ファルージャ情勢の謎

ファルージャについては、「レジスタンスが旧市街を取り戻す」という話もあったがよく分からないと、id:noharra:20041130#p3 に書きました。

 ファルージャでは、地域の部族社会がレジスタンスを闘っているだけ、と当然わたしは思っていたのですが、id:amtさんは、それにしたら強すぎる、と見ておられます。ふーむ・・・??

http://d.hatena.ne.jp/amt/20041207#Fallujah はてなダイアリー – おもてなしの空間

イスラムメモは、外部からのアフガニスタン型の支援を認めつつも、地域の部族社会が祖国防衛戦争型で戦っているようなことをいっているが、これも信用できない。ファルージャで連中は、湾岸戦争で一台しか戦闘による損失がなかったエイブラムズを沢山やっつけている。米軍が戦っているのは、少なくとも湾岸戦争でクウェートに侵攻したイラク共和国軍よりも大部ハイレベルな連中がまじっているに違いない。こんなことが可能なのは、僕には、フセインが米軍侵攻に備えて準備した地下組織以外には考えられない。

虐殺を糾弾するだけでは

虐殺を糾弾するだけだと、レジスタンス側が意外に強かった場合、虐殺じゃあなかったじゃないか、と反撃されてしまう。戦っている当事者に対し1段も2段も高い観客席から、反ヒューマニズムという超越的価値観によって評価している態度、そうであってはいけない。政治的発言は常に、手を汚す覚悟で行われなければならない。

そもそもイラクにおける米軍の存在自体に正当性が薄い。したがってレジスタンスは正当である。(自衛隊は米軍支援のための存在だから、自衛隊も攻撃対象になる。)

自衛隊派遣の根拠はイラク支援特別措置法案である。

本法案第2条3項は、イラクについては、「安保理決議1483その他の政令で定める国連総会または安保理決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意によることができる」と定めています。

安保理決議1483は、米英軍による占領にお墨付きを与えたものなのか、というと違う。

http://www.no-yujihousei.net/siryou_kaisetu/kaisetu/chinjutu.html

本決議は、米英両国に、占領国としての国際法上の権限、責任、義務を全うするよう求めただけで、米英両国による占領統治の合法性を承認するとか、新たに占領統治の権限を付与したというものではないのです。(略)

以上のように、Authorityすなわち「イラクにおいて施政を行う機関」は、国際法上正当な統治権力として認められてはいません。違法な軍事占領と認定されたわけではありませんが、合法な占領統治と認定されたわけでもないのです。政府は、「日本政府としては合法かつ正当な占領統治と解釈している」と主張するかもしれませんが、それだったら、イラク側にも、違法・不当な軍事占領と解釈する同等の権利があると言わなければなりません。

かくしてイラク旧政権の残存勢力には、国際人道法規則を遵守するかぎり、自国領土を占領している米英軍を攻撃する正当な権利があり、イラク国民にはレジスタンス闘争を行う正当な権利があるということになります。軍事占領そのものが違法・不当と見なされ得るのですから、米英軍が治安の維持や民政安定、人道支援など、いかなる活動を行っていようと攻撃対象とすることが可能です。占領国としての国際人道法上の義務を遂行している最中でも攻撃することができます。

(大阪市立大学教授 松田竹男)

米軍は、他国を占領し他国に不幸と混乱をもたらしている。日本の自衛隊は、自衛には関係ない不名誉な軍事行動を起こしたので、日陰者だった60年経ってやっと、ふたたび封印されるべきだろう。

女という記号

(1)

id:noharra:20041201 に書いたことは、「新田は間違っている。」なんていきなり決めつけて乱暴であり、読者の理解を絶している。もう一度考えてみよう。*1

 911以後にジュディス・バトラーは「Precarious Life」という本を書いたらしい。(Precariousを辞書で引くと、他人の意思次第の、とある。)その本を参照しながら新田は書く。911以後、米国では他者排除の装置が早々と現れた。そこでは全ての人の死が平等に悲しまれることはない。そしてバトラーは“新たな反ユダヤ主義の広がり”を指摘する。しかし新田氏も危惧するように、この指摘にはシオニズムのいかがわしさに合流する危険性はないのだろうか。911事件の分かりやすい影響として、イスラムあるいはアラブ人への差別が広がったのは事実であろう。それをおいておいて、「反ユダヤ主義」だけが言説上に表れるのだとしたら、それはどういうことか。世界の矛盾は西欧的言説の平面性に写像として投影される限りでしか表現できない、そのような言説のあり方というものに対しバトラーは全く無反省なのではないか。*2

