参照しつつわたしは。

  1. わたしはまず具体的な他者を引き寄せたい、と思う。(id:noharra:20050115#p3,id:noharra:20050125#p1
  2. 彼女たちに言及する権利や視角を予めわたしが持っているわけではない。(悪く言えば)興味本位である。
  3. 「哀れ」という日本的抒情と関係がある、と言ったりするが(いまのところ)でまかせである。

 というようなところで戸惑いながら畏れ多くも文章を書いているのだった。

返信にならない乱文でごめんなさい。

N・Bさん発言(5回目)(1/27 19時)

1/29夜ここに上げる。

# N・B 『 ご返事ありがとうございます。前提の確認はヤッパリ必要ですね。今回、私は最初からNHK問題に関心を持っていたので、民衆戦犯法廷に話がずらされること自体が「不快」だったのです、しかも「法学者」がそれを「法学」の知識を使って支援しているのでちょっといらだっていました。ただ、このあたりは田島さんの介入で大分変わりそうなので、「法哲学」の議論を含めきちんとしたことはそちらを参照してください。

 ですが、責任理論については答えなければなりません。私は、例えば東京裁判での松井大将が不作為の責任を問われて処罰されたことや、公害裁判など、現代の司法の場には強い責任理論(そうは名乗らなくても)が相当入っているのではないかと思います、

天皇の責任は曲がりなりにも近代社会に生きていた以上先にそのレベルで問われるべきではと思います。ただ、民衆法廷の側の意図はそうではないかもしれません、おおやさんが書かれたことはその意味で妥当かなと思います。

 で、もうひとつですが「強い責任理論」という言葉は、責任のインフレーションというフレーズの説明のために出しました、ですからこの場合に適用するのはちょっと…。ただ、私は法学は本当に素人なので具体的にはわからないんですね。その点は「専門家」に期待するしかないんです。

>N・Bさんの発言は

 全くそのとおりです。もちろん、それとは別に政治的・モラル的「右左」があることも確かだと思いますが。

 「天皇有罪」と「著しく正義に反する場合」を結びつけることは、法律的にはともかく歴史的・思想的には興味深いことですね。

私は「天皇」の罪を問わないことは、むしろ合衆国が決めたことだと思っています。そこでの合衆国の決定が、戦後・高度成長以降の日本人の行動の前提ではないでしょうか。日本人の「ねじれ」は主体性は確立したいけど、高度成長の成果は手放したくない、それを不当に手に入れたのではないかという不安を消し去りたいという衝動があるといったところではないかと思います。バブル崩壊以降に表面化したのもそのせいだと思います。

 

>野原燐の立場。

 1については重要ですね、「具体的他者」というところは、抽象的他者を想定してしまいがちな私(だけじゃないね)には痛いですね、ただ、生活上の「他者」(がいない)という問題も私にはあるんですが。

 もうひとつ、デリダの場合は「正義」「他者の声」は常に切迫したものと想定されるところが重要だと思います。

 2についてですが、権利はなくても義務はあるということはあります。それに「おせっかい、興味本位の自由」という問題があります。あえて権利といいいたい気もするんですね。

 3については上の「ねじれ」を前提にした上で興味があります。野原さんにはぜひもっと突っ込んでほしいです。期待してます(えらそう)

 ところで、田島さんがおおやさんにしたコメントでの「法実証主義(純粋法学)」ですが、自然権のような法の外の正義を認めないこの思想(有名なケルゼンが「純粋法学」を唱えました)は結果的にナチスを手助けすることになってしまったわけです(ラートブルフなどの批判)、厄介なのは、カール・シュミットはケルゼン批判者だったわけです、どちらも法治主義の維持という目的を共有していたが、シュミットはナチス体制を支持し、ケルゼンは亡命するはめになったわけです。(このあたり、百円で買った「法思想史」の引き写し)。

 要するに、法を超えた正義というのは非常に「コンテクスト依存的な」厄介なものなんです。私は、社会状況と思想のかかわりはに強く興味を持っています。ただ、まだまだ勉強しなきゃいけないことは多いです。

 ところでデリダと法学は「批判法学」と一括される学派で結びついています。でも、この学派の入門書など全くないようです。私は主に「20世紀の法思想」中山竜一に頼っています。

 どうも、焦点の絞りきれない返事ですいません。では。』

遅くなった割には

(1)

えーとまず、話が戻りますが、

>どこで実害を及ぼしているのか

 少なくとも、おおやさんを不快にさせたのは確かです、他にもそういう人は多いでしょう。「強い責任理論」はそのような人々の「声」を聞くことを排除できないでしょう。

Aさんを不快にさせる、というのがいけないことなのでしょうか?これが分かりません。

国家法廷でないものが法廷と名のるのがけしからん、て別に詐欺を意図しているわけでもなし、何でそう言うことを言うのか、理解できません。

だいたい不快だと思えば見なければよいだけのことです。わざわざそれに関心を持ち文句を言う、というのはどうなんでしょうねえ。もちろんある種の愛国主義者なら分かるのですが。「わざわざ文句を言う」のは「それ」がAさんの十分には意識化されていない何かを刺激するからか、と深読みをするべきなのか?

