人質非難はどうかと思う(11/5)

http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1094319459/375 『結局、スピンをまともに検証して本に出したのは小林だけなんだよな。

バッシャー(情報操作に引っかかった人も確信犯も含めて)達がテレビ番組や雑誌記事、記者会見、ホームページ、新聞で、あれほど人質とその家族を攻撃したのに、未だに人質を非難する内容の本を出版した人は皆無。』

「それもあるだろうけれど、前回と違って、今回は官邸からの情報操作(スピン)が無かったからね。

結局、スピンをまともに検証して本に出したのは小林だけなんだよな。」

スピンって何のことと思ったら上記のようなことらしい。で小林って誰よ。スピンとは、フレーバーなんかと同じ原子核物理学用語で、それを小林秀雄が検証したのかと思ったよ(??)高齢者にも分かりやすい文章を書きましょう。

男性でありながら

男性でありながら真っ昼間から、女性もののらしいブログをのぞき見していると、なんだかゲームへの参加を呼び掛けられたので、男性でありながら初老でありながら参加してみようと思ったが、男性でありながら配偶者から急に電話が掛かってき男性でありながら息子を4時までに病院に連れて行かなければならないのに息子はいっこうに帰ってこないので男性でありながら窓から外を覗いて心配しているのだった。(昨日は2ちゃんでありながら反反ジェンダーフリーのひと発見。)男性でありながらこのブログを読むと男性でありながら「居心地が悪い」。

http://d.hatena.ne.jp/maki-ryu/20041018#p1 はてなダイアリー – あたしはレズビアンだと思われてもいいのよ のコメント欄に参加。

以下は、その後追加。

男性でありながら、小学校の門の前で息子を待ちかまえキャッチし、男性でありながら病院まで連れて行き、男性でありながら母子手帳を看護婦にさしだし、男性でありながら息子のアレルギーの有無とか細かい健康上の質問項目に答え、男性でありながらやっと終わった。自分が何をしているのかあまり分かっていなかったのだが(だって男性なんだもの)三種混合の第二期予防接種を子供に受けさせたのだった。予防接種をどう考えるのか、というのは、母の自己決定(自己じゃないんだが)を問われる重要な問題。だが、(だって男性なんだもの)野原は何も考えてなかった。今日も配偶者の指示に従っただけ。「母子手帳」というものが子供が10歳過ぎになっても大切に手元に置いておくべきものだということを初めて知った(だって男性なんだもの)。三種混合というのはなんと10年も経ってからもう一度やらないといけないので、「母であれば」その10年をしみじみ振り返ることができるのだろう。小児科には、赤ちゃんの様々な色の便のリアルな写真が18種類も立派なパネルで表示されており、そんな時期を速やかに忘れた私と息子本人はけっこう熱心に見入ってしまった(だって男性なんだもの)。雨が降ってるのに自転車に乗って息子たちは出て行ってしまい、びしょぬれになるだろう、そのくらい注意したれよ(だって男性なんだもの)!

「一般の結婚制度を利用しているヘテロのカップルはこうは行かない。本当にたいへんなことだと思う。」

「女と男が結婚制度の中でうまく行くなんてあり得るのか?とあたしは疑っている。」というフレーズを発見。うちの配偶者が「たいへんである」という事実を再確認し  ました。

言葉にでも女にでも

 「私が何かを論じる」ということが大事なのでは、本質的にはない、と思っている。

 「ところで、概念とは、こちらが把握したい時に把握できるのではなく、或る瞬間、否応なしに、こちらを把握してくる本質を持つのではないだろうか。*1」と松下も言っている。

 論じる主体としてのわたしは、生きているわたしのごく一部の位相を占めるにすぎない。ふつうは睡眠をとり、仕事をし、食事をし、会話をし、すべて無自覚にとおり過ぎていくのだ。たまには一瞬息を止めるほど怒ったり感動したり行為したりもするだろう。いずれにしても「何かを論じる」という時間の過ごし方は、よっぽど余裕のある時にしかできないことだ。そうではない書き方もできるはずなのに、わたしはできていない。

 言葉にでも女にでもわたしは振り回されたい。?