 反ユダヤ主義があるから反ユダヤ主義を指摘した。それは良いだろう。しかしそのとき、反イスラム主義は余りに当たり前であるからそれとして認識されることもないという地平に、話者もまた立っているのかどうか?という別の問いにも応えなければならない。

イスラエル政府の残虐性はいうまでもなく甚だしい。しかし、この暴力の連鎖は確実に、「敵」と「味方」を峻別する政治を永続化し、殺伐としたものとなるだろう。*3

この文章にわたしはケチを付けたわけだが、

パレスチナに公正をもたらそうとする運動の立場から、いつもチェックされるのはこの「暴力の連鎖」という言葉である。たまたまニュースに映されたパレスチナ人のあるいはイスラエル兵士の暴力を見て、それに反応することはしばしば、パレスチナ地域の50年以上にわたる占領、人民抑圧というすぐには見ることも理解することもできないものを見ずにすますことと連動している。「暴力の連鎖」なんてわかりやすい言葉を使ってしまう弱さは、「あからさまな攻撃で封じられる」などという操作なしに、わたしたちの社会がデフォルトとして持っている眼差しの差別性の普遍性と闘うことの困難という課題を自らの物としていないことを証している。フェミニズムから何を学んできたのか。

(と偉そうに書いてしまったが、私に何が出来ているわけでもありません。新田さんごめんなさい。)

(2)

 私が主体として発語するときに、わたしは女であるというアイデンティティは必須だ。*4であるとしても、主張し対話し論争するという「アゴーン」の場への参加がなかなかできない人たちをその限りにおいて軽視しても良いのか。そうではなかろう。

つまりその思想*5の根幹は、言語を主体的に使用し、意のままに語る能動性ではなく、他者の保証を受けて在る、主体に還元できない人間存在を想定する。するとスピヴァクの言う発話とは常に、自己の意図や固有性とは別のものの潜入を受けることになる筈だ。(新田・同書p217)

 もしもわたしが男でも女でもないものであったなら、女のアイデンティティを振りかざす言説にむきあったとき、あたかも国家権力による言説に向きあったときと同じような無力感に突き落とされるかもしれない。

「であるからして、わたしたちは誰に遠慮することもなく「女」という言葉を使っても良いのだ。」は間違っていると言われるだろう。

 だがデリダもまた女性という言葉を使っていた。 初期デリダは、男根ロゴス中心主義的な真理を遠くから翻すものを「女性性」と呼んだ。ただしここで女性という記号の使用法には注意が必要である。女性というものがそのまま存在するわけではない。それは、「真正ならざることを固有財産とする」もの(あるいは非もの)のかりそめの「記号」として使用されているだけなのだ。

イスラエルは国家であり存在している。この文章を成立させるために彼らは日々努力してきた。おそらくこの点で、イスラエルにシンパシーを感じるフェミニストは多いだろう。「わたしは女(人間)であり存在している」という自明性を毀損されないようフェミニストは日々闘ってきたのだから。であるとすれば、アイデンティティ・ポリティックスへの違和感の表明は、「イスラエル政府の残虐性は甚だしい。」という言表とパラレルなのものと受け止められるかもしれない。被抑圧という自己規定だけから出発するものは、イスラエルのように(北朝鮮のように)残虐になる(可能性が充分ある)。

(3)

さて、「わたしたちは誰に遠慮することもなく「女」という言葉を使っても良いのだ。」という結論は導き出せないようだ。女という言葉をことさらに禁止するあるポリティックスに従順である必要は全くないのであるが。

*1:現代思想12月デリダ特集p216 新田啓子氏「亡霊を待ちながら」を読みながら

*2:バトラーの文章を読まずに批判できないが、そう思った。

*3:新田・同上p218

*4:野原は男だが

*5:デリダからスピヴァクに受け継がれた思想

他者の不在

追悼が要求しているように、自分に負債があることを表明せざるをえないと感じるときが、来るのである。自分が友に負っているものを語るのは義務だと感じるときが。(デリダ)『現代思想 2004・12』p81より