(2)

天皇の責任は曲がりなりにも近代社会に生きていた以上先にそのレベルで問われるべきではと思います。ただ、民衆法廷の側の意図はそうではないかもしれません、

できれば、民衆法廷の側の主張をまとめたいと思っていますが・・・

(3)

私は「天皇」の罪を問わないことは、むしろ合衆国が決めたことだと思っています。そこでの合衆国の決定が、戦後・高度成長以降の日本人の行動の前提ではないでしょうか。日本人の「ねじれ」は主体性は確立したいけど、高度成長の成果は手放したくない、それを不当に手に入れたのではないかという不安を消し去りたいという衝動があるといったところではないかと思います。バブル崩壊以降に表面化したのもそのせいだと思います。

「天皇」の罪を問わないことは、むしろ合衆国が決めたことだ、というのはそのとおりですね。右翼の側は、東京裁判賛成=左翼という自分たちが勝手に決めた図式を今でも信じているので、東京裁判を左から覆す勢力が登場したときの対応が支離滅裂のような気もします。

「そこでの合衆国の決定が、戦後・高度成長以降の日本人の行動の前提ではないでしょうか。」えーそうですかねえ。タブーが存在しているという事実に対しその説明をしているだけだと思います。

わたしにとって民主主義とは、憲法1条を私が否認するという意志表示を公にする(ことができる)という事実に掛かっています。*1

「高度成長の成果は手放したくない、それを不当に手に入れたのではないかという不安を消し去りたい」。

経済の利益だけ考えて、東アジア重視は駄目でアメリカ追随の方がずっと有利という判断をしているのならそれはそれで良いと思うのです。そこになんか「不安」とかなんとか心理的要因が何故入ってくるのか?主体性を確立したいとは本心では思っていないのではないか。ただのマザコンなのではないか。心理学用語を使うのは良くないと思いつつそうぼやきたくもなりますね。

(4)

 ところでデリダと法学は「批判法学」と一括される学派で結びついています。でも、この学派の入門書など全くないようです。私は主に「20世紀の法思想」中山竜一に頼っています。

「20世紀の法思想」という本も前に誰かが薦めていたなあ。

ドゥルシラ・コーネル『自由のハートで』という本は持っているんだが*2、法学(法哲学)の本なのだろうか。ただのフェミニズムの本かと思っていた。

*1:ですからわたしの主張が通れば次はまた別のことを考えなければいけない。まあそんな心配は50年ほどは不要だが。

*2:読んでない

白粉=残余

拉孟(ラモウ)というのがどこにあるのか皆目分からないのだが、古山高麗雄の三部作(断作戦・龍陵会戦・フーコン戦記)の舞台になったエリアだろう。慰安婦が出てくるシーンを引用したいが今出てこないので代わりにちょっとだけ。

それに板垣さんは、経理の上級将校であったから、女性の衣装や白粉などを提供してくれたのだった。それは、朝鮮から拉致して来て慰安婦にした女性たちに給すべく用意したものの残余であったもののようだった。

(p366『龍陵会戦』文春文庫isbn:4167291053

慰安婦のことは中曽根さんのような経理の上級将校が良く知っているのだ、ということの傍証にもなる。(1/28追加)

「その慰安所は軍が経営していたのか?」という問いもまだアクチュアルである。この慰安所は軍が直営していたに限りなく近いものだったようだ。

<<<金正日有罪>>>

わたしは以下の要求項目について基本的に賛成する。反論のある方は言ってください。

 それでは現日本政府は、旧日本国の継承政権としてこの国家責任についてどのように履行しなければならないのか。要求事項について何点か述べさせていただきます。

 まず、日本政府は軍性奴隷制に関する真相を徹底的に調査し、全貌を公開しなければなりません。さきに申し上げたように、「慰安婦」の総数、国別人数、慰安所設置地域と慰安所の名称、その管理者、「慰安婦」の処理情況を含めて公開しなければならないと主張します。