*1:松下昇『概念集・1』p2

私は喜んで乞食淫売で結構である。

というわけで、わたしが最近すごい!と思っている言葉たちは彼女のものだ。

何が納得いかないのだといって、言葉に納得がいかないのだ。

本当に子供だった時私は家も家族も服も靴も鞄も男も友達も何も要らないただ自分の身体を忠実に翻訳する言葉だけが欲しいと思って生きていた。

http://d.hatena.ne.jp/chimadc/20041019

はてなダイアリー – chimadcのサミズダット

汚辱にまみれて死んでいくべき

わたしなのに。ついついごまかして普通人のふりをしてしまう。

http://bbs7.otd.co.jp/273430/bbs_plain?range=-50&base=3000 西尾幹二(日録)感想掲示板

左翼というだけで、「汚辱」と決めつける上記のようなサイトはわたしの守らなければならない<初心>を思い出させてくれる。感謝。

2985 日録の 年上の長谷川 2004/10/13 22:17

女性 広島県

トラックバックをたどっていたら

こんなところや

こんなところにたどりついてしまった。

やはり全共闘系列とジェンダーフリーと、反つくる会と、

反日自虐史観主義者?は同じ仲間であると実感しました。

「汚辱に塗れ」の(c)はミシェル・フーコー。

198 汚辱に塗れた人々の生 丹生谷貴志訳

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9400fm06.htm

『ミシェル・フーコー思考集成VI 1976-1977 セクシュアリテ/真理』

井沢「数千万」捏造発言

http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20041018#p1 経由の

http://dklog.jp/u/yuuko999/#0000978507 から

「たかじん」南京虐殺、靖国参拝など(ゲスト:西尾幹二) 「たかじんのそこまで言って委員会」の発言記録をコピーさせてもらいます。

井沢元彦氏の発言。

今、テレビを見てて、西尾さんを、こいつは右翼で嘘を言ってるんじゃないか?と思ってる人に、ぜひ聞いてほしい。中国で戦後、文化大革命があったが、中国共産党は少なく見積もって数千万人を殺した。戦争でなく。20年ぐらい前にそれを言うと右翼だとか、軍国主義だとか、学問をねじまげてるとか言われた。が、今はどうか。中国ですら認めてる。中国の共産党政権は、政権の都合によって事実をすぐ変える。文革は共産党による大虐殺。数の桁が違う。南京30万人どころではない。そういうことをぜひ考えてほしい。

今、テレビを見てて、西尾さんを、こいつは右翼で嘘を言ってるんじゃないか?と思ってる人に、ぜひ聞いてほしい。中国で戦後、文化大革命があったが、中国共産党は少なく見積もって数千万人を殺した。戦争でなく。20年ぐらい前にそれを言うと右翼だとか、軍国主義だとか、学問をねじまげてるとか言われた。が、今はどうか。中国ですら認めてる。中国の共産党政権は、政権の都合によって事実をすぐ変える。文革は共産党による大虐殺。数の桁が違う。南京30万人どころではない。そういうことをぜひ考えてほしい。

http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20041018#p1 では、

姫田光義ほか『中国20世紀史』(東京大学出版会、1993年)では、

公式発表だけでも「迫害で死亡した者」3万4800人、「中傷・迫害されたもの」74万2511人という犠牲者を出しながら現状を何一つ解決することなく……(241ページ)

となっているので、仮に十倍しても30万、とても数千万人にはならないと、私には思われる。

数千万という数字が勘違いして出てくる根拠として、「当代江北日記」さんは次のように書く。そうだとしても許される勘違いではないですね。

まず、考えられるのは、大躍進運動(1958~1959年)の失敗による餓死者数と混同しているのではないか、ということだ。この死者数も諸説あるのだが、大躍進運動の失敗の結果、59年から60年にかけて1500万~4000万の餓死や不正常な死が発生したと言われる。これは毛沢東による人災だと言っていいが、しかし、故意に殺害したのではないという点で文革とは異なる。