 追悼という主題に興味はない。id:noharra:20041030に、香田証生さんの人質事件に関して、二人の方のはてな日記を引用し、まあちょっとケンカ売り気味に批判した。どちらの方からも応答あり対話があった。結果的にはとてもわずかなあいだだったが。生産的な対話でもなく思い出すこともなかったのだが今日、ちょっと思い出してみた。すると「ご指定のページが見つかりません」エラーがでるではないか。二人ともなのでちょっとおどろいた。

彼らは今不在であり、その限りにおいてわたしは「自分に負債がある」と思っている。負債という言葉を心理的に解釈してはいけない。そうではなく償いえない負債だけが考えられている、デリダにおいては。二人の他者にわたしは何も負っていないがそれでも、不在であるだけで何かへの通路であるのかもしれない。

日本のユダヤ人問題

 日本のユダヤ人問題といえば、朝鮮人問題ということになる。1910年以来民族の独立を奪い民衆を抑圧したという事実の存在は、同時期におけるアウシュビッツにいたるユダヤ人抑圧~虐殺の事実とパラレルである。(第三世界人、つまり予め植民地化されるべき民、であったのかもしれない韓国朝鮮人とユダヤ人は違うが)現在の問題は次の点にある。

「イスラエル政府の残虐性はいうまでもなく甚だしい。」

「北朝鮮政府の残虐性はいうまでもなく甚だしい。」

後者は自国民に対する抑圧であるために他国からは直接観察~批判しにくいという差異はある。

だが1945年以前における被抑圧者が(あるいはおそらく)抑圧者に転じたとき、1945年以前における抑圧者はそれを指弾するのを躊躇するという<良心>において、残虐な抑圧が継続し続けるという構造が存在する。そのことにおいて北朝鮮問題とパレスチナ問題の構造は一致する。

 第一野原燐からして、このブログでは、より語りやすいパレスチナ(~イラク)問題よりも北朝鮮問題にできるだけ触れたいと思いながらも果たせていない。

http://www.asiavoice.net/nkorea/ 朝鮮民主主義研究センターなどを見て、リンクして行きたい。

http://f33b7ad9e960c670ac32f8fe131228ce.blogtribe.org/entry-e42b097d64af69210d0788be91337f58.html に「 北朝鮮難民基金の野口孝行さん・加藤博さんの講演録」があります。

 生きているかどうか分からないめぐみさんなるものに大騒ぎするわりには、半年以上中国に拘留されながら野口さんに対しては何故国民的救出運動が盛り上がらなかったのか。右翼の立場からすると、難民救済する日本人は日本人ではないのか。であればおそらく北朝鮮の国益のために生きている(生きざるをえない)横田めぐみ救出を叫ぶのは矛盾していないか。

 ところで(生きて帰ってきた)野口氏は上記で自己の活動の原点を確認する。「ある特定の国籍もしくは宗教・集団に属しているという事から迫害を受け、受ける可能性があり、国を離れた場合、その人達は難民である」。中国も批准している国連の難民条約である。脱北者は難民であるから保護を受ける権利がある。ところが中国当局は難民である彼らを北朝鮮に送還している。わたしたちは野口氏と共にこの点を中国当局に強く訴えていかなければならない。

 しかしながらよく考えると(野口氏は長期に渡り拘留されていたから考える時間はたっぷりあった)、日本人は偉そうに言えないのではないか?

そういう風にしながらですね、いざその自分の日本の国というものを見てみますと、先日ですね、私はちょっと日本の状況を調べていたんですが、2001年の1年間で日本が難民認定を与えたケースというのはですね、たったの26ケースなんです。そして更に2002年、これは14人なんです。そして去年はですね、336人申請したうちのたったの10人しか難民の認定を与えていないんですね。これは毎年減って来ている訳です。そして先進国と言われる国を見ると、毎年数万人単位で難民認定を与えています。一番少ないイタリアでも2002年、2100人という人達に認定を与えてますね。そうするとですね、日本の団体である私達、私が中国に対して「あなた達、北朝鮮の難民を難民認定して保護しなさい」と言っているのはですね、とても空しい風に感じる訳ですね。で、よくよく突き詰めると、これは矢張り日本人のですね、我々一人一人の人権意識というものが非常に低いと言わざるを得ないと思うんですね。

http://f33b7ad9e960c670ac32f8fe131228ce.blogtribe.org/entry-e42b097d64af69210d0788be91337f58.html 