 次に、日本政府は軍性奴隷制に対する法的責任を認め、すべての被害者に対して正式な謝罪をしなければなりません。この謝罪はただの言葉だけではなく、十分な賠償をともなう謝罪でなければなりませんし、また、ある招請された人物が適当な機会に一言一言ことばで述べるだけの謝罪ではなく、国会決議や政府声明、あるいは条約のような文書のかたちで記録され公けにされなければなりません。

 三つ目には、日本政府は性奴隷制に対する十分な国家賠償をしなければなりません。周知のように加害者が被害者に補償するのは一般的原理であり国際法上の要求であります。日本は加害国として被害者にかならず補償しなければなりません。この補償は民間基金のような民間団体が募金したお金ではなく、国庫金で、国家の名で被害者に対する賠償がなされなければならないと、私は主張するものであります。〔場内拍手〕

 またこの補償は生存被害女性のみならず、すでに死亡した被害者の遺族にも正式に支給されなければならないと主張します。

 四つ目に、日本政府は軍「慰安婦」生活を強要された被害女性たちの尊厳を再び損なうような行為を徹底的に根絶するための措置を講じなければなりません。現在日本の一部の右翼勢力は、軍「慰安婦」たちを「売春婦」だとか金儲けのために性行為をしたと言って、彼女たちの大切な尊厳と名誉を再び損なう妄言を吐いています。日本政府はこれらを黙認しており、なんら防止策をとっていません。日本政府は、これらに対し真剣な態度で真剣に深く検討し、日本で、日本の右翼勢力から、こうした発言が出ないように実践的で実質的な防止措置を講じなければなりません。〔場内拍手〕

 五つ目に日本政府は、世界各地をすべて調査し、犠牲になったすべての被害者の遺骨を彼女たちの故郷や彼女たちの親族が住んでいる土地に、丁重に葬るべきです。また今日の証言で明らかになったように、河床淑ハルモニをはじめとする被害者たちが、未だに中国、日本、カンボジア、南部サハリンなどで暮らしています。日本政府は彼女たちの要求を聞き帰国させるか、あるいは祖国訪問を実現するための措置を講じなければなりません。

 六番目に日本政府は、軍性奴隷制を謀議、計画、実現、執行した者に対して刑事処罰を加えなければなりません。ここで、生存者たちには正式な法廷に出頭させ該当する処罰をし、あるいは特別法廷をつくって処罰するように国内での措置が講じられなければなりません。死亡した者たちに対しては、死んでしまったが、彼らに対しても本法廷の名前で刑事処罰を加えることによって、あらゆる人々に罪を犯せば生きていても死んでしまっても、必ず刑罰を受けるという歴史の教訓を残すようにしなければなりません。〔場内拍手〕

 最後に、日本政府は歴史教科書改悪策動や他のさまざまな策動によって、過去の軍「慰安婦」生活に関する問題を歴史の陰に隠してしまおうという策略を行なっており、また、それを歪曲したり否定したりして、今後も伝えられないようにしています。日本政府はこれらに対して深く反省し、教科書をはじめとするあらゆる書籍に事実をそのまま記述し、社会教育と学枚教育をとおして、日本人がこうした過去についてよく知るようにしなければなりません。日本政府は博物館や文書保管所のような記録保管所をつくり、当時の資料、被害状況の証言などすべての記録を保管し、だれもが閲覧できるようにし、日本の過去の罪が二度と日本というこの土地から起こらないよう、十分な注意を払わなければなりません。

 私は北と南の共同検事団の一員として、以上の責任履行を本法廷の名において日本政府に強く促すことを要求します。〔場内拍手〕

p88-90『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』isbn:4846102068 より

発言者は誰か?

   鄭南用検事

尊敬する判事の皆さん。私は朝鮮民主主義人民共和国検事の鄭南用です。

 多くの日本人はこの朝鮮民主主義人民共和国という形容詞を聞き、一斉に安堵し叫びはじめるだろう。

お前に言われたくないわ!!

 日本人の安堵に合流したくないのだが、この批判は受け入れるべきではないだろうか。

1)北朝鮮による拉致問題は、日本では近年横田めぐみを象徴とすることで排外主義的熱狂をよんでいる。しかし本来、韓国にはもっと多くの被害者がおり、また中東にも被害者がいたという国際的広がりを持った問題である。(韓国による拉致もあったのか?)