もちろん、大躍進の時に大量の死者を産みだした責任は中国当局が現在も続いている以上、(北朝鮮の場合同様)追求されるべきだと思う。だが、民衆の命に本質的慈悲を持たず、右か左か、自分のイデオロギー的立場*1だけを大事にし、事実を誠実に追求する気など無い「なかった派」は発言しなくともよい。

*1:アプリオリに普遍にたどり着けないものを普遍に置いている大笑いっぽい立場。野原の意見では。

パレスチナと南京(その2)

http://d.hatena.ne.jp/milkbottle/20041018 はてなダイアリー – NEWS GARAGE【カバ式会社おばか通信】のブログでは、イスラエルによる虐殺に触れた後、「南京」にも触れている。

「 それによると、監視所からの銃撃があった後、倒れた少女に司令官の大尉が近づき、頭と腹に1発ずつ、さらに至近距離からライフルの弾倉が空になるまで銃撃を続けた。複数の兵士が同様の証言をし、少女の体からは約20発の銃弾が見つかった。」

イスラエルは決して大虐殺はしていない。ちょっとずつ注意深く殺している。日本の「なかった派」みたいに無邪気じゃない。

パトリオティスム

吾人の観たる多くの偉人は何物よりも故郷を愛するの念強かりしが如し。*1

故郷(パトリ)も愛せないくせに、「日本国及び国民の誇り」なんて言ってんじゃねえぞ。>プチウヨ

*1:中里介山『中江藤樹言行録』内外出版協会p26

馬鹿の可塑性 -藤樹の性善説-

中江藤樹と彼の生徒大野了佐のエピソード。

○寛永十五年の事なり。大野了佐と云へる者来ッて藤樹に学ぶ。初め藤樹が大洲にありし時、大野某なる者と友とし善かりしが、其の子了佐は天性愚鈍者にて、殆んど一人前の人間たるベき望無く、到底家を継がしめ難き者と見えぬ。父は已むを得ず之に賤業を習はしめて一生の計を為さしめんとしたり。されど流石に了佐も士分の家に生れて、我が不肖の為めに当然己の占むべき地位を落さるるを恥づる心深く、よッて窃かに(ひそかに)藤樹が許に通ひて医を学ばんとせり。藤樹其の志と憫ん(あわれん)で、之に『大成論』を授けしが、読誦数百遍に及びても遂に一字をも記する能はざりき。其の中藤樹大洲を去りで故郷に永住の事となるや、了佐はまたまた藤樹が後と慕ひ来りて学べるなり。此の時了佐が心事を思ひ遣れぱ、其の決心は蓋し容易ならざるものなりしならん。藩中知人の辱かしめや侮りは飽くまでも彼に群がり纏ひしならん。彼は自己が天性の魯鈍により、親を苦しめ家を辱かしめるに至る事の如何にも心苦しかりしならん、學若し成らずんば骨になりての外は還らじとの覚悟を抱いて遙々と藤樹を訪ねたりしならんと思はる。藤樹も亦彼が此の切なる心事を知れぱこそ、幾んど畢生の精力を傾け注ぎて之を教えへしかば、さしも魯鈍の了佐も遂に立派に成功し、医を以て家を成すに至れり。それまでにせし藤樹が教育の労は想像の外にて一夕諸生に語ッて曰く『余は実に了佐に於て吾が精力の全部を竭し了れり。されど彼に勉励の功あるにあらざれば、吾も亦乙れを如何ともする能はず。諸君の如きは天資決して了佐の比にあらず、苟も(いやしくも)志あらば何の成らざるをか憂へん。成らずとせば唯一勉字を欠くによるのみ」と。夫れ天下の英才を得て之を教有するの楽は孟子も之を曰へり。鈍才劣才を得て之を物にするの苦心は聞くこと少し。既に學ぶの熱心あり、教ふるの熱心あらば、天性の賢愚の如き第二第三の問題のみ。此の師ありて此の弟子あり。天才を自由に煥発せし者のみが成功にあらず。鈍才が刻苦によりて玉成せしものは更に此に優るの成功にして、吾等は却ッて後者の例に依ッて非常に大なる教訓を受くるなり。教えて倦(う)むことなき藤樹が師としての高徳は固より(もとより)伝ふべし。學んで天性に打克ちたる了佐が刻苦は当(まさ)に永久に伝えて人を奮はしめるの価値ある可し(べし)。此の一逸話、実に古今東西の歴史上罕(まれ)に見るの美談なり。*1

