滝沢克己氏が、ヘーゲルの核心を簡明に語っている。
『現象学』の数年前に書かれた『キリスト教の精神とその運命』において
- ヘーゲルは出会った、ほかならぬ自己そのものの成立の根底、すなわち 真に無条件に実在する基体であり同時に主体である聖なるもの、に。(ヨハネ伝に、「太初の言」といい、「われは生命なり、真理なり」と親しく語る絶対者)に。
- 人間各自の脚下にはこの基点が存在するが、それに気付かず、他のことに気を取られる。「無意識の自己欺瞞」
- それにもかかわらず、その背後から働いてくる真実の基体即ち主体の治癒的圧力によって覚醒への過程をたどる。「弁証法的運動」*1
- (ところで話は飛びますが)「たまたま貨幣や資本のダイナミックな交錯であるわたしたちの社会全体」というものが、マルクスの資本論で取り上げられたのは、まさにそれこそがここで言う<基体>だと思われたからだ。ヘーゲルは自己の脚下にある基体を重視したが、マルクスは自分が世俗生活を営むその関係性の総体をそれに代えた。*2
神さまが見てらっしゃるのよ!!、とそれを知らずに「絶対知への到達なんてそんなに都合良くいくものか」と言ってるのは無知。というか神がいなくてもそう考えるしかない、と(もちろん)ヘーゲルは言っている。