2)10万人以上いるのではと言われている中国に脱北した者たちは、中国当局によって難民と認められず、日々送還におびえながら悪い条件で暮らしている。

3)日本から北朝鮮へ「帰国」した9万3千人の在日朝鮮人(一部日本国籍保持者も含む)とその家族は、日本との自由な往来を認められないだけでなく、北朝鮮国内でも差別を受けていると言われている。

4)そしてなにより、人類史における最悪の人間虐待と糾弾されるべき政治犯収容所などの収容所の存在。参考:http://homepage1.nifty.com/northkorea/nkcamp.htm

これらの問題について、北人民共和国政府は

<真相を徹底的に調査>をすべきであるし、

<すべての被害者に対して正式な謝罪を>なすべきである。

 帰国者を含む市民の国内移動と海外渡航の自由を認めるべきである。

収容所他の抑圧を<謀議、計画、実現、執行した者に対して刑事処罰を加えなければなりません。>これは当然、「金正日有罪」という判決を含むものになるでしょう。

それより先に、まず現在行っている不法行為を中止し収容者を解放し、彼らが暮らしていける最低限の補償を与えるべきである。

わたしたちは検事に成り、上記のような判決を求めて新しい民衆法廷を提起し実施していくべきではないか。

 そのとき「とても文字になどできない下劣で最低最悪の暴言を」「慰安婦」たちに浴びせつづける右翼?たち、と<わたしたち>との関係はどうなるか?法廷がただのリンチの場にならないようわたしたちは法廷の場を守りきらないとならないだろう。

鄭南用検事の演説(言説)の格調の高さは肯定されるべきだと思う。したがってそれを受けて次の告発が成立することも、拒否できない。

金正日有罪を言うことは、日本のレイシズムに加担することだと一部の左翼は言う。だが、<右翼/左翼>あるいは<日本/韓国朝鮮・中国>という二項対立で世界は判断できない。民衆の一部はいつも国家の隙間からこぼれ落ちどちらの側からも見捨てられるのだ。そうした見捨てられた側、見えない人間を可視化しようとすることに正義があるという信念が、女性国際戦犯法廷の根拠であろう。したがって金正日に対する告発をためらってはならないと思う。

(わたしは戦犯法廷の主催者の側にシンパシーを持ち援護しようというベクトルでこの本を読み始めた。だからこんなことを書くのは予定外である。)

(1/28朝10時半 掲載)

第2次「慰安婦」論争 1/29.10時

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050124#p5 へのフォローとして

dempaxさんが下記にコメントしてくださった。

引用箱付きでここに上げます。

あと、id:dempax:20050127#p2 で紹介してくれた

http://members.at.infoseek.co.jp/postx/NHK-kaizan/top.html

NHK「女性戦犯国際法廷」番組改竄問題・私家版 ここは内容豊富みたい。

(わたしの関心は法廷自体の方にあるのだが)

id:dempax

「発信箱:第2次「慰安婦」論争として 山田孝男(編集局)」をさっそく産経新聞で西尾幹二が利用しています.

……「圧力」を経た修正版にもかかわらず、「従軍慰安婦」の取り上げ方に危うさを感じた。92年1月、朝日新聞は「朝鮮人慰安婦募集に日本軍関与」の大報道を展開、直後に訪韓した宮沢喜一首相が盧泰愚(ノテウ)大統領に謝罪した。日本軍による慰安婦「強制連行」を糾弾する動きは相変わらず根強いが、強制連行を否定する実証的な反論も出ている。90年代の慰安婦報道と日本政府の謝罪が、日本に「性奴隷」(海外ではsexslaveと報道)制度が存在したかのような誤解をまき散らしたという批判はさらに根強い。……(編集局)毎日新聞 2005年1月24日 0時06分

産経新聞 2005/01/28 11面オピニオン 正論 問題の核心は変更番組の放映にあり 評論家 西尾幹二

…… さすがに毎日新聞はついていけないとみて, 山田孝夫氏の署名で, NHKのあの番組がおかしいこと, 従軍慰安婦の強制連行説を否定する実証的な反論が出ていること, 90年代の政府の謝罪は日本に性奴隷制があったかのごとき国際誤解をまき散らしたことは反省すべきだとする記事を掲載した(1月24日朝刊). 正論である.……

西尾式要約方法

山田孝男編集委員 ≪誤解をまき散らしたという批判はさらに根強い≫ → 西尾幹二つくる会名誉会長 ≪誤解をまき散らしたことは反省すべき≫

毎日新聞らしい「客観報道」として≪批判はさらに根強い≫としたのに, 西尾幹二名誉会長が≪反省すべき≫に改竄してしまった.』

よくやっているなぁ

mojimojiさんから下記のコメントをいただきました。1/27の13時ころ、です。

ここの日記では、同じ主題のものは翌日以降に書いてもその日の日記の下に継ぎ足して行くという構成をとっています。1/25の日記もそのように下へ継ぎ足していったのですが、上と下20050125#p3ではかなりニュアンスが違うものになっています。下は慰安婦テーマとは直接関係のない「金正日有罪」というわたしの主張を述べたものになったのです。以下のmojimojiさんのコメントはそれを含まない前半部分へのコメントですので念のため注記しておきます。