北朝鮮問題とパレスチナ問題の構造の一致、というより差異の問題になった。(北朝鮮に対する報道は少なくない。必ずしも排外主義一色でもないとも言える。)横田めぐみさん、拉致された日本人を北朝鮮から奪還せよ、というストーリーばかりが叫ばれるが、めぐみさんはまだ帰ってこない。帰ることが大事なのか。そうではなく大事なのは移動の(国境を越える)自由だろう。一人でも多くの脱北者に保護を与えることに積極的に成るよう、わたしたちは日本政府と中国政府に働きかけるべきだろう。

パレスチナとデリダ

パレスチナ連帯運動の目立つ場所でデリダが発言するということは余りなかったんですね。*1「パレスチナ研究誌」にも書いていません。ではどこで、イスラエル・パレスチナ問題を激しい言葉で語ったかというと、常にユダヤ人の前でした。その多くがイスラエルに対してシンパシーを持っているだろうユダヤ人の前で。だからこそイスラエルにも行く。

(鵜飼・長原対談の鵜飼哲の発言より 『現代思想 2004・12 特集デリダ』p107より)

 朝鮮総連の幹部の前で自己の主張を曲げなかった金時鐘にも通じるところがありますね。

*1:同じ雑誌のp248には、2004.5.8に反グロ系集会に登場した、駐仏パレスティナ自治政府代表ライラ・シャリドの直前に、デリダの姿が書かれている。重光哲明氏の文章

デリダはアラブ系ユダヤ人

 デリダはフランス人でありユダヤ人だった。そして彼がアルジェリアから来たことも広く知られている。だが彼はカミュのように植民者の子孫としてアルジェリアに生まれたわけではない。1962年アルジェリアが独立したとき、植民者の側にカテゴライズされ離散させられたことは確かだが。デリダの父祖はイスラム化したアラプが北アフリカにやってくる以前からそこにいたのであり、本来その土地に固有の権利を主張してもよかったはずだ。

 ところで、イスラエルに外部から無理矢理移住してくるからイスラエルは無法な外部からの簒奪者になるわけであり、同じアラブの地から移住してくるならアラブ内部の移住だからそれほど大騒ぎしなくてもよいはずだ。だがシオニストは「アラブ内部の移住」という側面を執拗に隠蔽する。

 とにかく大昔からユダヤ人はイベリア半島や北アフリカを含む地中海圏全体に住んでいた。で「ユダヤ・スペイン語」、ラディーノ/ジュデズモなどユダヤ系の言語を話していた人々もだいたいアラビア語に同化していった。もちろんヨーロッパ系の言語に同化していった人々もいるでしょう。ここで、デリダの祖先たちは、つい百年ちょっと前まではアラビア語をしゃべり続けて来た。そして1870-1940くらいの間に完全にフランス化する。そのせいで、いわゆるアルジェリア人より古くから住んでいたのにアルジェリア独立の主体にはなれず、植民者=敵の側とされ、1962年以降離散せざるを得なくなる。

東アジアでいうと台湾の日本統治が長く続き、客家系で長い間中国語を話していた人が日本語しかしゃべれなくなるようなものか。フランス>アラビア>ユダヤという序列において、ユダヤ性を極端に主張するイデオロギーが自身の千年に渡るアラビア性というアイデンティティを力ずくで隠蔽し、それをなかった事にして「イスラエル」を建てていく。事実、イスラエルのユダヤ人の多くが本来アラビア語を母語としていたはずなのにそのことは強く隠蔽されています。

 エイズであったフーコーが死後「聖フーコー」になったように、デリダも死後アラブ人に成る。

(鵜飼)(略)

