論語は聖賢の言行を記したる所に、今日に合わざることありとの玉ひて諸子に書きぬかせて、その必要の所をのみ講し玉ひき。
藤樹は先哲の「和魂漢才」と喝破せるが如く、日本的精神を以て漢学を講究し、漢学の為に併呑せられず、我邦人の取るべき立脚点を取り、厳として樹立する所ありき、之を要するに彼れは彼此の差別あることを弁識せり、(井上哲次郎)*1
中江藤樹が、中国と日本の間に差別が当然にも存在すると考えていた、というのは嘘である。井上は自分の問題意識をむりやり藤樹に投影しているに過ぎない。
藤樹にとっては「(愛敬の)徳は天地同根万物一体なり」である。「藤樹によれば 孝 は先天的に世界に実在し人類の行為により発達し来たれる倫理的秩序なり」*2である。藤樹はつねに天地万物という普遍を見すえてものを言っているのだ。「我心は即ち太虚なり、天地四海も我心中にあり」という唯心論ではあるが、心の中には宇宙があるのだ。「和魂漢才」とか「日本的精神」とかいう、「邦人」にのみ適用され他国人は意識の外といった普遍から外れた立脚点に立ったことは、一度もない。
主著『翁問答』巻一には、次のようにある。
天地を万民の大父母となして見れば、我も人も人間の形ある程の者は、皆兄弟、然る故に聖人は四海を一家、中国を一人と思し召すとなり、吾れと人との隔てを立ててけわしくうとみ侮りぬるは迷へる凡夫の心なり*3
<良知><理><真吾><明徳><孝><天君><道>などなど、という形でひたすら普遍的に展開してきたこの本は、p155に至って突然「日本的精神」がでてくる。つまり藤樹が生涯をかけて展開した普遍主義的哲学の富を継承すべきものとして「日本的精神」が登場してきたとも言えるのだ。しかしながらそれが「日本的」と限定されたものである限り普遍であることはできない。しかしながら、儒教仏教神道などの宗教の差を乗り越えた普遍的なものとして構想された教育勅語などによる「日本的精神」主義は発展を続け、ついには、世界の日本化を目指す大東亜戦争を引き起こすに至る。これを藤樹の<普遍>を井上が「日本的精神」という言葉において引き受けた結果だ、と考えることも(すこしぐらい)できる。