要するに、了佐という青年がわざわざ四国から近江まで藤樹を慕って学びに来た。だが彼は大変な魯鈍(バカ)でどうしようもない。しかしながら藤樹の大変な努力でようやくなんとかなった、という話。http://www.town.adogawa.shiga.jp/nakaetouzyu/nakae-index.htm

安曇川町役場の「近江聖人 中江藤樹」という頁では、次のように簡単にまとめられている。

また、魯鈍の門人であった大野了佐にたいして、大部の『捷径医筌』を著わし、それをテキストにして熱心に医学を教え、立派な一人前の医者に育てあげた話は、人を教えて倦まない藤樹の生き方を知るうえで、あまりにも有名なエピソードの一つである。

わたしは今回、すこし苦労して、わざわざ読みにくい明治40年発行の中里介山のヴァージョン(3頁にわたる)を紹介してみた。箸にも棒にも掛からない奴を測り知れない熱意でまともにしあげた、というだけなら偉人伝の定番にすぎない。

「教えて倦(う)むことなき藤樹が師としての高徳は固より(もとより)伝ふべし。學んで天性に打克ちたる了佐が刻苦は当(まさ)に永久に伝えて人を奮はしめるの価値ある可し(べし)。」介山は、藤樹の熱意はもとより讃えるが、それよりも天が与えた魯鈍という天性に自己の存在全てを掛けた刻苦によって打ち勝った了佐の行為を、古今東西まれにみると最大限讃えている。ここが気に入ったので紹介してみた。

 「藤樹はいかなる人も良知あるものとし良知は本来人に具(そな)わるものにして即ち人の天に受くる所とせり*2」つまり性善説です。性善説とは、人間に性(本質)というものがありそれについて善と規定できるという説とは全く違います。性(ここでいう良知)とは可能性です。したがって魯鈍なる者はそうした条件を乗り越えるだけのことがないかぎり魯鈍のまま終わるでしょう。しかし、ある必死の努力をすれば魯鈍であったとしてもその条件を乗り越えることができる可能性を持つのです。この二つの文章は実は同じ事を記述しているのですが、断固として後者の記述の方を選ぶこと、それに儒教の性善説はあります。性善説とは人間の可塑性を信じることだ。それを最も雄弁に語っているのがこのエピソードだと思う。

追記、10/23:

人はひとに影響を与えることができる。“誠を尽くす”ことによって、ひとをして彼/彼女自身のうちにある良知に目覚めさせることができる。良知即ち天命を知れば、「世に工夫して成らぬ天命はなし」、ということになる。*3

ところで「世に工夫して成らぬ天命は無く、成らざるは工夫の仕方悪しきなり。」という文を読んでどう感じられるだろうか。大学受験から仕事での目標達成までわたしたちは外から設定された目標に向かって駆り立てられている。この文もそうした駆り立てるための言説の露骨な物として受け止められ反発される、と思われる。実際、藤樹の流れを汲む思想は教育勅語以降そのように利用され続けてきて、元の姿が「国家への献身」といったものと全く違うということすら不明確になってしまった。ふつうに考えるなら、大東亜戦争など「盗みをなし謀反をなし」たことに他ならないのに、<天>を忘れ国家をそれにすり替えた不幸なひとたちにはそれがわからない。

 日常生活をぼおっとおくっているだけではわたしたちは他者に出会うこともない。ネットで議論すればわたしたちは「不毛な他者」に出会うことができる。だが藤樹を知ってしまった私たちはそこで留まることはできない。他者に対して“誠を尽くせば”きっと他者を変えることができるのだ。*4

*1:中里介山『中江藤樹言行録』内外出版協会p32~34

*2:p60『日本陽明学派之哲学』井上哲次郎

*3:p73中里介山『中江藤樹言行録』内外出版協会p32~34

*4:なまけものには不可能。