しかしあの追悼文には一つ大きな誤解がある。ギル・アニジヤールはサイードもそう思っていたと言うのですが、デリダの生家はアルジェリアのコロンではありません。アルジェリアのユダヤ人はイスラム化したアラプが北アフリカにやってくる以前からそこにいたのです。デリダのとくに文学関係の仕事では固有名の問いは大変重要ですが、デリダという名前が普通名詞として何を現わすかは不明です。それくらい古い名前なのです。

 ユダヤ人を一般にアシュケナージ系とセファルディ、東ヨーロッパのユダヤ人とスペイン系のユダヤ人に分けますが、さらにイラン・ハレヴィのような、PLOに合流したユダヤ人の歴史家は第三のカテゴリーとしてアラブ-ユダヤを考える。デリダの家は基本的にアラブ-ユダヤで、そこへレコンキスタの後に北アフリカに亡命してきたセファルディ系の家系が合流したということらしい。デリダが生まれるちょうど百年前にアルジェリアは植民地化されます。その段階では彼の祖先はアラビア語を話していた。一八七○年にランスの法務大臣アドルフ・クレミューがアルジェリアのユダヤ教徒にフランスの市民権を与えます。そしてデリダが生まれるまでの六○年間にユダヤ教徒の共同体はあっという間に同化されていった。デリダが生まれる前にこの出来事は起きています。デリダは生涯、アルジェリアのユダヤ教徒はどうしてこれほど簡単に同化されたんだろうということを、キリスト教とユダヤ教、そしてイスラムとの間の関係としてずっと考えてきたし、ある意味で苦しみ続けた。私たちの前で彼が、フランスがアルジェリアを植民地化せず、自分もフランスと関係なくアルジェリアで生まれていたらいまよりもずっとよかったと言ったことがあります。

(長原氏の発言 略)

(鵜飼)  そうでしょうね。いま自分が抱えているような苦しみとは無縁だったはずだと。それをどういうアフェクトで言っていたのかというところまでは、もちろん証言できませんが。アルジェリアのユダヤ教徒はデリダが生まれる前の六○年間に同化され、デリダが生まれて三○年後にアルジェリアは独立する。そのときユダヤ教徒は、コロンとアラプ人、ベルベル人の被植民者の間にいる階級になってしまっていました。デリダが何度も語ったように、フランス本土をドイツが占領した時期に学校から追放されたり市民権を剥奪されたという経験が一方ではありつつも、フランスの市民権を持っていたがゆえに六二年にはこのコミュニテイに属する人々の多くはフランスかイスラエルに文字どおり離散しなければならなくなる。アラブよりも前からこの地に存在していたコミュニティがアルジェリアの独立によってアルジェリアにいられなくなるという経験を、デリダは既に哲学的に自己形成した後にしたことになります。デリダはこのことについてルサンチマンめいたことはひとことも言わない。このコミユニテイの人たちの多くはこの出来事ののち反アラプ的になり、シオニストになっていく。南フランスの、ユダヤ人でありながらルペンに投票しているような人たちもこのコミュニテイからたくさん出ているはずです。彼のパレスチナに対する関わり方や、九○年代アルジェリアが内戦に陥った時の態度表明に、彼が抱えてきたこの経験が現れている。それは最終的には『ひとつしかない、私のものではない言語』の中であるまとめかたをされました。コロニアリズムのひとつの結果としてこの悲劇も起きたのです。

(鵜飼・長原対談の鵜飼哲の発言より 『現代思想 2004・12 特集デリダ』p102-103より)

北朝鮮は餓え凍えている

# swan_slab 『>拉致された日本人を北朝鮮から奪還せよ、というストーリーばかりが叫ばれる

そのためには食糧支援も止めてやる!といってしまうわけですよね。。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041209-00000057-kyodo-intこんな記事が出ているときに。

様々なことを多角的に報道しないから視野狭窄になるんでしょうね。』

(2日ほど前に)id:swan_slabさんから コメントいただいた。

スワンさん こんにちわ。水俣病についても続きを書かなくちゃと思いながらできていません。

穀物価格については、2、3ヶ月前の情報ですがすでに「殺人的価格」であるという情報がありますね。

今年9月初旬にはコメ1キロが1400ウォン(茂山郡調べ)まで暴騰した穀物価格は、韓国と日本の食糧支援の実施を受けて下落を見せたものの、10月はコメ1キロが1100ウォン(同上)、トウモロコシ1キロが400ウォン(同上)と依然として一般住民には禁止的(殺人的)な価格となっている。なお、10月の為替レートは1中国元(約14円)=210北朝鮮ウォンとなっている。