# mojimoji 『はじめまして。先日はトラックバックいただき、ありがとう。/外国はどうか分かりませんが、日本の女性運動(も含めて社会運動全般)は、圧倒的に量が足りないと感じています。とにかく、人が足りない。そんな中でもほんとによくやっているなぁ、と頭が下がる思いです。』

# mojimoji 『前日のエントリの毎日新聞の記事ですが、あそこは割と両論併記だから、よく馬鹿な記事が載りますよ。記憶に新しいところでは、サマワの自衛隊派遣に関して高畑論説委員の記事が出て、すぐ翌日だかに布施論説委員による異論が掲載されました。今回の件も、すぐさま反論が出されることを期待したいですが、はてさて、どうなることやら。』

# mojimoji 『サマワの件での肝心の元記事がなくなっているのが残念なのですが、そのときにフォローしていたシバレイさんのブログがあります。雰囲気くらいはつかめるか、と。

http://reishiva.exblog.jp/m2004-11-01#1111392

 女性国際戦犯法廷の全記録、を見ると、規模も大きいし、法廷であろうとする努力をできる限りしていることも分かるし、多種多様なボランティアが緊急に集まった割には、ほんとうにすごいなあと感心します。

 批判すべき点があると仮にしても、まず本を読むなりビデオを見るなりして知るという努力を払うに値するイベントであると思います。

慰安婦問題は問題ではない、と思いたいというデフォルトがあるのは事実である。ただそこで自分たちの欲望に従うことが、国益にそうかどうかは別問題。国益はわたしはどうでもよいのだが、何と言ったらよいのか、「大東亜の大義」を一旦は叫んだ男たちの末裔としては最低限直視する責任がある問題だと思うが、みなさん誇りがないようだ。

mojimoji発言の先見性

mojimojiさん、コメントありがとうございます。

ご挨拶がとても遅れてすみません。

id:mojimoji:20050113#p2 で言うべきことはきちんと言われていることに今さらながら気づきました。

安倍晋三の「工作員」発言、慰安婦問題を隠蔽しようとする安倍氏たちの工作を、大衆が無言で受け入れて(同意して)、これを否定できずに情況はいままで動いているわけです。

さらに女性国際戦犯法廷に関して、「北朝鮮の工作員を検事、日本と天皇を裁く側においた法廷」と言っていた。

id:mojimoji:20050113#p2

それ以後、おおや氏ほかに対して一歩も引かず丁寧に反論されるmojimojiさんの文章、頭が下がります。わたしなどは読むと頭に血が上りそうで怖くて読んでいません・・・

 性の商品化などについても興味を持っていますのでこれからもよろしくお願いします。

法が最小限の正義であることをやめたとき

2/5

# mojimoji 『過分に褒めていただいてありがとう。乗せられるとのめりこむ人なので、どんんどん焚きつけてください(笑)/今述べていることは「法が最小限の正義であることをやめたときには、法を尊重せよというクレイム自体が無効」という、女性国際戦犯法廷の中身の検討抜きにできる議論をしています。なので、当初の主旨とはだいぶ違っている気はするのですが、まぁ、「アイロニカルなサポート」ということになるんでしょうか。/女性国際戦犯法廷の中身については、天皇有罪を言おうとする動機は理解できるのですが、それを法解釈として正統なものとできているかは、ちと悩んでいます。できてなくても擁護しますが、それはそれとして、確認したいところではあります。/ただ、日本政府の賠償責任についてはせいぜい時効の問題くらいしかないのですから、「死者を訴えた」ことを理由にこの民衆法廷を全否定するのはまったくうなづけないかなぁ、と考えてます。』

「法が最小限の正義であることをやめたときには、法を尊重せよというクレイム自体が無効」の議論、難しいですね。というか私にとっては、たぶん「法の外に正義がある」のは当たり前のことであり、それを頭から否定する論を立てられても絶句するかキレるかしかないのに、ちゃんと論理で丁寧に返しておられるので感心してしまいます。で論理を追おうとするとそれはそれで難しい・・・

「全記録1」については、証言のところ、なかなか興味深く読むことができました。残酷な場面もあるがそうではない場面もある。(不謹慎ですね)

日本国家がやったことと思うともっと反省の痛みを持たないといけないのでしょうが・・・

とにかく無視しているより、読んだり見たりする方が良いと思う。