 北朝鮮は食糧難が悪化したことから、今月初めから朝中国境を守る国境守備隊兵士らにもコメやトウモロコシの代わりにジャガイモを食糧として支給していると、23日伝えられた。

(略)

 収穫期の秋ではあるが、食糧価格はさらに値上がりし、平壌(ピョンヤン)では白米1キロが900~1000ウォン、地方都市では1200~1500ウォンまで高騰している。一般労働者の1か月の平均賃金は2500ウォン余だ。

姜哲煥(カン・チョルファン)記者

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/24/20041024000009.html

Digital Chosunilbo (Japanese Edition) : Daily News in Japanese About Korea

ただ、食糧支援すれば良い、とばかりも言えないようです。ですが、支援が直接末端住民に届かなくても、支援のおこぼれによって生きのびられる人がいる、と主張する人もいます。

食糧支援が金正日政権を助けるだけだという指摘は半分当たっているがちょっと考えてほしい。

 九八年に支援食糧のモニタリングということで北朝鮮に入ったことがあり、本当に支援食糧が横領されている事実には驚いた。幹部たちが市民に転売して現金化しているのを目撃したといういろんな人の報告も聞いている。しかし支援食糧が入ると、闇市で流通しているコメの価格が下がることで市民が助かっている、生き延びられる人がいるという事実もある。

http://www.jrcl.net/web/frame041122s.html

石丸次郎さん講演 北朝鮮–隣人が苦しいときこそ手をさしのべて(下)/「モーターサイクル・ ダイアリーズ」を見て

 わたしは経済制裁論に組みするものではありませんが、何の成果もなしに大きな援助を先に決めた小泉政権のやり方も非常におかしいと思います。国家ではなく下層住民と直接交流できるように、せめてそうした方向性を持って、見聞きし考えていかなければいけないと思う。

あなたのなかの「善」を信じる

山下京子さん、被害者の母が、「酒鬼薔薇」が本退院することへの現在の気持ちを語っている。

 今年の8月、私どもは彼からの手紙を2通受け取りました。

 あれほど、「まずは手紙で、謝罪の思いを本人から伝えてほしい」と切望していたにもかかわらず、私はすぐには読む気になれませんでした。

 手紙を読んで事件の真相を知りたい、彩花の親として真実を知らなければならないと思う一方で、もしも、今よりもさらに辛(つら)く苦しくなって、自分がどうにかなってしまったらどうしよう、という怖さがこみあげてきたからです。

 そんな葛藤(かっとう)を繰り返しながら、10日が過ぎ、ある程度動揺がおさまった私は、ひとりで手紙を読みました。

 あくまでも私信なので、内容を社会に公表するつもりはありませんが、少なくとも劇的に私の気持ちを揺るがすものではありませんでした。そして事件の核心に触れるものでもありませんでした。

 しかし、2通目の手紙は人から強制されて書いたものではなく、彼の本心を吐露したという感があり、出会ったこともない彼の声を聴いているようで、読み進めていくうちに涙を流している私がいました。

 その涙の意味は自分でも理解できないのですが、憎悪や恨みという種類のものではなく、もっと静かな、ただただ哀(かな)しい、というのが一番近い感情でしょうか。

 そのときに思ったのは、仮退院時のコメントと重複しますが、彼が「社会でもう一度生きてみたい」と決心した以上、どんなに過酷な人生でも、人間を放棄しないでほしい。彩花の死を無駄にしないためにも、生きて絶望的な場所から蘇生(そせい)してほしいということでした。

 だからといって、けっして彼の罪を許したわけではありません。

 それでも、彼の「悪」に怯(おび)えるよりも、わずかでも残る「善」を信じたいと思うのです。

http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/shakai/20041214/20041214i515-yol.html

児童殺傷事件・加害男性の退院前に遺族がコメント (読売新聞) – goo ニュース

華やかなクリスマスのイルミネーションとキリスト教の愛は何の関係もない。キリスト教の愛は、酒鬼薔薇を愛せるか、という不可能性に存在する。